2021年3月5日金曜日

2021.03.05 わが友に贈る

仕事で苦闘する友よ
断じて勝ちゆけ!
勇気と知恵を生み出す
原動力が題目だ。
日々 強き祈りで!

四条金吾殿御返事 P1118
『貴辺日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈流通にあらずや、法華経の信心をとをし給へ火をきるにやすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ』

【通解】
あなたもまた、日蓮に従い、法華経の行者として多くの人に仏法を語られている。これこそ、法華経流通の義ではないか。法華経の信心を貫き通しなさい。火を起こすのに、途中で休んでしまえば火は得られないのである。強盛の大信力を出して、法華宗の四条金吾、四条金吾と鎌倉中の上下万人および日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい。

名字の言 "広布の黄金柱"壮年部 2021年3月5日
ある壮年部員から聞いた青春時代の話。高校卒業後、故郷を離れて東京で就職。そこで仏法にも出あった。仕事は順調、学会活動も充実の毎日だった▼だが会社が倒産し、事態は一変。残務整理に追われる不遇の中で心身は疲弊した。そんな彼を地元の地区部長が支えた。毎晩決まって、アパートの前で帰宅する彼を待っては、「ご苦労さま。体に気を付けて」と一言励まし、地区部長は家路に就く▼その真心に再起を誓った。ある冬、池田先生との記念撮影会に臨んだ。いまだ苦闘の渦中の彼は貧しかった。スーツの下は半袖のワイシャツ。熱気の場内で万歳をすることに。「上着をお取りください」と司会。一人、半袖姿の彼を見つけた先生はそばに招き、「信心根本に社会で勝て! 人生に勝て!」と激励した▼その後、彼は再就職先で奮闘。壮年部に進出後も師弟の誓いに生き抜き、後年は代表取締役として活躍する。数々の地域役職も歴任した。社会と人生に勝利の証しを打ち立てて師に応え、かつての地区部長のように青年を励ます日々を送る▼御書に「金は・やけば真金となる」(1083ページ)と。"広布の黄金柱"である壮年部の「壮」は「さかん」とも読む。情熱を盛んにして、人生を真金と輝かせる偉大な使命と責任と誇りがある。(城)

寸鉄 2021年3月5日
壮年部結成55周年。今こそ広布の黄金柱の出番だ歴史創れ!勝利王たれ!
春は語らい広げる好機。御書に「声も惜まず」と。"電話一本"も弾む生命で
愛知・豊橋の日。創価の友が輝けば地域は明るく!常楽我浄の都を皆で建設
世界の感染者が増加傾向—発表。人の動く年度末、3密回避等決して緩めず
マスクのポイ捨てが生活環境を汚染。野生動物にも被害あり。正しく廃棄

〈社説〉 2021・3・5 きょう「壮年部結成記念日」
◇立ち上がれ! 広布の黄金柱
きょう3月5日、壮年部は結成55周年の日を迎えた。1966年(昭和41年)のこの日、学会本部には代表750人が集い、結成式を開催。その模様を伝える当時の本紙には"学会の中核たれ"との見出しが躍っている。「壮」の字には「盛ん」の意味がある。英語で壮年は「the prime of life」——すなわち「人生の最盛期」「心身共に最も充実した人」ともいえよう。
今、広宣流布は新時代を迎えた。社会の中軸であり柱である壮年部の存在は、いよいよその重要性を増している。今こそ本領発揮の時である。
あすからは「全国壮年部幹部会」の意義を込めた本部幹部会の全国配信が始まる。師の呼び掛けを胸に、創立100周年への大前進を開始したい。
広布の第一線を見る時、「私が成長しよう」と挑戦を続ける壮年がいる組織には、勢いと安心感がある。経験に裏付けられた励ましの言葉には奥行きと説得力がある。その信頼の大地から人材が育つ。そして今、コロナ禍においても敢然と試練に立ち向かう「創価の黄金柱」の奮闘が、全国各地で輝いている。
東京のある支部長は、勤務先の大手百貨店の苦境の中、創価学園卒業生としての負けじ魂を胸に事業の新規開拓に挑戦。昨年2月からは、支部内の壮年部員宅に毎週、励ましをつづった手紙の投函を続けた。その数は2千通にも。つながりが持てなかった部員からも「夫婦で毎週楽しみにしています」との声が届いた。
また、ある地区では、これまで対面形式では会合に参加できなかった壮年をオンラインでの対話で結んだ。インターネットを通して、海外赴任中の友も座談会に参加し、現地の模様を伝えるなど、充実の語らいに。毎月、小説『新・人間革命』を学び合う取り組みでも、社会的な話題などを語り合い、多彩な境遇の壮年同士による決意の場となっている。
一方、長期化するコロナ禍で、経済はひっ迫し、社会には不安が渦巻く。家族を抱える友も多い。責任世代の壮年が直面するのは、必死の激闘の日々かもしれない。しかし、「仏法は勝負」である。師子王の心で一つ一つの課題に断じて勝利しよう。壮年の勝利こそ広布の勝利であるからだ。
初代会長・牧口常三郎先生の入信は57歳。戸田城聖先生は戦時下の入牢から45歳で出獄し、第2代会長に烈日のごとき情熱で就任されたのは51歳の時であった。池田大作先生は「学会の勝負は、最後は壮年部が決するのだ」と語っている。
黄金柱の壮年が立てば、広布は前進する。さあ波浪を越えて、人生に栄光と勝利の太陽を輝かせようではないか!

