2019年7月31日水曜日

2019.07.31 わが友に贈る

御聖訓「日夜朝暮に
亦惰らず磨くべし」
全ては祈りから始まる。
爽快な勤行・唱題で
生命錬磨の大道を!

聖愚問答抄上 P481
『爰に愚人色を作して云く汝賎き身を以て恣に莠言を吐く』

【通解】
このとき、愚人は顔色を変えて言う。「汝は卑しい身でありながら、ほしいままに悪言を吐く」

〈寸鉄〉 2019年7月31日
厦門大学に池田思想研究センターが開所。人類結ぶ平和哲理を世界が渇望
若人がぐんぐん伸びゆく学会であれ—恩師。後継に励ましを。育成に総力
未来本部長、未来部長の皆様に感謝。次代を築く大聖業。諸天諸仏も賛嘆
「善知識たいせちなり」御書。何でも相談できる信心の先輩を。人生の宝
入浴や歩行で汗かく習慣は熱中症予防に有効。油断せず水分・塩分補給も

☆世界に魂を 心に翼を 第18回 「命どぅ宝」の響き(下)
◇「平和と芸術の世紀」へ
新聞を開くと、紙面全体に広がる公演写真が飛び込んできた。「音楽で世界結ぶ」と見出しが躍る。
2003年12月2日。沖縄タイムスに民音創立40周年を記念する大型特集が掲載された。
見開き4ページに、沖縄芸能の発展に尽くした民音の軌跡をたたえる声や、間近に迫った中国・広東雑技団公演、民音音楽資料館(現・民音音楽博物館)の魅力などが紹介されている。沖縄への海外招聘の年表には、50を超える芸術団体やアーティストがずらりと並び、歴史の重みを伝えていた。
最終面に掲載されたのは、民音創立者・池田先生の寄稿「平和と芸術——沖縄の心を讃う」である。
「池田先生から、これほど長文の寄稿文を頂けるとは思っていませんでした。沖縄に対する思いの深さに驚いたのを覚えています」
そう振り返るのは、特集の担当記者だった外間尹敏氏。東京の民音文化センターで取材した帰路、受け取った原稿に機中で目を走らせた。「私たち以上に沖縄のことを良く知っておられる。そう強く感じました」
寄稿では、時に傲慢な権力への批判となり、時に不毛な戦争への嘆きとなって、苦難と戦う民衆を鼓舞してきた島唄や舞踊の魅力を通し、沖縄の芸術に宿る「いかなる試練にも負けない生命の力」「太陽のように朗らかな強さ」に言及。「日本のどこに、これほどまでに、生活と歌が一体となっている、明るい芸術の都があろうか」と述べ、「沖縄の心」に迫っている。
沖縄では、家屋の一番大切な場所である「床の間」に、三線を飾る伝統がある。戦時下、人々は先祖の位牌と三線を抱き締め、火の海を逃げ回った。戦後の混乱の中で、空き缶を利用して"カンカラ三線"を作り、歌と舞で明日を切り開いてきた。
そうした伝統に触れながら、先生は寄稿に記した。
「人間を分断する『武器』ではなく、人間を融合させゆく『楽器』を大切にして、『暴力』に屈せぬ『文化の力』を重んじてきたのが、沖縄の生き方である」
外間氏は民音公演で来日する広東雑技団や韓流ミュージカル「GAMBLER」の現地取材にも同行している。「反日」が騒がれていた折だったが、人と人が触れ合う文化交流の場に、そうした軋轢はなかった。
「寄稿で特に心に残ったのは、"文化は地味かもしれない。しかし、人間の心の奥深くまで照らし、平和と繁栄の方向へ、歴史変革の確かなる潮流を形づくっていく"という部分です。銃ではなく、三線で平和をつくる。沖縄には、そうした文化の力がある。それを池田先生がおっしゃるわけですから、重みがあります。ウチナーンチュ(沖縄人)として、うれしく思いました」
◇ ◆ ◇
寄稿が掲載された朝、桃原正義さん(学会の総沖縄長)は、涙をこらえ、感動をかみ締めていた。
この「12月2日」は、1964年、池田先生が沖縄の地で、畢生の大著である小説『人間革命』を起稿した日であった。冒頭には「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」とある。
寄稿では、同書の執筆を沖縄で開始したことにも触れていた。長年の夢である沖縄訪問を果たしたゴルバチョフ氏(旧ソ連元大統領)との再会を通し、沖縄を見つめての氏との語らいも、「心を変え、心を結ぶことで時代は変えられる」との視座を共有するものであったとつづっている。
外間氏は「原稿を受け取って初めて、那覇で『人間革命』の筆を起こされたことを知りました。先生は、よほど沖縄を強く意識されていたのでしょうね」と追想する。
池田先生の沖縄訪問は、本土復帰前だけで6回、計17回に及ぶ。民音の関係者に対しても、沖縄の人々の力、喜びとなる文化交流をと期待を語ってきた。桃原さんは沖縄民音の創立公演(65年)に携わって以来、沖縄芸能を初めて舞台化した「沖縄歌舞団」公演(69年)など、その活動を草創から支えてきた。
「72年の本土復帰前後、沖縄には大変な葛藤がありましたが、先生は一貫して沖縄の平和の使命を教えてくださいました。『人間革命』も他のどの場所でもなく、ここ沖縄を起稿の地に選ばれ、"あなたたちの悲願が喚起せしめた執筆"とまで言ってくださった。時をへるごとに、沖縄の偉大な使命が胸に迫ります」
恩納村にある学会の沖縄研修道場は、かつての核ミサイル発射台が、池田先生の提案で「世界平和の碑」へと生まれ変わった場所である。沖縄テレビでは、これまで数度にわたって民音の特集番組が放映されてきたが、その中には民音公演で沖縄を訪れた折、研修道場を訪問するアーティストの姿も映し出されていた。
沖縄を中心とする8カ国・地域の芸術団が一堂に会した「アジア平和芸能フェスティバル」(99年)の際には、公演後、出演者らが沖縄研修道場へ。ベトナムの民族芸術団団長は、こう感慨をこめた。
「ベトナム戦争の時は、沖縄から米軍が出撃しました。今、沖縄が平和と文化の地となっているのは、池田先生の貢献が大きいと感じられてなりません」
民音公演で来日するアーティストの中には、創立者の平和思想を学び深めたいと、小説『人間革命』等を読み込んで来日する人も少なくない。
沖縄テレビの同番組で、大嶺哲雄氏(沖縄大学名誉教授)が小説『人間革命』について語っている。
「沖縄の平和への願いを、よくあれだけの形にされた。皆、それぞれに戦争の悲惨さを感じていますが、書きたくても書けない。それを見事に、日本のみならず、世界に伝える流れをつくられたことに敬服します」
◇ ◆ ◇
沖縄に強い関心を抱いてきた一人が、ブラジルのアマラウ・ビエイラ氏である。
同国最高峰の作曲家であり、世界的なピアニストである氏は、池田先生の人間革命の哲学に、「長い間、自分が考え、求めてきた"言葉にならなかった理想"」「生命の価値を最大に高めゆくメッセージ」と、深い共感を寄せてきた。
小説『人間革命』の最終回が本紙に掲載された93年2月11日。ブラジルを訪問中だった池田先生に、リオデジャネイロ連邦大学の名誉博士号が授与された。席上、祝賀演奏を披露したのがビエイラ氏である。
このブラジル訪問には、沖縄の友も同行していた。ビエイラ氏との懇談の折、その友が、小説『人間革命』が沖縄で起稿されたこと、授与式の演奏が『人間革命』の完結を祝する演奏ともなったことを伝えると、氏は感嘆のため息をついた。
「ぜひ沖縄へ行きたい。皆さんの平和を熱望する思いは、私の心でもあります」
——95年4月15日、民音のピアノリサイタルで来日したビエイラ氏は、沖縄公演の合間を縫って、念願だった沖縄研修道場を訪れている。
「世界平和の碑」に生まれ変わった核ミサイル発射台の前に立ち、胸に手を当て、そっと目を閉じる。
頬をなでる爽やかな海風。静かに時が流れていく。
5分、10分……。ビエイラ氏は微動だにしない。
民音の同行者が、ちらりと腕時計を見る。宮古島、石垣島、那覇とステージを重ね、この日は名護の会場に向かう途中だった。時間がない。
「公演があります。もう行かないといけません」。移動を促すが、氏は動かない。
「この場所から、池田先生の平和への思いが、ものすごいエネルギーで私を包んでくるのです。まだ離れられません。もう少しだけ、いさせてください」——常に笑顔を絶やさない氏が見せた真剣な表情に、同行のスタッフが息をのんだ。
氏は池田先生の思想を主題として、これまで数多くの楽曲を手掛けてきた。2007年にフランスのエピナル市から依頼を受けて制作した協奏曲は、「新・人間革命」と名付けている。
ビエイラ氏が先生に贈った作品は17に上り、その中にはサンパウロ芸術評論家協会の「交響曲大賞」や「最優秀室内楽大賞」を受賞した楽曲もある。

◇ ◆ ◇
池田先生は沖縄タイムスへの寄稿を次の一文で結んだ。それはまた、平和と芸術の都を基点とし、世界のアーティストに受け継がれゆく「命どぅ宝」の精神にほかならない。
「『戦争と暴力の世紀』から『平和と芸術の世紀』へ——。その挑戦を、『沖縄の心』に学びながら、断固として進めていきたい。それが、私の願いであり、決意である」

2019年7月30日火曜日

2019.07.30 わが友に贈る

家庭・地域・職場で
清々しいあいさつを!
真心こもる振る舞いが
信頼の絆を強める。
友好の園を築きゆこう!

兄弟抄 P1081
『此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり、六道の中に二十五有と申すろうをかまへて一切衆生を入るるのみならず妻子と申すほだしをうち父母主君と申すあみをそらにはり貪瞋癡の酒をのませて仏性の本心をたぼらかす、但あくのさかなのみをすすめて三悪道の大地に伏臥せしむ、たまたま善の心あれば障碍をなす』

【通解】
そもそも、この娑婆世界は、第六天の魔王の所領です。そして、一切衆生は、無始已来、第六天の魔王の眷属です。第六天の魔王は、六道の中 に、二十五有(注、欲界の四悪趣・四州・六欲天、色界の大梵天・四禅天・無想 天・五浄居天、無色界の四空処天)という牢を構えて、その牢の中に一切衆生を 入れるだけでなく、妻子という足かせを打ち、父母・主君という網を天に張り、 三毒の酒を飲ませて、仏性の本心を狂わせるのです。
第六天の魔王は、ただ、悪の肴ばかりを勧めて、三悪道の大地に倒れさせます。そして、たまたま、善心を持っている者に対しては、妨害を行います。

〈寸鉄〉 2019年7月30日
伝統の夏季フリー研修。英気養い学会精神深める好機。鍛えの夏を共々に
全人類の人格を最高の価値に引き上げたい—恩師広布の大理想胸に今日も
子には批評よりも手本が必要—思想家。親の求道の姿こそ信心継承の土台
休日に新しいことに挑戦する人は創造力も高まると。有意義な一日一日を
加熱式煙草、健康リスクの軽減にはつながらない—WHO。安易に考えず

☆8月度男子部 法華初心成仏抄
◇強き祈りが諸天を動かす
◇題目の功徳は無量
8月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では「法華初心成仏抄」を研さん。唱題行の無量の功徳について学び、「行学の二道」に励む夏への糧としたい。

◇御文
『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば籠の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ』(御書557ページ)

◇通解
私たち自身の心に具わる妙法蓮華経を本尊として尊崇して、私たち自身の心の中の仏性を南無妙法蓮華経と呼び、呼ばれて現れるものを仏というのである。譬えていうと、籠の中の鳥が鳴けば、空を飛ぶ鳥が呼ばれて集まるようなものである。空を飛ぶ鳥が集まれば、籠の中の鳥が出ようとするようなものである。口で妙法をお呼びすれば、私たち自身の仏性も呼ばれて必ず現れる。

◇背景と大意
本抄は、御述作の時期や宛先についての詳細は不明である。内容から、かつて念仏を唱えていた女性門下か、念仏への未練を残している女性に対して、法華経信仰の基本を教えられた書であると推察される。
「法華初心成仏抄」との題号の「初心」は、初めて発心し、仏道を志すことをいう。本抄後半で末法の初心の行者(末法の衆生)が妙法によってのみ成仏できると明かしていることから、後にこの題号が付けられたとされている。
本抄は、問答形式でさまざまな宗教の正邪を論じられた上で、法華経こそが仏の本意を明かした経典であり、悪世末法では法華経28品の肝心である南無妙法蓮華経のみが、弘めるべき成仏の根本法であることが明かされる。
拝読御文は、本抄末尾の一節であり、南無妙法蓮華経の唱題行によって己心の仏性が呼ばれて現れることを示されている。この直後では、悪法に執着する心を捨て、強盛な信心をもって唱題に励むよう呼び掛けられる。

◇解説
拝読御文には「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて」と示されている。
日蓮大聖人は、御自身の生命に顕現した妙法蓮華経を御本尊として御図顕された。
私たちにとっては、この御本尊を拝し、自身も大聖人と同じく広大で尊極な境涯を開いていけると信じること——それが「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて」ということになる。
すなわち、大聖人を根本の師と仰ぎ、その不惜の信心を受け継ごうとしてこそ、御本尊を正しくあがめ敬うことになるのである。
反対に、自身の外に救いを求めてすがるようでは、己心の妙法蓮華経を本尊とあがめる実践にはならない。大聖人は、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ」(御書1244ページ)とも仰せである。
「我が己心の妙法蓮華経」を本尊として唱題に励む時、胸中に大いなる仏界の生命が涌現する。そのことを、大聖人は、「籠の中の鳥」の譬えを用いて教えられている。籠の中の鳥が鳴けば、空飛ぶ鳥が集まり、空飛ぶ鳥が集まれば、籠の中の鳥も出ようとするのである——と。
「籠の中の鳥」は凡夫である私たち自身の仏性を示し、鳥が「籠」の中にいることは、民衆が無明や煩悩に束縛された状態を表す。そして、「空とぶ鳥」とは、全ての衆生の仏性を意味する。すなわち唱題行は、一切衆生の仏性に呼び掛ける実践であり、同時に自身の内なる妙法蓮華経を呼ぶことである。このとき、「籠の中の鳥」は自身の生命を縛る無明や苦悩から解放され、自由な覚りの境地を飛ぶことができる。
「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ」——大聖人は、「必ず」と御断言である。信心根本に生き抜く人に、断じて行き詰まりはないのだ。
拝読御文の直後では、私たちの題目が諸天の仏性を呼び起こし、守護の力を発揮するとも仰せである。これは、生命の内側から仏性が薫り出ることで、それに引かれて他の生命の仏性が働きはじめ、外から守る働きが現れるという「内薫外護」の法理を示している。題目を唱える人を、諸天は必ず守る。まさしく、強き一念を定めた私たちの祈りこそが、環境を変えゆく"原動力"なのだと拝せよう。
「私たちの生命の変革があってこそ、諸天善神が動くのです」と池田先生は語る。
自他共の仏性を引き出し、幸福の人生の軌道を開いていけるのが、私たちが唱える題目の無量無辺の功徳である。この夏も、唱題根本に、目の前の一人を励ます対話と弘教の拡大に勇んで挑戦したい。

