激動の時代だからこそ
読書と思索のいとまを!
溢れる情報に紛動されず
物事の本質を見つめる
「賢明な眼」を養おう!
教機時国抄 P438
『謗法の者に向つては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり』
【通解】
謗法の者に対しては、ひたすら法華経を説くべきです。それは毒鼓の縁を結ぶためなのです。
名字の言 学習効率の実験で判明したこと 2021年5月11日
どうすれば一度勉強したことを忘れずにいられるのか。誰しも考えたことがあるテーマだろう▼ワシントン大学のジョン・ネストイコ博士がこんな実験をした。被験者を二つのグループに分けて同じ教材を学習してもらう。事前に一方には「後でテストをします」と言い、もう一方には「後で別の人に教えてもらいます」と伝える。実際には両グループに同じテストをしてもらったのだが、後者の方が好成績だったという。"誰かに教えるという心構えがあるだけで学習効率が高くなる"と博士は言う▼自らの経験を振り返り、得心する人も少なくあるまい。人は誰かに教えることを通して、自分の理解不足に気付いたり考えを整理したりする。思想家ジュベールの言葉に「教えることは、二度学ぶこと」(大塚幸男訳)とある通りだ▼仏法も「学ぶ」と共に自ら「語る」ことを重んじる。御書には「行学の二道をはげみ候べし」(1361ページ)と。「あの友に信心や学会の素晴らしさを伝えるには、どうすればいいのか」と祈り、研さんを重ねる人の"学び"は、深く豊かなものとなるに違いない▼人間革命の第一歩は「まず語ろう!」との決意から。「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(同ページ)である。
寸鉄 2021年5月11日
「常にかたりあわせて」御書。悩みも喜びも共有。今こそ創価家族の絆強く
滋賀女性部の日。慈悲と勇気の連帯!不安を希望に変える聡明な声掛けを
人生は100年時代。豊かな人間関係が幸福築く鍵の一つと。学会活動が宝に
金払えば優先接種—行政機関等装うワクチン詐欺多し。絶対に騙されるな
SDGsの認知度が前年比で倍増も実践は今一歩と。若者が率先し変革へ
☆「新・人間革命」は希望の光源 第6回
◇"悲惨"の二字無くすための実践
〈自然災害や疫病が猛威を振るい、国際情勢も不安定だった1961年(昭和36年)。この年の8月、山本伸一は夏季講習会で「立正安国論」を講義した〉
「世の中の繁栄と平和を築いていく要諦は、ここに示されているように、社会の安穏を祈る人間の心であり、一人ひとりの生命の変革による"個"の確立にあります。
そして、社会の安穏を願い、周囲の人びとを思いやる心は、必然的に、社会建設への自覚を促し、行動となっていかざるを得ない。
創価学会の目的は、この『立正安国論』に示されているように、平和な社会の実現にあります。この地上から、戦争を、貧困を、飢餓を、病苦を、差別を、あらゆる"悲惨"の二字を根絶していくことが、私たちの使命です。
そこで、大事になってくるのが、そのために、現実に何をするかである。実践がなければ、すべては夢物語であり、観念です。
具体的な実践にあたっては、各人がそれぞれの立場で、考え、行動していくことが原則ですが、(中略)たとえば、人間のための政治を実現するためには、人格高潔な人物を政界に送るとともに、一人ひとりが政治を監視していくことも必要です。
(中略)その目的は、教団のためといった偏狭なものではなく、民衆の幸福と世界の平和の実現です。
また、そうした社会的な問題については、さまざまな意見があって当然です。試行錯誤もあるでしょう。しかし、根本は『四表の静謐』を祈る心であり、人間が人間らしく、楽しく幸福に生きゆくために、人間を第一義とする思想を確立することです。
さらに、その心を、思想を深く社会に浸透させ、人間の凱歌の時代を創ることが、私どもの願いであり、立正安国の精神なのです」(第4巻「立正安国」の章)
