2021年5月31日月曜日

2021.05.31 わが友に贈る

◇今週のことば
創価の女性の月・6月。
「能く衆生の闇を滅す」
世界一の太陽の連帯だ。
明るく賢く朗らかに
対話の陽光を友の心へ!
2021年5月31日

顕仏未来記 P507
『仏教に依つて悪道に堕する者は大地微塵よりも多く正法を行じて仏道を得る者は爪上の土よりも少きなり』

【通解】
仏教によって三悪道に堕ちる者は大地微塵よりも多く、正法を修行して成仏する者は、爪の上の土よりも少ない。

名字の言 至誠は必ず相手に通じる 2021年5月31日
「日本資本主義の父」と評される渋沢栄一氏は、約500もの会社設立に携わったという。その生涯の特徴の一つに、伊藤博文や五代友厚など、「幅広い人脈」が挙げられる▼渋沢は81歳の時、ワシントンでの会議にオブザーバーとして参加。その折、ニューヨークでの昼食会に招待された。だが、先約が入っていた。招待状の持参者は諦めかけたが、渋沢は時間を空けることを約束。彼の誠意に、招待者は胸打たれた▼人と交流する上で最も大切なことは——渋沢は強調する。「如何に無口なところ、いわゆる交際下手な人でも、至誠をもって交われば、心は必ず相手に通ぜぬということはない」(『渋沢栄一伝』ミネルヴァ書房)▼学会の前進も「誠実」を根本としてきた。脳梗塞を患ったある婦人のもとに、池田先生から懐中電灯と笛が届いた。婦人は、師が早期回復を願い、学会活動で夜道を歩く時に懐中電灯で足元を照らし、何かあれば笛で助けを呼べるように、との真心だと感じた。退院した婦人は生涯、広布一筋に駆けた▼この婦人だけではない。全国、全世界に先生の励ましで立ち上がった友がいる。無数のドラマに刻まれているのは、縁する人に誠実を尽くし抜くという人間外交の真髄である。

寸鉄 2021年5月31日
学会の励まし運動は社会の進むべき道標—博士。分断時代。心結ぶ声更に
練馬が立てば東京が動く—これが黄金の方程式。凱歌への大旋風を堂々と
「異体同心なればかちぬ」御書。我らには団結あり。連携密に皆が勇躍前進!
湿度高いと脱水に気付きにくい—医師。梅雨入りの時期。まめに水分補給
小学生の交通事故、下校時に多し。交差点の左右確認等、家庭で注意喚起

☆御書の旭光を 第30回 「転重軽受」を確信し前へ
【御文】
『今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦をまねきこして少苦に値うなり』(兄弟抄、1083ページ)

【通解】
現在世に正法を行ずる功徳が大きいので、未来世に受けるはずの大苦を現在に招き起こして、少苦として受けているのである。

【池田先生が贈る指針】
御本仏・日蓮大聖人は「転重軽受(重きを転じて軽く受く)」という、究極の希望の法門を明かしてくださった。
勇気ある信心に立てばいかなる宿命も、永遠の幸福境涯を築くための試練となる。艱難に臆さず題目の師子吼で挑み抜いて、命に宿る重苦も、ぱっと消し去るのだ。
病魔と闘う宝友に、偉大な使命の凱歌あれ!

☆大学校生とナットクTALK テーマ:苦労と成長
登場人物
中村区男子部大学校団長 20歳の時に入会。情熱に燃える新進気鋭のリーダー。34歳。
山崎ニュー・リーダー 男子部大学校4期生として入校した23歳。駆け出しの営業マン。

Qこのままで十分ですが……
A苦難に負けない自分を築こう
山崎ニュー・リーダー 先週の会合で本部長の信仰体験を聞き、とても感動しました。でも、かなりの苦労を乗り越えたことは、すごいなと思う半面、僕は苦労をしてまで成長したいとは思えないんです。苦労するくらいなら、このままでも十分というか……。

中村区男子部大学校団長 山崎くんの周りには上昇志向みなぎるアツい先輩が多いからね(笑い)。苦労したくないという気持ちはよく分かるよ。僕も入会した時、「人生を勝っていけるよ!」と教えられて信心を始めたから、うまくいかなくて苦労するたびに、心の中で「聞いていたのと違う」って愚痴をこぼしていたよ(笑い)。

山崎 どんなことがあったんですか?

中村 以前の職場で仕事をようやく覚えた頃、異動してきた上司から、到底できないような大きな仕事を任されてさ。仕事量が劇的に増えて、毎日忙しくて、逃げたくなるほどプレッシャーを感じていた。何もかも嫌になった時、男子部の先輩から「受け身になってるんじゃない?」って、本質を突かれたんだ。

山崎 受け身、ですか?

中村 そう。その時、先輩が小説『新・人間革命』の一節を紹介してくれたんだ。「何事も受け身で、人に言われて動いていれば、つまらないし、勢いも出ない」「同じ動きをしているように見えても、能動か、受動かによって、心の燃焼度、充実度は、全く異なる」って。当時の僕はまさに「受け身の生き方」で、すべてが苦労に思え、苦痛に感じていた。でも、「自分で選んだことだ」と考えるようになってからは、大変な状況は変わらないけど、充実感が湧いてきたんだ。

山崎 確かに「やらされてる」と思うと、全てがつらく感じてしまう気がします。

中村 池田先生は、「小さな子どもが、大きな荷物を背負って、遠い峠を上下するのなら、これはかわいそうなかぎりです。ところが、体を鍛えた青年ならば、同じ荷物を背負っても平気です。峠の景色を悠々と楽しみながら行けるでしょう」との戸田先生の指導を通し、生命力が強くなればどんなことも楽しめるとも教えてくださっている。

山崎 苦労を楽しめるようになったら無敵ですね!

中村 もちろん、過酷な職場環境が問題なら、無理をするのは良くないと思う。その上で、生き方として苦労を避け続けていけば、いつか避けようのない壁に直面した時、乗り越えられないよね。だからこそ、大学校の活動を通して、強い自分自身を築いていこうよ!

山崎 頑張ってみます!

2021年5月30日日曜日

2021.05.30 わが友に贈る

壮年部は滝の如く!
たゆまず恐れず堂々と
王者の風格で進もう!
不屈の信心で
広布拡大の決定打を!

御義口伝巻上 P751
『火は物を焼くを以て行とし』

【通解】
火は物を焼くことをもって、行とする。

名字の言 「僕らだけの海じゃない」 2021年5月30日
ユネスコの諮問機関が先日、北海道・北東北の縄文遺跡群を世界文化遺産に登録するよう勧告した。奄美、沖縄の亜熱帯の自然も、世界自然遺産の候補となっている。7月の正式決定へ期待が高まる▼沖縄本島北部で、絶滅危惧種ヤンバルクイナの保護に携わる獣医師がいる。活動を始めた頃、地元の子どもたちの自然と向き合う姿勢に感銘を受けた。海で観光客が捨てたゴミを拾う子らに、浜辺の封鎖を提案すると、「僕らだけの海じゃない」。その言葉に、まず自分ができることをする大切さを学んだ▼子どもたちの思いを胸に獣医師は、ヤンバルクイナの救護や人工繁殖に取り組む。外来肉食獣の捕獲も進み、生息数は増加に転じた。愛する地域を世界の宝に——この"共生の精神"も、次世代へ継承すべき遺産の一つだろう▼ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁は、池田先生とアマゾンについて語り合い、強調した。「"人間こそが大切である"——これが、私の変わらざる信念です。環境問題においても同じです。人間がどうあるべきか、です」▼御書に「心の一法より国土世間も出来する事なり」(563ページ)と。人間の心の変革から、わが地域を楽土に変えていく。この人間革命の哲学を語り広げたい。

寸鉄 2021年5月30日
戦いは真剣さが大事だ。一日一日が勝負だ—恩師壁破るドラマをここから
心臓部・江戸川が大攻勢。大東京に勝利の波動を!皆を鼓舞し横綱相撲頼む
御書「生生に失せじ世世にく(朽)ちざらむかし」。さあ福運積む時は「今」と
大学・短大生3割、友人をつくれぬ事が悩み—調査進んで絆結ぶ学生部尊し
ごみゼロの日。削減の鍵は一人一人の意識。持続可能な社会へ足元から!

☆2030年へ 後継の正義の走者に贈る チャンピオン・オブ・ホープ、万歳!
Each of You Is a Champion of Hope

この春、卒業する皆さん一人一人に、私は大拍手を送ります。
本当におめでとう!
進学・進級する皆さんも、よく頑張り通しました。
一人ももれなく、コロナ禍の苦しい1年を耐え抜き、困難に立ち向かったことを讃えたい。
目標の行事が中止になる等、悔しい思いもあったでしょう。しかし皆さんには、信心がある。一番苦労した人が、一番幸福になる。大変な時こそ、大きく変われるのが、題目の力です。
日蓮大聖人は、苦難と戦う一人のお母さんをねぎらいつつ、「いよいよ強盛の御志あるべし」(※)と励まされました。どんな時も「いよいよ、これからだ!」と進む人が、真の勇者です。
愛する君たちこそ2030年への先頭に立つ「チャンピオン・オブ・ホープ」、すなわち「希望の勇者」なりと私は宣言します。

☆2030年へ 希望の王子・王女に贈る 心の金メダルをかがやかせよう!
草も花も、動物も虫たちも、春を迎える準備を進めています。3月は、命が生き生きとやくどうする季節です。コロナ禍に負けず、春夏秋冬のマラソンを走り続けた皆さん、そして6年間がんばりぬいた卒業生の全員に、私は「心の金メダル」を贈りたい。
題目を唱えて負けない心を燃やし、努力を重ねる皆さんは、黄金よりも強く明るい光をはなちます。大変であればあるほど、勇気の命をかがやかせ、皆を希望で照らしていけるのです。
さあ、新しい決意で出発しよう! 
世界中の創価家族が応援しているよ!

☆原田会長を中心に第5回各部代表者会議
◇「世雄」の誇りで語り切れ
第5回各部代表者会議が26日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
池田先生はメッセージを贈り、6・4「世界池田華陽会の日」へ、けなげに前進する女子部の友を賛嘆。
戸田城聖先生の「百の説法も、百冊の本も、妙法を持った『一人の女性』の生き生きとした姿にはかなわない」との言葉を述懐し、日本でも世界でも、広宣の華と舞う華陽のスクラムこそ、何よりの希望であると強調。昇りゆく午前8時の太陽の輝きで、明るく仲良く朗らかに、使命と福運の青春の輪を広げていただきたいと述べた。
次いで「日蓮はな(離)して日本国にたすくべき者一人もなし」(御書1461ページ)——日蓮を離してしまったならば、一体、誰が日本国を助けることができるのか——を拝し、この日蓮大聖人に直結して、民衆の幸福のため、日本の安穏のため、世界の平和のために大誠実で貢献を貫き、道を創っているのが、創価の立正安国の連帯であると強調。
"混迷を深める時代にあって、学会を離して地球民族の展望は開けない"との誇りと大確信に燃えて、「言わずんばある可からず」(同17ページ)——言わずにはおれない——と、勇気凜々、語り切っていきたいと訴えた。
さらに、殉教の先師・牧口常三郎先生が「宗教の生命」と拝した御聖訓「仏法と申すは勝負をさきとし」「故に仏をば世雄(=社会の英雄)と号し」(同1165ページ)に言及。
「牧口先生の生誕150周年を、我らの『異体同心』の祈りと団結と執念で、見事なる『希望・勝利の年』と飾って、報恩を尽くそう! みな、師子であれ!」と呼び掛け、メッセージを結んだ。

原田会長は、65年前の池田先生の「大阪の戦い」に、立正安国の勝利の要諦が凝縮されていると力説。必ず勝つとの執念と情熱、率先の行動、厳粛な師弟の精神を、今こそ池田門下の我々が体現し、懸命に戦っておられる「庶民の英雄」たる同志のお一人お一人に断固、勝利の歓喜を届けようと訴えた。

長谷川理事長、谷川主任副会長、徳久総東京男子部長が登壇。豊福副ドクター部長が、日常生活と諸活動における新型コロナウイルスの感染防止のポイントを語った。

2021年5月29日土曜日

2021.05.29 わが友に贈る

「明確な目標」と
「強き祈り」から
最高に価値ある一日を!
勇猛果敢な行動で
自身の殻を破ろう!

南条兵衛七郎殿御書 P1498
『自身もきられ打たれ結句にて候いし程に、いかが候いけんうちもらされていままでいきてはべり、いよいよ法華経こそ信心まさり候へ』

【通解】
日蓮自身も斬られ、打たれ、もはやこれまでという有り様であったが、どうしたことであろうか、打ちもらされて今日まで生きているのである。いよいよ法華経の信心を増すばかりである。

名字の言 生まれ良き人、最上の人 2021年5月29日
仏典「テーラガーター」に、スニータという当時のインドで最下層生まれの男が登場する。"ごみ掃除"を仕事とし、蔑まれながら生活していた▼彼はある日、釈尊の姿を見つけるや、近づいて弟子入りを願い出る。仏は最高の敬語で"いらっしゃい。修行者よ"と歓待した。師の教えを貫いたスニータは悟りを得る。すると帝釈天と梵天が現れ、彼に合掌して言った。「生まれ良き人、あなたに敬礼します。最上の人、あなたに敬礼します」▼宗教には血筋も身分も関係ない。法を求める人は誰もが平等に修行者だ。仏の心をわが心として仏道を歩み続けた人こそが「真の生まれ良き人」であり、「最も尊い人」と見るのが仏法の真髄である▼法華経に説かれる不軽菩薩も、縁した全ての人を敬い礼拝した。日蓮大聖人は「不軽菩薩が人を敬ったことには、どのような意味があるのだろうか」(御書1174ページ、通解)と、よく考えるよう門下に呼び掛けられている▼どんな人をも敬う。それを言うは易く、実践することは難しい。だからこそ、あえて行きにくい人の所へ行き、胸襟を開いて語り、自らの境涯を高めていく「人間革命」の不断の挑戦が必要なのだ。仏法の目的は「人の振る舞いを示すこと」(同)にある。

寸鉄 2021年5月29日
「意は心法・声は色法・心より色をあらはす」御書。誠実と確信の激励を友に
板橋が怒濤の進撃!勢いと速度、勇気で断固勝つ。東京凱歌は我らの拡大で
外出自粛による高齢者の体力低下、防ぐには会話が大切と。電話等も活用
2回接種後もマスク等の対策が必要。感染収まるまで。社会全体の総力戦
改正温暖化対策法が成立2050年までに脱炭素実現へ—公明の訴え明記

2021・5・29 あすは「ごみゼロ(5・30)の日」
◇3Rは環境保全の大きな一歩
徳島県上勝町。「葉っぱビジネス」でも知られる、人口約1500人のこの町は、2003年に国内初の「ゼロ・ウェイスト宣言」(浪費、ごみを無くす)を発表。"環境に優しい町"として各地から注目されている。住民が「ごみを資源に」と、13種類45品目のごみ分別を協力して行い、令和元年度のリサイクル率は80%を超え、全国2位となった(環境省調査、人口10万人未満で)。
翻って、国内のごみ総排出量は年間4274万トン、1人1日当たりのごみ排出量は918グラムで、リサイクル率は20%にも満たない(令和元年度、同省調査)。課題は多いが、特に大事なことは、地域の取り組みとともに、一人一人がごみ削減の当事者だという意識を持てるかどうかではないか。
5月30日は「ごみゼロの日」。この日から「ごみ減量・リサイクル推進週間」が始まる(6月5日まで)。全国各地で、リデュース(発生抑制)、リユース(再利用する)、リサイクル(再生利用)の3R推進運動や不法投棄監視パトロールなどが行われる。また、環境省と日本財団主催の清掃キャンペーン「海ごみゼロウィーク2021」も始まる(6月8日まで)。海洋ごみ問題の周知・啓発と、海洋ごみの流出を少しでも防ぐことを目的に、海岸沿いでのごみ拾いなどが全国一斉に行われてきた。一昨年は全国約1500カ所で約43万人が参加した。
SDGs研究の第一人者である蟹江憲史氏は著書『SDGs(持続可能な開発目標)』(中公新書)の中で、廃棄物の大幅な削減には3Rの実践が求められ、大気、水質、土壌を汚染しないようにすることが重要と訴えている。
仏法では依正不二——環境(依報)と人間(正報)は一体と説く。これについて池田先生は、「正報という"内なる一念"の変革が、必然的に依報である自然環境、外部環境への対し方と連動し、そこに変革をもたらしていくという、優れて内外呼応した共和、調和への哲理といえよう」(『新・人間革命』第29巻)と。
ごみを削減するため、必要なものだけ購入、食べられる量だけ注文するなど、日常の中で私たちができることはたくさんある。地球の未来を守ることも、こうした小さな行動の積み重ねと、一人一人の環境保全に対する意識変革から始まると再確認したい。

☆2030年へ 後継の正義の走者に贈る 良き友人と共に伸びゆく青春を
Growing Together with Good Friends

進学・進級、おめでとう!希望に燃えて、学び進もう!
私は、みんなの健康と素晴らしき友情あれと祈っています。
1人でも良き友ができれば、青春の宝です。すぐには見つからなくても大丈夫。自分を磨いていけば、必ず良き仲間が現れます。
天に向かって勢いよく伸びる竹林は、大地で一本一本の根ががっちりつながり、支え合っています。だから強い。
真の友情とは、竹林のごとく共に支え伸びゆく生命の絆です。ゆえに、どんな苦難の風にも負けない。倒れても立ち上がれる。
学会は、善友の連帯を全世界に結んできました。創価の友情の心で、さらに広々と平和の道を開いていくのが、皆さんです。
古今東西に心の親友をつくる読書にも挑んでください。
太陽も月も星々も"わが友"とするような大きな心で前進を!

☆池田大作先生の2030年へ 希望の王子・王女に贈る 勇気の翼(ウイング)で大空へ
入学・進級、みんな、おめでとう! 新たな学びの大空へ飛び立つ時だね。
飛行機は重くて大きいのに、なぜ空を飛べるのかな? その理由の一つは「風」があるからです。翼を大きく広げ、向かい風をうまく使って浮かぶ力に変え、高く高く上がるのです。
人間も新しいことを始める時には、"不安の風"や"試練の風"が吹きます。けれども題目を唱えて「負けじ魂」を燃やし、思い切って前へ前へと進めば、どんな風も成長の力にできます。青春の夢と希望の大空へ舞い上がれるのです。
さあ出発だ。勇気の翼を広げて!

2021年5月28日金曜日

2021.05.28 わが友に贈る

艱難に勝る教育なし。
青年ならば
自ら苦難に挑むのだ。
実力を磨き 心を鍛え
時代を創る主体者に!

顕仏未来記 P507
『爾りと雖も仏の滅後に於て四味三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん』

【通解】
しかしながら、如来滅後五五百歳において、四味・三教への邪な執心を捨てて実大乗教である法華経に帰依するならば、諸天善神ならびに地湧千界等の菩薩が必ず法華経の行者を守護するであろう。

名字の言 エジソンが強調した「1%のひらめき」 2021年5月28日
天才とは、1%のひらめきと99%の努力である——このエジソンの言葉には誤解があるという。彼の真意は、努力すれば何でも成功するということではなく、強調したかったのは「1%のひらめき」の大切さだった▼「1%のひらめき」はどうすれば湧いてくるのか。それに必要なのが"努力"とエジソンは言う。白熱電球の発明で1万回の失敗が続いた時、友人に語った。「一回も失敗なんかしてないよ。うまくゆかない方法を一万も見つけたんだ」(ヘンリー幸田『天才エジソンの秘密』講談社)▼広島の壮年は、45歳の時に創価大学の通信教育部に入学した。劇団で夢を追い続けたが鳴かず飛ばず。自身の使命を問い続け、教育の道に進むことに決めた。そこでも、教育実習の受け入れを何校も断られた▼壮年は諦めなかった。50歳で教員免許を取得。小学校に赴任すると、劇団員の経験が朗読やダンスの授業に生きた。何より挫折を味わったことが、児童に寄り添える心を育んでいた。教え子から届いた感謝の手紙は200通を超える▼人間の才能は、いつ開花するか分からない。ゆえに絶え間なく磨き続けることが肝要だ。挫折を経験しても立ち上がり、挑戦を続ける——「天才」とは「努力」の異名である。

寸鉄 2021年5月28日
御本尊は人々の闇を破る全世界の太陽—戸田先生創価勝利へ皆で祈り走れ
葛飾が疾駆。我らは勝つしかない!民衆パワーの本領発揮し断固攻め抜け
宮城女性部の日。人の前照らせば我が前明るく。友の心に希望の大光を!
水回り修理で低価格謳い高額請求等、問題増加。旨い話はよく確認し看破
日本の携帯料金、世界の中で安値と。青年の声を形にした公明の尽力は大

〈社説〉 2021・5・28 あさって初訪中から47周年
◇民衆のつながりで友好の未来を
「山川異域 風月同天」
奈良時代の長屋王が中国に送った袈裟に刺しゅうされていた漢詩である。「場所は違えど、風や月の営みは同じ空の下でつながっている」との意味。"海を隔てていても、心はつながっている"——詩に感動した中国の高僧・鑑真が、日本に渡るきっかけになったと伝えられている。昨年、日本から中国に送られた感染対策の支援物資に、この8文字が添えられたものがあり、友好の美談としてインターネットで話題になった。
一方、中国に悪い印象をもつ日本人が前年より増加し、日本に悪い印象をもつ中国人の割合も高いと示した昨年の共同世論調査もある。隣国として多次元で深く結びつく中でも、国家間の関係には複雑性がある。これに対し、互いの顔の見える民衆間の交流は変わらぬ友好の基盤となろう。一人一人の行動の大切さを改めて感じる。
池田先生は中日友好協会の招へいで、1974年5月30日に中国を初訪問。明後日で47周年を刻む。2年前に両国の国交が正常化したばかり。直行便はなく、香港から鉄道で境界の駅まで行き、歩いて中国へ渡った。17日間で北京、西安、上海、杭州、広州など各地へ。国家指導者らと展望を語り、子どもたちや庶民と交流した。
帰国後、先生は月刊誌「潮」のインタビューで、「幾重もの太い信頼のパイプを、心と心のなかにつなげていく、粘り強い、息の長い友好促進の姿勢を確立していくべきでありましょう」と語っている。
75年には、国交正常化後初めての中国からの国費留学生を、池田先生自ら身元保証人となって、創価大学で受け入れた。創大と中国の大学の間では、学生や教員の往来が今も活発だ。加えて、民主音楽協会、東京富士美術館を通じ、文化面での交流が行われてきた。
また先生は中国人民対外友好協会、中日友好協会の関係者と友誼を深め、民間交流を継続してきた。中華全国青年連合会(全青連)と学会青年部との交流も長く、本年は、オンラインで詩の朗読を通じた交流が進められている。
池田先生は政治・経済の交流を「船」、民衆同士のつながりを「海」にたとえ、「時に『船』が難破することがあっても、『海』さえあれば、往来は続いていく」と述べた。師の思想・行動を模範としながら、両国友好のより良き未来を民衆から開いていきたい。

☆2030年へ 後継の正義の走者に贈る わが君に「創価」の使命のバトンを
Entrusting the Baton of Soka to My Young Friends

5月5日「創価学会後継者の日」を、世界の未来部の友も凜々しく迎えています。後継の皆さん一人一人こそ、わが宝です。
時には「どうせ自分なんて」と思うことがあるかもしれない。それは、これから磨いて輝きを放つダイヤの原石だからです。
勉強や人間関係など壁にぶつかることもある。でも、皆さんは必ず悩みを乗り越えて勝利すると、私は信じます。挫折や失敗を通して、人の痛みが分かるようになる。人間らしい、思いやりの心の深い人こそ、新時代のリーダーなのです。
「創価」という平和の使命のバトンは、皆さんに託します。リレーは、次の走者が今の走者と並走してバトンを受けます。広布のバトンも、自ら走り出し、不二の力走で受け継ぐのです。
正義の走者の君よ! 勇気と挑戦の一歩を、私と共に!

☆2030年へ 希望の王子・王女に贈る 富士のように大きな心で!
富士のように「大きく強い心」を!
太陽のように「明るい希望の心」を!
——この願いを込め、私は少年少女部の合唱団の結成を提案し、一人一人の大成長を祈り、見守ってきました。
歌は、みんなを元気にします。心と心を結んで、友情と平和を広げます。
今は集まって合唱ができなくとも、歌はいつでも口ずさめる友だちです。
声は心の響きです。大宇宙にまで響きわたる最高の生命の声が、題目です。題目を唱え、勉強や読書できたえた心が生み出す歌声はすばらしい。みなさんは、人類に勇気を送る若き芸術家たれ!

2021年5月27日木曜日

2021.05.27 わが友に贈る

御書を開けば
胸中に太陽が昇る。
一切を勝ち開いていく
不屈の力と智慧が湧く。
"実践の教学"で進もう!