2019年7月29日月曜日

2019.07.29 わが友に贈る

◇今週のことば
未来部こそ無上の宝だ。
一人一人が希望の光だ。
担当者の献身に深謝!
皆で今一重の励ましを。
共に大成長の夏であれ!
2019年7月29日

法門申さるべき様の事 P1268
『総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば始はわすれぬやうにて後には天魔つきて物にくるうせう房がごとし、わ御房もそれていになりて天のにくまれかほるな。のぼりていくばくもなきに実名をかうるでう物くるわし、定めてことばつき音なんども京なめりになりたるらん、ねずみがかわほりになりたるやうに鳥にもあらずねずみにもあらず田舎法師にもあらず京法師にもにずせう房がやうになりぬとをぼゆ、言をば但いなかことばにてあるべしなかなかあしきやうにて有るなり』

【通解】
総じて日蓮の弟子は京に上ると、初めのうちは(初心を)忘れないようであるが、後になると天魔がついて正気を失ってしまう。少輔房のようなものである。
三位房、あなたもそのような姿になって諸天に憎まれないようになさい。
京に上って、いくらも経ってないのに、実名を変えたということであるが、狂っている。きっと言葉つきや発音なども、京なまりになったことであろう。
ねずみがこうもりになったように、鳥でもなくねずみでもなく、田舎法師でもなく京(みやこ)法師にも似ていず、少輔房のようになってしまったと思われる。
言葉は、ただ田舎言葉でいるがよい。(どっちつかずなのは)かえって見苦しいものである。

〈寸鉄〉 2019年7月29日
創価の青年の献身的行動には大きな価値が—長官次代の建設は君の双肩に
男子部大学校生が対話と友情の拡大に全力!生涯輝く青春勝利の歴史綴れ
真の信仰への知は全ての知の中で最も幸福な知—詩人。行学の二道を邁進
人は多く読めば多く考えるように—首相。良書を開こう。心も、頭も強く
「ながら運転」の罰則強化へ。運転中の携帯使用は厳禁。皆で絶対無事故を

☆親子で学ぶ仏教 貧女の一灯 2019年7月28日
むかしのインドのお話です。
王さまが住むお城の近くに、白ゆりの花のように心がきよらかな婦人がいました。
婦人は年老いて、まずしい暮らしでしたが、おシャカさまをとても尊敬しており、いつも「おシャカさまのために、私ができることはないかしら」と願っていました。
ある日のこと。油のつぼをつんだ、たくさんの車が、道いっぱいに通っていきます。
「あれは、なんでしょう?」と婦人が不思議に思っていると、道行く人が、「あれは、王さまがおシャカさまにご供養する油だよ」と教えてくれました。
「おシャカさまが説法のときに、あかりをともすためにお使いになるのさ」
婦人の目が輝きました。
「私も、おシャカさまに油をさしあげたい」
でも、婦人には油を買うお金がありません。そこで、長い髪を切って売り、やっとの思いで油を買うことができました。
ほんのわずかな油でしたが、婦人は真心の祈りをこめて、ご供養しました。
「どうかこの油が、おシャカさまのお役にたちますように」
夜になり、おシャカさまのいる霊鷲山では、たくさんの油にあかりがともりました。
王さまの油のあかりはとても勢いよく燃えています。婦人の油のあかりは、すみっこでひっそり、ともっていました。
そのときです。
山から強い風が吹いたと思うと、あっというまに、あかりが消えてしまいました。
ところが、たったひとつだけ、あかりがともっています。それは、婦人の供養した油のあかりでした。
婦人のあかりは朝になっても燃え続け、消そうとしても消すことができません。それどころか、ますます勢いを増して輝いていくではありませんか。
おシャカさまの弟子たちも、おどろいています。
すると、おシャカさまは、皆に言いました。
「このあかりは、ただのあかりではありません。婦人の真心がこめられている、特別なあかりです。だから、だれも消すことはできないのです。この真心によって、婦人は、未来には人々を照らす希望のあかりとなり、たくさんの人を救っていく仏さまになるでしょう」
おシャカさまの話を伝え聞いた婦人は、大いに喜び、心から感謝しました。
◇ ◆ ◇
ぶん・植田美津子
え ・奥村かよこ

◇おうちの方へ
今回の物語は、阿闍世王授決経などの仏典で説かれる「貧女の一灯」の説話を基にしています。
日蓮大聖人は「王日女殿御返事」で、「ある貧しい女の人が、自分の髪を売って、その代価で油を求め、仏にともしびを供養したところ、須弥山を吹き抜いた強風も、この女性が供養した火を消すことはできなかった」(御書1263ページ、趣旨)と、この説話を引き、御供養をお届けした信徒を最大にたたえられました。法を大切に思う真心に、計り知れない福徳が輝くことを教えられているのです。
貧女が供養したともしびが大風に吹かれても消えなかったのは、"仏に尽くしたい"との真心と誓願が込められていたからと言えるでしょう。
私たちで言えば、日々、広宣流布の信心を貫くことこそが、自らの人生を荘厳し、福徳の輝きを増していく上で、何よりの根本なのです。

2019年7月28日日曜日

2019.07.28 わが友に贈る

「感謝の人」は強い。
限りなく成長できる。
師の恩・父母の恩を知り
誓いを果たしゆく
報恩の人生を貫こう!

最蓮房御返事 P1341
『上に挙ぐる所の諸宗の人人は我こそ法華経の意を得て法華経を修行する者よと名乗り候へども予が如く弘長には伊豆の国に流され文永には佐渡嶋に流され或は竜口の頚の座等此の外種種の難数を知らず』

【通解】
先に挙げた諸宗の人々は、自分こそ法華経の意を心得て、法華経を修行する者であると名乗っているけれども、日蓮が受けたような弘長の伊豆流罪、文永の佐渡流罪、あるいは竜口法難等、その他種々の難に遭っていない。

〈寸鉄〉 2019年7月28日
御書を拝せば人生に行き詰まりがなくなる—恩師青年よ大哲理を心に刻め
「当起遠迎当如敬仏」こそ「最上第一の相伝」御書。振舞で絆結ぶ友好期間に
朋友とは自分以外の自己—哲人。友情こそ宝。普段会えぬ友と充実の一時を
高速道路のタイヤ破裂やガス欠は夏に急増。点検は入念に。絶対無事故で
猛暑3日続くと高齢者の熱中症リスクが高まる—研究。空調活用など賢く

☆御書と歩む� 第82回 後継を育む善知識たれ
『善知識に値う事が第一のかたき事なり、されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り・梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとへ給へり』(三三蔵祈雨事、1468ページ)

◇通解
善知識にあうことが、最も難しいことである。それゆえ仏は、善知識にあうことを、一眼の亀が浮木に入るようなものであり、梵天から糸を下げて、大地に置いた針の目に通すようなものであると譬えられている。

◇同志への指針
仏になる道は、善知識で決まる。何より尊く、あい難き善知識に満ちた世界が、学会家族である。なかんずく、後継を育む未来部の担当者が、どれほど大事な善知識か。「あの励ましのおかげで」「あの真心があればこそ」と、感謝の声は尽きない。
創価の教育力こそ、社会の希望だ。若き宝の一人一人を大切に、桜梅桃李の人華を咲き光らせよう!

☆大学校生とナットクTALK テーマ:親との関係 2019年7月27日
Q 父が信心に反対
A 自身の成長が最高の親孝行に
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。実家に暮らす大学校生の深野ニュー・リーダーは、父親に対して思うことがあり、新井区男子部長に相談したようで……。

【登場人物】
新井区男子部長 学会3世の38歳。後輩の育成に全力を注ぐ、信頼厚きリーダー。
深野ニュー・リーダー 信心の確信をつかみたいと男子部大学校に入校した、社会人4年目の26歳。

深野ニュー・リーダー 実は最近、家でおやじと口論になってしまうことが多くて。昨日も「こんな遅くまで何をやっているんだ」「また、学会の集まりか」と言われて。父は、学会活動に対してあまりよく思ってないみたいなんです。もともと反りが合わないのもあるんですけど……。

新井区男子部長 お父さんは、深野君のことを心配されているんだろうね。僕も普段、娘に小言を言い過ぎて嫌われてそうだけど(苦笑)。親ってやっぱり、ささいなことでも意見を言いたくなるものだよ。

深野 そうかもしれないですけど……。信心のことを理解してほしいんですが、いくら言っても分かってもらえないんです。

新井 一番身近な家族の理解を得ることって、とても難しいよね。日常の姿を見られているからこそ、普段の振る舞いが本当に大切だと思うよ。例えば、きちんとあいさつをしたり、家の手伝いをしたり。「今日は遅くなるけど、○時までには帰るよ」と一言伝えるだけでも、親御さんは安心するはずだよ。

深野 理解してくれないおやじが、一方的に悪いと思ってました。

新井 日蓮大聖人の門下にも、同じような悩みをもっていた人がいたんだ。池上兄弟といってね、父親に信心を反対されて、兄・宗仲は2度にわたって勘当されてしまうんだ。それでも兄弟は、大聖人の度重なる激励によって、心一つに信心を貫き、最後には、その父親を信仰に導くんだ。

深野 2回も勘当されたのに、信心をやめなかったのはすごいですね。

新井 大聖人は「我が身・仏になるのみならず・そむきしをやをもみちびきなん」(御書1092ページ)と仰せになり、池上兄弟の弟・宗長に対して、法華経から離れなければやがて親を信心に導いていけると励まされた。信心の功徳で親をも包み込んでいくことが、親孝行なんだ。実は池田先生も入信当初、お父さんに信心を反対されていたんだよ。

深野 そうなんですか!?

新井 先生は「法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり」(同1528ページ)との御文を胸に、広布の戦いに身を投じられたんだ。また先生は「まず自分自身が人間革命して、仏の生命を輝かせていくことです。家族を大事にしていくことです。成長して、親を安心させていくことです」とも言われている。深野君自身が信心で成長すること自体が最高の親孝行だよ。まずは「お父さんの幸せ」を祈るところから始めよう!

深野 はい! 今日から実践します!

2019年7月27日土曜日

2019.07.27 わが友に贈る

天王山の夏に挑む
受験生 負けるな!
ベストを尽くせるよう
皆が祈っている。
悔いなき一日一日を!

教行証御書 P1283
『仏法渡つて今に七百余年前代未聞の大法此の国に流布して月氏漢土一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ有り難けれ有り難けれ』

【通解】
仏法が渡来して七百余年、前代未聞の大法がこの国に流布して、インド・中国をはじめ全世界の一切衆生が仏になることができるとはなんとありがたいことか。

〈寸鉄〉 2019年7月27日
悩みが自らを仏に。題目を唱え抜け—恩師。青春時代の労苦は人生の宝と
きょう中部の日。堅塁の天地に聳える人材の城。永遠に勝利の一番星たれ
探究のない人生には生きがいがない—哲人。生涯求道の多宝の友こそ模範
夏バテに有効な対策�水分補給�十分な睡眠�栄養ある食事—健康第一で
若者に広がる高収入等のマルチ商法。甘い囁きは警戒。絶対に騙されるな

☆ふるさと照らす誉れの長者 完 団地部 2019年7月19日
団地部歌「輝け『幸福の城』」は、同部の友の誇りを高らかに歌い上げる。♪広布の誓い 果たさんと 地涌の同志に 青葉映え 幸福の城 栄えあり……。連載「ふるさとを照らす誉れの長者」最終回では、師との誓願を果たすために献身する岡山市と東京・杉並区のメンバーを紹介する。

◇岡山市 長岡団地 全ては地域を思う祈りから
毎月やってくる第1土曜日が、皆、楽しみで仕方がないという。
午前10時半になると、岡山市の県営住宅「長岡団地」(東岡山団地)の集会所に、住民が続々と集まってくる。町内会と岡山市社会福祉協議会が連携する「いきいきサロン『はつらつ会』」が行われるからである。
中心者を務めるのは、田口幾久子さん(婦人部副本部長)だ。「ここでは『健康体操』や『コーラス』などを、1時間くらい行います。その後にお茶を飲みながら、おしゃべりして終わり。シンプルですが、皆さんから『こりゃあ、楽しゅうて長生きできるわ』と喜ばれているんですよ」
参加者の中には90歳を超える婦人もいる。皆、笑顔が若々しい。歌を上手に歌えれば、手をたたいて大喜び。リズムがずれても、それが面白くてまた大笑い。とにかく明るい。
「はつらつ会」の内容はほかにも、歯科衛生士による「健康な口づくり講座」や警察官による「詐欺防止講座」「交通安全講座」など実に多彩。元気になって、ためになると評判だ。
こうした集いが行われるようになったのは、2006年。当時の町会長が田口さんに相談したことがきっかけだったという。「みんなが楽しく元気になれる催しができないか」と。
年を重ねると、外を出歩く体力も乏しくなり、近隣との交流も希薄になりがち。だが長寿の秘訣は生活習慣のほか、「豊かな人のつながり」にあると指摘する専門家も多い。
「よし、私が地域貢献の先駆者になろう!」。田口さんは真剣に祈った。そして立ち上げたのが「はつらつ会」だ。得意のパソコンで自ら案内チラシを作り、一軒一軒、訪ねて回った。自分から外に出るのは面倒だが、誰かに来てもらうのはうれしいと語る人も少なくない。皆、話し出すと止まらない。誰もが「つながり」を求めていることに気付く。やがて2人、3人、10人と「はつらつ会」の参加者が増えていった。今では多い時で40人を超える。
田口さんに寄せられる信頼は厚い。「とても責任感が強い人。行動力が豊かで一緒にいると楽しくなる。だから、多くの皆さんが集まってくるのでしょう」とは、小坂田俊雄町会長の言葉である。
理想を同じくする同志の存在も心強い。長岡団地に生まれ育った近藤留美さん(地区婦人部長)は2年前に「印環細胞がん」との診断を受けたが、創価家族の必死の祈りと励ましを力に変えて6人に弘教を結実。再検査の結果、がんはなかった。今、報恩感謝の心で地域貢献に汗を流す。団地に功徳の花が咲くたび、不思議と長岡団地に移り住む学会員も増えている。
全ては祈りから始まる。それが田口さんの確信だ。

