◇今週のことば
「苦をば苦とさとり
楽をば楽とひらき」
地涌の旗頭の東北家族と
変毒為薬の前進を!
福光勝利の建設を!
2021年3月8日
佐渡御書 P960
『此八種は尽未来際が間一づつこそ現ずべかりしを日蓮つよく法華経の敵を責るによて一時に聚り起せるなり譬ば民の郷郡なんどにあるにはいかなる利銭を地頭等におほせたれどもいたくせめず年年にのべゆく其所を出る時に競起が如し』
【通解】
この八種の大難は、未来永遠の間に渡って、一つずつ現れるはずだったものを、日蓮が強く法華経の敵を責めたことによって、一時に集まって起こったものであります。例えてみると、地頭の郷や郡の中に、領民が住んでいる間は、地頭等にどれほどの借金をしていたとしても、厳しく取り立てられずに、次の年・次の年へと、支払いを延長してもらえます。けれども、領民が地頭の郷や郡の土地を出る時には、借金の完済を厳しく迫られるようなものです。
■第2回本部幹部会配信スタート SOKAnetでも視聴可能■
第2回本部幹部会の全国配信が、3月6日から始まる。新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえ、従来の会館や個人会場(配信の会場と時間は各県・区で決定)に加え、「モバイルSTB」でも視聴可能となる(インターネットを通してダウンロードが必要)。
創価学会公式ホームページ「SOKAnet https://www.sokanet.jp/recommend/honkan202103/」でも視聴できる。SOKAnetでの配信期間は、3月6日午後4時から14日(日)まで。
※スマートフォンやタブレットを利用する際は、ご契約の通信プランによって、別途、通信料金がかかる場合があります。また、視聴ページのあるYouTubeには、本部幹部会とは関係のない動画が表示されることもあります。ご注意ください。
名字の言 3人の子を育てた壮年が決めたこと 2021年3月8日
「地に低く幸せありと福寿草」(保坂伸秋)。早春の花のうち、多くは黄色い花といわれる。その筆頭が福寿草。白雪の大地から真っ先に顔を出すことから、"春を告げる花"として知られる▼まだ寒さが残る時期に花を咲かせるため、花粉を運ぶ昆虫が少ない。そこで、福寿草は太陽に花を向ける。花びらは太陽光を反射しやすい形をしており、花の中央部の温度は気温よりも高くなる。それが、虫たちを引き寄せる▼岡山の壮年は35歳の時、妻が早世。幼い3人の子どもが残され、仕事と育児に追われる日々が続いた。御本尊に祈る中、かつて学んだ池田先生の言葉を思い返した。「『笑い』こそは、不屈なる『心の勝者』の証しである」▼壮年は「子どもには笑顔を見せよう。それが自分の戦い」と決めた。危なっかしい手つきで包丁を握り、にわか料理を並べた。食卓にいつも子どもたちの笑い声が響いた。あれから30数星霜——「尊敬する父のようになりたい」と3人は、広布のリーダーに育った▼御書に「冬は必ず春となる」(1253ページ)と。季節の春は必ず巡り来る。だが、「人生の春」は、座して待っていてはやって来ない。試練の「冬」に負けず、前に進み続ける「不撓の心」が、「冬」を「春」に変えることができる。(子)
寸鉄 2021年3月8日
東北が総会。同志との絆固く試練に挑んだ10年。不屈の魂こそ創価の模範
芸術部の日。混迷の時に希望と喜びを送る文化の旗手。健康と活躍を祈る
「信心第一なら、何があっても慌てる必要はない」恩師。今日も題目根本に
国際女性デー。励ましの心広げる婦人部・女子部。使命の人生に福徳は必ず
中小企業向け一時給付金の申請開始。公明よ支援の手を次々と。雇用守れ
〈社説〉 2021・3・8 きょう「芸術部の日」
◇誰もが人生のアーティスト
芸術には力がある。時に、一曲の歌が希望の明かりになり、一枚の絵が心に勇気を湧かせてくれる。