兵衛志殿御書 P1095
『真実の経の御ことはりを代末になりて仏法あながちにみだれば大聖人世に出ずべしと見へて候、喩へば松のしもの後に木の王と見へ菊は草の後に仙草と見へて候、代のおさまれるには賢人見えず代の乱れたるにこそ聖人愚人は顕れ候へ』

【通解】
真実の経の理によれば、時代が末法となり、仏法が非常に乱れたときには、大聖人(仏)が必ず世に出現するとあります。たとえば、松は霜が降りてのちも枯れないので木の王といわれ、菊は、ほかの草が枯れたのちにも、なお花を咲かせるので「仙草(せんそう=妙なる草)」といわれるのと同じです。世の中が平穏なときには、だれが賢人であるか分からない。世の中が乱れているときにこそ、聖人と愚人はあきらかになるのです。

名字の言 「大田区」の名の由来 2021年5月27日
東京・大田区の区名には由来がある。もともと「大森区」「蒲田区」という二つの区があった。それが1947年3月に合併。「大」と「田」の一字ずつを取って命名された▼池田先生は少年時代の思い出を双方の地で残している。大森で家業の海苔製造業を手伝い、家計を助けるために始めた新聞配達では早朝の蒲田を駆けた。終戦後に座談会で池田先生が戸田先生と出会ったのは47年8月。「大田区」が誕生して最初に迎えた夏だった▼かつて研修会のため来日した海外の同志が大田区を訪れた折、話したことがある。「"オオタ"と聞くと私たちは真っ先に"池田先生の故郷だ!"と思います」。大田の友は応じた。「師の故郷を世界に宣揚したい。その思いで地域に尽くしてきました」▼御書に「名は必ず体にいたる徳あり」(1274ページ)と。名前は単なる記号にとどまらない。その名に意味を持たせ、輝かせようと努力する中に、価値創造の生き方もあろう▼戸田先生は池田先生に語った。「私は城聖、君は大作だ。一緒に、偉大な『創価の大城』をつくろうではないか!」。師弟に連なる同志の奮闘によって今、「創価」の名は平和・文化・教育の連帯を象徴するものとして世界に轟いている。

寸鉄 2021年5月27日
「妙と申す事は開と云う事なり」御書。今日も祈り強く仏の生命輝かせ前進
世田谷の友が奮戦。攻めの拡大で勝利の活路を。勇気と執念で語り抜け!
神奈川女性部の日。正義の友が動けば栄光の朝がさあ対話の旋風を今こそ
岡山女性部の日。何があっても朗らかに!希望の懸け橋を築く声掛け皆で
公明のリードで16歳以上分はワクチン既に確保。命守る対策さらに総力を

☆誓いをつなぐ 第4回 大阪・常勝大阪総県
◇「今」を勝て 師弟の旗を掲げて
大関西が誉れとする「常勝」の名を冠した総県——それが常勝大阪総県(笹森総県長、浅井女性部長)だ。広布の舞台は、大阪市北東部の2区と隣接する2市。常勝守口県、門真王者県、旭総区、鶴見総区から成る。
同総県の友が心に刻むのは1979年(昭和54年)4月24日。池田先生が第3代会長を辞任した日である。第1次宗門事件の嵐がすさび、師弟を離間させようとする悪侶や反逆者らの謀略が渦巻いていた。
この夜、急きょ、大阪本部長会が守口門真文化会館(現・守口文化会館)で開かれた。"なんで、先生が辞めんとあかんのや!"——悔しさと苦しさの中で、関西の同志は誓った。
"たとえ会長を辞められようと、関西の私たちにとって、師匠は永遠に池田先生だ!"
会長辞任のその日に、どこよりも先生と苦楽を共にしてきた関西は、巌窟王のごとく、反転攻勢の闘争を開始した。「4・24」は今、「常勝大阪・師弟誓願の日」として刻まれている。

◇師匠を求めて
「あの4月24日のことは忘れられません。ただただ、池田先生に付いていくぞという思いだけでした」
そう語る岡林幹男さん(総県副総合長)は当時、門真で男子部の本部長。紛動された退転者も出る中、同志と励まし合い、必死に広布を前に進めた。
3カ月後の同年7月、守口と一緒だった組織が「門真圏」として出発。12月に圏の総会が決定する。
しかし、池田先生は大勢が集まる会合で指導することを制限され、聖教新聞にも、指導や動向がほとんど報じられない。
岡林さんらは必死に祈る中、"自分たちから先生にぶつかるしかない"と思い至る。同志の決意を記したアルバムを学会本部に届けることに決めた。地域の農家にお願いし、男子部の有志で門真名産のレンコンを収穫。12月、アルバムとともに携え、男子部の代表7人で東京へ向かった。
学会本部に集うと、先生から思わぬ伝言が届いた。
「聖教本社で会おう」
先生は聖教新聞本社(当時)で、「よく来たね!」と、一人一人、力強い握手を交わしたのである。
この出来事は門真全体に喜びの波動となり、「先生と共に!」の関西魂を点火した。直後に関西戸田記念講堂で開かれた圏総会は、3200人の友が集まる、驚くほどの盛会となった。
池田先生の励ましは、これだけで終わらなかった。
翌80年(同55年)3月9日、門真の同志600人余が学会本部に集った。全員が折伏を完遂していた。
勤行会の途中、先生が会場に現れた。「門真の皆さんがいらっしゃると聞いたので」。ピアノで3曲を演奏。全員で万歳を叫んだ。この日が永遠に輝く「門真の日」となった。
岡林さんらが、あのレンコンを収穫した畑の上には今、門真文化会館が立つ。
岡林さんは言う。
「師匠を求める心と行動があれば、どんな困難も打ち破っていけます。これからも生涯、師弟共戦で進みます!」

◇学会の強さを知る
「守口の日」の淵源は、81年(同56年)9月20日に行われた守口圏の家族祭。この日、池田先生は「守口の尊くして、大切な方々が、ついに自分は、勝てりという凱歌の人生を飾ることを請い希って、御祝いの言葉とさせて頂きます」と万感のメッセージを贈った。
限りない師の励ましを胸に、広布と人生の坂を越えてきた守口の同志。田坪己代子さん(守口本陣圏副女性部長)もその一人だ。
61年(同36年)11月に母と入会。地道に歩み続けてきた広布の道に、子や孫たちも続いていることが何よりの喜びだ。
孫の安蔵香菜さんは今、圏女子部長を務めている。
19歳で白蓮グループに。悩みに親身に耳を傾けてくれる先輩に囲まれ、陰の会員奉仕に徹する任務の中で、学会の強さは先生と同志の絆にあることを学んだ。祖父母や両親が信心に励む理由の一端を知ることができた。以来、仏法対話にも率先。入会を決意する友人も現れてきた。
大学を卒業後、念願だったアパレル関係の会社に就職。多忙を極め、思うように学会活動ができないことに悩んだが、女子部の先輩と共に"活動ができる部署に"と祈りを合わせる中、希望した部署への異動を勝ち取る。社のSDGsを推進する業務も兼任し、職場で信頼を集める。
「祈った通りの結果に、信心の確信を深めることができました」
何があっても題目根本に、今度は自分が人を励ます存在にと、報恩感謝の思いで激励に奔走している。

◇あの地この地に
大阪には、どこを訪ねても池田先生との歴史があり、ドラマがある。
56年(同31年)の"大阪の戦い"で先生が訪問した家は、8000軒といわれる。友の励みになるならと書をしたため、寸暇を割いてハガキにペンを走らせた。祈って動いて書いて話して、友の心に勇気の炎を燃やし、広布の錦州城の礎を築いていった。
先生は当時、旭総区の友にも、「大勝」「勇戦」と揮毫して贈った。
83年(同58年)3月、それを関西の宝として大切に保管していた友が、"池田先生のもとにお返ししたい"と、来阪中の先生に届けた。先生は再び筆を執り、新たに「大勝」「勇戦」と大書し贈呈。「勇戦」が記された同18日は「旭総区の日」である。
「勇戦」ありてこそ「大勝」あり——これが、総区全体の合言葉となった。
81年(同56年)3月17日に先生は、鶴見区を訪問。喫茶店で友と懇談した後、近くの「板原会館」で行われていた鶴見本部女子部の勤行会に足を運んだ。
「今、皆さんが一番願っていることを祈りましょう」と呼び掛け、居合わせた友と勤行。この日が後に「鶴見総区の日」となった。
——門真にも守口にも旭にも鶴見にも、あの地この地に、語り尽くせぬ先生との原点が輝く。師弟の祈りと行動に徹した時、どんな困難も勝ち越える無限の力が湧き上がる。それを、常勝大阪の同志は命に刻んでいる。
常勝とは何か——。かつて先生は関西の友に呼び掛けた。それは「断固として『今を勝つ』ことだ。『今日を勝つ』ことだ」と。
「常勝」の名に懸けて、いかなる逆風にも、師弟の旗を掲げ、完勝の突破口を切り開く! 常勝大阪の揺るがぬ決意である。

2021年5月26日水曜日

2021.05.26 わが友に贈る

一人の限界突破の挑戦が
皆の心を動かし
破竹の勢いを生む。
率先垂範の実践こそ
躍進への原動力だ!

大田殿許御書 P1004
『民の愁い積りて国を亡す』

【通解】
(天はいかりをなして天変が起こり、大地には災いをもたらしている。細く流れる水があつまって城の壁や堀をやぶるように)民衆の嘆きや悲しみが積もって国を滅ぼすというのはこれである。

名字の言 古今に変わらぬ勝負哲学 2021年5月26日
中国・宋の時代に、范仲淹という人物がいた。財政や教育など多方面の改革を担い、有能な人材の登用にも心を砕いた▼ある日、上官が「わしも随分多くの人を見てきたが、節操ある者はないものだ」と嘆いた。それを聞いた范仲淹は、「あなたが御存じないだけです」と断じた。「そうした先入観で人に接しておられると、節操ある者がやって来ないのはむしろ当たり前でしょう」(朱熹編・梅原郁編訳『宋名臣言行録』ちくま学芸文庫)▼人が物事を判断する際、自分の経験に頼るのが常である。だが経験は時に先入観となり、判断を誤らせる場合もある。予断を排し、本質に迫らんとする勇気が大切だろう▼65年前の「大阪の戦い」の勝利を、「"まさか"が実現」と新聞は報じた。客観的条件と経験から"勝てない"と判断していたからこそ、それを覆された驚きが"まさか"の見出しになった▼傍観者は、現状を経験やデータに照らして結果を予測する。一方、「大阪の戦い」の責任者だった池田先生は、「勝つ」ことを、自身に課せられた絶対の条件と定めた。そこから逆算し、足りない現状を変えるために命を削って戦った。方向が逆である。戦いは勝つと決めた方が勝つ。それが古今に変わらぬ勝負哲学である。

寸鉄 2021年5月26日
話に耳を傾ける会長から対話の姿勢学んだ—総長聞き上手こそ友情育む要
東京・杉並よ一気呵成に攻め上がれ!勇気の拡大で民衆勝利の歴史を必ず
広島女性の日。地域に太陽の励まし広げる平和の連帯。今日も友のために
1人暮らしで孤独感じる若者が増加と。青年部よ真心の声掛けを更に強く
絶えない振込詐欺の被害—知らない番号からの電話は要警戒。冷静に対処

☆御書の旭光を 第29回 今いる場所を「宝の舞台」に
【御文】
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は化城即宝処なり我等が居住の山谷曠野皆皆常寂光の宝処なり』(御義口伝、734ページ)

【通解】
今、日蓮とその門下が南無妙法蓮華経と唱え奉っているのは「化城即宝処」である。我らの住む所は、山や谷や広野であっても全て常寂光の宝処である。

【池田先生が贈る指針】
「いつか」「どこか」ではない。「今」「ここで」仏の大境涯を開けるのが日蓮仏法の真髄だ。
現実と格闘する「この場所」が、寂光の舞台である。苦難に挑む「今この時」が、飛躍のチャンスとなる。
妙法を唱え、一つ一つ目標に挑戦する中で、人間革命の勝利劇を飾る。これが「化城即宝処」の人生なのだ。

☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 野菜農家 �林優一
◇安心の「食」を届けたい
野菜農家 �林優一
【プロフィル】たかばやし・ゆういち 北海道立農業大学校卒業後、農協勤務を経て、実家の農園を継ぐ。52歳。1968年(昭和43年)入会。北海道・安平町在住。支部長。農漁光部員。

◇大地の恵みに感謝の祈りを
皆さんは日頃、口にする食材が、どこで、どのように作られているかお分かりですか? 食品添加物は含まれているでしょうか?
実家の農業を手伝い始めて5年がたった頃、こうした点を真剣に考えるようになりました。きっかけは、妻の食物アレルギーや、子どもたちのアトピー性皮膚炎でした。家族の悩む姿に触れ、少しでも体に良い物を食べさせたい一心で、まずは自身の農作物から見つめ直しました。
わが家の農園では当時、50ヘクタール(東京ドーム10個分)という広大な農地に米、小麦、小豆、大豆、テンサイ、カボチャ、トウモロコシ、ジャガイモなどを栽培していました。作業に当たるのは、家族4人。どうしても、効率を優先せざるをえません。
そのため、農作物の品質を整え、生産性や収益を上げるために化学肥料を使い、害虫を駆除したり、病害を防いだりするために農薬を使うことが当たり前でした。そうすることでしか、農家は生き残っていけない現実がありました。
生活が成り立たなくなるかもしれない——。それでも、「家族のために、より安全で健康に良い物を作ろう」と決心し、2003年(平成15年)から化学肥料や農薬を減らす栽培に着手。しかし、害虫の被害が増えたり、収穫量が減ったりと、思うように育ちません。両親とは意見が対立するも、根気強く自身の熱意を伝えながら、挑戦と失敗を繰り返しました。

◇微生物を生かす
"土を改良すれば、安心でおいしい野菜が作れるはず。しかし、どうすれば"——。深夜まで研究を重ねながら、欠かさなかったことがあります。それは、御本尊への誓いの「祈り」です。
日蓮大聖人は、「題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし、我等が小音なれども、題目の大音に入れて唱え奉る間、一大三千界にいたらざる所なし、譬えば小音なれども貝に入れて吹く時・遠く響くが如く、手の音はわずかなれども鼓を打つに遠く響くが如し、一念三千の大事の法門是なり」(御書808ページ)と仰せです。
私たちが唱える題目が、あらゆる所に届くとは、「一念三千」の偉大さを表しています。一念三千とは、自身の一念が変われば周囲の環境や状況をも変えていけるという、仏法のダイナミックな原理です。
ある時、"農業とは、作物の子孫を分け与えてもらうもの"との話を聞き、ハッとしました。作物への感謝を忘れず、微生物と作物に優しく声を掛けるようになりました。堆肥を改善すると、作物の品質や味も変わり、ホームページや直売所での注文も増え始めたのです。
以来、「喜んでくれる人のために」との思いが原動力となり、2013年(同25年)には、農業認証の国際基準である「グローバルギャップ」を取得。さらに昨年7月には、農林水産省の「有機JAS」の認証を取得しました。この検査に合格することで、「有機」「オーガニック」と表示することができます。
現在、妻と長男と共に70ヘクタールの田畑のうち、1割の農地で有機農法を実施。作物が本来持つ力を高めることで、カビの原因菌を抑え、収穫量が増えました。味も格段に向上し、例えばゴボウは灰汁が出なくなり、えぐみもとれて大変好評です。
しかし、マニュアル通りにいかないのが農業です。天候にも大きく左右されます。時には「去年より甘みが少ないですね」と、仕上がりの良し悪しに気付き、それをも楽しみにしてくださるお客さまが全国に広がり、うれしい限りです。だからこそ、緊張感をもって唱題根本に努力を重ねる日々です。

◇人と人をつなぎたい
近年は後継者不足を理由に、離農する方も少なくありません。だからこそ、"地域の灯台"として人と人をつないできました。
心に刻んできたのが、「強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ」(同1118ページ)との御文です。
大聖人は、門下の四条金吾に対して、信心を貫けば、行き詰まることなく人生を開いていけると励まされました。そうした諦めない不屈の姿に、周囲から信頼が寄せられ、称賛されるような存在となることができると仰せなのです。
2018年(同30年)に起きた「北海道胆振東部地震」で、わが地域は震度6強に襲われ、家屋や出荷前のカボチャが被害に遭いました。畑にも土砂が流れ込み、全て除去できるまで半年以上かかりました。両親は家を地域の支援物資の保管拠点として提供しました。
私も自分にできることは、何でも担わせてもらおうと挑戦してきました。現在、地元・安平町の観光協会理事をはじめ、10の役職を兼務しています。一昨年、わが町に震災からの復興の象徴である「道の駅あびらD51ステーション」が誕生。私が企画に携わった農産物直売所では、近隣の生産者が育てた農産品などを販売しています。
現在、北海道は春本番。安心な「食」をお届けするために、豊かな大地の恵みに感謝の祈りをささげて、挑戦を続けていきます。

◇[視点]自然を尊ぶ
日蓮大聖人は「百界千如は有情界に限り、一念三千は有情と非情の両方にわたるのである」(御書239ページ、通解)と仰せです。「有情」とは、人間や動物のように、感情や意識を持ち、それを表現することのできる存在です。「非情」とは、感情を表すことができない草木や山川、国土等を指します。
仏法では、私たち人間に仏性が必ず具わっているように、「非情」にも十界の生命があると説きます。ゆえに、自然にも仏の生命を見いだし、尊ぶのが仏法の思想です。
この哲理を胸に刻むからこそ、農漁光部の友は自然への敬意を忘れません。環境問題が叫ばれて久しい今、人間と自然が調和し共生するための智慧が仏法にはあるのです。

2021年5月25日火曜日

2021.05.25 わが友に贈る

困難に立ち向かい
喜び勇んで戦い抜く。
これが境涯革命の王道だ。
尊き同志と支え合い
広布の大闘争に挑もう!

顕仏未来記 P509
『伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり』

【通解】
伝教大師は法華秀句に次のように述べている。「浅い教え(爾前権教)は信じやすく理解しやすいが深い教え(法華経)は信じ難く理解し難い、とは釈尊の教判である。浅きを去って深きに就くのが丈夫の心である。

名字の言 地域の公園に芽吹いた「ひこばえ」 2021年5月25日
樹木の切り株や根元などから生えてくる若芽のことを「ひこばえ」という。太い幹に対して、若い芽は孫のようだから「孫生え」と呼ばれるようになったといわれる。春の季語として、俳句や連歌にもたびたび登場する言葉である▼昨年、地域の公園のサクラが、台風の被害にあった。倒れると危ないので、やむなく伐採され、後には切り株が残った。するとどうだろう。先日、そこを訪れると、切り株のあちこちから「ひこばえ」が芽吹いていた▼自ら蘇生し、命をつなごうとする植物の旺盛でダイナミックな生命力。緑を輝かせる若芽を見て、清々しい気持ちになった▼近年の度重なる自然災害、そして長引くコロナ禍……。多宝会の婦人が、しみじみと語っていた。「何があっても、若い人たちを守って、育てていかないとね」「だって、これほど大変な時代を経験しているんだもの。その分、どんな人にも優しく、温かい社会をつくってくれるに違いないじゃない」▼傷ついても、倒されても、負けずに伸びる「ひこばえ」。それは、人間が成長する姿とも、信念を継承する姿とも重なる。今がどれほど困難で、つらい時期だったとしても、励まし合って前進すれば必ず、希望が芽生える。人材が伸びていく。

寸鉄 2021年5月25日
行き詰まっても祈り抜けば仏の力が出る—恩師。必ず勝つ!この一念強く
東村山・東大和・武蔵村山が力走。執念で攻め抜け。新時代の東京凱歌を共に
自分から積極的に交流—これ心の健康保つ一番の道と。智慧尽くし今日も
在宅で水分摂取量減った人が増加と。脱水症状の危険に。意識的に補給を
為政者は「万民の手足」と蓮祖。誰が本当に働くか。青年が監視し声を広げよ

☆池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅 慈愛の薫風を心から心へ 2021年5月19日
日蓮大聖人は、御本尊を「法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」(御書1243ページ)と仰せである。
このお心のままに、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊を「はたじるし」に御本仏の未来記を実現してきたのが、創価の師弟だ。
きょう5月19日は、「創価学会常住御本尊」の記念日である。
恩師・戸田城聖先生の発願から70周年の佳節となる。
この発願後、直ちに先生が打たれた布石が、婦人部・女子部の結成であった。
朝鮮戦争(韓国戦争)の渦中にあった当時、先生のもと、韓国出身の女性が同胞の幸福と平和を祈り、東洋広布への誓願を立てたことも、忘れ得ぬドラマである。
先日、韓国の宝友が、満開の桜に彩られた各地の立派な法城の様子を届けてくださった。聖教新聞で紹介された写真と動画を、妻とうれしく拝見した。
恩師と共に、「慈折」すなわち慈悲の折伏を根本に、「大法弘通」の門、そして、「世界広布」の門を、先頭に立って開いたのは、まぎれもなく学会の母たち、女性たちなのである。
女性の門下へ贈られた「法華初心成仏抄」には、「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり」(同557ページ)とある。
この通り、創価の女性は一人一人が妙法蓮華の当体として、自他共に尊厳なる生命の宝塔を輝かせ、どれほど多くの「一生成仏」の実証を示し切っていることか。
「女性部」新出発の今この時、慈愛の薫風を心から心へ運び、「桜梅桃李」の幸と安穏のスクラムを爽やかに拡大してもらいたい。
◇ ◆ ◇
戸田先生は、よく語られた。
「御本尊は、大宇宙の生命を最も強く結集された当体である。その御本尊と感応するから、こちらの生命力も最も強くなるのだ」と。
そして、この偉大な生命力で、偉大な人生と社会の建設をと、望まれたのである。
70年前の5月、不二の弟子として私も、大法弘通に先駆して、地方折伏の初陣に臨んだ。この時、日記に留めた真情を、わが青年部に託したい。

——正法を、汝自身が
深く、理解することだ。
広く、弘めゆくことだ。
強く、生活に生かすことだ。
高く、宣揚しゆくことだ。
清く、生命の奥底に流しゆくことだ、と。

「一身一念法界に遍し」(同247ページ等)である。
妙法を唱え、師弟の誓願を貫く一念に行き詰まりはない。師子奮迅の信力・行力で、無量無辺の仏力・法力を出して、立正安国の大願を成就しゆくのだ。

2021年5月24日月曜日

2021.05.24 わが友に贈る

◇今週のことば
人のつながりには
不思議な広がりがある。
身近な所に新たな扉が。
勇気の一声から
希望の波動を起こそう!
2021年5月24日

御講聞書 P816
『既に末法当時南無妙法蓮華経の七字を日本国に弘むる間恐れなし、終には一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし云云』

【通解】
すでに末法であり、南無妙法蓮華経の七字を日本の国に弘めているので、何の恐れもない。遂には全世界に広宣流布することは間違いないのである。

名字の言 前へ「時」を進める 2021年5月24日
鉄道ダイヤが正確な日本では時間通りの運行は当然と思いがちだ。それだけに数分でも遅れると、いらだつ利用者もいる▼ただ、この日ばかりは、待たされたことに憤慨した乗客はいなかっただろう。昨年3月14日。福島の原発事故の影響で不通だった区間の路線が、避難指示解除によってつながった。JR常磐線の上野・品川と仙台間の特急列車が9年ぶりに直通運転を再開。ある駅では「本当に本当に大変長らくお待たせをいたしました」と電車到着のアナウンスが。この日を待ち続けた"時の重み"が伝わってくる▼この不通区間だった地域に学会の双葉会館がある。本年3月、リニューアルオープンした同会館で「東北家族『希望の絆』総会」の中継が行われた。会場は改装までの長い間、東日本大震災発生の「2時46分」で針が止まったままの壁時計があった場所▼ある婦人は総会に集った同志の姿を見て、感動の涙が抑えられなかったという。"今日まで私たちは、厳然と「広布の絆」で結ばれ、共に前へ進んできた"と▼池田先生は「民衆と民衆の心の絆は、目には見えない。しかし、見えないがゆえに強い」と語る。創価の連帯が切れることはない。幸福を目指す私たちの前進が止まることもない。

寸鉄 2021年5月24日
「湿れる木より火を出し」御書。信心に不可能なし。腹を決めた祈りを今日も
東京の要・町田が力闘。特区の使命は連戦連勝!壁破るドラマをここから
愛知広布原点の日。堅塁の同志が健在なら学会は盤石。勝利開く一番星と
高温多湿の梅雨は自律神経を乱しやすい—医師。食事・睡眠等で賢く予防
接種の予約代行詐欺多し—金銭や個人情報求める話は全て罠!騙されるな

〈社説〉 2021・5・24 無意識の偏見に陥らない
◇万人尊敬の社会を目指して
自分では気付かぬまま、偏った見方や思い込みに陥る「無意識の偏見」(アンコンシャス・バイアス)が注目されている。人権問題の研究で知られるジェニファー・エバーハート教授は『無意識のバイアス』(山岡希美訳、明石書店)でアメリカの実情を踏まえ、偏見が「一人ひとりを個人として見ることから妨げている」と記した。
黒人女性の教授は飛行機での思い出を紹介している。5歳だった息子が搭乗客の黒人男性を見て、こう口にした。「あの男の人、飛行機を襲わないといいね」。驚いて理由を問うと「分からない」と。無意識のうちに、幼児にでさえ、黒人と犯罪の関連づけがされる現実に衝撃を受けたという。
同書には、ある町で黒人は人口の3割だが、警察官による取り締まりは6割を黒人が占めたとの調査記録も。肌の色、体重、人種、訛り、障がい、身長、性別など、あらゆる特徴にレッテルは貼られる。意識しなくても、簡単に、一瞬にして、バイアス(偏見)は人間を支配すると教授は指摘する。
克服していく方途を仏法の視座から考えたい。
法華経には不軽菩薩の姿が描かれている。その振る舞いは、表面的な人間の差異にとらわれなかった。何を見つめていたのか。誰しもが持つ「仏」の生命である。
不軽菩薩は、万人に"尊極な生命"が具わると確信し、出会う人々に礼拝した。その姿勢は出来事や状況に左右されない。揶揄され、悪口罵詈されるばかりか、時には杖で打たれたり、石を投げられたりしても実践を貫いた。
多様性がうたわれる現代、差異を認めようとする一方で、人は差異に執着してしまう。人は対象をありのままに見て、判断しているのではない。バイアスのかかった目で判断をし、対象を見ている。
不軽菩薩は「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず」(法華経557ページ)と誠意を尽くしたが、そこに強く自らを律する"能動性"を見たい。常に不軽の生き方を貫こうとする意識、実践の哲学は、自覚せずとも人の振る舞いにまで変化をもたらす力となろう。
国家、民族、文化・習慣、また、社会的な地位や立場、年齢、出自に関係なく、皆に「仏」を見いだす。これを常に立ち返る原点とすれば、バイアスの力を押し返し、万人が平等に尊敬し合う社会への道が開けていくにちがいない。

☆御書の旭光を 第28回 祈りからすべては始まる
【御文】
『頭をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき』(日眼女造立釈迦仏供養事、1187ページ)

【通解】
頭を振れば髪が揺らぐ。心が働けば身体が動く。大風が吹けば草木も揺れる。大地が動けば大海も騒ぐ。同じように、教主釈尊を動かせば、揺るがない草木があるだろうか。騒がない水があるだろうか。

【池田先生が贈る指針】
妙法の祈りの力は計り知れない。一切をより良く変えゆく根源の力用である。小さく推し量っては損をする。
広布の大願を起こし、大きく、強く、具体的に祈り、行動するのだ。友の幸福と世界の安穏を祈念する題目は、相手の法性に必ず届き、生命の奥底をも変革できる。
今日も強盛な祈りから勇んで価値創造を!

☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第25回 随喜功徳品第十八
◇鍛えあげられた強き境涯が本当の永遠性の「随喜」
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第25回は、「随喜功徳品第十八」です。

■大要
初めて法華経を聞いて、随喜(信随して歓喜)する人の功徳について説かれます。それでは内容を追ってみましょう。

その時、弥勒菩薩が、釈尊に問います。
「もし善男子・善女人(法華経を信じる男女)が、この法華経を聞いて随喜するならば、どれほどの福徳が得られるのでしょうか?」
この問いに答える形で、「五十展転」の話が展開されます。
その時、釈尊は、弥勒菩薩に語ります。
「仏が入滅した後、出家・在家の男女や智者たち、また年配や若い人も、この経を聞いて随喜した。
そして、他の所、例えば僧が住む場所や閑静な所、都、村などに赴いて、自分が聞いたように、父母や親族、また友人たちのために、自分の力に応じて法を説いた。
さらに、それを聞いて随喜した人が、また他の所に赴いて法を説く。それを聞いて随喜した人が、また他の所で法を説いて……。
このように法を伝え広げ、順番に50番目の人に及んだとする」
「この50番目の善男子・善女人が法を聞いて随喜した功徳を今、説こう。よく聴きなさい。
四百万億阿僧祇の世界の六趣四生(六趣=地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六つの境涯。四生=胎生・卵生・湿生・化生の四つの生まれ方)のあらゆる衆生がいた。
ある人が福徳を求めて、衆生の一人一人の好みに合わせて、この世にある金、銀、瑠璃等の珍しい宝、そして車や七宝でできた宮殿を与えた。その人は、80年にわたって布施を続け、こう思った。
『衆生の好みに応じて布施をしてきた。しかし、皆、老い、80歳を過ぎて白髪になり、顔に皺がよって、死が近づいてきた。今、仏法でこれらの衆生を導こう』
そして、衆生たちを集め、教え、導き、阿羅漢果(小乗の覚り)を得させた。この人の功徳は、多いと言えるだろうか?」
弥勒菩薩が、釈尊に答えます。
「その人の功徳は無量無辺です。衆生の好むものを施す功徳だけでも無量だからです。ましてや、阿羅漢果を得させたのですから言うまでもありません」
釈尊が、弥勒菩薩に告げます。
「わたしは今、はっきりと語ろう。この人が得る功徳は、先ほどの50番目の人が、法華経の一偈を聞いて随喜した功徳の百分の一、千分の一、百千万億分の一にも及ばない。計算や譬喩によっても知ることができないほどである。
このように50番目の人が法華経を聞き、随喜して得る功徳ですら無量無辺である。ましてや、最初に法華経を聞いて随喜した人の功徳は、比べられないほど、無量無辺である」
さらにたとえを通して、弥勒菩薩に功徳の偉大さを教えます。
「もし、この経のために、僧の住む所に行き、あるいは座り、あるいは立って、少しでもこの経を聴き受ける人は、その功徳によって生まれ変わった所で、象や馬、珍しい宝の乗り物を得て、天宮に上ることができるだろう」と、物質的な幸福を得ることが説かれます。
また、「もし説法の場で、来た人のために自らの席を空けて勧め、法を聴かせるならば、その人は、生まれ変わって帝釈天や梵天、転輪聖王の位に就くことだろう」と、指導者になる福徳が説かれます。
続いて、「もし他人に法華経を一緒に聴こうと誘い、わずかでも聞くなら、この人は菩薩たちと一緒の所に生まれ変わり、賢くて智慧があり、誰もが喜ぶ姿となるだろう。生々世々、仏を見て法を聞き、教えを信受するであろう」と、智慧が豊かになり、色心の健康を得ると説かれます。
さらに、弥勒菩薩に、功徳の大きさの真理を教えます。
「一人に法華経を勧めて法を聴かせる功徳は、このように大きいのである。ましてや、熱心に法華経を聴き、説き、読誦し、しかも如説修行(説の如く修行)する人の功徳はいうまでもない」
——このように、「随喜功徳品」では、法華経を聞いて随喜する功徳が説かれています。

■五十展転
日蓮大聖人は、「五十展転」について、「一生の間に一回でも題目を唱えたり、また題目の声を聞いて喜び、さらにその喜びの声を聞いて喜び、このようにして50番目となる人は、喜びの心が弱いようだけれども、智慧第一の舎利弗の如き人よりも、文殊菩薩や弥勒菩薩のような大菩薩の如き人よりも、百千万億倍の功徳がある」(御書1199ページ、趣意)と仰せです。
50番目の人は、経典の文字通り考えれば、自分が随喜するだけで人には語っていません。それにもかかわらず、無量の大功徳があるのです。いわんや、歓喜して弘通に励む人の功徳は計り知れません。
大聖人は「五十展転とは五とは妙法の五字なり十とは十界の衆生なり展転とは一念三千なり、教相の時は第五十人の随喜の功徳を校量せり五十人とは一切衆生の事なり」(同799ページ)と述べられています。「五」とは妙法であり、「十」とは十界の全ての衆生です。妙法蓮華経の五字が喜び広がっていく時、一念三千の妙法が働き、万人成仏が成就されゆくことを教えられていると拝せます。
希望と励ましの対話を広げゆく時、「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(同761ページ)と仰せのごとく、世界中に喜びの花が咲き薫り、一切衆生が功徳を受け切っていくことができるのです。

【『法華経の智慧』から】 生命の根底が歓喜に
苦しみは、苦しみにつけ題目を唱える。悲しみは、悲しみのまま御本尊にぶつける。うれしきは、うれしさを開いて、感謝の唱題にする。悩みは悩みとして、大きく見おろしながら、前へ前へと行くのです。
御本尊を拝するということは、全宇宙を見わたし、見おろしていくようなものです。自分自身の苦しんでいる生命をも見おろしていける自分になっていく。
「随喜」と言っても、悩みがなくなるのではない。悩みがあるから題目が唱えられる。題目を唱えるから、生命力がわく。苦しみがあるから喜びがある。"幸せだけの幸せ"はありえない。"喜びだけの喜び"はない。
「仏法は勝負」なのだから、一生涯、戦いです。戦い続けられる強き強き自分をつくるのです。鍛えあげられた、その強き境涯が本当の永遠性の「随喜」です。信心があれば、何があろうと、生命の根底が歓喜になる。希望になる。確信になる。そして、勇んで、悩める人のもとへ飛び込んでいって、自他ともに「随喜」の当体となっていけるのです。(普及版〈下〉「随喜功徳品」)

【コラム】 下種仏法
仏種を説いて人々に信じさせることを「下種」といいます。日蓮大聖人は、成仏の根本法である南無妙法蓮華経こそ、万人を成仏へと導く仏種であると明かされ、民衆救済の道を開かれました。ゆえに、日蓮仏法を下種仏法といいます。
仏法対話は、人々の生命に成仏の根本法である仏種をまく尊き下種の振る舞いです。それは、万人の生命に本来具わる仏性を触発することです。とはいっても、相手から反発されることもあります。
池田先生は「相手がどうかではなく、こちらが妙法を讃え、聞かせていけば、それだけで大功徳になる。そう自覚していけば、またまた『歓喜』です」と語っています。
相手が信心をしようがしまいが、妙法を語った功徳は同じです。相手の反応に一喜一憂することなく、仏法を語る誇りと喜びを胸に、朗らかに対話を広げていきたい。そこに自身の境涯革命の直道があるからです。

2021年5月23日日曜日

2021.05.23 わが友に贈る

前進を阻む「壁」は
自身の胸中にある。
真剣な祈りを力にして
諦めや苦手意識を克服し
新たな自分史を!

如来滅後五五百歳始観心本尊抄 P246
『釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う』

【通解】
釈尊の因行と果徳の二法は、ことごとく妙法蓮華経の五字に具足している。われらがこの五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給うたのである。

名字の言 婦人の支えとなった娘の言葉 2021年5月23日
昔話の「桃太郎」と「かぐや姫」に生みの親は登場しない。ある婦人が、この二つの物語を幼い娘に読んだ時、「ママはいないの?」と聞かれた。困った末に「でも、優しいおじいさんとおばあさんに会えたから」と答えると、娘は言った。「あたしはママの子どもになりたくて生まれてきたの」▼婦人は夫を病で亡くし、一人で娘を育ててきた。つらく、寂しかった気持ちが、わが子の言葉で一変した。"娘と親子になれたことに感謝し、信心で、もっと幸せになる"と▼日興遺誡置文に「我等宿縁深厚なるに依って幸に此の経に遇い奉ることを得」(御書1617ページ)と。私たちが今世で信心に巡り合ったのは決して偶然ではない。まして、妙法で結ばれた親子の縁は、過去・現在・未来の三世にわたる絆だ▼池田先生は未来部の友に語っている。「親子の縁は不思議であり、深い意味がある。みんな、偉大な使命を果たさんがために、自分の親を選んで生まれてきたんだ」▼あの日の"幼い娘"は、後に幸せな結婚をした。先の婦人から先日、「初孫が生まれました」とうれしい便りが来た。「親から子 子から孫への 広布旅」とは東北女性部の合言葉。信心を生きる力にして、世代をつなぐ幸の旅路は続く。

寸鉄 2021年5月23日
一切の耳に物をきかせん—御書。対話こそ学会の魂。一本の電話も好機と
墨田の同志が師子奮迅。本陣の空に勝利の旗を!庶民の王国の本領示す時
「誰かのために」との心がやる気の向上に—研究。快活な人生は広布の道に
防災地図で災害リスクを確認—これ命守る一歩。大雨等の備えへ意識持ち
漏洩した暗証番号、最多は「123456」。依然と多い安易さ。甘く見ず

☆不二の旅 第9回 池田先生と総東京�
◇広布の本陣に師弟の凱歌を
池田先生が各方面の友に贈ったスピーチや指針を、各地での激励の写真と共に掲載する「不二の旅」。第9回は総東京�を紹介する。

・池田先生の筆による東京の歌「ああ感激の同志あり」の扁額から(一部)。本陣を舞台に広布に走る地涌の友が無事安穏の日々であるよう、大東京が永遠なる勝利の都であるよう祈り願い、先生は歌詞を紡いだ。師の万感の期待に応えゆく、創価の凱歌の歴史を! 同歌を胸に響かせながら、感激の同志は異体同心の団結で不滅の歴史を築く

・新宿の同志との記念撮影会。これが、1・15「新宿の日」の淵源となった(1972年1月15日、新宿区内で)

・品川・目黒合同の創価ルネサンス文化音楽祭。威風堂々と学会歌を指揮(1991年11月、大田池田文化会館で)

・「墨田の日」記念幹部会で、"難攻不落の「永遠の墨田」の構築を!"と呼び掛けた(1991年12月、墨田文化会館で)

・1980年3月、落成直後の江東文化会館でピアノを演奏。後に贈った長編詩で、江東の友を"無名の広布の英雄"とたたえた

・1985年3月、町田文化会館を訪問。代表幹部会で"町田の勝利が日本の夜明け"と語った

・東大和文化会館(当時)を初訪問。村山圏(同)の幹部会に出席し、同志、運営役員らと記念撮影。励ましを重ねた(1983年1月)

◇総東京の友に贈った指針
大聖人は、ここ東京の天地で、御生涯の総仕上げをされた。
大聖人の御一代の弘法は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われる。
妙法を掲げ、平和と安穏の社会を築き上げていくのが、私たちの戦いである。
東京は、永遠に「広宣流布の本陣」である。
本陣として、「立正安国」の大闘争を勝ち抜かねばならない使命と宿命がある。責任があり、名誉がある。
有名な『平家物語』には、源平の決戦に臨む、若き源義経の心意気が謳われている。
「戦いはひたすらただ攻めに攻めて勝つのが心地よいものだ」(『平家物語』11、杉本圭三郎訳注、講談社)と。
戦いは、強く攻め抜くことだ。全力を集中させてこそ勝利はある。戦いの根本姿勢は、徹して攻めることである。
この義経の心意気は、学会精神にも通じる。
「攻めに攻めて痛快に勝ちまくる」——私たちも、この心で進みたい。
妙法は、自身の生命の底から、最高の勇気、最強の生命力である「仏の生命」をわき立たせる。
仏が不幸になることはない。また、仏が敗北することもない。
どんな悪世でも、どんな環境でも、どんな苦難が襲いかかっても、断固として一切を「変毒為薬」することができる。
変毒為薬を可能にする"導火線"は、「信心」であり、「師弟の薫陶」であり、「同志の励まし」である。
大聖人は、大東京の団結の鑑であった池上兄弟へ仰せである。「たとえ、どんな煩わしいことがあっても、夢だと思って、ただ法華経のことだけを考えていきなさい」(御書1088ページ、通解)
私たちも、この心で、あらゆる難を乗り越えて、広宣流布へ、まっしぐらに進みたい。
"これ以上ない"という最高の人生を、そして、「充実」と「価値」と「勝利」の、偉大にして朗らかな創価の道を、ともどもに、勇敢に進もう。
(第44回本部幹部会・東京総会<2004年12月>でのスピーチから抜粋)

2021年5月22日土曜日

2021.05.22 わが友に贈る

"誰かがやる"ではなく
"自分が一人立つ!"
これが学会魂だ。
広布の主体者として
勇敢に一歩踏み出そう!

佐渡御書 P957
『日蓮は此関東の御一門の棟梁なり・日月なり・亀鏡なり・眼目なり・日蓮捨て去る時・七難必ず起るべし』

【通解】
日蓮は、この関東の北条一門にとっては支えとなる棟梁であり、日月であり、亀鏡であり、正しく導く眼目である。この日蓮を国が捨て去る時には、必ず七難が起こるであろう。

名字の言 漫画家・石ノ森章太郎氏の青春の思い出 2021年5月22日
先日、東京・豊島区内で入った中華料理店に、所狭しと漫画家たちの色紙が張られていた。聞けば、日本を代表する漫画家が若き日を過ごしたアパート「トキワ荘」が近くにあったという▼石ノ森章太郎氏がトキワ荘で暮らしていた時、最初にテレビを購入したのが藤子不二雄氏だった。藤子氏の部屋にテレビを見たいアパートの住人が押し掛ける。ところが翌年には、石ノ森氏の部屋に人が集まった。もっと大きなテレビを購入したからである▼トキワ荘の漫画家たちは、互いの夢を語り合う友であり、ライバルでもあった。テレビ一つ買うのも競い合った。アパートで切磋琢磨した日々は、後の漫画家・石ノ森の礎となった。彼は言う。「トキワ荘の四畳半生活にボクの青春時代のすべてがあった」(『トキワ荘の青春』中公文庫)と▼後で振り返れば、テレビの大きさで張り合うことに意味はない。だが、この一見たわいもない逸話から、彼らが、がむしゃらに互いを磨き合っていた"熱量"が伝わってくる。だからこそ、石ノ森氏の記憶にも残ったのだろう▼誰しも人生、一心不乱に戦うべき時がある。その「時」が、若い時代ばかりとは限らない。仏法は本因妙。立ち上がるべき時は、常に「今」である。

寸鉄 2021年5月22日
心から話し合い、感激の座談会に—恩師。新たな決意を燃やし全員が出発
江東が勇猛前進。試練の時こそ光る団結。無敵の民衆パワーで勝利劇を!
「奈良広布誓願の日」。新時代開く勇戦を共に!聳える広布の大城を築け
日頃の会話不足は誤嚥の因。励まし対話の達人の多宝会は健康長寿の模範
ネットの中傷者、特定し易く法改正—公明が尽力言葉の"凶器"は社会の敵

☆不二の旅 第8回 池田先生と総東京�
◇我が人生に勝利の万歳を
池田先生が各方面の友に贈ったスピーチや指針を、各地での激励の写真と共に掲載する「不二の旅」。第8回は総東京�を紹介する。

・目黒平和会館を訪問。目黒で過ごした宝の青春を振り返り、"私は1日を1カ月分にとの思いで戦ってきた"と述べた(1992年9月)

・第3代会長辞任後、初めて学会歌の指揮を。曲は「威風堂々の歌」。反転攻勢への誓いが一つに(1979年11月、豊島区巣鴨の東京戸田記念講堂で)

・中野兄弟会と21世紀中野兄弟会の栄光の集いに出席。「立ち上がれ 日本一の 中野会」と詠み贈った(2004年9月、東京牧口記念会館で)

・北区の栄光総会。"真剣な闘争を貫いた人が幸福者であり、勝利者である"と訴えた(1994年4月、東京牧口記念会館で)

・足立青年平和文化祭で、先生ご夫妻が熱演をたたえる。設営など陰の戦いに徹する同志にも、全精魂を込めて励ましを(1987年9月、創価大学で)

・1978年8月、東京支部長会で友を激励。東京の歌「ああ感激の同志あり」に託した思いを語った(荒川文化会館で)

・人材を輩出しゆく本丸に——大田池田文化会館を先生ご夫妻が訪問し、求道の志あふれる友にエールを送る(1991年11月)

・調布文化会館に立ち寄り、真心の激励を送る。「功徳と正義を示せ! ここから火の手を上げよ」と友を鼓舞した(1992年4月)

◇総東京の友に贈った指針
我らの東京!
我らの東京は
日本の広宣流布の
原点である。

東京の勝利が
日本国中の勝利だ。
いな
全世界の勝利へと
発信されていくであろう。

さあ 今日も
私は戦う。
我が同志である君も
一緒に戦おう!
我が人生の正義のために!

この世界に
正義はなくてはならない。
邪悪と卑劣な仮面の
権力者たちに
奪われてしまうからだ。

我らは
知性ある人生の
常勝将軍なのだ。
負けてたまるか!
「残念」という二字は
我らにはないのだ。

我らの同志は
どこへでも飛んでいく。
正義のために!
我らは
いかなる武器も必要ない。
「法華経に勝る兵法なし」を
知っているからだ。

君よ
健康で!
いつまでも健康で!
君がいることは
常に正義と
常に太陽が
輝いているからだ。

君の勝利は
私の勝利!
私の栄光は
君の栄光!

茨の道を
苦難の道を
断固として
勝ち乗り越えて
我が人生に
万歳を叫び飾ろう!
(長編詩「我らの東京 勝ち誇る同志」から抜粋)

2021年5月21日金曜日

2021.05.21 わが友に贈る

リーダー率先で
広布の最前線へ!
会合に参加できない友
にこそ励ましを送ろう。
抜苦与楽の語らいを!

生死一大事血脈抄 P1337
『是くの如く生死も唯妙法蓮華経の生死なり、天台の止観に云く「起は是れ法性の起・滅は是れ法性の滅」云云、釈迦多宝の二仏も生死の二法なり』

【通解】
このように生死もただ妙法蓮華経の生死なのである。天台大師の摩訶止観に「起はこれ法性の起であり、滅もまたこれ法性の滅である」とある。
釈迦・多宝の二仏も生死の二法をあらわしているのである。

名字の言 直木賞作家が決めた、三つの行動規範 2021年5月21日
"自分さえよければ"という考えに、少しずつ引っ張られているような気がする——。直木賞作家の桜庭一樹氏が、コロナ禍の日常をつづっている▼氏が路地を歩いていた時のこと。店への道順を聞かれた。看板に見覚えはあるが、場所が思い出せない。「うーん、分かりません」と頭を下げた。その時ふと、"以前であれば、スマホで検索して道案内をしていたな"と思った▼そこで氏は、三つの行動規範を決めた。�弱い人、犠牲になっている人に寄り添い、耳を傾ける�社会を良くするために行動する義務があると自覚する�他者に対し、最大限の敬意を払う(『東京ディストピア日記』河出書房新社)▼色心不二——身体と心は一体だから、従来の生活様式の変化は、私たちの内面に影響を及ぼさずにはおかない。孤立・孤独の深刻化が指摘される今、他者に寄り添い、気持ちを共有することの大切さは強調してもしすぎることはない▼池田先生は「どこまでも一人を大切にし、誰も置き去りにしない『安心の大船』とならん! これこそが、創価学会の永遠の誓願です」と。心を開いて、苦境にある友の声に真摯に耳を傾けたい。その励ましの連帯を広げる草の根の運動こそ、温かな社会を築く根幹となる。

寸鉄 2021年5月21日
法華経は「生死の長夜を照す大燈」御書。日々唱題で胸中の太陽輝かせ前進
品川が猛進。創価源流の友よ民衆勝利へ壁破れ!圧倒的な拡大のうねりを
「山光提言」の日。対話に先駆の鳥取・島根の同志。希望の哲理の光を地域に
海洋プラごみ、主な流出源は都市の川と。安易な"ポイ捨て"で地球壊すな
記録的早さの梅雨入りで長雨の可能性。大雨等に備え固く。前前の用心で

☆不二の旅 第7回 池田先生と信越
◇不撓不屈の大城を
池田先生が各方面の友に贈ったスピーチや指針を、各地での激励の写真と共に掲載する「不二の旅」。第7回は、不撓不屈の魂で共戦の歴史を築いてきた、信越での激励行を紹介する。

・長野研修道場での青年部代表研修会で、参加者に温かな眼差しを注ぐ。この折、"「信濃ここにあり!」で勢いよく進もう"と望んだ(2008年8月)

・"水の信心"で信行学の実践を——松本平和会館の自由勤行会で同志を励ます池田先生(1982年8月、松本市内で)

・長野県総会で"信州人の伝統である「負けじ魂」を発揮し、勝利の人生を"と念願。4・26「長野の日」の淵源となった(1974年4月、長野市の長野市民体育館で)

・威風堂々たる人材城を築きゆけ——池田先生が長野研修道場でしたためた「人材の城」(1984年7月)

・新潟広布35周年を記念する新潟県総会・音楽祭で、池田先生が新潟県旗を手に。緑地に稲穂があしらわれ、中央には朱色で「勇気」の文字が(1991年5月、新潟池田文化会館で)

・"白鳥の湖"として知られる新潟の瓢湖(ひょうこ)で、居合わせた同志一人一人に声を掛け、激励する池田先生(1983年4月、現・阿賀野市で)

・池田先生が新潟の長岡会館を初訪問。豪雪地帯の労苦をねぎらいつつ、"厳しい環境でこそ強き人が育つ"等と期待を寄せた(1985年9月、長岡市内で)

・1983年に新潟の同志に贈られた「勇気」の二字。同年4月に池田先生が出席した新潟県総会が、4・14「新潟県の日」の淵源に

◇信越の友に贈った指針
正義を貫けば、迫害される。これが歴史の常だ。
その時に、知らん顔して戦わない。自分だけ、いい子になる。そういう、ずるい、だらしのない人間が、どれだけ民衆を苦しめてきたことか。
だからこそ私は、若い人を育てたい。青年から革命するのだ。
欺瞞と嫉妬と忘恩をはねのけ、同志のため、後継の友を育てるために、私は生きて生きて生き抜いていく。これが今の決心だ。
信越は、青年革命の模範となっていただきたい。
真実の師弟の歴史を叫ぶのだ。永遠に増上慢とは戦うのだ。それが日蓮大聖人の教えであるからだ。
信越の同志は、粘り強い。威張らない。傲慢がない。そこに偉大さが光っている。
晴れの日も、吹雪の時も、何があっても変わらずに、信義の道を誠実に歩んでいる。
恩師・戸田先生は、よく言われていた。
「仏勅をこうむって戦えば、仏の使いである。仏の使いは、仏と同じ力をもっているのである」
信越の皆さんは、この大確信に燃えて、わが生命の偉大なる仏の力を発揮し、広宣流布の師弟の大道を歩み抜いていただきたい。
戦おう! 正義を護るために。
いい人生を生きよう。私と一緒に!
「長野を見よ!」
「新潟を見よ!」
そう満天下に示しながら、堂々たる人材城を築いてもらいたい。
時は今だ。正義が勝つ新時代を開くのだ。「信越よ立ち上がれ!」と万感の期待を込めて叫びたい。
(信越代表者会議<2008年8月>でのスピーチから抜粋)

2021年5月20日木曜日

2021.05.20 わが友に贈る

突然の豪雨に伴う
河川の増水や土砂崩れ等
思わぬ被害に警戒を!
避難経路の確認をはじめ
万が一の備えを怠らず!

妙密上人御消息 P1241
『法華経の第五の巻をもって日蓮が面を数箇度打ちたりしは日蓮は何とも思はずうれしくぞ侍りし、不軽品の如く身を責め勧持品の如く身に当つて貴し貴し』

【通解】
(以前、小輔房が)法華経の第五の巻をもって日蓮の顔を数度打ったとき、日蓮は何とも思わず、うれしかったのである。不軽品に説かれているように迫害を受け、また勧持品に説かれていることが我が身に起きることは、非常に貴いことである。

名字の言 横綱が涙した文豪の色紙 2021年5月20日
大相撲の名横綱・双葉山の69連勝は、今も破られていない。その連勝街道を突っ走っていた時のこと。後援者から食事に誘われた。そこに作家の吉川英治氏がいた。双葉山は「記念に色紙を」と頼んだ▼世間は連勝に沸いていた。だが、双葉山はただ一人、孤独の中で相撲と向き合っていた。頂に立つ者しか分からない境地。それを文豪は見抜き、色紙にこう書いた。「江戸中で一人寂しき勝相撲」。横綱は大粒の涙を流し、文豪に感謝した(『おもろい人やなあ』講談社)▼がんと闘う、ある壮年を先輩が励ましに来た。壮年には、小・中学、高校生の3人の子どもがいる。先輩にもがんの闘病経験があり、やはりその時、小さな子どもがいた。先輩には壮年の不安や葛藤が痛いほど分かった▼壮年の心に寄り添いつつ、先輩は懸命に励ました。一言一言が壮年の心に響いた。闘病は今も続くが、心は決して負けない。3人の子どもも御本尊に祈り、父にエールを送る。カヌー部に所属する長女は"お父さんに喜んでもらいたい"と、来月の関東大会に向けて練習に励む▼文豪のような才気はなくても、相手を思う誠意があれば友に寄り添える。自分の心を分かってくれる人がいる時、人は前を向くことができる。

寸鉄 2021年5月20日
「友の喜び友の歎き一つなり」御書。創価家族の絆強く。充実の座談会を
新宿よ強気で挑みゆけ。本陣から拡大の攻勢を!さあ自身の最高峰へ登攀
岩手「女性の日」「青年部の日」。対話の花爛漫と。民衆が輝く理想郷を必ず
新潟幸福女性の日30周年郷土照らす希望の太陽!励ましの光彩を隅々まで
「自転車でのあおり運転」に実刑。危険行為を撲滅。運転者は「車両」の意識で

〈社説〉 2021・5・20 ネット犯罪から大切な人を守る 
◇賢明な判断で安全に活用を
スマートフォンのSMS(ショートメッセージサービス)で銀行を装い、「不正利用されているため再開手続きを」などと促し、偽サイトに誘導し個人情報を盗み取る「フィッシング詐欺」が多発している。民間団体フィッシング対策協議会によると、2020年に事業者などから寄せられた被害の報告件数は約22万件で、19年の4倍に急増したという。
また、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、消費者の巣ごもり需要を見越して、インターネット上では巧妙な手口も。有名企業の公式サイトによく似た模倣サイトで商品を注文し、代金を払ってしまった——。このようなネット通販のトラブルも急増している。クレジットカード番号や自宅の住所、電話番号などの情報を盗み取られるケースも多発しているという。販売価格が大幅に割引されていたり、問い合わせ先が記載されていないサイトは注意が必要だ。
コロナ禍という社会的状況もあり、「直接会えなくなる分、知人とSNS(会員制交流サイト)で情報共有をしたい」ということから、幅広い世代に初めてスマートフォンを持った人がいるだろう。こうしたネット犯罪から大切な人を守るために、対策を改めて確認したい。
スマートフォンを使用する際に大切なことがある。まずOS(基本ソフト)とアプリは、常に最新の状態に更新することだ。古いままで更新していないと、セキュリティーが弱くなりサイバー攻撃の被害に遭うリスクが高くなるという。また、見慣れないアドレス等から送られてきたURLはすぐにクリックせず、原則として正規のサイトから接続しよう。画面ロックは必ず掛けておくことも忘れずに。
また、無線でインターネットをつなぐWi—Fiの使い方にも注意したい。有線でつなぐ必要がなく、場所を気にせず使うことが出来る便利さがあるものの、鍵マークの付いていない「フリーWi—Fi」の使用は控えたい。パスワード入力の必要が無く、誰でもアクセスができるため、情報漏えいの危険が高いためだ。
情報を素早く手に入れることができるようになり、便利になった分、その裏に潜む危険・トラブルを忘れがちだ。賢明な判断で自身と周囲を守り、安全にネットを活用していきたい。

☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第3回 地涌の義
◇諸法実相抄
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや』(御書1360ページ9行目〜10行目)

◇池田先生の講義から
世界中、私が訪れた地域、また同志と妙法の種を蒔いてきた地域に今、地涌の大陣列が築かれています。いずこの国、いずこの地にあっても、必ず、広布の使命に召し出されて地涌の菩薩が躍り出ます。それが「一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へし」との大聖人の大確信なのです。
◆◇◆
大胆に、誠実に、恐れることなく、正義を語り抜くことです。この地球を我らの対話で包むことこそ、大聖人の御遺命を担う、広宣流布の闘士の崇高なる使命です。
◆◇◆
私たちが今いる場所で重ねている対話は、自他共の人間革命を力強く促し、世界を変える原動力です。人と人とを結びつけ、人間の絆を強める働きが、不信と差別とを理解と信頼へと転換させていくのです。創価の同志が世界中で、日々、繰り広げゆく対話が、平和な世界の実現へ、水底の緩やかでありながら、確実な変革への流れを起こしているのです。
◆◇◆
「太陽の対話」「希望の対話」「青年の対話」が世界を照らします。私たちの対話は、人類の未来を開く究極の力です。どこまでも、地涌の勇者として、幸福の博士として、痛快なる劇を残していこうではありませんか!
(『人間革命の宗教』から)

小松恵子 北海道女性部長
◇歓喜の対話の花を満開に
長い冬を越え、北の大地に春が訪れました。次々と萌えいずる緑のように、三代城・北海道の各地には今、人材が躍動しています。
池田先生は、今回学ぶ「世界を照らす太陽の仏法」の中で、法華経涌出品で出現する無数の地涌の菩薩が、さらに無数の眷属を率いていたことを通して、「いずこの国、いずこの地にあっても、必ず、広布の使命に召し出されて地涌の菩薩が躍り出ます」と講義されています。
日蓮大聖人が「諸法実相抄」で示され、池田先生が証明された"一人から始まる"妙法流布の方程式を命に刻んでいきたいと思います。

◇使命に立ち上がる
わが家は師匠の励ましによって、宿命転換してくることができました。脊椎カリエスに苦しみ、一家で最初に信心した父は、1年で病を克服。その歓喜のままに家族を入会に導き、あの小樽問答に参加することができました。父はそのときの様子を、「司会の池田先生はすごかった!」とよく語ってくれました。
大学を卒業後、札幌創価幼稚園の教員として働きつつ、学会活動に奮闘していた頃、東京で先生とお会いする機会がありました。「今大事なのは、自分を鍛えることだよ。戦える時に全力で戦っておきなさい」との指導に、誓いを新たにし、弘教を実らせることができました。"時"を逃さずに、できることに真剣に取り組む大切さを知りました。
2017年、北海道婦人部長(当時)の任命を受け、とにかく全力で各地を駆け回りました。"これでいいのだろうか。自分一人に何ができるのだろうか"と不安になるたびに、題目に挑戦しました。
先生は講義の中で、「体裁や格好などではなく、地涌の使命に立ち上がった一人一人の強靱な生命、これこそが仏の慈悲と勇気の証です」と教えてくださっています。私は祈る中で、心のどこかで"リーダーとして何か特別なことをしなければいけない"と思い込んでいた自分に気付きました。会合で大勢の前で話をすることだけでなく、目の前の一人に寄り添い、励まし、決意を同じくしていくことこそが大事であることを見失っていたのです。
そして、同志と語らう中で、"師匠のため、宿命転換を懸けて戦われているお一人お一人の学会員は、一人ももれなく尊い地涌の菩薩なんだ""私も、同じ地涌の菩薩として、皆さんと共に、目の前の一人のための対話に徹すればいいんだ。そこから地涌の陣列は無限に広がっていくんだ!"と、心の底から腹が決まりました。北海道の同志から教えていただいた体験です。

◇歓喜の連鎖
本年は、池田先生が、「難攻不落の三代城」との指針を北海道に贈ってくださってから30周年です。この師の期待に応えようと、北海道の皆さんは、広布拡大に走っています。
岩見沢市のある支部女性部長は、病院の看護師長としてコロナ対策の最前線に立ちながら、時間をこじ開けて学会活動にも奮闘。聖教新聞の配達も担う彼女は、早朝に起床し、広大な農村地域を車で走り、"師匠からのお手紙"を同志のもとへ届けています。
本年、"支部の皆さんが大功徳を受けられるように"と、限界を破る広布拡大を決意。苦手に感じていた友人にも勇気を振り絞って対話に挑み、LINEグループを活用して、同志に励ましを送り続けました。
その姿に今度は地区の友が立ち上がりました。ある地区幹事は自らの対話の挑戦を毎日投稿。諦めずに挑み続け、17日目、友人が聖教新聞の購読を決意してくれたとの投稿に、皆が自分のことのように喜び、LINEグループは祝福の言葉であふれました。"次は自分が"と歓喜は連鎖し、支部として、かつてない友好拡大と購読推進を達成できたのです。彼女は喜び、「こんな時だからこそ、題目根本に一人一人とつながり、励ましを送ります」と語っています。
6月からは、初めて迎える6・18「北海道女性部の日」を記念し、「花華月間」がスタートします。広宣流布の拡大は、どこまでも目の前の一人との語らいから始まる——この確信を胸に、三代会長有縁の天地・北海道中に、対話の花を咲かせます!

