◇今週のことば
きょうも御書と共に!
「一文一句なりとも
かたらせ給うべし」
最極の慈悲と智慧の光で
生活を 社会を照らせ!
2021年11月22日
開目抄下 P230
『仏と提婆とは身と影とのごとし生生にはなれず聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓同時なるがごとし、法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、求めて師とすべし一眼の亀の浮木に値うなるべし』
【通解】
仏と提婆とは身と影のようである。三世永遠に離れない。聖徳太子の時には物部守屋がいた。蓮華が花と実を同時にそなえるようなものである。法華経の行者がいれば必ず三類の仏敵が現れる。三類はすでに現れた。法華経の行者は誰なのか。求めて師とすべきである。一眼の亀が浮き木に巡り合うようなことである。
名字の言 11月22日は「いい夫婦の日」 2021年11月22日
山本周五郎の小説『ながい坂』で、主人公の武士が妻を隣にこう思う。「伴れ添う者に身も心も任せ、安心して幸不幸をともにしようとする女の姿ほどいじらしく愛らしいものはない。この平凡な、わかりきったところから、男のもっとも男らしいはたらきが生れるのだ」▼夫婦の在り方は時代で変わる。だが伴侶がわが人生に多大な影響を与えることは変わらない▼ある壮年部員の夫人が今年、霊山へ。広布の苦楽を共にした妻との別離に悲痛の日々。ある日、1人の女性が壮年を訪ねてきた。彼女は夫人が入院した病院の看護助手だった▼彼女は夫人から「あなたの看護は慈愛にあふれていますね」と常に言われたとのこと。その激励に一念発起した彼女は看護学校へ進学。来春から先の病院の看護師になるという。「今の私があるのは奥さんのおかげです」との言葉に、壮年は"妻は今も周囲に希望を届けている"と涙し、再起を誓った▼壮年が題目を唱え抜く中で出あった池田先生の指針がある。「永遠に消えない幸福の思い出——それが唱題である。折伏である。広宣流布である」。現在、壮年は妻から継いだ「無冠の友」として本紙の配達に走る。胸中の妻と広布の旅路は続く。きょう22日は「いい夫婦の日」。
寸鉄 2021年11月22日
学会は励まし合いの世界広げる団体—博士。絆が希薄な今こそ声掛け更に
山形支部結成の日。青年と共に希望の対話拡大!広布の理想郷建設へ勇躍
御書「仏の御定を用いよ」新版を手に喜びの声続々—永遠に行学二道を邁進
いい夫婦の日。日頃から感謝伝え合う家庭は円満と。ありがとうの一言を
メタボ患者、コロナ前後で倍増傾向と。定期的に健診を。食事・運動も賢く
〈社説〉 2021・11・22 あす23日は「勤労感謝の日」
◇"社会の灯台たらん"と誇り胸に
健康なまま、120歳まで生きられる時代が近づいている——。昨年、老化研究の第一人者、デビッド・A・シンクレア氏の著書『LIFE SPAN 老いなき世界』(東洋経済新報社)が話題に。
日本は健康寿命が世界一の長寿社会を迎え、「人生100年時代」を見据えた社会システムの構築が求められている。だが近い将来、それを上回る「人生120年時代」が到来するかもしれない。
そうなれば、生涯の労働年数はどう変わるのか。あす23日は「勤労感謝の日」。働く人を尊び、皆で感謝し合うとともに、将来の労働について考える機会としたい。
世界で最も少子高齢化が進む日本では、政府が働き方改革を主導し、長時間労働の是正やパートタイムの賞与増加など改善が図られてきた。だが一方、コロナ禍で女性の非正規雇用が減少するなど、厳しい状況に立たされているという(「選択する未来2・0」まとめ)。
窮地にある現役世代への支援は当然急務だが、労働人口の先細りを考えれば、幅広い世代が生き生きと働ける社会づくりを並行させる必要があろう。特に、働く意思のある高齢者が社会参画できなくては、日本の先行きは不安である。
今年、江戸時代に初の実測日本地図を手掛けた伊能忠敬の新地図が、福岡県で見つかった。地理学者として名高い彼だが、元は農民、在野で活躍した商人である。驚くのは、50歳を過ぎて本格的に天文学を学び、55歳から地図製作を始めたことだ。当時の寿命を考えれば晩年も晩年。実測にいそしんだ原動力について、伊能忠敬研究で著名な川村優氏はこう分析する。
�商才を発揮する中、天文・測量への関心が膨らんだ�窮乏と混乱を解決する立場にあり、災害の打開策が最大の関心事に�天文方・高橋至時の門下となり、良師良友を持った(東京書店『伊能忠敬 見事なり、二度の人生』、趣旨)。