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、厳しい状況に直面する今だからこそ、豊かな芸術に触れる機会を提供したい。そうした思いから、本紙では動画企画「SEIKYO STUDIO」をスタートし、動画配信サイトYouTube上の聖教新聞公式チャンネルで、多彩なアーティストの動画を公開している。
同企画には、歌手・女優の島田歌穂さん、ピアニストで作・編曲家の島健さんらが登場し、希望の歌を送っている。
動画には「すてきな歌声に胸が熱くなりました」「優しく、温かい気持ちが湧いてきました」など、多くの反響が寄せられている。これからも、苦しい時、悩んだ時にこそ心に響く、芸術の力を届けていきたい。
きょう8日は「芸術部の日」。かつて池田先生は、芸術部の友へ贈った長編詩でつづった。「芸術は 苦悩に沈む人々を 喜びに変え 孤独に悩む人々を 安穏に変え 戦い疲れた人々に 楽しみを与える。 優しく そして力強き 人間の奥義の舞である」
ジャズピアニストとして活躍する、ある芸術部員は、昨年、コロナ禍の中で、コンサートの中止が相次いだ。それでも「できる音楽の形があるはず」と、オンラインでのレッスンや演奏動画の配信に取り組んだ。それは、苦悩の中から喜びを生み出す挑戦でもあったという。不測の試練が続き、混迷を深める時代だからこそ、こうした変化への応戦、価値創造の知恵が求められるだろう。
それは、芸術家だけに限った話ではない。ドイツの現代アーティストであるヨーゼフ・ボイスは「社会彫刻」という概念を提唱した。全ての人は自らの創造性によって社会を彫刻しうる、つまり、あらゆる人が未来に向けて社会の幸福に寄与できると訴えたのだ。
そう考えれば、誰もが未来をつくりゆく"アーティスト"の一人である。さらに、学会活動に励む私たちの日々は、自分らしい人生を描いていく一日一日とも言える。その意味でも、私たち一人一人は、信心で心を磨き、人生の年輪を重ねていく"芸術家"なのである。
池田先生はつづっている。
「人生は 人それぞれが 芸術を現じている」「芸術は 人間の支えだ。 人間が人間として 最高に発揮される 知情意の血脈である。 芸術は 人間性の究極の昇華だ」
きょうも"アーティスト"の一人として、自らの人生と未来の社会を築きゆく、充実した一日を送りたい。
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第2回「文京支部長代理」 誰人も使命あることを知らしめよ
【文京支部の勝利の要諦】
一、「祈り」を根本とする団結
一、一人一人が主体者の自覚を
一、人材育成
(「随筆 我らの勝利の大道」<本陣・大東京の躍進へ師子奮迅>から)
◇「団結」が境涯を広げる
「世界は、激しく動く。未だ、学会は、世界にとって、塵の如き存在かも知れぬ」。1953年(昭和28年)4月7日、25歳の池田先生は、日記につづっている。前年の末、学会は2万2000世帯だった。
「而し」——日記の続きには、池田青年の強い決意がとどめられた。「十年、二十年、否、三十年後を見よ。必ずや大聖人の大生命哲学が、輝き渡ることであろう」。その約2週間後の4月20日、池田先生は文京支部長代理に就任する。年頭には、男子部の第1部隊長の任も受けていた。多忙に多忙を極めたが、恩師に応えんとする青年のほとばしる情熱は低迷する文京支部を一変させていった。
「こんばんは、おじゃまします」
53年(同28年)4月25日夜、文京区内で行われた文京支部の班長会。支部長代理に就いたばかりの池田先生は、参加者と題目三唱を。ところが、声がそろわず、何度もやり直す。ようやく、皆の三唱がそろった後、先生は訴えた。
「全員の呼吸が、ぴったりと合ったら、皆さんの力は、ただ合計しただけの力では終わりません。予想もしなかったような、大きな力が発揮できるのです」
支部をいかに団結させるか——それが、先生にとっての大きな挑戦だった。
「互いに心がバラバラでは、皆の力も結果も出ない。『団結』とは、個性を押し殺した自己犠牲ではなく、エゴの殻を破る、自己の境涯の拡大である。崇高な目的に向かって心を合わせ、それぞれが持てる力を存分に発揮しゆく戦いだ。ゆえに、異体同心の信心のなかに、前進があり、勝利があり、幸福があるのだ」