本抄は、文永10年(1273年)5月、流罪地・佐渡で著され、最蓮房に与えられたお手紙とされる。「諸法実相」についての質問に対し、仏法の甚深の義を説かれている。また、門下一同に対し、大聖人と同意ならば地涌の菩薩であるとされ、一人から一人へと妙法を弘める広宣流布の根本原理を示されるとともに、広布は必ず達成できるとの確信を述べられる。最後に、信心強盛に行学の二道に励んでいくよう勧められている。

2021年5月19日水曜日

2021.05.19 わが友に贈る

「なにの兵法よりも
法華経の兵法」だ。
常に題目から出発を!
最高の行動の源泉とは
最極の妙法の祈りなり!

諌暁八幡抄 P589
『末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ』

【通解】
末法には必ず、一仏乗(の法華経)に対する強敵が充満するであろう。ゆえに不軽菩薩のように(折伏し、逆縁を結んで、衆生を)利益していくのである。おのおの、わが弟子らよ、ますます信心に励みなさい。励みなさい。

名字の言 青年の入会動機 2021年5月19日
「実家に仏壇はあったけど、自分には関係ありません。あっ、でも初詣には行くし、星座占いなんかも信じてますよ」。そう語っていた青年が先日、入会した。同じ職場の男子部員の生き方に共感したからと話す▼その男子部員は毎朝、1番に出社し、皆が嫌がる仕事や雑用にも率先。どんな時も、さわやかな笑顔で振る舞い、職場をぱっと明るくするムードメーカーだという▼「何でそんなに頑張れるの?」と青年が聞くと、男子部員は学会員であることを告げ、こう答えてくれた。「成功を夢見るのもいいけれど、成功するための努力に目覚めることが大切。そのための信仰なんだ」▼評論家の寺島実郎氏(多摩大学学長)が本紙のインタビューで語っていた。日本には、神社にお参りし、易や占いを信じる人は多いが、「心の基軸」として宗教を持つ人が少ない。そうした社会にあって、学会員は「信仰に生き、努力することで、人生が開ける」ことを実証してきた、と▼宗教は何かにすがったり、現実から逃避したりするためにあるのではない。悩みや試練と向き合い、乗り越えていく、強い自分を築くためにある。その哲理と実践を説く仏法に「目覚めた人」の連帯・創価学会に寄せられる期待は大きい。

寸鉄 2021年5月19日
学会の座談会は皆に挑戦する意欲を与える—学者共に語らい、共々に前へ
調布・狛江が猛進。正義は勝ってこそ。東京凱歌へ反転攻勢の火の手を今!
熊本の日。我らに越せぬ坂なし!不屈の信念で地域の絆結ぶ火の国の勇者
まず自分が変わることだ—戸田先生。これ常勝の要。幹部から拡大に率先
感染者85%が発症前に人とマスクなしで会話と。着用は基本。油断排して

〈社説〉 2021・5・19 「学会常住御本尊記念日」70周年
◇広布の信心を受け継ぐのは今
70年前の1951年(昭和26年)5月3日、第2代会長に就任した戸田先生は、生涯の願業として「75万世帯の弘教」を宣言された。
この誓願の大闘争を達成するため、戸田先生が真っ先に取り組まれたのが、「創価学会常住御本尊の発願」「御書全集の発刊」「宗教法人の取得」であった。戸田先生は、この三つの大事業を、わずか1年4カ月で現実にした。
これらが、現在の創価学会の広宣流布の一切の基盤になっていることは間違いない。
小説『人間革命』第5巻「随喜」の章に、「学会常住御本尊」発願への戸田先生の真情が描かれている。「われわれの組織は、妙法のそれである。妙法流布の組織である以上、組織の中心軸は、言うまでもなく純粋無垢な信心しかない」と。その妙法流布の信心の根本である、金剛不壊の大車軸としての御本尊があらわされたのが51年5月19日。この日が「創価学会常住御本尊記念日」である。向かって右に「大法弘通慈折広宣流布大願成就」、左に「創価学会常住」と認められている。
戸田先生は常々、「御本仏・日蓮大聖人より、末法現代の広宣流布を託された地涌の菩薩の集いであり、仏意仏勅の団体こそ、創価学会なのだ」と語られた。そして、この御本尊に祈りをささげ、"我、地涌の菩薩なり"との自覚で広布拡大の先頭に立ち、全同志と心一つに、生涯の願業である75万世帯を達成されたのである。
第3代会長に就任した不二の弟子である池田先生も、学会本部で、全同志の幸福・勝利と人間革命、「慈折広宣流布大願成就」を祈り抜かれた。そこから、日本全国、世界各地へ平和建設と弘教拡大の闘争に出発し、令法久住への盤石な基盤を築いてこられたのである。この御本尊は現在、世界広宣流布の根本道場である広宣流布大誓堂に安置されている。
さらに戸田先生は51年6月に婦人部(当時)を、同7月に男女青年部を結成された。70年の時を経て池田先生のもと、婦人部と女子部が女性部へと発展し、新版の御書全集も11月18日に発刊される。
池田先生は、「広布という大願を絶対に成就させねばならない。それが学会出現の"因縁"であり、未来への前進の"原点"である」と言われている。「立正安国」「立正安世界」という師弟の大願を受け継ぐ時は今である。

☆御書の旭光を 第27回 苦しい時こそ人間革命の好機
〈御文〉
『しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし』(兵衛志殿御返事、1091ページ)

〈通解〉
潮が引く時と満ちる時、月の出る時と入る時、また夏と秋と冬と春との季節の境目には、必ずそれまでとは相違することがある。凡夫が仏になる時も、また同じである。

〈池田先生が贈る指針〉
"なぜ自分が""どうして今"と、思いもよらぬ苦難がある。最も苦しいその時こそ「まことの時」であり、人間革命の好機である。
大変であるほど、題目の師子吼で勇気を奮い起こして前へ進むのだ。そこに強固な福運が積まれ、境涯が開かれる。
全てを一生成仏への飛躍台と生かしていくのが、賢者の信心なのだ。

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 病と向き合う 2021年5月11日
テーマ:病と向き合う
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導選集『幸福と平和を創る智慧』(以下、「指導選集」)の指導を掲載する。今回は「病と向き合う」をテーマに、東京都の婦人に話を聞いた。

◇御文
『鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか』(法華証明抄、1587ページ)

◇通解
鬼神どもよ。この人(南条時光)を悩ますとは、剣を逆さまにのむのか。自ら、大火を抱くのか。三世十方の仏の大怨敵となるのか。

◇「再発」の不安と恐怖
強気の信心で挑み抜く
支部婦人部長(当時)を務めていた42歳の時、松野智恵子さん=東京・目黒戸田区副総合女性部長=は「がん」を宣告された。

数カ月前から左頬が異様に膨らんできていた。嫌な予感はしたが、意を決して都内の専門医療施設へ。即日入院となり、検査を繰り返した末、結果を告げられた。
「悪性リンパ腫でした。進行度は『ステージ4』で、すでに骨にまで入り込んでいたんです。"まさか"って……」
抗がん剤での治療が決まった。投与は6クールに及ぶため、1年間、入院することに。
4人の子どもは、末っ子が小学校に入ったばかり。夫・健二郎さん(71)=同区副区長=と、同居していた実母の支えはあったが、「母親として、育ち盛りの子どもたちのそばにいてあげられないことが、本当に苦しくて仕方なかったです」。
"なんで私が""まだ死ねない"——。さまざまな感情が、次から次に込み上げたという。
一人、病室のベッドの上で題目をあげ続けたが、死への恐怖は拭えなかった。
時折、病室に顔を見せに来る子どもたち。母を心配する、けなげな姿に胸が締め付けられた。
健二郎さんは振り返る。
「闘病中、妻は、たんたんとしているように見えました。きっと私たちに心配を掛けたくなかったのでしょう。私たち家族も、妻を安心させるため、そして病魔に対して"なにくそ!"との思いで、題目をあげて踏ん張りました」
ある日、同じ病を乗り越えた先輩が見舞いに訪れた。「どこまでも祈り抜くこと」「病魔を笑い飛ばしていくこと」。松野さんの目を見つめながら話す芯の通った笑顔に、ハッとした。
"ただ境遇を恨み、嘆いているだけじゃ、何も変わらない"
さらに後日、思いがけず、池田先生から激励の伝言と夫婦念珠が届いた。
"もう恐れない!"
信心で病に立ち向かおうと、念珠を握り締めた。
祈りを重ねていくうちに、気付いた。
「病だから不幸なのではなく、病だからこそ、題目をあげ、信心の確信をつかむチャンスだって、不思議とそう思えたんです。喜びで胸が詰まり、涙がポロポロとあふれました」
その感動の涙を、たまたま看護師に見られて心配されたこともあったと、松野さんは笑う。
必ず乗り越えて、信心の偉大さを証明してみせる——そう一念を定めて祈り、前向きに抗がん剤治療に臨んだ。
1年後、あれほど進行していた腫瘍は、消えていた。
しかし、退院の日、医師から「再発する可能性は非常に高い」と告げられた。病魔はしぶとかった。
この時、松野さんが拝したのは、「鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか」(御書1587ページ)との「法華証明抄」の一節だった。日蓮大聖人が、大病を患う愛弟子の南条時光に送られた励ましのお手紙だ。
「大聖人は、時光に"仏に成ることは間違いないからこそ、天魔などが脅そうとしている"と仰せになり、愛弟子を苦しめる病魔を"鬼神どもよ"と厳しく叱責し、平癒を祈念されています。まるで私自身が激励されているようで、勇気が湧きました。何があっても引かない、絶対に魔に負けないぞって」
御本仏の、鬼神すら叱り飛ばす烈々たる気迫。松野さんは、どこまでも強気な信心の姿勢を崩すまいと御本尊に向かい続けた。
それでも定期検診のたびに、忍び寄る「再発」の不安と恐怖。
病魔を蹴散らすように、御聖訓を拝しては、題目に決意を込めた。
「心が引きそうな時、"今こそ信心が試されている"と自分に言い聞かせて、一心不乱に祈りました。すると、闘う決意がみなぎるんです。その繰り返しです」
2016年、ついに医師は「もう通院しなくても大丈夫」と、笑顔で太鼓判を押した。がん宣告から20年以上が経っていた。
「法華証明抄」で大聖人は、「病気になったからといって少しも驚いてはいけない」(同ページ、通解)と仰せになった。信心を貫けば、いかなる苦難も乗り越えていける。ゆえに、何があっても右往左往する必要などないのだ——揺るがぬ確信が、御文を通して命に迫る。
松野さんは笑顔を浮かべながら語る。
「長い闘いでした。でも、病気のおかげで、信心の確信が深まりました。悩んでいる人の気持ちに、寄り添えるようになりました。病気のおかげで、今の自分がある。そう思える境涯になれたことが功徳です。御本尊への感謝しかありません」

池田先生は語っている。
「たとえ信心していても、人生の途上には、さまざまな問題が起きてくる。家庭のこと、仕事のこと、子どものこと、思いがけないかたちで、宿命の嵐はやってきます。しかし、苦難を一つ一つ乗り越えていくところに、自身の人間革命があり、一家一族の宿命転換がある。じつは、そういう時こそ、さらに大きな幸福へと飛躍する"チャンス"なのです。(中略)
大事なのは、最後に勝つことです。どんなに大変なときも、『戦う心』を失わないことです。逆境の時に、朗らかさを失わない人が、本当に強い人です」(「指導選集」第2部上巻)
笑顔すらつくれないような時でも、朗らかさを失わないためには——。松野さんは話す。
「私も最初、『がん』と分かった時は動揺しました。でも、いつまでも"悲劇のヒロイン"でいたのでは、勝利の人生ドラマを演じきることはできません。苦しくてもつらくても、題目を唱え抜くこと。そうすれば、悲観を楽観に変えていけます。それが信心の醍醐味なのではないでしょうか」
希望を失わない姿は、周囲に限りない励ましの光を送る。

[教学コンパス]
米国国立がん研究所によると、がんの闘病経験は精神的に大きな負担があるとする一方で、「人生に良い変化をもたらす可能性」もあると指摘する。その事例として、「家族や友人との関係が深まる」「自らに困難な状況を打開する力があると気付く」ことに加えて、「人生に、より感謝するようになる」ことなどを挙げている。
日蓮大聖人は、夫が病床に伏していた女性門下に送られたお手紙で「このやまひは仏の御はからひか」「病によりて道心はをこり候なり」(御書1480ページ)と仰せになった。悲嘆する門下に真心で寄り添われる、温かな慈愛を感じてならない。
仏法では、病気との闘いは、信心を一段と強め、幸福境涯を開くための好機であると捉える。この確信が胸に脈打つからこそ、多くの学会員は、人生の苦難にも価値を積極的に見いだし、前向きに挑んでいける。
いかなる悲観も楽観に変えゆく価値創造の知恵からは、感謝が生まれ、歓喜もとめどなく湧き出る。困難な現実に負けない朗らかさの源泉も、ここにある。(優)

2021年5月18日火曜日

2021.05.18 わが友に贈る

今できることに
全力で挑戦しよう!
師子奮迅の行動が
勇気の波動を広げ
広布の活路を開く!

上野殿御消息 P1527
『友にあふて礼あれとは友達の一日に十度二十度来れる人なりとも千里二千里来れる人の如く思ふて礼儀いささかをろかに思うべからず』

【通解】
友にあったら礼儀正しくあれということは、友達で一日に十度・二十度訪ねてくる人であっても、千里・二千里も離れている遠方から訪ねてきた人のように思って、少しも礼儀を欠くようなことがあってはならない、という事である。

名字の言 自分を電車に例えるなら…… 2021年5月18日
東京・荒川区のJR日暮里駅北口に、14本の線路を眼前に望む下御隠殿橋がある。通称「トレインミュージアム」と呼ばれる電車見学スポットだ。新幹線や特急をはじめ、20種類の列車が一日に約2500本行き交う。鉄道ファンに大人気なのも納得である▼大勢を遠くまで早く運ぶ、これらの電車と好対照をなすのが、「東京さくらトラム」(都電荒川線)。北区、豊島区、新宿区までの全長約12キロを、下町を縫うように進む1両編成の路面電車だ▼「自分を電車に例えるなら」と、鉄道マニアの男子部員を交えて会合で語り合ったことがある。皆が憧れる特急タイプもいれば、派手さはなくとも堅実な各駅停車のような人もいる。共通するのは、その列車を必要とする人が必ずいて、目的地まで運んでくれる点だろう▼人にはそれぞれ個性があり、成長のスピードも違う。伸びる方向も異なる。だからこそ自分と違う力を持っているともいえよう。「誰にでも、その人にしか幸せにできない人が必ずいる」との池田先生の言葉をかみ締めたい▼都電の荒川区内沿線に植えられた1万3000株のバラが、見頃を迎えている。美の象徴とされる花だ。"幸福駅"という人生の目的地へ、友と励まし進む旅路もまた美しい。

寸鉄 2021年5月18日
御書を拝し自らの境涯をもう一歩開け—戸田先生不撓不屈の魂燃やし前進
大田が総立ち。勢いと執念で勝利への突破口を!師弟源流の底力を今こそ
秋田の日。逆境に揺るがぬ日本海の雄。誰も置き去りにしない励まし皆で
公明が国会で何度も求めワクチン無料化が実現。試練克服のため更に働け
他人を世話する人はより長寿の傾向—米国の研究我らは自他共の幸福道を

☆御書の旭光を 第26回 不安吹き払う励ましの薫風を
〈御文〉
『人間に生をうけたる人上下につけてうれへなき人はなけれども時にあたり人人にしたがひて・なげき・しなじななり、譬へば病のならひは何の病も重くなりぬれば是にすぎたる病なしと・をもうがごとし』(光日房御書、929ページ)

〈通解〉
人間に生を受けた人は、上から下まで、憂いのない人はいないけれども、時に当たり、その人その人に従って、その嘆きはまちまちである。例えば、病気の習いとして、どんな病気も重くなると、これ以上の重病はないと思うようなものである。

〈池田先生が贈る指針〉
御本仏・日蓮大聖人は常に門下を深く思いやられ、一人一人に即した激励を重ねられた。
悩みのない人はいない。苦労も千差万別だ。友を思う真心の言葉が、どれほど力になるか。
創価の励ましの薫風は不安を吹き払い、心を結ぶ。いかなる憂いも嘆きも希望と勇気に転じゆける妙法の大功力を、確信込めて語り切ろう!

☆池田華陽会御書30編 日女御前御返事(御本尊相貌抄)
◇真剣な唱題が希望を開く
今月は「日女御前御返事(御本尊相貌抄)」を学びます。池田先生はつづられています。
「宇宙の大法則と完璧に合致して、最極の『仏の生命の都』を、わが胸奥に輝き光らせていけるのが、『信心』の二字であります。
したがって、この真髄を深く実践していくならば、まだまだ計り知れない智慧と力を引き出すことができる。汝自身が、荘厳なる生命の宝塔として、いかなる『生老病死』の苦悩にも負けず、『常楽我浄』という、希望と歓喜の光を、そして幸福と平和の光を、未来永遠に放っていくことができるのであります」
勝利の源泉である"御本尊根本の信心"を心に刻み、6・4「世界池田華陽会の日」へ、正義と友情光る対話を広げていきましょう。

◇本抄について
本抄は、建治3年(1277年)8月、日蓮大聖人が身延で認められ、門下の日女御前に送られました。日女御前の詳細は不明ですが、頂いた御書の内容から、信心と教養の深い女性であったと考えられています。
本抄の御執筆当時、蒙古襲来後の混乱が続き、社会は不安に覆われていました。そうした中、純粋な信心を貫いていた日女御前が、大聖人から御本尊を頂き、感謝の思いで御供養の品々をお届けしました。
本抄は、その真心に対する御返事であり、御本尊の御姿等の深義が明かされていることから、別名を「御本尊相貌抄」といいます。

◇御文
此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり(中略)此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり
(御書1244ページ9行目〜12行目)

◇通解
この御本尊を決して別の所に求めてはならない。ただ、私たち衆生が法華経を持って南無妙法蓮華経と唱えるその胸中の肉団にいらっしゃるのである。これを「九識心王真如の都」というのである。(中略)
この御本尊も、ただ信心の二字に納まっている。「信によってこそ入ることができる」とはこのことである。

◇解説
全ての人を幸福に——この仏の願いを実現するため、日蓮大聖人が顕されたのが「御本尊」です。
大聖人は本抄で、この御本尊は、それまでの正法・像法の二千年間には誰も顕さず、今、末法に入って二百年余りの時に、大聖人が初めて顕された"未曽有の御本尊"であると示されます。
その相貌(姿・様相)について、「多宝如来の宝塔の中の、釈尊や分身の諸仏のすりかたぎである」(御書1243ページ、趣意)と仰せです。すなわち、法華経に説かれる「虚空会の儀式」が顕された御本尊であると教えられているのです。
法華経において、十界のあらゆる衆生が列座するなか、釈尊が"万人成仏の根源の法"を説く舞台となったのが「虚空会の儀式」です。
その意義を顕された御本尊には、仏・菩薩をはじめとする、十界の衆生が全て納まっています。そして、その中央には「妙法蓮華経」との「首題の五字」(同ページ)が認められています。
すなわち、十界のいかなる衆生をも成仏させる根源の力こそ「南無妙法蓮華経」の大法であり、大聖人が顕された御本尊は、十界の全ての衆生が、この妙法の光に照らされて、生命に本来具わる仏界を輝かせ、成仏する姿が認められた"十界具足"の御本尊なのです。
その上で、大聖人は掲げた御文で、"この御本尊を別の所に求めてはなりません。ただ、私たちが法華経を持ち、「南無妙法蓮華経」と唱えるとき、自らの胸中に、御本尊がおられるのです"と明かされます。
「九識心王真如の都」とは、心の働きの中心である仏の覚りの真実の境地が、衆生の生命に存在していることを指します。
大聖人は、法華経の経文通りに襲い来る大難の中、不惜身命の戦いを貫き、自らの生命に仏界の境涯を開かれました。ゆえに、御本尊の相貌とは、"大聖人御自身の生命"にほかなりません。
そして「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」と仰せの通り、御本尊の無量の功徳を引き出す力が「信心」です。
真剣に御本尊に向かい、題目を唱えるならば、御本尊は、私たち自身の仏界を現実に映し出す明鏡ともなります。一人一人が胸中に尊極の仏界を輝かせ、生命の無明を克服し、周囲をも味方に変えていくことができるのです。
大聖人が「法華弘通のはたじるし」(同1243ページ)——全ての人を救うための"広宣流布の旗印"として顕された、未曽有の御本尊に祈ることができる幸福は計り知れません。
勇気の信心で題目を唱え抜き、希望の前進をしていきましょう。

◇池田先生の指針から
御本尊には、無量無辺の仏力、法力が厳然と具わっている。しかし妙法という大宇宙を貫く大法則の力を、現実の上に顕現し、実証し、自ら体得していくには、自分自身の信心——信力、行力によるほかにはない。
日蓮仏法の信仰は、いわゆる「おすがり信仰」や「他力本願」ではありません。(中略)
どこまでも、自ら勇気ある信心に立つことが、すべての根幹です。(『信仰の基本「信行学」』)
◇ ◆ ◇
私たちが御本尊に向かって唱題するとき、妙法の音声は大宇宙の仏界に届くとともに、自分の中に秘められていた仏界に届き、慈悲と智慧と勇気の「仏の生命」が涌現するのです。
ゆえに、困難に立ち向かう活力が漲り、生命力が強くなり、何ものにも負けなくなる。また、英知を発揮し、確かな福徳の軌道に乗り、勝利に向かって前進できるのです。どこまでも人間自身を高めるための信仰です。(「大白蓮華」2020年7月号「世界を照らす太陽の仏法」)

研さんのために
〇…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第11巻(聖教新聞社)

2021年5月17日月曜日

2021.05.17 わが友に贈る

◇今週のことば
さあ、躍動の座談会だ。
「志有らん人人は
互に之を語れ」
苦楽を分かち合い
共に勝ち進む大力を!
2021年5月17日

常楽我浄御書 P1301
『仏は一人なり外道は多勢なりしかども外道はありのごとし仏は竜のごとく師子王のごとくましませしかばこそせめかたせ給いぬ』

【通解】
仏は一人であり、外道は多勢であったけれども、外道は蟻のようなものであり、仏は竜のようで、また師子王のようであられたので、責め勝たれたのである。

名字の言 沖縄の瓦が赤いのはなぜ? 2021年5月17日
首里城のように沖縄の瓦が赤いのは、素材の「クチャ」に秘密がある。「クチャ」は沖縄特有の泥岩。元は灰色だが乾燥させて焼くと鮮やかな赤に変わる。含まれる鉄分が熱で変化するからだ▼赤瓦は美しいだけではない。夏の暑い日には熱を逃がして室内を涼しくし、耐久性も高く台風に強い。素材本来の特性で、沖縄の人々の暮らしを支えてきた▼2年前の首里城の火災に胸を痛め、復興に携わりたいと、赤瓦職人を目指す女子部員がいる。灼熱の作業場や力仕事にも、体力をつけ、慣れてきた。だが、寡黙な職人の世界で、自分は必要とされているのか悩む時期があった▼そんな中、2度の手術で病を乗り越えた女子部員の体験を聞いた。苦難を使命に変え、励ましを送る姿に感動した彼女は、祈りを根本に職場での声掛けと聞く努力を重ねた。誠実な振る舞いは信頼を生んだ。自身の錬磨に加え、新しい人のサポートも担った。葛藤と挑戦は続くが、職人の道への志は揺るがない▼御聖訓に「煩悩の淤泥の中に真如の仏あり」(御書740ページ)と。仏とは苦難という炎で、鉄を真っ赤に熱するような精神の戦いを続ける人のことだ。たゆみなき前進から、本来備わる無限の可能性が色鮮やかに輝きだす。

寸鉄 2021年5月17日
「人を救い、世を救ってこそ宗教だ」牧口先生。立正安国の大道を胸張り
常勝不敗の荒川が決起。感激の同志と共に進め!東京凱歌の新たな一頁を
できないと言う人からは何一つ生まれぬ—夫人。今できる挑戦を粘り強く
世界高血圧デー。塩分の過剰摂取が最大の因と。「食は命」とバランス考え
良い人間関係のある人は幸福で健康—調査。支え励まし合う学会の絆は宝

☆四季の励まし 母の笑顔よ咲き薫れ 2021年5月9日
◇池田先生の言葉
母の愛は、
あまりにも深い。
その母を苦しめ、
悲しませ、
子どもの未来を
奪い去っていく、
戦争をはじめ、
あらゆる暴力に、
私たちは断じて反対する。
世界の平和、
人類の幸福といっても、
母を大切にし、
心から感謝するところから
始まる。

賢き母!
いかなる子どもをも、
泣きながら
慈愛で包みゆく、
仏のごとき母の境涯よ!
この尊極なる母を、
誰もが最敬礼して、
最大に敬い、
報いていくべきである。

最も深い悲しみから
立ち上がった人は、
最も深い哲学を学んだ、
最も深い慈悲の人だ。
最も大きな苦しみを
乗り越えた人は、
最も大きな境涯を開き、
最も大きな幸福を
広げゆく人だ。
この人間革命の体験を
友に語り、分かち合う、
母たちの行動が
幸福と平和と勝利の道を
創り開くのである。

母の祈りは無敵だ。
母の慈愛は海より深い。
母の笑顔は、
いかなる闇も
照らし晴らす太陽だ。

これからも、
創価の母たちの
「誠実」と「根性」と
「賢さ」と「忍耐強さ」が
ある限り、
いよいよ広宣流布の勝利の
大輪が咲き薫っていくに
違いない。

さあ「今日も元気で」!
いよいよ朗らかに、
いよいよ生き生きと、
いよいよ若々しく、
全世界の
福智の女性と手を携え、
人類の幸福の未来のために
「平和の文化」の大光を、
さらに赫々と放ちゆこう!

