"誰かがやる"ではなく
"自分が一人立つ!"
これが学会魂だ。
広布の主体者として
勇敢に一歩踏み出そう!
佐渡御書 P957
『日蓮は此関東の御一門の棟梁なり・日月なり・亀鏡なり・眼目なり・日蓮捨て去る時・七難必ず起るべし』
【通解】
日蓮は、この関東の北条一門にとっては支えとなる棟梁であり、日月であり、亀鏡であり、正しく導く眼目である。この日蓮を国が捨て去る時には、必ず七難が起こるであろう。
名字の言 漫画家・石ノ森章太郎氏の青春の思い出 2021年5月22日
先日、東京・豊島区内で入った中華料理店に、所狭しと漫画家たちの色紙が張られていた。聞けば、日本を代表する漫画家が若き日を過ごしたアパート「トキワ荘」が近くにあったという▼石ノ森章太郎氏がトキワ荘で暮らしていた時、最初にテレビを購入したのが藤子不二雄氏だった。藤子氏の部屋にテレビを見たいアパートの住人が押し掛ける。ところが翌年には、石ノ森氏の部屋に人が集まった。もっと大きなテレビを購入したからである▼トキワ荘の漫画家たちは、互いの夢を語り合う友であり、ライバルでもあった。テレビ一つ買うのも競い合った。アパートで切磋琢磨した日々は、後の漫画家・石ノ森の礎となった。彼は言う。「トキワ荘の四畳半生活にボクの青春時代のすべてがあった」(『トキワ荘の青春』中公文庫)と▼後で振り返れば、テレビの大きさで張り合うことに意味はない。だが、この一見たわいもない逸話から、彼らが、がむしゃらに互いを磨き合っていた"熱量"が伝わってくる。だからこそ、石ノ森氏の記憶にも残ったのだろう▼誰しも人生、一心不乱に戦うべき時がある。その「時」が、若い時代ばかりとは限らない。仏法は本因妙。立ち上がるべき時は、常に「今」である。
寸鉄 2021年5月22日
心から話し合い、感激の座談会に—恩師。新たな決意を燃やし全員が出発
江東が勇猛前進。試練の時こそ光る団結。無敵の民衆パワーで勝利劇を!
「奈良広布誓願の日」。新時代開く勇戦を共に!聳える広布の大城を築け
日頃の会話不足は誤嚥の因。励まし対話の達人の多宝会は健康長寿の模範
ネットの中傷者、特定し易く法改正—公明が尽力言葉の"凶器"は社会の敵
☆不二の旅 第8回 池田先生と総東京�
◇我が人生に勝利の万歳を
池田先生が各方面の友に贈ったスピーチや指針を、各地での激励の写真と共に掲載する「不二の旅」。第8回は総東京�を紹介する。
・目黒平和会館を訪問。目黒で過ごした宝の青春を振り返り、"私は1日を1カ月分にとの思いで戦ってきた"と述べた(1992年9月)
・第3代会長辞任後、初めて学会歌の指揮を。曲は「威風堂々の歌」。反転攻勢への誓いが一つに(1979年11月、豊島区巣鴨の東京戸田記念講堂で)
・中野兄弟会と21世紀中野兄弟会の栄光の集いに出席。「立ち上がれ 日本一の 中野会」と詠み贈った(2004年9月、東京牧口記念会館で)
・北区の栄光総会。"真剣な闘争を貫いた人が幸福者であり、勝利者である"と訴えた(1994年4月、東京牧口記念会館で)
・足立青年平和文化祭で、先生ご夫妻が熱演をたたえる。設営など陰の戦いに徹する同志にも、全精魂を込めて励ましを(1987年9月、創価大学で)
・1978年8月、東京支部長会で友を激励。東京の歌「ああ感激の同志あり」に託した思いを語った(荒川文化会館で)
・人材を輩出しゆく本丸に——大田池田文化会館を先生ご夫妻が訪問し、求道の志あふれる友にエールを送る(1991年11月)
・調布文化会館に立ち寄り、真心の激励を送る。「功徳と正義を示せ! ここから火の手を上げよ」と友を鼓舞した(1992年4月)
◇総東京の友に贈った指針
我らの東京!
我らの東京は
日本の広宣流布の
原点である。
東京の勝利が
日本国中の勝利だ。
いな
全世界の勝利へと
発信されていくであろう。
さあ 今日も
私は戦う。
我が同志である君も
一緒に戦おう!
我が人生の正義のために!
この世界に
正義はなくてはならない。
邪悪と卑劣な仮面の
権力者たちに
奪われてしまうからだ。
我らは
知性ある人生の
常勝将軍なのだ。
負けてたまるか!
「残念」という二字は
我らにはないのだ。
我らの同志は
どこへでも飛んでいく。
正義のために!
我らは
いかなる武器も必要ない。
「法華経に勝る兵法なし」を
知っているからだ。
君よ
健康で!
いつまでも健康で!
君がいることは
常に正義と
常に太陽が
輝いているからだ。
君の勝利は
私の勝利!
私の栄光は
君の栄光!
茨の道を
苦難の道を
断固として
勝ち乗り越えて
我が人生に
万歳を叫び飾ろう!
(長編詩「我らの東京 勝ち誇る同志」から抜粋)