2021年3月20日土曜日

2021.03.20 わが友に贈る

「仏教の四恩とは
一には父母の恩」
広布に励むことが
最高の親孝行となる。
報恩の人生を歩もう!

曾谷殿御返事 P1056
『法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし』

【通解】
法華経の敵を見ながら、放置して責めなければ、師匠も弟子もともに無間地獄に堕ちることは疑いない。

名字の言 「戦争の象徴」を「平和の象徴」へ 2021年3月20日
人生を十二分に生きるためには、自分に授けられた「いのちを見つめる作業が必要」。広島経済大学の岡本貞雄教授が本紙で語っていた▼教授のゼミでは沖縄戦跡を徒歩で巡り、戦争体験者の証言を現地で聞く活動を実施。学生は戦火から人々が逃げ惑った地を実際に歩き、当時を思いつつ、自身を見つめるという。先日、恩納村の沖縄研修道場で米軍の核ミサイル発射台跡も見学した。教授は「基地跡を平和の発信地として生かされた見識と発想に感銘しました」と▼道場が建設中の時、敷地内には米軍の核ミサイル・メースBの発射台が残っていた。コンクリートの塊の解体は容易ではなかった。1983年3月、池田先生は道場を初訪問し、発射台を視察。その折、「解体が容易でないならば、そのまま残して平和を象徴するものにしたらどうか」と提案した▼翌年、発射台は「世界平和の碑」に生まれ変わった。ノーベル平和賞を受賞したジョセフ・ロートブラット博士をはじめ、国内外の識者が訪れ、「戦争の象徴」を「平和の象徴」へと転換した先生の発想に称賛を寄せている▼一人一人の心に、"平和の砦"を築く——ここに、創価学会の挑戦がある。一人一人が"平和建設の主人公"として、生命尊厳の哲理を語り広げよう。(踊)

寸鉄 2021年3月20日
「人貴きが故に所尊し」御書。わが地域が使命の宝土。皆が希望の灯台に
長崎の日。青年を先頭に立正安国の祈り強く前進励ましの声掛け隅々まで
きょう北陸婦人部の日。勇気の対話で仏縁を拡大友の心に福徳の花束を!
コンビニ各社が食品ロス削減に本腰と。わが家の食卓も意識改革から開始
乳幼児の呼吸器感染症が増加。対策とともに家族で手洗い、マスクを徹底

☆池田華陽会御書30編 佐渡御書
◇「師子王の心」で勝利の人生を
今月は「佐渡御書」を学びます。池田先生は語られています。
「私の心の中には、いつも戸田先生がいます。戸田先生の師子王の生命が、常に、私に最大の勇気と智慧を与えてくださいます」「広布の師弟が一体となった時に、胸中に師子王の仏の生命が満ちあふれてきます。日蓮仏法は、民衆の誰もが師子となり、自他共の幸福と平和を実現する師子の連帯を世界に築き上げる宗教です。自分自身が賢明になり、強くなり、人々に幸福を広げていく主体者となる。一人ひとりが師子王となる宗教です」
師弟不二の勇気の信心を学び、後継の「3・16」から、誓いも新たに出発していきましょう。

◇本抄について
日蓮大聖人は、文永8年(1271年)9月12日、大聖人を敵視する僧侶と結託した幕府の権力者らに、不当に捕らえられ、斬首の危機に直面する「竜の口の法難」に遭われました。
斬首は失敗に終わりますが、なおも迫害を企てる者の讒言(嘘の告げ口)などもありました。同年、佐渡への流刑に処せられます。厳寒の佐渡に流されることは、当時は普通であれば生きて帰ることなどできない、死罪にも等しい刑でした。
この頃、迫害は鎌倉などの門下にも及び、投獄や所領没収という激しい弾圧で退転を迫られ、多くの門下が信心を揺さぶられていました。
本抄は、文永9年(1272年)3月20日、こうした大難のただ中に大聖人が佐渡で記され、全門下に向けて与えられた渾身の激励の書です。