◇東京・杉並区 コーシャハイム杉並和田 心の扉を開く勇気を持って
この人が訪ねてくると、誰もが玄関の扉だけではなく、"心の扉"まで自然と開いてしまう。そんな不思議な魅力が、大多和輝男さん(東京・杉並池田区副区長)にはある。
都の公社住宅「コーシャハイム杉並和田」の自治会長。声の張りとフットワークの軽さは81歳とは思えない。約260世帯が住む高層住宅を舞台に、支え合いの絆で結ばれた理想郷を築こうと奔走する毎日だ。
自治会加入率は73%。ところが数年前までは50%を切っていたという。どうやって増やしてきたのか?
「自治会役員の皆さんと力を合わせ、一軒一軒、真心込めて『家庭訪問』してきたからです」と大多和さんは言う。自ら足を運び、心を通わせ、自治会の意義を丁寧に伝えていく。「そうした地道な積み重ねを避けていては絆なんて結べない。学会活動と一緒です」
自治会加入のメリットを住民が感じやすいことも、理由の一つだろう。介護が必要とされる高齢者などには、本人の了承のもと、自身の状況を伝える「要支援者カード」を記入してもらい、サポートする体制を整えている。集会所でさまざまなイベントを行う「ふれあいサロン」も好評だ。防災訓練に参加する人数も、この数年で倍増した。こうした活動が評価され、昨秋には、日本赤十字社東京都支部から大多和さんに感謝状が贈られている。
大多和さん自身、最初から人付き合いが得意だったわけではない。できれば、家の扉を閉じてゆっくりしたいタイプだったという。
転機は1978年1月27日、杉並文化会館で行われた方南支部結成大会。池田先生の言葉にハッとした。「広宣流布といっても、どこか遠い、別のところにあると思うのは間違いです。自分自身のなかにあるんです。家庭のなかにあるんです。近隣の人びととの絆のなかにあるんです」と。
当時の自治会長のもとで少しずつ地域活動を開始。住宅の老朽化に伴う建て替えの際、住民が快く一時移転ができるよう心を砕き、奔走したこともある。2008年、推されて自治会長に。以来、力を入れてきたのが「家庭訪問」だった。
少子高齢化は避けられない。だからといって心まで老いてはいけない。人は近隣との豊かなつながりがある限り、人生を輝かすことができる——これが大多和さんの信念だ。事実、住民は皆、仲がいい。どこでも笑顔であいさつを交わす。
熱中症などの緊急時に迅速に救護してもらえるよう、自治会に玄関の鍵を預ける独居高齢者も少なくない。信頼の絆で結ばれている証しであろう。
相手の心の扉を開くには勇気がいる。忍耐がいる。だがその扉を開けた先に、喜びと充実の世界が広がっていることを、大多和さんは知っている。

2019年7月26日金曜日

2019.07.26 わが友に贈る

驚愕研鑽に励む
青年部よ 頑張れ!
御書は「人生の背骨」。
苦難に揺るがぬ柱を
胸中に打ち立てよう!

法華初心成仏抄 P544
『今日本国を見るに当時五濁の障重く闘諍堅固にして瞋恚の心猛く嫉妬の思い甚し』

【通解】
今、日本国を見ると、当世は五濁の障りが重く、闘諍が盛んで瞋恚の心たけだけしく、嫉妬の思いも甚だしい。

〈寸鉄〉 2019年7月26日
世界中に人間的連帯築くSGIは21世紀に不可欠—教授。平和創出の主役
「長野婦人部の日」。輝く民衆勝利の大城。尊き広布の母たちに福徳は燦然
褒め言葉には人を伸ばす驚異的な力がある—箴言若人の自信育む激励皆で
本格的な夏へ。水の事故に要注意。危険箇所には近づくな。互いに声掛け
手足口病、最悪のペースで流行と。小まめな手洗い、衛生管理等の徹底を

☆「栄光の日」の集いへの池田先生のメッセージ 2019年7月18日
全ては「今から」「ここから」「自分から」
苦闘越え青春の栄冠を
キング博士 自己の魂と置かれた状況に打ち勝て

一、学園生は、わが命です。ゆえに、学園生が成長しゆく鼓動こそ、何ものにも勝る私の喜びであり、誇りであり、活力なのであります。
この1学期も、一人一人が本当によく頑張ってくれました。ありがとう!
皆さんの挑戦と努力と友情を最大にたたえながら、きょうは、一点、「イバラを青春の栄冠に変えゆけ!」とエールを送ります。
イバラとはトゲのある木のことであり、苦しいことやつらいことなど、試練の象徴です。
そのイバラの道に勇敢に挑み、切り開く中でこそ、栄光の冠は勝ち取られる。このことを、あらためて学び合いたいのです。
一、1957年(昭和32年)7月17日、私は尊き関西の父母たちと共に、民衆の幸福を願って、イバラの道を突き進みながら、"最後は正義が必ず勝つ"と宣言しました。
私が創価学園を創立したのは、それから10年後のことです。
この私たちの前進と時を同じくして、アメリカでは、人権の指導者キング博士を中心に人種差別に立ち向かい、人間の平等と尊厳を求める戦いが続いていました。キング博士の信念は、まさしく"自己の魂と自己の置かれた状況に打ち勝って、自分のイバラを冠に変えよ"ということだったのです(M・L・キング著『汝の敵を愛せよ』?見博昭訳、新教出版社を参照)。
創価教育に心から信頼を寄せてくださったローザ・パークスさんも、キング博士と行動し、不滅の栄光の歴史を残した女性です。
パークスさんは言われました。
「自分の生涯を通して学んだことは、問題があるかどうかではなく、それをどのように乗り越えるかが大切だということです」(ローザ・パークス著『勇気と希望』高橋朋子訳、サイマル出版会)と。
キング博士とパークスさんたちは、大変な時ほど「ウィ・シャル・オーバーカム」(私たちは必ず勝利する)と歌い、勇気を出し合って、苦難を勝ち越えてきました。
わが学園は、こうした人類の誇る正義と知性を、大河の流れのように尽きることなく受け継ぎ、平和と人道の連帯を大海原のごとく築きゆく学びやであります。
大きな使命を帯びた学園生は、それだけ大きな苦労もあるでしょう。しかし、皆さんには、大きく開く「心の宝箱」があり、咲き光る「無限の力」があります。
どんなイバラにも、負けじ魂を燃え上がらせて、「今から、ここから、自分から」学びに学び、青春の栄冠に変えていってください。そして、皆さんの栄光を心から祈り待っている父母たちのため、また、より良き社会を願ってやまない日本と世界の民衆のため、「希望の旗」を高く掲げ、どこまでも走りぬいていただきたいのです。
一、50年前のきょう、私と学園生は「栄光の日」の原点の集いを行いました。それは、宇宙船アポロ11号が打ち上げられ、人類が月に最初の一歩をしるそうとしていた時であります。
この日、私たちも、小さくとも未来へ限りなく広がる一歩を踏み出しました。その一歩が、半世紀後の今、陸続と躍り出る「栄光ある日本の指導者、世界の指導者」の勝利の大行進となっています。次は、いよいよ皆さんの出番です。
さあ、創立100周年へ、私と一緒に、今再び、新たな勇気の一歩を踏み出そう!
健康第一、無事故第一で、楽しく充実した、鍛えの夏にしてください(大拍手)。

2019年7月25日木曜日

2019.07.25 わが友に贈る

広げた仏縁を大切に。
友人・知人・親戚らと
心通う対話の交流を。
明るく 爽やかに
金の思い出を築こう!

椎地四郎殿御書 P1448
『先日御物語の事について彼の人の方へ相尋ね候いし処仰せ候いしが如く少しもちがはず候いき、これにつけてもいよいよはげまして法華経の功徳を得給うべし、師曠が耳離婁が眼のやうに聞見させ給へ』

【通解】
先日話されていたことについて、彼の人の方に尋ねたところ、あなたが仰せになられたのと少しの違いもなかった。
これにつけてもいよいよ信心に励んで法華経の功徳を得られるがよい。師曠(しこう)の耳、離婁(りろう)の眼のように、聞き、見ていきなさい。

〈寸鉄〉 2019年7月25日
会長の平和思想には人類を結ぶ力が—識者。後継ぐ君よ学べ!語り広げよ
「一言・一点も随喜の言を加え」御書。大健闘の友を幹部は心込めて激励
鉄は熱いうちに打て。人間も若いうちに鍛えよ—恩師。成長の夏を共々に
車の運転、自信のある人ほど事故に遭遇—調査。過信は禁物。警戒心持ち
聡明な生活リズムで疲れためぬ工夫を。食事・運動を賢く。根本は朝の祈り

☆四季の励まし "私は勝った"と誇れる歴史を 2019年7月20日
全国の同志が、
日夜、広布のために、
懸命に戦ってくださっている。
仕事や家庭など大変ななか、
本当に、頑張ってくださっている。
その功徳は絶大である。
自己の宿命転換が
できるだけでなく、
一家、一族が
大福徳で包まれていくことは
間違いない。

全人類を幸福に——
それが我らの祈りである。
そのために力を尽くしている。
しかし、それは、
一足飛びにはできない。
自分自身が幸福になり、
縁した人々をも幸福にしていく。
この積み重ねのなかに、
世界平和の大道が開ける。

広宣流布とは「声の戦い」である。
いかなる悪口罵詈があろうが、
三類の強敵の迫害があろうが、
臆病になって、
沈黙しては絶対にならない。
正義が勝つか、讒言が増長するか。
真実が勝つか、デマが蔓延するか。
広宣流布は、
言論戦そのものである。

正義の前進が勢いを増せば、
反動の魔も、当然、競い起こる。
ゆえに、一日一日、
一瞬一瞬に勝負がある。
「今」を勝つことが、
一切の勝利の出発点である。
自分の心に嘘はつけない。
今いる場所で
「本当にやりきった!」と
誇れる勝利を飾るのだ。
その気概で挑戦を続ける人こそが、
本当の勇者である。
わが親愛なる友よ!
民衆勝利の凱歌を、
日本全土に、世界の隅々に
轟かせようではないか!

「SEIKYO SHIMBUN」の金文字が輝く。本年11月の完成へ工事が進む東京・信濃町の「創価学会 世界聖教会館」。今月13日、池田大作先生が、その外観を車中から撮影した。
全国の同志は今、社会の繁栄と民衆の幸福のため、破邪顕正の言論戦を堂々と展開している。さあ「立正安国」の大理想を目指して、声も惜しまず語りきり、わが生命に永遠に光る「黄金の日記文書」をつづりゆこう!

2019年7月24日水曜日

2019.07.24 わが友に贈る

リズム正しく
信心即生活の日々を!
朗々たる朝夕の勤行で
節度ある食事と睡眠で
健康を勝ち取ろう!

四条金吾御書 P1176
『とがありともせうせうの失をばしらぬやうにてあるべし、又女るひはいかなる失ありとも一向に御けうくんまでもあるべからず』

【通解】
(弟たちに)少々の過失があっても見逃してあげなさい。また女性には、いかなる過失があっても、戒める必要などない。まして争ってはならない。

〈寸鉄〉 2019年7月24日
剣豪の如き教学研鑽の夏仏法の魂は行学の二道にあり。若師子よ鍛え抜け
本紙配達の「無冠の友」に感謝!信心の血流を隅々に届ける広布の大功労者
8月まで未来部躍進月間各部一体で協力し激励!皆が後継の"宝樹"なれば
梅雨から夏本番へ。急な暑さによる熱中症に注意水分・塩分補給絶やさず
現在の温暖化がいかに危険か理解すべき—国連総長。英知結集と行動急務

☆御書と歩む� 第81回 諸天動かす不屈の祈りを
『南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ現世安穏後生善処疑なかるべし、法華経の行者をば一切の諸天・不退に守護すべき経文分明なり』(秋元殿御返事、1070ページ)

◇通解
南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。現世は安穏であり、後生は善処に生まれることは疑いないことである。法華経の行者を一切の諸天が不退に守護することは経文に明らかである。

◇同志への指針
法華経の行者の祈りほど、強いものはない。我らの不屈の題目と行動に呼応して、一切の諸天善神も不退の誓いで護りに護る。
御本仏は全てを御照覧である。妙法に完璧に則った創価の行進は、自身はもとより縁を結んだ眷属も福徳安穏で包み、現在から未来へ幸福勝利の大境涯を開いていくのだ。
悔いなく朗らかに、祈り切り、語り切り、走り切ろう!

☆御聖訓に学ぶ勝利の要諦 テーマ「仏法は勝負」 2019年7月20日
◇最後まで走り抜け 師弟凱歌の実証を!
広布も人生も戦いです。勝ってこそ仏の境涯が開けます。勝ってこそ正義と輝けるのです。「日蓮大聖人が『仏法は勝負をさきとし、王法は賞罰を本とせり』と仰せになって居るように、これ(=現証)こそ宗教の生命というべきもの」(『牧口常三郎全集』第10巻所収「価値創造」)と、牧口先生は断言されました。勝利の実証を示してこそ、力ある宗教です。故に断じて勝たねばならない。私たちには、御本尊がある。励まし、支え合う同志がいる。何より、無敵の創価の師弟の精神が脈打っています。さあ、生命の底力を発揮し、大勝利を謳歌しようではありませんか。

信心の偉大さを満天下に
●御文
『今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり』(弥三郎殿御返事、1451ページ)

●通解
今まで生きながらえてきたのは、このこと(法華経ゆえの難)に遭うためである。今この時こそ、(戦いの要衝として有名な)宇治川を渡す所だ、勢多川を渡す所だと思いなさい。名を上げるか、名を下すかの勝負どころである。

不運だと嘆くのか。
絶体絶命と焦るのか。
成長の好機と喜ぶのか。
正義を証明する舞台と勇み立つのか——。
自分の置かれている状況がどうであっても、自身の心に映る景色は、一念の置きどころ一つで変わります。
日蓮大聖人は、励ましを通して、門下の一念を転換し、輝く希望と無限の勇気を与えられています。
本抄は建治3年(1277年)、弟子の弥三郎が、法論に臨むに当たって、戦いの姿勢を教えられたお手紙です。どういう事情からか、弥三郎は、法論に臨まなくてはならなくなったようです。その報告に、弥三郎の不安を感じ取られたのでしょう。
大聖人は、そうした後ろ向きの一念を打ち破るために、今回の法論こそ、勝利と幸福の人生を開く乾坤一擲の戦いではないかと激励されたのです。名を上げるとは、単に名声を得ることではありません。信心の偉大さを自らの姿で満天下に示すことです。勝利の実証を輝かせていくことです。それは師弟の栄冠であり、師匠の偉大さを宣揚することでもあるのです。
私たちの人生にあっても、"どうして""なぜ"と、思いもしない事態に直面することがあります。しかし、その時こそ、地涌の菩薩として使命を果たすべき好機なのです。そう心を定め、喜び勇んで戦い、師弟凱歌を勝ち飾ろうではありませんか。