【写真説明】赤に紫、ピンクのカーネーション。バラやコチョウランなども彩りを添えている。2007年(平成19年)4月、池田大作先生が都内でシャッターを切った。
♪母よ あなたは なんと不思議な 豊富な力を もっているのか——先生が作詞した「母」の歌は本年、誕生から45周年を迎える。家事や育児、仕事にと、目まぐるしい毎日を送りながら、家族のため、地域のため、世界の平和のために駆ける使命の母たち。その尊き献身ありて、人間主義のスクラムは192カ国・地域に広がった。
きょう9日は「母の日」。生命を守り育む全ての母に感謝の花束をささげたい。

☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 殿の御事をば・ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり 2021年5月9日
◇御文
『殿の御事をば・ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり』(四条金吾殿御返事、1169ページ)

◇通解
(四条金吾のことを)絶えず法華経・釈迦仏・日天に祈っている。なぜなら、あなたこそ法華経の命を継ぐ人だと思うからである。

◇教えて
「人材育成」で大事なことは何ですか?

◇池田先生の指導
後輩を自分以上の人材に、そして二陣三陣と続く後継の友の道を、広々と開いてみせる——この深き祈りと励ましが人材を育むのである。
そのためには、まず、先輩やリーダーが自ら労苦の汗を流すことだ。人びとに尽くし、勇気と希望を広げる人材の手本を自分が示す以外にない。生まれ変わった決意で、自身の人間革命に挑戦しゆくのだ。(2019・12・2付、「随筆『人間革命』光あれ」)
◇ ◆ ◇
日蓮大聖人は、門下の悩みを「我身一身」のこととされ、試練に打ち勝つ励ましを贈ってくださった。"ここまでやってくださるのか"と、こまやかに具体的に手を打たれた。(中略)
どうか先輩は、後輩が「よし、やろう!」と立ち上がるまで、面倒をみていただきたい。(2014・3・19付、「創価新報」掲載の「勝利の人間学」)

2021年5月16日日曜日

2021.05.16 わが友に贈る

我らは使命を持って
生まれた地涌の菩薩だ。
社会のため友のために
利他の実践を貫けば
思いもよらぬ力が出る!

富木殿御返事 P978
『尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり』

【通解】
夫人のご病気のことは、私自身の身の上のことと思っておりますから、昼も夜も諸天に祈っております。

名字の言 ミカン農家に嫁いだ女性が実らせた"黄金色の果実" 2021年5月16日
瀬戸内海の離島・生名島では、ミカンの花が満開を迎えた。白い花弁は直径3センチほど。その根元にある実は最初、緑色だが、太陽の光を浴びて成長すると、黄金色の果実になる▼62年前、同島のミカン農家に、一人の女性が嫁いだ。つましい暮らしだが、幸せな日々。ところが、2人目の子どもが生後間もなくポリオを患った。婦人は宿命転換を懸け、島の広布を懸命に祈り、対話に歩いた▼周囲から罵声を浴びせられることもあった。それでも、真心込めて仏法の偉大さを語り抜いた。やがて信心する人が現れるようになると、功徳の体験が次々と生まれた。嫁いだ時、島に学会員は婦人しかいなかったが、その1人から100人を超える新入会者が誕生した▼婦人が胸に刻む指導がある。1978年(昭和53年)10月、第1回離島本部総会で、池田先生は「"私は立つ!"と決めて、広宣流布という久遠のわが使命を果たし抜いていただきたい」と。婦人はこの「私は立つ」精神をいつも忘れなかった。先の子どもも障がいに負けず、後継の人材に育った▼ミカンの花言葉は「清純」。ただ一途に、友の幸福と社会の繁栄を願い、行動する。その人生は、黄金の輝きを放ち、周囲をも明るく照らしていく。

寸鉄 2021年5月16日
「闇に燈の如く」御書。妙法は試練の暗雲払う光—苦しい時にこそ信強く
東京・足立が猛進。不撓不屈が王者の誇り!庶民の底力で勝利の旗を断固
子は親の姿を見て育つ—教育者。信心継承も切磋琢磨の心で。未来部の日
一手に最善を尽くす人が勝つ—棋士。出会い一つ、電話一本も真心を込めて
高齢者3割が親しい友人いないと。問われる地域の絆。希望の声掛け益々

☆Switch——共育のまなざし 宿命と戦う父母に「信じ抜く力」を
◇悩みが「最高の生き方」のきっかけに
子育てに苦労はつきもの——頭では分かっていても、思いもよらぬ困難に直面し、心が折れそうになった経験のある方は少なくないはず。今回の「Switch——共育のまなざし」では、池田先生が女性リーダーや創価の教育者と語り合ったてい談『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から、宿命の嵐と戦う家族に向けて贈られた励ましの言葉を抜粋して紹介します。(編集・構成=大宮将之)

◇根本の心とは?
<「子育てに奮闘するお母さんたちと話していると、よく聞く言葉があります」と、ある女性リーダーが言いました。それは「毎日が"戦争"のようです」——池田先生はそうした思いを受け止め、語りました>

実感のこもった言葉だね。とくに子どもが小さいうちは、母親には少しも気が安まる時間がないからね。
子どもが、すくすくと、健康に、順調に育っていけばいいが、なかなかそうはいかないものです。子どもの病気、家族の病気、経済的な問題、そして死……。人生の荒波は容赦なく襲ってくる。「なぜ、自分だけが、こんなに苦しまなければならないのか」——放りだしたくなる時もあるにちがいない。
次元は違うが、私も、創価学会の会長として、全責任を担ってからは、一瞬たりとも心の安まる日などありませんでした。戸田先生が「戸田の命よりも大切」と言われた創価学会です。「学会員を皆、幸福にせずにおくものか!」「不幸な人を、一人でも多く救うのだ!」。私には、これしかなかった。
「今も、どこかで、宿命と戦い、けなげに広布を切り開いている学会員がいる」——そう思うたび、力を奮い起こして、前進してきた。嵐のような迫害もありました。いや、嵐の連続だったと言ってよい。それは、前進してきた証拠なのです。私は、戸田先生の遺志をすべて実現し、同志の皆さんとともに、世界的な創価学会を築きあげた。あとは青年です。
子育てといっても、「この子を絶対に幸福にしてみせる!」「私たちの未来を託すのだ!」という心が根本ではないだろうか。

◇闘病中の家族へ
<語らいは「子どもの闘病」を巡って。わが子の病は親にとって最もつらい出来事の一つでしょう。しかもそれが命にかかわるような病気だった場合の苦しみは計りしれません>

子どもの苦しみは、そのまま親の苦しみです。親にとっては、自分が病気になる以上に、つらいことかもしれない。
限りない未来をもった子どもが、病気になる——これほどの悲しみはないでしょう。「どうして、この子が!?」と、信じられない。信じたくない。そんな葛藤も起こってくる。
私のもとには、毎日、全国、全世界から、多くの便りが寄せられてきます。なかには、お子さんの病気と必死に闘っておられる親御さんからのお手紙もある。そうした便りにふれるたびに、私は、全快を祈り、ご家族が苦難に負けずに進んでいかれるよう、できるかぎりの励ましを送っています。
なんといっても、いちばん苦しんでいるのは、病気を患った本人です。どんなに幼い命でも、「生きよう。生きよう」と瞬時も休まず闘っている。それが生命の本然の力なのです。ならば、周りの家族が、苦悩に押しつぶされてはいけない。「希望を捨てない」こと、「家族が力強く生きる」ことです。
絶望に沈むこともあるでしょう。無理もないことです。しかし、負けてはいけない。頭を上げ、「勇気」を奮い起こして、前へ前へ進んでほしい。その思いをこめて、私は、皆さまに届けと、毎日毎日、真剣に祈っています。

◇使命に生きてこそ
<女性リーダーが池田先生に尋ねました。「何人ものお子さんをかかえているお母さんの場合、家族が重い病気を患ったがために、どうしてもほかの子どもに手をかけられずに悩んでいる方もいますが……」と>

大丈夫です。もちろん、一時的に影響が出ることもあるでしょう。しかし、長い目で見れば、そのおかげで、より強い子に育つこともある。「私はこの子を愛している!」と、心底から言えるのが、お母さんです。母の愛は、それほど大きいのです。自信をもってください。
祈ることです。愛情をそそげる時に、精いっぱい抱きしめ、かかわってあげるのです。精神的にも、肉体的にもつらいことがあるでしょうが、そうして築かれた親子の絆は、より強く、より深くなっていくと私は思う。逆に、なんの困難も、苦労もない家庭より、家族が団結し、心が一つになる場合のほうが多いのではないだろうか。
私自身、二男を亡くしています。病気の子をもつ親、お子さんを亡くした親の苦しみ、悲しみは、よく分かります。だからこそ、強く生きぬいていってほしいのです。
◆ ◇ ◆
創価学会の婦人部のお母さん方が、立ち上がられたのも、「困っている人のため、苦しんでいる子どもたちのために生きよう」と決意したからです。崇高な菩薩の生き方です。大いなる「使命」に生きぬいてこそ、人間は悲しみを乗り越えることができる。より広く、深い境涯を開いていけるのです。
牧口先生も、戸田先生も、お子さんを亡くされている。
戸田先生は、言われていた。「私は妻も亡くした。娘も亡くした。そして人生の苦労を、とことんなめつくした。だから会長になったのだ」
含蓄深い言葉です。

◇ひとり親だとしても
<続いて話題は「何らかの事情で、父親もしくは母親だけで子育てをしている場合」について。心掛けるべき点は何か。池田先生は語ります>

その家族の置かれている状況によって、いちがいには言えないでしょう。ただ、子どもが劣等感をもたないようにすることが重要ではないだろうか。すべて、両親がそろっているのと同じにする必要はありません。
「こんな時に父親がいてくれれば」「母親がいたら」と思うこともあるかもしれない。しかし、両親がそろっていても、自立できない甘えん坊が育ってしまうことがある。逆に、若くして親を亡くしても、立派に成長している人はたくさんいる。
子どもを育てる人が真剣に祈り、真剣に子どもを愛し、必死に生きぬけば、愛情は必ず子どもに伝わります。恵まれた環境の子よりも、たくましく強い子どもに育つこともある。
牧口先生は、幼いうちに両親と離別しています。しかし、苦労に苦労を重ねて、あれほどの偉大な人生を築かれた。釈尊もまた、生まれてすぐに、母親を亡くしている。"親がいなくても、人間は偉大になれる"と身をもって示したのです。
ふつうは"マイナス"になると思われていることも、「強い心」があるなら——私どもで言えば「信心」があるなら、"プラス"に変えていけるのです。要は、何ものにも負けない「強い心」を育むことが根本です。

◇この子が私を仏にする 「わが子よ 生まれてきてくれてありがとう!」
<病気に限らず、わが子が突然非行に走ったり、不登校になったりすることも、親にとっては、天地がひっくり返るほどショックなことでしょう。そんな時、大人の都合で表面的な解決ばかりを焦ると、かえって問題をややこしくしてしまいかねません。大事なことは「子どもの幸福」です。子どもを変えようとするよりも、大人自身が成長することです。求められているのは「子どもを信じ抜く力」にほかなりません>

「信ずる力」——仏法でも、「信力」「行力」と言うね。戸田先生は、ある時、「長男が不良で、家に帰ってこない」という悩みに答えて、こう語ったことがある。
「仏法上の根本問題は、そういう子どもを産んだ両親の宿命です。その子をじっと見た時、『この子を立派にしなければいけない。この子こそ私を仏にするのか』と拝むようになる心境こそ大切です」
親子の縁は不思議です。三世の生命観から見れば、どれほどの深い絆で結ばれていることか。その子どもが、自分に、そしてまた家族に、最高の生き方へと進むきっかけを与えてくれるのです。それを親が、どう受けとめるかで、親も子どもも、大きく人生が変わってくる。
どんな苦しみがあっても、どんな試練があっても、「わが子よ、生まれてきてくれて、ありがとう」——こう、心から言えるようになった時、親子はともに、幸福の方向へ進んでいけるのではないでしょうか。

2021年5月15日土曜日

2021.05.15 わが友に贈る

向かい風があってこそ
飛翔する力が生まれる。
苦難に挑むからこそ
鍛えと成長がある。
朗らかに日々を勝とう!

阿仏房御書 P1304
『多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり』

【通解】
多宝如来の宝塔を供養されるかと思えば、そうではありません。あなたは、わが身を供養しておられるのです。わが身がまた三身即一身の本覚の仏なのです。このように信じて、南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。その場所が、そのまま、宝塔の場所なのです。

名字の言 金工作家・宮田亮平氏がイルカの作品を作り続ける理由 2021年5月15日
東京芸術大学の学長、文化庁長官などの要職を務めた宮田亮平氏。著名な金工作家であり、東京駅の待ち合わせ場所の目印として知られる「銀の鈴」(4代目)の作者でもある▼数多くの作品の中でも有名なのは、イルカをモチーフにしたものであろう。大学受験で故郷の佐渡から上京する際、船と並行して泳ぐ群れを見たことが、きっかけだという▼多彩な作品に挑戦する中、イルカだけは繰り返し、作り続けている。なぜか。それが、目まぐるしく変化する環境にあって、自分の立ち位置を確かめる「定点」になるからだ(『イルカのごとく』新潟日報事業社)▼同じものを作り続けると、「マンネリ」に陥ることもあれば、「シリーズ」に昇華する場合もある。その違いは、取り組む自分自身の心と姿勢が"退歩"しているか、"進歩"しているかにあるのだろう▼氏も「慣れたものをつくっていれば失敗しない。でも安定したものをつくるというのは退化することだ」と述べる。私たちの「進まざるは退転」という言葉とも重なる。常に信心の原点に立ち返り、誓い新たに信行学に励みたい。氏の作品を載せた書籍を手にした。イルカの作品群のタイトルは「シュプリンゲン」。ドイツ語で「飛翔」を意味する。

寸鉄 2021年5月15日
「師子王の剛弱を嫌わずして大力を出す」御書。今を全力!これ学会精神
東京・北区の友、頑張れ!必死の一人に皆が続く。創価の北極星よ勝ち光れ
福島県女性部の日。現在の決意と行動に未来が!福光の共戦譜をつづろう
戦争は悲惨、平和は尊し。草の根の立正安国の対話更に。沖縄本土復帰の日
公明、予約の体制強化へ各地で緊急要望。国と方が連携し人知を尽くせ

〈社説〉 2021・5・15 きょう「国際家族デー」
◇心はずっと側に居続ける
きょう15日は、国連の「国際家族デー」。各国が家族に関する問題についての認識と理解を深め、解決に向けた行動を促す目的で、1993年(平成5年)に国連総会で制定された。
令和元年度の内閣府の世論調査によると、家庭の役割について「家族の団らんの場」との回答が全体の64・2%と最も多く、次に「休息・やすらぎの場」(63・8%)が多かった。
心身を充実させ、明日への活力を取り戻す――ありふれたことのようだが、家族の在り方や関係性が多様化・複雑化しつつある昨今、こうしたことが難しい現実もあろう。世論調査の結果は、ある意味、願望といえるかもしれない。
とりわけコロナ禍の今は、感染予防のために離れて暮らさざるを得なかったり、職種によっては家庭内でも接触を控える必要があったりする。自粛のストレスから虐待に走るケースも増えている。
まさに、家族のレジリエンス(困難を乗り越える力)が試されている時ともいえよう。
5月1日配信の本紙電子版「WITH あなたと」では、両親のうつ病を経験した沖縄男子部のメンバーのことを紹介した。
母に続いて父もうつ病と診断され、悩みを抱えた彼にとって、男子部の先輩が語った言葉が支えになった。
「信心は、必ず自分自身のためになる。1年後、思ってもみなかった自分になってるよ」
両親の病状が大きく変わることはなかったが、学会活動に励む中で彼の見方が変わる。
「『うつ病ではあっても親父は親父、母さんは母さん』だと思うようになった」
それまで気付けなかった両親の長所に目が向くようになり、ささいなことで笑い合えるようになった。「こんな日が来るとは思わなかった」――と。
家族がどんな状況になっても、味方になり、心は側に居続ける。時には、何も言わず見守ることも必要かもしれない。
あなたがいてくれるだけでいい――その思いが伝わった時、家族の絆は強くなるのだろう。
池田先生は家族について語っている。「さまざまな試練や課題にぶつかったりした時に、立ち返ることのできる『心の港』」と。
家族の幸せを築く「家庭革命」も、一人一人の「人間革命」から始まる。きょうは、それを考える一日としたい。

☆5月度座談会拝読御書 立正安国論
◇拝読御文
『帝王は国家を基として天下を治め人臣は田園を領して世上を保つ、而るに他方の賊来って其の国を侵逼し自界叛逆して其の地を掠領せば豈驚かざらんや豈騒がざらんや、国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か』(御書全集31ページ16行目~18行目、編年体御書169ページ15行目~17行目)

◇[池田先生の指針から]前進また前進!と快活に
個人の幸福を願うがゆえに、まず社会の平和を祈る。そのために真剣勝負で行動する。この両者を追求し、実現しゆくのが真の宗教です。
惑星の運行に譬えるならば、「一身の安堵」とは「自転」であり、「四表の静謐」とは「公転」に当たります。自転と公転が連動して、大宇宙の調和の軌道が成り立っている。どちらか一方だけということはあり得ません。(中略)
宗教本来の使命とは、個々人の幸福は当然として、広く地域・社会・国家・世界の平和と繁栄に貢献する活躍でなくてはならない。また、真実の宗教は、それだけの力ある「祈り」であり、「実践」なのです。
ただ伽藍に閉じ籠もって、わが身の安泰ばかりを祈るのは、仏法の本義では断じてない。
地球は一瞬たりとも回転を止めない。太陽も一日たりとも昇らない日はない。正しき信仰とは、「前進また前進!」「行動また行動!」と、快活に、生き生きと、人生・社会に価値を創造しゆく源泉なのであります。
私が共に対談集『地球対談 輝く女性の世紀へ』(主婦の友社)を発刊した、アメリカの未来学者のヘンダーソン博士は語られました。
「"皆にとって良い社会を築くことが、結果的に、自分にとってプラスとなる"ことを理解し、自らの生き方とすることが大事なのです」と。
「四表の静謐」のために尽くすことが、そのまま真の「一身の安堵」に通ずる。これが世界の良識が志向している人生の道です。来る日も来る日も、世のため人のため、真剣な対話と行動を重ねている創価の同志は、その素晴らしき模範です。(『御書と師弟』第2巻)

◇安穏な社会の建設へ立ち上がる使命
[キーワード①]民衆こそ国の根本
「立正安国論」の御真筆には、「国」の字の多くに、「くにがまえ(口)」の中に「民」と書く「囻」が用いられています。まさしく、「国の根本は民」であり、「民を離れて国土の安穏はない」という、日蓮大聖人の民衆根本の思想が拝されます。
民衆の幸福を実現するため、一人一人が正法を実践していくことが根幹です。それとともに、社会に大きな影響をもたらす為政者が、民衆根本の精神に立って人々に尽くしていくことが、安穏な社会を築いていく上で欠かせません。
ゆえに大聖人は、拝読御文に「帝王は国家を基として天下を治め」とある通り、為政者には国家を基盤として民衆を守る責務があることを強く訴えられています。大聖人は、たとえ相手が絶大な権力を持つ者であっても、堂々と諫めていかれたのです。
自身の幸福だけでなく、平和な社会を築くため、人々の幸福のために、積極的に社会に関わっていく。ここに仏法者の使命もあります。
主権在民の現代にあっては、国民一人一人が「国主」です。ゆえに、地道な対話によって、正法を人々の胸中に打ち立てていく行動に、「立正安国」の精神は脈動します。
本抄は、「主人」との対話で正法に目覚めた「客」が、自らも広布に生き抜く誓いの言葉で結ばれます。誠実な語らいは、必ず相手の心に変革をもたらす――。この確信を胸に、私たちもまた、友の善性を触発し、共に安穏な社会の建設に立ち上がる仏縁の拡大に挑んでいきましょう。

[キーワード②]後継の誇りを胸に
自然災害や深刻な飢饉、疫病の流行――相次ぐ災禍によって苦しむ人々を目の当たりにされた日蓮大聖人が、"断じて全民衆を救わずにはおかない"との真情で認められたのが本抄です。
拝読御文の直前で大聖人は「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る」との仁王経の文を引かれています。「鬼神乱る」とは、現代的にいえば、人間生活の基となる思想・哲学の乱れです。
社会全体を混乱させる根源の因。それは、人間の生命力を弱める"悪しき思想"であると鋭く洞察されたのです。
大聖人御在世当時、一種の「終末観」として広まっていた末法思想や、現世を「諦観」する念仏思想が広がり、人々の生きる意欲をも奪い去っていました。だからこそ大聖人は、人間を弱める誤った思想を破折し、正しき思想を広める以外に根本的な民衆救済の方途はないと、「立正安国」の大闘争を開始されました。
池田先生は語っています。
「一人一人の生命は限りなく尊極である。『生命軽視』『人間蔑視』の風潮を断じてはびこらせない。どこまでも『一人を大切にする社会』『万人の幸福を実現する社会』を築く。それが二十一世紀の立正安国の実践です」
「あの人は元気だろうか?」と思いやり、声を掛け、励ましと希望の語らいを広げることは「四表の静謐」実現への一歩一歩にほかなりません。私たちの日々の実践は、まさに大聖人の後継の証しでもあるのです。

2021年5月14日金曜日

2021.05.14 わが友に贈る

明るい声を聞くだけで
心が弾む。元気になる。
「声仏事を為す」だ。
満々たる生命力で
安心と希望を広げよう!

御義口伝巻下 P788
『始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』

【通解】
初めて自分の心が本来の仏であると知ることを、すなわち大歓喜と名づける。いわゆる南無妙法蓮華経は、歓喜の中の大歓喜である。

名字の言 5年前の熊本地震で実感したこと 2021年5月14日
大規模災害時の救急医療に携わってきたドクター部員が語っていた。ある被災地への医療派遣チームが結成された時のこと。選ばれたのは高度な技術や知識を持つ人ばかり。中には経歴を誇らしげに語る人、専門外のことには関心のない素振りの人もいた▼だが、壮絶な現場に立った瞬間、全員が変わった。「命を救いたいという医師の原点に一気に返ったんです。それから皆、必死になりました」▼被災地などの「現場」では、気取りや体裁など通用しない。人間の真価が試される。それを強く実感したのが5年前の熊本地震だった▼あの時、多くの同志が自ら被災しながらも、人を助けようと懸命に行動した。自宅が倒壊した壮年が、友の励ましに奔走していた。負傷した家族を看病しつつ、炊き出しに汗する婦人。おにぎりやパンなどの支援物資を避難者に配って歩く未来部員も。そうした友の献身が、どれほど多くの被災者の心を支えたか▼いざという時、人のために行動する。それは思う以上に容易なことではない。自らが苦境にあれば、なおさらだ。常日頃から生活の「現場」で人のため、地域のために祈り、動き、人間を磨き合う創価の友。この連帯は「危機の時代」を照らす希望の光となる。

寸鉄 2021年5月14日
「信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣」御書。我らは勝つ!強き祈りで
中野が激戦。師子は強い。恐れなし。圧倒的な拡大で勝利の峰へ駆け上れ!
初代の「地区女性部長」が前進。友に励まし届ける"幸福責任者"に福徳爛漫
就活学生の4人に1人がセクハラ被害—調査。弱みに付け込む蛮行許すな
今後の経済活動には環境の視点が必須と。家庭も個人も一体で未来を創造

☆四季の励まし 「偉大な目標」が人間を偉大に 2021年5月2日
◇池田先生の言葉
目標をもつ時、
未来の大空に太陽は輝き、
美しき希望の虹がかかる。
人生に目標があれば、
歩みの一足一足に
力があふれる。

偉大な人間だから
偉大な仕事を成し遂げ
られるのではない。
偉大な目的を目指すから、
人間は偉大になれる。

創価学会が目指す
根本の目的は何か。
それは、
人類の幸福と平和である。
自他共に
生きていること自体が
愉快で、楽しいという
境涯を開いていくことだ。
「広宣流布のため」という
最も偉大な目標に
向かって進めば、
その人自身が偉大になる。
大きな目標が、
大きな希望となる。

広宣流布は
前代未聞の大業であり、
道なき道を開き進む
労作業である。
その道を切り開くには、
人を頼むのではなく、
皆が自発・能動の信心で、
一人立つことである。
自らが目標を定め、
主体者となって取り組む
活動には歓喜がある。

昨日の自分と比べて、
今日の自分は進んだか。
先月の自分と比べて、
今月の自分は進んだか。
去年の自分と比べて、
今年の自分は進んだか。
自分と他人とを
比べるのではなく、
自分の
過去と現在と未来の前進を
比べることである。

歴史とは、
新しい一歩一歩の
積み重ねである。
遙かな未来も
「今」という
一瞬から始まる。
「今」が旅立ちの
第一歩となる。
永遠なる平和絵巻を
織りなすには、
胸中に
勇気の太陽を輝かせ、
希望の虹を描いて
「今」を勝つことだ。

【写真説明】緑の芝生とプラタナスの木々が陽光に映える。首都ロンドンから西へ36キロ。イギリス王室の居城・ウィンザー城の南側の城門の前に立つと、一本の道が真っすぐに延びていた。1991年(平成3年)6月、池田大作先生がシャッターを切った。
池田先生は同国を訪問した折、国家指導者や各界の識者らと相次いで会談し、友情と信頼の絆を結んだ。そして、その合間を縫って、同志のもとへ足を運び、渾身の励ましを送った。
「一対一の対話」こそ、あらゆる差異を超え、分断から結合へ進む「平和への大道」である。師が示したこの道を、私たちも朗らかに進もう。「広宣流布」という偉大な目標に向かって——。(1月17日付)

☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第15回 信心の姿勢について
人生は、自己との戦いの連続ともいえます。私たちが"使命の戦い"に臨む上で大切なことについて、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指導を紹介します(指導集102ページから103ページ、105ページから106ページを抜粋)。

〈祈って、祈って、勝つ〉
現実は厳しい。一番いけないのは無責任です。「御本尊を拝んでいるから、なんとかなるだろう」というのは信心利用です。祈ったならば、全力をあげて、全身全霊で、それを実現していくために戦うのが、まことの信心です。
社会で勝ち、「実証」を示してこそ、一家の勝利もあるし、広布の伸展もある。不可能を可能にする信心で、「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に」(御書1132ページ)祈って、祈って、勝つのです。
(『池田大作全集』第31巻、「法華経の智慧」)

〈朝の勤行・唱題こそ勝利の源泉〉
油断や惰性を排して、新鮮な活力で一日の仕事に臨むことが、勝利への道だ。その源泉こそ、朝の朗々たる勤行・唱題である。
それは、今いる場所で、勇気と智慧、誠実と忍耐を尽くして、「いなくてはならない人」との信頼を勝ち得ていく戦いだ。
(「大白蓮華」2008年2月号、巻頭言)

〈「冥の照覧」を信じきる〉
だれが見ていなくとも、私たちの一念・行動を、全宇宙の諸天・諸仏が見守っている。御本仏・日蓮大聖人が、すべて御覧になっている。これを「冥の照覧」というのです。
ゆえに信心は、他人に"どう見えるか"ではない。自分自身が"どうあるか""どう行動したか"である。
目には見えない「一念」と「行動」が、長い間には必ず目に見える結果となって現れてくる。長い目で見れば、その人の真実は、自然のうちに明らかになっていく。裏表のない人が最後に勝っていく。
(『池田大作全集』第82巻、SGI春季研修会でのスピーチ)

〈あとに続く後輩たちのために〉
わが誉れの同志である壮年部よ、どうせ戦うなら、偉大な目標に向かい、喜び勇んで戦おうではないか!
そして、あとに続く無数の若き後輩たちのために、威風も堂々と、すべてを勝ち切ってみせようではないか!
信仰とは、自ら選んだ最高の権利であるからだ。
(『池田大作全集』第137巻、「随筆 人間世紀の光」)

2021年5月13日木曜日

2021.05.13 わが友に贈る

他者の幸福に尽くす中に
自身の幸福も築かれる。
これが創価の生き方だ。
苦難の時こそ一人立ち
周囲を照らす太陽たれ!

