2019年7月4日木曜日

2019.07.04 わが友に贈る

広宣流布も人間革命も
全ては祈りから始まる。
「叶わざるなし」の
大確信で弾ける題目を!
信心の大生命力で前へ!

四条金吾殿御返事 P1182
『始中終すてずして大難をとをす人如来の使なり』

【通解】
最初から最後まで、生涯、妙法を捨てずに大難を受けても受持し通す人は如来の使である。

〈寸鉄〉 2019年7月4日
「いよいよ」「なをなを」が仏法の魂。さあ未来の為。大きく動き、正義を拡大
兵庫が渾身の猛追。異体同心の団結で進め。世間をあっと言わせる勝利へ
国は土ではなく人の心でできている—詩聖。地道な対話こそ立正安国の要
座り過ぎは心身の健康に影響と。合間に数分歩くだけでも効果。賢く工夫
参院選公示。日本の針路決める一票。安定か混乱か。皆が責任ある選択を

☆広布史アルバム 第4回 愛知
◇炎の一念で限界突破
「日本の、また世界の広宣流布といっても、詮ずるところは、この中部が画竜点睛となります」——「愛知の日」の淵源となった中部本部幹部大会(1967年7月10日)。「広布の堅塁・中部たれ」の指針が示された歴史的な集いである。
金山体育館(当時)に詰め掛けた1万人の友を前に、池田先生の指導は40分に及んだ。その一言一句に、"中部こそ広布を決する急所"との期待が凝縮していた。渾身の指導を終え、先生は扇を手に壇上へ。誓いの歌声が轟いた。
先生は愛知の同志に、一貫して一念の大切さを訴えてきた。「中部50年——大勝の源流」と題した随筆では、初めて愛知を訪れ、出席した名古屋市内での座談会(53年12月12日)の思い出を通し、"堅塁の魂"をとどめている。

やがて質問会となり、一人の青年が口を開いた。「ここは念仏が多くて、なかなか折伏が進まないのですが……」
その瞬間、私は、火を噴く大情熱で言った。「全国どこでも条件は同じです。やりやすいところなどありません。"名古屋だけ折伏はできない"と思っている、そのこと自体が、できない原因なのです!」
電撃に打たれたように、満座の空気が変わった。青年の目にも、同志の目にも、消えることなき光が走った。
条件がどうとか、環境がどうとか、情勢がどうとかではない。あれこれ論ずる前に、自分自身の一念がどうかである。本気で戦う炎が燃えているかどうかである。"行き詰まり"の元凶は、外ではない。自分の心の中にある。どうせできないと決め込むのは、自分の惰弱な心に負けている姿だ。その己心の「一凶」を断つことだ!

「日本の中部」は、「世界の中部」として、にぎやかに世界市民の集いゆく大舞台となった。ここ晴れ晴れとした我が中部は、誉れ高き広宣流布の英雄の天地となった。今日も、また明日も、この正義の英雄が生き生きと、強く正しく、そして明るく朗らかに乱舞しゆく、人間の理想郷としての我らの故郷なのだ。
日本中、いな世界中の友たちが、広宣流布の一番星たる"堅塁中部"の壮大な発展を見つめている。いな、偉大な勝利を心から待っている。

いよいよ"中部の月"7月。7・10「愛知の日」、そして7・27「中部の日」へ。師との不滅の誓いに立ち、広布の大堅塁城を築きゆく。

◇池田先生から贈られた和歌
2007年2月、池田先生は、愛知の全同志の奮闘を心からたたえ、「名古屋城 よりも偉大な 愛知城 広布と人材 輝きわたりて」「日本の 中心なるかな 中部山 厳と栄えむ 決意も光りて」とともに、下記の和歌を贈った。

おお愛知
 日本列島
  ど真ん中
 勇み立ちゆけ
   喜び勝ちゆけ

☆心大歓喜 広布の堅塁・中部たれ 2019年6月25日
今回の「心大歓喜——紙上講義で学ぼう」には、小林中部教学部長が登場。「四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)」の御文を拝し、「広布の堅塁・中部たれ」との指針を胸に、負けじ魂の信心で「ストロング・フォートレス(堅塁)」を築く、中部の誇りを、つづってもらいます。

◇御文
『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ』(四条金吾殿御返事、1143ページ5行目〜6行目)

◇通解
苦を苦と覚り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても、南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ自受法楽ではないか。ますます、強盛な信力を奮い起こしていきなさい。

◇池田先生の指針から
御本仏・日蓮大聖人は仰せになられました。「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(御書1448ページ)と。
いずこにもまして三類の強敵が襲いかかろうと、中部の誉れの父母たちは、この仰せのままに「強盛の信心」を貫き通してきました。
1953年(昭和28年)の12月——中部広布の一粒種である初代の地区部長が、私に毅然と語られた言葉が忘れられません。
それは、「何があっても、私たちは負けません。学会とともに、広宣流布のために戦います。どんなことがあっても、学会を守ります。学会を広げます」と。
この正義の堅塁魂を、今も脈々と、わが後継の青年部が受け継いでくれていることが、私の喜びであり、誇りなのであります。(2017年12月12日付本紙、本部幹部会・中部総会へのメッセージ)
◇ ◇ ◇
おお、偉大な中部よ!
幾つもの暗黒の嵐を乗り越え、勝ち越え、堂々たる勝利者の姿で、日本列島の中心にそびえる愉快な民衆城よ!
この強き強き堅塁は、いかなる苦難の烈風にも、悪辣な権力の迫害にも、断じて崩されないであろう。(中略)
いかなる権威よりも、地位や財宝よりも、最も尊いのは、非難中傷の飛礫を受けながら、あの町この町で、一人立つ賢者として、永遠不滅の妙法を広宣流布しゆく地涌の人間たちである。
その生命には、人間の王者の栄冠が光っている。(2003年10月6日付本紙、「随筆 新・人間革命」〈中部50年——大勝の源流〉)