「学び続けること」を信念とし、「良師良友」の存在を力に変え、過酷を極めた労作業に挑み続けた。彼の死後、その生き方を目の当たりにしてきた弟子たちにより、地図は完成を見た。以来、200年がたつが、彼の人生は今も不滅の輝きを放っている。
老いも若きも「生涯挑戦」の気概を忘れまい。"社会の灯台たらん"と貢献の人生を目指してきた創価学会員こそ、その誇りを胸に、日々堅実な一歩一歩で前進したい。
☆11・18「創価学会創立の日」記念特集 桂冠詩人40周年(下) "人間主義の大宣言"を世界が賞讃
◇インドの詩人スリニバス氏「池田氏の詩には幾つものエベレストが!」
「ヒマラヤ山脈には、エベレストはひとつしかない。しかし、池田大作氏の詩には、幾つものエベレスト(最高峰)が見られる」(世界詩歌協会のスリニバス会長)、「池田博士の詩は、平和と情熱と希望と人間主義の大宣言」(ロイヤル・ネパール・アカデミーのコイララ副総裁)——世界の識者は池田先生への讃辞を惜しまない。「創価学会創立の日」記念特集�では、桂冠詩人である先生の詩業に対する顕彰や賞讃の声などを紹介する。<肩書は全て当時>
◇ドイツ ワイマール・ゲーテ協会「特別顕彰」
協会顧問「先生はゲーテの心を体現する最大の理解者」
ドイツのワイマール・ゲーテ協会「特別顕彰」が池田先生に。ゲーテの依頼で1816年に制作された「ゲーテ・メダル」が贈られた。
オステン顧問は「池田先生がゲーテの最大の理解者であることを存じております。貴殿はご自身の人生の中で、幾多の行動と言論を通して、常にそのことを証明してこられました」と。
◇モンゴル文化詩歌アカデミー「天の駿馬」賞
総裁「自然や人々を愛し、平和を尊重する芸術」
モンゴル文化詩歌アカデミーのメンドオーヨ総裁は、池田先生の詩と文学を「自然や人々を愛し、平和を尊重する卓越した芸術作品」と賞讃。
「天の駿馬」賞の授与式では、先生の詩などをモンゴル文字で自筆した書を贈呈した。
◇世界詩歌協会 国際詩人アカデミー アミールディン会長
「宇宙とのつながりを感じる作品」
池田博士が紡ぎ出す言葉は、憎悪や苦悩の闇から人々を救い出したいとの熱い思いにあふれています。
恒久平和の実現へ全精魂を注いでこられた博士の、不断の闘争の結晶に思えてなりません。
池田博士の作品は、私たちの内にある聖なるものに気付かせ、宇宙とのつながりを感じさせてくれます。人間の苦しみや悲しみを描きながら、それをいかにして転換することができるか、その方途を示されているのです。
壮大なビジョンを持ちながら、その焦点は常に"一人の変革"に向けられています。
個々人の智慧を開発し、持てる力を引き出すことによって、世界を平和へ、調和へ、繁栄へと導こうとしておられるのです。
◇ケニア作家協会 インダンガシ会長
「表現の奥に豊かな生命と精神性」
池田氏の詩は"民衆詩"と呼ぶことができると思います。
氏は詩をその起源ともいうべき、民衆に親しみやすいものへと再生したのです。
「親しみやすさ」「受け入れやすさ」というのは、「高尚さを欠く」ことと同義ではありません。
だれが民衆の詩を「洗練されていない」などと言うでしょうか。氏のもつ簡潔さと明快さは、単に芸術的であるだけでなく、倫理的な理念にあふれているのです。
いくつかの表現は、表面的には平易なものに見えますが、その背後にある精神性からは、純粋さや誠実さ、温かさがにじみ出ているのです。詩とは生命であり、池田氏の詩は最高に豊かな生命なのです。
◇各国に立つ「詩碑」
・ドイツのライン川を望む景勝の地にある池田先生の詩碑。ビンゲン市の市立庭園に立つ。その銘板には「花に花を重ね 思い出に思い出を重ねて この一生を爛漫と飾りたい 我が友も かくあれと私は祈る 花の王 桜は『生き抜く王者』の象徴である」との言葉が
・アメリカ・グレンコーブ市の市立公園に設置されている詩碑。1981年に池田先生が発表した長編詩「我が愛するアメリカの地涌の若人に贈る」の一節が刻まれている。同市は同長編詩の誕生から40周年を祝賀して、本年6月20日を「桂冠詩人・池田大作の日」と宣言した
◇ドバイでは毎年「詩人の集い」
アラブ首長国連邦(UAE)のドバイでは、池田先生の人間讃歌の詩に共鳴する詩人や学識者、学生らが集い、自作の詩を披露する「詩人の集い」が行われている。先生の中東初訪問50周年となった2012年以来、毎年、開かれており、第10回となった本年2月の集いはオンラインを活用し、約6万8000人が視聴した
☆Switch——共育のまなざし 「開かれた心」を育むために
◇みんなが「違う」から、すばらしい!