種種御振舞御書 P919
『かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし』

【通解】
この日蓮をたとえ用いたとしても、敬い方が間違っていれば国は滅ぶであろう。

名字の言 婦人の読者から届いた手紙 2021年5月13日
知人らしき3人が語らいながら道を歩いていた。そのうち、1人の女性は白杖を手にしている。次の瞬間、男性が小走りで先を行った。点字ブロックの前方に落ちていた50センチほどの切り枝を、さりげなく取り払い、会話の輪に戻った▼女性も"私のために何かをしてくれた"と、場の雰囲気から察したに違いない。それでも気を使わせまいとする知人らの真心を感じ、あえて談笑を続けているようだった。互いを思いやる真情あふれる光景だった▼ある婦人から本紙に手紙を頂いた。文面には「日々、心に残った記事を原稿用紙に書き写しています」と。続く一文に目がくぎ付けになった。「左目が不自由なので、活字が大きくなりうれしいです」▼"より読みやすく"と、推進した本紙の大文字化。作り手の思いをくんで、婦人が"一文も無下にするまい"と、わずかな視力を頼りに、一文字一文字を、それこそ、わが命に刻むように書写する姿を想像すると、胸に込み上げてくるものがある▼希代のジャーナリストだったW・リップマンの文体は、「(紙よりも)石に彫りこまれるために選ばれた」と評された。本紙も、読む人の心に深く刻み込まれる記事を届け、読者と強い絆を結び合う存在でありたい。

寸鉄 2021年5月13日
皆を味方にする事が広宣流布だ—恩師。智慧と勇気は無限。今日も歴史を
東京・豊島の友が奮闘。師弟の魂刻む地に民衆の勝鬨を!正義を満天下に
苦悩はより大きな完全性への近道—哲人。悩みを成長の糧に。恐れず挑め
急な暑さやマスクによる熱中症に注意。水分・塩分補給など早め早めに対策
有罪確定議員の歳費返還へ法改正めざす—公明。庶民目線で改革の舵取れ

〈社説〉 2021・5・13 各地で頻発する「都市型水害」
◇地域の防災力を高めよう
「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより、世の中を少しなりともよくして往こうではないか」(内村鑑三「後世への最大遺物」)。日本人で唯一、パナマ運河建設に携わった青山士は、師匠・内村鑑三からこの言葉を学び、土木工学の道を志したという。
1912年(明治45年)、中米パナマから帰国した青山は、東京の抜本的な治水対策として、荒川放水路工事に取り掛かる。岩淵水門で隅田川と分岐し、東京湾へ流れ注ぐ"新たな川"を、ほぼ人力で掘り進める巨大事業。青山は「軍艦たった1艘、それで荒川の水害を除くことが出来る」と、洪水に苦しむ人々の窮状を訴え、17年間で延べ300万人以上が動員された難工事を完遂させた(『機械学会雑纂・36』参照)。
近年は河川の氾濫だけでなく、集中的な大雨で下水が逆流し、建物が浸水被害を受ける「都市型水害」が各地で頻発している。被害発生までの速さが「都市型」の特徴。速やかな安全確保の行動のためにも、事前にハザードマップで避難所を確認しておこう。道路の冠水や、マンホールから水が噴き出すことも考えられる。建物の2階以上に避難するなど、状況に応じて賢明に判断したい。
そうした災害時に重要な役割を果たすのが、地域ぐるみの「水防活動」である。東京・足立区のある地域では6年前、町会・自治会の住民が自主的に水害対策委員会を結成した。専門家のアドバイスを受けながら策定した、災害発生時の行動計画(水害コミュニティ・タイムライン)は、実践的との評価も高い。
また、荒川放水路と隣接する地域で学ぶ小学校の6年生は、「水害から命と町を守る防災マップ」を手作りで作成。身近な危険を見つめ直す内容が大きな反響を呼んだ。地域の防災力を高めていくためには、こうした"より良い社会"を目指す意識変革が不可欠だ。
後世のために奔走した青山を、教育者の南原繁博士は「縁の下の力になって、他人の幸福のために労苦する人」(南原繁「ある土木技師の生涯」)と称えた。人のために尽くす生き方を貫くところに、地域の安全の礎が築かれ、未来の希望が生まれる。まずはできることから着実に備えよう、必ず来る「いざ」という時のために。

☆御書の旭光を 第25回 大理想に生きる青春は幸福
〈御文〉
『願くは我が弟子等・大願ををこせ』(上野殿御返事、1561ページ)

〈通解〉
願わくは、わが弟子らは大願を起こしなさい。

〈池田先生が贈る指針〉
未来部の年代から師弟の道を貫いた南条時光への御聖訓である。熱原の法難も若き賢人として勇敢に戦い、同志を守った。
広宣流布という大願に生きる青春ほど、尊く強いものはない。創価後継とは、人類の幸福と平和への究極の大理想だ。
わが正義の走者よ、心は大地の如く大海の如く、大きく朗らかに伸びゆけ!

☆質問BOX 「創価」という名称には、どのような意味があるのでしょうか?
◇回答
「創価」という名称は、牧口先生と戸田先生による、師弟の対話の中で生み出されました。牧口先生の「最高の価値を創造して最大の幸福を獲得する、それが人生の目的である」という思想が基になっています。
教育者でもあった牧口先生は、全ての子どもが、自らの手で幸福を勝ち取れるように模索していました。そして、日蓮大聖人の仏法こそ、価値創造の力の源泉となると確信し、妙法を根本とした生活法を、「大善生活法」と名づけて広めていかれたのです。
池田先生は「自分の仕事や家庭、地域のなかで成長し、向上し、人間革命をしていく。『今』『ここで』最高の価値を創造していく。そのための信心です」と語られています。
「創価」の精神を胸に、日々の生活の中で自他共の幸福を創り出していきましょう。

☆みんなで学ぶ教学 第16回 価値創造
◇全てが自身を向上させる源泉に
今回の「みんなで学ぶ教学」は、「価値創造」がテーマです。日々の生活を、自分を向上させる前進の糧としていける、希望の哲理について学んでいきましょう。どうやら新入会者のカツヤくんは、帰宅の電車から降りたところのようです。

ユタカ カツヤくん、こんばんは。なんだかうれしそうな顔をしてどうしたんだい?

カツヤ あ、ユタカ支部長! こんばんは。今、帰りの電車の中で小説『新・人間革命』を読んでいたんです。

ユタカ しっかり学んでいて偉いね。通勤電車の中は、人によっていろんな過ごし方があるよね。

カツヤ はい。今までは、なんとなく、ぼーっと過ごしていたんですけど、男子部の会合で、多忙な中、工夫しながら資格試験の勉強をしている人の話を聞いたことを、思い出したんです。
だから僕も"学ぶ時間をつくろう"と思って、『新・人間革命』を読むようにしました。通勤の時間は、実はけっこう価値的な時間になりますね。

ユタカ なるほど。カツヤくんは、電車で通勤する時間を、学びの時間に「価値創造」したんだね。

カツヤ そ、そんなにすごいことしているとは思いませんが……。そういえば、創価学会の「創価」って、「価値創造」という意味でしたっけ?

ユタカ その通りだよ。"教育の目的、そして人生の目的は幸福の追求にあり、その実体は価値の創造である"という、牧口先生の思想が込められた言葉なんだ。

カツヤ 深い意味があるんですね。

ユタカ 牧口先生は「価値は発見又は創造せらるべきものである」とつづられているんだ。どんなことでも、"価値あるもの"にしていける人が、幸福な人生を築いていけるんだよ。

カツヤ どんなことでもですか?

ユタカ もちろん。日蓮大聖人は「仏の名を唱え、経巻を読み、仏前に華を散らし、香をたくことも、その全てが、自分の一念に納まっている功徳善根であると信心をとっていくべきである」(御書383ページ、通解)と仰せなんだ。
同じことをするにも、漫然と行うのと、目的をもって行うのとでは、天地雲泥の差があるんだ。
信心の実践は、全て自身の福徳となっていく——その心で広宣流布にまい進する人は、どんなことでも人間革命の糧としていけるんだよ。

カツヤ なるほど。男子部の先輩が、さまざまな活動に「意味がある」ってよく言うのはそういうことなのかなあ。嫌々やるのと、喜んでやるのとでは全然ちがいますね。

ユタカ そうだね。日々の生活では、いいことばかりが起きるわけじゃない。むしろ大変なことや、つらいことの方が多いかもしれない。でもそれら全てを"あの経験があったから今がある"と、「意味のあること」にしていけるのが仏法なんだ。
池田先生は「『創価』とは、希望の異名です。人間にとって免れ難い、病という根本苦さえも、忌み嫌うものでなく、自身を向上させゆく『人間革命』の源泉へと、価値創造していく力です」と語られているよ。

カツヤ そういうことなんですね。入会した時、学会員の皆さんは、日常の中で起きるさまざまなことを、とても前向きに捉えているなと、驚いたことを思い出しました。

ユタカ だから学会の会合は明るいんだよね。
そういえば、ちょうど、読書の時間をどうやってつくろうか、考えていたんだ。よし! 私も通勤の時間を活用していこうと決めたよ。ここでカツヤくんに会えたことに、意味があったね。

カツヤ 僕もユタカ支部長に会えて、元気をもらった気がします。とっても価値的な時間でした。

☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第14回 聖教新聞の使命とは
聖教新聞は、人間主義の機関紙として1951年(昭和26年)4月20日に創刊され、今月で70周年を迎えます。仏法の哲学の光で時代を照らしゆく聖教の使命について、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から、池田先生の指導を紹介します(指導集176ページから178ページを抜粋)。

〈幸福への道が書かれている〉
仏法では、文字の持つ力が最大に重視されている。
「滅せる梵音声(=仏の声)かへって形をあらはして文字と成って衆生を利益するなり」(御書469ページ)
衆生を救わんとする仏の魂が脈打つ肉声の響きが、そのまま形となって留められたものが、経文の文字である。(中略)
釈尊、そして大聖人の仏意に直結し、妙法に連なる一字また一字を、正義の金文字として発信していくのが、「聖教新聞」である。
戸田先生は、関西の天地で宣言された。
「世の中が不幸であることはよくわかる。では、どうすれば幸福になれるか。誰も、何も答えていない。しかし、聖教新聞には幸福への道が書かれている。こんな新聞はほかにはありません」と。
「聖教新聞」は、今日も——
「大地の如く」幸福の価値を創造するのだ。
「大海の如く」世界を平和へリードしていくのだ。
「日月の如く」人類の心を希望と正義で照らしていくのだ。
(『随筆 我らの勝利の大道』)

〈仏縁の拡大になる〉
私と妻は、常に率先して、聖教新聞の拡大を行ってきた。
御聖訓には、「仏は文字によって人々を救うのである」(御書153ページ、通解)、「(法華経の)文字変じて又仏の御意となる」(同469ページ)などと説かれている。
聖教新聞の拡大は、即、仏縁の拡大であり、広宣流布への大折伏の意義があることを、知っていただきたい。
(本紙2007年8月15日付、全国最高協議会でのスピーチ)

〈師の偉業を後世へ〉
真実ほど強いものはない。民衆の正義の声にかなうものはない。
それを広く伝え、永遠に残すのは、活字の力である。
戸田先生は、口ぐせのように言われていた。「私は聖教新聞を、日本中、世界中の人に読ませたい。それ自体が、仏縁を結ぶことになる」
戦後、戸田先生の事業が絶体絶命の苦境の中で、聖教新聞は構想された。先生は、折伏と聖教の拡大を、広宣流布の両輪と考えておられた。
その心を知る私は、来る日も来る日も、大勇猛心を奮い起こし、力の限り、書いて書いて書き続けてきた。先生の偉業を、わが命にかえても、後世に留めるために。
自らも聖教を配り、購読を推進してきた。(中略)
私と妻は、無冠の友の健康と無事故を、毎日、真剣に祈っている。尊き新聞長の皆さん、通信員の方々、聖教を支えてくださる全ての皆様方に心から感謝を捧げたい。
(本紙2012年2月12日付「名誉会長と共に 今日も広布へ」)

2021年5月12日水曜日

2021.05.12 わが友に贈る

「未来の果」は
「現在の因」にある。
創意工夫を凝らして
きょうを全力で歩み
新たな価値を生み出そう。

四信五品抄 P339
『教弥よ実なれば位弥よ下れり』

【通解】
(妙楽大師の釈)「教えがいよいよ高く優れるほど、その教えを修業する人の位はいよいよ低くなる」

名字の言 「つながり」が「生きる力」に 2021年5月12日
10日から始まった今月の「励まし週間」(16日まで)。ある地域では「つながろう週間」として、心と心を結ぶ語らいに取り組む▼リーダーが組織の最前線に励ましを送るのはもちろん、一人一人が自らの人間関係を中心に「つながる」行動を起こす。コロナ禍の現在は電話、手紙のほか、メールやLINEなどのSNSも駆使。相手の了解を得て直接、会う場合は、感染対策を徹底して短時間で臨む▼ある壮年は8年前に妻を亡くし、1人暮らしに。妻に先立たれると、残された夫の死亡率は高くなると聞いた。その後、67歳で退職を迎えた壮年は、人間関係が狭まる危機感を覚えて、「つながる」行動を開始した▼進んであいさつし、地域活動に積極的に顔を出した。誰もが自由な雰囲気で語り合える場として自宅を開放。「一年中、つながろう週間みたいなものです」。2年前、大病を患ったが、「つながりが生きる力」になった。72歳の今、地域の親睦団体の会長を元気に務める▼励まし週間が終わると、伝統の座談会が始まる。「伝統」なのは、長年、続いているからだけではない。学会は、座談会を根本に「一人」を大切にしてきた。この心こそが伝統なのだ。励まし週間も、一段と伝統を輝かせていきたい。

寸鉄 2021年5月12日
信心で越えられぬ難など断じてない—戸田先生。さあ確信の祈りから出発
目黒が勇戦。共々に壁破り勝つ。これ誉れの伝統。知恵と執念で拡大今こそ
「城の主剛ければ守る者も強し」御書。率先が広布の魂。前進の劇を私から
国際看護師の日。最前線で命に寄り添う白樺の友に感謝。全同志が大声援
投資話のトラブル急増。「絶対儲かる」等の甘い話には裏が。鋭く見抜け

〈社説〉 2021・5・12 「看護の日」「国際ナースデー」
◇感染しない努力がエールに
新型コロナウイルスの変異株が急激な広がりを見せ、緊急事態宣言も拡大・延長された。
先月、コロナ感染から回復した夫婦に話を聞いた。症状は、発熱と倦怠感、息苦しい咳、味覚・嗅覚障害で軽症だったが、"いつ重症化するか……"という怖さがあったそうだ。職場や周囲への影響、子どものことを人に頼れない負担も抱えた。
それだけに、看護師の「苦しかったですね。安心して病院に来てください」「お子さんの学校のことも心配ですね」といった言葉が心にしみたという。
看護とは、病人やけが人の手当てや世話をすることだが、「慈しみの心をもって見守る」との意味も。
患者を取り巻く環境に想像を巡らせ、不安な心に寄り添う看護師の存在は、コロナに立ち向かうための"生命線"ともいえよう。看護師の献身に心から感謝しつつ、より一層、感染予防に努めたい。
その看護師は今、どんな現実に直面しているのか——。
防護服を身に着けての発熱外来やPCR検査、入院患者の対応、1件につき30分以上かかる電話での聞き取り等々、かつては無かった業務が増えている。
"いつ自分も感染するか分からない"という緊迫感の中、24時間体制の勤務。外出自粛を徹底し、家族と離れて暮らす人も。労働環境の過酷さに、離職者も後を絶たない。コロナの影響で外来患者数が減少し、医療従事者の収入が減っているケースも少なくない。
日本看護協会の福井トシ子会長は、「使命感だけでは、すでに限界に近づいている」と、昨年末の時点で訴えている。
未知のウイルスは、�疾病を引き起こす生物学的感染症�「不安や恐れ」を生じさせる心理的感染症�不安や恐怖が生み出す「嫌悪・差別・偏見」が行動となって表れる社会的感染症——"三つの感染症"を引き起こすといわれる。看護職は、その影響を強く受ける。
コロナ禍は社会全体で立ち向かう「共通の課題」である。感染者や医療従事者への差別はもってのほか。互いに支え合う心が必要だ。
きょう5月12日は「看護の日」「国際ナースデー」。新規感染者を一人でも減らすことが、看護職に携わる方へのエールとなる。
マスクの着用、手洗いや消毒の励行、小まめな換気など、あらためて基本に徹し、それぞれの立場で、できる努力を続けていきたい。

☆「新・人間革命」は希望の光源 第7回
◇日蓮仏法は「立正安国の宗教」
〈1971年(昭和46年)6月6日、初代会長・牧口常三郎の生誕百年に際し、山本伸一は、先師の死身弘法の大闘争をしのんだ〉
日蓮仏法の最たる特徴は、「広宣流布の宗教」ということにある。
つまり、妙法という生命の大法を世界に弘め、全民衆の幸福と平和を実現するために生きよ。それこそが、この世に生を受けた使命であり、そこに自身の幸福の道がある——との教えである。
したがって、自分が法の利益を受けるために修行に励むだけでなく、他人に利益を受けさせるために教化、化導していく「自行化他」が、日蓮仏法の修行となる。
大聖人は「我もいたし人をも教化候へ」「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(御書1361ページ)と仰せである。ゆえに、唱題と折伏が、仏道修行の両輪となるのだ。
そしてまた、日蓮仏法は「立正安国の宗教」である。
「立正安国」とは、「正を立て国を安んずる」との意義である。
正法を流布し、一人ひとりの胸中に仏法の哲理を打ち立てよ。そして、社会の平和と繁栄を築き上げよ——それが、大聖人の御生涯を通しての叫びであられた。
一次元からいえば、「立正」という正法の流布が、仏法者の宗教的使命であるのに対して、「安国」は、仏法者の社会的使命であるといってよい。
大聖人は「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(同31ページ)と仰せになっている。「四表の静謐」とは社会の平和である。現実に社会を変革し、人びとに平和と繁栄をもたらす「安国」の実現があってこそ、仏法者の使命は完結するのである。(第15巻「開花」の章)

◇御本尊への「祈り」から始まる
〈1978年(昭和53年)1月、愛媛滞在中の山本伸一は、松山支部の結成18周年記念勤行会で指導した〉
彼は、この席では、強盛なる祈りの大切さについて訴えておこうと思った。
信心の世界は、すべてが御本尊への祈りから始まるからである。祈りなき信仰はない。祈りなき幸福もない。祈りなき広宣流布の勇者もいない。
「私どもが幸福になるために、肝要なものは、日蓮大聖人が『湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(御書1132ページ)と仰せのように、強盛な信心です。強い祈りです。叶わぬ願いは断じてないとの確信です」
信仰とは、不信、すなわち揺らぐ心との精神の闘争である。"自分など、幸せになれないのではないか。何もできやしないのだ"といった心の迷い、弱さを打ち破り、胸中の妙法を涌現させ、絶対的確信を打ち立てる戦いであるといってよい。
伸一は訴えた。
「不況の時代です。それだからこそ、強盛な信心を奮い起こし、いかなる苦境のなかにあっても、生活のうえで、職場や地域で、確たる信心の実証を示してください。
御書に『一切の法は皆是仏法なり』(562ページ)とあります。ゆえに私たち仏法者は、正法を信じ、行ずる功徳を、社会にあって、開き示していく使命があるんです。
そのために、信心を根本に、それぞれの分野において、人一倍、研究、努力、工夫を重ねていっていただきたい。
また、人間として自らを鍛錬し、人格を磨き、皆から信用、信頼される人間関係をつくり上げていくことが大事です。人間は、人間についていくんです。誰が見ても、感じのいい人、誠実な人、人格高潔な人、温かい人には、人はついていきます。そういう人であれば、商売もうまくいくでしょうし、仏法の話にも、皆が耳を傾けるでしょう。
(中略)
したがって、仕事の面でも、広宣流布の活動においても、一切のカギを握るのは、自身の人間革命であり、人格革命であることを、訴えておきたいのであります」(第26巻「法旗」の章)

◇わが行動で触発を与えるリーダーに
〈山本伸一は1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」の折、年頭から大阪に向かい、以来、何度となく関西指導を重ねていく〉
彼には、勝利を収めるために、自らに課していた鉄則があった。
それは、"人を頼み、人にやらせようなどと、絶対に考えてはならない。すべて、自らが率先し、自らが動くことによって、波動を起こしていくのだ"ということであった。
(中略)
彼は、まず、大阪中をくまなく回り、同志の激励に奔走した。会員から自転車を借りて、動くことも多かった。時には、その自転車がパンクしてしまい、夜道を引いて帰らねばならぬこともあった。
小さな小さな家々が軒を連ね、狭い路地で魚を焼く煙が立ち込める地域も回り、同志を激励した。果てしなく田畑が続く地域にも足を延ばした。
(中略)
勝利への力は、魂の触発にある。自身の燃え盛る生命が、同志の生命を燃え上がらせるのだ。伸一の敢闘を目の当たりにして、関西の幹部たちは深く思った。
"これが、ほんまのリーダーなんや。生命を削って戦うから境涯革命があるんや。やったろやないか!"
山本伸一の率先垂範の行動が、全同志を触発し、共に戦う何人もの"山本伸一"をつくり出していったのである。
共感することによって、行動するのが人間である。(中略)
率先垂範のリーダーは、自らの行動を通して人に触発を与え、人びとの"やる気"を引き出し、皆の自主性、自発性を呼び覚ましていく。
ゆえに、その組織は、明るく、歓喜にあふれ、上昇気流に乗るように、勝利への流れがつくられていくのだ。(第23巻「勇気」の章)

☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第13回 わが"黄金の時"は今!
1966年(昭和41年)3月5日に結成された壮年部は、今月、結成55周年を迎えました。結成式の模様は、小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」の章に詳しく描かれています。その時の山本伸一のスピーチなど、壮年部への万感の期待について、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から紹介します(指導集138ページから140ページを抜粋)。

〈師と共に立ち上がる〉
「壮年部の皆さんは、これからが、人生の総仕上げの時代です。壮年には力がある。それをすべて、広宣流布のために生かしていくんです。大聖人は『かり(仮)にも法華経のゆへに命をすてよ、つゆ(露)を大海にあつらへ・ちり(塵)を大地にうづ(埋)むとをもへ』(御書1561ページ)と仰せです。
死は一定です。それならば、その命を、生命の永遠の大法である、法華経のために捨てなさい。つまり、広宣流布のために使っていきなさい——と、大聖人は言われている。それこそが、露を大海に入れ、塵を大地に埋めるように、自らが、妙法という大宇宙の生命に融合し、永遠の生命を生きることになるからです。
一生は早い。しかも、元気に動き回れる時代は、限られています。壮年になれば、人生は、あっという間に過ぎていきます。
その壮年が、今、立たずして、いつ立ち上がるんですか! 今、戦わずして、いつ戦うんですか! いったい、何十年後に立ち上がるというんですか。そのころには、どうなっているか、わからないではありませんか。今が黄金の時なんです。限りある命の時間ではないですか。悔いを残すようなことをさせたくないから、私は言うんです!」(中略)
「牧口先生が信心を始められたのは57歳です。戸田先生が出獄され、広宣流布にただ一人立たれたのは45歳です。いずれも、壮年時代に一大発心をされ、広宣流布の戦を起こされた。それが、わが学会の伝統です。
私もまた、壮年部です。どうか、皆さんは、私とともに、学会精神を根本として雄々しく立ち上がり、創価の城を支えゆく、黄金柱になっていただきたいのであります」
(小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」)

〈周囲を「励ます力」〉
壮年の「壮」の字には、「勢いが盛ん」「意気に燃えている」等の意味があり、ほかにも「元気づける」という意もある。「壮行」といえば、前途を祝し励ましを贈ることである。つまり自分だけでなく、周囲を励ます力を持つのが「壮年」とはいえまいか。
青年を励ます壮年の言葉には、真心の思いやりがあり、心からの期待があり、経験を重ねた確信がある。(中略)
我ら壮年は、自らが礎となり、石垣となり、柱となって、永遠に崩れざる人材城を築き上げ、青年たちに譲り託していくのだ。いかに時代が揺れ動こうとも、厳然と勝利へ指揮を執っていくのだ。これほど不滅の人生はない。
(本紙2012年8月31日付、「随筆 我らの勝利の大道」)

2021年5月11日火曜日

2021.05.11 わが友に贈る

激動の時代だからこそ
読書と思索のいとまを!
溢れる情報に紛動されず
物事の本質を見つめる
「賢明な眼」を養おう!

