2021年5月3日月曜日

2021.05.03 わが友に贈る

五月三日の誓い新たに
自分自身の勝利へ
全同志の勝利へ
師弟不二の勝利へ
元初の生命力で前進!

唱法華題目 P7
『悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧にして愚癡の人の心を取つて善心を破るといふ事なり』

【通解】
悪知識というのは、甘い言葉で語りかけ、いつわり、こび、言葉巧みに、愚かな人の心を取って、善心(仏道修行に励もうとする心)を破るということである。

名字の言 桜の"開花のバトン"をつなぐレース 2021年5月3日
列島を縦断する桜前線はリレーに似ている。3月から始まった"開花のバトン"をつなぐレースもいよいよ大詰め。北海道の大地を北上中である▼厚田の戸田記念墓地公園からも開花の報が届く頃だ。桜をこよなく愛した戸田先生は、若き日に「桜心」や「桜桃」との筆名を用いたことがある。当時の日記につづった。「三日見ぬ間に咲く桜だとて決して三日の内に用意ができて咲くのでない 前年の冬雪を凌いで咲くのだ」▼この言葉は1951年5月3日、戸田先生が第2代会長就任式を迎えた歩みとも重なろう。前年に事業が苦境に陥り、厳冬の日々が続いた。そこには、師を命懸けで支える池田先生の戦いがあった。そして70年前のきょう、師弟は晴れ晴れと"勝利の春"を迎えたのである▼桜は花を散らした後、程なく次の春に向けて花芽をつくる。戸田先生は世界広布の夢を不二の弟子に託し、らんまんの桜花の季節に逝いた。同じく5月3日に会長に就任した池田先生の闘争によって192カ国・地域に創価の連帯は広がり、幸の花が咲き薫る時代を迎えている▼陸上のリレーでは、次の走者が今の走者と全力で併走する中で、バトンは託される。広布も同じだ。後継の誓いの力走を、師と共に。

寸鉄 2021年5月3日
戸田先生の会長就任70年不二の弟子の闘争で世界広布は実現。後継よ続け
希望の「女性部」が誕生!世紀を照らす太陽の連帯友に地域に励ましの光を
現代の危機を克服する鍵は世界市民の育成―博士人材の城SUAが20周年
災害は突然に。備蓄、避難経路等を確認。自助・共助の強化へ声掛け絶やさず
野外でも集団感染の事例あり。河原での飲み会等も危険と。3密回避徹底

〈社説〉 2021・5・3 恩師の会長就任70周年
◇「女性部」が誓い新たに出発
創価学会に対して、マスコミなどから激しい非難が巻き起こった1970年(昭和45年)ごろ、ジャーナリストの田原総一朗氏は、学会員の女性たちに取材した。
すると、「池田先生は、徹底的に私たち一人ひとりを大切にし、そして幸福にするために闘っておられる」等と、深い信頼を口々に語っていたという。
社会からのすさまじい中傷によって、氏は"学会は衰退する"と予測した。だが、それを覆し、学会は大きく発展していく。その要因として、氏は「彼女たちがいささかも揺るがなかった」と(『創価学会』毎日新聞出版)。「師弟の絆」に生きる女性たちの確信が、広布伸展を支えたのである。
51年(同26年)5月3日、戸田先生は創価学会第2代会長に就任。広布の未来を見据え、最初に結成したのが婦人部であった。
出発に際し、戸田先生は語った。「妙法受持の女性は、最も尊貴な女性であることを自覚してもらいたい。妙法の実践の証明が、未来にどう開花していくか、今後、私と共に、どこまでも戦ってもらいたい」
恩師は婦人部、女子部を徹底して大切にした。その心を深く知る池田先生もまた、創価の女性たちに励ましを送り、「21世紀は女性の世紀」と訴えてきた。
21世紀の開幕を目前に控えた2000年(平成12年)12月、「女性総会」の意義を込めて、本部幹部会が開催された。
席上、池田先生は「女子は門をひらく」(御書1566ページ)の御文を拝して強調した。「広宣流布の永遠の前進にあって、『福徳の門』を開き、『希望の門』を開き、『常勝の門』を開くのは、女性である」
コロナ禍の今も、創価の女性たちは、自他共の幸福と一日も早い感染症の終息を祈り、電話や手紙、SNSを活用して、縁する友とつながり、励ましを届けている。その行動自体が尊貴な人間性の証しにほかならない。
きょうは、恩師の会長就任70周年の「創価学会の日」。この佳節に、婦人部が「女性部」と名称を変更して、誓い新たに出発する。11月18日「創価学会創立記念日」を期して、女子部も一体となる。
個人の価値観が多様化する現代社会。その中で、確たる哲学を持ち、個性を輝かせていく創価の女性の生き方は、「希望の光源」として地域を照らしゆくに違いない。