◇もう一歩の努力、挑戦を
●御文
『始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき』(新池御書、1440ページ)

●通解
始めから終わりまで、いよいよ信心をすべきである。そうでなければ後悔するであろう。例えば、鎌倉から京都までは十二日の道のりである。それを十一日余り歩いて、あと一日となった時に歩くのを止めたのでは、どうして都の月を詠ずることができよう。

あと一歩だった。
諦めていなければ……。
そうした後悔をしないためには、ゴールするまで信心の炎を燃やし、一瀉千里に走り抜くことです。
世の中に勝利の秘術といえるものはたくさんあるかもしれません。しかし、最後の勝利をつかむ人は、自分の弱い心に打ち勝った人です。
本抄は弘安3年(1280年)、新池左衛門尉に与えられたお手紙です。いよいよの信心に励み、貫き通すことの大切さを教えられています。
いくら頑張っても、解決や勝利が見えてこない時があります。"やっぱり無理か""不可能なんだ"と、弱気が顔を見せ、諦めてしまいそうになることもあるでしょう。
「心の師とはなるとも心を師とすべからず」(御書892ページ)と仰せの通り、揺れ動く一時の感情に流されないことが大切です。
歩みを止めてしまえば、それまでの努力も水の泡になってしまいます。諦めた瞬間に、敗北の因は生命に刻まれるものです。後悔しないために大事なことは、結果が出るまで挑戦し続けることです。
友人に対話しても、響いていないように思うこともあるでしょう。しかし、諦めずに語っていけば、突然、心を開いてくれ、味方になってくれることもあります。もう一歩の努力、挑戦が、勝利をもたらすのです。叶うまで祈り通し、祈り切る。諦めない勇気の人が真の勝利者なのです。

◇コラム 法華経の兵法
ちまたには、経営や営業のことからダイエット、受験まで、現代の"兵法"ともいえる方法論があふれています。
日蓮大聖人は「兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり」(御書1193ページ)と、ありとあらゆる戦術は、妙法をもとにしているといわれています。
もちろん、専門的なコツやいわゆる"必勝法"もありますが、それらも妙法の将軍学の部分、部分を説いたものといえるのでしょう。
兵法の真髄は、突き詰めれば人間の心の問題にほかなりません。だからこそ大聖人は、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし(中略)あへて臆病にては叶うべからず」(同1192ページ)と仰せです。祈りから生まれた勇気こそ、本物の兵法です。
"今、自分に何ができるだろうか"と必死になれば、まだまだ、打つ手はあるはずです。それを行動に移せるかどうかが、勝敗の分かれ目です。
勝利へ、まず自分の心を動かすことです。心が動けば、行動となって表れます。必死に動く姿は、諸天をも舞わせていくのです。故に、最後に勝負を決するのは強き信心なのです。

2019年7月23日火曜日

2019.07.23 わが友に贈る

影の努力の人を
見つけ出して称えよう!
これが学会精神だ。
挑戦王の一人一人に
栄光燦たる月桂冠を!

三世諸仏総勘文教相廃立 P570
『我が心の鏡と仏の心の鏡とは只一鏡なりと雖も我等は裏に向つて我が性の理を見ず故に無明と云う、如来は面に向つて我が性の理を見たまえり故に明と無明とは其の体只一なり鏡は一の鏡なりと雖も向い様に依つて明昧の差別有り』

【通解】
我が心の鏡と仏の心の鏡はただ一つの鏡であるけれども、我らは鏡の裏に向かって我が仏性の理を見ないのである。ゆえに無明というのである。
如来は鏡の表面に向かって我が性の理を見ておられるのである。ゆえに明と無明とはその体はただ一つである。
鏡は一つの鏡であっても、向かいようによって、明と矇昧の差別が起こるのである。

〈寸鉄〉 2019年7月23日
SGIの対話運動は人類の平和意識を啓発—識者皆が安穏の未来築く主役
「友にあふて礼あれ」御書御礼と励ましの声を電光石火で。信頼の輪、一段と
会場提供者に大感謝!尊き真心ありて広布は伸展ご家族や近隣に配慮厚く
苦闘が多ければ多いほど勝利は輝かしい—格言。共に胸張り創立90周年へ
土砂災害対策は準備で決まる。危険地図、避難先等確認を。「前前の用心」で

☆御書と歩む� 第80回 対話こそ時代を変える力
『独り此の事を愁いて胸臆に憤非す客来って共に嘆く屡談話を致さん』(立正安国論、17ページ)

◇通解
自分も一人でこのこと(三災七難による民衆の惨状)を憂い、胸の中で憤って、もどかしい思いでいたところ、あなたが来て同じことを嘆くので、しばらく、語り合おうと思う。

◇同志への指針
御書には、何と力強く「対話の心」が脈動していることか。
語り合おう! 民衆の苦悩の打開のために。より良い社会を築くために——この対話の精神を、21世紀に開花させているのが、我らの立正安国の闘争である。
冷たい傍観や無責任な言説は不安を煽るだけだ。創価の勇気と誠実の語らいで、幸の仏縁を広げ、希望と信頼の大連帯を築きゆこう!

☆東京・関西創価学園で7・17「栄光の日」の集い 2019年7月18日
創価学園には「英知・栄光・情熱」のモットーを冠した記念日がそれぞれある。
その日に向けて学園生たちは創立の精神を学び、友と語り、青春の誓いを深め合う。そして勉学やクラブ、読書など、自身の掲げた目標に勇んで挑戦し、自分らしく勝利の歴史を刻んで、記念日の行事に臨むのである。
7月17日の「栄光の日」は、「情熱の日」(10月10日)、「英知の日」(11月18日)に先駆けて、学園生が年間で最初に迎える記念の日。皆が「7・17」に刻まれた創立者・池田先生の人権闘争の足跡を学び、「栄光」とは何かを思索する。
池田先生は「栄光の日」記念の集いに寄せたメッセージの中で、こう振り返った。「1957年(昭和32年)7月17日、私は尊き関西の父母たちと共に、民衆の幸福を願って、イバラの道を突き進みながら、"最後は正義が必ず勝つ"と宣言しました」
57年7月3日、先生は民衆勢力の台頭を恐れた権力によって無実の罪で逮捕・投獄された。15日間の獄中闘争の末に出獄した7月17日、その正義の師子吼を放ったのである。
「私が創価学園を創立したのは、それから10年後のことです」と先生のメッセージは続いた。学園生一人一人が「何のために、この創価の学舎で学ぶのか」を、あらためて自らの胸に問う。
「栄光の日」記念の集いで学園生たちが表現したものは、その問いに対する一つの答えであり、未来への決意そのものであった。
関西小の児童が掲げたテーマは、「開け『心の宝箱』! 『栄光の山』へ ネバーギブアップ!」。「3つのカギチャレンジ」と題して「勇気」「友情」「読書」の挑戦を重ねてきた模様を発表。関西学園愛唱歌「関西創価 わが誇り」を合唱した。
東京小の児童は「太陽の挑戦で 仲間を照らそう! 今から ここから 自分から!」とのテーマを掲げ、新たな愛唱歌「宝探しの冒険へ!」を心を込めて合唱。「サンシャインチャレンジ」と銘打ち、自らの"新記録"に挑んできた日々を語った。

「走りぬけ! 希望の旗と どこまでも!」とのテーマを掲げた関西中・高の生徒は、勉学への取り組みの姿勢や登下校のマナー向上に取り組んだ様子を報告。創立者が示した平和の大道を進みゆく誓いを込めて、校歌「栄光の旗」を合唱した。

東京中・高の生徒はテーマ「咲き光れ! 無限の力は我にあり」を基に制作した新愛唱歌「花と咲く」に、青春勝利の決意を託して合唱。また、創立者の指導などの研さんに取り組み、友情を深める対話に励んできた模様を述べた。
原田学園理事長は、皆が創立者の心を受け継ぎ、平和に寄与する人材にと励ました。
そして記念の集いはフィナーレへ——。学園生たちは再び問う。私たちにとって、「栄光」とは何か?
ある友は言う。「どんな試練に遭っても、友達と肩を組み、負けないこと」
ある友は言う。「仲間と励まし合いながら自分らしく努力を重ねる日々のこと」
栄光とは、有名になることでも、華々しい生活のことでもない。いかなる困難を前にしても、民衆のために苦労し、民衆のために学び、戦い続ける人こそ真の「栄光」の人だ。この「不屈」の心を、学園生は「負けじ魂」と呼ぶ。
学園愛唱歌「負けじ魂ここにあり」の合唱が、キャンパスに響きわたった。

♪正義の誇りに
  胸を張れ
 君に託さん
  この大城を……

"池田先生! 私たちの挑戦の日々を見ていてください!"——学園生一人一人が思いを込めて、声の限りに歌い上げる。
閉会を迎えようとしたその時だった。創立者から伝言が届いた。
「一緒に"負けじ魂"を歌ったよ」「みんな、元気だったね。ありがとう」
皆の瞳が喜びに輝いた。新たな誓いが生まれた瞬間でもあった。さあ、今再び勇気の一歩を踏み出そう。創立者と共に!——と。

2019年7月22日月曜日

2019.07.22 わが友に贈る

◇今週のことば
尊き民衆の凱歌、万歳!
戦い勝った真金の賢人を
御本仏もご照覧なり。
日本の柱は威風も堂々
福運安穏の社会を更に!
2019年7月22日

生死一大事血脈抄 P1337
『金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず鉄は水火共に堪えず賢人は金の如く愚人は鉄の如し貴辺豈真金に非ずや法華経の金を持つ故か』

【通解】
金は大火にも焼けないし、大水にも流されず、朽ちることもない。鉄は水にも火にも、ともに耐えることができない。賢人は金のようであり、愚人は鉄のようなものである。あなたは、法華経の金をたもつゆえに、まさしく真金の人である。

〈寸鉄〉 2019年7月22日
列島に翻る立正安国の旗一人一人の激闘が不滅の金字塔に!全同志に感謝
妙法の偉大な力は何も遮ることはできない—恩師信心の勝者に福徳は厳然
「青年部教学試験2級」の申し込み8月12日まで。智勇兼備の若人育む夏に
鼓笛隊の日。心を磨き幸の妙音奏でる青春の道。平和の旗手に栄冠あれ!
公明よ支持者の献身絶対忘るな。ここからが真の勝負。大衆の為に死力を

☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生 第20回 関西校 1997〜99年度
◇さあ、進もう! 「勝利の扉」を開くため。
◇決められた決勝点は取り消すことができないのだ。
開校から25年となる1997年、関西創価学園に新たなシンボルが誕生した。
敢然と前を向き、帽子を手に一歩を踏み出す雄姿——アメリカの民衆詩人ウォルト・ホイットマンの立像である。
除幕されたのは9月30日。池田講堂のロビーに生き生きと現れた大詩人の姿に、生徒たちは瞳を輝かせた。
創立者・池田先生は、ホイットマンの言葉を学園生に贈り、祝福した。
「さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて! 決められた決勝点は取り消すことができないのだ」(富田砕花訳『詩集 草の葉』第三文明社)

◇何度も立ち上がれ
カーン、カーン、カーン……。
錦秋の彩りに包まれたキャンパスに、来賓の訪れを告げる鐘の音が鳴り響く。
97年11月20日、午後2時過ぎ。万雷の拍手の中、車から姿を現したのは、ゴルバチョフ元ソ連大統領とライサ夫人。
「素晴らしいところですね!」
ゴルバチョフ氏は、学園生らと共に出迎えた池田先生に笑顔で語った。
この日、氏に「創価大学名誉教授」称号が、夫人に「創価学園最高栄誉賞」が贈られることになっていた。
盛大に授与式が行われた池田講堂。学園生が見つめる中、まずライサ夫人が謝辞を述べた。
「最後に勝利する人とは、たとえ転んでも、立ち上がり、再び前へ進む人です。そして、そういう闘いを貫いていけるかは、『心』いかんによるのです」
次いで、ゴルバチョフ氏が登壇する。
「皆さまに、ロシア人として感謝申し上げたい。というのも、ここで行われている出来事は小さなことかもしれませんが、ロシアと日本の未来の関係をつくる——『未来という建物』をつくるための『礎石』であるからです」
20世紀の"世界史的巨人"の言葉に、大きな拍手が湧き起こる。
祝辞に立った先生は冒頭、こう呼び掛けた。
「ご夫妻への『祝福』と『栄光』と『勝利』のしるしの"儀式"をやろう!」
喜んで立ち上がり、学園生が上着を脱ぐ。
ワン、ツー、スリー!
先生の掛け声とともに「ワーッ!」と歓声が広がり、無数の制服が宙を舞う。元大統領夫妻も満面の笑みに。
先生は、祝辞の中でトルストイの寓話『若き皇帝』を紹介した。
——巨大な権力の座に就いた若き皇帝に、三つの声が呼び掛ける。
まず第一の声は言った。"あなたの責任は、ただ自分に与えられた権力を維持していくことだけだ"
次に第二の声は言った。"あなたは、自分の責任を上手に回避していけばよい"と。
最後に、第三の声は言った。"汝は、「皇帝」よりはるかに大きい存在である。つまり、汝は「人間」である。ゆえに、「皇帝」としてではなく、「人間」としての責任を果たせ! 苦しむ民衆を救うために、行動せよ!"と——。
そして、先生は力を込めた。「第三の『人間指導者』の道を選択した勇者こそ、ゴルバチョフ博士であると、私は断言したいのであります」
式典終了直後、ゴルバチョフ氏は、天井を指さして言った。
「あの飛んでしまった服は、きょうの出会いの思い出の"旗"のようです!」
講堂の天井には、2階席の生徒が投げ上げた上着が三つ、ぶら下がっていた。場内に、温かな笑いが広がった。
上着を引っ掛けてしまった一人、北東華子さん(高校24期)。
「天井を見ながら"どうしようか"と焦っていましたが(笑い)、元大統領がユーモアで包んでくださり、池田先生から激励の声を掛けていただき、生涯の思い出になりました」
女子剣道部の主将を務めていた北東さんは"勝利の結果で先生に応えよう"と奮起。翌年、創部以来初となる近畿大会3位入賞を果たす。
だが大学では人間関係の悩みから体調を崩し、教員や警察官など、志望していた進路を断念。就職活動も挫折が続いた。
苦難の中で心に浮かんだのは、学園時代に受けた先生からの激励。そして、あの日のライサ夫人の言葉だった。
"たとえ転んでも、何度でも立ち上がろう"。諦めずに挑戦を続けた結果、地元関西で就職を勝ち取った。
現在は結婚し、兵庫県尼崎市に。4人の子どもを育て、長女は関西創価小学校の2年生だ。

