2021年5月18日火曜日

2021.05.18 わが友に贈る

今できることに
全力で挑戦しよう!
師子奮迅の行動が
勇気の波動を広げ
広布の活路を開く!

上野殿御消息 P1527
『友にあふて礼あれとは友達の一日に十度二十度来れる人なりとも千里二千里来れる人の如く思ふて礼儀いささかをろかに思うべからず』

【通解】
友にあったら礼儀正しくあれということは、友達で一日に十度・二十度訪ねてくる人であっても、千里・二千里も離れている遠方から訪ねてきた人のように思って、少しも礼儀を欠くようなことがあってはならない、という事である。

名字の言 自分を電車に例えるなら…… 2021年5月18日
東京・荒川区のJR日暮里駅北口に、14本の線路を眼前に望む下御隠殿橋がある。通称「トレインミュージアム」と呼ばれる電車見学スポットだ。新幹線や特急をはじめ、20種類の列車が一日に約2500本行き交う。鉄道ファンに大人気なのも納得である▼大勢を遠くまで早く運ぶ、これらの電車と好対照をなすのが、「東京さくらトラム」(都電荒川線)。北区、豊島区、新宿区までの全長約12キロを、下町を縫うように進む1両編成の路面電車だ▼「自分を電車に例えるなら」と、鉄道マニアの男子部員を交えて会合で語り合ったことがある。皆が憧れる特急タイプもいれば、派手さはなくとも堅実な各駅停車のような人もいる。共通するのは、その列車を必要とする人が必ずいて、目的地まで運んでくれる点だろう▼人にはそれぞれ個性があり、成長のスピードも違う。伸びる方向も異なる。だからこそ自分と違う力を持っているともいえよう。「誰にでも、その人にしか幸せにできない人が必ずいる」との池田先生の言葉をかみ締めたい▼都電の荒川区内沿線に植えられた1万3000株のバラが、見頃を迎えている。美の象徴とされる花だ。"幸福駅"という人生の目的地へ、友と励まし進む旅路もまた美しい。

寸鉄 2021年5月18日
御書を拝し自らの境涯をもう一歩開け—戸田先生不撓不屈の魂燃やし前進
大田が総立ち。勢いと執念で勝利への突破口を!師弟源流の底力を今こそ
秋田の日。逆境に揺るがぬ日本海の雄。誰も置き去りにしない励まし皆で
公明が国会で何度も求めワクチン無料化が実現。試練克服のため更に働け
他人を世話する人はより長寿の傾向—米国の研究我らは自他共の幸福道を

☆御書の旭光を 第26回 不安吹き払う励ましの薫風を
〈御文〉
『人間に生をうけたる人上下につけてうれへなき人はなけれども時にあたり人人にしたがひて・なげき・しなじななり、譬へば病のならひは何の病も重くなりぬれば是にすぎたる病なしと・をもうがごとし』(光日房御書、929ページ)

〈通解〉
人間に生を受けた人は、上から下まで、憂いのない人はいないけれども、時に当たり、その人その人に従って、その嘆きはまちまちである。例えば、病気の習いとして、どんな病気も重くなると、これ以上の重病はないと思うようなものである。

〈池田先生が贈る指針〉
御本仏・日蓮大聖人は常に門下を深く思いやられ、一人一人に即した激励を重ねられた。
悩みのない人はいない。苦労も千差万別だ。友を思う真心の言葉が、どれほど力になるか。
創価の励ましの薫風は不安を吹き払い、心を結ぶ。いかなる憂いも嘆きも希望と勇気に転じゆける妙法の大功力を、確信込めて語り切ろう!

☆池田華陽会御書30編 日女御前御返事(御本尊相貌抄)
◇真剣な唱題が希望を開く
今月は「日女御前御返事(御本尊相貌抄)」を学びます。池田先生はつづられています。
「宇宙の大法則と完璧に合致して、最極の『仏の生命の都』を、わが胸奥に輝き光らせていけるのが、『信心』の二字であります。
したがって、この真髄を深く実践していくならば、まだまだ計り知れない智慧と力を引き出すことができる。汝自身が、荘厳なる生命の宝塔として、いかなる『生老病死』の苦悩にも負けず、『常楽我浄』という、希望と歓喜の光を、そして幸福と平和の光を、未来永遠に放っていくことができるのであります」
勝利の源泉である"御本尊根本の信心"を心に刻み、6・4「世界池田華陽会の日」へ、正義と友情光る対話を広げていきましょう。

