2021年5月12日水曜日

2021.05.12 わが友に贈る

「未来の果」は
「現在の因」にある。
創意工夫を凝らして
きょうを全力で歩み
新たな価値を生み出そう。

四信五品抄 P339
『教弥よ実なれば位弥よ下れり』

【通解】
(妙楽大師の釈)「教えがいよいよ高く優れるほど、その教えを修業する人の位はいよいよ低くなる」

名字の言 「つながり」が「生きる力」に 2021年5月12日
10日から始まった今月の「励まし週間」(16日まで)。ある地域では「つながろう週間」として、心と心を結ぶ語らいに取り組む▼リーダーが組織の最前線に励ましを送るのはもちろん、一人一人が自らの人間関係を中心に「つながる」行動を起こす。コロナ禍の現在は電話、手紙のほか、メールやLINEなどのSNSも駆使。相手の了解を得て直接、会う場合は、感染対策を徹底して短時間で臨む▼ある壮年は8年前に妻を亡くし、1人暮らしに。妻に先立たれると、残された夫の死亡率は高くなると聞いた。その後、67歳で退職を迎えた壮年は、人間関係が狭まる危機感を覚えて、「つながる」行動を開始した▼進んであいさつし、地域活動に積極的に顔を出した。誰もが自由な雰囲気で語り合える場として自宅を開放。「一年中、つながろう週間みたいなものです」。2年前、大病を患ったが、「つながりが生きる力」になった。72歳の今、地域の親睦団体の会長を元気に務める▼励まし週間が終わると、伝統の座談会が始まる。「伝統」なのは、長年、続いているからだけではない。学会は、座談会を根本に「一人」を大切にしてきた。この心こそが伝統なのだ。励まし週間も、一段と伝統を輝かせていきたい。

寸鉄 2021年5月12日
信心で越えられぬ難など断じてない—戸田先生。さあ確信の祈りから出発
目黒が勇戦。共々に壁破り勝つ。これ誉れの伝統。知恵と執念で拡大今こそ
「城の主剛ければ守る者も強し」御書。率先が広布の魂。前進の劇を私から
国際看護師の日。最前線で命に寄り添う白樺の友に感謝。全同志が大声援
投資話のトラブル急増。「絶対儲かる」等の甘い話には裏が。鋭く見抜け

〈社説〉 2021・5・12 「看護の日」「国際ナースデー」
◇感染しない努力がエールに
新型コロナウイルスの変異株が急激な広がりを見せ、緊急事態宣言も拡大・延長された。
先月、コロナ感染から回復した夫婦に話を聞いた。症状は、発熱と倦怠感、息苦しい咳、味覚・嗅覚障害で軽症だったが、"いつ重症化するか……"という怖さがあったそうだ。職場や周囲への影響、子どものことを人に頼れない負担も抱えた。
それだけに、看護師の「苦しかったですね。安心して病院に来てください」「お子さんの学校のことも心配ですね」といった言葉が心にしみたという。
看護とは、病人やけが人の手当てや世話をすることだが、「慈しみの心をもって見守る」との意味も。
患者を取り巻く環境に想像を巡らせ、不安な心に寄り添う看護師の存在は、コロナに立ち向かうための"生命線"ともいえよう。看護師の献身に心から感謝しつつ、より一層、感染予防に努めたい。
その看護師は今、どんな現実に直面しているのか——。
防護服を身に着けての発熱外来やPCR検査、入院患者の対応、1件につき30分以上かかる電話での聞き取り等々、かつては無かった業務が増えている。
"いつ自分も感染するか分からない"という緊迫感の中、24時間体制の勤務。外出自粛を徹底し、家族と離れて暮らす人も。労働環境の過酷さに、離職者も後を絶たない。コロナの影響で外来患者数が減少し、医療従事者の収入が減っているケースも少なくない。
日本看護協会の福井トシ子会長は、「使命感だけでは、すでに限界に近づいている」と、昨年末の時点で訴えている。
未知のウイルスは、�疾病を引き起こす生物学的感染症�「不安や恐れ」を生じさせる心理的感染症�不安や恐怖が生み出す「嫌悪・差別・偏見」が行動となって表れる社会的感染症——"三つの感染症"を引き起こすといわれる。看護職は、その影響を強く受ける。
コロナ禍は社会全体で立ち向かう「共通の課題」である。感染者や医療従事者への差別はもってのほか。互いに支え合う心が必要だ。
きょう5月12日は「看護の日」「国際ナースデー」。新規感染者を一人でも減らすことが、看護職に携わる方へのエールとなる。
マスクの着用、手洗いや消毒の励行、小まめな換気など、あらためて基本に徹し、それぞれの立場で、できる努力を続けていきたい。

