災害への備えを万全に。
避難経路や備蓄品など
家庭や職場等で確認!
過去の教訓に学び
安心・安全の社会を!
聖人御難事 P1190
『日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人多宝十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり』
【通解】
もし日蓮が末法に出現しなかったならば仏は大妄語の人となり、(この仏の言葉を真実であると証明した)多宝如来や十方の諸仏は、大虚妄の証明をしたことになってしまうであろう。仏滅後二千二百三十余年の間に、一閻浮提の中で、仏の御金言を助けた人は、ただ日蓮一人なのである。
名字の言 東北の友が教えてくれた「ほんとうの幸福」 2021年3月10日
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、孤独な少年ジョバンニの成長物語と読むこともできる。彼は幻想的な銀河の旅の中で世の不条理を悟り、「ほんとうの幸い」とは何かを追求する▼同行者は親友カムパネルラ。他者のために自らを犠牲にすることもいとわない。そんな親友との語らいを通じて、ジョバンニは「みんなの幸い」を願うようになる。突然訪れた親友との別れを経て彼は誓う。「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんとうの幸福を求めます」(岩波文庫)▼先日の本部幹部会で活動体験を語った壮年の心を貫くのも、亡き友への誓いだった。その友とは、東日本大震災で被災しながら同志の励ましや救援活動に奔走した当時の支部長である▼病で霊山へ旅立つ前、支部長が日記に書き残した言葉がある。「人のために、どれだけ祈ったか、苦労したか、それが人間の真髄か」。幹部会で登壇した壮年も、かつて孤独の身のわびしさを、支部長に支えられた。「『人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし』(御書1598ページ)。この生き方に本当の幸せがある。そう確信したんです」と壮年は言う▼人生の旅路を照らす哲学があり、苦楽を共にして歩む同志がいる。「ほんとうの幸福」を東北の友は教えてくれた。(恭)
寸鉄 2021年3月10日
会長の対話は人を結び付ける宗教本来の力示した—教授。我らも足元から
男子部と学生部が3・16から拡大期間。漲る情熱。広布のバトンは君の手に
世間に行じて能く衆生の闇を滅す」御書。今日も地域の友に励ましの光を
農山漁村女性の日。食を支え、命を守る農漁光部に感謝。皆様に福徳薫れ
睡眠は時間も質も大切。就寝前の携帯使用控える等の工夫を。健康は智慧
☆御書の旭光を 第13回 苦悩の壁を成長の飛躍台に
〈御文〉
『餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随って別別なり』(曾谷入道殿御返事、1025ページ)
〈通解〉
餓鬼は恒河を火と見る。人は水と見る。天人は甘露と見る。水は一つのものであるが、果報にしたがって別々なのである。
〈池田先生が贈る指針〉
同じものも、境涯で見え方は一変する。その境涯を開いていけるのが信心だ。真と偽、正と邪を見極める。尊き友の陰の功労を見逃さない。地域・社会の課題を見通す。立正安国への祈りと行動の中で、法眼(菩薩の目)・仏眼が磨かれる。
苦悩の壁も人間革命の飛躍台と見定め、全てを価値創造の源泉に転じゆくのだ。
☆質問BOX 「絶対的幸福境涯」とは、どのような境涯なのでしょうか?
【回答】
戸田先生は、「絶対的幸福というのは、どこにいても、生きがいを感ずる境涯、どこにいても、生きている自体が楽しい、そういう境涯があるのです」と教えられました。これに対して、環境や条件に左右されるのが「相対的幸福境涯」です。
例えば、自身のSNSで多くの人から共感が得られると、満足を感じます。しかし、一度、中傷を受けると一気に苦しみを感じてしまいます。
絶対的幸福は、このようにはかなかったり、他人と比較できるようなものではありません。何ものにも奪われない、壊されないものです。
外から与えられるものではなく、自他共の幸福を目指し、信心に励んでいく中で、自身の生命に絶対的幸福境涯を開いていくことができるのです。
☆みんなで学ぶ教学 第14回 六根清浄の功徳
◇わが生命を根源から輝かせる
今回の「みんなで学ぶ教学」は、「六根清浄」の功徳がテーマです。信心に励んでいくことで、得られる功徳について学んでいきましょう。新入会のカツヤくんは、いつも通っている道で、ゴミを拾って清掃してくれている人を見掛けたようです。
ユタカ おや、カツヤくんじゃないか、キラキラした目をしてどうしたんだい?
カツヤ さっき、この道の清掃をしてくれている人の姿を見掛けたので、ありがたいなと思って感動していました。
ユタカ その人なら、ずっと以前からこの道や周辺を清掃してくれていたよ。気付かなかったのかい?
カツヤ え! 本当ですか? なんで今まで気が付かなかったんだろう……。
ユタカ 信心に励むようになって、カツヤくんの世界の見え方が変わったのかもしれないね。仏法で説く「六根清浄」の功徳を思い出したよ。
カツヤ 「六根清浄」ですか。初めて聞きました。どのような法理ですか。
ユタカ まず、「六根」とは、「眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根」のことで、見たり、聞いたり、心で思ったりする生命の働きのことなんだ。世界がどう見えて、どう思うか、ということともいえるね。
カツヤ なるほど。
ユタカ たとえば、"おなかがすいたなあ"と思って歩いていたら、飲食店にばかり目がいくよね。同じ景色、同じ香り、同じ味でも、感じ方は、その人の生命状態で変わるんだ。「六根」が清らかになっていくと、正しい認識・判断・行動ができるようになる。それが「六根清浄」なんだ。
カツヤ たしかに、おなかが減っていた時、気付いたら"どのラーメン屋さんに行こうか"とばかり考えていたことがあります。もしかして、「舌根」が清らかになれば、何を食べてもおいしく感じたり、びっくりするほど歌がうまくなったり……。
ユタカ 歌は練習しないとうまくはならないよ(笑)。
「六根清浄」が説かれる法華経の法師功徳品第19は、法師(仏法を行じ、弘める人)の功徳を明かしているんだ。今でいえば信心に励んでいる学会員が得る功徳のことだよ。
日蓮大聖人は「功徳とは六根清浄の果報なり」(御書762ページ)と教えられている。
つまり、信心に励む中で、自然と「六根」が清らかになり、日々の生活の中で感じることや、現実社会の見え方がより良く変わっていくんだ。
カツヤ もしかしたら、唱題に挑戦しているから、今まで気付けなかった清掃してくれている人に、意識が向くようになったのかもしれません。僕の見た目はあまり変わったようには見えないんですが……。
ユタカ 見た目の問題ではないよ。「六根清浄」は、境涯の変革を説いているんだ。
池田先生は「仏道修行の苦労に無駄はない。全てが、わが生命を根源から清らかに輝かせる光明となる。どんな苦難も悠々と乗り越える力が湧いてくる。大宇宙を闊歩できるような自在の大境涯が開かれてくる。これが『六根清浄』の功徳であり、『人間革命』の実証である」と語られているんだ。
自分の境涯が変わっていけば、同じような日常でも輝きが増していく。逆境に直面した時、それを楽しんで乗り越えていくべき使命と捉えられるんだ。広布に励む中で、"絶対的幸福境涯"を開いていくことができるんだよ。
カツヤ なんだか、学会活動に挑戦することがとても楽しみになってきました。今度、道をきれいにしてくれている人に感謝を伝えようと思います。
ユタカ 気付かなかった状態から、感謝しようと変わったことはすごい変化だね! 信心に励んでいくことで、人生はもっと豊かで、喜びにあふれたものとなっていくよ。それが「六根清浄」の功徳なんだよ。