2021年3月31日水曜日

2021.03.31 わが友に贈る

「喜とは自他共に喜ぶ事」
友のために動けば
自身の心も豊かになる。
苦楽を分かち合う
同志の絆を強く固く

祈祷抄 P1351
『かかるなげきの庭にても法華経の敵をば舌をきるべきよし座につらなるまじきよしののしり侍りき』

【通解】
このような嘆きのなかにあって、法華経の敵は舌を切るべきである。一座に列なるべきではないなどと大声で言い立てたのであった。

名字の言 『創価教育学体系』で紹介した、ある教育現場の実話 2021年3月31日
小学校教師が準備不足のまま理科の授業に臨んだ。そんな日に限って、児童に突然質問されてしまう。「ナマコに骨はありますか」▼教師は面食らいつつ「当然、骨はない」と答える。ところが教科書をめくると「ある」と書いてあった……。牧口先生が『創価教育学体系』で紹介した、ある教育現場の実話である。一番の失策は、教師が自らを模範的な"知識の伝達者"と錯覚していることにあると指摘する。教師が子どもに対して「私のようになりなさい」と自分を模範にさせるのは傲慢だ。もしも教師が模範になりうるとすれば、「完成を目指して努力する姿」を示すことにある、と▼家庭教育も同じだろう。完璧な親などいない。むしろ自らの欠点や至らなさを自覚し、自分らしく成長しようと努力を重ねる姿に子どもは共感を覚え、挑戦の心を抱くのではないか▼知識の伝達だけなら、現代ではインターネットの方が生身の人間より一枚も二枚も上手である。だが、ダイヤがダイヤでしか磨けないように、豊かな人間性は人間との関わりの中でしか育たない▼池田先生は「教育」について、「皆が『共に』学び、『共に』成長し、『共に』勝利の未来を開いていく」ことだと語る。学会は創価家族が共に希望の未来へ進む「共育」の団体である。(之)

寸鉄 2021年3月31日
御書「末代に弘通せんと・ちかひ給いしなり」。偉大な師と共に今日も広布へ
教育本部の日。子どもの幸福が第一。皆様の献身に創価三代の魂は脈々と
何があっても題目で勝てる—戸田先生。不可能を可能にする鍵はこの確信
先輩が君に尽くした以上に後輩に尽くせ—文豪。励ましの連鎖を私から!
旅立ちと出会いの季節—挨拶一つに真心込めて。友情こそ人生彩る宝なり

〈社説〉 2021・3・31 きょう「教育本部の日」
◇教師の成長こそ人を育む王道
きょうは「教育本部の日」。2002年3月31日、前身の教育部(1961年発足)が教育本部へと発展したことが淵源である。以来、学校・家庭・地域における教育力の向上に力が注がれてきた。
時代の変遷とともに、子どもを取り巻く環境は複雑化している。とりわけ昨年来の新型コロナウイルス感染症による負の影響が、暗い影を落とす。
貧困や教育格差等の従前の課題が浮き彫りになったことに加え、オンライン授業が普及した半面、友人関係の希薄化など、新たな問題も出てきた。
教育環境の改善は待ったなしの局面だ。数々の試練を、教育の輝く未来を展望する好機に転換しゆく鍵は、一体どこにあるのだろうか。
「心は狂せんばかり」——本年、生誕150年を迎える初代会長・牧口常三郎先生は、苦しみに喘ぐ子どもたちに思いを馳せ、つづっている。
知識の切り売りに終始する教育に厳しい眼を向け、「子どもの幸福」を第一義として、教育の目的を豊かな価値を創造しゆく主体性の形成に置いた。すなわち、自らの手で活路を開き、幸福をつかむ人間を育てることである。
この人間教育の実現へ、牧口先生が力点を置いたのが、教師の質の向上であった。
小学校の校長時代には、月曜日の放課後を教師が技術や実力を磨く時間に当てる取り組みを始めている。自身も教育書を精力的にひもとくとともに、英語の勉強を重ね、その探究の姿勢は周囲の教師たちに啓発を与えたという。
牧口先生の魂を受け継いだ池田先生はかつて、人を育もうと奮闘する友に詩を贈った。
「他人を教育することは易しい/自己自身を教育することは難しい/生涯 確たる軌道に乗りながら/自己を教育していくところに/人間革命の道がある」
教育の蘇生には、もちろん制度的な変革も不可欠である。しかし、一切の根本は、子どもたちの最大の教育環境である、教育者自身の人間的成長にある。
創価三代の師弟に脈打つ教育思想を体現しようと、変革の波を起こしてきた教育本部の友。これまで14万5000事例を積み重ねてきた教育実践記録には、現場で生み出された、たくましい知恵が光る。
その一つ一つには、子どものために自らが変わろうと真摯に向き合う、教育者の挑戦のドラマが凝縮されている。
この創価教育の精神の結晶は、英語に翻訳されて世界に広がり、「分断の風潮を感じる今、非常に大きな意義を持つ」(作新学院大学・渡邊弘学長)等と高い評価が寄せられる。
人間教育の潮流は、今や地球上に広がる。一人一人が時代の闇を打ち破る光として一段と輝くことを期待したい。