教機時国抄 P438
『謗法の者に向つては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり』

【通解】
謗法の者に対しては、ひたすら法華経を説くべきです。それは毒鼓の縁を結ぶためなのです。

名字の言 学習効率の実験で判明したこと 2021年5月11日
どうすれば一度勉強したことを忘れずにいられるのか。誰しも考えたことがあるテーマだろう▼ワシントン大学のジョン・ネストイコ博士がこんな実験をした。被験者を二つのグループに分けて同じ教材を学習してもらう。事前に一方には「後でテストをします」と言い、もう一方には「後で別の人に教えてもらいます」と伝える。実際には両グループに同じテストをしてもらったのだが、後者の方が好成績だったという。"誰かに教えるという心構えがあるだけで学習効率が高くなる"と博士は言う▼自らの経験を振り返り、得心する人も少なくあるまい。人は誰かに教えることを通して、自分の理解不足に気付いたり考えを整理したりする。思想家ジュベールの言葉に「教えることは、二度学ぶこと」(大塚幸男訳)とある通りだ▼仏法も「学ぶ」と共に自ら「語る」ことを重んじる。御書には「行学の二道をはげみ候べし」(1361ページ)と。「あの友に信心や学会の素晴らしさを伝えるには、どうすればいいのか」と祈り、研さんを重ねる人の"学び"は、深く豊かなものとなるに違いない▼人間革命の第一歩は「まず語ろう!」との決意から。「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(同ページ)である。

寸鉄 2021年5月11日
「常にかたりあわせて」御書。悩みも喜びも共有。今こそ創価家族の絆強く
滋賀女性部の日。慈悲と勇気の連帯!不安を希望に変える聡明な声掛けを
人生は100年時代。豊かな人間関係が幸福築く鍵の一つと。学会活動が宝に
金払えば優先接種—行政機関等装うワクチン詐欺多し。絶対に騙されるな
SDGsの認知度が前年比で倍増も実践は今一歩と。若者が率先し変革へ

☆「新・人間革命」は希望の光源 第6回
◇"悲惨"の二字無くすための実践
〈自然災害や疫病が猛威を振るい、国際情勢も不安定だった1961年(昭和36年)。この年の8月、山本伸一は夏季講習会で「立正安国論」を講義した〉
「世の中の繁栄と平和を築いていく要諦は、ここに示されているように、社会の安穏を祈る人間の心であり、一人ひとりの生命の変革による"個"の確立にあります。
そして、社会の安穏を願い、周囲の人びとを思いやる心は、必然的に、社会建設への自覚を促し、行動となっていかざるを得ない。
創価学会の目的は、この『立正安国論』に示されているように、平和な社会の実現にあります。この地上から、戦争を、貧困を、飢餓を、病苦を、差別を、あらゆる"悲惨"の二字を根絶していくことが、私たちの使命です。
そこで、大事になってくるのが、そのために、現実に何をするかである。実践がなければ、すべては夢物語であり、観念です。
具体的な実践にあたっては、各人がそれぞれの立場で、考え、行動していくことが原則ですが、(中略)たとえば、人間のための政治を実現するためには、人格高潔な人物を政界に送るとともに、一人ひとりが政治を監視していくことも必要です。
(中略)その目的は、教団のためといった偏狭なものではなく、民衆の幸福と世界の平和の実現です。
また、そうした社会的な問題については、さまざまな意見があって当然です。試行錯誤もあるでしょう。しかし、根本は『四表の静謐』を祈る心であり、人間が人間らしく、楽しく幸福に生きゆくために、人間を第一義とする思想を確立することです。
さらに、その心を、思想を深く社会に浸透させ、人間の凱歌の時代を創ることが、私どもの願いであり、立正安国の精神なのです」(第4巻「立正安国」の章)

◇"青年に託す"が「3・16」の精神
〈1977年(昭和52年)3月、福島県滞在中の山本伸一は、3・16「広宣流布記念の日」の意義を込めて開催された、福島県青年部の集会に参加した〉
「『広宣流布記念の日』の淵源となった昭和三十三年(一九五八年)三月十六日、つまり『3・16』の儀式というと、時の総理大臣が来る予定であったことが、語り継がれておりますが、それは、決して本質的な問題ではなかった。戸田先生は、そんなことよりも、次の時代の一切を青年に託すという、いわば付嘱の儀式を行おうとされたんです。
(中略)
戸田先生と師匠の牧口先生とは、二十九歳の年の開きがあった。軍部政府の弾圧によって、共に投獄されたお二人は、逮捕された年の九月、警視庁の二階ですれ違った。
戸田先生は『先生、お丈夫で!』と声をかけるのが精いっぱいであり、牧口先生は、頷くことしかできない。それが、最後の別れとなった。
しかし、この瞬間が、師から弟子への、広宣流布のバトンタッチでもあった。
牧口先生は獄中で亡くなられたが、戸田先生は、生きて獄門を出られ、第二代会長になられると、会員七十五万世帯の達成を誓願された。
その大誓願を果たされた戸田先生は、昭和三十三年(一九五八年)三月には、憔悴しきっておられた。
先生と私とは、二十八歳の年の差がある。牧口先生が、戸田先生に広宣流布のバトンタッチをされたように、戸田先生は、未来のために、広宣流布の一切を、私をはじめとする青年たちに託された。それが、あの六千人の青年が集った『3・16』の儀式なんです。
次の広宣流布の流れは、青年につくってもらう以外にない。そして、さらに若い世代が、次のもっと大きな拡大の流れをつくる。その永続的な戦いが広宣流布なんです。
したがって、後継者が臆病であったり、力がなく、自分たちの世代に、仏法流布の流れを開いていくことができなければ、広宣流布の未来も、学会の未来もなくなってしまう。(中略)広宣流布は諸君に託すしかない。私は、君たちのために、すべてを注ぎ尽くします。命をも捧げる思いでおります」(第25巻「福光」の章)

◇苦難に打ち勝つ"能忍の心"を
〈広布第二章の「支部制」の実施とともに、青年部の本格的な育成を決意した山本伸一は、1978年(昭和53年)3月4日、東京青年部の集いに出席した〉
この日の指導で伸一は、戸田城聖が学会の後事の一切を青年に託した、3・16「広宣流布記念の日」の模様などを述べるとともに、「能忍」について語った。「能忍」とは仏のことで、悪世の娑婆世界に出現して、よく耐え忍び、慈悲をほどこすことをいう。
「諸君は若い。長い人生にあっては、これからも、苦しいこと、嫌なこと、辛いこと、悲しいことが、たくさんあるでしょう。私たちは悪世末法に生き、広宣流布していこうというんです。苦難があって当然です。
日蓮大聖人が、『山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし』(御書202ページ)と仰せのように、苦難の連続が広宣流布の道であり、また、人生であるといっても過言ではない。そのなかで戦い、勝利していくことによって、煩悩即菩提、生死即涅槃の原理を証明し、大聖人の仏法の正法正義を示していくことができるんです。
人の一生は、波瀾万丈です。勤めている会社が倒産したり、病に倒れたり、愛する家族を亡くしたりすることもあるかもしれない。しかし、たとえ、苦難に打ちのめされ、社会での戦いに、ひとたびは負けることがあったとしても、信心が破られなければ、必ず再起できます。最後は勝ちます。わが人生を勝利していくための力の源泉が信心なんです。そして、それには『能忍』、よく耐え忍ぶことが大事なんです」
人間を無力にしてしまうものは、"もう駄目だ!"というあきらめにある。それは、自らの手で、自分に秘められた可能性の扉を閉ざし、精神を閉じ込めてしまうことにほかならない。あきらめこそが、敗北の因である。
信仰とは、絶望の闇を破り、わが胸中に、生命の旭日を昇らせゆく力である。(第26巻「奮迅」の章)

2021年5月10日月曜日

2021.05.10 わが友に贈る

◇今週のことば
「戦う勇気」の中に
人生の幸福も
広布の凱歌もある。
強き祈りで壁を破れ!
「賢者はよろこび」と。
2021年5月10日

御義口伝 P721
『御義口伝に云く大悲とは母の子を思う慈悲の如し今日蓮等の慈悲なり』

【通解】
御義口伝には、次のように仰せである。「大悲」とは、母親が子を思う慈悲、慈愛の念のごときものであって、今日蓮大聖人の慈悲こそ、一切衆生をあくまで救いきっていこうという大慈悲なのである。

名字の言 注目の「オープンダイアローグ」 2021年5月10日
近年、精神医療で注目される「オープンダイアローグ」。フィンランドで生まれた手法で「開かれた対話/対話を開く」との意だ▼この取り組みでは、困難を抱えた人と医療者や家族など、複数の人がその場で一緒に対話する。困難は当人の問題だけでなく、取り巻く環境や周囲との関係性も影響しているからだ▼日本の医師では昨年、2人がトレーナー資格を取得。その1人、森川すいめい氏は「評価したり断定したりせずに、その人をそのまま理解しようと努める」ことを強調する。さらに、"こうした方がいいのに"と自分の考えを押し付けるのではなく、"私はこう思うけど、あなたの考えはどう?"との問い掛けが大切だという(『感じるオープンダイアローグ』講談社現代新書)▼対話で答えを導くことよりも、対話することそれ自体に意味がある。また、直接会って話す対話もあれば、手紙やSNSなど文字による対話もある。どのような形であれ、自分と異なるものから学ぼうとする「開かれた心」があってこそ、対話は成立するものであろう▼コロナ禍の今、精神の閉塞を防ぐ最大の予防薬は「人」ではないだろうか。苦難の中にある人に寄り添い、語り合うこと。それこそ、仏法者の使命である。

寸鉄 2021年5月10日
危機の社会に連帯の心を広げる学会に期待—博士さあ絆結ぶ励ましを益々
どんな事があろうと勝つと決めるのが信心—恩師この一念に前進の智慧も
激動の今こそ報告・連絡・相談を密に。幹部は皆がすっきりと進める指揮を
学びや成長に興味ない人は幸福度も低い—研究。目標を明確に挑戦の一歩
連休明けは子の心が不安定になりやすいと。まず声に耳を。SOS逃すな

〈社説〉2021・5・10 半世紀刻む"トインビー対談"
◇不屈の楽観主義で未来を開く
イギリス青年部には「ニューセンチュリー・グループ」という集いがある。池田先生とイギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビー博士との対談集『21世紀への対話』を学ぶもの。人類的課題の解決への慧眼に、青年たちは深い啓発を受けているという。
1972年と73年、合わせて約40時間に及んだ両者の対談では文明の未来、生命論、環境論、女性論、国際情勢、教育と宗教など多彩なテーマについて論じられた。
対談集は、これまで29言語に翻訳。「まるで現代の百科事典のようだ」(オックスフォード大学のウィルソン名誉教授)、「すでに(高い評価の定まった)『古典』の中に入った」(モスクワ大学のサドーヴニチィ総長)等、世界の識者から高く評価されている。
両者の最初の対談から明年5月で50周年を迎えるが、21世紀に人類が進むべき道を展望した視座は一段と光彩を放っている。
トインビー博士の歴史観の一つの結論は「挑戦と応戦」の理論である。「文明というものは、つぎつぎに間断なく襲いきたる挑戦に対応することに成功することによって誕生し、成長するものである」(深瀬基寛訳『試練に立つ文明』社会思想社)と記している。
そして、池田先生との対談では、"人間生命の貪欲と慢心を克服する「自己超克」こそが宗教の真髄であり、人類の危機への唯一の効果的な応戦になるものと信じる"と語った。これを受けて池田先生は、"利他の実践の中に無上の喜びを感じていくような自己を確立していくことが大乗仏教の本質である"と応じている。
コロナ禍もまた、現代文明に対する未曽有の"挑戦"であろう。いかに"応戦"するかが問われる今、世界中の同志が、師弟の魂を燃やし、新たな価値を創造しながら、利他の行動を重ねている。その根底にあるのは、人類の行く末を悲観的に見つめるのではなく、人類はいかなる"挑戦"にも"応戦"していけるとの"池田・トインビー対談"に脈打つ不屈の楽観主義にほかならない。
トインビー博士と2度目の対談のために訪英した73年。先生は現地の友へつづった。「君よ、勉強を忘るるな 君よ、笑顔を忘るるな 君よ、20年先を忘るるな」と。
私たちは、不屈の楽観主義で、共に学び、どこまでも朗らかに、未来を開いていきたい。

☆御書の旭光を 第24回 真心の交流こそ活力の源泉
〈御文〉
『三月一日より四日にいたるまでの御あそびに心なぐさみて・やせやまいもなをり・虎とるばかりをぼへ候上・此の御わかめ給びて師子にのりぬべくをぼへ候』(莚三枚御書、1587ページ)

〈通解〉
3月1日から4日までのお見舞いに心も慰められ、痩せる病もよくなり、虎を捕らえるほど元気になったところへ、この御わかめを頂戴し、獅子にでも乗れる勢いを得ました。

〈池田先生が贈る指針〉
御書には「人の振る舞い」の極致が光る。
真心に真心で応える生命の交流から、尽きせぬ勇気と活力を広げる。これが、御本仏の御照覧のもと、創価家族が築き上げてきた「人間共和の世界」だ。
互いに仏の如く敬い、共に励まし合って広布の前進を。"虎を捕らえるほどに""獅子に乗ったように"満々たる生命力で!

☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第2回 師弟誓願の祈り
四条金吾殿御返事(八風抄)
『だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし、又だんなと師とをもひあひて候へども大法を小法をもって・をかしてとしひさしき人人の御いのりは叶い候はぬ上、我が身も・だんなも・ほろび候なり』(御書1151ページ14行目〜16行目)

◇池田先生の講義から
師匠と弟子が誓願を同じくして祈っていくことが、日蓮仏法の真髄です。
◆◇◆
具体的には"師匠ならどうされるだろう""今こそ弟子として立ち上がる時だ"と、求道の心で唱題することです。
「御義口伝」に「師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(御書748ページ)と仰せのように、師弟不二の信心で唱える題目こそ、真の師子吼です。その時、自分自身に本来具わる無量の智慧と力が自在に発揮できるのです。
◆◇◆
何を願い、何を祈り、何を誓って生きるのか。その奥底の一念が自分自身を創り上げていきます。
わが生命を、広宣流布という師弟の誓願で染め抜いていくことです。この師弟直結の信心を教えているのが創価学会の精髄です。
ここにこそ、地涌の菩薩の生命の目覚めがあり、仏界の生命の顕現もあるのです。
◆◇◆
「師弟の道」を、「師弟不二の道」へ、より一重、深めていくのが日蓮仏法の大道です。久遠以来の師弟の約束を果たすのは、どこまでも弟子の使命なのです。
(「大白蓮華」2021年2月号から)

前島和男 総東京青年部長
◇今こそ弟子が立ち上がる時!
「人間として使命を果たすことができない、これが結局、人間の唯一の不幸なのである」(『カーライル選集3 過去と現在』上田和夫訳、日本教文社)
創価大学の学生時代に創立者・池田先生から贈られた、イギリスの歴史家カーライルの箴言です。
自分の使命とは何か——。何度も思索を重ねてきました。
池田先生は、今回学ぶ「四条金吾殿御返事」を通し、弟子が師と同じ誓願に立ち、祈っていくことが日蓮仏法の真髄であると教えてくださっています。
今こそ、本陣・総東京の青年部が、師弟直結の信心に立ち、民衆勝利の新時代を告げる勇気の拡大へ、打って出ていきたい。

◇「思いを合わせる」
本抄の別名は「八風抄」。主君からの領地替えの命令に従わなかった金吾のことを、同僚が主君に讒言し、金吾は窮地に陥ります。その金吾に対して、利(利益・繁栄)・衰(勢力の衰退)・毀(名誉が傷つけられること)・誉(名声・栄誉)といった八風に左右されない人を賢人というのだと述べられ、師弟不二の祈りの重要性を記されています。
人は得てして自分中心になりやすいからこそ、小さな境涯を打ち破る師匠中心の祈りが必要なのです。
先生は、「苦境を打開し、宿命を転換するにあたって、大聖人が強調されたのは、師弟の『思いを合わせる』ことでした。師匠と心を合わせる祈りこそ、無敵だからです」と講義されています。
「思いを合わせる」とはどういうことか。それを実感させていただいたのが折伏の実践の中でした。
学生部時代、かつてない唱題で「友のため」と一念が定まった時、初の弘教が実りました。歓喜の波動は広がり、メンバーも次々と弘教を成就。広布誓願の祈りを貫く時、皆に勇気が漲り、「鬼に・かなぼうたるべし」(御書1124ページ)との御聖訓を心から実感させていただきました。
こんなにも生命が躍動し、自他共の幸福を実現する折伏の実践を、池田先生は全世界へ弘めてこられたのかと、師匠の偉大さに命が震えました。地涌の菩薩として、師弟一体の広布の使命に目覚めることが、「思いを合わせる」ことだと確信しました。
以来、"もっと先生のことを求め、命を磨こう"と、目の前の学会活動に全力で挑戦してきました。揺れ動く小さな自分の殻を破り、師弟の誓願に生き抜くことこそ、自身の使命であり、幸福な人生であると決意した原点です。

◇師の心を胸に
さらに先生は講義の中で、「『師弟の道』を、『師弟不二の道』へ、より一重、深めていくのが日蓮仏法の大道です」と教えてくださっています。
思い起こすのは、65年前の「大阪の戦い」です。億劫の辛労を尽くし、恩師・戸田先生の一念に深く合一した池田先生の陣頭指揮によって、「まさかが実現」といわれた金字塔が打ち立てられました。先生は小説『人間革命』で、次のように記されました。
「師の意図が、脈動となって弟子の五体をめぐり、それが自発能動の実践の姿をとる時、初めて師弟不二の道を、かろうじて全うすることができる。師弟に通い合う生命の脈動こそ、不二たらしめる原動力である」
総区男子部長時代、「大阪の戦い」をはじめ、個人指導に率先された先生の戦いに学び、勇んで実践。会合に参加できなくとも仕事で奮闘している方や、人知れず悩みを抱えながら頑張っている同志に出会いました。その中で、常にこうした方々に心を配り、徹底して一人を大切にされてきた池田先生の真心に気付いたのです。
師の心を胸に、全部長のもとへ足を運ぶと、組織に歓喜の息吹が漲り、東京一の弘教を成し遂げることができました。師匠に呼吸を合わせれば、全てが感激となって必ず広布の突破口は開かれると確信します。
栄光の「5・3」から、青年の月・7月へ。池田先生に手塩にかけて育てていただいた本陣・総東京の青年部が、本領を発揮する時は「今」です。師弟不二の祈りを根本に、励ましの対話を大きく拡大してまいります。

メモ
本抄は、日蓮大聖人が身延で認められ、苦境に立つ四条金吾に送られたお手紙である。
大聖人が佐渡から帰還された文永11年(1274年)、金吾は主君の江間氏を折伏する。これを機に、金吾は、極楽寺良観の信奉者であった江間氏から、疎まれるようになる。次第に、金吾を取り巻く状況は悪化し、建治2年(1276年)には、領地替えの命令が下る。窮地に陥った金吾は、所領の件で主君を訴えようと思い詰めるまでになった。
本抄は、こうした報告を聞かれたことに対する、金吾への励ましである。
金吾はその後、所領没収の危機にも直面するが、大聖人の御指導通り、誠実に主君に仕え抜いて信頼を回復。危機を乗り越え、それまでの3倍の所領を賜るのである。

2021年5月9日日曜日

2021.05.09 わが友に贈る

「創価の女性」とは
「負けない人」の異名だ。
最後は必ず幸せになれる
人間劇の名優なのだ。
宝冠は貴女の頭上に!

華果成就御書 P900
『常にかたりあわせて出離生死して同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ』

【通解】
常に語り合って生死の迷苦を離れ、同心に霊山浄土においてうなずき合って話しなさい。

名字の言 陽光桜に込められた「願い」 2021年5月9日
早咲きの桜の季節が終わった沖縄で、4月頃から開花する桜がある。ヒカンザクラとアマギヨシノを人工交配させた桜「陽光」だ▼生みの親は高岡正明氏。軍事教練を行う青年学校の教師だった氏は、教え子たちの出征を見送った。校庭の桜の下で再会を約し合うが、教え子の多くが命を落とした▼生徒を死地へ送った罪の意識を背負った氏は戦後、鎮魂と戦争根絶の願いを込め、どんな環境でも育つ新品種の桜の作出を誓う。私財を投じ、約30年かけて陽光桜を誕生させた。氏は桜を国内外へ無償で送り続け、生涯を平和活動にささげた▼陽光桜が植樹された那覇市の真嘉比遊水地近辺は、沖縄戦で学徒隊を含む多数の死傷者が出た激戦地。当時15歳だったある壮年は、戦死を名誉として若者を扇動した狂気の時代への憤りを語っていた。戦争を絶対悪とする一つの理由は、子どもたちの命を奪ったことにある▼1974年、池田先生は沖縄の中高生に「平和のために、"沖縄の心"を伝えるために、戦争体験の証言集を残してほしい」と。2年後、証言集が発刊された。その反戦出版から今年で45年。戦争の悲惨さを語り、不戦の連帯を広げていく——大樹へ育ちゆこうとする陽光桜を見て、決意を新たにした。

寸鉄 2021年5月9日
「月はよいよりも暁は光まさり」御書。混迷の世に希望送る我らの使命大
音楽隊の日。会えずとも演奏映像で同志を鼓舞。頼もしき創価文化の旗手
熱意は幸福と健康の秘訣—哲人。生涯青春の道を歩み抜く多宝の友は模範
宇宙から見た地球は生命そのもの—飛行士。青き星、次代へ。共生の心新た
端末画面は目と30センチ以上離して—文科省。進むの近視。周囲で注意喚起

☆随筆「人間革命」光あれ 師弟共戦の旅を永遠に 2021年4月29日
わが師・戸田城聖先生が宝とし、誇りとされていたものがある。
それは、創価の母たち・女性たちの「福運ある笑顔」であり、「清々しい慈愛の声」である。
意地悪な表情や陰険な悪口が渦巻く世相にあって、学会の女性たちのこの笑顔を見給え、この声を聞き給えと、先生は胸を張られた。
一九五一年(昭和二十六年)五月三日、会長に就任されるや、結成されたのが、婦人部と女子部である。
以来七十星霜、時は満ち、「女性部」が新出発する。
混迷の時代の闇が深いからこそ、「平等大慧」の妙法の光を赫々と放ちながら、「桜梅桃李」という多彩にして伸びやかな微笑みと励ましの花園を、いっそう明るく楽しく広げていってもらいたい。

◇女性の幸の連帯
日蓮大聖人は、女性の門下たちが支え合い、励まし合って信仰を貫いている姿を、心から讃えられた。
佐渡の地では、千日尼と国府尼が「二人して」師を求め、麗しい「同心」で多宝の生命を輝かせていた。
女性門下の娘と思われる「ひめ御前」の健やかな成長と幸福を深く願われているお手紙もある。
御書の随所に、「必ず幸せに!」と女性たちを包みゆかれる御本仏の慈愛が拝されてならない。
今、小さなグループを大切にして御書根本に学び合い、仲良く快活に前進する創価の女性のスクラムは、大聖人のお心に連なる、「異体同心」の模範である。この尊き草の根の絆から、地域に「希望の太陽」「幸福の太陽」「平和の太陽」が昇りゆくのだ。

◇人に灯を点せば
大聖人が法難の中、書き送られた「佐渡御書」には、富木常忍や四条金吾らとともに、さじきの尼御前の名前を挙げられている。
さじきの尼御前は、あの「冬は必ず春となる」(御書一二五三ページ)の御文を頂いた妙一尼御前と同一人物とも考えられる。
どんな迫害の冬に直面しようとも、この方々が健在であれば正義は負けないと、大聖人が深く信頼される団結の要の一人であったことは間違いあるまい。
仏教史を顧みれば、釈尊の時代から、多くの女性の弟子たちが誕生し、その集いが生まれていた。
女性たちは、師から"善き友だちに親しめ"と励まされ、「友と交るのを楽しむ者となれ」をモットーとしていた。同志との幅広い交流・触発を大事にし、精進していったのだ。
二十一世紀の世界広宣流布も、「仏の如く互に敬うべし」(御書一三八三ページ)との仰せ通りの、女性の大行進とともに、無限の興隆発展を勝ち開いていくのである。
今秋、待望の『日蓮大聖人御書全集 新版』が発刊の運びとなった。
新収録の御書は三十二編に上る。また他にも、これまでの御書に、新たに御文を加えたものもある。
その中に、女性門下に送られた「衣食御書」の後ろに、今回、合して収められた味わい深い一節がある。
「人のためによる(夜)火をとも(点)せば、人のあか(明)るきのみならず、我が身もあか(明)し。されば、人のいろ(色)をま(増)せば我がいろ(色)ま(増)し、人の力をま(増)せば我がちから(力)まさ(勝)り、人のいのち(命)をの(延)ぶれば我がいのち(命)のの(延)ぶなり」
人びとの前を照らす、地域の光明となる。人を励まし、元気づけていく。そうすれば、同時に、わが前も明るくなる。自分も励まされ、力づけられ、元気になると示されているのだ。
まさに学会活動であり、創価の女性が「水のごとく」不退の信心で日々、実践している姿そのものである。

◇不退の心で開く
ドイツ語版「御書」(第一巻)の監修を務めてくださったグリンツァー博士は、大聖人が「不退の決意を強く持った人」であったことに鋭く着目しておられる。
さらに、大聖人は皆も不退になれるよう、「時代の危機を察知する」「誤った教えに惑わされない」等を指南した、といわれていた。
そして今、人類の平和と繁栄が脅かされる「危機の時代」にあって、大聖人が示された「楽観主義」「希望を持つこと」「仏性の顕現によって宿命を転換しうるという考え方」は、現代人の人生の助けとなり、新たな視野を開いてくれる——。
博士は、そう明晰に論じられているのだ。
仏性という自他共に具わる無限の可能性を信じ抜くがゆえに、いかなる状況にあっても、希望の未来を信じ、決して疑わない。価値創造の道を断じて諦めない。
「創価」の哲学と行動は、ますます希求されている。我らの地道な実践が、地球社会の人道と共生の明日を開いているとの誇りと確信をゆめゆめ忘れまい。

◇朗らかに仏縁を
今回、新たに収録される一編「河合殿御返事」は、お手紙の末尾が残った御書である。その中にこう仰せだ。
「人にたまたまあ(会)わせ給うならば、む(向)かいくさ(臭)きことなりとも、向かわせ給うべし。え(笑)まれぬことなりとも、えませ給え」
たまたま会ったという人の中には、苦手だなと思うような人もいる。しかし、そういう人をも大きく賢く包容していくように教えてくださっている。からっと笑って向き合っていけばいいんだよ、と。
大聖人御自身、猶多怨嫉の濁世で、誰よりも多くの人に会ってきたと言われている。ゆえに、弟子たちの苦労を全て見通され、いろいろ大変だろうけれども、にこやかに朗らかに仏縁を結んでいくよう励まされていると拝される。
誠に深く、大らかな、人間学の真髄がここにある。
悪世末法にあって、現実に一人ひとりの衆生を救うには、法華経に説かれる「柔和忍辱の心」で誠実に忍耐強く、信念の対話を重ねていくしかない。

◇「百万一心」とは
今や全地球に広がった、創価の世界市民の聡明な笑顔が日々、躍動しているのが、我らの聖教新聞だ。
創刊七十周年を晴れ晴れと飾り、戸田先生のお喜びはいかばかりであろうか。読者の皆様方をはじめ、支えてくださっている全ての方々に感謝は尽きない。
なかんずく、尊き配達の使命を果たしてくださっている「無冠の友」の皆様の健康長寿と絶対無事故を、さらに、さらに強盛に祈る日々である。
作家の山岡荘八先生が、聖教新聞に小説『高杉晋作』を連載してくださったことも、懐かしい。
山岡先生には、戦乱の時代に中国地方を一つにまとめ上げた戦国の雄・毛利元就を描いた作品もある。
本年、没後四百五十年となる元就は、三人の子に託した「三本の矢」をはじめ、多くの逸話が存在する。
広島県安芸高田市にある吉田郡山城跡には、毛利家ゆかりの「百万一心」の石碑が厳として立っている。
石碑の「百万一心」との文字は、「百」の字の一画を省いて「一日」、「万」の字は書き崩して「一力」と、「一日 一力 一心」と読めるように刻まれている。
すなわち、皆が日を一にし、力を一にし、心を一にし——時と力と心を一つに集中して挑めば、何事も成し得る、との訓言である。
山岡先生の小説で、毛利元就はこう語っている。
「百万一心は横の団結じゃ。しかし、横の団結だけでは決して目的は達せられぬ。これに、もう一つ、百代一心という、永い時間をいとわぬ縦の団結が加わらねば、大事は成就せぬものとわかったのだ」と。

◇前へ! 「立正安世界」の未来へ
◇我らは師子王の心 柔和忍辱の心で勝つ
我ら創価学会には、「異体同心」という横の団結とともに、大聖人に直結して三代を貫く「師弟不二」の大誓願がある。
まさに末法万年尽未来際への「永い時間をいとわぬ縦の団結」といってよい。
だからこそ、強いのだ。
あの晴れわたる七十年前の五月三日、戸田先生はご自身の写真を撮られ、後日、その一枚を私にくださった。裏には、先生の直筆の和歌が認められていた。

現在も
 未来も共に
  苦楽をば
 分けあう縁
  不思議なるかな

この「古の奇しき縁」の師弟の道を突き進む生命は、無窮の力を涌現できる。
広宣流布の途上で亡くなられていった草創の父母たちの功労も、心も抱きかかえて、我らは征くのだ。
そして今、世界中で、「新・人間革命」世代の男女青年部が、ヤング白ゆり世代の友が、また全世代にわたる地涌の勇者が、新たな広布の勝利の歴史を綴らんと、価値創造の理想に燃えて、新生の師弟共戦の旅を開始してくれている。
この時を選んで躍り出てくれた「正義の走者」たる未来部の成長も目を瞠る。

◇魂燃やし新出発
大聖人は師子吼された。
「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ」(御書一五八九ページ)
師子は強い。
師子は負けない。
そして師子は必ず勝つ!
さあ、創価の師弟の魂を燃やす五月三日!
師子王の心を共に光らせ、未来へ出発しよう!
立正安国、立正安世界へ、永遠の師弟の旅路を、三世の縁で結ばれた世界の宝友と共々に、誇らかに進んでいこうではないか!
「前へ! 前へ!」と。

2021年5月8日土曜日

2021.05.08 わが友に贈る

気遣いや心配りが
友の安心感を生む。
真心の声掛けで
大切な人たちと
温かなつながりを!

四条金吾殿御返事 P1118
『あしき名さへ流す況やよき名をや何に況や法華経ゆへの名をや』

【通解】
悪名でさえ流ものだ。まして善き名を流すのは当然である。ましてや法華経ゆへの名においてはいうまでもない。

名字の言 小学生の詩「お母さんの色」 2021年5月8日
ゴールデンウイークにラジオを聞いていると、「お母さんの色」という心がこもった言葉が耳に入ってきた。小学4年生の女の子の詩だった▼彼女はうたう。お母さんには、いろんな色がある、と。怒っている時は「赤」、悲しい時は「白」、笑っている時は「ピンク」、元気な時は「黄色」。そして「わたしは、ピンクの花を、咲かせたい」と結ぶ、ほほ笑ましい内容だった▼詩人の矢崎節夫さんは「言葉は、使う人の"心柄"が表れます」と語る。さらに、自分の言葉を最初に聞くのは相手ではなく自分自身であり、「心柄の表れるうれしい言葉」を使いたい。そうすれば、自分自身も、その言葉を聞いた人も幸せになる、とも▼御書の一節「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(563ページ)を思い浮かべた人も多いだろう。言葉は、心の大地に咲く花。同じ咲かせるなら、きれいな花をたくさん咲かせたい。社会が不安に揺れ動くからこそ、温かな言葉を大切にする自分でありたい。心の大地を豊かに耕し、心柄——心の品格を磨くのが信仰である▼あすは「母の日」。全てのお母さんに「いつも本当にありがとうございます」と心からの感謝を込めて伝え、笑顔の花を満開に咲かせよう!

