環境が変化する時こそ
祈りを根本に進もう!
一喜一憂することなく
不退の心を貫けば
必ず幸福の道が開ける。
乙御前御消息 P1220
『一つ船に乗りぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ又身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり』
【通解】
一隻の船に乗りあわせてしまえば、もし船頭の舵取りが悪ければ一同に船中の人びとは命を損なってしまうでしょう。またどんなに体が強くても心が弱ければ多くの能力があってもなんの役にも立ちません。
名字の言 震災を経験した壮年に見えてきたもの 2021年3月9日
最大震度6強を観測した先月13日の地震が「東日本大震災の余震」と聞いて少し驚いた。福島県に住む壮年が語っていた。「『災害は忘れた頃にやって来る』と言いますが、今回は『忘れる前にやって来る』でした」▼間もなく東日本大震災から10年。冒頭の壮年は、原発事故で全町民に避難指示が出された富岡町から郡山市へ。3カ月の避難所生活、4年3カ月の仮設住宅暮らしを経て、復興住宅に落ち着いた。「この10年、たくさんの方に寄り添っていただきました」▼壮年は、震災を経験したからこそ見えてきたものがあるという。「笑顔の裏にはたくさんの苦労があり、人は笑顔という花を苦労の上に咲かせていける。その尊さを感じ取れる自分になりました。これからは人に寄り添える自分になります」▼試練に立ち向かう日々が、壮年を人生の深い次元へと進ませる。生きている限り、悩みや苦労は尽きないが、その苦しみや悲しみを乗り越えようとするから人間として成長する。他者と同苦する心ができていく。この繰り返しが境涯となるのだろう▼私たちは被災地を忘れることなく、励ましを送り続けたい。励ましで人は立ち上がり、立ち上がった人が他の人を励ましていく。励ましの連鎖が「冬は必ず春となる」力である。(川)
寸鉄 2021年3月9日
御書「十方の諸天此れをしり給うべし」。広布貢献の人生に福徳の光は燦然
中国方面の「女性の日」。日々、新生の決意で前進。希望の"門"開く語らいを
青年の一番の財産は信頼—恩師。有言実行の人たれ!喜び勇み苦難に挑め
サイバー攻撃が最多と。見知らぬ送り手の添付に注意。不用意に開けるな
備えていた事しか役立たなかった—東日本大震災の教訓。各人が日頃から
☆御書の旭光を 第12回 黄金柱の祈りを強く!
〈御文〉
『真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり』(四条金吾殿御返事、1170ページ)
〈通解〉
真実に、あらゆる人々の色心の留難をとどめる秘術は、ただ南無妙法蓮華経なのである。
〈池田先生が贈る指針〉
壮年部の先達・負けじ魂の四条金吾への仰せである。柱は倒れるわけにいかない。人生と社会のいかなる苦難にも揺るがぬ力が、妙法である。
誓願の題目こそ、変毒為薬の秘術なのだ。策でも方法でもない。惑わず「法華経の兵法」で戦い抜くのだ。
黄金柱の強き祈りで、一家を同志を地域を断固と護り抜いてくれ給え!
☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 東海道教育部長 小野信行
【プロフィル】おの・のぶゆき 神奈川県の公立小学校で教頭職を務め、定年退職。現在、再任用教員として勤務。65歳。1958年(昭和33年)入会。神奈川県小田原市在住。総県総合長。
◇私の教育実践 共に学び、共に育つ
2010年10月に神奈川で開催された創価学会教育本部のシンポジウムで、教育部員による3000事例の教育実践記録を分析した結果として、教師や大人に望まれる子どもへの「五つの関わり」が示されました。それは、�「信じぬく」�「ありのまま受け容れる」�「励まし続ける」�「どこまでも支える」�「心をつなぐ」です。
教育現場での日々の奮闘や挑戦をつづった教育実践記録。そこには、子どもたちの可能性を信じ、励まし抜き、一人一人と心がつながることで、子どもたちが大きく成長する姿をつづった感動のドラマが無数にあります。
私自身、これまで40年以上にわたって教壇に立ってきた日々は、池田先生が示された教育思想を体現しようと努める中で、「子どもたちには、これほどの可能性があるのか」と驚かされることの連続でした。
◇クラスの違和感
教員生活にも慣れて10年ほど過ぎた頃、5年生で担任を務めた学級を継続して受け持つことに。6年生の新学期がスタートして少したった時、クラスの変化に気付きました。
