2021年3月2日火曜日

2021.03.02 わが友に贈る

言葉を大切にすることは
心を大切にすることだ。
身近な家族や友にこそ
感謝と労いを伝えよう。
丁寧に! 誠実に!

日女御前御返事 P1250
『闇の中に影あり人此をみず虚空に鳥の飛跡あり人此をみず大海に魚の道あり人これをみず』

【通解】
闇の中に影があっても、人はこれを見ることはできない。虚空には鳥の飛ぶ道がある。人はこれを見ることはできない。 大海に魚の通る道があるが、人はこれを見ることが出来ない。

名字の言 「恐怖の7分間」乗り越えて 2021年3月2日
日本時間の先月19日早朝、NASA(米航空宇宙局)の無人探査車「パーシビアランス」が、火星への着陸に成功した▼昨年7月に打ち上げられたこの探査車は、今後約2年にわたって岩石などを採取し、生物の痕跡などを探る。地球外に生命体は存在するのか——大いなる宇宙の謎の解明へ、ロマンに満ちた探査が始まる▼このミッションの最大の難関は、着陸の直前に待ち構えていた。探査車は火星の大気圏に猛スピードで突入した後、パラシュートを開いて急減速する。着陸までの時間は「恐怖の7分間」と呼ばれ、これまでの成功率は4割にとどまっていた。この課題を克服するため、今回のパラシュートには鉄の約8倍という強度のロープを使用。最先端の技術の結集によって、着陸は成し遂げられた▼技術が困難の壁を破った。だが、その技術を生んだのは、いかに条件が厳しくとも、断じて成功させるという技術者たちの情熱と意志があったからこそ。不可能に思えても"やってやろう"と一歩を踏み出す勇気。ひとたび決めた目的に向かって、たゆまぬ努力と挑戦を続ける忍耐。この二つなくして、どんな人類の偉業も成し得なかった▼「パーシビアランス」は「不屈の精神」を意味する。信念を持つ人はロマンの人生を生きられる。(当)

寸鉄 2021年3月2日
「喜とは自他共に喜ぶ事なり」御書。対話拡大で歓喜の波動をわが地域に
埼玉男子部の日。混迷の闇晴らす新時代の師子よ正義の言論で勝ち進め!
幹部は先頭に立て—恩師苦難の時こそ同志に信心の激励を!最前線で全力
都市部で死亡交通事故増速度出し過ぎ、歩行者の油断…共に気を引き締め
今より10分多く運動を—専門家が提言。健康長寿は賢明に"勝ち取る"もの

☆御書の旭光を 第10回 希望の声で善縁を拡大
〈御文〉
『自身の思を声にあらはす事ありされば意が声とあらはる意は心法・声は色法・心より色をあらはす、又声を聞いて心を知る色法が心法を顕すなり』(木絵二像開眼之事、469ページ)

〈通解〉
自分自身の思いを、そのまま声にあらわすこともある。その場合は、意が声とあらわれるのであり、意は心法、声は色法で、心法から色法をあらわすのである。また、声を聞いて心を知る。これは、色法が心法をあらわすのである。

〈池田先生が贈る指針〉
「声」が仏の仕事をする。「言葉」が仏性を呼び覚ます。題目を唱えて磨いた生命から発する真心の声掛けには、慈愛と確信の響きがある。相手の生命の共鳴板を深く打ち震わすのだ。
たとえ一言でも「万の力」を贈る励ましとなる。地域の安穏と繁栄を願い、幸の善縁を勇気凜々と結びゆこう。希望の声を今日も惜しまず!

