2019年7月21日日曜日

2019.07.21 わが友に贈る

「願くは我が弟子等・
大雁ををこせ」御聖訓。
皆が使命を果たせるよう
どこまでも心一つに祈り
広布の峰を登攀しよう!

一生成仏抄 P383
『若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し』

【通解】
もし自身の心の外に成仏の道を求めて万行万善を修めようとするのは、例えば貧しさに窮している人が日夜に隣の人の財産を数えても、
半銭たりとも自分のものにならないようなものである。

〈寸鉄〉 2019年7月21日
社会の不幸に目をつぶるのは大聖人の魂に反する—恩師。立正安国の道を
励ましの力で人々を蘇生させる会長の姿は模範—識者。誠実な振舞、我らも
賢人は最後まで戦い通し愚人は偶然に身を任せる—作家。今を悔いなく!
熱中症にならない自信がある—2割。過信は禁物。水分・塩分補給、小まめに
参院選の投票日。令和の新時代を開く選択。声が届く政治へ賢明なる一票

☆扉をひらく 池田先生の対話録� 第3回 オーストリア芸術家協会 ハンス・マイヤー会長
◇写真も人生も「一瞬」が勝負 今この「瞬間」に心を尽くす
カシャッ、カシャッ。
二つのカメラから、小気味よいシャッター音が響く。
1992年8月26日、池田先生がオーストリア芸術家協会会長のハンス・マイヤー氏を聖教新聞本社に迎えた。
著名な写真家であるマイヤー氏が池田先生にカメラを向けると、先生も手元のカメラを構える。
レンズ越しにも、談笑が絶えない。じっくり語るのはこれが初めてだったが、旧知のように話が弾んだ。
「なぜカメラに興味をお持ちになったのですか」
池田先生の質問に、幼少期を振り返るマイヤー氏。父の友人が持つカメラに夢中になった思い出を語った。
「カメラというのは、一体どんな仕組みになっているのか知りたくて、よく暗室に入り、一生懸命、眺めていたものです」「6歳の時には、もう『自分は将来、写真家になる』と決めていました」
キュンストラーハウスの名で親しまれるオーストリア芸術家協会は、同国最古にして最大の芸術拠点として知られる。1861年の創立以来、数千回に及ぶ多彩な展覧会を開いてきた。
戦後のウィーンで数々の賞に輝き、写真家として名をはせたマイヤー氏。1975年に同協会の会長に選出され、芸術振興に奔走してきた。
池田先生もマイヤー氏も、かねて「写真は民衆に開かれた芸術」と述べ、写真文化の宣揚に努めてきた。
「写真を『芸術』と見る観点は二つあります」とマイヤー氏。
「一つは『道具を使った芸術である』ということです。人間の手だけでは表現できないものを、写真は表現できる。二つ目は『万人に開かれた芸術である』という点です。絵画などをうまく描けなくても、写真は、シャッターを切りさえすれば撮れる。だから極めて『民主的』な、それでいて高い質をもった芸術と言えると思うのです」
池田先生が応じる。
「会長が言われたように、写真は、誰でも『見た』ものを『写す』ことのできる芸術です。その上で、重要なのは、同じものを見ても、生命にどう映るか、どう感じるかです。見え方の差、境涯の差は、おのずと作品にも現れるのではないでしょうか」
そう語り、言葉を継ぐ。
「余談ですが、有名な『キヤノン』という名称も、もとは『カンノン』だったそうです。カンノン——日本語では、『観音』といえば法華経の『観世音菩薩』のことです。『世音を観ずる』すなわち世間のあらゆる"生命の声"を、真実を、ありのままにキャッチしていく。写真芸術にも通じる、生命の働きを表していると思います」
"心のレンズ"を磨き上げてこそ、真実を写すことができる——先生の言葉に、氏が満足そうにうなずいた。

