2019年7月17日水曜日

2019.07.17 わが友に贈る

大関東よ奮い立て!
「強盛の信心
弥弥 悦びをなすべし」
執念の祈りと行動こそ
誉れの敢闘精神だ!

如説修行抄 P505
『諸天善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ送り給うべきなり、あらうれしやあらうれしや』

【通解】
諸天善神は天蓋をさしかけて旛を立て、私たちを守護して、功徳に満ちた永遠の仏国土へと必ず送ってくださるのである。なんとうれしいことか、なんとうれしいことか。

〈寸鉄〉 2019年7月17日
「但偏に思い切るべし」御書。誓願の師子は無敵。信心の戦いに悔い残すな
愛知が勢いを増し拡大戦堅塁の同志よ強気で進め中部の空に勝利の歓呼を
大阪が激戦突破へ総立ち民衆パワー全開で完勝を常勝の都に栄光の旗高く
中国方面の友が大奮闘!勇敢に動き対話の大波を新時代の黎明の鐘鳴らせ
日本に住む外国人、初の2%超。全ての人が輝く社会建設へ開かれた心で

☆御書と歩む� 第78回 「師子王の心」とは「勇気」
『悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し』(佐渡御書、957ページ)

◇通解
悪王が正法を破ろうとし、邪法の僧らがその味方をして、智者をなきものにしようとする時は、師子王の心を持つ者が必ず仏になるのである。例を挙げれば、日蓮である。

◇同志への指針
この御本仏の仰せ通り、三類の強敵と戦い抜いてきたのが、我ら創価の師弟である。
人間を軽賤し、民衆を攪乱する増上慢の魔性は、「師子王の心」でなければ打ち破れない。ここに立正安国の道があり、仏の道がある。
いざ、題目の師子吼で無敵の勇気を! 恐れなく正義の声を放つのだ。
人間の尊厳のため、民衆の凱歌のために!

☆日蓮仏法の視 立正安国という生き方 男子部教学部長 大津健一 2019年7月9日
◇人々に幸福もたらす仏法の智慧
◇万人尊敬の慈悲を社会へ

日蓮大聖人が「立正安国論」を提出された月、7月(1260年〈文応元年〉)。池田先生の『新・人間革命』第4巻「立正安国」の章をあらためてひもといた。「現実社会の人間の苦悩の解決から目を背けるならば、もはや、それは宗教の死といえる」「世界に、恒久平和の楽園を築き上げるために、人間主義の哲学をもって、人びとの生命の大地を耕していくことが、立正安国の実践であり、そこに創価学会の使命がある」。今再び、立正安国の実践という観点で御聖訓を拝したい。

◇法華経の心を体現
意外なことに、「立正安国論」は「実乗の一善」(御書32ページ)たる法華経への帰依を勧めるが、法華経そのものを詳しく論じていない。「法華真実」(同17ページ)、「一代五時の肝心たる法華経」(同23ページ)と述べるものの、なぜ「真実」「肝心」なのか詳説していないのである。
理由はいくつか推察されるが、ここでは、為政者に宛てた諫暁の書という特徴に着目してみたい。宛先は、執権職を離れて入道となりつつ、権力を握っていた北条時頼。この法華経信仰者ではない事実上の最高権力者に、大聖人は法華経の心をどう伝えようとされたのか。
「立正安国論」から浮かび上がるのはまず、誰の目にも明らかなように法然の誤りを示されたことである。さまざまな経を引くことで、"浄土の教え以外を排除せよ"という法然の言説が仏説に依らない己義であることを鋭く喝破された。
その上で、より象徴的なのは法然批判に一貫する"ある視点"だ。
「一代の聖教を破しあまねく十方の衆生を迷わす」(同22ページ)
「或は捨て或は閉じ或は閣き或は抛つ此の四字を以て多く一切を迷わし」(同23ページ)
「悲いかな数十年の間百千万の人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり」(同24ページ)
「捨閉閣抛の字を置いて一切衆生の心を薄んず」(同25ページ)
このように大聖人は、一切衆生を惑わした罪を徹底して糾弾された。
法華経は爾前経と異なり、悪人・女人・二乗をも救済する「一切衆生皆成仏道」(念仏無間地獄抄、同99ページ)の経。これを捨閉閣抛するのは、万人成仏の道を塞ぐことに等しい。
難を覚悟の上で、一切衆生を思い、諫暁された大聖人の振る舞い自体、法華経の心の体現なのである。