☆四季の励まし 学ぶことは人間の「権利」 2021年3月28日
◇池田先生の言葉
学ぶことは、
何ものにも代え難い
人間の尊厳の証しである。
学ぶことは、
人間として
最も誇り高い権利であり、
特権なのである。
学ぶことによって、
わが生命に秘められた
偉大な力を引き出せる。
学ぶことによって、
正義のために戦い、
人々を幸福にできる。

人間も、社会も、文明も、
学ぶことをやめた時、
衰退が始まる。
これは
歴史の厳しき実相である。
生き生きと
学び続ける道には、
行き詰まりはない。
必ず、
新たな価値創造の活路が
開かれる。

人を幸福にするための
学問である。
民衆に貢献するための
学問である。
父母に親孝行するための
学問である。
未来を勝ち開きゆくための
学問である。
学びゆく人は、
断じて負けない。

きのうよりはきょう、
きょうよりはあすと、
向上の坂を上りゆく、
みずみずしい生命力と
学びの姿勢が
あるかどうかで、
人生の勝利が
決定づけられることを
忘れてはならない。
新しい知識の習得のみが、
学ぶということの
本当の意味ではない。
最も重要なことは、
学ぶことによって、
自分自身が
「新しい自分」に
なっていくことである。

「向学の心」を
失わないことだ。
前進し続けることだ。
そうして進んだ道が、
君にしかない、
あなたにしかない
「使命の道」
「充実の道」
「勝利の道」になっていく。

【写真説明】命を燃やす桜花。色鮮やかな桃の花。"春の共演"の向こうに、創価大学池田記念講堂(東京・八王子市)が堂々とそびえ立つ。2007年(平成19年)4月、池田大作先生がカメラに収めた。
この数日前、先生は同講堂で行われた創大・創価女子短大の入学式で呼び掛けた。「真の哲学の道は、生命尊厳の平和の道である」——と。
学問はどこまでも、人間を幸福にし、世界平和を創造するためのものでなければならない。この「何のため」を問う伝統のもと、創価大学は民衆奉仕のリーダーを陸続と輩出してきた。
今また、丹木の丘のキャンパスが桜に染まる季節がやって来た。4月2日、栄光の開学50周年を迎える。

☆心に刻む御書 2021年の要文�——日女御前御返事
【御文】
『此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり』(日女御前御返事、1244ページ)

【通解】
この御本尊を決して他の所に求めてはならない。ただわれら衆生が法華経(御本尊)を持って南無妙法蓮華経と唱える、胸中の肉団におられるのである。これを「九識心王真如の都」というのである。

【池田先生の指針】
仏は、遠い彼方の世界にいるのではない。また、人間は神の僕ではない。わが生命が本来、尊極無上の仏であり、南無妙法蓮華経の当体なのである。
ゆえに、自身の生命こそ、根本尊敬、すなわち本尊となるのである。
そして、その自身の南無妙法蓮華経の生命を映し出し、涌現させるための「明鏡」こそが、大聖人が曼荼羅として顕された御本尊なのである。
(第19巻「宝塔」の章、300ページ)