車や自転車等での
"ながら運転"は禁物。
"自分は大丈夫"との
油断と慢心を排そう!
無事故の祈りを強く!
如説修行抄 P504
『哀なるかな今日本国の万民日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められ大苦に値うを見て悦んで笑ふとも昨日は人の上今日は身の上なれば日蓮並びに弟子檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし』
【通解】
哀れなことかな、今日本国のあらゆる人々が、日蓮と弟子檀那等が三類の強敵に責められ、大苦にあっている有様を見て、悦んで嘲笑していようとも、昨日は人の上、今日はわが身の上とは世の常の習いである。いま日蓮ならびに弟子檀那が受けているこの苦しみも、ちょうど霜や露が、朝の太陽にあって消えてしまうように、わずかの間の辛抱ではないか。
名字の言 風と共に生きる 2021年3月25日
年中温暖で、本土に比べて四季の移ろいがゆるやかな沖縄には、季節を告げる「春一番」や「木枯らし」はないが、季節の微妙な変化を表す独自の風がある▼夏至の頃に吹く「夏至南風」を便りに真夏を迎え、10月頃の「新北風」が吹くと暑さが和らぎ秋が訪れる。一方、脅威の風もある。3月頃(旧暦2月)に吹く「二月風廻り」は漁師が台風の次に恐れ、海では時に命も奪う強風だ。沖縄では季節を運ぶ風を読み、風と共に生きてきた▼沖縄の壮年が、病弱な妻の血液型がRHマイナスと知ったのは、第1子の妊娠時だった。困難と宣告された出産を夫婦は決断。長男誕生の喜びは信心の確信となり、4人の子宝に恵まれた▼その壮年が一人から始めた写真館は県内大手の会社に発展。だが、デジタル化など時代の風向きを読み、事業の縮小へ転じた。時同じくして、親の介護、妻の病が重なる。自身も病に襲われたが、壮年は家族も社員も守り、自身の病からも蘇生した。「人生に無駄はありません」と語る壮年の姿は、烈風に揺るがぬ大樹のように思えた▼御書に「八風に侵されない人こそ賢人である」(1151ページ、趣意)と。順風や逆風など、人生は風と共にある。一切の風を前進の力とする広布の先輩に学び、友へ励ましの春風を送りたい。(首)
寸鉄 2021年3月25日
世界人類に共通する善行は大善—牧口先生。妙法流布の実践が最大の善と
東京・江東「師弟勝利の原点の日」。不屈の祈りで前進!凱歌へ突破口開け
親からの愛情ある言葉が子の自己肯定感育てる—専門家。励ましは万の力
家庭内感染を防ぐ工夫—食事時間ずらす。手洗い・マスクの基本徹底忘れず
偽サイトへ誘導する詐欺が4倍に。不審なメール警戒。皆で声掛け撃退
〈社説〉2021・3・25 「創価新報」の連載が書籍に
◇民衆厳護の学会精神を継承
「妬みはよき人々にのみ掴みかかり、劣った者とは争わない」(『祝勝歌集/断片選』内田次信訳、京都大学学術出版会)とは古代ギリシャの詩人ピンダロスの言。ソクラテス、ガンジー、キング……。時代を問わず、平和と正義に生き抜いた偉人の生涯、またその運動には、いわれなき中傷や迫害がつきものだった。
広宣流布という人類の恒久平和を目指す学会の歩みもまた、嫉妬や無理解による非難中傷と迫害の連続だ。それは、「法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし」(御書230ページ)との御聖訓の通り、日蓮仏法の正統な教団に襲い掛かる「必然の法難」である。学会は、三代会長の死身弘法の闘争と、同志の筆舌に尽くせぬ労苦と献身によって法難の嵐を乗り越え、悪しき権力に屈しない民衆の連帯を築いてきた。そこに貫かれているのは、三代会長に脈打つ師弟の魂と広布実現への覚悟である。その精神を求め抜き、純真な庶民の信仰の世界を護り、発展させゆくのが創価の青年の使命だ。
