2019年7月6日土曜日

2019.07.06 わが友に贈る

御聖訓「言わずんば
ある可からず」
語らなければ
真実は伝わらない。
立正安国の大獅子吼を!

四条金吾釈迦仏供養事 P1147
『上にひきぬる経文に不知恩の者は横死有と見えぬ孝養の者は又横死有る可からず』

【通解】
先に引用した華厳経の中には「恩を知らない者は横死する」と説かれている。孝養の者はまた横死することはない。

〈寸鉄〉 2019年7月6日
牧口・戸田両先生の法難の日。不惜身命の大闘争ありて日蓮仏法は世界へ
愛知よ強気で攻め抜け。勢いで勝て!堅塁中部の地に歴史的金字塔を築け
福岡が勇戦。ここからが天王山だ!拡大の号砲を大九州から。勝利へ疾駆
粘り強さだけが目標達成への道なのだ—詩人。弛まぬ実践の人が栄冠掴む
交通事故に注意。多忙な時こそ心の隙なく。互いに声掛け断じて無事故で

☆7月度男子部 新池御書
◇執念の闘争で勝ち開け 「いよいよ」の決意で
7月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では「新池御書」を研さん。「いよいよ」の心で信心を貫き通すところに、幸福と勝利に至る大道があることを学ぶ。

◇御文
『始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき』(御書1440ページ)

◇通解
始めから終わりまで、いよいよ信心をすべきである。そうでなければ後悔するであろう。例えば、鎌倉から京都までは12日の道のりである。それを11日余り歩いて、あと1日となった時に歩くのをやめたのでは、どうして都の月を詠ずることができようか。

◇背景と大意
弘安3年(1280年)2月、日蓮大聖人が59歳の時、身延から新池左衛門尉に与えられたお手紙である。
本抄では冒頭、正法流布の時である末法に生まれ合わせたことを喜ぶとともに、法華不信の人々を嘆かれている。
たとえ法華経を受持しても、経の本意に背けば、悪道に堕ちると述べられ、謗法を犯すことを厳しく戒められた。
一方で、"法華経の行者を一度でも供養する功徳"は"釈尊を長期間、無量の宝をもって供養する功徳"より百千万億倍、優れており、悪道に堕ちることはないと断言され、惰性に流されず、"いよいよの心"で信心を貫いていくよう教えられている。
さらに、当時、在家よりも邪智の僧侶が仏の敵となっていることを示され、極楽寺良観らの悪侶を破折。
最後に、題目の功徳と、成仏の鍵が強盛な「信」にあることを明かされている。

◇解説
大聖人は本抄の冒頭、「うれしきかな末法流布に生れあへる我等」(御書1439ページ)と、末法に生まれ合わせた喜びの大きさを、つづられている。
しかし、そのような得がたい時に信心に巡り合えた人でも、やがて信心が薄れ、慢心にとらわれてしまう——そうした凡夫の臆病な心を指摘され、「これ恐るべし恐るべし」と強調された。
その後に続く今回の御文では、まず「始より終りまで弥信心をいたすべし」と仰せである。
すなわち、「いよいよ」「ますます」との決意で、"今から!""ここから!"と日々、信心の実践を貫くべきであると教えられているのである。
また、「さなくして後悔やあらんずらん」との一節には、"一人たりとも、後退させてなるものか"との、大聖人の大慈悲のお心が拝されよう。
その上で大聖人は、持続の信心の重要性を、鎌倉から京都までの道程に例えられた。
当時、鎌倉から京都までは、徒歩で12日間かかった。その道のりには、数々の難所があり、決して楽なものではなかった。
そのような道中を11日間、懸命に進んでも、最後の1日になって歩みを止めてしまえば、目的地の京都にたどり着くことはできない——と。
この例えのように、いくら仏道修行を重ねても途中で退転すれば一生成仏はかなわない。その原因こそ、大聖人が「恐るべし」と戒められた"慢心"である。
これまでの歩みに満足するのではなく、どこまでも信心を貫き通す中に、幸福と人生勝利の大道があるのだ。
男子部は今、師弟の月・7月へ、広布と人生の目標を掲げて力走している。
池田先生は、若き日の闘争を通して友に呼び掛けている。
「広布の歩みには、どれ一つとして楽な戦いなどなかった。いかに最悪な状況でも、最後の最後まで、闘魂を燃え上がらせ、大地に身をなげうつ思いで、粘りと執念で勝ち開いてきた必死の闘争であった。しかし、苦闘の果てには、燦然たる栄光が待っている」
ひとたび決めた目標は、何があっても諦めない。最後の最後まで挑戦し、断じて達成する。これが学会精神である。
さあ、「いよいよ」の決意に奮い立ち、使命の舞台で師弟栄光の証しを打ち立てよう。