◇「誠実」こそ大事
「池田先生の夢は何ですか?」
2000年2月28日、神戸市内で行われた卒業予定者との記念撮影会での一こま。池田先生は、学園生の率直な質問に丁寧に応じつつ、懇談的に語った。
「私の夢は、戸田先生の夢を実現することです」
「『本当の夢』には幸福がある。正義がある。人のためになる。平和がある。『幸福』『正義』『人のため』『平和』——この延長線上につくり上げたもの、描いたものが、本当の夢なんです」
先生の一言一言に、学園生は皆、真剣に耳を傾けた。
広島出身の福島優子さん(高校25期)は当時、高校3年生。親元を離れ、中学から6年間、「暁寮」で下宿生活をしながら学園に学んだ。
"お世話になった方々に感謝を表すときに、心掛けなければならないことは何でしょうか"
福島さんの問いに、先生は寮や下宿の関係者へ感謝を述べつつ、言葉を継いだ。
「陰に陽に面倒を見てくださった寮の方々に、どう感謝を表すか——それは『誠実』しかありません。『人間として一番大事なものは誠実である』。これが私の信念です。『誠実』にかなうものはありません」
その後、創価大学を卒業した福島さんは、大手通信会社の本社に勤務。専門知識や交渉力が求められる法務関連の部署で活躍する。「複雑な案件でも、『納得の対話』と『相談者と共に解決策を考えること』を心掛けています」。創立者、両親はじめ支えてくれた全ての人たちに感謝し、誠実一路の人生を歩む。
鎌田真由美さん(高校28期)は、この記念撮影会に参加した中学3年生の一人。「将来、先生のご期待に応えられる自分に成長しようと、深く心に決意しました」
学園から奈良女子大学に進学し、情報科学の修士課程を修了。京都大学大学院に進んだ。
博士課程2年目に壁にぶつかり、学究の道を断念しようと考えたことがあった。その時、学園時代の友人が、かつて何度も学び合った先生の言葉を思い出させてくれた。
「いったん決めたら、『続ける』ことである。目標を達成するまで、忍耐し、努力し続けることである。叩き続ければ必ず『勝利の扉』は開かれる」
鎌田さんは、再び熱意を取り戻し、目標としていた3年間で博士号を取得。現在、国立大学の准教授として、生命情報科学の分野で先進医療の発展に尽くす。
——2000年の記念撮影会で、池田先生は呼び掛けた。
「本当の勝利とは、『自分自身の心に勝つ』ことです」「『自分は、自分らしい人生を勝ち取った!』『私は魂の王者なんだ!』——そう言い切れる人が、『勝った人間』なんです」

◎2019少し肌寒い夏の大勝利、おめでとうございます(^^♪

2019年7月21日日曜日

2019.07.21 わが友に贈る

「願くは我が弟子等・
大雁ををこせ」御聖訓。
皆が使命を果たせるよう
どこまでも心一つに祈り
広布の峰を登攀しよう!

一生成仏抄 P383
『若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し』

【通解】
もし自身の心の外に成仏の道を求めて万行万善を修めようとするのは、例えば貧しさに窮している人が日夜に隣の人の財産を数えても、
半銭たりとも自分のものにならないようなものである。

〈寸鉄〉 2019年7月21日
社会の不幸に目をつぶるのは大聖人の魂に反する—恩師。立正安国の道を
励ましの力で人々を蘇生させる会長の姿は模範—識者。誠実な振舞、我らも
賢人は最後まで戦い通し愚人は偶然に身を任せる—作家。今を悔いなく!
熱中症にならない自信がある—2割。過信は禁物。水分・塩分補給、小まめに
参院選の投票日。令和の新時代を開く選択。声が届く政治へ賢明なる一票

☆扉をひらく 池田先生の対話録� 第3回 オーストリア芸術家協会 ハンス・マイヤー会長
◇写真も人生も「一瞬」が勝負 今この「瞬間」に心を尽くす
カシャッ、カシャッ。
二つのカメラから、小気味よいシャッター音が響く。
1992年8月26日、池田先生がオーストリア芸術家協会会長のハンス・マイヤー氏を聖教新聞本社に迎えた。
著名な写真家であるマイヤー氏が池田先生にカメラを向けると、先生も手元のカメラを構える。
レンズ越しにも、談笑が絶えない。じっくり語るのはこれが初めてだったが、旧知のように話が弾んだ。
「なぜカメラに興味をお持ちになったのですか」
池田先生の質問に、幼少期を振り返るマイヤー氏。父の友人が持つカメラに夢中になった思い出を語った。
「カメラというのは、一体どんな仕組みになっているのか知りたくて、よく暗室に入り、一生懸命、眺めていたものです」「6歳の時には、もう『自分は将来、写真家になる』と決めていました」
キュンストラーハウスの名で親しまれるオーストリア芸術家協会は、同国最古にして最大の芸術拠点として知られる。1861年の創立以来、数千回に及ぶ多彩な展覧会を開いてきた。
戦後のウィーンで数々の賞に輝き、写真家として名をはせたマイヤー氏。1975年に同協会の会長に選出され、芸術振興に奔走してきた。
池田先生もマイヤー氏も、かねて「写真は民衆に開かれた芸術」と述べ、写真文化の宣揚に努めてきた。
「写真を『芸術』と見る観点は二つあります」とマイヤー氏。
「一つは『道具を使った芸術である』ということです。人間の手だけでは表現できないものを、写真は表現できる。二つ目は『万人に開かれた芸術である』という点です。絵画などをうまく描けなくても、写真は、シャッターを切りさえすれば撮れる。だから極めて『民主的』な、それでいて高い質をもった芸術と言えると思うのです」
池田先生が応じる。
「会長が言われたように、写真は、誰でも『見た』ものを『写す』ことのできる芸術です。その上で、重要なのは、同じものを見ても、生命にどう映るか、どう感じるかです。見え方の差、境涯の差は、おのずと作品にも現れるのではないでしょうか」
そう語り、言葉を継ぐ。
「余談ですが、有名な『キヤノン』という名称も、もとは『カンノン』だったそうです。カンノン——日本語では、『観音』といえば法華経の『観世音菩薩』のことです。『世音を観ずる』すなわち世間のあらゆる"生命の声"を、真実を、ありのままにキャッチしていく。写真芸術にも通じる、生命の働きを表していると思います」
"心のレンズ"を磨き上げてこそ、真実を写すことができる——先生の言葉に、氏が満足そうにうなずいた。

毎年元日、ウィーンの楽友協会から世界に生中継され、年明けを華やかに飾る「ニューイヤーコンサート」。
この楽友協会の真向かいに立つキュンストラーハウスで、92年1月、「自然との対話——池田大作写真展」が開幕した。東京富士美術館主催の「日本美術の名宝展」と同時開催である。
「私は写真芸術家ですから、池田会長の写真の芸術性の高さがよく分かるつもりです」とマイヤー氏。自ら作品選定に当たり、一枚一枚を吟味した。
当初、案に挙がっていたのは、パリやウィーンなど、池田先生が欧州訪問の際に写した作品が中心だった。
しかし氏は、山あいの田畑や紅葉、竹かごに盛られた秋の味覚など、日本の四季折々を収めた作品を推薦。並び順にも熟慮を重ねる姿は、関係者が圧倒されるほどの真剣さだった。
写真展には3万人を超える市民が来場し、連日、新聞やテレビなどの主要メディアで報じられた。過去最大級の日本文化の展覧会となった同展に触れつつ、先生と氏の語らいは「戦争と文化」に焦点が移っていく。
にこやかな表情を浮かべていた氏から、笑みが消えた。「絶対に忘れられない、また許すことのできない不幸な出来事でした。こんなことは、二度と、二度と繰り返してはなりません」
氏は先生より2歳年上。17歳の時、徴兵でドイツ陸軍に入隊している。
「よく分かります。私も、あの暗い戦時中に少年時代を送った一人です」と池田先生。
マイヤー氏の父は、終戦までの7年間、悪名高きダッハウ強制収容所に囚われた。祖父も収容所に送られ、自ら命を絶っている。
「『右』にせよ『左』にせよ、人間を抑圧する『独裁』というものは、同じです。こうしたバカげた愚行を絶対に繰り返させないことが、私たちの『使命』なのです」
語気を強める氏に、池田先生は「深い『人間観』に基づいた、深い『歴史観』を感じます。『人間』の真実の叫びです。私どもも、『独裁』と戦っています。『抑圧』と戦っています。会長と『同じ使命』の同志です」と。
芸術家協会では、氏の主導で旧東欧諸国との文化交流にも尽力してきた。「私は私なりに、"東側"との文化交流を続けてきましたが、そのことが、旧東欧諸国の共産主義体制の崩壊に若干の貢献をしたかもしれません」
池田先生が深くうなずく。
「大きな貢献と思います。『文化の力』は小さいようで、長い目で見れば、確実に、時代と社会の底流を動かしているものです」

「法華経の序品では、釈尊が、いわば最高のカメラマンのごとく、森羅万象の映像を鮮やかに映し出し、人々に見せてあげている。すなわち、釈尊の眉間から発する光明が、東方の1万8千といわれる世界を照らすと、全てが黄金の光の中に浮かび上がります。生命の閃光、フラッシュに例えられるかもしれません」
92年8月の会談で先生は、法華経の映像性を通し、写真芸術を語った。
「法華経では、この森羅万象が自己の『一念』に収まり、また自己の一念が『全宇宙』に遍満していくことを明かしている。また『生命の永遠性』を説きつつ、果てしない過去も未来も、現在の『一瞬』に凝縮されていることを説いています」
技術の発達により、今や写真は毎日の生活に欠かせないものとなった。だが、それが「一瞬」を「永遠」に刻み残す作業であることに変わりはない。
マイヤー氏は語っている。
「会った瞬間、私にははっきりと分かりました。池田会長が、私と同じような人生体験をお持ちであり、『不幸を繰り返さぬ』ために戦っておられることが——」
信念の人のみが、信念の人を知る。
「瞬間」の芸術に生き、文化交流に生涯をささげた氏が、"心のレンズ"で捉えた先生の実像である。

ハンス・マイヤー 1926年〜93年。写真家。75年にオーストリア芸術家協会(キュンストラーハウス)会長に就任。オーストリア最古の伝統を誇る同協会の活動を主導し、多くの芸術家に発表・交流の場を提供。旧東欧諸国との文化交流にも力を尽くしてきた。91年6月、写真分野における芸術的業績が評価され、池田先生が同協会の在外会員に就任。翌92年1月には、キュンストラーハウスで「自然との対話——池田大作写真展」が開かれ、3万人を超える市民が鑑賞した。同年11月、国際的な文化交流活動への多大な貢献がたたえられ、池田先生に同協会の名誉会員証が授与されている。

〈引用・参考文献〉 池田大作/ユッタ・ウンカルト=サイフェルト著『生命の光 母の歌』、広瀬佳一・今井顕編著『ウィーン・オーストリアを知るための57章』(明石書店)、増谷英樹著『図説 ウィーンの歴史』(河出書房新社)、R・ヴァイセンベルガー編『ウィーン 芸術と社会 1890−1920』池内紀・岡本和子訳(岩波書店)。

2019年7月20日土曜日

2019.07.20 わが友に贈る

勇気の道を貫く
尊き大中部の同志よ!
今日という一日を
悔いなく戦い切ろう。
堅塁城に栄光の旗を!

災難対治抄 P85
『速に謗法の者を治す可し若し爾らずんば無尽の祈請有りと雖も災難を留む可からざるなり』

【通解】
すみやかに謗法の者を対治しなさい。もしそうしなければ、無量の祈りがあっても、災難はとまらない。

〈寸鉄〉 2019年7月20日
汗水たらし懸命になるから不可能も可能に—恩師痛快なる偉業を皆の手で
兵庫よ猛然と走り抜け!最後に必ず勝つのが常勝大逆転へ関西魂を赤々と
北陸の友が大奮戦。縦横無尽に動き、語り捲れ!人材山脈に歓喜の凱歌を
沖縄が限界突破の拡大!舞を舞う如く賑やかに。民衆勝利の行進を南から
公明政策には全くブレがない。常に生活者目線—識者。庶民主役の時代へ

☆池田先生の中国・北京大学訪問45周年 2019年7月10日
◇初訪中以来7度訪問 創価大学との交流も厚く
中国最高峰の学府・北京大学を池田先生が初訪問してから本年で45周年。先生は10度の訪中のうち、第1次から第7次まで毎回、同大学を訪れ、教職員・学生らと交流を重ねてきた。北京大学と先生の交流を、このほど来日した同大学国際関係学院の孔凡君教授へのインタビューと併せて紹介する。

池田先生が北京大学に最初の一歩をしるしたのは、1974年(昭和49年)6月4日。先生は日中両国の相互理解促進を願い、日本語書籍をはじめ5000冊の図書目録を贈呈した。
同年11月、"図書が届いたので贈呈式を行いたい"と、同大学から再訪の招へい状が寄せられた。2度目の訪中となった翌12月、贈呈式が行われた。さらに第4次訪中では2度目となる図書贈呈が行われ、1200冊の目録が贈られた。
また先生は、第5次から第7次訪中で3回にわたって同大学で記念講演。その間、創価大学と北京大学との間で学術交流協定が調印(第5次)され、日本人初となる「名誉教授」称号(第6次)、「教育貢献賞」(第7次)が北京大学から先生に授与された。
創立者が開いた友誼の「金の橋」を渡り、北京大学へ留学した創大生はこれまでに60人以上を数え、北京大学から創大に派遣された交換教員も40人を超えている。
2001年には、中国で最初の池田思想を研究する機関となった「池田大作研究会」が北京大学に設立。06年には同大学に隣接して創価大学の「北京事務所」が開設され、16年には設立10周年の記念行事が北京大学図書館で開催されるなど、交流が続いている。

北京大学国際関係学院 孔凡君教授
●池田先生の実践を継ぎ両国友好の発展を

このたび、北京大学の対外交流史をまとめる研究プロジェクトの一環で、創価学会、創価大学を訪問させていただきました。
北京大学の創立(1898年)以来の対外交流史を改めて編さんし、日本において最も早く北京大学と交流を結んだ創価大学と、その創立者である池田大作先生について調べる中で、さらに深く研究したいとの思いを強くしたからです。
池田先生は初訪中以来、7度にわたり北京大学を訪問され、1980年(「新たな民衆像を求めて」)、84年(「平和への王道」)、90年(「教育の道 文化の橋」)と3回にわたって講演されています。また、創価大学と北京大学の交流は約40年におよび、その内容も非常に豊富です。
今回、そうした歴史に立ち会ってきた証言者として、創価学会の原田会長、池田主任副会長、そして創価大学の田代理事長、馬場学長にインタビューさせていただきました。
それぞれのお立場から、国と国との理解、そして平和は、人間と人間の理解から築かれていくことを強調されていました。
私の理解では、池田先生は繰り返し、「人間と人間の交流」の重要性を訴えておられます。今回のインタビューを通じて、北京大学と創価大学、さらには国と国の関係にあっても、人間と人間の交流が大変重要な役割を果たしていることを実感しました。
いま、中日両国の関係は新しい局面を迎えています。両国の流れの「主流」を、友好の方向へと進めていく努力が求められていると思います。
その推進力として民間の友好交流を一段と発展させていくためにも、創価学会の皆さまには池田先生の実践を継承し、中日友好のために引き続き貢献していただきたい。
教育をはじめ、中国とのさまざまな交流をさらに強化し、中日友好、そしてアジアと世界の平和のために共に力を尽くしていきたいと願っています。