☆第2回本部幹部会 原田会長のあいさつ(要旨)
一、「第2回本部幹部会」ならびに結成55周年を記念する「全国壮年部幹部会」の開催、大変におめでとうございます(拍手)。
躍動の春3月、創立100周年への大前進を、本格的に開始する時を迎えました。この2030年までの10年が、広布の未来にとって、どれほど大きな意義をもつものか。
創立50周年の1980年(昭和55年)、つまり、池田先生が第3代会長を辞任された翌年の「11・18」に、先生は、こう宣言されています。
「創価学会は、峻厳な信心がある限り、広布をめざす果敢な弘教の実践がある限り、永遠不滅であります。妙法を根本に平和と教育の推進に尽くしてきた学会の大民衆運動の第1幕は終了し、いよいよ、ここに第2幕が開いたのであります。今日よりは、創立100周年をめざして、世界の平和と文化、広布のために、心新たに大前進してまいろうではありませんか」との師子吼でありました。

◇「折伏精神」で勇気と希望を拡大
今、私たちは、長いトンネルのようなコロナ禍に立ち向かうと同時に、先生が半世紀をかけて成し遂げられてきた広布第2幕の反転攻勢を、いよいよ総仕上げする10年——先生が「勝負の時」と位置付けられた10年を、先生から託され、担っているのであります。
その一切に勝利しゆく希望は、先生のご指導の通り、「峻厳な信心」と、「広布をめざす果敢な弘教の実践」すなわち「折伏精神みなぎる対話拡大」以外には断じてないと、共々に深く銘記してまいりたい。
一、さらに先生は50周年の折、「10年後を見よ。必ずや、絢爛たる最高の60周年を迎えてみせる」と、当時の会長に語られたという事実も、後に教えてくださいました。
そして迎えた10年後、90年に勃発したのが、あの日顕による「C作戦(創価学会分離作戦)」でありました。しかし学会は、10年前とは打って変わって、先生のもと微動だにすることなく、僭聖増上慢の出来をも笑い飛ばしながら、かえって平成の宗教改革を成し遂げ、今や世界宗教として雄々しく飛翔する時代を迎えています。

◇東北の同志のごとく「負けじ魂」を燃やして
一、全国、全世界で、多くの同志、多くの壮年部が今、人生最大の苦境に立たされています。そのような中で、東北の友が示す勝利の実証は、何よりの希望であります。
池田先生は10年前の3月16日、東日本大震災で被災された皆さまに、こうメッセージを贈ってくださいました。
「『心の財』だけは絶対に壊されません。いかなる苦難も、永遠に幸福になるための試練であります。すべてを断固と『変毒為薬』できるのが、この仏法であり、信心であります」と。
今こそ私たちは、東北の同志のごとく、「負げでたまっか」の負けじ魂を燃やし、勇気と希望を持って、「10年後を見よ。必ずや、絢爛たる最高の100周年を迎えてみせる」と立ち上がってまいろうではありませんか(拍手)。

