「なにの兵法よりも
法華経の兵法」だ。
常に題目から出発を!
最高の行動の源泉とは
最極の妙法の祈りなり!
諌暁八幡抄 P589
『末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ』
【通解】
末法には必ず、一仏乗(の法華経)に対する強敵が充満するであろう。ゆえに不軽菩薩のように(折伏し、逆縁を結んで、衆生を)利益していくのである。おのおの、わが弟子らよ、ますます信心に励みなさい。励みなさい。
名字の言 青年の入会動機 2021年5月19日
「実家に仏壇はあったけど、自分には関係ありません。あっ、でも初詣には行くし、星座占いなんかも信じてますよ」。そう語っていた青年が先日、入会した。同じ職場の男子部員の生き方に共感したからと話す▼その男子部員は毎朝、1番に出社し、皆が嫌がる仕事や雑用にも率先。どんな時も、さわやかな笑顔で振る舞い、職場をぱっと明るくするムードメーカーだという▼「何でそんなに頑張れるの?」と青年が聞くと、男子部員は学会員であることを告げ、こう答えてくれた。「成功を夢見るのもいいけれど、成功するための努力に目覚めることが大切。そのための信仰なんだ」▼評論家の寺島実郎氏(多摩大学学長)が本紙のインタビューで語っていた。日本には、神社にお参りし、易や占いを信じる人は多いが、「心の基軸」として宗教を持つ人が少ない。そうした社会にあって、学会員は「信仰に生き、努力することで、人生が開ける」ことを実証してきた、と▼宗教は何かにすがったり、現実から逃避したりするためにあるのではない。悩みや試練と向き合い、乗り越えていく、強い自分を築くためにある。その哲理と実践を説く仏法に「目覚めた人」の連帯・創価学会に寄せられる期待は大きい。
寸鉄 2021年5月19日
学会の座談会は皆に挑戦する意欲を与える—学者共に語らい、共々に前へ
調布・狛江が猛進。正義は勝ってこそ。東京凱歌へ反転攻勢の火の手を今!
熊本の日。我らに越せぬ坂なし!不屈の信念で地域の絆結ぶ火の国の勇者
まず自分が変わることだ—戸田先生。これ常勝の要。幹部から拡大に率先
感染者85%が発症前に人とマスクなしで会話と。着用は基本。油断排して
〈社説〉 2021・5・19 「学会常住御本尊記念日」70周年
◇広布の信心を受け継ぐのは今
70年前の1951年(昭和26年)5月3日、第2代会長に就任した戸田先生は、生涯の願業として「75万世帯の弘教」を宣言された。
この誓願の大闘争を達成するため、戸田先生が真っ先に取り組まれたのが、「創価学会常住御本尊の発願」「御書全集の発刊」「宗教法人の取得」であった。戸田先生は、この三つの大事業を、わずか1年4カ月で現実にした。
これらが、現在の創価学会の広宣流布の一切の基盤になっていることは間違いない。
小説『人間革命』第5巻「随喜」の章に、「学会常住御本尊」発願への戸田先生の真情が描かれている。「われわれの組織は、妙法のそれである。妙法流布の組織である以上、組織の中心軸は、言うまでもなく純粋無垢な信心しかない」と。その妙法流布の信心の根本である、金剛不壊の大車軸としての御本尊があらわされたのが51年5月19日。この日が「創価学会常住御本尊記念日」である。向かって右に「大法弘通慈折広宣流布大願成就」、左に「創価学会常住」と認められている。
戸田先生は常々、「御本仏・日蓮大聖人より、末法現代の広宣流布を託された地涌の菩薩の集いであり、仏意仏勅の団体こそ、創価学会なのだ」と語られた。そして、この御本尊に祈りをささげ、"我、地涌の菩薩なり"との自覚で広布拡大の先頭に立ち、全同志と心一つに、生涯の願業である75万世帯を達成されたのである。
第3代会長に就任した不二の弟子である池田先生も、学会本部で、全同志の幸福・勝利と人間革命、「慈折広宣流布大願成就」を祈り抜かれた。そこから、日本全国、世界各地へ平和建設と弘教拡大の闘争に出発し、令法久住への盤石な基盤を築いてこられたのである。この御本尊は現在、世界広宣流布の根本道場である広宣流布大誓堂に安置されている。