それまで大きなトラブルもなく、楽しく学校生活を送ってきたクラスでしたが、なんだか子どもたちの関係がギスギスし始め、皆の表情からも明るさが消えていたのです。
"クラスの中で、何か問題が起きているのかもしれない"
私は、子どもたち一人一人と話す時間をつくり、原因を聞き出そうとしました。
当初は萎縮していた子どもたちも、粘り強く話し掛けていくうちに、ようやく思いを打ち明けてくれました。すると、「最初、先生は面白かったけど、今はつまらない」「○○君の話はよく聞くのに、僕の話は聞いてくれない」など、予想もしていなかった言葉が出てきたのです。
"全ての原因は、自分自身にあったんだ"と猛省しました。教員生活に慣れたことで、いつしか惰性に陥り、子どもたち一人一人に真剣に向き合えていなかったのです。
"子どもたちの幸せを、もう一度、真剣に祈ろう"——そう決意した私は、あらゆることにアンテナを張りながら、一人一人が持つ可能性を信じ、どこまでも励まし抜くことを心掛けました。
皆と心を通わせる努力を続ける中、次第に子どもたちの表情も明るくなっていきました。やがて半年がたった頃、以前のような思いやりのあふれる楽しいクラスへと変わり、全員が笑顔で卒業式を迎えることができたのです。
池田先生が示した「教師こそ最大の教育環境なり」との教育理念が、この時ほど身に染みたことはありません。
子どもが成長できるかどうかは、教育者の一念で決まります。さらには、家庭や地域など、子どもたちを取り巻く全ての環境を、その子の教育のために"最善の環境"にしていくことで、若芽はグングンと伸びていくのだと確信します。
日蓮大聖人は、法華経に説かれる「宝塔」の意味について、弟子である阿仏房に問われ、「阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房」(御書1304ページ)と仰せです。一人一人の生命は、光り輝く宝塔のように尊貴で、計り知れない可能性を秘めているのだと教えられています。
大切な宝の子どもたちを育み、可能性を開花させゆくという教育の使命の重みを、かみ締めずにはいられません。
◇桜梅桃李の使命
現在、私は特別支援教育に携わっています。障がいのある子どもたちと一緒に生活する中で実感するのが、「教育は『共育』である」ということです。
"どうしたら学ぶ喜びや楽しさを分かち合えるのか"と学習方法を工夫し、子どもたちの反応を見ながら試行錯誤を重ねる毎日です。学んでいる時の子どもたちの笑顔や、たとえ小さな一歩でも成長した姿を見る時、教師として、これほどうれしいことはありません。
池田先生は、「教師自身が成長すれば、子どもたちも必ず成長します。また、教師自身が成長するためには、子どもたちの成長に学ぶことです。教育は『共育』——教師も生徒も共に育って、成長していくことなのです」と語っています。
教師自身が成長しようと努力する姿勢は、子どもたちにも、"善き成長"への触発を与えていけるのです。
また、仏法には、一人一人がありのままの姿で、最高に輝いていく生き方を教えた「桜梅桃李」という言葉があります。
桜も梅も桃も李も、花が咲く時期や花の形、見た目や香りなど、同じではありません。しかし、それぞれが時を待ち、必ず、趣のある素晴らしい特性・個性を開花させます。
同じように、子どもたちの個性は皆、異なります。成長のスピードも人それぞれです。ですが、その一人一人に、「その子」でしか果たせない、かけがえのない使命が絶対にあります。
だからこそ、関わる側は、「その子らしさ」を尊重しながら、「花開く時」を信じ抜き、励まし続けていく「忍耐力」が大切なのだと思います。
私自身、どんな困難な状況であっても、希望を失わずに前を向くという自らの生き方で、大切な子どもたちを励まし抜けるよう、挑戦を重ねていく決意です。
[視点]配慮と励まし
日蓮大聖人は、人にものを教える意義について、「人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわり」(御書1574ページ)と仰せです。
たとえ車が重くても、油を差せば滑らかに前進することができます。同様に、相手を無理に動かすのではなく、相手が自分の力で前へ進めるよう、心を砕くことが、私たちの「励まし」の本義でしょう。
人の悩みは千差万別です。その一人一人に寄り添い、深く理解して、"この人が活躍するためには、どうすればいいか"と考え抜く慈悲の心から、知恵も生まれます。
教育本部の友は、仏法の慈悲の理念を胸に、こうしたこまやかな配慮と励ましの実践を日々、教育の最前線で積み重ねています。