◇本抄について
本抄は、建治3年(1277年)8月、日蓮大聖人が身延で認められ、門下の日女御前に送られました。日女御前の詳細は不明ですが、頂いた御書の内容から、信心と教養の深い女性であったと考えられています。
本抄の御執筆当時、蒙古襲来後の混乱が続き、社会は不安に覆われていました。そうした中、純粋な信心を貫いていた日女御前が、大聖人から御本尊を頂き、感謝の思いで御供養の品々をお届けしました。
本抄は、その真心に対する御返事であり、御本尊の御姿等の深義が明かされていることから、別名を「御本尊相貌抄」といいます。

◇御文
此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり(中略)此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり
(御書1244ページ9行目〜12行目)

◇通解
この御本尊を決して別の所に求めてはならない。ただ、私たち衆生が法華経を持って南無妙法蓮華経と唱えるその胸中の肉団にいらっしゃるのである。これを「九識心王真如の都」というのである。(中略)
この御本尊も、ただ信心の二字に納まっている。「信によってこそ入ることができる」とはこのことである。

◇解説
全ての人を幸福に——この仏の願いを実現するため、日蓮大聖人が顕されたのが「御本尊」です。
大聖人は本抄で、この御本尊は、それまでの正法・像法の二千年間には誰も顕さず、今、末法に入って二百年余りの時に、大聖人が初めて顕された"未曽有の御本尊"であると示されます。
その相貌(姿・様相)について、「多宝如来の宝塔の中の、釈尊や分身の諸仏のすりかたぎである」(御書1243ページ、趣意)と仰せです。すなわち、法華経に説かれる「虚空会の儀式」が顕された御本尊であると教えられているのです。
法華経において、十界のあらゆる衆生が列座するなか、釈尊が"万人成仏の根源の法"を説く舞台となったのが「虚空会の儀式」です。
その意義を顕された御本尊には、仏・菩薩をはじめとする、十界の衆生が全て納まっています。そして、その中央には「妙法蓮華経」との「首題の五字」(同ページ)が認められています。
すなわち、十界のいかなる衆生をも成仏させる根源の力こそ「南無妙法蓮華経」の大法であり、大聖人が顕された御本尊は、十界の全ての衆生が、この妙法の光に照らされて、生命に本来具わる仏界を輝かせ、成仏する姿が認められた"十界具足"の御本尊なのです。
その上で、大聖人は掲げた御文で、"この御本尊を別の所に求めてはなりません。ただ、私たちが法華経を持ち、「南無妙法蓮華経」と唱えるとき、自らの胸中に、御本尊がおられるのです"と明かされます。
「九識心王真如の都」とは、心の働きの中心である仏の覚りの真実の境地が、衆生の生命に存在していることを指します。
大聖人は、法華経の経文通りに襲い来る大難の中、不惜身命の戦いを貫き、自らの生命に仏界の境涯を開かれました。ゆえに、御本尊の相貌とは、"大聖人御自身の生命"にほかなりません。
そして「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」と仰せの通り、御本尊の無量の功徳を引き出す力が「信心」です。
真剣に御本尊に向かい、題目を唱えるならば、御本尊は、私たち自身の仏界を現実に映し出す明鏡ともなります。一人一人が胸中に尊極の仏界を輝かせ、生命の無明を克服し、周囲をも味方に変えていくことができるのです。
大聖人が「法華弘通のはたじるし」(同1243ページ)——全ての人を救うための"広宣流布の旗印"として顕された、未曽有の御本尊に祈ることができる幸福は計り知れません。
勇気の信心で題目を唱え抜き、希望の前進をしていきましょう。

◇池田先生の指針から
御本尊には、無量無辺の仏力、法力が厳然と具わっている。しかし妙法という大宇宙を貫く大法則の力を、現実の上に顕現し、実証し、自ら体得していくには、自分自身の信心——信力、行力によるほかにはない。
日蓮仏法の信仰は、いわゆる「おすがり信仰」や「他力本願」ではありません。(中略)
どこまでも、自ら勇気ある信心に立つことが、すべての根幹です。(『信仰の基本「信行学」』)
◇ ◆ ◇
私たちが御本尊に向かって唱題するとき、妙法の音声は大宇宙の仏界に届くとともに、自分の中に秘められていた仏界に届き、慈悲と智慧と勇気の「仏の生命」が涌現するのです。
ゆえに、困難に立ち向かう活力が漲り、生命力が強くなり、何ものにも負けなくなる。また、英知を発揮し、確かな福徳の軌道に乗り、勝利に向かって前進できるのです。どこまでも人間自身を高めるための信仰です。(「大白蓮華」2020年7月号「世界を照らす太陽の仏法」)

研さんのために
〇…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第11巻(聖教新聞社)