さらに戸田先生は51年6月に婦人部(当時)を、同7月に男女青年部を結成された。70年の時を経て池田先生のもと、婦人部と女子部が女性部へと発展し、新版の御書全集も11月18日に発刊される。
池田先生は、「広布という大願を絶対に成就させねばならない。それが学会出現の"因縁"であり、未来への前進の"原点"である」と言われている。「立正安国」「立正安世界」という師弟の大願を受け継ぐ時は今である。
☆御書の旭光を 第27回 苦しい時こそ人間革命の好機
〈御文〉
『しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし』(兵衛志殿御返事、1091ページ)
〈通解〉
潮が引く時と満ちる時、月の出る時と入る時、また夏と秋と冬と春との季節の境目には、必ずそれまでとは相違することがある。凡夫が仏になる時も、また同じである。
〈池田先生が贈る指針〉
"なぜ自分が""どうして今"と、思いもよらぬ苦難がある。最も苦しいその時こそ「まことの時」であり、人間革命の好機である。
大変であるほど、題目の師子吼で勇気を奮い起こして前へ進むのだ。そこに強固な福運が積まれ、境涯が開かれる。
全てを一生成仏への飛躍台と生かしていくのが、賢者の信心なのだ。
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 病と向き合う 2021年5月11日
テーマ:病と向き合う
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導選集『幸福と平和を創る智慧』(以下、「指導選集」)の指導を掲載する。今回は「病と向き合う」をテーマに、東京都の婦人に話を聞いた。
◇御文
『鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか』(法華証明抄、1587ページ)
◇通解
鬼神どもよ。この人(南条時光)を悩ますとは、剣を逆さまにのむのか。自ら、大火を抱くのか。三世十方の仏の大怨敵となるのか。
◇「再発」の不安と恐怖
強気の信心で挑み抜く
支部婦人部長(当時)を務めていた42歳の時、松野智恵子さん=東京・目黒戸田区副総合女性部長=は「がん」を宣告された。
◇
数カ月前から左頬が異様に膨らんできていた。嫌な予感はしたが、意を決して都内の専門医療施設へ。即日入院となり、検査を繰り返した末、結果を告げられた。
「悪性リンパ腫でした。進行度は『ステージ4』で、すでに骨にまで入り込んでいたんです。"まさか"って……」
抗がん剤での治療が決まった。投与は6クールに及ぶため、1年間、入院することに。
4人の子どもは、末っ子が小学校に入ったばかり。夫・健二郎さん(71)=同区副区長=と、同居していた実母の支えはあったが、「母親として、育ち盛りの子どもたちのそばにいてあげられないことが、本当に苦しくて仕方なかったです」。
"なんで私が""まだ死ねない"——。さまざまな感情が、次から次に込み上げたという。
一人、病室のベッドの上で題目をあげ続けたが、死への恐怖は拭えなかった。
時折、病室に顔を見せに来る子どもたち。母を心配する、けなげな姿に胸が締め付けられた。
健二郎さんは振り返る。
「闘病中、妻は、たんたんとしているように見えました。きっと私たちに心配を掛けたくなかったのでしょう。私たち家族も、妻を安心させるため、そして病魔に対して"なにくそ!"との思いで、題目をあげて踏ん張りました」
ある日、同じ病を乗り越えた先輩が見舞いに訪れた。「どこまでも祈り抜くこと」「病魔を笑い飛ばしていくこと」。松野さんの目を見つめながら話す芯の通った笑顔に、ハッとした。
"ただ境遇を恨み、嘆いているだけじゃ、何も変わらない"
さらに後日、思いがけず、池田先生から激励の伝言と夫婦念珠が届いた。
"もう恐れない!"
