座談会は広布の原動力。
皆で仏法を学び合い
生き生きと体験を語り
決意新たに出発しよう。
歓喜の輪を幾重にも!
乙御前御消息 P1221
『冰(こおり)は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれどもかさぬれば藍よりも色まさる』
【通解】
いよいよ強盛の信心をしていきなさい。氷は水からできたものだが水よりも冷たい。青い色は藍から出たものだが、色を重ねると藍よりも色が濃くなる。
名字の言 落語「笠碁」の名句 2021年3月17日
碁を打つ二人が「この一目、待った」「待ったなし」と言い争った揚げ句、けんか別れをした。以来、互いに退屈な日々。それでも、他の人とは盤に向かわない。二人とも心では"相手はあいつに限る"と分かっていた——落語「笠碁」である▼この話に名句が出てくる。「碁敵は憎さも憎し懐かしし」。そこに暗い憎悪はない。碁の勝ち負けに、本気で喜んだり、悔しがったりさせられた相手への尊敬がにじみ出ている。本気でぶつかり合える深い友情さえ感じる▼ある男子部員は20年来の友人と仏法対話を重ねていた。だが友人は入会を拒んだ。当時、無職の自分を惨めに感じていた友人は、話を素直に聞けず、ついには彼を遠ざけた。それでも男子部員は友の幸福を祈り、対話を重ねた▼後年、友人は起業に成功する。今度はそのことにおごり、対話に耳を貸さない姿勢は変わらないまま。ところが、会社が不況で倒産。男子部員が駆け付け励ますと、友人はついに心を開いた。「状況が一変すると多くの人が去った。中には同情してくれる人もいた。でも一緒に乗り越えようと言ってくれたのは、お前だけだ」。入会し、再起業も果たした▼祈り続け、誠実に言葉を紡ぎ、寄り添い続ける人が得る無上の人生の宝物——それが友情である。(代)
寸鉄 2021年3月17日
創価学園で卒業式。君の活躍こそ創立者の喜び。人類貢献の志胸に世界へ
新大阪の日。勇猛精進の信心が常勝の歴史開く!さあ励まし合い希望拡大
今日、種を蒔く者が明日、その果実を収穫できる—博士。今できる事に全力
「百千万億倍・御用心あるべし」御書。多忙な年度末こそ無事故の祈りを強く
ワクチン普及しても予防対策必要—医師。マスク、3密回避等、改めて厳守
〈社説〉 2021・3・17 「彼岸」に考える「追善回向」
◇広布への共戦を誓う契機に
全国各地で桜のつぼみが膨らみ、早い地域で開花宣言が発表された。
きょう17日は、彼岸の入り。春の訪れを感じる20日の「春分の日」を中心に、日本では先祖に感謝する意味を込めて、墓参りなどの風習が根付いている。
その日本でも、時代とともに「死」を忌み嫌い、遠ざけるようになってきた。ところがコロナ禍に直面し、今、死がリアリティーをもって受け止められ始めている。死者とどう向き合うのか。彼岸のこの時期に、改めて考えてみたい。
日本思想史・文化史の第一人者である東北大学大学院・佐藤弘夫教授は、本紙のインタビュー(3月6日付)で次のように語っている。
「亡き人を縁にしながら、悲しみや苦しみの記憶が、一つの物語となっていく。その物語を共有する中で、生きる意味を見いだし、前に進む力へと変えていける。死者と生者の、どちらもが孤立することなく、共に歩んでいく——そうしたストーリーを持つことが大切です」
死というものを真っすぐに見つめる時、人間はより良い人生を生きていくことができるのである。
日蓮大聖人は「父母の成仏即ち子の成仏なり、子の成仏・即ち父母の成仏なり」(御書813ページ)と、親子一体の成仏を示されている。
大聖人の仏法における追善回向とは、自分自身が仏道修行で得た功徳を回し向けることである。自ら積んだ善根が故人への回向となる。自身の信心の真心が、亡き親のもとへ及び、自身のもとへ、その福徳が返ってくる。
私たちにとっては、広宣流布という崇高なストーリーを継承することである。それは決して家族に限ったことではない。共に戦った同志の遺志を継ぐことでもある。
災難がうち続いた大聖人の時代、現世の安穏を諦め、死後の安楽を願う念仏思想がはびこり、人間から生きる力を奪った。大聖人は、そうした誤った思想を打ち破り、人々の生きる力を呼び覚まし、現世安穏、国土安穏を実現すべく戦い抜かれた。「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(同31ページ)と、社会の繁栄、平和への貢献が仏法者の使命であることを叫ばれた。
「立正安国」「立正安世界」こそ、世界192カ国・地域の創価の同志が共有している、三世にわたる壮大なストーリーといえよう。
追善回向とは決して故人だけのためではなく、今を生きる人のためでもあり、未来を力強く志向したものであるべきだ。わが家、わが地域の広布の物語を受け継ぐ機会にしていきたい。
☆人間主義の哲学の視座 第7回 対談集『20世紀の精神の教訓』に学ぶ�
テーマ:連帯
【池田先生】
内なる革命から社会の変革へ
「他者性の尊重」をその柱に
【ゴルバチョフ元大統領】
多様性それ自体が偉大な価値
21世紀の持続的発展の要件
◇発想の転換
過去に乗り越えたことがないような"人類的危機"に、どんな手段や経験を頼りに立ち向かうのか——。
この問いに、著名な生物地理学者であるジャレド・ダイアモンド氏は答えた。「世界の国々が一致団結して危機に向き合い、乗り越えるには、世界の人びとが共通のアイデンティティを持つことが必要です。そうしたアイデンティティが、行動の方向性に忠誠を尽くすことを可能にするからです」(クーリエ・ジャポン編『新しい世界』講談社現代新書)