◇中部教学部長 小林幸司
●「負けじ魂」の信心を胸に誓いの「この道」を歩もう
中部にとって、師弟不二の道を歩み抜く誓いを新たにする7・27「中部の日」を迎えます。
1978年(昭和53年)7月27日、第1次宗門事件の渦中、池田先生は愛知を訪問し、自ら作詞した中部歌「この道の歌」を発表してくださいました。
以来、中部の友は、楽しい時も、苦しい時も、「この道の歌」を口ずさみ、師弟勝利の大道を歩み抜いてきました。
中部歌発表の翌日、池田先生が、岐阜の東濃文化会館の勤行会で拝されたのが、今回学ぶ「四条金吾殿御返事」(別名「衆生所遊楽御書」)です。
本抄は、建治2年(1276年)6月、身延の地で著され、四条金吾に与えられました。迫害の連続で、最悪の状況にある金吾に、いかなる事態に直面しても題目を唱えゆく以外に遊楽はないと教えられました。
先生は勤行会で、「我々にとっての人生最極の『遊楽』とは、勇気ある信心、勇気ある題目の実践のなかにある」と語ってくださいました。
実は、東濃に向かう途中、先生は、中部歌の一節「諸天舞う」を「諸天舞え」と、推敲してくださっていたのです。それは、"主体性をもって、自らの祈りで、諸天を舞わせていくのだ"との思いからでした。
本抄で仰せの「自受法楽」の「法楽」とは、妙法を受持して得られる喜びです。主体性をもって広宣流布の大願に生き抜く中で、自分の生命の奥底から湧き出る歓喜にほかなりません。
苦しい時も、楽しい時も、「今が一番、力が出ている」「一番、悩みを乗り越えて成長している」と、感謝の題目を唱え、自ら戦いを起こせば、悪鬼・魔民をも諸天善神に変えていけます。あらゆる障魔を断固と打ち破り、自由自在に人生を謳歌する境涯を築けるのです。ここに信心の醍醐味があります。
先生は、「われわれは、ひとたび決めたこの道——すなわち『信心の道』『一生成仏の道』『広宣流布の道』『師弟の道』『同志の道』を、生涯、貫き通して、ともどもに勝利の人生を飾ってまいろうではありませんか!」(小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章)と呼び掛けてくださいました。
「我等の決めた道」「この道」を歩み抜く勇気ある信心にこそ、真実の幸福があることを教えてくださったのです。
また、妙法流布の大道に、あらゆる障魔が競い起こるのは必然です。それを強盛な信心で打ち破ってこそ、広布の堅塁は築かれていくのです。
1957年(昭和32年)2月、池田先生は戸田先生に一首をささげました。
「いざや起て/いざや築けと/金の城/中部の堅塁/丈夫勇みて」
戸田先生は、返歌を詠まれました。
「いざや征け/仏の軍は/恐れなく/中部の堅塁/立つは楽しき」
"中部が急所だ! 広宣流布の命運を決する最重要の決戦場"——これが師弟の一致した確信でした。「堅塁」は、師弟の誓いの結晶です。10年後の67年(同42年)7月、中部の永遠の指針「広布の堅塁・中部たれ」が発表されました。
これまでの100回を超える中部指導は、池田先生にとって、戸田先生との誓いを果たす戦いであり、中部の同志の心に、生命尊厳の「ストロング・フォートレス(堅塁)」を築く戦いでもあったのです。
82年(同57年)4月の第1回中部青年平和文化祭。男子部の組み体操で、5基の5段円塔に挑戦しましたが、中央の円塔が組み上がる直前に崩れてしまったのです。会場が一瞬静まりかえりました。しかし、次の瞬間、「もう一回だ!」「やるんだ!」と、再挑戦が始まり、見事に立ち上がったのです。
先生は後に、「この不屈の挑戦が中部魂だ!」とたたえ、「(中部に、難攻不落の堅塁を築き上げる)この師弟の念願が、見事に成就したのだ」と言ってくださいました。いよいよ私たちが、師弟の誓いを成就する時です。
「御本尊がある」「師匠がいる」からこそ、本抄で仰せの通り、一切を広宣流布の祈りに変え、地涌の底力である「負けじ魂」を湧き出すことができるのです。信心の戦いがあるからこそ、いかなる試練にも負けない仏界の生命を涌現させることができるのです。
さあ、一人一人が負けじ魂を発揮し、諸天を舞わせて、師弟勝利の堅塁城を築き上げましょう。