☆VOD新番組に収録された池田先生の指針――五月三日を貫く魂は勇気
「創価学会の日」、おめでとう!
皆さま方の大闘争と信心と団結で、すべてを乗り切って、未曽有の「5月3日」を迎えることができた。心から感謝申し上げたい。ありがとう!
創価学会の前身である創価教育学会。その最後の総会は、いつ行われたか。
それは昭和18年(1943年)の5月2日であった。東京・神田の教育会館に約700人が出席。これが、戦前の最後の総会である。
牧口先生、戸田先生の逮捕の2カ月前。すでに当時、学会には、権力による弾圧の魔の手がしだいにのびてきていた。それでも勇敢に総会を開催した。弘教をし抜いた。
牧口先生は、この最後の総会においても、日蓮大聖人の仏法の正義を、高らかに師子吼された。
じつは、この総会があった5月ごろにも、すでに牧口先生は、約1週間にわたって留置され、取り調べを受けられた。逮捕される前、すでに"前哨戦"は始まっていたのである。
総会の翌6月、宗門は、学会に対して神札を受けよと迫った。だが牧口先生は、私たちの師匠は、厳然とはねつけられた。
"大聖人の教えと違うではないか! われわれは大聖人の教えを信奉しているのだ"――こう決然と戦い、殉難の道を選ばれたのである。
その時に妥協すれば、難はなかったであろう。しかし、絶対に妥協されなかった。ここが重要なところである。

◇御聖訓"恐れるな! 日蓮の如く"
大聖人は「兄弟抄」に、こう仰せである。
「いよいよ・をづる心ねすがた・をはすべからず」(御書1084ページ)――いよいよ、恐れる心根や姿があってはなりません――
「がうじやう(強盛)にはがみ(切歯)をしてたゆ(弛)む心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふ(振)るま(舞)い・いゐしがごとく・すこしも・をづ(畏)る心なかれ」(同ページ)――信心強盛に強く歯をくいしばり、決してたゆむ心があってはなりません。たとえば日蓮が平左衛門尉の所で堂々と振る舞い、言いきったように、少しも恐れる心があってはなりません――
悠然たる御本仏のお姿である。しかも門下の人数も少ないなかで――すさまじいまでの強き強き信念。これが真実の信仰の世界である。牧口先生は、この御書に仰せのとおり、少しも恐れなく、真実の大聖人の正統の誉れを永遠に刻まれたのである。
ここに日蓮仏法の魂魄があり、学会精神があり、広宣流布の精神がある。このあとに続いていける私どもは、なんと幸せであろうか。

◇広宣流布の先駆者たれ
この牧口先生のお心を、そのまま受け継がれて、戸田先生は、前代未聞の弘教の大闘争を開始された。その本格的な出発が、第二代会長に就任された昭和26年(1951年)5月3日である。
あの創価教育学会の最後の総会から、8年のことであった。
「5月2日」に終わり、「5月3日」に始まる――仏意仏勅の教団ゆえの、不思議なる妙法のリズムである。
会長就任後まもなく、戸田先生は「開目抄」の一節を拝して、厳然と言われた。大聖人の重書を根幹に拝しての、戸田先生の雄叫びであった。
「『われわれ学会員は、大聖人の大慈悲には、千万が一分も及びませぬが、大聖人を信じまいらせ、折伏への勇気のすぐれたることは、迹化の菩薩は恐れをもいだくであろう』との大確信こそ必要である」(『戸田城聖全集』第一巻)と。
勇気ある「学会精神」「弘法の精神」、これに勝るものはない。
学会員こそ、勇気ある、世界平和への第一の先駆者である。
この栄光の「5月3日」を貫くもの。それは、戸田先生がおっしゃった「勇気」の二字である。
毎年毎年、「5月3日」が、めぐり来るたびに、ますます幸福になり、ますます福運に満ちて、素晴らしい人生を歩んでまいりましょう!