◇"青年に託す"が「3・16」の精神
〈1977年(昭和52年)3月、福島県滞在中の山本伸一は、3・16「広宣流布記念の日」の意義を込めて開催された、福島県青年部の集会に参加した〉
「『広宣流布記念の日』の淵源となった昭和三十三年(一九五八年)三月十六日、つまり『3・16』の儀式というと、時の総理大臣が来る予定であったことが、語り継がれておりますが、それは、決して本質的な問題ではなかった。戸田先生は、そんなことよりも、次の時代の一切を青年に託すという、いわば付嘱の儀式を行おうとされたんです。
(中略)
戸田先生と師匠の牧口先生とは、二十九歳の年の開きがあった。軍部政府の弾圧によって、共に投獄されたお二人は、逮捕された年の九月、警視庁の二階ですれ違った。
戸田先生は『先生、お丈夫で!』と声をかけるのが精いっぱいであり、牧口先生は、頷くことしかできない。それが、最後の別れとなった。
しかし、この瞬間が、師から弟子への、広宣流布のバトンタッチでもあった。
牧口先生は獄中で亡くなられたが、戸田先生は、生きて獄門を出られ、第二代会長になられると、会員七十五万世帯の達成を誓願された。
その大誓願を果たされた戸田先生は、昭和三十三年(一九五八年)三月には、憔悴しきっておられた。
先生と私とは、二十八歳の年の差がある。牧口先生が、戸田先生に広宣流布のバトンタッチをされたように、戸田先生は、未来のために、広宣流布の一切を、私をはじめとする青年たちに託された。それが、あの六千人の青年が集った『3・16』の儀式なんです。
次の広宣流布の流れは、青年につくってもらう以外にない。そして、さらに若い世代が、次のもっと大きな拡大の流れをつくる。その永続的な戦いが広宣流布なんです。
したがって、後継者が臆病であったり、力がなく、自分たちの世代に、仏法流布の流れを開いていくことができなければ、広宣流布の未来も、学会の未来もなくなってしまう。(中略)広宣流布は諸君に託すしかない。私は、君たちのために、すべてを注ぎ尽くします。命をも捧げる思いでおります」(第25巻「福光」の章)
◇苦難に打ち勝つ"能忍の心"を
〈広布第二章の「支部制」の実施とともに、青年部の本格的な育成を決意した山本伸一は、1978年(昭和53年)3月4日、東京青年部の集いに出席した〉
この日の指導で伸一は、戸田城聖が学会の後事の一切を青年に託した、3・16「広宣流布記念の日」の模様などを述べるとともに、「能忍」について語った。「能忍」とは仏のことで、悪世の娑婆世界に出現して、よく耐え忍び、慈悲をほどこすことをいう。
「諸君は若い。長い人生にあっては、これからも、苦しいこと、嫌なこと、辛いこと、悲しいことが、たくさんあるでしょう。私たちは悪世末法に生き、広宣流布していこうというんです。苦難があって当然です。
日蓮大聖人が、『山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし』(御書202ページ)と仰せのように、苦難の連続が広宣流布の道であり、また、人生であるといっても過言ではない。そのなかで戦い、勝利していくことによって、煩悩即菩提、生死即涅槃の原理を証明し、大聖人の仏法の正法正義を示していくことができるんです。
人の一生は、波瀾万丈です。勤めている会社が倒産したり、病に倒れたり、愛する家族を亡くしたりすることもあるかもしれない。しかし、たとえ、苦難に打ちのめされ、社会での戦いに、ひとたびは負けることがあったとしても、信心が破られなければ、必ず再起できます。最後は勝ちます。わが人生を勝利していくための力の源泉が信心なんです。そして、それには『能忍』、よく耐え忍ぶことが大事なんです」
人間を無力にしてしまうものは、"もう駄目だ!"というあきらめにある。それは、自らの手で、自分に秘められた可能性の扉を閉ざし、精神を閉じ込めてしまうことにほかならない。あきらめこそが、敗北の因である。
信仰とは、絶望の闇を破り、わが胸中に、生命の旭日を昇らせゆく力である。(第26巻「奮迅」の章)