広布の先陣を開くのは
青年の使命であり誉れ。
後継の君よ 貴女よ
勇んで語らいの花を!
善の連帯の拡大を!
兵衛志殿御返事 P1091
『すこしもをそるる心なかれ過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり、しをのひるとみつと月の出づるといると夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり』
【通解】
少しも恐れる心があってはなりません。過去遠遠劫という果てしなく遠い過去より法華経を信じたけれど、仏になれなかったのは、これによるのです。潮が干る時と満ちる時と、月の出る時と入る時、また、夏と秋と冬と春の四季が変わる時には、必ず普段と異なることがあります。凡夫が仏になる時も、また同じことです。必ず三障四魔という障害が出てくるので、賢者は喜び、愚者はひるんで退くとは、まさにこのことなのです。
名字の言 誰かの思いも抱き締めながら歩んできた10年 2021年3月12日
東日本大震災からの10年は、東北の友にとって、愛する人を失い、それでも少しずつ前を向いた10年であった。誰かの思いも一緒に抱き締めながら歩んできた、それぞれの一日一日がある▼発災時、中学1年だった福島県出身の女子部員は、津波で親友を失った。原発事故で避難も強いられた。避難先で"自分の気持ちは誰にも分かるはずがない"と思ったが、支えてくれる友に出会うことができた。修学旅行にも「一緒に連れていこう」と亡き親友の写真を携えるよう勧めてくれた。震災の後、初めて心を開けた▼双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」で語り部を務める婦人部員。避難生活のさなか、望郷の思いを抱いたまま両親が亡くなった。"間に合わなかった"と肩を落とす彼女に寄り添う同志がいた。「大丈夫。きっとあなたの思いは両親に伝わっているよ」▼今年の「3・11」の前日、伝承館で婦人は率直な思いを来館者に語った。「無数の励ましに包まれて今、ここにいます。私が語り伝えたいのは、人が人を思う心の美しさです」▼人と人とのつながりは何物にも代え難い。悲嘆の壁を破り、明日を開く力になる。東北家族の固い絆は「未来までの・ものがたり」(御書1086ページ)として、まばゆい輝きを放ち続けていく。(閃)
寸鉄 2021年3月12日
「一言・一点も随喜の言を加えて」御書。真心の励ましで挑戦の力は倍加
東京・喜多区女性の日。自他共の歓喜の対話を!私の勝利が創価の勝利と
進級・進学の時。学会っ子は自分らしく朗らかに!"負けない青春"を後押し
子には批判よりも模範が必要—哲学者。良き若芽伸ばすのは大人の責務
被災体験を継承したい—東北の高校生9割。教訓忘れず共に前へ、未来へ
☆不二の旅 第4回 池田先生と北海道
◇三代城は厳たり——栄光の未来を北海天地から
・「北海道は、創価の連続勝利の光源である」——師の期待を胸に、全道の同志が希望の太陽と輝く
・池田先生が厚田の戸田記念墓地公園を訪問(1992年8月30日)。同園の開園15周年を記念する勤行会に出席した先生は、この日、北海道文化会館で小説『人間革命』第12巻「寂光」の章を書き上げたことを紹介した。この厳粛な師弟の魂に連なることこそ、北海同志の最大の誇りである
・1983年8月、札幌の真駒内屋外競技場で行われた第3回世界平和文化祭。初代会長・牧口先生、第2代会長・戸田先生が育ち、若き池田先生が「小樽問答」「札幌・夏の陣」「夕張炭労事件」で正義と勝利の旗を打ち立てた北海天地に、新たな青年の陣列を築く文化祭となった
・池田先生ご夫妻が函館研修道場へ。この激励行で、先生は語っている。"北海道は、牧口先生、戸田先生、なかんずく第三代の私が心血を注いで築いた大地だ。だから「三代城」なんだよ"(1991年8月)
・1969年9月、池田先生は「夕張炭労事件」の舞台となった空知地方へ。岩見沢・美唄総合ブロック合同指導会で"信心即生活の模範の実証を"と呼び掛けた
・1982年6月、池田先生が札幌で揮毫した「栄光」の大書。先生は折々に"愛する北海天地から栄光の未来を!"と
◇北海道の友に贈った指針
「妙法」の祈りは、自身の"生命の変革"をもたらし、その変革は、必ず"周囲の人々や生活環境の変革"へと連なっていく。
地域の発展も経済の好転も、"自分にはとても手が出ない"と思われるような願いであっても、わが「一念」から発する「信心」の力用しだいによって、やがて厳然とかなえられていくことを、強く確信していただきたい。
その信力・行力に燃えたつ人が、地域に一人、また一人と増えていく時、目には見えなくとも、偉大な仏力・法力の働きを引き出し、大勢の人々をも守りゆくことができる。
とくにリーダーに、その「強盛な祈り」と「確信」があるかどうか。
何ものにも屈しない「不敗の一念」で戦うかどうか——そこに「前進」か「後退」か、「幸福」か「不幸」かの大きな分かれ目がある。
皆さまは最高の仏法を持った「広宣の勇士」である。
信心には"中途半端"はない。"強い"か"弱い"か、どちらかである。
そして、仏法は"勝負"、すなわち"勝つ"か"負ける"か、どちらかである。
ならば、どこまでも徹して「強信」であっていただきたい。そこに一切を開く"急所"がある。
どこまでも朗らかに、また朗らかに、「境涯の王者」として、一切を大福運、大功徳へと変えゆく、「強信」を貫いていただきたい。
「鉄の団結の創価家族」として、悠々と、今世を、また三世を、真実の「仏道修行」のため、真実の「広宣流布」のために、ともどもに仲良く歩んでまいりたい。
そして、世界のだれよりも「楽しい人生」「有意義な人生」を送っていただきたい。
(第4回北海道総会<1991年8月>でのスピーチから抜粋)