☆開学20周年へ 未来を開くアメリカ創価大学 第2回 全米トップの多様性
◇識者「池田先生の行動と理念に学ぶ時」
アメリカ創価大学(SUA)には、文化や宗教の差異を超えて、創立者・池田先生の思想と行動に賛同する人々が世界中からやって来る。学生、教職員、そして各界の識者・リーダーである。
2001年5月4日、開学翌日の記念講演会で、SUAの使命を巡りスピーチしたのは、アフリカ系アメリカ人のキリスト教の牧師——ローレンス・カーター氏だった。現在、SUA理事を務めている。
カーター氏は、アメリカ公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士の母校モアハウス大学の宗教学教授であり、キング国際チャペルの所長。キング博士の精神の継承と宣揚に生涯をささげる。
氏には長年、ある問題意識があった。
それは、歴史的人物が偉人として「神格化」されると、今を生きる人々から「疎遠」な存在になってしまうことだった。
キング博士を「尊敬」する人は多い。だが、その思想を「実践」する人は、どれだけいるのか——。
そんなある日、氏は一人の学者を通じて、池田先生の平和闘争を知る。SUA開学の前年に訪日し、先生との初会見が実現。"キングの非暴力の精神を現代に受け継ぐ人物こそ池田先生である"との確信を深めた。
記念講演会で、氏は1000人の市民を前に力説している。「池田先生の行動と理念こそ、アメリカが必要としているものであり、アメリカ創価大学は、その創立者ゆえに、すでにアメリカの、そして世界の名門大学なのです」
創価教育の新たな時代の開幕を告げるSUAの開学。その意義を、異なる背景をもつ人物が誰よりも深く理解し、たたえる姿自体が、多様性を尊重するSUAの理念の普遍性を象徴しているといえよう。

◇価値ある生き方
米メディア会社「USニューズ・アンド・ワールド・リポート」が発表する大学ランキングによると、SUAは「国外からの留学生数の割合」が40%を超え、全米トップ。その数は、日本を筆頭に、ネパール、ベトナムと続く。
なぜ、世界中から学生たちが集まるのか。ヒョン・ムーン学生部長は「新入生の多くが"貢献的人生を生きゆく世界市民の育成"という理念に共感したからだと思います」と分析する。
SUAには今、新入生の入学審査を担当する職員として、国内外の高校生に大学案内を行う3人の同窓生がいる。皆、かつては「創価」という言葉を聞いたこともなかった。
チェルシー・ダガーさん(10期)は、サンディエゴ出身。アーロン・ペリーさん(同)は、陸上競技のアスリートとして奨学金を得て入学した。二人は国内の受験生の募集を担う。アストリッド・ドランテスさん(7期)は、海外留学生の窓口だ。
そんな彼らに、幾つかの質問をぶつけてみた。
 
——SUAに進学を決めた理由は?

ダガーさん 「平和」「愛」「大学」といった言葉をインターネットで検索し、SUAを見つけました。"世界に貢献する"という理念を知り、"ここで学びたい"と思いました。多くの大学が「知識の習得」を中心とした宣伝を行う中で、SUAは何かが違うと直感したんです。

ペリーさん SUAから車で30分ほどの場所で生まれ育ちました。でも、SUAについて何も知りませんでした。高校2年生の時に、SUAからパンフレットが届きました。"こんな美しいキャンパスは、どこにあるんだろう"と思い、所在地を確認すると、まさかの近所だったのです(笑い)。

ドランテスさん 私が通っていた高校は、ハーバード大学などの名門校を目指す生徒が多い学校でした。漠然と"世界を良くしたい"という思いがありましたが、その方法は分かりませんでした。そんな中、今の職場の上司から、創立の理念や、全員が海外留学を経験する「スタディー・アブロード」について聞き、SUAに引かれました。

——4年間で得たものは?

ダガーさん 以前は、勉強一筋の生真面目な性格でしたが、SUAで「価値創造」の意味を考えました。人間の価値は「生産性」だけでは決まらない。むしろ、友達や家族を、どこまで大切にできるか——そこに、人として最も大事な価値があると学びました。

ペリーさん 異なる文化や言語の人たちに対する理解力と包容力を培うことができました。どんな人も、さまざまな悩みを抱えながら懸命に生きていることを知り、誰にでも共感できる自分になれたと思います。
父は日本人とアフリカ系アメリカ人のハーフ、母はメキシカンで、両親も私もクリスチャンです。私がSUAで学び、素晴らしい友人たちと成長し続けている姿を見て、親族も皆、喜んでいます。

ドランテスさん やはり「価値創造」という哲学、生き方ではないでしょうか。私にとって「価値創造」とは「人々を励ますことを人生の目的に据える」といえます。
日本語を学習し、3年次には札幌に留学しました。その後、ホストファミリーがわが家を訪れる機会があり、父と母はとても喜んでいました。
両親は、私たちきょうだいの教育の機会を広げるために、メキシコからアメリカへ移住しました。SUAのおかげで、私は今、"両親の夢"を生きています。同窓生で、日本出身の夫にも出会うことができました(笑い)。

——高校生たちに伝えているSUAの魅力とは?

ダガーさん 公立、私立、カトリック系、ユダヤ系と、さまざまな高校に足を運び、SUAをアピールしています。
アメリカには数多くのリベラルアーツ(一般教養)の大学が存在する中で、「創価のリベラルアーツとは何か」を訴えています。あえて一言で言えば、「人々に尽くすための教育」です。そこには、創立者が言われる"大学は、大学に行けなかった人のためにある"との精神が脈打っています。

ペリーさん 全米各地の大学フェアに参加したり、高校訪問などを行ったりしています。SUAは大学ランキングで上位にランクインしているので、さまざまな高校から問い合わせがあります(編集部注=全米のリベラルアーツ大学233校の中でSUAは総合22位)。
高校生たちには、1クラス12人程度の少数精鋭の教育環境について訴えています。教職員との垣根がなく、授業以外の時間でも勉強や私生活のアドバイスをもらえる。この「学生第一」の気風はSUAの誇りです。

ダガーさん 大学フェアで、ある男子高校生が尋ねてきました。「ウェブサイトでは分からない魅力は何ですか?」と聞かれ、私はすかさず「友情です」と答えました。
学生ですから、普段は勉強で忙しいのは当然です。しかし、例えば学生祭となれば、皆でダンスを披露するために練習に集まること。寮生活では、国籍や習慣の違いを超えて、何でも語り合い、一生の友情が築けること……。「家族のような絆を結べる大学がSUAです」と語ると、彼は「受験します!」と決意してくれました。

ドランテスさん 海外の多くの高校生たちが、「世界市民」という人材像に魅力を感じているようです。
先日も、南米エクアドルのアマゾン地帯に住む高校生と連絡を取りました。毎日、さまざまな国や地域の生徒たちからメールが届きます。
かつての私のように「世界をより良くしたい」と願っている高校生は、たくさんいます。だからこそ「社会変革の道を学ぶ場所がSUAです」と、これからも真剣に訴えていきます。

◇母校愛の人に
去る5月24日、SUAの第15回卒業式が盛大に開催された。
今回、晴れの門出を迎えたのは、18カ国・地域の124人。同窓生の代表も各地から祝福に駆け付け、「創宝会」(同窓の友の集い)のスクラムは、1400人を超えた。
キャンパスでは毎年、卒業式に合わせて創宝会総会が開かれる。その模様はインターネットでも中継され、池田先生が"最優秀の卒業生"とたたえる一人一人が、青春の誓いを新たにする。
"最優秀の卒業生"とは、どんな人を指すのか——。社会的に華々しく活躍する人物、それが世間一般の基準であろう。
その上で、先生はハブキ学長ら大学首脳に語っている。
「大学にとって一番、尊く、大切な卒業生とは誰か。それは母校を愛する人です。母校愛の人がいる限り、大学は発展していくのです」
母校愛で結ばれた、多様性あふれる"同窓の光"が今、世界中で希望の輝きを放っている。

2019年7月19日金曜日

2019.07.19 わが友に贈る

先駆・九州の天地に
民衆歓喜の凱歌を!
「各にはおづる事なかれ」
大闘争心を奮い起こし
険難の坂を超え切ろう!

千日尼御前御返事 P1316
『法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄餓鬼畜生等の百獣に恐るる事なし』

【通解】
法華経の師子王を持つ女人は、一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐れることはない。

〈寸鉄〉 2019年7月19日
決意を翻さず行動で苦難を凌ぐ者が勝利者—英雄さあ、わが最高峰へ登攀
東京が師子奮迅の共戦。完勝への決定打を頼む!本陣から感激の劇つづれ
四国の同志が勇躍前進!燃えゆく志は、紅の如く。対話の大旋風で栄光掴め
信越が猛撃!語った分だけ広がる。悔いなき拡大で歴史に残る金字塔築け
ネット等の"嘘ニュース"に騙された経験—3割。情報源を確認し鋭く喝破

☆新時代を築く 創価は世界の勇気の源泉 2019年7月13日
創価の師弟は、法華経の"行者"である。"信者"ではないと、牧口先生は宣言された。三障四魔が競い起こるのも、正しく菩薩行をしているからなのだ、と。
御本仏は仰せである。
「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(御書1352ページ)
広宣流布、立正安国を誓願し、あえて試練に挑戦しゆく尊き学会員の祈りこそ、まさしく「法華経の行者の祈り」なのだ。ゆえに、断じて叶わないわけがない。
使命の行動の日々は多忙である。辛労も多い。しかし煩悩即菩提である。大きく悩み、大きく戦った分、大きく境涯が開かれる。大闘争の中で無量の心の財が積まれ、幸の眷属が広がり、個々人の祈りも成就する。
ここに、妙法に合致した人間革命と立正安国の勝ち戦のリズムがあるのだ。
* * *
御書には示されている。
「石はやけばはいとなる金は・やけば真金となる」(1083ページ)
人生にも、社会にも、ここぞという時がある。
昭和33年6月30日、私が総務として、事実上、学会の全責任を担ってからの一日一日が、そうであった。
恩師の心を胸に、同志の中へ飛び込んだ。本陣たる東京・東海道・関東はもとより、法廷闘争も続く関西へ。北海道、東北へ、中部、北陸、信越へ、中国、四国、九州へ。全国を幾度も奔走し、沖縄の同志とも深く心を通わせていった。
病気や経済苦などを抱えつつ戦う健気な宝友のため、師の分身となって題目を唱えに唱え、励ましに励ました。戸田先生より「指導とは激励なり」と教わり、託されてきたからである。
一人一人が宿命に立ち向かいながら、慈折広布に勇み進んでくれた。日本中が異体同心で一丸となって、悪口罵詈を吹き飛ばし、真金の輝きを放ったのだ。
* * *
総務就任直後の7月13日、意気高く関西の男女青年部の総会が行われた。不二の心で駆けつけてくれた若き友に、私は呼び掛けた。
——日本の勇気の源泉は創価学会であり、創価学会の源泉は青年である。勇気に燃えて仏道修行に励み、仕事も、境遇も、社会も、当たって砕けろの決心で勝ち開いていく青年たれ!と。
今や、わが創価の青年こそ、世界の勇気の源泉なりと、私は叫びたい。師弟の誓いに生き抜く時、若き地涌の連帯は宇宙大の力を発揮していくのだ。
烈風に負けぬ勇気を持て! 師弟の月・7月、威風堂々と正義の凱歌を轟かせようではないか!
全同志の「健康長寿」と「絶対勝利」を祈ります。

☆広布史アルバム 第7回 東京
◇正義の言論が本陣の魂
1957年(昭和32年)7月12日。降りしきる雨をものともせず、東京・台東区の蔵前国技館(当時)の場内外に、4万人の同志が詰め掛けた。
同年7月3日、池田先生が事実無根の容疑で、不当逮捕された。この権力の横暴を糾弾し、正義の怒りを燃え上がらせたのが「東京大会」である。
池田先生は随筆に、「東京大会」の精神をつづっている。

「東京大会」において、戸田先生は、四万の同志と膝詰めの対話をするかのように、率直な「質問会」を行われた。学会本部の対応は生ぬるいと、訴える人もいた。先生は、理不尽な国家権力の迫害と戦う、深く強い心境を激しく言い放った。
「会長になった時から、この体は捨てるつもりでいるんだから何も怖くない」「おめおめと、負けてたまるものか!」

御本仏・大聖人が御入滅されたのは、不思議にも、ここ東京であられた。その東京が、令法久住の大攻防戦の主戦場となりゆくことは、仏法の眼から見れば、必然と言わざるをえないだろう。
「強盛に歯をくいしばって、たゆむ心があってはならない。例えば、日蓮が、幕府の権力者・平左衛門尉の所で、堂々と打ち振る舞い、言い切ったごとく、少しも恐れる心があってはならない」(御書1084ページ、通解)
これは、苦境に苦境が重なりゆくような、東京の法戦の先達たる池上兄弟への御聖訓である。
いつ、いかなる時も、真っ向から勇敢に戦う。これぞ、広布の本陣・大東京の魂だ。

◇炎の原点の七月。
久遠より願い求めて使命深き本陣に集った、わが敬愛する三世の同志よ! まず自分自身が、常勝の人間であってくれ給え!
そして連戦また連勝の快進撃で、二十一世紀の常勝人脈を、断固として、わが大東京から、勝ち広げゆくことを誓いたい。

きょう「7・12」は、「総東京婦人部 幸福・勝利の日」「総東京青年部の日」。池田先生が贈った「正義の東京大会顕彰の碑」(台東区の東京上野平和講堂)の碑文に、本陣・東京の責務と使命が刻まれている。

「万年の創価の勝利を決せんは 本陣・東京の責務なり」
「師弟凱歌の旭日を元初の朝に示さんは 本陣・東京の使命なり」

2019.07.18 わが友に贈る

世界に範たる大関西よ!
我ら常勝の錦州城に
恐れるものなし!
未来に仰がれゆく
広布の大金字塔を!

