◇今週のことば
未来部こそ無上の宝だ。
一人一人が希望の光だ。
担当者の献身に深謝!
皆で今一重の励ましを。
共に大成長の夏であれ!
2019年7月29日
法門申さるべき様の事 P1268
『総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば始はわすれぬやうにて後には天魔つきて物にくるうせう房がごとし、わ御房もそれていになりて天のにくまれかほるな。のぼりていくばくもなきに実名をかうるでう物くるわし、定めてことばつき音なんども京なめりになりたるらん、ねずみがかわほりになりたるやうに鳥にもあらずねずみにもあらず田舎法師にもあらず京法師にもにずせう房がやうになりぬとをぼゆ、言をば但いなかことばにてあるべしなかなかあしきやうにて有るなり』
【通解】
総じて日蓮の弟子は京に上ると、初めのうちは(初心を)忘れないようであるが、後になると天魔がついて正気を失ってしまう。少輔房のようなものである。
三位房、あなたもそのような姿になって諸天に憎まれないようになさい。
京に上って、いくらも経ってないのに、実名を変えたということであるが、狂っている。きっと言葉つきや発音なども、京なまりになったことであろう。
ねずみがこうもりになったように、鳥でもなくねずみでもなく、田舎法師でもなく京(みやこ)法師にも似ていず、少輔房のようになってしまったと思われる。
言葉は、ただ田舎言葉でいるがよい。(どっちつかずなのは)かえって見苦しいものである。
〈寸鉄〉 2019年7月29日
創価の青年の献身的行動には大きな価値が—長官次代の建設は君の双肩に
男子部大学校生が対話と友情の拡大に全力!生涯輝く青春勝利の歴史綴れ
真の信仰への知は全ての知の中で最も幸福な知—詩人。行学の二道を邁進
人は多く読めば多く考えるように—首相。良書を開こう。心も、頭も強く
「ながら運転」の罰則強化へ。運転中の携帯使用は厳禁。皆で絶対無事故を
☆親子で学ぶ仏教 貧女の一灯 2019年7月28日
むかしのインドのお話です。
王さまが住むお城の近くに、白ゆりの花のように心がきよらかな婦人がいました。
婦人は年老いて、まずしい暮らしでしたが、おシャカさまをとても尊敬しており、いつも「おシャカさまのために、私ができることはないかしら」と願っていました。
ある日のこと。油のつぼをつんだ、たくさんの車が、道いっぱいに通っていきます。
「あれは、なんでしょう?」と婦人が不思議に思っていると、道行く人が、「あれは、王さまがおシャカさまにご供養する油だよ」と教えてくれました。
「おシャカさまが説法のときに、あかりをともすためにお使いになるのさ」
婦人の目が輝きました。
「私も、おシャカさまに油をさしあげたい」
でも、婦人には油を買うお金がありません。そこで、長い髪を切って売り、やっとの思いで油を買うことができました。
ほんのわずかな油でしたが、婦人は真心の祈りをこめて、ご供養しました。
「どうかこの油が、おシャカさまのお役にたちますように」
夜になり、おシャカさまのいる霊鷲山では、たくさんの油にあかりがともりました。
王さまの油のあかりはとても勢いよく燃えています。婦人の油のあかりは、すみっこでひっそり、ともっていました。
そのときです。
山から強い風が吹いたと思うと、あっというまに、あかりが消えてしまいました。
ところが、たったひとつだけ、あかりがともっています。それは、婦人の供養した油のあかりでした。
婦人のあかりは朝になっても燃え続け、消そうとしても消すことができません。それどころか、ますます勢いを増して輝いていくではありませんか。
おシャカさまの弟子たちも、おどろいています。
すると、おシャカさまは、皆に言いました。
「このあかりは、ただのあかりではありません。婦人の真心がこめられている、特別なあかりです。だから、だれも消すことはできないのです。この真心によって、婦人は、未来には人々を照らす希望のあかりとなり、たくさんの人を救っていく仏さまになるでしょう」
おシャカさまの話を伝え聞いた婦人は、大いに喜び、心から感謝しました。
◇ ◆ ◇
ぶん・植田美津子
え ・奥村かよこ
◇おうちの方へ
今回の物語は、阿闍世王授決経などの仏典で説かれる「貧女の一灯」の説話を基にしています。
日蓮大聖人は「王日女殿御返事」で、「ある貧しい女の人が、自分の髪を売って、その代価で油を求め、仏にともしびを供養したところ、須弥山を吹き抜いた強風も、この女性が供養した火を消すことはできなかった」(御書1263ページ、趣旨)と、この説話を引き、御供養をお届けした信徒を最大にたたえられました。法を大切に思う真心に、計り知れない福徳が輝くことを教えられているのです。
貧女が供養したともしびが大風に吹かれても消えなかったのは、"仏に尽くしたい"との真心と誓願が込められていたからと言えるでしょう。
私たちで言えば、日々、広宣流布の信心を貫くことこそが、自らの人生を荘厳し、福徳の輝きを増していく上で、何よりの根本なのです。