2019年7月10日水曜日

2019.07.10 わが友に贈る

信念の道歩む東北よ
さあ本領発揮の時だ!
破邪顕正の言論鋭く
みちのくの負けじ魂で
広布前進の総仕上げを!

三世諸仏総勘文教相廃立 P563
『此の八万法蔵を我が心中に孕み持ち懐き持ちたり我が身中の心を以て仏と法と浄土とを我が身より外に思い願い求むるを迷いとは云うなり』

【通解】
この八万法蔵を我が心のなかにはらみ、懐き持っているのである。それなのに我が身中の心で、仏と法と浄土とを我が身より外にあると思い、外に願い求めていくのを迷いというのである。

〈寸鉄〉 2019年7月10日
黄金柱・壮年部よ頑張れ。歴戦の丈夫が底力示せば壁が破れる。決定打頼む
大神奈川が怒濤の拡大。時代変える民衆の大行進勝利の扉を断じて開け!
福岡が疾風迅雷の進撃!火の国健児のスクラムで激戦制し断固勝ち上がれ
信越よ好機は今。勇敢な師子の声で正義を拡大!愛する天地に堂々勝鬨を
交通事故に注意。夕暮れ時に多発。車も自転車も早めの点灯を。油断なく

☆御書と歩む� 第77回 青春を悔いなく勝ちゆけ
『受けがたき人身をうけ値いがたき仏法にあひて争か虚くて候べきぞ、同じく信を取るならば又大小・権実のある中に諸仏出世の本意・衆生成仏の直道の一乗をこそ信ずべけれ』(持妙法華問答抄、464ページ)

◇通解
受けがたい人間としての身を受け、あいがたい仏法にあいながら、どうして一生をむなしく過ごしてよいものであろうか。同じく仏法を信じるならば、大乗・小乗、権教・実教とある中には、諸仏の出世の本意であり、衆生の成仏の直道である法華一乗をこそ信じるべきである。

◇同志への指針
人間として生まれ、真実の仏法に巡りあえた人生がどれほど偉大な福運か。その尊き一生を空しく過ごしてはならないと仰せである。
世界一の生命哲学を持ち、師弟の大誓願に生きゆく男女青年部の友は、最高の充実と栄光の青春を、断じて悔いなく勝ち抜いてもらいたい。
同世代に友情を結び広げながら、創価勝利の太陽を赫々と昇らせゆくのだ!

☆7月度座談会拝読御書 辨殿尼御前御書
◇不退転の心で誓願の人生を!
◇広宣流布の前進は仏と魔との連続闘争

◇拝読御文
『第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』御書全集 1224ページ3行目〜5行目

◇本抄について
本抄は、文永10年(1273年)9月、佐渡の一谷で認められ、弟子の辨殿(日昭)と、辨殿と関わりのある尼御前に与えられたお手紙です。
2年前の文永8年(1271年)9月の竜の口の法難、それに続く佐渡流罪を機に、大聖人門下にも所領没収や追放など、大弾圧が始まります。このため「1000人のうち999人まで退転した」(御書907ページ、趣意)と仰せのように、多くの門下が信仰を捨ててしまいました。その中にあって、尼御前は信心を貫いたのでした。
本抄ではまず、武将の名を挙げ、どんなに優れたとされていても、戦いの末に敗れた史実を述べられます。一方、「第六天の魔王」と「法華経の行者」の闘争の舞台は、現実の娑婆世界であり、大聖人は建長5年(1253年)の立宗から「二十余年」にわたって、熾烈な攻防戦を繰り広げてきたと仰せです。
その戦いにあって「日蓮一度もしりぞく心なし」と、自らの御覚悟を示されます。
さらに、臆病な門下の多くが迫害を受けて退転する中、信心を貫き通す尼御前の不退転の信心を「いままで・しりぞかせ給わぬ事申すばかりなし」と、最大にたたえられます。
最後に、尼御前が頼りとする使用人を、大聖人のために用意したことは、釈迦・多宝・十方の諸仏もご存じであられるに違いないと、心からの感謝で本文を結ばれています。

◇人生も仏法も勝負
私たちの目指す「立正安国」「広宣流布」は、やむことのない仏と魔との連続闘争です。
そのことを大聖人は、拝読御文の冒頭で「第六天の魔王は、十種の魔の軍勢を用いて戦を起こし」と喝破されています。
なぜ魔王の軍勢が襲い掛かってくるのでしょうか。
それは、私たちが日々の生活を営む現実世界が、「第六天の魔王」の支配する国土だからです。
「法華経の行者」が、仏国土の建設を始めると、第六天の魔王は自らの領土を奪われまいと、「十軍」を率いて襲い掛かるのです。
「第六天の魔王」は、「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(御書997ページ)と仰せの通り、最も本源的な魔の働きです。魔王が率いる「十軍」とは、煩悩を10種に分類したものです。つまり魔王や十軍とは、外にある敵ではなく、己心の魔の働きであり、自身の持つ弱さや迷いが表れたものなのです。
己心の魔の働きであるがゆえに、信心が強くなればなるほど、魔の働きも強くなっていきます。
また、広宣流布の戦いが進めば進むほど、それを阻もうと魔も強くなります。故に「とられじ・うばはん」と、し烈な戦いが繰り広げられるのです。
社会に生命尊厳の思想を打ち立てる立正安国の戦いは、人間生命に巣くう魔性との戦いです。
自らが己心の魔を打ち破り、さらに対話によって、一人、また一人と、相手の魔性をも打ち破って、自他共に仏の生命を開き現していく戦いなのです。
他の御書で「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」(同998ページ)と仰せの通り、広布も人生も勝負であり、断じて勝たなければならないのです。

