2021年5月4日火曜日

2021.05.04 わが友に贈る

未来部育成こそ
次代を開く聖業だ。
人類の宝である
後継の一人一人を
祈り 支え 応援しよう!

十如是事 P411
『譬えば春夏田を作りうへつれば秋冬は蔵に収めて心のままに用うるが如し春より秋をまつ程は久しき様なれども一年の内に待ち得るが如く此の覚に入つて仏を顕はす程は久しき様なれども一生の内に顕はして我が身が三身即一の仏となりぬるなり』

【通解】
譬えば、春夏に田を耕して種を植えるならば、秋冬には刈り取って蔵に収めて、心のままに用いることができるようなものである。春から秋を待つ間は長いようではあるが、一年の内に待ち望んでいたとおりになるように、この覚りに入って仏を顕すまでは長いようではあるが、一生の内に顕して、我が身が三身即一の仏となるのである。

名字の言 父親が遺した確信の言葉 2021年5月4日
幼い息子にタンポポの綿毛をふうっと吹いて見せてあげる。それが楽しみだったと歌人・俵万智さんは言う。"この子もいつか外の世界へ旅立っていく"。そう思うと、息子との時間にも限りがあると感じた▼地面に根を張る花は動けない。子どもの成長を"見届けられない"のは、花も人も同じ。だから今この瞬間、全力で愛を注ごうと詠んだのだろう。俵さんの短歌にこうある。<たんぽぽの綿毛を吹いて見せてやる いつかおまえも飛んでゆくから>(『たんぽぽの日々』小学館)▼広島出身のある女子学生は高校時代、創価大学への進学を志していた。そんな折、父が進行がんに。手術すらできない状況だった。限りある月日を何に使うか——父は祈り、病魔に侵されてなお強盛に信心を貫いた。ある日、受験前の娘に告げた。「大好きだよ。合格おめでとう」。霊山へ旅立つ1週間前に遺した確信の言葉だった▼今、創大生になった彼女は語る。「あの一言が支えてくれるから、何があっても負けません」。そして「父のように一日一日を大切に生きていきます」と▼信仰という"大確信の人生"を歩み抜く。その親の生き方から無限の力を得るからこそ、子どもは烈風に向かってさえ飛び立つことができる。

寸鉄 2021年5月4日
「心の思いを響かして」御書。確信の言葉は必ず届く。電話一本も誠実に
信仰で生活の全てが改善できるのだ—牧口先生。法華経の兵法で勝ち進め
みどりの日。新緑萌える季節が到来。さあ生命力満々と!友情拡大へ挑戦
屋外で遊ぶ子は近視になりにくい—研究。3密を避けて上手に。未来の為
感染者差別ある—88%。根深い偏見と不信。共生哲学広げる我らの使命大

☆誓いをつなぐ 第3回 大阪・堺総県
◇大関西を動かす一大電源地
大阪平野を東西に流れる大和川。その南に広がる堺市が、堺総県(数矢総県長、矢野婦人部長)の広布の舞台だ。堺総区、中総区、東総区、西総区、南総区、北総区、美原区の7総区・区から成る。
摂津・河内・和泉の3国の"境"に位置することにその名が由来する堺は、古来、"文化・先進都市"として発展を遂げてきた。
市内には仁徳天皇陵をはじめとする世界文化遺産・百舌鳥古墳群が点在。中世には自治貿易都市として繁栄を極め、「日本のベニス」とうたわれた。
♪物のはじまりゃ なんでも堺(「新堺音頭」)——歴史が育んだ進取の気風は、広布の活動においても同じである。
草創期の座談会ちょうちん、文化祭の淵源となる体育大会、関西初の地方会館——いずれも堺に始まる。
何より関西に錦州城を築きゆく池田先生の戦いは、堺に第一歩が刻まれた。

◇「1111世帯」
1952年(昭和27年)8月14日。先生が関西で初めて参加した会合は、堺市柳之町西(当時)での座談会だった。恩師・戸田城聖先生との出会いから、ちょうど5年の日のことである。
「この仏法は必ず、世界に広まります!」「将来は大学もつくります」
24歳の青年が語る壮大な未来図に、居合わせた友は度肝を抜かれた。先生がそれを本当に実現していくことは、この時、知るよしもない。
翌年11月、堺支部が、大阪支部に次ぐ関西2番目の支部として発足。65年前、56年(同31年)の「大阪の戦い」で、池田先生は幾たびも大和川を越えた。自転車で路地から路地へと、堺の同志のもとに足を運んだ。
小粒だが団結固い堺支部は、先生の励ましに応え、拡大の旋風を起こした。56年4月の折伏成果で「1111世帯」を記録。翌5月、大阪支部が成し遂げた「1万1111世帯」の先駆けとなる。同じ5月、堺支部も「1515世帯」と記録を更新し、全国6位に食い込んでいる。
堺が動けば大阪が動く。やがて勢いは全関西に波及する。「広宣流布の電源地・堺」の伝統はこの時、築かれたのである。