諸法実相抄 P1359
『日蓮をこそにくむとも内証にはいかが及ばん、さればかかる日蓮を此の嶋まで遠流しける罪無量劫にもきへぬべしとも覚へず』

【通解】
この日蓮を憎むとも、内証をどうすることもできないのである。それゆえに、このような日蓮佐渡の島まで遠流した罪は無量劫を経ても消えるとはおもわれない。

〈寸鉄〉 2019年7月18日
男が怯めば男ではない。覚悟の信心に立て—恩師壮年が勝利の決定打放て
神奈川が勇戦。執念と勢いで大激戦勝ち越えよ!世紀の海へ栄光の船出を
埼玉よ、もう一押しだ!正義の師子吼で圧倒を。連戦連勝で新時代を飾れ
福岡が気迫の追撃。戦いは攻め続けた方が勝つ。先駆の九州から勝鬨を!
公明党が「福祉・教育」を政治の常識へと変えた—識者。立党の精神を貫け

☆御書と歩む� 第79回 後世に仰がれる歴史を
『今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり』(弥三郎殿御返事、1451ページ)

◇通解
自分が今まで生きながらえてきたのは、このこと(法華経ゆえの難)に遭うためである。今この時こそ(戦いの要衝として有名な)宇治川を渡す所だ、今この時こそ勢多川を渡す所だと思いなさい。名を上げるか、名を下すかの勝負所である。

◇同志への指針
関西はじめ共戦の友は、この覚悟で使命の大闘争に臨んでいる。だから負けない。
「今ここ」が勝負所と定めて祈り抜き、仏菩薩も梵天・帝釈も、わが生命に入其身させるのだ。そこから激流を勝ち越える力と智慧が漲る。
恩師は「広宣流布の闘士として末代にまで名を残せ」と叫ばれた。悔いなく戦い切って、不滅の栄光と大福運を勝ち開こう!

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 開目抄(上) 2019年7月13日
◇広布に生き抜く誓願を胸に!
◇勇気の対話で臆病を破る
今月から2回にわたり、「開目抄」を学びます。
池田先生は、本抄の講義の中でつづっています。
「『開目抄』は、いわば『最深の哲学』と『最強の信念』を説く書です。『最深の哲学』とは、全人類救済の慈悲の極理たる凡夫成仏の大法が説き明かされているからです。(中略)『最強の信念』とは、全人類を救いうるこの大法を、いかなる障魔が競っても弘めゆくことを誓う、広宣流布への偉大なる信念です」
民衆の幸福を願い、大法弘通に生き抜かれた日蓮大聖人の、広宣流布の誓願を心に刻んでいきましょう。(拝読範囲は、御書186ページ冒頭〜203ページ14行目です)

◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が流罪地の佐渡に到着した直後から構想・執筆され、文永9年(1272年)2月、四条金吾に託して門下一同に与えられました。
題号の「開目」とは「目を開く」ことであり、末法の一切衆生に対して、執着を打ち破り、真の法華経の行者、すなわち大聖人に「目を開け」との呼び掛けと拝されます。
当時、大聖人一門には激しい弾圧が加えられ、退転する門下が続出しました。
本抄で大聖人は、当時、人々から寄せられた"大聖人が法華経の行者であるなら、なぜ諸天の加護がないのか"との疑問に対し、経文通りに実践すれば、三類の強敵の出現は必然であり、その通りの難に遭っている大聖人こそ、真の法華経の行者であると示されます。
そして、大難を覚悟で妙法弘通を貫く大聖人が、民衆にとって「主師親の三徳」を具えた末法の御本仏であることを明かされていきます。

◇御文
『日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし、いはずば・慈悲なきに・にたりと思惟するに法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに・いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし』(御書200ページ9行目〜13行目)

◇通解
日本国でこのこと(仏教の諸宗が謗法の教えを説いており、人々を悪道に堕とす悪縁となっていること)を知っている者は、ただ日蓮一人である。
このことを一言でも言い出すなら、父母や兄弟、師匠、さらに国の権力者による迫害が必ず起こってくるにちがいない。
しかし、言わなければ無慈悲と同じことになってしまう。
どうすべきかと考え、法華経や涅槃経などの文に、言うか、言わないか、の二つを照らし合わせてみた。
すると、言わないでおけば、今世では何ごともなくても、来世には必ず無間地獄に堕ちてしまう。
もし、言うなら、三障四魔が必ず競い起こってくるということが分かった。
この二つの中では「言う」ほうを選ぶべきである。

◇解説
本抄で大聖人は、諸思想および釈尊の仏教のあらゆる教えの浅深を検証し、法華経本門寿量品の文底に秘沈されている一念三千こそが、万人成仏の大法であると示されます。
しかし、法華経に背く謗法の者が充満する末法の世となった、大聖人の御在世当時、邪法を弘める悪僧により悪縁が国中に蔓延していました。
大聖人は掲げた御文の直前で、"悪鬼が身に入った高僧たちが、誤った教えで人々を騙し、不幸に陥れている"と喝破され、大聖人ただお一人が、このことを知ったのだと仰せです。
続いて、立宗宣言に至る大聖人の御心境が回想されます。
世間から尊敬され、権力とも結び付いている高僧のことを、"人々を苦しみに陥れる元凶である"と言い出せば、周囲や国主からの迫害は必然です。しかし、難を恐れて言わないことは、苦悩する民衆を救おうとしない無慈悲に通じます。
「言うべきか、言わざるべきか」——二つのはざまで葛藤する中、大聖人は、法華経・涅槃経等の経文に照らし合わせて思索されました。
これらの経文には、正法を弘める時、種々の難が必ず起こることが記されています。一方、謗法を放置すれば仏の敵となり、来世には必ず無間地獄に堕ちることも明記されています。
大聖人は、これらを踏まえ、思索を重ねた末に、「言うべきである」と結論されたのです。
たとえ迫害を受けようとも、苦悩の民衆を救うために妙法を説き弘める——この後、述べられる「強盛の菩提心を・をこして退転せじと願じぬ」(御書200ページ)との御文からも、末法広宣流布の大闘争への烈々たる御決意が拝されます。
この大聖人の御精神を受け継ぐ実践こそ、私たちの日々の誠実な対話です。時に、反発や無関心などの反応が返ってくることもあるでしょう。しかし、それでも、友の幸福を願い、勇気を奮い起こして仏法を語り抜くことが大切です。
池田先生は、「語った分だけ、永遠の幸福の仏縁が結ばれる。語った分だけ、わが生命に、永遠の福運の歴史が刻まれる」と呼び掛けています。
師弟の月・7月。臆病の壁を破る対話で、立正安国の勝利を打ち立てていきましょう!

★池田先生の講義から
「二辺の中には・いうべし」——経文に基づく判断は明瞭です。経文は仏の言葉です。仏の心を知るための鏡です。私たちで言えば「御書」です。
大聖人は、法華経に照らして判断されたと述べられている。
表面的な地位や安逸ではなく、生命の究極部分で無慈悲の無間地獄に堕ちるか、大難を莞爾と受け止めながら万人を慈悲で包み込む苦難の道を選びとるか。当然、後者が経文に照らして正しい。(『御書の世界』第1巻)
◇ ◆ ◇
自分が救済しようと思ったその相手自身から、憎まれ、迫害される。理不尽と言えば理不尽ですが、"「それでも」私は、あなたを礼拝する"と叫び続けた不軽菩薩のごとく、深き「信念」を貫くことこそ、末法の仏法者の振る舞いです。(中略)
日蓮大聖人は深き誓願によって、一人、法華経の行者として厳然と立ち上がられました。謗法の悪縁に迷うすべての人を救おうと、断固たる行動を貫いていかれた。(『開目抄講義』上巻)

◇研さんのために
○…『開目抄講義』上・下巻(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第1巻(同)

2019年7月17日水曜日

2019.07.17 わが友に贈る

大関東よ奮い立て!
「強盛の信心
弥弥 悦びをなすべし」
執念の祈りと行動こそ
誉れの敢闘精神だ!

如説修行抄 P505
『諸天善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ送り給うべきなり、あらうれしやあらうれしや』

【通解】
諸天善神は天蓋をさしかけて旛を立て、私たちを守護して、功徳に満ちた永遠の仏国土へと必ず送ってくださるのである。なんとうれしいことか、なんとうれしいことか。

〈寸鉄〉 2019年7月17日
「但偏に思い切るべし」御書。誓願の師子は無敵。信心の戦いに悔い残すな
愛知が勢いを増し拡大戦堅塁の同志よ強気で進め中部の空に勝利の歓呼を
大阪が激戦突破へ総立ち民衆パワー全開で完勝を常勝の都に栄光の旗高く
中国方面の友が大奮闘!勇敢に動き対話の大波を新時代の黎明の鐘鳴らせ
日本に住む外国人、初の2%超。全ての人が輝く社会建設へ開かれた心で

☆御書と歩む� 第78回 「師子王の心」とは「勇気」
『悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し』(佐渡御書、957ページ)

◇通解
悪王が正法を破ろうとし、邪法の僧らがその味方をして、智者をなきものにしようとする時は、師子王の心を持つ者が必ず仏になるのである。例を挙げれば、日蓮である。

◇同志への指針
この御本仏の仰せ通り、三類の強敵と戦い抜いてきたのが、我ら創価の師弟である。
人間を軽賤し、民衆を攪乱する増上慢の魔性は、「師子王の心」でなければ打ち破れない。ここに立正安国の道があり、仏の道がある。
いざ、題目の師子吼で無敵の勇気を! 恐れなく正義の声を放つのだ。
人間の尊厳のため、民衆の凱歌のために!

☆日蓮仏法の視 立正安国という生き方 男子部教学部長 大津健一 2019年7月9日
◇人々に幸福もたらす仏法の智慧
◇万人尊敬の慈悲を社会へ

日蓮大聖人が「立正安国論」を提出された月、7月(1260年〈文応元年〉)。池田先生の『新・人間革命』第4巻「立正安国」の章をあらためてひもといた。「現実社会の人間の苦悩の解決から目を背けるならば、もはや、それは宗教の死といえる」「世界に、恒久平和の楽園を築き上げるために、人間主義の哲学をもって、人びとの生命の大地を耕していくことが、立正安国の実践であり、そこに創価学会の使命がある」。今再び、立正安国の実践という観点で御聖訓を拝したい。

◇法華経の心を体現
意外なことに、「立正安国論」は「実乗の一善」(御書32ページ)たる法華経への帰依を勧めるが、法華経そのものを詳しく論じていない。「法華真実」(同17ページ)、「一代五時の肝心たる法華経」(同23ページ)と述べるものの、なぜ「真実」「肝心」なのか詳説していないのである。
理由はいくつか推察されるが、ここでは、為政者に宛てた諫暁の書という特徴に着目してみたい。宛先は、執権職を離れて入道となりつつ、権力を握っていた北条時頼。この法華経信仰者ではない事実上の最高権力者に、大聖人は法華経の心をどう伝えようとされたのか。
「立正安国論」から浮かび上がるのはまず、誰の目にも明らかなように法然の誤りを示されたことである。さまざまな経を引くことで、"浄土の教え以外を排除せよ"という法然の言説が仏説に依らない己義であることを鋭く喝破された。
その上で、より象徴的なのは法然批判に一貫する"ある視点"だ。
「一代の聖教を破しあまねく十方の衆生を迷わす」(同22ページ)
「或は捨て或は閉じ或は閣き或は抛つ此の四字を以て多く一切を迷わし」(同23ページ)
「悲いかな数十年の間百千万の人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり」(同24ページ)
「捨閉閣抛の字を置いて一切衆生の心を薄んず」(同25ページ)
このように大聖人は、一切衆生を惑わした罪を徹底して糾弾された。
法華経は爾前経と異なり、悪人・女人・二乗をも救済する「一切衆生皆成仏道」(念仏無間地獄抄、同99ページ)の経。これを捨閉閣抛するのは、万人成仏の道を塞ぐことに等しい。
難を覚悟の上で、一切衆生を思い、諫暁された大聖人の振る舞い自体、法華経の心の体現なのである。

◇大聖人の為政者観
「立正安国論」御提出から8年後の1268年(文永5年)、蒙古から国書が届き、大聖人が予言された他国侵逼難が現実味を帯びる。これを受けて大聖人は、為政者と高僧ら11人に書簡を送られた(十一通御書)。そこに次のような言葉がある。
「身の為に之を申さず神の為・君の為・国の為・一切衆生の為に言上せしむる所なり」(北条時宗への御状、同170ページ)
「全く身の為に之を申さず、神の為君の為国の為一切衆生の為に言上せしむるの処なり」(平左衛門尉頼綱への御状、同172ページ)
大聖人が諫暁の目的を述べられたこの表現は、十一通御書の中でも高僧向けの書状にはない。つまり、為政者に対して"同じ目的に立て"と訴えられたと拝することができる。特に、荘園制の支配・被支配の関係をはじめ、身分差が当然の時代にあって、「一切衆生の為」と迫られた意味は重い。
幕府の権力者である平左衛門尉には「貴殿は一天の屋梁為り万民の手足為り」(同171ページ)と呼び掛けられた。"万民の手足となって尽くす"のが大聖人の為政者観である。「立正安国論」の現存する真筆には、「国」の字の多くに、「くにがまえ(口)」の中に「民」と書く「くに」が用いられていることにも明らかであろう。

◇「異」の苦への慈眼
「一切衆生」「万民」という語は、単に集合名詞として口にすれば、美辞麗句に堕しかねない。
大聖人は「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御義口伝、同758ページ)と、一人一人に「異」を見つめておられた。
一人として同じ人がいないゆえに、人の数だけ、さまざまな苦悩がある。
まして「旃陀羅が子」(佐渡御勘気抄、同891ページ)と最下層の出を自称された大聖人である。「一切衆生」の語には、世の不条理を嘆き明日への希望も見いだせない、最も苦しむ庶民へのまなざしがこもる。"一人ももれなく幸福に"との熱願がほとばしる。
天変地異、飢饉、疫病——。目をそむけたくなる情景から「立正安国論」を書き起こされた大聖人の筆は、苦悩にあえぐ無辜の民への慈悲と義憤に満ちていたであろう。これこそ為政者に伝えたかった、また、必ず伝わると確信された思いではなかったか。
そして正嘉の大地震という「立正安国論」執筆の契機を踏まえれば、庶民の命が脅かされる災禍に直面した時にこそ、為政者はその真価が問われるといえる。悲嘆に寄り添い行動する高潔の士か、実際には"心"のない利己の者か——。
「一切衆生の為」を根本に据える「為政者の心の変革」を訴えられたと拝すれば、民主主義の今日、慈悲の心を持って庶民に尽くすリーダーを社会に輩出することは、立正安国の一つの柱といえる。

