2019年7月24日水曜日

2019.07.24 わが友に贈る

リズム正しく
信心即生活の日々を!
朗々たる朝夕の勤行で
節度ある食事と睡眠で
健康を勝ち取ろう!

四条金吾御書 P1176
『とがありともせうせうの失をばしらぬやうにてあるべし、又女るひはいかなる失ありとも一向に御けうくんまでもあるべからず』

【通解】
(弟たちに)少々の過失があっても見逃してあげなさい。また女性には、いかなる過失があっても、戒める必要などない。まして争ってはならない。

〈寸鉄〉 2019年7月24日
剣豪の如き教学研鑽の夏仏法の魂は行学の二道にあり。若師子よ鍛え抜け
本紙配達の「無冠の友」に感謝!信心の血流を隅々に届ける広布の大功労者
8月まで未来部躍進月間各部一体で協力し激励!皆が後継の"宝樹"なれば
梅雨から夏本番へ。急な暑さによる熱中症に注意水分・塩分補給絶やさず
現在の温暖化がいかに危険か理解すべき—国連総長。英知結集と行動急務

☆御書と歩む� 第81回 諸天動かす不屈の祈りを
『南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ現世安穏後生善処疑なかるべし、法華経の行者をば一切の諸天・不退に守護すべき経文分明なり』(秋元殿御返事、1070ページ)

◇通解
南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。現世は安穏であり、後生は善処に生まれることは疑いないことである。法華経の行者を一切の諸天が不退に守護することは経文に明らかである。

◇同志への指針
法華経の行者の祈りほど、強いものはない。我らの不屈の題目と行動に呼応して、一切の諸天善神も不退の誓いで護りに護る。
御本仏は全てを御照覧である。妙法に完璧に則った創価の行進は、自身はもとより縁を結んだ眷属も福徳安穏で包み、現在から未来へ幸福勝利の大境涯を開いていくのだ。
悔いなく朗らかに、祈り切り、語り切り、走り切ろう!

☆御聖訓に学ぶ勝利の要諦 テーマ「仏法は勝負」 2019年7月20日
◇最後まで走り抜け 師弟凱歌の実証を!
広布も人生も戦いです。勝ってこそ仏の境涯が開けます。勝ってこそ正義と輝けるのです。「日蓮大聖人が『仏法は勝負をさきとし、王法は賞罰を本とせり』と仰せになって居るように、これ(=現証)こそ宗教の生命というべきもの」(『牧口常三郎全集』第10巻所収「価値創造」)と、牧口先生は断言されました。勝利の実証を示してこそ、力ある宗教です。故に断じて勝たねばならない。私たちには、御本尊がある。励まし、支え合う同志がいる。何より、無敵の創価の師弟の精神が脈打っています。さあ、生命の底力を発揮し、大勝利を謳歌しようではありませんか。

信心の偉大さを満天下に
●御文
『今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり』(弥三郎殿御返事、1451ページ)

●通解
今まで生きながらえてきたのは、このこと(法華経ゆえの難)に遭うためである。今この時こそ、(戦いの要衝として有名な)宇治川を渡す所だ、勢多川を渡す所だと思いなさい。名を上げるか、名を下すかの勝負どころである。

不運だと嘆くのか。
絶体絶命と焦るのか。
成長の好機と喜ぶのか。
正義を証明する舞台と勇み立つのか——。
自分の置かれている状況がどうであっても、自身の心に映る景色は、一念の置きどころ一つで変わります。
日蓮大聖人は、励ましを通して、門下の一念を転換し、輝く希望と無限の勇気を与えられています。
本抄は建治3年(1277年)、弟子の弥三郎が、法論に臨むに当たって、戦いの姿勢を教えられたお手紙です。どういう事情からか、弥三郎は、法論に臨まなくてはならなくなったようです。その報告に、弥三郎の不安を感じ取られたのでしょう。
大聖人は、そうした後ろ向きの一念を打ち破るために、今回の法論こそ、勝利と幸福の人生を開く乾坤一擲の戦いではないかと激励されたのです。名を上げるとは、単に名声を得ることではありません。信心の偉大さを自らの姿で満天下に示すことです。勝利の実証を輝かせていくことです。それは師弟の栄冠であり、師匠の偉大さを宣揚することでもあるのです。
私たちの人生にあっても、"どうして""なぜ"と、思いもしない事態に直面することがあります。しかし、その時こそ、地涌の菩薩として使命を果たすべき好機なのです。そう心を定め、喜び勇んで戦い、師弟凱歌を勝ち飾ろうではありませんか。

◇もう一歩の努力、挑戦を
●御文
『始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき』(新池御書、1440ページ)

●通解
始めから終わりまで、いよいよ信心をすべきである。そうでなければ後悔するであろう。例えば、鎌倉から京都までは十二日の道のりである。それを十一日余り歩いて、あと一日となった時に歩くのを止めたのでは、どうして都の月を詠ずることができよう。

あと一歩だった。
諦めていなければ……。
そうした後悔をしないためには、ゴールするまで信心の炎を燃やし、一瀉千里に走り抜くことです。
世の中に勝利の秘術といえるものはたくさんあるかもしれません。しかし、最後の勝利をつかむ人は、自分の弱い心に打ち勝った人です。
本抄は弘安3年(1280年)、新池左衛門尉に与えられたお手紙です。いよいよの信心に励み、貫き通すことの大切さを教えられています。
いくら頑張っても、解決や勝利が見えてこない時があります。"やっぱり無理か""不可能なんだ"と、弱気が顔を見せ、諦めてしまいそうになることもあるでしょう。
「心の師とはなるとも心を師とすべからず」(御書892ページ)と仰せの通り、揺れ動く一時の感情に流されないことが大切です。
歩みを止めてしまえば、それまでの努力も水の泡になってしまいます。諦めた瞬間に、敗北の因は生命に刻まれるものです。後悔しないために大事なことは、結果が出るまで挑戦し続けることです。
友人に対話しても、響いていないように思うこともあるでしょう。しかし、諦めずに語っていけば、突然、心を開いてくれ、味方になってくれることもあります。もう一歩の努力、挑戦が、勝利をもたらすのです。叶うまで祈り通し、祈り切る。諦めない勇気の人が真の勝利者なのです。

◇コラム 法華経の兵法
ちまたには、経営や営業のことからダイエット、受験まで、現代の"兵法"ともいえる方法論があふれています。
日蓮大聖人は「兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり」(御書1193ページ)と、ありとあらゆる戦術は、妙法をもとにしているといわれています。
もちろん、専門的なコツやいわゆる"必勝法"もありますが、それらも妙法の将軍学の部分、部分を説いたものといえるのでしょう。
兵法の真髄は、突き詰めれば人間の心の問題にほかなりません。だからこそ大聖人は、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし(中略)あへて臆病にては叶うべからず」(同1192ページ)と仰せです。祈りから生まれた勇気こそ、本物の兵法です。
"今、自分に何ができるだろうか"と必死になれば、まだまだ、打つ手はあるはずです。それを行動に移せるかどうかが、勝敗の分かれ目です。
勝利へ、まず自分の心を動かすことです。心が動けば、行動となって表れます。必死に動く姿は、諸天をも舞わせていくのです。故に、最後に勝負を決するのは強き信心なのです。