◇壮年部はどこまでも婦人部と青年部を大切に
一、改めて言うまでもなく、池田先生こそ壮年部永遠の模範であります。その先生の精神を学び、深め、体現する"道場"はどこかといえば、日々の学会活動のほかに、求めることはできません。また、その実践は、観念論ではなく、先生が大切にされてきたものを自分もまた大切にし、先生が戦われたものと断固として自分もまた戦う——この行動から始まるのではないでしょうか。
池田先生が何より大切にされてきた存在、それは「婦人」と「青年」であります。特に婦人部との関わりについては、これまで何度も、厳重にご指導いただきました。小説『新・人間革命』にも、このようにあります。
「学会の活動を、最も推進してくださっているのは婦人部です」
「したがって壮年は、婦人を尊敬し、ねぎらい、その意見を尊重することが大事です。壮年幹部が、なんの相談もなく、一方的に物事を決めて、結果だけを伝えるようなことは、厳に慎むべきです。それでは、共戦になりません。だいたい、壮年と婦人がギクシャクしている組織というのは、対話がなく、連携がないことが多いんです」
「また、壮年幹部が婦人を下に見て、威張ったり、叱りつけるようなことがあっては、絶対にならない。そんな幹部がいたら、言ってきてください。私が戦います」(第25巻「共戦」の章)と。
先生は、いかなる三障四魔、三類の強敵との激闘の渦中にあっても、婦人部と青年部を大切にし抜かれました。コロナ禍で経済環境も大変に厳しい現在、特に正役職を担う壮年は、広布の黄金柱であるとともに、まさに現役世代として一家の大黒柱でもあり、その心労は並大抵ではないでしょう。しかし、だからこそ今、私たちが婦人部と青年部を尊敬し、ねぎらい、その意見を尊重する実践に挑戦することは、そのまま先生のお心に触れ、わが境涯を拡大し、革命するチャンスなのです。
未曽有の試練に直面する中で、一人一人が置かれている環境も、その意見も、ますます多種多様です。私たちは、全同志の勝利と幸福、異体同心の団結を祈る中で、婦人部や青年部から"なんでも安心して相談できる"と言われる壮年部に成長してまいりたいと思います。

◇リーダー率先で対話の最前線へ
一、さあ、「3・16」から「4・2」「5・3」、さらには「出獄と 入獄の日に 師弟あり」の「7・3」へ、戦いは一気呵成、勢いが勝負を決します。
御書に「竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し」(1046ページ)と仰せの通り、まずはリーダーが、一人一人への訪問・激励に猛然と動き、その一点突破から、対話拡大へ破竹の勢いで進んでまいろうではありませんか(拍手)。

☆2月度御書講義 四条金吾殿御返事(此経難持御書)(下)
◇「立正安国」の実現へ三世にわたる師弟旅を
信仰を貫き、勝利の大道を! ここでは、森中教学部長の2月度「御書講義」(下)を掲載します。講義の動画はこちらから視聴(2月28日まで)できます。

◇御文
『三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを持とは云うなり、経に云く「護持仏所属」といへり、天台大師の云く「信力の故に受け念力の故に持つ」云云、又云く「此の経は持ち難し若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり」云云』(御書1136ページ6行目〜8行目)

◇不退の覚悟を
日蓮大聖人は、私たちが持つ「南無妙法蓮華経」の法が、どれだけ偉大な教えであるかを強調されています。
——三世の諸仏の大事である南無妙法蓮華経を唱え続けることを、「持つ」と言う——と仰せです。
ここで「三世の諸仏の大事」とあるように、南無妙法蓮華経は、一切の仏を仏たらしめる根源の法です。すなわち、あらゆる仏は、この南無妙法蓮華経によって、成仏できたということです。
私たちは、妙法を持っています。それがどれだけ意義深いことであるかを、次の法華経の一節が物語っています。
——法華経には「仏から託された『法』を護持する(護持仏所属)」と説かれている——と仰せです。
これは、法華経勧持品二十行の偈の中の一節です。菩薩たちが、仏滅後の法華経の護持を誓った経文です。
私たちは、いかなる大難があっても、師匠から授かったこの偉大な法を持ち抜いていきますと、皆が力強く誓願を立てた、ということです。
そして、何を固く誓ったかというと、まさしくそれは、民衆を守るために戦うとの決意です。次も有名な一節ですが、大聖人は天台の言葉を引用します。
——天台大師は「信じる力のゆえに受け、念じる力のゆえに持つ」と言っている——。
まさに、万人成仏の法である南無妙法蓮華経を受持する修行とは、「信力」によって受け、「念力」によって持つことになると教えられているのです。
まず「信力」こそが大事である。そして、「念力」とは、私たちで言えば、一念の力、つまり、広布の誓願と不退の覚悟ともいえると思います。

