2019年7月30日火曜日

2019.07.30 わが友に贈る

家庭・地域・職場で
清々しいあいさつを!
真心こもる振る舞いが
信頼の絆を強める。
友好の園を築きゆこう!

兄弟抄 P1081
『此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり、六道の中に二十五有と申すろうをかまへて一切衆生を入るるのみならず妻子と申すほだしをうち父母主君と申すあみをそらにはり貪瞋癡の酒をのませて仏性の本心をたぼらかす、但あくのさかなのみをすすめて三悪道の大地に伏臥せしむ、たまたま善の心あれば障碍をなす』

【通解】
そもそも、この娑婆世界は、第六天の魔王の所領です。そして、一切衆生は、無始已来、第六天の魔王の眷属です。第六天の魔王は、六道の中 に、二十五有(注、欲界の四悪趣・四州・六欲天、色界の大梵天・四禅天・無想 天・五浄居天、無色界の四空処天)という牢を構えて、その牢の中に一切衆生を 入れるだけでなく、妻子という足かせを打ち、父母・主君という網を天に張り、 三毒の酒を飲ませて、仏性の本心を狂わせるのです。
第六天の魔王は、ただ、悪の肴ばかりを勧めて、三悪道の大地に倒れさせます。そして、たまたま、善心を持っている者に対しては、妨害を行います。

〈寸鉄〉 2019年7月30日
伝統の夏季フリー研修。英気養い学会精神深める好機。鍛えの夏を共々に
全人類の人格を最高の価値に引き上げたい—恩師広布の大理想胸に今日も
子には批評よりも手本が必要—思想家。親の求道の姿こそ信心継承の土台
休日に新しいことに挑戦する人は創造力も高まると。有意義な一日一日を
加熱式煙草、健康リスクの軽減にはつながらない—WHO。安易に考えず

☆8月度男子部 法華初心成仏抄
◇強き祈りが諸天を動かす
◇題目の功徳は無量
8月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では「法華初心成仏抄」を研さん。唱題行の無量の功徳について学び、「行学の二道」に励む夏への糧としたい。

◇御文
『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば籠の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ』(御書557ページ)

◇通解
私たち自身の心に具わる妙法蓮華経を本尊として尊崇して、私たち自身の心の中の仏性を南無妙法蓮華経と呼び、呼ばれて現れるものを仏というのである。譬えていうと、籠の中の鳥が鳴けば、空を飛ぶ鳥が呼ばれて集まるようなものである。空を飛ぶ鳥が集まれば、籠の中の鳥が出ようとするようなものである。口で妙法をお呼びすれば、私たち自身の仏性も呼ばれて必ず現れる。

◇背景と大意
本抄は、御述作の時期や宛先についての詳細は不明である。内容から、かつて念仏を唱えていた女性門下か、念仏への未練を残している女性に対して、法華経信仰の基本を教えられた書であると推察される。
「法華初心成仏抄」との題号の「初心」は、初めて発心し、仏道を志すことをいう。本抄後半で末法の初心の行者(末法の衆生)が妙法によってのみ成仏できると明かしていることから、後にこの題号が付けられたとされている。
本抄は、問答形式でさまざまな宗教の正邪を論じられた上で、法華経こそが仏の本意を明かした経典であり、悪世末法では法華経28品の肝心である南無妙法蓮華経のみが、弘めるべき成仏の根本法であることが明かされる。
拝読御文は、本抄末尾の一節であり、南無妙法蓮華経の唱題行によって己心の仏性が呼ばれて現れることを示されている。この直後では、悪法に執着する心を捨て、強盛な信心をもって唱題に励むよう呼び掛けられる。

◇解説
拝読御文には「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて」と示されている。
日蓮大聖人は、御自身の生命に顕現した妙法蓮華経を御本尊として御図顕された。
私たちにとっては、この御本尊を拝し、自身も大聖人と同じく広大で尊極な境涯を開いていけると信じること——それが「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて」ということになる。
すなわち、大聖人を根本の師と仰ぎ、その不惜の信心を受け継ごうとしてこそ、御本尊を正しくあがめ敬うことになるのである。
反対に、自身の外に救いを求めてすがるようでは、己心の妙法蓮華経を本尊とあがめる実践にはならない。大聖人は、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ」(御書1244ページ)とも仰せである。
「我が己心の妙法蓮華経」を本尊として唱題に励む時、胸中に大いなる仏界の生命が涌現する。そのことを、大聖人は、「籠の中の鳥」の譬えを用いて教えられている。籠の中の鳥が鳴けば、空飛ぶ鳥が集まり、空飛ぶ鳥が集まれば、籠の中の鳥も出ようとするのである——と。
「籠の中の鳥」は凡夫である私たち自身の仏性を示し、鳥が「籠」の中にいることは、民衆が無明や煩悩に束縛された状態を表す。そして、「空とぶ鳥」とは、全ての衆生の仏性を意味する。すなわち唱題行は、一切衆生の仏性に呼び掛ける実践であり、同時に自身の内なる妙法蓮華経を呼ぶことである。このとき、「籠の中の鳥」は自身の生命を縛る無明や苦悩から解放され、自由な覚りの境地を飛ぶことができる。
「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ」——大聖人は、「必ず」と御断言である。信心根本に生き抜く人に、断じて行き詰まりはないのだ。
拝読御文の直後では、私たちの題目が諸天の仏性を呼び起こし、守護の力を発揮するとも仰せである。これは、生命の内側から仏性が薫り出ることで、それに引かれて他の生命の仏性が働きはじめ、外から守る働きが現れるという「内薫外護」の法理を示している。題目を唱える人を、諸天は必ず守る。まさしく、強き一念を定めた私たちの祈りこそが、環境を変えゆく"原動力"なのだと拝せよう。
「私たちの生命の変革があってこそ、諸天善神が動くのです」と池田先生は語る。
自他共の仏性を引き出し、幸福の人生の軌道を開いていけるのが、私たちが唱える題目の無量無辺の功徳である。この夏も、唱題根本に、目の前の一人を励ます対話と弘教の拡大に勇んで挑戦したい。