10月16日付の「Switch——共育のまなざし」では、生まれつき障がいのある女子部員と、彼女を支える家族、また共に励まし学び合う同志への取材を通して、共生社会の未来について考えました。今回は、かつて池田先生が創価の教育者や女性リーダーたちと「開かれた心」を巡って語り合った内容から、励ましの言葉を抜粋して紹介します。(編集・構成=大宮将之)
◇幸福と共生の方向へ
<科学技術の進歩による現代社会の変化のスピードは、すさまじいものがあります。一方で、豊かな自然との触れ合いや、生身の人間との関わりが希薄になってしまってはいないか。池田先生は訴えました>
今は物を買うにしても、自動販売機や通信販売など、人を介さないで手に入れることができる。パソコンなどを利用した情報通信網の発達も日進月歩です。
だからこそ、いのちの通い合う「ぬくもり」が、いっそう大切になってきます。いじめや暴力に歯止めがなくなっているのも、人間が"物"のようにしか見えていないからでしょう。生命の重さに対して、鈍感になってしまっています。
<なぜ、いじめや差別が起きてしまうのか。ある小学校教員が、自分の経験を踏まえて述懐しました。髪の毛の色が違ったり、手足が不自由だったりしても、初めからそれを排除しようとする子はいない。子どもたちは幼ければ幼いほど、「髪の毛の色」や「手足の不自由」も、単に個性と受け止めているし、一緒に仲良く遊べる。ところがいつの間にか、そうした違いを差別しようとする多数の側に、正義があるように錯覚してしまう。大人社会の風潮に染まっていくからなのか、差異を差異として、ありのままに認めず、偏見をもって対処してしまう……。
池田先生は語りました>
大人は、すぐに人を上下で見る。平等に見られない。それが、子どもにも、投影されている。弱い者に対しては、優越感をもとうと、おごり高ぶる。強い者に対してはへつらう。まさに修羅界の生命、畜生界の生命そのものです。
<牧口先生は大著『人生地理学』の中で、日本の「閉ざされた島国根性」を厳しく批判しました。度量が狭く、排他的で、ぬきん出た人を妬み、足を引っ張る。外には尊大で、内心は臆病である——と>
子どもが、そのようになったら大変です。弱者に対する思いやりを育むことが、教育の最大の目的の一つです。それと、国際化の進む現在だけに、島国根性は、乗り越えないといけない。そのためにも、異質なものを認める寛容の心を育みたいものです。
◆◇◆
学校にもいろいろな友だちがいる。社会には、もっとさまざまな人がいます。仏法では「衆生世間」と説くけれど、「世間」とはそもそも差別・違いという意味で、「多様性」のことを示しています。その「多様性」を調和させながら、みんなを「幸福」の方向へ、「共生」の方向へと向けていくのが、人間教育ともいえる。
◇鏡に礼拝する姿
<みんな、顔・形も性格や得意なことも違う。それが、むしろ自然です。一人として同じ人はいない。みんな違います>
その違いを、「排除しようとする方向」ではなく、「認め合う方向」へと「心のベクトル(方向性)」を変えていくことが大切だね。「みんな『違う』って、すばらしい!」ということを教えていかねばならない。多様性があってこそ、社会は、さまざまに力を発揮するのです。
この春(1996年3月)、お会いした、現代中国語文学の最高峰である文豪の金庸氏は、次のように語っていました。「真の『21世紀人』になるには、まず胸襟を大きく開き、自分と違ったところのある人に、差別や偏見の心を持たないことだと思います」と。
