我らは使命を持って
生まれた地涌の菩薩だ。
社会のため友のために
利他の実践を貫けば
思いもよらぬ力が出る!
富木殿御返事 P978
『尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり』
【通解】
夫人のご病気のことは、私自身の身の上のことと思っておりますから、昼も夜も諸天に祈っております。
名字の言 ミカン農家に嫁いだ女性が実らせた"黄金色の果実" 2021年5月16日
瀬戸内海の離島・生名島では、ミカンの花が満開を迎えた。白い花弁は直径3センチほど。その根元にある実は最初、緑色だが、太陽の光を浴びて成長すると、黄金色の果実になる▼62年前、同島のミカン農家に、一人の女性が嫁いだ。つましい暮らしだが、幸せな日々。ところが、2人目の子どもが生後間もなくポリオを患った。婦人は宿命転換を懸け、島の広布を懸命に祈り、対話に歩いた▼周囲から罵声を浴びせられることもあった。それでも、真心込めて仏法の偉大さを語り抜いた。やがて信心する人が現れるようになると、功徳の体験が次々と生まれた。嫁いだ時、島に学会員は婦人しかいなかったが、その1人から100人を超える新入会者が誕生した▼婦人が胸に刻む指導がある。1978年(昭和53年)10月、第1回離島本部総会で、池田先生は「"私は立つ!"と決めて、広宣流布という久遠のわが使命を果たし抜いていただきたい」と。婦人はこの「私は立つ」精神をいつも忘れなかった。先の子どもも障がいに負けず、後継の人材に育った▼ミカンの花言葉は「清純」。ただ一途に、友の幸福と社会の繁栄を願い、行動する。その人生は、黄金の輝きを放ち、周囲をも明るく照らしていく。
寸鉄 2021年5月16日
「闇に燈の如く」御書。妙法は試練の暗雲払う光—苦しい時にこそ信強く
東京・足立が猛進。不撓不屈が王者の誇り!庶民の底力で勝利の旗を断固
子は親の姿を見て育つ—教育者。信心継承も切磋琢磨の心で。未来部の日
一手に最善を尽くす人が勝つ—棋士。出会い一つ、電話一本も真心を込めて
高齢者3割が親しい友人いないと。問われる地域の絆。希望の声掛け益々
☆Switch——共育のまなざし 宿命と戦う父母に「信じ抜く力」を
◇悩みが「最高の生き方」のきっかけに
子育てに苦労はつきもの——頭では分かっていても、思いもよらぬ困難に直面し、心が折れそうになった経験のある方は少なくないはず。今回の「Switch——共育のまなざし」では、池田先生が女性リーダーや創価の教育者と語り合ったてい談『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から、宿命の嵐と戦う家族に向けて贈られた励ましの言葉を抜粋して紹介します。(編集・構成=大宮将之)
◇根本の心とは?
<「子育てに奮闘するお母さんたちと話していると、よく聞く言葉があります」と、ある女性リーダーが言いました。それは「毎日が"戦争"のようです」——池田先生はそうした思いを受け止め、語りました>
実感のこもった言葉だね。とくに子どもが小さいうちは、母親には少しも気が安まる時間がないからね。
子どもが、すくすくと、健康に、順調に育っていけばいいが、なかなかそうはいかないものです。子どもの病気、家族の病気、経済的な問題、そして死……。人生の荒波は容赦なく襲ってくる。「なぜ、自分だけが、こんなに苦しまなければならないのか」——放りだしたくなる時もあるにちがいない。
次元は違うが、私も、創価学会の会長として、全責任を担ってからは、一瞬たりとも心の安まる日などありませんでした。戸田先生が「戸田の命よりも大切」と言われた創価学会です。「学会員を皆、幸福にせずにおくものか!」「不幸な人を、一人でも多く救うのだ!」。私には、これしかなかった。
「今も、どこかで、宿命と戦い、けなげに広布を切り開いている学会員がいる」——そう思うたび、力を奮い起こして、前進してきた。嵐のような迫害もありました。いや、嵐の連続だったと言ってよい。それは、前進してきた証拠なのです。私は、戸田先生の遺志をすべて実現し、同志の皆さんとともに、世界的な創価学会を築きあげた。あとは青年です。
子育てといっても、「この子を絶対に幸福にしてみせる!」「私たちの未来を託すのだ!」という心が根本ではないだろうか。
◇闘病中の家族へ
<語らいは「子どもの闘病」を巡って。わが子の病は親にとって最もつらい出来事の一つでしょう。しかもそれが命にかかわるような病気だった場合の苦しみは計りしれません>
子どもの苦しみは、そのまま親の苦しみです。親にとっては、自分が病気になる以上に、つらいことかもしれない。
限りない未来をもった子どもが、病気になる——これほどの悲しみはないでしょう。「どうして、この子が!?」と、信じられない。信じたくない。そんな葛藤も起こってくる。
私のもとには、毎日、全国、全世界から、多くの便りが寄せられてきます。なかには、お子さんの病気と必死に闘っておられる親御さんからのお手紙もある。そうした便りにふれるたびに、私は、全快を祈り、ご家族が苦難に負けずに進んでいかれるよう、できるかぎりの励ましを送っています。
