行き詰まった時こそ
同志や先輩に相談を!
創価の世界は
苦悩を希望に転じる
生命の安全地帯だ。
法華経題目抄 P940
『たとひさとりなけれども信心あらん者は鈍根も正見の者なりたとひさとりあるとも信心なき者は誹謗闡提の者なり』
【通解】
たとえ理解はなくても信心のある者は、鈍根でも正見の者なのである。反対にたとえ理解はあっても、信心のない者は誹謗闡提の者なのである。
名字の言 ブラジルSGI発展の要因は「師弟」 2021年3月19日
「私は28歳。ブラジル婦人部は28歳!」。これが「南米広布の母」と慕われた婦人の口癖だったという▼28歳で日本からブラジルに移住。当時、ブラジルは軍事政権下で、創価学会に対して警戒の目を向けていた。試練の中で、彼女は"日本までの物理的な距離は遠いけど、池田先生との心の距離は最も近い国に"と決める。祈りに祈り、友の激励に駆けた。その足跡はペルーやウルグアイなど南米各地にも及ぶ。冒頭の言葉は、初心を貫く決意の表れでもあった▼宗教社会学者の渡辺雅子氏は、ブラジルSGI発展の要因の一つとして、同国になじみの薄い「師弟」という考えを形成したことを挙げている(『ブラジル日系新宗教の展開』東信堂)▼誰に言われずとも、弟子として自分自身が師に誓った信念の道を、何があろうと敢然と進む。その誇りと歓喜を分かち合おうと、目の前の一人と心を結んでいく。世界広布のドラマは、こうした幾万の勇者によって織り成されてきた▼師弟とは、ただ師に弟子が従う一方通行の関係ではない。弟子が師の心をくみ、自ら誓願を立て、新しい戦いを起こす中に脈動するものだ。池田先生は、「創価の心」とは「自発の心」——と。この「心」がある限り、広宣流布の未来に行き詰まりはない。(芯)
寸鉄 2021年3月19日
人生の問題は対話でなくては通じない—牧口先生有意義に語らう座談会を
福岡・筑紫総県の日。誓いに生き抜く勇者は強し!先駆と勝利の旗高らかに
東京・千代田の日。仲良き団結が誇り。創価の全権大使の気概で堂々と進め
20代の「高ストレス者」が増加。孤立が原因の一つと。温かな声掛け今こそ
流感の患者が過去最少。手洗い・マスク等の効果大。感染対策ゆるみなく
〈社説〉 2021・3・19 あさって「白樺会の日」35周年
◇尊き生命を守る友に最敬礼
明後21日は、看護の仕事に携わる婦人部の集いである「白樺会の日」。1986年(昭和61年)3月21日の結成から、35周年を迎える。
池田先生の提案によって、女子部の看護師メンバーによる「白樺グループ」が発足したのは69年(同44年)6月6日。"生命の守り手として、職場の第一人者に"との師の限りない期待を胸に、友は「生命の世紀」の創造を誓い合った。
先生は当時の真情を小説『新・人間革命』第14巻「使命」の章につづっている。「みんなが、自身の使命を自覚し、自身に挑み勝っていくならば、『白樺グループ』は、最も清らかで、最も強く、一番、信頼と尊敬を集める、功徳と福運にあふれた女性の集まりになるよ。楽しみだ、楽しみだね……」
この結成から17年を経て、婦人部に進出した友が"婦人部にも白樺を"と祈り抜く中で、「白樺会」は誕生した。
先生が、看護の仕事に携わる友の集いの名称に冠した「白樺」の木は、生命力が強いことで知られる。伐採後の荒れ地や山火事の後などでも真っ先に育ち、後に生えてくる木々を守ることから「パイオニアツリー(先駆樹)」「ナースツリー(保護樹)」としても名高い。まさに、未曽有のコロナ禍という危機の時代にあっても、不撓不屈の心を燃やし、慈悲の看護を貫く友の姿そのものである。
「看護」の現場は多岐にわたる。病院等の医療施設で命を守るために昼夜を分かたず奮闘する友をはじめ、皆が医療の最前線で「いのちこそ宝! 生命の世紀の太陽たれ」「希望と安心! 創価の慈悲の天使たれ」「師と共に! 幸福勝利の白樺会たれ」との白樺会指針を抱き締めて進む。
社会に不安が渦巻く時代の中で、どうすれば、患者が抱える不安を希望に転じられるか。心に安心と勇気の灯をともせるか。常に自らに問い、思いを分かち合える白樺の友とオンライン等で励まし合いながら、それぞれの使命の舞台で、患者への真心の声掛け、一つ一つの振る舞いに祈りを込める。「いのちこそ宝」との"白樺の心"を広げる妙法の看護者たちのスクラムは、社会に安心の光、蘇生の力を送りゆく希望の灯台なのである。
池田先生はかつて、白樺会の友に贈ったメッセージで呼び掛けた。
「『白樺の心』——それは『生命尊厳』の平和の究極です。『白樺の振る舞い』——それは『抜苦与楽』の慈悲の模範です。『白樺の前進』——それは『師弟不二』の勝利の鑑です」と。
尊き生命を守り、慈悲の献身を続ける全ての白樺の友の無事安穏を、皆で真剣に祈念し、心からの感謝をささげたい。
☆3月度座談会拝読御書 乙御前御消息(身軽法重抄)
◇拝読御文
『いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり』(御書全集1221ページ4行目〜6行目、編年体御書790ページ4行目〜6行目)