☆「新・人間革命」は希望の光源 第7回
◇日蓮仏法は「立正安国の宗教」
〈1971年(昭和46年)6月6日、初代会長・牧口常三郎の生誕百年に際し、山本伸一は、先師の死身弘法の大闘争をしのんだ〉
日蓮仏法の最たる特徴は、「広宣流布の宗教」ということにある。
つまり、妙法という生命の大法を世界に弘め、全民衆の幸福と平和を実現するために生きよ。それこそが、この世に生を受けた使命であり、そこに自身の幸福の道がある——との教えである。
したがって、自分が法の利益を受けるために修行に励むだけでなく、他人に利益を受けさせるために教化、化導していく「自行化他」が、日蓮仏法の修行となる。
大聖人は「我もいたし人をも教化候へ」「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(御書1361ページ)と仰せである。ゆえに、唱題と折伏が、仏道修行の両輪となるのだ。
そしてまた、日蓮仏法は「立正安国の宗教」である。
「立正安国」とは、「正を立て国を安んずる」との意義である。
正法を流布し、一人ひとりの胸中に仏法の哲理を打ち立てよ。そして、社会の平和と繁栄を築き上げよ——それが、大聖人の御生涯を通しての叫びであられた。
一次元からいえば、「立正」という正法の流布が、仏法者の宗教的使命であるのに対して、「安国」は、仏法者の社会的使命であるといってよい。
大聖人は「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(同31ページ)と仰せになっている。「四表の静謐」とは社会の平和である。現実に社会を変革し、人びとに平和と繁栄をもたらす「安国」の実現があってこそ、仏法者の使命は完結するのである。(第15巻「開花」の章)

◇御本尊への「祈り」から始まる
〈1978年(昭和53年)1月、愛媛滞在中の山本伸一は、松山支部の結成18周年記念勤行会で指導した〉
彼は、この席では、強盛なる祈りの大切さについて訴えておこうと思った。
信心の世界は、すべてが御本尊への祈りから始まるからである。祈りなき信仰はない。祈りなき幸福もない。祈りなき広宣流布の勇者もいない。
「私どもが幸福になるために、肝要なものは、日蓮大聖人が『湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(御書1132ページ)と仰せのように、強盛な信心です。強い祈りです。叶わぬ願いは断じてないとの確信です」
信仰とは、不信、すなわち揺らぐ心との精神の闘争である。"自分など、幸せになれないのではないか。何もできやしないのだ"といった心の迷い、弱さを打ち破り、胸中の妙法を涌現させ、絶対的確信を打ち立てる戦いであるといってよい。
伸一は訴えた。
「不況の時代です。それだからこそ、強盛な信心を奮い起こし、いかなる苦境のなかにあっても、生活のうえで、職場や地域で、確たる信心の実証を示してください。
御書に『一切の法は皆是仏法なり』(562ページ)とあります。ゆえに私たち仏法者は、正法を信じ、行ずる功徳を、社会にあって、開き示していく使命があるんです。
そのために、信心を根本に、それぞれの分野において、人一倍、研究、努力、工夫を重ねていっていただきたい。
また、人間として自らを鍛錬し、人格を磨き、皆から信用、信頼される人間関係をつくり上げていくことが大事です。人間は、人間についていくんです。誰が見ても、感じのいい人、誠実な人、人格高潔な人、温かい人には、人はついていきます。そういう人であれば、商売もうまくいくでしょうし、仏法の話にも、皆が耳を傾けるでしょう。
(中略)
したがって、仕事の面でも、広宣流布の活動においても、一切のカギを握るのは、自身の人間革命であり、人格革命であることを、訴えておきたいのであります」(第26巻「法旗」の章)