◇大聖人の為政者観
「立正安国論」御提出から8年後の1268年(文永5年)、蒙古から国書が届き、大聖人が予言された他国侵逼難が現実味を帯びる。これを受けて大聖人は、為政者と高僧ら11人に書簡を送られた(十一通御書)。そこに次のような言葉がある。
「身の為に之を申さず神の為・君の為・国の為・一切衆生の為に言上せしむる所なり」(北条時宗への御状、同170ページ)
「全く身の為に之を申さず、神の為君の為国の為一切衆生の為に言上せしむるの処なり」(平左衛門尉頼綱への御状、同172ページ)
大聖人が諫暁の目的を述べられたこの表現は、十一通御書の中でも高僧向けの書状にはない。つまり、為政者に対して"同じ目的に立て"と訴えられたと拝することができる。特に、荘園制の支配・被支配の関係をはじめ、身分差が当然の時代にあって、「一切衆生の為」と迫られた意味は重い。
幕府の権力者である平左衛門尉には「貴殿は一天の屋梁為り万民の手足為り」(同171ページ)と呼び掛けられた。"万民の手足となって尽くす"のが大聖人の為政者観である。「立正安国論」の現存する真筆には、「国」の字の多くに、「くにがまえ(口)」の中に「民」と書く「くに」が用いられていることにも明らかであろう。

◇「異」の苦への慈眼
「一切衆生」「万民」という語は、単に集合名詞として口にすれば、美辞麗句に堕しかねない。
大聖人は「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御義口伝、同758ページ)と、一人一人に「異」を見つめておられた。
一人として同じ人がいないゆえに、人の数だけ、さまざまな苦悩がある。
まして「旃陀羅が子」(佐渡御勘気抄、同891ページ)と最下層の出を自称された大聖人である。「一切衆生」の語には、世の不条理を嘆き明日への希望も見いだせない、最も苦しむ庶民へのまなざしがこもる。"一人ももれなく幸福に"との熱願がほとばしる。
天変地異、飢饉、疫病——。目をそむけたくなる情景から「立正安国論」を書き起こされた大聖人の筆は、苦悩にあえぐ無辜の民への慈悲と義憤に満ちていたであろう。これこそ為政者に伝えたかった、また、必ず伝わると確信された思いではなかったか。
そして正嘉の大地震という「立正安国論」執筆の契機を踏まえれば、庶民の命が脅かされる災禍に直面した時にこそ、為政者はその真価が問われるといえる。悲嘆に寄り添い行動する高潔の士か、実際には"心"のない利己の者か——。
「一切衆生の為」を根本に据える「為政者の心の変革」を訴えられたと拝すれば、民主主義の今日、慈悲の心を持って庶民に尽くすリーダーを社会に輩出することは、立正安国の一つの柱といえる。

◇智人と賢王の協力
蒙古襲来(文永の役)を経て、1276年(建治2年)ごろに著されたと考えられる「減劫御書」も、仏法と社会の関係を論じる。
大聖人は、善政をもたらした例として、中国古代に民衆を守る政治を実現した太公望と張良を挙げられた。
「此等は仏法已前なれども教主釈尊の御使として民をたすけしなり、外経の人人は・しらざりしかども彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり」(同1466ページ)
仏教伝来前の中国にあって、彼らを「教主釈尊の御使」と呼ばれたのは、民を助けた智慧が仏法の智慧の働きである、すなわち、人々の幸福の確立こそ社会における仏法の働きであるからだ。同書では「立正安国論」より展開し、仏法上の「智人」と社会の「賢王」が力を合わせれば、民を苦しめる邪義を打ち破り、安穏な社会を築くことができることを明らかにされた。
池田先生は、今日の「賢王」とは賢明な民衆であると述べられた。
「民衆が賢明になり、強くなってこそ、社会の中で、生命尊厳の思想、絶対平和の思想が広く、また深く定着していきます」「そうした『善の連帯』を築くことが、現代における智人と賢王の出現の意義だと言えます」(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第7巻)
思えば「立正安国論」も、世を嘆くばかりだった客が、主人の言葉に心を動かされ、迷執を捨て、他者にも関わろうと誓う場面で終わる。
変化の起点は主人の姿勢にある。
時に憂いを吐露し、時に怒りで座を立とうとする相手に、笑みをたたえて粘り強く語る。その末に行動の連帯が広がることが、立正安国の対話の帰結といえよう。
一切衆生の幸福を祈り、友の苦に寄り添う。生命尊厳の思想を語り、善の連帯を広げる。慈悲の心で人々に尽くすリーダーを世に輩出し、妙法の智慧で安穏な社会を築いていく——。御聖訓から導かれる、こうした立正安国の実践は、まさに学会同志の生き方そのものではないか。
行動なき傍観、現状を嘆くばかりの批判、一時的に盛り上がるだけの社会運動とは、次元を異にする。生涯を通して日々、立正安国に生きる庶民の群像こそ、学会の実相であると痛感する。
歴史家アーノルド・J・トインビー博士は池田先生の小説『人間革命』英語版の序文で、学会の発展をこう洞察した。
「日蓮は、自分の思い描く仏教は、すべての場所の人間の仲間を救済する手段であると考えた。創価学会は、人間革命の活動を通し、その日蓮の遺命を実行しているのである」
三代会長のもと、万人尊敬の思想を広げ、より良き平和な社会のために尽くしてきた同志の歩み。それは、立正安国に命をささげられた大聖人の後継の証しである。