◇障魔を打ち破れ
どうすれば、魔性との激戦に打ち勝って、自身の仏性を涌現させ、広布を前進させられるのでしょうか。
本抄で大聖人は、「一度もしりぞく心なし」と、不退転の決心を述べられています。不退の信心こそ、一切の障魔を打ち破っていく極意なのです。
大聖人は他の御書で、「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(御書1190ページ)と、常に信心を強くしていくよう教えられています。
"もうこれぐらいで大丈夫"といった隙に、魔は付け込んでくるからです。
私たちの日々にあっては、些細に思えることであっても、一つ一つに勝利していくことが、信心を強くしていくことにつながっていきます。
「進まざるは退転」です。もう一歩、もう一歩と、勝利へ向かって、1ミリでも前進していくことが大切です。
日々の唱題、一人の激励、一本の電話が、実は仏と魔との真剣勝負の舞台なのです。
大聖人御自身、立宗の時から20年以上にわたって、「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願じぬ」(御書200ページ)と、第六天の魔王との闘争を続けてこられました。
「此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり」(同ページ)と仰せの通り、竜の口の法難など、命にも及ぶ大難の連続でした。
大聖人は、本抄で自らの覚悟を示すことで、弟子たちに、同じ不退の心で戦い抜くことを教えられているのです。
広宣流布の大誓願こそ、日蓮仏法の魂です。いかなることがあろうとも、決して退くことなく、「広布の誓願」「師弟の誓い」に生き抜けば、障魔を打ち破って勝利していくことができるのです。

◇師弟の絆
鎌倉時代、民衆の多くは文字を読むことができませんでした。尼御前のことも本抄で「一文不通の小心」と記されていることから、読み書きができなかったと推察されます。
お手紙の最後に、「尼御前に申させ給へ」と、辨殿に内容を語り伝えるように仰せになっています。
どこまでも、門下のことを思う大聖人の真心があふれています。
当時、大聖人が自ら、不退の信心に励む姿を示しているにもかかわらず、「臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり」と、不甲斐ない弟子たちが、信仰を捨ててしまっていました。
社会が騒然とし、また門下への迫害の嵐が吹き荒れる中、心細いであろう女性の身でありながら、尼御前は大聖人と同じように不退の信心を貫きました。
そればかりか、自分が頼みとする使用人を佐渡に遣わすなど、大聖人に赤誠を尽くしたのです。
本抄で大聖人は、尼御前の健気な信心を、釈迦・多宝・十方の諸仏もご存じであろうと、最大にたたえられています。
流罪地の佐渡におられる大聖人と、鎌倉で迫害のただ中にいる尼御前。場所は遠く離れていても、師弟の魂の絆は、強く、固く結ばれているのです。
師弟は、距離や立場などによって決まるものではありません。
また、どんな障魔でも、師弟の絆を切り裂くことなどできません。
一番大変な時に、師匠を求め抜く心が、師弟不二となって、わが生命を最高に輝かせていくのです。

★池田先生の指針から/戦い抜く信心に幸福が
生死を超えて広布の誓願を貫く「不退乃心」ほど、強いものはありません。
大聖人は、健気な母の「不退乃心」を讃えられつつ、「日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224ページ)と断言されました。
大聖人から「世界広布」と「立正安国」を託された地涌の菩薩の我らです。命の限り、「生死不退乃心」を燃やして、一人一人が朗らかに「円熟之輝」を放ちながら、人類の幸福と平和へ人間革命の「不撓乃波」を、いよいよ万波と起こしていこうではありませんか!(本紙2018年9月2日付、本部幹部会へのメッセージ)
◇ ◆ ◇
人生も社会も、すべてが戦いである。
なかんずく、仏法は「広宣流布」が魂であり、善と悪の戦いである。仏と魔の闘争である。
魔軍との戦いに、一歩も退いてはならない。「戦いぬく信心」の境涯にこそ「幸福」はある。
広宣流布とは、この現実社会の真っただ中で、「善の地盤」をどれだけ築き上げるか、「正義の地盤」をどれだけ広げていくかという永遠の闘争である。負ければ、悪の勢力に地盤を奪われてしまう。(中略)
大聖人直結の学会は、「悪と徹底して戦う」人間の陣列である。「正義の中の正義」の団体である。庶民の「善の連合体」である。
いよいよ、完璧なる連戦連勝で、「創価の正義の大いなる地盤」を建設してまいりたい。(1999年2月、「東京婦人部前進会議」でのスピーチ、『池田大作全集』第90巻所収)
◇ ◆ ◇
仏法は勝負であり、人生も勝負です。
仏法は、仏と魔との戦いという生命の根本の闘争に万人が勝っていけるために説かれたと言っても過言ではない。
魔を打ち破って成仏を遂げるか、魔に負けて迷妄の人生を送るか。人生における仏法の意義は、究極するところ、この根本的な勝負に勝つことにあるのです。(『池田大作全集』第33巻「御書の世界」下)

参考文献
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻「辨殿尼御前御書」(聖教新聞社刊)
○…『御書と師弟』第2巻「不退転の信心」(同)