◇わが行動で触発を与えるリーダーに
〈山本伸一は1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」の折、年頭から大阪に向かい、以来、何度となく関西指導を重ねていく〉
彼には、勝利を収めるために、自らに課していた鉄則があった。
それは、"人を頼み、人にやらせようなどと、絶対に考えてはならない。すべて、自らが率先し、自らが動くことによって、波動を起こしていくのだ"ということであった。
(中略)
彼は、まず、大阪中をくまなく回り、同志の激励に奔走した。会員から自転車を借りて、動くことも多かった。時には、その自転車がパンクしてしまい、夜道を引いて帰らねばならぬこともあった。
小さな小さな家々が軒を連ね、狭い路地で魚を焼く煙が立ち込める地域も回り、同志を激励した。果てしなく田畑が続く地域にも足を延ばした。
(中略)
勝利への力は、魂の触発にある。自身の燃え盛る生命が、同志の生命を燃え上がらせるのだ。伸一の敢闘を目の当たりにして、関西の幹部たちは深く思った。
"これが、ほんまのリーダーなんや。生命を削って戦うから境涯革命があるんや。やったろやないか!"
山本伸一の率先垂範の行動が、全同志を触発し、共に戦う何人もの"山本伸一"をつくり出していったのである。
共感することによって、行動するのが人間である。(中略)
率先垂範のリーダーは、自らの行動を通して人に触発を与え、人びとの"やる気"を引き出し、皆の自主性、自発性を呼び覚ましていく。
ゆえに、その組織は、明るく、歓喜にあふれ、上昇気流に乗るように、勝利への流れがつくられていくのだ。(第23巻「勇気」の章)

☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第13回 わが"黄金の時"は今!
1966年(昭和41年)3月5日に結成された壮年部は、今月、結成55周年を迎えました。結成式の模様は、小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」の章に詳しく描かれています。その時の山本伸一のスピーチなど、壮年部への万感の期待について、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から紹介します(指導集138ページから140ページを抜粋)。

〈師と共に立ち上がる〉
「壮年部の皆さんは、これからが、人生の総仕上げの時代です。壮年には力がある。それをすべて、広宣流布のために生かしていくんです。大聖人は『かり(仮)にも法華経のゆへに命をすてよ、つゆ(露)を大海にあつらへ・ちり(塵)を大地にうづ(埋)むとをもへ』(御書1561ページ)と仰せです。
死は一定です。それならば、その命を、生命の永遠の大法である、法華経のために捨てなさい。つまり、広宣流布のために使っていきなさい——と、大聖人は言われている。それこそが、露を大海に入れ、塵を大地に埋めるように、自らが、妙法という大宇宙の生命に融合し、永遠の生命を生きることになるからです。
一生は早い。しかも、元気に動き回れる時代は、限られています。壮年になれば、人生は、あっという間に過ぎていきます。
その壮年が、今、立たずして、いつ立ち上がるんですか! 今、戦わずして、いつ戦うんですか! いったい、何十年後に立ち上がるというんですか。そのころには、どうなっているか、わからないではありませんか。今が黄金の時なんです。限りある命の時間ではないですか。悔いを残すようなことをさせたくないから、私は言うんです!」(中略)
「牧口先生が信心を始められたのは57歳です。戸田先生が出獄され、広宣流布にただ一人立たれたのは45歳です。いずれも、壮年時代に一大発心をされ、広宣流布の戦を起こされた。それが、わが学会の伝統です。
私もまた、壮年部です。どうか、皆さんは、私とともに、学会精神を根本として雄々しく立ち上がり、創価の城を支えゆく、黄金柱になっていただきたいのであります」
(小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」)

〈周囲を「励ます力」〉
壮年の「壮」の字には、「勢いが盛ん」「意気に燃えている」等の意味があり、ほかにも「元気づける」という意もある。「壮行」といえば、前途を祝し励ましを贈ることである。つまり自分だけでなく、周囲を励ます力を持つのが「壮年」とはいえまいか。
青年を励ます壮年の言葉には、真心の思いやりがあり、心からの期待があり、経験を重ねた確信がある。(中略)
我ら壮年は、自らが礎となり、石垣となり、柱となって、永遠に崩れざる人材城を築き上げ、青年たちに譲り託していくのだ。いかに時代が揺れ動こうとも、厳然と勝利へ指揮を執っていくのだ。これほど不滅の人生はない。
(本紙2012年8月31日付、「随筆 我らの勝利の大道」)