<アメリカでは、「個性」とは「人と違う」ということ、人とは違うからこそ「自分はすばらしい」ということを、幼児の頃から徹底して教えられるそうです。そこから「他者もすばらしい」と尊重する姿勢も芽生えてくる。本来、異質なのに同質であろうとするからこそ、ひずみが生じてしまうのかもしれません>
仏典には、「鏡に向かって礼拝すれば、映る姿もまた、私自身を礼拝するのである」という詩的な譬えがあります(御書769ページ、通解)。他者の生命への尊敬が、そのまま鏡に映るように、自身の生命を荘厳していく。この法理は、お互いの違うところを尊重し合いながら、自らの「個性」が磨かれていくことを教えているね。人を尊敬できる人は、人からも尊敬されます。
相手を尊重すれば自分の個性が磨かれる
人を尊敬できる人が人からも尊敬される
◇伸びやかな環境こそ
<かつて池田先生が語った「だれびとにも尊い一個の人格がある。その『自尊心』を絶対に傷つけてはならない」との言葉を、ある創価の教育者は胸に刻んでいるそうです>
日本では、「個人」を確立するような教育は目指されていません。むしろ、平等という名のもとに、「みんなが同じ」であることが要求されます。「個性」を尊重していくことよりも、「集団の中での振る舞い方」のほうが優先されています。牧口先生は、教育の画一化を厳しく指摘された。軍国主義教育の結果が、あの戦争でした。
<小学校教員を務める友が、教育現場における実感を語りました。「とにかく子どもたちは一日中、走り回ってはエネルギーを発散しています(笑い)。座りなさいと言っても座らないのが子どもたちです。静かにしなさいと言っても静かにしないのが子どもたちです(笑い)。それを、一つの枠にはめようとしているのですから、どだい無理です。同質化の元凶です(笑い)」と>
子どもたちへの過剰な管理は、考えものです。本来、子どもは、伸びやかな環境の中でこそ、すこやかに育つのです。
学校で管理され、塾で管理され、習いごとで抑圧され……。子どもたちを取り巻く環境からストレスが生まれ、いじめにつながっているとしたら、まさに大人の側の責任です。
◇真の「やさしさ」とは
<関西創価学園の指針には「他人の不幸の上に、自分の幸福を築くことはしない」とあります。今ほどこの指針が大切になっている時は、ないでしょう>
「自分がしてほしくないことを、他人にしてはいけない」という心が育てば、それを糸口に、友だちを思いやる心も大きく培われていくでしょうね。
現代っ子は、概して「やさしい」と言われます。しかし、仲がよい間柄でも、相手が困った時に、相談相手になったり、積極的にかかわろうとしない傾向が見受けられる。子どもだけじゃなく大人も、かかわりを恐れる、勇気のない社会になっているね。それを放っておくと、深刻ないじめになる可能性もあります。
牧口先生が指摘された「島国根性」も、「島国」が自然に「島国根性」をつくった面もあろうが、「島国根性」がさらに「閉鎖的な島国」をつくった。つまり、海を"壁"と見るか、それとも"わが庭"と見るか。「心」のあり方で、180度、変わるのです。牧口先生が一貫して育まれようとしたのも、「開かれた心」でした。未来を潤す「開かれた心」。それを育てる"母なる海"こそ「教育」だね。
◆◇◆
教育は「心」で決まります。教育者は「時代の毒」と戦わねばなりません。いじめの問題も、結局は「心」です。「心」を育て、鍛えるには、「心」しかありません。「心」が通えば、「力」に変わる。「力」を出せば、必ず「道」は開けてきます。
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教育とは、学校で教わったことをすべて忘れた後に、なお残るものだ——と言った科学者がいますが、深くかみしめたいものです。