近著『危機と人類』で、国家的危機に直面した各国の変革を描いた氏の、気候変動を巡る考察である。
気候変動、そして核兵器という、人類の存続を左右する脅威に加えて今、感染症のパンデミック(世界的大流行)が地球規模で続く。立ち向かう私たちに求められるのも、この時代を「自分は」どう生き、世界に対して何ができるのかというアイデンティティー(自分であることの根拠)の確立だ。
物事を"自分事"と捉え、自身を磨き上げることで「変革の波」を広げていく——これが創価の人間革命運動であり、池田先生とゴルバチョフ氏が語り合ったテーマでもあった。
池田 21世紀を展望するうえで、不可欠なポイントとなるであろう点を一つ、問題提起したいと思います。それは、思考の回路を「外」から「内」へ、だけでなく、「内」から「外」へ、つまり「環境革命」から「人間革命」だけでなく、「人間革命」から「環境革命」へと方向転換していく、ということです。
ゴルバチョフ わが国が迎えた崩壊と騒乱の時代は、太古よりの理性と本能の葛藤に、たしかに新しい局面を登場させました。今ロシアが学んでいる歴史の教訓は、全人類の関心を呼ぶものだと思います。
池田 20世紀は、文明の進歩とは裏腹に、史上かつてないおびただしい人命の犠牲がもたらされました。
「外」なる条件、すなわち法や制度、経済などの面から、民族的・階級的矛盾を解消することが、おしなべて人間社会の幸・不幸を決定づける根本要因とされてきたわけです。
私は、今こそ人間の内面へ視線を移し、「内」なる課題の解決を第一義にしつつ、「内」から「外」へと、発想の転換をはかっていくことが必要であると思います。
◇桜梅桃李の個性
自己の内面の転換を促す「新しい精神性」は、どのようにして芽生えていくのか——。先生は大切な点として、他者の存在に対して謙虚であろうとする「他者性の尊重」と、絶えざる努力による、その「習慣化」を挙げる。
また、仏法に説かれる「桜梅桃李」を通して、世の中の花が桜だけであればそれは個性とはいえず、梅や桃といった"他者"の存在があってこそ、桜の個性は際立ってくると強調。このことは、人間であっても同じであると訴える。
池田 自己の内面に「他者」を見失い、「他者」との結びつきを断たれ、一見活動的なようでも精神世界が外から閉ざされてしまっている、いわば"自閉的状況"は、20世紀文明の産み落とした最大の病理とはいえないでしょうか。
ゴルバチョフ 世界・人間・社会の多様性を認めることは当然として、その多様性それ自体が、じつは偉大な価値であることを認識すべきです。一元化を標榜するボルシェビズム(※注1)、さまざまな所有形態、階級を認めない考え方。それにまっこうから挑戦するところから、ペレストロイカ(※注2)が始まったことはすでに申し上げました。その道程にあって、私たちは、決定的な一歩を印すことができたと自負しています。
私は、この多様性の尊重こそが、来るべき世紀の重要な原則となり、安定した持続的発展の要件となると確信しています。
◇「立正」と「安国」
他者性とは「相手の側に立ち」「相手と自分を入れ替えてみる」こと——文豪ゲーテの言葉を引いて、先生は率直に語った。
ここで氏は、そうした"内なる変革"は決して容易ではないと述べる。母国の政治改革に奔走しながらも、国民の心を変えることの困難さを、その身で痛感した経験からである。
ゴルバチョフ ロシア農民の貧しさを代表する一人である私としては、忘れられない事実があります。つまり、飢えで死のうとしている人間が、「良心」や「善の声」に耳をかたむけるのは、きわめてむずかしいということを、私はよく知っているのです。
幸運な、富める人々にとっての「外なるもの」の価値と、赤貧の、人生に打ちのめされた人々にとっての「外なるもの」がもつ意味・価値とは、おのずから違っています。むろん、一人一人の人間の内面に善を見いだし、「内」から「外」への方向性を支え伸ばしていくことに、課題がおかれていることは十分理解したうえで、あえて申し上げているのです。
池田 よくわかります。現実と向き合うことをさけ、たんに理想のみを追い求める生き方は、私どもの最も忌むところです。
大乗仏教の精髄は、こうした現実の苦悩を直視し、原因を究明し、それをどう解決していくかという課題のうえに成り立っているのであり、決してこの世の悪や矛盾から目をそらそうとするのではありません。
確認しておきたいのは、宗教が救済を志向するにあたって、宗教的価値と世俗的価値との関係のあり方、両者のどちらにウエイトをおくかという、人類の宗教史を深くつらぬいているテーマです。
「立正安国」という言葉は、その関係性をまことに簡潔に示しています。すなわち「立正」という宗教的価値と、「安国」という世俗的価値とは、どちらが欠けても不十分であり、その二つが相まってこそ、「立正安国」という仏法者の使命は達成できるのだ、と位置づけているのです。
私が「内」から「外」へ、と訴えているのも、まさにこの「内なる革命」の「外」へ向けてのやむにやまれぬ発現にほかなりません。
本年1月に発表した「SGIの日」記念提言で、先生は、世界の国々を一隻一隻の船に例え、コロナ危機という"同じ問題の海"を航海しながらも、人類は別々の方向に押し流されてしまう恐れがあると指摘した。そして、この"海図なき航海"の羅針盤となるのが、各国の連帯であると訴える。
他者の苦しみに思いをはせ、身近な場所から行動を起こす——。こうした「他者性の尊重」に貫かれた「内なる革命」の連帯こそが、危機を克服し、より良い世界を創る希望となる。