◇永遠に栄えゆけ
池田先生の会長就任後も、青春の舞台・堺への励ましは絶えなかった。
68年(同43年)10月4日には、堺市内の金岡体育館で開かれた堺本部幹部会に出席。近隣友好や婦人部の活動の在り方、信心即家庭などを具体的に指導し、「永遠に栄えゆく堺たれ」と万感の期待を寄せた。
76年(同51年)1月8日には、堺文化会館(現・堺平和会館)落成1周年の勤行会に出席。「大関西の一大電源地・堺たれ」「日本一、世界一願いの通じる題目の堺たれ」「世界一、仲の良い異体同心の堺たれ」の指針を贈った。これが「堺の日」の淵源となる。
関西鳳雛会などで師弟の原点を築いた堀田里美さん(総県婦人部総合長)も、この時出席した一人。「先生は開口一番、"いつか堺に1000人ぐらい入る、3000坪の会館をつくろう"と語られました。当時の会館は200人であふれる大きさ。どれほど皆の希望になったか」
しかし、堀田さん自身にはこの後、宿命との戦いが待っていた。長女が生後10カ月で「感音性難聴」との診断。今度は長男が「川崎病」を発病した。
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ」(御書1244ページ)を心に刻み、ひたぶるに祈り、折伏に走り抜いた。二人は健康を回復し、関西創価小学校から創価大学まで創価一貫教育で学んだ。今は広布の最前線で後継の道を歩む。
堺は、池田先生が関西で初めて座談会に出席した地。だからこそ、「座談会の堺」を合言葉に、創価家族の語らいの輪の中で後継の青年を育てる伝統をつくってきた。近隣友好の指針を実践しようと、町会、老人会、PTA等の役員を積極的に引き受け、地域に根を張る友も多い。
そして、威風堂々たる堺国際文化会館をはじめ、七つの会館が地域貢献の城として林立する堺となった。

「先生手作りの堺の魂は"伝える"だけではなく、私たちが師と同じ心で"実践する"中で受け継がれていくものだと思います。まだまだ恩返しの人生はこれからやと決意しています」
こう堀田さんは、皆の誓いを代弁する。
櫻本優太さん(総県学生部長)は、堺の創価家族の中で育った"学会3世"。祖母は、池田先生が初めて関西を訪れた1952年に入会している。
自身は2009年(平成21年)6月、関西創価高校2年の時に参加した創価大学での研修で、先生との出会いを結んだ。一人一人に慈愛のまなざしを送る姿に感動が込み上げ、声の限りに誓いを叫んだ。「世界一の数学教師になります!」
創大進学後、3年次には全寮代表として大学建設に汗を流しながら、教員採用試験の勉強に挑んだ。故郷・堺市の中学校数学科の試験を突破。現在は母校で教壇に立ち、誓いの道を歩む。
櫻本さんには、家族の思い出がある。82年(昭和57年)3月の「関西青年平和文化祭」の映像を涙で見つめる父の姿だ。"不滅の六段円塔"の土台を支えた中に、堺の男子部もいた。高等部員だった父・光則さんもこの時、合唱メンバーとして参加したのである。
櫻本さんは現在、総県学生部長として、同志を励まし、共に小説『新・人間革命』を学ぶ日々。研さんを通して発心するメンバーも陸続と誕生し、コロナ禍の中、堺学生部は関西を牽引する対話拡大を達成した。
「大好きな堺の天地に、学会創立100周年を担う宝の人材群を築きます!」

◇勝利の銅鑼を再び
2006年(平成18年)、堺に新たな原点が築かれる。この年、堺市が政令指定都市へ移行することに伴い、堺総県は現在の7総区・区の陣容で出発。同年3月9日に行われた本部幹部会で池田先生は、堺の友が誓いを込めて作成した「師弟勝利の銅鑼」を7回打ち鳴らし、門出を祝福した。
「大阪の戦い」で、堺をはじめ関西の同志と共戦した思い出を先生はつづる。
「私は、心で題目を唱えながら、愛する庶民の渦に飛び込んでいった。一瞬の出会いも逃さず、一人でも多くの同志に会い、全力で励ますために! そして、まだ見ぬ友と、新しい絆を結ぶために! この心の絆が、永遠不滅の常勝関西を築き上げていった」(「随筆 人間世紀の光」)
今月は、あの「1111世帯」の金字塔から65周年——。明年の堺広布70周年を目指し、先生手作りの「大関西の一大電源地・堺」から、今再び、師弟勝利の銅鑼は鳴る。