信心で病に立ち向かおうと、念珠を握り締めた。
祈りを重ねていくうちに、気付いた。
「病だから不幸なのではなく、病だからこそ、題目をあげ、信心の確信をつかむチャンスだって、不思議とそう思えたんです。喜びで胸が詰まり、涙がポロポロとあふれました」
その感動の涙を、たまたま看護師に見られて心配されたこともあったと、松野さんは笑う。
必ず乗り越えて、信心の偉大さを証明してみせる——そう一念を定めて祈り、前向きに抗がん剤治療に臨んだ。
1年後、あれほど進行していた腫瘍は、消えていた。
しかし、退院の日、医師から「再発する可能性は非常に高い」と告げられた。病魔はしぶとかった。
この時、松野さんが拝したのは、「鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか」(御書1587ページ)との「法華証明抄」の一節だった。日蓮大聖人が、大病を患う愛弟子の南条時光に送られた励ましのお手紙だ。
「大聖人は、時光に"仏に成ることは間違いないからこそ、天魔などが脅そうとしている"と仰せになり、愛弟子を苦しめる病魔を"鬼神どもよ"と厳しく叱責し、平癒を祈念されています。まるで私自身が激励されているようで、勇気が湧きました。何があっても引かない、絶対に魔に負けないぞって」
御本仏の、鬼神すら叱り飛ばす烈々たる気迫。松野さんは、どこまでも強気な信心の姿勢を崩すまいと御本尊に向かい続けた。
それでも定期検診のたびに、忍び寄る「再発」の不安と恐怖。
病魔を蹴散らすように、御聖訓を拝しては、題目に決意を込めた。
「心が引きそうな時、"今こそ信心が試されている"と自分に言い聞かせて、一心不乱に祈りました。すると、闘う決意がみなぎるんです。その繰り返しです」
2016年、ついに医師は「もう通院しなくても大丈夫」と、笑顔で太鼓判を押した。がん宣告から20年以上が経っていた。
「法華証明抄」で大聖人は、「病気になったからといって少しも驚いてはいけない」(同ページ、通解)と仰せになった。信心を貫けば、いかなる苦難も乗り越えていける。ゆえに、何があっても右往左往する必要などないのだ——揺るがぬ確信が、御文を通して命に迫る。
松野さんは笑顔を浮かべながら語る。
「長い闘いでした。でも、病気のおかげで、信心の確信が深まりました。悩んでいる人の気持ちに、寄り添えるようになりました。病気のおかげで、今の自分がある。そう思える境涯になれたことが功徳です。御本尊への感謝しかありません」
池田先生は語っている。
「たとえ信心していても、人生の途上には、さまざまな問題が起きてくる。家庭のこと、仕事のこと、子どものこと、思いがけないかたちで、宿命の嵐はやってきます。しかし、苦難を一つ一つ乗り越えていくところに、自身の人間革命があり、一家一族の宿命転換がある。じつは、そういう時こそ、さらに大きな幸福へと飛躍する"チャンス"なのです。(中略)
大事なのは、最後に勝つことです。どんなに大変なときも、『戦う心』を失わないことです。逆境の時に、朗らかさを失わない人が、本当に強い人です」(「指導選集」第2部上巻)
笑顔すらつくれないような時でも、朗らかさを失わないためには——。松野さんは話す。
「私も最初、『がん』と分かった時は動揺しました。でも、いつまでも"悲劇のヒロイン"でいたのでは、勝利の人生ドラマを演じきることはできません。苦しくてもつらくても、題目を唱え抜くこと。そうすれば、悲観を楽観に変えていけます。それが信心の醍醐味なのではないでしょうか」
希望を失わない姿は、周囲に限りない励ましの光を送る。
[教学コンパス]
米国国立がん研究所によると、がんの闘病経験は精神的に大きな負担があるとする一方で、「人生に良い変化をもたらす可能性」もあると指摘する。その事例として、「家族や友人との関係が深まる」「自らに困難な状況を打開する力があると気付く」ことに加えて、「人生に、より感謝するようになる」ことなどを挙げている。
日蓮大聖人は、夫が病床に伏していた女性門下に送られたお手紙で「このやまひは仏の御はからひか」「病によりて道心はをこり候なり」(御書1480ページ)と仰せになった。悲嘆する門下に真心で寄り添われる、温かな慈愛を感じてならない。
仏法では、病気との闘いは、信心を一段と強め、幸福境涯を開くための好機であると捉える。この確信が胸に脈打つからこそ、多くの学会員は、人生の苦難にも価値を積極的に見いだし、前向きに挑んでいける。
いかなる悲観も楽観に変えゆく価値創造の知恵からは、感謝が生まれ、歓喜もとめどなく湧き出る。困難な現実に負けない朗らかさの源泉も、ここにある。(優)