毎年元日、ウィーンの楽友協会から世界に生中継され、年明けを華やかに飾る「ニューイヤーコンサート」。
この楽友協会の真向かいに立つキュンストラーハウスで、92年1月、「自然との対話——池田大作写真展」が開幕した。東京富士美術館主催の「日本美術の名宝展」と同時開催である。
「私は写真芸術家ですから、池田会長の写真の芸術性の高さがよく分かるつもりです」とマイヤー氏。自ら作品選定に当たり、一枚一枚を吟味した。
当初、案に挙がっていたのは、パリやウィーンなど、池田先生が欧州訪問の際に写した作品が中心だった。
しかし氏は、山あいの田畑や紅葉、竹かごに盛られた秋の味覚など、日本の四季折々を収めた作品を推薦。並び順にも熟慮を重ねる姿は、関係者が圧倒されるほどの真剣さだった。
写真展には3万人を超える市民が来場し、連日、新聞やテレビなどの主要メディアで報じられた。過去最大級の日本文化の展覧会となった同展に触れつつ、先生と氏の語らいは「戦争と文化」に焦点が移っていく。
にこやかな表情を浮かべていた氏から、笑みが消えた。「絶対に忘れられない、また許すことのできない不幸な出来事でした。こんなことは、二度と、二度と繰り返してはなりません」
氏は先生より2歳年上。17歳の時、徴兵でドイツ陸軍に入隊している。
「よく分かります。私も、あの暗い戦時中に少年時代を送った一人です」と池田先生。
マイヤー氏の父は、終戦までの7年間、悪名高きダッハウ強制収容所に囚われた。祖父も収容所に送られ、自ら命を絶っている。
「『右』にせよ『左』にせよ、人間を抑圧する『独裁』というものは、同じです。こうしたバカげた愚行を絶対に繰り返させないことが、私たちの『使命』なのです」
語気を強める氏に、池田先生は「深い『人間観』に基づいた、深い『歴史観』を感じます。『人間』の真実の叫びです。私どもも、『独裁』と戦っています。『抑圧』と戦っています。会長と『同じ使命』の同志です」と。
芸術家協会では、氏の主導で旧東欧諸国との文化交流にも尽力してきた。「私は私なりに、"東側"との文化交流を続けてきましたが、そのことが、旧東欧諸国の共産主義体制の崩壊に若干の貢献をしたかもしれません」
池田先生が深くうなずく。
「大きな貢献と思います。『文化の力』は小さいようで、長い目で見れば、確実に、時代と社会の底流を動かしているものです」

「法華経の序品では、釈尊が、いわば最高のカメラマンのごとく、森羅万象の映像を鮮やかに映し出し、人々に見せてあげている。すなわち、釈尊の眉間から発する光明が、東方の1万8千といわれる世界を照らすと、全てが黄金の光の中に浮かび上がります。生命の閃光、フラッシュに例えられるかもしれません」
92年8月の会談で先生は、法華経の映像性を通し、写真芸術を語った。
「法華経では、この森羅万象が自己の『一念』に収まり、また自己の一念が『全宇宙』に遍満していくことを明かしている。また『生命の永遠性』を説きつつ、果てしない過去も未来も、現在の『一瞬』に凝縮されていることを説いています」
技術の発達により、今や写真は毎日の生活に欠かせないものとなった。だが、それが「一瞬」を「永遠」に刻み残す作業であることに変わりはない。
マイヤー氏は語っている。
「会った瞬間、私にははっきりと分かりました。池田会長が、私と同じような人生体験をお持ちであり、『不幸を繰り返さぬ』ために戦っておられることが——」
信念の人のみが、信念の人を知る。
「瞬間」の芸術に生き、文化交流に生涯をささげた氏が、"心のレンズ"で捉えた先生の実像である。

ハンス・マイヤー 1926年〜93年。写真家。75年にオーストリア芸術家協会(キュンストラーハウス)会長に就任。オーストリア最古の伝統を誇る同協会の活動を主導し、多くの芸術家に発表・交流の場を提供。旧東欧諸国との文化交流にも力を尽くしてきた。91年6月、写真分野における芸術的業績が評価され、池田先生が同協会の在外会員に就任。翌92年1月には、キュンストラーハウスで「自然との対話——池田大作写真展」が開かれ、3万人を超える市民が鑑賞した。同年11月、国際的な文化交流活動への多大な貢献がたたえられ、池田先生に同協会の名誉会員証が授与されている。

〈引用・参考文献〉 池田大作/ユッタ・ウンカルト=サイフェルト著『生命の光 母の歌』、広瀬佳一・今井顕編著『ウィーン・オーストリアを知るための57章』(明石書店)、増谷英樹著『図説 ウィーンの歴史』(河出書房新社)、R・ヴァイセンベルガー編『ウィーン 芸術と社会 1890−1920』池内紀・岡本和子訳(岩波書店)。