本年は日蓮大聖人の御聖誕800年。さらには邪宗門の鉄鎖を断ち切った「魂の独立」から30周年でもある。このほど、「創価新報」で昨年連載され、好評を博した谷川主任副会長へのインタビューが、書籍『世界広布の旭日——創価の誉れの大道』として、「3・16」を記念して発刊された(第三文明社刊)。
同書では1990年以降の第2次宗門事件はじめ、一部政治家やマスコミによる学会弾圧の歴史が語られている。そして第2次宗門事件の本質について、「大聖人の御遺命である一閻浮提広布を実現すべく世界宗教に飛翔するための『宗教改革』」であるとし、その戦いを通して、「学会は『大聖人直結』『御書根本』の信心を確立した」と述べている。
「創価新報」では本年から、連載の後継企画「万年の世界広布へ」がスタート。第1次宗門事件や反転攻勢の闘争をテーマに語らいが繰り広げられている。
宗門事件を勝ち越えた歴史は、世界教団たる学会の発展を語る上で、極めて重要な足跡である。それは、「宗教のための人間」から、「人間のための宗教」へ、根本的な転倒をただす戦いだった。池田先生はその意義について、「日蓮大聖人の仏法は『太陽の仏法』であり、全人類を照らす世界宗教です。(中略)あらゆる観点から見て、"世界的""普遍的"であるべきです。決して、小さな閉鎖的・封建的な枠に閉じ込めるようなことがあってはならない」(小説『新・人間革命』第30巻<下>「誓願」の章)とつづられている。この精神を胸に対話に進みゆく中に、世界広布の未来は開かれていく。
☆御書の旭光を 第15回 大果報を招く妙法の功力
〈御文〉
『慈父過去の聖霊は教主釈尊の御前にわたらせ給い・だんなは又現世に大果報をまねかん事疑あるべからず、かうじんかうじん』(南条殿御返事、1530ページ)
〈通解〉
(強盛な信心の人には大果報があると仏は説かれている)亡くなられた慈父の聖霊は、教主釈尊の御前においでになり、檀那(南条時光)はまた現世に大果報を招くことは疑いない。幸甚、幸甚。
〈池田先生が贈る指針〉
日蓮仏法は「常彼岸」である。毎日、勤行・唱題で妙法の大功力を直接、故人に回らし向ける。これが我らの追善回向の本義だ。介在など必要ない。
広布に尽くし、友を励ます行動も、全て故人への最高の供養となる。後継が勝ち栄えて、先人の成仏を示しゆくのだ。
「生も歓喜、死も歓喜」と、一家眷属を大果報で包みゆこう!
☆「わが愛する青年に贈る」に学ぶ 第10回=完 広宣流布〈下〉 共々に地涌の使命に生き切る誉れ 西方男子部長
◇池田先生の指導
創価の三代の師弟に連なり
共々に地涌の誓願に生き抜き
異体同心の前進をしていけば
広布の団体である学会は永遠。
1 一人から一人へ
大河の流れも、「一滴」から始まります。世界広布も同じです。その原理を、池田先生は、「諸法実相抄」を拝して語られています。
【御文】
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや』(諸法実相抄、御書1360ページ9行目〜10行目)
【現代語訳】
初めは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人、三人、百人と、次第に唱え伝えてきたのである。未来もまた同じであろう。これこそ「地涌の義」なのである。
■ 池田先生の講義
まず自らが一人立つ。その一人が起点となって、次の一人に語る——この最も本源的な人間と人間の結びつきこそが、いかなる時代、いかなる天地でも、未来にわたって広宣流布の展開の基本なのです。
—◆—
「師子は伴侶を求めず」といいます。広宣流布に「一人立つ」人とは、周りがどうあれ、環境がどうあれ、師の大願をわが誓いとして、主体的に行動を起こす勇者にほかなりません。
その率先垂範の姿を見て、一人また一人と地涌の使命を自覚した友が続いていくのです。
さらにまた「一人立つ」人とは、一人の人間の無限の可能性を深く信じるがゆえに、徹底して「一人を大切に」する人である——ともいえるでしょう。