◇大難に立ち向かう
私たちが妙法を受持することを仏も諸仏も歓喜します。
——また「法華経は持つことが難しい。もし、少しの間でも持つならば、私(釈尊)は必ず歓喜する。諸仏もまた、同じである」と説かれている——。
経文にあるように、誓願に生き抜く人を、釈尊も三世の諸仏も歓喜し、称賛するということです。
したがって、その人は、無量の功徳に満ち溢れることは間違いありません。
まさに、ここは「此経難持」が出てくる宝塔品の一節です。
経文では、釈尊が六難九易の原理を説き、悪世に法華経を持つことがどれだけ大変であるかを強調したあとに、菩薩たちに"末法広宣流布を決意する以上、誓願の言葉を述べなさい"と語ります。そして、この諸仏が歓喜する一節の後に、「則為疾得・無上仏道」の一句もあります。
改めて本抄で引用されている法華経の経文は、法師品で菩薩の「願兼於業」の誓いの後に「難信難解」の法理が説かれ、宝塔品の「六難九易」の後に「此経難持」が説かれ、勧持品の二十行の偈の中で「護持仏所属」が説かれています。まさに大難を受けることと誓願とは一体です。
ここまでの箇所で、大聖人は、一貫して、法華経や、結経の普賢経、天台の解釈などを引用して、大難を受けることは全て経文の通りであり、その大難に立ち向かうことが信仰の本義であり、諸仏も称賛する成仏への軌道であることが示されています。
大聖人は、経文が根本です。私たちでいえば、まさに御書根本です。仏説に裏付けされた仏法の方程式通りだと聞いて、四条金吾も深く納得したことでしょう。

◇御文
『火にたきぎを加える時はさかんなり、大風吹けば求羅は倍増するなり、松は万年のよはひを持つ故に枝を・まげらる、法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し、法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられ・まげられん事疑なかるべし、此れより後は此経難持の四字を暫時もわすれず案じ給うべし』(御書1136ページ8行目〜11行目)

◇試練は信心の糧に
大聖人は、大難のなかで信心を貫くことで、自身の生命を磨き、成仏の境涯を現していけることを教えられています。
ここでは、さまざまな譬えが引かれています。
「火に薪を加える時には火は盛んに燃える。大風が吹けば求羅は、ますます大きくなる。松は万年の樹齢を持つゆえに枝を曲げられる。法華経の行者は火と求羅にあたり、薪と風は大難にあたる。法華経の行者は久遠長寿の如来である。(松の譬えのように)修行の枝を切られ、曲げられることは疑いない」
「求羅」というのは、仏典に出てくる想像上の生き物です。小さな身で、目に見えないぐらいですが、風を得ると、たちまち大きくなり、全てをのみ込むほどになるとされています。
ここで「火」と「求羅」は法華経の行者を譬えています。また、「薪」と「大風」は、大難です。大難に遭えば遭うほど信心の炎を燃やしていけば、法華経の行者は強く、大きく成長していくことができるのです。
また、松の木は、長年の風雪に耐えているからこそ、万年の長寿ともいわれる見事な枝ぶりの樹木に育ちます。
同じように、法華経の行者が長年にわたって、大難の中で信仰を貫き通すことで、三世永遠に崩れることのない仏の境涯を築き上げることができます。
その時、困難や試練は全部、信心の糧となり、自身の生命を鍛え抜き、偉大な境涯を築き上げることができるのです。

◇勝負の一年
——これより後は「此経難持」の四字を片時も忘れずに心にとどめていきなさい——。
本抄の結びとして「此経難持の四字」を少しも忘れてはならないと指導されています。私たちも、生涯、信仰を貫き通して、勝利の大道を歩んでいきたい。
「法華経の行者は久遠長寿の如来なり」——私たちの信仰は、今世で終わるものではありません。
今、私たちは、三世にわたる永遠の師弟旅の中にいるという自覚で立ち上がり、創立100周年を目指して、新たな出発を切りました。
その出発に当たる第1回の本部幹部会で、池田先生は、次のメッセージを贈ってくださいました。
「今年は、大聖人の御聖誕800年——。私たちは不思議にも、『今この時』を選んで共に生まれ合わせ、『世界広宣流布』の戦いを起こしております。
久遠からのこの宿縁と使命を自覚するならば、何ものにも負けぬ偉大なる『地涌の菩薩』の勇気と智慧と慈悲が、一人一人に滾々と涌現しないわけがありません。(中略)
これからの十年は、まさに地球の大難をも払い、『生命尊厳』そして『人間革命』を基軸とした『新たな人類文明』を建設しゆく大事な大事な時であります。
この十年を決しゆく勝負の一年、希望・勝利の『不二の旅』を共々に朗らかに決意し合って、私の年頭のメッセージとします」(1月8日付)
私たちの「立正安国」「立正安世界」の実現への挑戦こそが、人類にとっても大事なこの10年を、平和と調和と万人の幸福の達成へと大きく変えていく歴史を創る戦いとなります。
今こそ、「此経難持」の精神で、信心根本に前進していきましょう。