[池田先生の指針から] 栄光は"挑戦王"に輝く
日蓮仏法は、「挑戦」の宗教である。
妙法とともに、月月・日日に蘇生した生命力で、たゆまず新たな価値を創造する挑戦だ。
御書とともに、人生のいかなる試練、なかんずく自他共の生老病死の苦悩を打開する挑戦だ。
同志とともに、現実社会の課題に立ち向かって、幸と平和の連帯を広げゆく挑戦なのである。(中略)
私の胸には、大関西の草創の母の叫びが蘇る。
「寝ても覚めても、みんな幸せになって欲しゅうて、人材が欲しゅうて、一心に歩き回りました」と。
幾つになろうと、挑戦を止めない信仰者の命は、ますます若々しく、ますます朗らかに冴え光る。
「いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる」(御書1221ページ)と御聖訓に仰せの通りである。
法華経の会座では、年を重ねて疲弊していた長老たちも、未だかつてない師匠の師子吼に歓喜踊躍し、生まれ変わった息吹で、今再びの挑戦を開始した。
信心の心は自在であり、誓願の祈りは無限である。
「いままで・しりぞかせ給わぬ事申すばかりなし」(同1224ページ)——健気な母を讃えられたこの一節は、創価の多宝の父母への御賞讃と拝されてならない。
わが師・戸田城聖先生は、「信心こそ惰性を打ち破って、自分も家庭も地域も、一つ一つ、より良く変えていくための挑戦である」と指導された。
どんな小さなことでもよい。具体的に明確に祈りながら、新しい何かにチャレンジしていくことだ。
一日に一人でもよい。真心込めて声をかけ、励まし、仏縁を結んでいくことだ。(中略)
今、うれしいことに、華陽の乙女、創価の若師子、普賢の俊英が溌剌と地涌の拡大に挑んでくれている。
この若人たちと共々に、わが地域に新たな「挑戦の友」を一人また一人、増やしていこうではないか!
栄光は、朗らかな「挑戦王」にこそ輝くのだから!(「大白蓮華」2018年2月号、巻頭言)
◇今日より明日へ 常に前進の心で
[キーワード1] 師を求め抜く
日蓮大聖人の願い——それは、妙法を持つ一人一人が強盛な信心を貫き、成仏の境涯を得て、人生を勝利していくことにほかなりません。
本抄を頂いたのは、乙御前の母です。彼女は、夫と離別し、幼い娘を育てていました。
乙御前の母は、大聖人が佐渡流罪に処されていた時、鎌倉から大聖人のもとを訪れています。弾圧を受けて、多くの門下が退転していた頃です。当然、今のような交通網は整備されていません。
さらに後年、身延に移られた大聖人のもとにも足を運んでいます。
大聖人は他の御書で、乙御前の母のけなげな信心をたたえて、「いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を」(御書1216ページ)と仰せになっています。
乙御前の母の、"どんな時も師匠を求めていく姿勢"こそ、大聖人門下の模範です。
池田先生は、本抄を拝して語っています。
「『大聖人のもとに足を運ぶ』とは、今日の私たちに当てはめれば、師弟の心のギアをがっちりと合わせて、広宣流布の本舞台で勝利の金字塔を打ち立てるということです。師弟の間は、物理的な距離ではありません。『一念』と『行動』がどうか——師弟の精神といっても、この一点に収まるのです」
困難な状況が続く今こそ、信心の真価が問われる時です。日々、自身の「一念」を広宣流布に定め、粘り強い「行動」を広げる中に、自他共の幸福の輪が広がることを確信していきましょう。
[キーワード2] 生涯、持続の信心を
大聖人は、拝読御文の冒頭で「いよいよ強盛の御志あるべし」と、ますます求道の心で信心に励んでいくことを示されています。
続いて、信心の修行を重ねる大切さを、「従藍而青」の例えを通して教えられています。「従藍而青」は、古代中国の思想家・荀子の「青はこれを藍より取りて、しかも藍よりも青し」との言葉に由来します。
藍は、青色を出すための染料になる植物です。この緑色の葉から採れる染料に、布や糸を漬けて染め続けていくと、鮮やかな青に染まります。
信心の実践で拝せば、御本尊を根本に信心に励み、修行を重ねていくことで、私たちの生命は妙法に染め抜かれ、何ものにも揺るがない仏の境涯を築いていけることを表しています。
それは言い換えれば、"一度だけでは染まり切らない"とも拝せます。
信心の修行を続ける中で、ともすれば"ここまでやったのだから、もういいだろう"といった心が生じがちです。
また、現実が思うようにいかなかったり、すぐに結果が伴わなかったりするなど、行き詰まりを感じることもあります。
乙御前の母は、それまでも純真に信心を貫いてきた門下です。その乙御前の母に、ますます信心を奮い起こしていくよう大聖人が教えられているのは、仏法の修行にあっては、慢心や諦めの心を打ち払い、"いよいよ"の心で一歩前進することが、重要であるからです。
今日より明日へ——信心の歩みを止めることなく、向上の軌道を描いていきましょう。