忘れ得ぬ原点があります。それは創価大学4年生だった2006年秋。私は、創立者・池田先生が「200」の名誉学術称号を受けられた壮挙を祝賀する式典の中心者として、準備に当たりました。
迎えた祝賀祭の席上、創立者は学生たちの演技を最大にたたえてくださった後、スーツの襟に着けられていた創大のバッジを外し、私の襟に着けてくださったのです。"みんなによろしく伝えてね""頼むよ"との言葉と共に——。
私はこの激励を、"私と同じ心で一人立ち、みんなを励ましていくんだ"との師の厳粛な指導だと受け止めました。
今、世界192カ国・地域に広がる創価の連帯も、「一人を大切に」する人間の結び付きによって築かれたものであることを、胸に刻みたいと思います。
2 自発の行動に歓喜あり
池田先生は御聖訓を通して、「自発能動」から生まれる「歓喜」について教えてくださっています。
■ 池田先生の講義
大聖人は、法華経の経文に照らし、御自身が虚空会に列なった地涌の菩薩であり、それを思えば「流人なれども喜悦はかりなし」(御書1360ページ)と仰せです。
広宣流布という最極の使命を知り、誓願の信心に奮い立ち、勇気と智慧を絞って戦う生命には、「歓喜の中の大歓喜」(同788ページ)がみなぎります。「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(同761ページ)と示されている通りです。
広宣流布の大願には、自発能動の「歓喜」があります。
義務や強制ではない、偉大な妙法に巡り合い、自身の深遠なる使命に目覚めた喜びがある。その「喜び身に余るが故に」(同334ページ)、語らずにはいられないのです。「音も惜まず」(同504ページ)、友に呼び掛けずにいられないのです。
—◆—
私は学生部を卒業した後、東京・文京区で男子部としての出発をしました。
文京は、弱冠25歳だった池田先生が支部長代理を務め、低迷していた支部を第一級の支部へと発展させた歴史がある天地です。
若き日の先生が当時、文京の同志と共に拝した御書の一つが「諸法実相抄」でした。先生は御聖訓を通して「一人一人が、主体者の自覚で立ち上がること」を訴えたのです。
区男子部長となった私は、まず自らが弘教を果たしました。同時に、メンバーへの徹底した訪問・激励に挑戦。友の悩みに耳を傾け、御書を一緒にひもときながら、「自分は"地涌の菩薩なんだ"と自覚した時、目の前の苦難は必ず使命に変わります」と呼び掛けていきました。
自らの使命を自覚した時、職場も家庭も地域も、全てが信仰の実証を示す舞台となります。主役はほかならぬ自分自身です。その確信を持ったメンバーが一人また一人と喜び勇んで折伏に挑み、次々と御本尊流布が実っていきました。
私は総区男子部長の任命を受けた時にも折伏が結実。続いてくれたのは、大学校のメンバーでした。当時共に戦った友が今、文京広布の核となって活躍しています。
3 使命の舞台は今ここに
いかなる困難や苦悩に直面しても、決して目をそらさず、勇気の挑戦を開始する——。ここに、地涌の使命を胸に戦う創価の同志の真髄があります。先生は「地涌の菩薩」が出現する意義について、次のように語られています。
■ 池田先生の講義
今なお、世界には、さまざまな戦乱や紛争があります。テロの危険も広がっている。貧困・格差などで社会の分断が進み、苦悩の闇も深い。地球環境の悪化の中、甚大な自然災害も打ち続いています。
しかし、どんな苦難の嵐が吹こうが、どんな試練の壁が立ちはだかろうが、法華経の経文に照らして、必ず、周囲に勇気と励ましの光を送る地涌の勇者たちが出現します。
否、現れなければ、経文は虚妄になってしまう。
一人の地涌の先達が涌現すれば、必ず、一人また一人と立ち上がり、同志が誕生します。あの国にも、この地にも、地涌の民衆が、生き生きと活躍すれば、幸福と平和への連帯を生み出します。
まさしく、これが「地涌の義」です。そして、地涌の大陣列が築かれれば、必ず国土の宿命は転換されていきます。