☆ONE GOSHO この一節とともに! 四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)
真の幸福とは何か——今回は、この根源的な問いに、日蓮大聖人が明快に答えられた「四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)」の一節を学ぶ。
◇不屈の境涯こそ真の遊楽
◇御文
『一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文・あに自受法楽にあらずや』(御書1143ページ)

◇通解
一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱える以外に遊楽はない。寿量品には「衆生の遊楽する所なり」とある。この文は「自ら法楽を受ける」ことを言っているのである。

◇背景
本抄は、建治2年(1276年)6月、日蓮大聖人が身延の地から鎌倉の四条金吾に宛てて送られたお手紙で、別名を「衆生所遊楽御書」という。
2年前の文永11年(1274年)、大聖人が流罪の地・佐渡から戻られたことに歓喜した金吾は、主君の江間氏を折伏する。
しかし、江間氏は大聖人に敵対する極楽寺良観の信奉者であったため、金吾は主君の不興を買い、遠ざけられることに。さらに、同僚からの中傷もあり、金吾は江間家の中で孤立し、命まで狙われる事態となる。

◇解説
拝読御文の冒頭で大聖人は、南無妙法蓮華経の題目を唱えること以外に、本当の幸福、すなわち「遊楽」はないと断言されている。
この「遊楽」とは、すぐに消え去る"はかない楽しみ"ではなく、いかなる状況でも、その瞬間瞬間を楽しんでいける境涯のこと。題目を唱え抜いていけば、仏の大生命力を発揮し、全てを楽しんでいける、幸福へと転じていけることを示されている。
続いて、法華経如来寿量品の経文「衆生所遊楽」を引かれ、妙法を持つ衆生にとって、娑婆世界こそが最高の遊楽の場所であることを教えられている。幸福をつかむ舞台は、どこか遠くではなく現実社会にあるのだ。
次いで大聖人は、「衆生所遊楽」の文は、「自受法楽」(自ら法楽を受く)を表していると仰せである。永遠に崩れない真の喜びの境涯である「法楽」は、他の誰かが与えてくれるものではなく、自分自身が題目を唱えることによって得られる境涯であることを教示されている。
さらに拝読御文の直後、「衆生所遊楽」の文を、「衆生」「所」「遊楽」の三つに分け、四条金吾に教えられている。
「衆生のうちに貴殿もれ給うべきや」——あなたも、この「衆生」の中の一人である。
「所とは一閻浮提なり日本国は閻浮提の内なり」——日本は閻浮提(全世界)の中にあり、あなたのいる所も含まれている。
「遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや」——私たちの色法(身体)と心法(心)、依報(環境世界)と正報(主体)も、ともに一念三千の妙法の顕れである。自在の仏であり、真実の遊楽を味わっていける存在なのである——と。
本抄の御執筆当時、苦難の渦中にいた四条金吾にとって、この大聖人の渾身の励ましは、現実の苦難と戦い抜く大きな力となったに違いない。
金吾は、本抄を受け取った翌年の建治3年6月、人生最大の危機に陥る。金吾をねたむ同僚の讒言(事実無根の訴え)を信じた主君から、"法華経を取るか、所領を取るか"と迫られたのである。それでも金吾は迷うことなく信仰を選び、大聖人の仰せ通りに信心に励み抜く。そして、主君の治療・看病を通して、金吾は信頼を回復。最終的には、それまでの3倍の領地を勝ち得ていく。
小説『新・人間革命』第26巻「法旗」の章には、山本伸一が「遊楽」の意義について次のように語るシーンが描かれている。
「最も大事なことは、どんな大試練に遭遇しても、決して負けたり、挫けたりすることのない、自身の境涯を築いていくことです」「大病を患ってしまった。最愛の人を亡くしてしまった——そんな事態に遭遇しても、それを乗り越え、幸福を創造していける力をもってこそ、本当の遊楽なんです」
厳しい試練に遭った時こそ、信心を磨き、絶対的幸福をつかむ好機なのである。
戸田先生から、池田先生を中心とする青年に広布のバトンが託された3・16「広宣流布記念の日」が目前に迫ってきた。私たち後継の男子部は、日々の唱題を根本に、地域へ、社会へ励ましの輪を大きく広げていきたい。その実践の中に、困難に負けない遊楽の人生が開かれていく。