先生は、組織のリーダー同士の綿密な連携を重んじた。「種々、今後の打ち合わせを、支部長と練る」(『若き日の日記』、1953年11月4日)。中心者を支え、一人一人と心を通わせながら、麗しい"文京家族"の団結を築いていった。
【「若き日の日記」1954年(昭和29年)7月19日から】
良き師——、良き先輩、良き友、
良き隣人を大事にせよ。
大切にせよ。尊敬せよ。
◇中心者が"聞き上手"に
「座談会」は、文京支部の"団結の要"だった。池田先生は、そのポイントについて、折々に文京の友に語っている。
�参加者が来てよかったと思う座談会
�時代感覚を捉えた斬新な企画
�中心者の話が一方通行にならないこと、などである。
特に強調したのは、座談会の中心者が"聞き上手"になること。
「中心者がわからせよう、わからせようと話して、一方通行になってはいけない。聞き上手になりなさい」
「家庭のこと、経済のこと、なんでも聞いてあげなさい。そのなかから人と人とのつながりができて組織はよくなる」
この言葉の通り、座談会や懇談の場で、友の悩みに耳を傾け、寄り添い、励ましを送ったのが池田先生であった。
会合には参加するものの、いつも黙っている未入会の青年がいた。誰が話しても入会はしなかった。その青年を、先生は温かく包み込んだ。「世界のなかで、なぜ君一人だけが、望んで不幸になろうとしているのですか。今日は幸せになろうと思って来られたんでしょう。心配しないで、私についていらっしゃい」。"心の扉"を開いた青年は、ほどなく入会した。
口ベタを自認する保土ケ谷地区の班長には、こう励ました。「使命のない人は一人もいません。桜梅桃李ですよ。どんなに弁が立とうが、才があろうが、大切なのは心です」
友の「心」を動かすには、「心」を尽くすしかない。池田先生の言葉には、真心があふれていた。その根底にあったのは、単なる優しさではない。一人一人が必ず仏の生命を持ち、使命の人であるとの確信である。
文京の会合に出席した日、支部の気を付けるべき点を日記につづっている——。「地涌の菩薩として、誰人も使命あることを、知らしめること」(同、1954年7月25日)
文京支部長代理の戦いは、関わった全員の「地涌の菩薩」としての使命を呼び覚ます戦いだった。
◇同志はわが身と等しい
文京支部の合言葉は「前進!」。"心のギア"をかみ合わせ、破竹の勢いで前進を続けた。池田支部長代理は、同志と共に笑い、共に悲しみ、苦楽を分かち合った。
「文京支部の同志と、九時まで歌い、激励し、張り切って家に帰る」(同、1954年6月27日)
「文京の友が、栄えることの歓び。——文京の友の悲しみは、身を切られる思いなり」(同、同年7月2日)
先生にとって、同志は"他人"ではなかった。"家族"であり、"わが身"と等しい存在だった。
1カ月の折伏が100世帯に満たなかった文京支部は、池田先生が目標としていた200世帯を超える拡大を成し遂げ、支部長代理の就任から8カ月後には、400世帯を突破するに至った。
戸田先生はうれしそうに語った。
「大作、すごいじゃないか。文京は大発展した。すごい力になった」
池田先生が支部長代理に就いた時、約700世帯だった文京支部は、後に「日本一」の拡大を達成し、先生が第3代会長に就任する頃には、約7万世帯という「100倍」の陣容に大発展したのである。
1960年(昭和35年)4月、第三代会長就任を前に、文京支部の同志に言った。
「さあ、日本中、そして世界へ、いよいよ新たな前進また前進だ! 一生涯、一緒に戦い勝とう!」
「三十年後を見よ」「大聖人の大生命哲学が、輝き渡る」——あの日の池田青年の誓いは現実のものとなった。
池田先生は「文京精神」について語る。
「社会は、休むことなく常に動いていくものだ。人の心もまた同じである。目先にとらわれた信心であってはならない」
「時代がどうあれ、人々がどうあれ、過去の功績がどうあれ、常に自分自身を律しながら、一生成仏への峻厳な信心をもち、常に前進していかなければならない。これが文京精神である」