なんといっても、いちばん苦しんでいるのは、病気を患った本人です。どんなに幼い命でも、「生きよう。生きよう」と瞬時も休まず闘っている。それが生命の本然の力なのです。ならば、周りの家族が、苦悩に押しつぶされてはいけない。「希望を捨てない」こと、「家族が力強く生きる」ことです。
絶望に沈むこともあるでしょう。無理もないことです。しかし、負けてはいけない。頭を上げ、「勇気」を奮い起こして、前へ前へ進んでほしい。その思いをこめて、私は、皆さまに届けと、毎日毎日、真剣に祈っています。
◇使命に生きてこそ
<女性リーダーが池田先生に尋ねました。「何人ものお子さんをかかえているお母さんの場合、家族が重い病気を患ったがために、どうしてもほかの子どもに手をかけられずに悩んでいる方もいますが……」と>
大丈夫です。もちろん、一時的に影響が出ることもあるでしょう。しかし、長い目で見れば、そのおかげで、より強い子に育つこともある。「私はこの子を愛している!」と、心底から言えるのが、お母さんです。母の愛は、それほど大きいのです。自信をもってください。
祈ることです。愛情をそそげる時に、精いっぱい抱きしめ、かかわってあげるのです。精神的にも、肉体的にもつらいことがあるでしょうが、そうして築かれた親子の絆は、より強く、より深くなっていくと私は思う。逆に、なんの困難も、苦労もない家庭より、家族が団結し、心が一つになる場合のほうが多いのではないだろうか。
私自身、二男を亡くしています。病気の子をもつ親、お子さんを亡くした親の苦しみ、悲しみは、よく分かります。だからこそ、強く生きぬいていってほしいのです。
◆ ◇ ◆
創価学会の婦人部のお母さん方が、立ち上がられたのも、「困っている人のため、苦しんでいる子どもたちのために生きよう」と決意したからです。崇高な菩薩の生き方です。大いなる「使命」に生きぬいてこそ、人間は悲しみを乗り越えることができる。より広く、深い境涯を開いていけるのです。
牧口先生も、戸田先生も、お子さんを亡くされている。
戸田先生は、言われていた。「私は妻も亡くした。娘も亡くした。そして人生の苦労を、とことんなめつくした。だから会長になったのだ」
含蓄深い言葉です。
◇ひとり親だとしても
<続いて話題は「何らかの事情で、父親もしくは母親だけで子育てをしている場合」について。心掛けるべき点は何か。池田先生は語ります>
その家族の置かれている状況によって、いちがいには言えないでしょう。ただ、子どもが劣等感をもたないようにすることが重要ではないだろうか。すべて、両親がそろっているのと同じにする必要はありません。
「こんな時に父親がいてくれれば」「母親がいたら」と思うこともあるかもしれない。しかし、両親がそろっていても、自立できない甘えん坊が育ってしまうことがある。逆に、若くして親を亡くしても、立派に成長している人はたくさんいる。
子どもを育てる人が真剣に祈り、真剣に子どもを愛し、必死に生きぬけば、愛情は必ず子どもに伝わります。恵まれた環境の子よりも、たくましく強い子どもに育つこともある。
牧口先生は、幼いうちに両親と離別しています。しかし、苦労に苦労を重ねて、あれほどの偉大な人生を築かれた。釈尊もまた、生まれてすぐに、母親を亡くしている。"親がいなくても、人間は偉大になれる"と身をもって示したのです。
ふつうは"マイナス"になると思われていることも、「強い心」があるなら——私どもで言えば「信心」があるなら、"プラス"に変えていけるのです。要は、何ものにも負けない「強い心」を育むことが根本です。
◇この子が私を仏にする 「わが子よ 生まれてきてくれてありがとう!」
<病気に限らず、わが子が突然非行に走ったり、不登校になったりすることも、親にとっては、天地がひっくり返るほどショックなことでしょう。そんな時、大人の都合で表面的な解決ばかりを焦ると、かえって問題をややこしくしてしまいかねません。大事なことは「子どもの幸福」です。子どもを変えようとするよりも、大人自身が成長することです。求められているのは「子どもを信じ抜く力」にほかなりません>
「信ずる力」——仏法でも、「信力」「行力」と言うね。戸田先生は、ある時、「長男が不良で、家に帰ってこない」という悩みに答えて、こう語ったことがある。
「仏法上の根本問題は、そういう子どもを産んだ両親の宿命です。その子をじっと見た時、『この子を立派にしなければいけない。この子こそ私を仏にするのか』と拝むようになる心境こそ大切です」
親子の縁は不思議です。三世の生命観から見れば、どれほどの深い絆で結ばれていることか。その子どもが、自分に、そしてまた家族に、最高の生き方へと進むきっかけを与えてくれるのです。それを親が、どう受けとめるかで、親も子どもも、大きく人生が変わってくる。
どんな苦しみがあっても、どんな試練があっても、「わが子よ、生まれてきてくれて、ありがとう」——こう、心から言えるようになった時、親子はともに、幸福の方向へ進んでいけるのではないでしょうか。