まさに、経文に説かれる「同時に涌出せり」(法華経452ページ)の時代を迎えました。
—◆—
コロナ禍でオンラインの利用が進み、距離の制約を超えて交流する機会が増えました。広布の活動においても活用しつつ、こうした社会状況ゆえに、確認したい法理があります。それは「娑婆即寂光」です。
法華経の如来寿量品で、仏が久遠の昔から娑婆世界(苦悩が渦巻く人間世界)で衆生を救済し続けてきたことが示されます。
仏国土といっても、現実から離れた別の世界にあるのではありません。この現実世界を理想的な寂光土へ変革できることを法華経は教えているのです。地涌の菩薩も足元の大地から涌出しました。池田先生は「大地とは九界の現実です」と語られています。「九界」という現実に挑んでこそ「仏界」は湧きいずるのです。
三重出身のある男子部リーダーは、縁あって東京・荒川の地へ。「ここが使命の舞台」と決め、町会の交通部に所属。地域行事等で貢献を重ね、周囲から厚い信頼が寄せられています。広布拡大にも率先し、大学校生の輩出で模範を示しています。
現実生活では、たとえば苦手な人がいて、逃げたいと思う環境さえあるかもしれません。しかし、"さまざまな人と関わる中で得られる成長"が必ずあります。自らの人間革命を通して他者と協調し、今いる場所をより良くしていくことが、「幸福と平和への連帯」を生み出します。
わが足元こそ地涌の本舞台——オンラインの活用が加速度的に進む時代だからこそ肝に銘じたい点です。
4 師弟の魂を世界へ未来へ
最後に先生は、未来を展望しつつ、創価学会という組織の永遠性と重要性を示されます。
■ 池田先生の講義
「広宣流布の信心」に燃えて、創価の地涌の宝友が、いよいよ全地球を舞台に「巍巍堂堂として尊高」(御書211ページ)たる姿で躍り出ています。
創価の若き丈夫たちが勇敢に、正義の旗を掲げて立ち上がりました。
華陽の乙女たちが清々しく、朗らかに、幸と希望のスクラムを広げています。
これからも、世界中の後継の皆さんが、創価の三代の師弟に連なり、共々に地涌の誓願に生き抜き、異体同心の前進をしていけば、学会は永遠に広宣流布の団体として断絶することはないのです。
—◆—
「広宣流布の信心」、そして「異体同心の前進」——ここに、学会が日蓮仏法の正統であるゆえんがあります。
かつて池田先生は語られました。「同じ御本尊であっても、問題はこちらの『信心』がどうかである」「学会は最も強盛な『信心の団体』であるゆえに、心を合わせて進む時、大功徳がある」
本年は学会が邪宗門から「魂の独立」を果たして30周年。学会と宗門との決定的な違いは「広宣流布への祈りと実践」「人間主義の思想を根本にした異体同心の姿」にありました。学会は創価の三代会長を貫く「師弟の魂」があるゆえに、現実の上で世界広布を進め、いかなる謀略の嵐にも揺るがない巍々堂々たる陣列を全世界に広げることができたのです。
青年部の使命は、父母たちが師と共に築いてきたこの学会を護り抜き、人間主義の世界宗教として飛翔させていくことにほかなりません。
これからも「広宣流布の団体」である学会には、その前進を阻む「魔」が姿や形を変えて紛然と競い起こることは間違いないでしょう。私たち男子部は、破邪顕正の魂を燃やして一切の障魔を打ち破っていきます。
自分が今いる場所で祈り、動き、友を励まし、心と心を結びながら、人間革命の勝利の実証を共々に示していく——その現実の中にのみ「広宣流布の実像」も「創価三代の師弟の魂の継承」もあることを、深く銘記しながら。
■ 池田先生の講義
不二の君たちよ、不二の貴女たちよ。
一人ひとりが、自分がいるその場所で、その地域で、「広宣流布の信心」で立ち上がれ!
一人ひとりが、人生の英雄となって、信仰の「実証」を示し切ろう!
一人ひとりが、自身の人間革命から、地道に、粘り強く「信頼」を勝ち取っていこう!
君たちあらば、広布の未来は盤石なり!
「自他共の幸福と平和の花園」を、世界へ未来へ勝ち広げていってくれ給え!