◇御文
『悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれるにはあらず正法を惜む心の強盛なるべし』(御書957ページ8行目〜10行目)

◇通解
悪王が正法を破ろうとし、邪法の僧らがその味方をして、智者をなきものにしようとする時は、師子王の心を持つ者が必ず仏になるのである。例を挙げれば、日蓮である。
これは、おごりによるものではない。正法を惜しむ心が強盛だからである。

◇解説
信心を根本に苦難と戦うなかで、胸中の「師子王の心」は、いよいよ強くなり、輝きます。
大聖人は、本抄の冒頭を"人間が最も恐れるものは「死」であり、誰人にとっても、命以上に惜しいものはない"と書き起こされます。大聖人が佐渡に流罪され、自分たちも身命に及ぶ迫害の渦中にあって、門下の人々は、こうした一言一言を胸に迫る思いで拝したに違いありません。
続いて大聖人は法華経の経文を引かれ、何よりも尊いこの「身命」を尽くし、仏法のために生き抜いていくならば、「必仏となる」(御書956ページ)、すなわち、必ず成仏の境涯を開くことができると述べられます。
そして、大切なわが命を、浅いことのために捨ててしまうのではなく、どこまでも「大事の仏法」(同ページ)のために生き抜き、尊き人生を最高の価値ある一生にしていくべきことを示されました。
大聖人は、次に、過去の偉大な聖人や菩薩たちが、みな「時」に適った正しい実践を貫いて仏になったことを述べられます。こうした「昔の大聖」(御書957ページ)に脈打っていたのは、仏の正しい教えを何より大切に守り、命を懸けて人々に伝えようとする心でした。
それに対して、「当世の学者等」(同ページ)、つまり、大聖人一門を迫害する当時の諸宗の僧らについて、大聖人は、彼らの本質が、権力に迎合する臆病な「畜生の心」(同ページ)であると喝破されます。このあとに続くのが、今回の拝読御文です。
正しい法を破ろうとする権力者と、邪法の僧らが結託し、民衆の幸福のために戦う「智者」に迫害を加えてくる時——このような「時」にあっては、決して悪を恐れない「師子王の如くなる心」で立ち上がる者こそが、仏の境涯を開くことができると、大聖人は力強く宣言されます。
ここで「例せば日蓮が如し」と仰せです。竜の口の法難、佐渡流罪と、打ち続く、命に及ぶ大難を受けられながらも、大聖人は広宣流布の誓願を貫き、一切を勝ち越えられました。事実、文永11年(1274年)2月には、佐渡流罪を赦免。翌月、鎌倉への帰還を果たされます。
大聖人は、迫害の嵐のなかで、弟子の一人一人に"今こそ、私と同じ「師子王の心」で立ち上がり、勝利の人生を歩み抜いていくのだ"と、心から呼び掛けられました。
自らが、師と同じ「師子王の心」で、いかなる苦難にも負けない生命の力を発揮していけるのが「信心」です。勇気凜々と題目を唱え、師弟不二の大道を歩んでいきましょう。

◇池田先生の指針から
師が師子王であれば、弟子も師子王となるのです。何があっても負けない。師子となって戦っていく。これこそ、誇り高き創価の人間革命の真髄です。
大聖人は、佐渡流罪の法難の中に、精神の王者として厳然と叫ばれました。
「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し」(御書957ページ)(中略)
いかなる苦難の嵐があろうとも、師子王となって一人立つ。この負けじ魂の勇者が「必ず仏になるべし」なのです。(『人間革命の宗教』)
◇ ◆ ◇
信心とは、いかなる逆境をも乗り越えていく師子王の如くなる心です。
強盛な信心の人に、恐れるものなど何もない。信心さえあれば、不撓不屈の信念がこみ上げてきます。信心の強さは、豊かな人生を約束します。正しい信心を貫き通した時に、人生の幸福勝利が開けないわけがないのです。(『信仰の基本「信行学」』)

研さんのために
〇…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第1巻(聖教新聞社)
〇…「大白蓮華」2021年3月号「世界を照らす太陽の仏法」(同)