◇インド首相「何事も中途半端ではいけない」
◇最善を尽くし さらに努力を
私は、これまで、多くの世界の一流の人と対話をしてきた。ありとあらゆる分野の人と語りに語ってきた。その忘れ得ぬ一人に、インドの故ラジブ・ガンジー首相がいる。
ガンジー首相が、自分の子どもたちに言い聞かせていたことは、何であったか。その根幹は、「つねに全力で挑戦せよ」ということであった。
首相は、子息への手紙に、こう書いている。「何事をやるにも、中途半端でやめて、『もう、これで十分だ』と言ってはいけない。つねに最善を尽くしたうえで、さらに、もう一歩、努力していくのだ」と。
そのとおりと思う。「つねに最善を尽くしたうえで、さらに、もう一歩、努力していく」――どんな分野であれ、これが一流といわれる人の"勝利の方程式"である。
首相は、手紙を、こう続ける。
「これは、たんなるランニング競走でも同じだ。最後の、ひと踏んばりが大事なのだ。心臓が張り裂けそうになるかもしれない。だが、それで初めて、競走相手より前に出ることができるのだ」
負けずに全力で挑戦していくか。それとも、中途半端で、あきらめてしまうのか。「勝者と敗者」「賢者と愚者」は、ここで分かれる。
「賢き人」は、絶対に、あきらめない。どこまでも「挑戦」「求道」の人生を進み続ける。
どうか、「勝利の青春」を、「賢者の人生」を勝ち取っていただきたい。自分自身のために。一家、一族のために。また、永遠に「立派であった」と言われるために。

創価の日
 この日がありて
  広宣の
 威光 輝き
  勢力 増すらむ

栄光の
 世界の地涌の
  ともどちが
 誓願 胸に
  なんと晴れやか

元初より
 この日が決意の
  日となりて
 共に勝利の
  旅立ち 誓わむ

満天の
 花と緑に
  つつまれて
 祝う喜び
  五月三日よ

大切な尊き同志の皆さまの、ご健康、無事故を、また皆さま方が福運にあふれ、幸福であられますよう、私は毎日、懸命に祈っております。安心し、勇気をもって進んでください。
全国の同志の皆さま、きょうは本当にありがとう。来年の5月3日も、元気でお会いしましょう!

☆女性部が新出発
◇きょうから6月10日へ「前進月間」
「全ての女性が幸福に」は、創価三代の師弟を貫く祈りである。
初代会長・牧口常三郎先生は"女性こそ、未来における理想社会の建設者"と叫び、100年前の日本で女性教育の普及に情熱を注いだ。戸田先生は、"宿命に泣く女性の歴史を何としても転換したい"と、会長就任直後の1951年(昭和26年)6月10日に婦人部、7月19日に女子部を結成。池田先生は「21世紀を女性の世紀に」と訴え、全世界の創価の女性に太陽の励ましを注ぎ続けてきた。
「女性部」の発足は、婦人部・女子部の70年の歴史を昇華し、女性の社会進出など時代の変化も踏まえて、女性の連帯の力をさらに強め、永遠に広布の「未来の門」を開いていくためのもの。
本年11月18日を期して、女子部も共に「女性部」として出発するが、先立つきょう5月3日から、婦人部の名称が「女性部」に。各階層の役職も「婦人部長」「副婦人部長」が「女性部長」「副女性部長」となる。
女性部では、きょうから「『6・10』結成70周年記念『希望の太陽 前進月間』」をスタートする(6月10日まで)。
新出発の歓喜と勢いのままに、心と心を結ぶ対話に総力を挙げ、地域・社会に友情を拡大。「ヤング白ゆり世代」をはじめ宝の友への励ましと、女子部と一体の「サン❀フラワー キャンペーン」の充実に取り組んでいく。