寸鉄 2021年5月8日
希望に生き抜いてもらいたい—戸田先生。挑戦の中に歓喜あり。祈り強く
常勝埼玉師弟の日。励ましの波を今こそ。「鉄桶の団結」で栄光の共戦譜を
「日蓮一度もしりぞく心なし」御書。何があろうと前へ!凱歌の劇を断固
子どもの数、40年連続減。皆が宝。長所を伸ばそう。広布後継の大樹と育て!
世界の経営者8割が気候変動に懸念と。政官業、市民の総力で対策加速へ

〈社説〉 2021・5・8 あすは「音楽隊の日」
◇困難を力に 希望の響き高らか
偉大な宗教があるところ、必ず偉大な文化、芸術が生まれる。
1954年(昭和29年)5月6日、池田先生の提案で音楽隊が結成された。周囲の反対の中、戸田先生だけが「大作がやるんだったら、やりたまえ」と後押しした。
3日後の5月9日、青年部の総登山に音楽隊が初出動し、学会歌を演奏。激しい雨が降る中、自前の楽器もなく、借り物での出動だった。とても万全とは言えない。それでも音楽隊員は「悪条件だからこそ、成功すれば、歴史に輝く壮挙になる!」と闘志を燃やし、同志を鼓舞。この日が後に「音楽隊の日」と定められた。
以来、67星霜。広布の楽雄たちはいかなる労苦もいとわず、仕事や勉学、学会活動などとの"三立""四立"に挑みながら、技術を磨き、心を磨いてきた。結成以来、吹奏楽団やマーチングバンド、合唱団、太鼓団など、全国に100を超える団体が誕生。各種コンクールでも「日本一」に輝くなど、堂々たる大発展を遂げた。
しかし、コロナ禍のこの1年は、練習や出動にも制限が生じた。各地の楽団では、SNSなどを駆使して互いを励まし、練習に挑戦。少しでも同志や社会に、勇気と希望を送りたいと知恵を絞り、前進してきた。過去の演奏を収録した映像や"リモート演奏"などを動画サイトで多数、配信。視聴者からは「聴くたびに涙があふれます」「前に進む勇気が出てきました」など、感謝と感動の声が寄せられた。
音楽関係の仕事に従事する関西吹奏楽団の友は、昨年4月の緊急事態宣言の発出で、仕事が全てキャンセルに。先が見えないなか、胸に迫ったのは師匠への誓いだ。"環境に断じて負けない""聴いてくれる人を鼓舞するような演奏を"と心を燃やし、同楽団のリモート演奏の編集を一手に担った。大きな反響が彼を励まし、さらなる前進の原動力に。今春、新たな仕事も勝ち取った。報恩の思いを胸に「今こそ、勝って師匠や同志に日本一の演奏を届けたい」と、さらなる飛躍を期す。
池田先生は「心は心でしか、温めることはできない。なかんずく、真摯に向上しゆく青年の楽音は、絶望の闇に震える友を蘇らせる光となり、熱となる」と。
いかなる時代の荒波にも負けない音楽隊の力強い音律が響くところ、断じて行き詰まりはない。

☆御書の旭光を 第23回 「忍難弘通」の魂を胸に
〈御文〉
『去ぬる建長五年の夏のころより今に二十余年の間・昼夜朝暮に南無妙法蓮華経と是を唱うる事は一人なり』(松野殿後家尼御前御返事、1393ページ)

〈通解〉
去る建長5年の夏のころから今(弘安2年)に至る20年余りの間、昼夜朝暮に南無妙法蓮華経と題目を唱えたのは日蓮一人である。

〈池田先生が贈る指針〉
日蓮大聖人は、全民衆の幸福と全世界の平和を願われ「立宗宣言」された。ただお一人で「忍難弘通」の大闘争を開始されたのである。
この「一人立つ」魂を受け継ぐのが創価の師弟である。大変なときにこそ、今ここから題目の師子吼を轟かせ、太陽の仏法の大光を放ちゆくのだ。そこに地涌の友は必ず集い来る。

☆誓いをつなぐ 第2回 広島戸田総県
◇平和の光放ち 我等は起つ
中国地方を代表する河川である太田川が滔々と流れ、豊かな自然が広がる広島戸田総県は広島東黄金区、広島西黄金区、安佐北区、喜多広島圏から成る。
広島東黄金区と広島西黄金区の広布の舞台は広島市安佐南区。ベッドタウンとして人口が増え続け、八つの大学・短期大学が立つ文教地区でもある。区内の広島広域公園は、Jリーグ・サンフレッチェ広島の本拠地で、アジア競技大会のメイン会場ともなった。
安佐北区は、市域の約4割を占める広大な地域。古墳や城跡などの史跡、文化財や名勝が点在し、安佐動物公園は家族連れに人気のスポット。
喜多広島圏は1市2町にまたがる。中国山地の山々に抱かれ、「三本の矢」の故事で知られる戦国の雄・毛利元就ゆかりの地である。
だが何といっても、広島戸田総県の誇りは、北広島町に広がる「中国平和記念墓地公園」。本年10月で開園25周年を迎える。2004年(平成16年)12月11日、園内の大朝平和講堂で、世界広布開拓の功労者をたたえる「世界顕彰之碑」が除幕された。後にこの日が、総県の日となった。

◇"人間蘇生の碑"
同墓園には、池田大作先生の発案で建立された「世界平和祈願の碑」がある。東経132度27分——広島の爆心地の真北に立っている。全世界の核兵器・核実験の犠牲となった被ばく者を追悼し、恒久平和を誓う意義が込められる。
6体のブロンズ像を制作したのは、フランスの世界的彫刻家ルイ・デルブレ氏。碑が除幕された5日後の1997年(同9年)6月6日、池田先生は、氏を東京牧口記念会館(八王子市)に歓迎した。
氏は語った。
「お話をいただいた時、すぐさま『群像で』と決めました。平和を実現するには、大勢の人が立ち上がらねばならないからです」
「彫刻家としての私の50年は、この作品のためにあったとさえ思っています」
先生は感謝した。
「偉大なる『人間蘇生の碑』であり、永遠なる『復活の碑』であり、未来へ向かっての『人間復権の碑』です!」
さらに碑の文字は、現代中国文学の大家・金庸氏によるもの。対談集を発刊するなど、先生と交流を重ねてきた氏は、要請を快諾し、「私の一生の中で最大の光栄」と述べている。
池田先生は碑文に記した。「金剛不壊なる生命の宝器は 忌まわしき核の力より偉大なり」「全人類が希求してやまぬ 虹かかる『共生の世紀』目指し 我等は起つ 我等は進む」と。
開園25周年の今こそ、平和原点の我等は起つ! 我等は進む!——これが広島戸田総県の誓願である。

◇「師と共に」の原点
安佐北区の桑田光男さん(副区長)も、誓いを燃やす一人。総県地域部長と地区部長を兼任し、広布に歩く。桑田さんには、忘れ得ぬ師との原点がある。
80年(昭和55年)8月31日、創価大学で開催された牙城会の第1回柔剣道大会に出席。一緒に参加した河村義弘さん(副区長)らと共に、池田先生が中央体育館(当時)の外で牙城会員を激励する場面に居合わせ、記念写真に納まった。
「ご苦労さまです」——慈愛のこもった声が忘れられない。第1次宗門事件の嵐に揺るがず、青年の中に飛び込んで励ます師の真心を命に刻んだ。「その時の写真を見るたび、"生涯、師と共に"との誓いが湧き上がってきます」
単身赴任で上京した東京・荒川区では支部長として奔走。広島に戻ってからは、地域の繁栄に貢献したいと、町内会の行事や清掃、防犯パトロール、避難訓練など、できることは何でもやり、信頼を得た。この4月からは、地域の自主防災会長を務めるという。
「一人一人と直接会う中でこそ、一段と深い関係が築けます。これからも、心と心を結ぶ交流を続けていきます」

◇牛本有梨花さん
広島東黄金区の牛本有梨花さん(女子部本部長)は"学会4世"。広島若竹少年少女合唱団に所属した小学生時代から、温かな学会家族の中で成長してきた。
宿命の壁にぶつかったのは、地元の大学を卒業してシステムエンジニアの道を歩み始めた頃。皮膚炎を発症し、顔は赤く腫れ、一時休職を余儀なくされた。
支えになったのは、家族をはじめ、地区の同志の励ましだった。祈り励ましてくれる創価家族の存在に感謝し、自身も真剣な唱題に挑戦。治療を始めて1カ月で仕事に復帰し、1年後には完治できた。
信心の確信をつかんだ牛本さんは、一段と学会活動に取り組むようになり、友人を座談会に招くなど仏縁を拡大。白蓮グループの班長としても奮闘した。
女子部や婦人部の先輩と訪問・激励に歩き、昨年末から本年1月の「マイ ロマン総会」では、新たなメンバーを糾合することができた。
職場でも、システム開発のプロジェクトメンバーとして活躍し、チームリーダーも務めた。
「『決めて』『祈って』『行動する』——この勝利のリズムで、新たな広布の開拓闘争を勝ちまくれ!」。池田先生の指針を胸に、牛本さんは、地域と社会で"必ず勝つ"と決めている。

◇広島に幸の花咲け
中国平和記念墓地公園(北広島町)に立つ「世界平和祈願の碑」。6体のブロンズ像が背中合わせに配置され、この地から世界へ、未来へ、平和の光を広げゆく意志が込められている
弥生3月は、広島戸田総県の友にとって、二つの師弟の原点が刻まれる月である。
一つは76年(昭和51年)3月18日である。
広島を訪れていた先生は、激励行の合間を縫って、広島文化会館からほど近い太田川の河畔を散策。安佐南区側の川沿いの道を車で走った。翌19日に先生は、広島文化会館で行われた各部代表幹部会でこのことに触れつつ、「妙法の 轟きわたる 広島に 右に左に 幸の花咲け」など、2首の歌を発表した。
二つ目は95年(平成7年)3月30日。この日、安佐南区が、池田先生の提案で「黄金区」として出発した(現在は広島東黄金区と広島西黄金区)。同志の喜びは爆発。"わが町を黄金の理想郷に!"と、破竹の勢いで対話拡大に走り、勝利の春を飾った。
広島戸田総県の友は近年、平成26年8月豪雨、平成30年7月豪雨(西日本豪雨)と、2度の災害を経験し、そのたびに先生の励ましを受けて、立ち上がってきた。
「世界平和祈願の碑」を守り、幾たびも試練を乗り越えてきた我等こそ、平和の光を放ち、"立正安世界"の先駆けとなる!——広島戸田総県の友は、不撓不屈の心で、栄光の峰へ突き進む。

◇広島東黄金区の牛本有梨花さん(女子部本部長)は"学会4世"。広島若竹少年少女合唱団に所属した小学生時代から、温かな学会家族の中で成長してきた。
宿命の壁にぶつかったのは、地元の大学を卒業してシステムエンジニアの道を歩み始めた頃。皮膚炎を発症し、顔は赤く腫れ、一時休職を余儀なくされた。
支えになったのは、家族をはじめ、地区の同志の励ましだった。祈り励ましてくれる創価家族の存在に感謝し、自身も真剣な唱題に挑戦。治療を始めて1カ月で仕事に復帰し、1年後には完治できた。
信心の確信をつかんだ牛本さんは、一段と学会活動に取り組むようになり、友人を座談会に招くなど仏縁を拡大。白蓮グループの班長としても奮闘した。
女子部や婦人部の先輩と訪問・激励に歩き、昨年末から本年1月の「マイ ロマン総会」では、新たなメンバーを糾合することができた。
職場でも、システム開発のプロジェクトメンバーとして活躍し、チームリーダーも務めた。
「『決めて』『祈って』『行動する』——この勝利のリズムで、新たな広布の開拓闘争を勝ちまくれ!」。池田先生の指針を胸に、牛本さんは、地域と社会で"必ず勝つ"と決めている。

◇広島に幸の花咲け
弥生3月は、広島戸田総県の友にとって、二つの師弟の原点が刻まれる月である。
一つは76年(昭和51年)3月18日である。
広島を訪れていた先生は、激励行の合間を縫って、広島文化会館からほど近い太田川の河畔を散策。安佐南区側の川沿いの道を車で走った。翌19日に先生は、広島文化会館で行われた各部代表幹部会でこのことに触れつつ、「妙法の 轟きわたる 広島に 右に左に 幸の花咲け」など、2首の歌を発表した。
二つ目は95年(平成7年)3月30日。この日、安佐南区が、池田先生の提案で「黄金区」として出発した(現在は広島東黄金区と広島西黄金区)。同志の喜びは爆発。"わが町を黄金の理想郷に!"と、破竹の勢いで対話拡大に走り、勝利の春を飾った。
広島戸田総県の友は近年、平成26年8月豪雨、平成30年7月豪雨(西日本豪雨)と、2度の災害を経験し、そのたびに先生の励ましを受けて、立ち上がってきた。
「世界平和祈願の碑」を守り、幾たびも試練を乗り越えてきた我等こそ、平和の光を放ち、"立正安世界"の先駆けとなる!——広島戸田総県の友は、不撓不屈の心で、栄光の峰へ突き進む。

2021年5月7日金曜日

2021.05.07 わが友に贈る

疲れをためない工夫が
勝利の人生の礎だ。
バランスのとれた食事
適度な運動・睡眠などで
生活リズムを整えよう!

開目抄上 P191
『外典三千余巻の所詮に二つあり所謂孝と忠となり忠も又孝の家よりいでたり、孝と申すは高なり天高けれども孝よりも高からず又孝とは厚なり地あつけれども孝よりは厚からず』

【通解】
(外典の教えの根本は)いわゆる孝行と忠義です。忠もまた孝の中から出てきたものです。孝というのは高いということであり、天は高いものですが孝より高くないのです。また孝とは厚ということであり、大地は厚いものですが、孝よりは厚くないのです。

名字の言 「打者・大谷」の誕生秘話 2021年5月7日
投打の「二刀流」で米大リーグに旋風を巻き起こしているエンゼルスの大谷翔平選手。先日、本塁打数トップで先発登板する"ベーブ・ルース以来100年ぶり"の快挙が報じられた▼打者としての特長の一つが、逆方向のレフト側への長打力だ。その技術の淵源は、少年時代の環境にある。河川敷の空き地を手作業で整備した練習場では、強打の大谷少年の打球はことごとくライト側の塀を越え、ボールは川に飛んでいった▼練習球を確保するため、指導者は「全部左方向に打て」と指示した。すると、少年はどうすればレフト側に強い打球を打てるかを試行錯誤し、練習を繰り返した。その年から外角球を捉える本塁打が急増したという(『大谷翔平「二刀流」の軌跡』マガジンランド)▼状況に甘んじて、努力を放棄していたら、今の「打者・大谷」の誕生はなかっただろう。不利な条件でも、創意工夫を重ね、自身を飛躍させるバネとしていく。人生を勝利に導くのも、その人間としての強さである▼御聖訓に「いよいよ強盛の御志あるべし」(御書1221ページ)と。苦渋や忍耐を強いられる時ほど、「いよいよ」の志を忘れまい。いかなる逆境をも打ち返す根幹の力が、わが生命を磨く日々の祈りである。

寸鉄 2021年5月7日
「一つ心なれば必ず事を成ず」御書。団結が勝利の要。祈りを一つに前進
中国青年部の日。新たな広布開拓、我らの拡大で。正義の言論戦の先陣切れ
こどもの読書週間。良書は生涯の友に。日頃から親子で楽しく繙く習慣を
診控えで8千人が肺癌診断遅れの可能性。早期発見が鍵。躊躇せず受診
災害弱者の避難支援強化を公明が後押し—教授。防災・減災を政治の柱に

〈社説〉 2021・5・7 本紙ポッドキャストが好評
◇温かな"音声"を友の心に広げ
現在、コロナ禍の影響による生活様式の変化によって、ラジオを聴く時間が増加しているという。「radiko」をはじめとするインターネットラジオやポッドキャストなどの音声コンテンツが人気を集め、最近は音声SNSも流行している。YouTubeなどの動画コンテンツがあふれる時代にあって、なぜ"音声"が注目され、聴取者が増えているのか。
ラジオについて言えば、声だけを頼りにパーソナリティーとリスナーがつながっているようなアナログ的な感覚や、人間の肉声が伝える"温かみ"が大きなポイントになっていると考えられる。
音楽・音声ジャーナリストの山崎広子氏は、「人の感情が動くときには必ず理由があります。その大きな要因のひとつが、じつは『声』なのです。正確に言うと『声という音』です」と述べている(『声のサイエンス あの人の声は、なぜ心を揺さぶるのか』NHK出版新書)。
仏法では「声仏事を為す」(御書708ページ)と説かれている。人の声は時に目で見たもの以上に心に残ることがあり、その声によって勇気と希望を送り、真心を届けることができる。
そうした"声"を発していこうと、本年2月、聖教新聞も音声コンテンツを拡充。ポッドキャストを通じて「ラジオ SEIKYO LABO」の配信を始めた。同コンテンツは、国内ポッドキャスト急上昇ランキングで1位を獲得するなど、好評を博している。
この企画は、紙面制作への熱い思いを担当記者の「声」にして届けることで、読者の方々に、本紙の新たな魅力を発見していただけるようにと始まった。リスナーからは「活字だけでは伝えきれない制作者側の熱量を感じることができました」「家事や育児をしながら聖教新聞を楽しむことができた」「聖教電子版の魅力を聴いて申し込みしました」など、多くの声をいただいている。今後も月2回程度配信していく予定だ。
池田先生は声の力についてこう語っている。「声の響きこそが、人に勇気を送る。いざというときの『信頼の一言』『励ましの一言』『確信の一言』が、どれほど皆に力と勢いを与えることか」と。
コロナ禍の中だからこそ、電話やSNSなども使いながら、真心の一言、二言と温かな"音声"を、友に大きく広げていきたい。

☆四季の励まし 君の一歩が世界を変える 2021年4月25日
◇池田先生の言葉
未来部の
君たち貴女たちが、
苦難にも負けず、
勝利の花と咲き開く
その姿は、
父母の喜びであり、
私の誇りであり、
世界の希望である。

頑張ったけれども、
思うように
いかないことがある。
それでも、
くよくよしないで、
次の戦いを目指して
挑んでいく。
その人が真の勝利者です。
最後に勝つのです。
悲しいことや
苦しいことを経て、
人間は鍛えられる。
偉大になれる。

どんな時にも、
自分を
卑下してはいけない。
世の中を
あきらめてはいけない。
今、自分がいる、
その場所で、
自分らしく朗らかに、
忍耐強く、
わが使命の道を、
歩み通していくことだ。

地道な行動の連続以外に、
社会を変え、
時代を変える
偉大な力はない。
一番地味であることが、
一番成長できることだ。
木も、
少し眺めただけでは、
伸びているかどうか、
わからない。
しかし、10年、20年と
時を経れば、
若木は見事な大樹となる。
「きょう」を勝つことだ。

私には、21世紀の
本命中の本命である、
後継の未来部がいる。
さあ、
君の「勇気の一歩」で、
世界を変えていこう!
あなたが
「正義の走者」となって、
平和を創り、
広げていこう!
きょうも、
何ものにも負けない
若き生命のエネルギーを、
満々と発揮しながら!

【写真説明】新緑薫る初夏の空を、悠々と泳ぐ「こいのぼり」。1998年(平成10年)5月、池田大作先生が東京・あきる野市内で撮影した。
こいのぼりは、"激しい滝を登り切った魚は竜になる"との中国の故事にならい、子らの健やかな成長を願って掲げられる。
76年(昭和51年)の5月5日、池田先生は関西戸田記念講堂で行われた鳳雛会・未来部の会合に出席し、「こどもの日」であるこの日を「創価学会後継者の日」とすることを提案。未来部員と共に、同講堂の池にコイを放流した。
「後継者の日」制定から45周年。使命の大空に羽ばたく、若き鳳雛に励ましの薫風を送ろう。

2021年5月6日木曜日

2021.05.06 わが友に贈る

新聞休刊日

諸法実相抄 P1359
『たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞかたにかけせなかにをふべきぞ大善根の者にてあるぞ』

【通解】
(三類の強敵による大難に)耐えて、妙法を弘める人を、釈迦仏は必ずや衣で覆い守ってくださるであろう。諸天は必ず、その人に供養するであろう。また肩にかけ、背中に負って守るであろう。その人こそ、大善根の人である。

☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第4回「戸田第2代会長就任」 師弟不二なれば、何事も成就す
【「若き日の日記」1951年(昭和26年)1月7日から】
未来、生涯、
いかなる苦難が打ち続くとも、
此の師に学んだ栄誉を、
私は最高、最大の、幸福とする。

◇環境に支配されるな
70年前の1951年(昭和26年)5月3日、戸田城聖先生が第2代会長に就任した。先生は就任式の席上、生涯の願業として、75万世帯の弘教を掲げる。
式典が終わると、戸田先生の胴上げが始まった。若き池田大作先生は、とっさにその輪に入り、戸田先生を懸命に支えた。
「5・3」までの道は険しかった。戸田先生の事業が苦境に陥る中、ただ一人、恩師に仕え、恩師を守ったのが池田先生である。
「戸田と伸一という師弟がつくった、この期間の秘史のなかに、その後の創価学会の、発展と存在との根本的な要因があった」
小説『人間革命』第4巻「秋霜」の章には、50年(同25年)から、翌年初めに至る師弟の日々が「秘史」と記されている。入信から4年に満たない若き池田先生が、師を支え続けた激闘。ここに、弟子が刻むべき広布の魂がある。
池田先生が、戸田先生の経営する出版社・日本正学館に初出勤したのは、49年(同24年)1月3日であった。5月には、少年雑誌「冒険少年」(同年10月号から「少年日本」と改題)の編集長に就任する。
「先生の会社を、日本一の会社にしたい」(『若き日の日記』、1949年6月3日)
文筆の仕事は、池田先生のかねての憧れであった。原稿の依頼や校正など、一人で何役もこなした。"日本一の雑誌に"と、全精魂を注いで仕事に打ち込んだ。
「『冒険少年』八月号の割り付けも大体終わる。ほっと一息だ」(同、同年6月8日)
「明日は学校(夜学)にゆきたい」(同、同年6月13日)
この時期、大世学院(現・東京富士大学)の夜間部で学びながら、編集長としての激務に取り組んだ。「冒険少年」は、子どもたちの人気を博した。野村胡堂、小松崎茂など、名だたる作家や挿絵画家らが雑誌を飾った。池田先生も「山本伸一郎」の名で、ペスタロッチやジェンナーの伝記を書いている。
池田先生は恩師の会社に勤務していた時の信条について、こうつづっている。
「環境に支配されるのか、自分が環境を支配していくのか——そこに人間の戦いがある。私は、みずからが模範になろうと思った」
当時の日本社会は、経済政策の激動期にあった。資金に余裕がない中小企業は、ばたばたと倒れていった。戸田先生の出版社にも影響が出るようになった。
そんな時だった。池田先生は、いつもの下車駅である東京・水道橋駅のプラットホームで、小さな広告を発見した。そこには、「少年日本」の文字が。愛弟子の奮闘に応える、戸田先生の真心の結晶だった。
だが、戸田先生の出版事業は、厳しい状況が続いた。同年10月25日には、一切の休刊を余儀なくされる。"秋霜"の中、池田先生は、戸田先生を心身共に支え続けた——。

【「若き日の日記」1951年(昭和26年)1月11日から】
信仰あるが故に、鉄鎖と、火宅の
人類の中にあって、我此土安穏の、
自由の人生を、歩み得る。

◇ただ題目を抱きしめて
「君には、本当にすまないが、夜学は断念してもらえないか」——1950年(昭和25年)の年頭、戸田先生は池田先生に言った。池田先生は、前年秋から夜学を休み、戸田先生の会社を支えていた。
池田先生は答えた。「はい。先生のおっしゃる通りにいたします」。恩師に青春の一切をささげる覚悟に揺るぎはなかった。
しかし同年8月22日、戸田先生が経営する信用組合に、大蔵省(当時)から業務停止が通達された。戸田先生は、学会の理事長を辞任。池田先生は、"私の師匠も新しい理事長になるのか"との不安を戸田先生にぶつけた。戸田先生は答えた。「苦労ばかりかけてしまう師匠だが、君の師匠は、ぼくだよ」
池田先生は、弟子の誓いを歌に託した。
「古の/奇しき縁に/仕へしを/人は変れど/われは変らじ」。それに対し、戸田先生は二首の返し歌を贈った。
「幾度か/戦の庭に/起てる身の/捨てず持つは/君の太刀ぞよ」
「色は褪せ/力は抜けし/吾が王者/死すとも残すは/君が冠」
戸田先生は、自らも憔悴する中、「これ以上、痩せてはいかんよ」と、誰よりも池田先生の体を気遣った。「身体、痩せてくる。自分でよくわかる。病魔に負けては、絶対にならぬ」(同、1950年6月11日)。夏には、体重が13貫(約49キロ)を切ってしまう。
池田先生は毎夜、御書を繙き、自らを奮い立たせた。この頃の日記には、「仏になる道には我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり」(御書557ページ)など、頻繁に御書の一節が書きとどめられている。恩師を支えた苦闘は、御書を心肝に染めての闘争だったのである。
また、祈りに徹し、1日1万遍の唱題も実行した。一念に億劫の辛労を尽くして、戸田先生が一日も早く苦境を脱し、広布のために縦横無尽の指揮が執れることを祈り続けた。
「時間さえあれば、すべて題目。ただただ、題目を抱きしめて、この世の残酷な苦難をはね返し、戸田先生が第二代会長に就任される道を、命を賭して、切り開いていったのである」

【先生が記した自身の心得】
一、折伏を常になす事
一、勤行を怠らざる事
一、建設、成長を忘れざる事
(「若き日の日記」1951年(昭和26年)2月12日から)

◇「苦楽」を分け合う縁
信用組合の整理は至難を極めた。戸田先生は一部の債権者から告訴されていた。逮捕もされかねない状況にあった。
51年(同26年)1月6日、戸田先生は池田先生を自宅に呼び、「私に、もし万一のことがあったら、学会のことも、事業のことも、いっさい、君に任せるから、全部、引き受けてくれないか」と後事を託している。
絶体絶命の窮地であったが、翌月、状況が一挙に好転する。大蔵省から、組合員の総意がまとまるならば、組合を解散してもよいという通達がきたのである。
同省の担当者は、「故理事長(戸田先生)の人格の内なる光をいまだに忘れることができない」と振り返っている。事態を切り開く一つの要因は、恩師の誠実な対応、監督官庁の関係者をも魅了する人格の輝きにあった。
同年3月11日、信用組合は解散。この日、創価学会の臨時総会が開催された。戸田先生は烈々と宣言した。
「一国広宣流布の秋は今であります。既に、東洋広宣流布の兆しも現れた。仏勅を被った創価学会の闘士こそ、先陣を切って進むべき時が、遂に来たのであります」
その日、池田先生は日記に記した。
「皆は知らぬ。而し、吾人は、いかほど先生を陰でお護りして来たことか。吾れは泣く。吾れは嬉し。先生の師子吼に」(同、1951年3月11日)
恩師の師子吼に弟子の心は躍った。先生は、同志と共に対話に走り抜いた。その折伏の喜びをつづっている。「一幅の御本尊送りの喜びは、筆舌に尽くせぬ、最高度の幸福感である」(同、同年4月8日)
そして、"師恩の対話"の最高の上げ潮で迎えた5月3日、先生は自らの弘教をもって、恩師の会長就任の日を飾ったのである。
師弟に徹すれば、一切を"苦楽の勝利劇"へと変えることができる——。戸田先生の第2代会長就任までの「秘史」は、池田先生がそのことを証明した「後世永遠の明鏡」である。
戸田先生は、会長就任の記念の写真の裏に、和歌をしたためて池田先生に贈った。
「現在も/未来も共に/苦楽をば/分けあう縁/不思議なるかな」