◇智人と賢王の協力
蒙古襲来(文永の役)を経て、1276年(建治2年)ごろに著されたと考えられる「減劫御書」も、仏法と社会の関係を論じる。
大聖人は、善政をもたらした例として、中国古代に民衆を守る政治を実現した太公望と張良を挙げられた。
「此等は仏法已前なれども教主釈尊の御使として民をたすけしなり、外経の人人は・しらざりしかども彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり」(同1466ページ)
仏教伝来前の中国にあって、彼らを「教主釈尊の御使」と呼ばれたのは、民を助けた智慧が仏法の智慧の働きである、すなわち、人々の幸福の確立こそ社会における仏法の働きであるからだ。同書では「立正安国論」より展開し、仏法上の「智人」と社会の「賢王」が力を合わせれば、民を苦しめる邪義を打ち破り、安穏な社会を築くことができることを明らかにされた。
池田先生は、今日の「賢王」とは賢明な民衆であると述べられた。
「民衆が賢明になり、強くなってこそ、社会の中で、生命尊厳の思想、絶対平和の思想が広く、また深く定着していきます」「そうした『善の連帯』を築くことが、現代における智人と賢王の出現の意義だと言えます」(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第7巻)
思えば「立正安国論」も、世を嘆くばかりだった客が、主人の言葉に心を動かされ、迷執を捨て、他者にも関わろうと誓う場面で終わる。
変化の起点は主人の姿勢にある。
時に憂いを吐露し、時に怒りで座を立とうとする相手に、笑みをたたえて粘り強く語る。その末に行動の連帯が広がることが、立正安国の対話の帰結といえよう。
一切衆生の幸福を祈り、友の苦に寄り添う。生命尊厳の思想を語り、善の連帯を広げる。慈悲の心で人々に尽くすリーダーを世に輩出し、妙法の智慧で安穏な社会を築いていく——。御聖訓から導かれる、こうした立正安国の実践は、まさに学会同志の生き方そのものではないか。
行動なき傍観、現状を嘆くばかりの批判、一時的に盛り上がるだけの社会運動とは、次元を異にする。生涯を通して日々、立正安国に生きる庶民の群像こそ、学会の実相であると痛感する。
歴史家アーノルド・J・トインビー博士は池田先生の小説『人間革命』英語版の序文で、学会の発展をこう洞察した。
「日蓮は、自分の思い描く仏教は、すべての場所の人間の仲間を救済する手段であると考えた。創価学会は、人間革命の活動を通し、その日蓮の遺命を実行しているのである」
三代会長のもと、万人尊敬の思想を広げ、より良き平和な社会のために尽くしてきた同志の歩み。それは、立正安国に命をささげられた大聖人の後継の証しである。

2019年7月16日火曜日

2019.07.16 わが友に贈る

新聞休刊日

報恩抄 P297
『小失なくとも大難に度度値う人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候はめ』

【通解】
少しの罪もないのに、(法華経を弘めているために)たびたび大難にあう人こそ、仏滅後の法華経の行者であると知りうるであろう。

☆広布史アルバム 第6回 大阪
◇関西魂こそ学会永遠の宝
1957年(昭和32年)7月17日。
中之島の大阪市中央公会堂は、不当な権力への義憤に燃える同志で埋まった。「大阪大会」である。
空には雷鳴が轟き、豪雨が地面をたたきつけた。場外には1万数千人の友。だが、その場から離れようとする人はいない。
2週間前の7月3日、民衆勢力の台頭を恐れた権力によって、池田先生は無実の罪で逮捕・投獄された。15日間に及ぶ獄中闘争の後、17日に出獄した。
先生の師子吼が公会堂に響いた。

「大悪をこれば大善きたる」(御書1300ページ)との御金言のごとく、私もさらに、より以上のたぎりきった信心で、皆さまと共に、広宣流布に邁進しゆく決心でございます。
最後は、信心しきった者が、御本尊様を受持しきった者が、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念であるのでございます!

烈々たる大宣言に、関西の友は血涙を拭い、"戦いは絶対に負けたらあかん"と魂の奥深くに刻んだ。この「関西魂」について、池田先生は折々に語っている。

「関西魂」とは——
「負けじ魂」である。
「不屈の魂」である。
「師弟の魂」である。
「団結の魂」である。
「常勝の魂」である。
ゆえに、脈々と受け継がれている「関西魂」こそ、学会永遠の宝なのだ。

「最後は信心しきった者が必ず勝つ」という、常勝不敗の旗をさらに高く掲げて、私と共に、朗らかに、断固と勝ち進もうではないか!
「師弟の真髄は関西にあり」「関西魂とは折伏精神なり」そして「仏の力とは常勝なり」という実証の大金字塔を、威風堂々と打ち立ててくれ給え!

SGIの友は言う。
「信心は関西に学べ!」
関西は、「世界のカンサイ」だ。二十一世紀は関西の時代である。
「今再びの陣列」をもって、新しき人権闘争の、新しき精神闘争の、勝利の幕を開こう。
不滅なれ、関西魂!
永遠なれ、世界の錦州城よ!

◇池田先生から贈られた和歌
「大阪大会」から50周年の節目を刻んだ2007年(平成19年)7月、池田先生は、「あの城を 共に見つめむ 語りなむ 常勝関西 三世の功徳と」「入獄と 出獄記念の 中之島 師弟の城をば 共に忘れじ」とともに、関西の同志に下記の和歌を贈った。

勝ちにけり
 大関西は
  我が故郷
 あの日あの時
  中之島城かな

☆世界写真紀行 第37回 ブラジル・サンパウロの街並み
◇民衆こそ歴史を動かす英雄
街の中心である旧市街のセントロには、行き交う人々のにぎやかな声が響いていた。
南米最大のメガロポリス・サンパウロ。ブラジルの金融・経済の中心地であり、周辺都市を含むサンパウロ都市圏には、東京の人口をはるかに超える約2000万人が暮らしている。「世界最大の日系人社会」としても知られ、その数はサンパウロ州内で約100万人に上る。
サンパウロは19世紀後半にコーヒーの集荷地として発展。その後、工業が目覚ましく成長し、都市GDP(域内総生産)は今も南米トップを維持する。中心部には路線バスや地下鉄、鉄道の路線網が張り巡らされ、高層ビルが林立していた。
ブラジルは1500年4月22日、ポルトガル人航海者のカブラルによって"発見"された。この地で生きてきた先住民は迫害を受け、ポルトガルによる植民地化が進められた。
やがてサトウキビ栽培が始まり、労働力を確保するため、アフリカから黒人奴隷が連れてこられる。17世紀末になると金鉱が発見され、一獲千金を夢見る人々が押し寄せた。
ポルトガルからの独立は1822年9月7日。88年に奴隷制度が廃止されてからは、日本など各国から移民を受け入れた。
池田先生がサンパウロにブラジル広布の第一歩をしるしたのは、1960年10月19日。明年で60周年を迎える。
先生を迎えた同志の多くは、日本から移住し、農業に従事している人たちだった。
皆、夢を抱いてブラジルに渡ったが、労働は想像以上に過酷だった。与えられた住居は古い家畜小屋で水道や電気もない。日本で全財産を処分してやって来たが、詐欺に遭い、買ったはずの土地の登記がされておらず、小作人から始めた人もいた。そうした厳しい環境下にあっても、開拓の友は必死に歯を食いしばって生きていた。
先生はサンパウロ市内で行われた座談会に出席。幼子を抱えながら、病気で夫を亡くし、途方に暮れた婦人を励ました。
その様子は、小説『新・人間革命』第1巻「開拓者」の章につづられている。
「人は皆、人生という原野をゆく開拓者です。自分の人生は、自分で開き、耕していく以外にありません。信心というクワを振るい、幸福の種を蒔き、粘り強く頑張ることです。広宣流布のために流した汗は、珠玉の福運となり、永遠にあなたを荘厳していきます。どうか、ブラジル一、幸せになってください」
そして海外初となる支部の結成を発表し、参加者に訴えた。
「ブラジルは、海外広布の先駆けになりました。ここには無限の未来性があります。皆さんは、平和と幸福の開拓者として、どうか、私に代わって、ブラジルの広布の道を開いてください」
最も苦しんだ人が、最も幸福になれる——その確信を打ち込む初訪伯であった。
2001年7月、先生にサンパウロ州イタペビ市から「名誉市民」の称号が授与された。この折、先生は来日した同志に、長編詩「世界の王者たれ! ブラジル」を贈っている。

なぜブラジルに
爆発的な民衆文化が
かくも鮮やかに
織り成されたのか。
それは
五百年もの凄烈なる歴史を
乗り越えてきたからだ。
征服と混沌と独裁という
「反人道の五百年」に
営々と勝利してきたからだ。

黄金を求める欲望の世紀に
終止符を打ったからだ。
我らは不屈の民衆なりと
昂然と胸を張って
生き抜いてきたからだ。

いかなる権力をもっても
いかなる暴力をもっても
人間の魂を
征服することなど
決して できない。

真正なる民衆は
屈辱を受けるほど
さらに強くなっていく。
嘲笑を受けるほど
尊貴な力をつけていく。

虐げられてきた民衆が
勝利の栄冠に輝くその日を
人類の歴史は
忍耐強く待っているのだ。

民衆こそ
歴史を動かす英雄である。
民衆こそ
未来を開く原動力である。

ブラジルの各都市には現在、「牧口常三郎公園」「戸田城聖通り」「池田大作博士環境公園」をはじめ、三代の会長の名を冠した「公園」「通り」「橋」などが数多くある。それは、師匠の思いを胸に、ブラジルの同志が苦難を前進の力に変え、"良き市民"として社会に貢献してきた証しである。
師弟の月・7月が開幕した。たった一人の行動であっても、それが折り重なっていけば、偉大な歴史は築かれる。
民衆の団結の底力を示す時は「今」である。

2019年7月15日月曜日

2019.07.15 わが友に贈る

◇今週のことば
"強敵を伏してこそ力士"
立正安国の奮闘から
宿命転換の力も漲る。
前へ前へ押しまくれ!
尊き同志と悔いなく。
2019年7月15日

御義口伝巻上 P712
『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』

【通解】
いま日蓮とその門下が、大御本尊に結縁して亡くなった人を法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱えて追善供養するとき、題目の光が無間地獄にいたって、即身成仏させることができるのです。回向の文はここから起こっているのです。

〈寸鉄〉 2019年7月15日
「火をきるに・やすみぬれば火をえず」御書。まだここからと、挑戦、挑戦!
兵庫がいよいよの猛攻!師子王の心で勝ち上がれ常勝関西の新章節共々に
三代城・北海道が力闘!誇り高き共戦の大行進。北の大地に凱歌轟かせよ
東北の勝利は世界の希望本領発揮し圧倒的拡大を民衆の熱と力で栄光掴め
主体的に動く人は人生の満足度も高い—心理学。時は今。歴史開く主役と

☆忘れ得ぬ瞬間 第12回 創価大学 1994年7月 滝山祭
◇人生の逆境に打ち勝て
25年前の1994年7月3日、東京・八王子市の創価大学池田記念講堂で「滝山祭」の記念フェスティバルが盛大に開催された。
創立者の池田先生は、チリ共和国のエイルウィン前大統領夫妻、ボリビア共和国のデル・バーリエ大学ルイス総長一行はじめ多数の来賓と共に出席。この日、エイルウィン前大統領に、創大名誉教授称号が贈られている。
席上、池田先生は学生たちの熱演をたたえ、スピーチ。
冒頭、南米解放の父シモン・ボリバルが、いかなる逆境でも希望を捨てずに勝利を戦い取ったエピソードに言及しながら、"人生の間断なき戦いに勝て"と訴えた。

300年にわたる植民地支配を打ち破り、ラテン・アメリカに自由の夜明けをもたらした彼の人生——。それは波瀾万丈の大闘争であった。順調で、安定した時など、ほとんどなかった。
一進一退の激しい戦い、また戦いの連続のなかで、ダイナミックに歴史を転換していったのである。
「逆境に強い」——これこそが、彼の誇りであった。
とくに、南米の独立を実現する直前、彼は、生涯でもっとも悲惨とさえ言われる窮地に立たされていた。

当時、独立に反対する旧勢力が猛然と巻き返してきていた。そのため、ボリバル側には負け戦が重なった。

加えて、彼自身も、重い病に倒れてしまったのである。
見舞いに訪れた友は、あまりにやつれたボリバルの姿を見て、涙がこぼれそうになったという。
その友が、味方の陣営の情勢の厳しさを嘆きながら、ボリバルにこう尋ねた。「これから、いったい、どうするつもりですか?」
ふつうであれば愚痴や弱音をこぼすところであったろう。
しかし、ボリバルは違った。病に憔悴し、くぼんだ目を鋭く光らせながら、きっぱり、一言こう言ったのである。「勝利する!」と。

逆境にこそ燃える、逆境にこそ一人、敢然と戦う。それが「獅子」である。

「大樹」のごとく、「獅子」のごとく、諸君は強き、強き自分自身を探求し、確立していただきたい。
どん底の苦しみにあっても、ボリバルの胸中の一念は、炎のごとく、赤々と燃えていた。
とともに、その頭脳は、休むことなくフル回転していた。

最大の苦境の時にこそ、最大の勝利の因が刻まれる。このことを私も繰り返し教えてきた。
そして、ついにボリバルは、見事な逆転劇で、ラテン・アメリカの解放を勝ちとる日を迎えた(1824年)。
青春も、人生も「間断なき戦い」である。
ゆえに、皆さんも、決して目先のことに紛動されてはならない。
そんな哀れな、小さな生き方をしてはならない。
何があっても悠々と、英知を磨きながら、楽観主義で、光輝ある自分自身の歴史を築いていただきたい。

◇今日から明日へ
続いて池田先生は、「民主チリ」の夜明けを開いたエイルウィン前大統領の偉大な足跡を紹介した。前大統領と先生は対談集の発刊に向けて、本格的に対話を開始。1997年10月、『太平洋の旭日』として結実した。

本日、ご来学くださったエイルウィン前大統領も、祖国チリが、いちばん大変なときに、民衆のために立ち上がられた勇者であり、英雄であられる。
16年余に及ぶ軍事独裁に終止符を打ち、偉大なる「民主チリ」、またラテン・アメリカの発展に尽力してこられたことは周知のとおりである。
「環太平洋の新時代」を開かれたことも、有名な歴史的事実である。
今世紀を代表する指導者であり、もっとも敬愛する哲人政治家の一人であられる。

前大統領は、こう喝破されている。
「民主主義は、単なる権力闘争ではない。自由、平等、正義、連帯などの価値観を社会で生かし、適用するための闘争である」。また「民主主義は、人間への敬意、尊敬、友愛等を意識することが重要である」と。
まことに、かみしめるべき至言である。

さらに池田先生は、前大統領が重責を果たした後も、発展途上国の貧困の打開など、重大な課題に挑戦してきたことに触れつつ、学生たちにエールを送った。

「なぜ、わざわざ、そのような見返りの少ないテーマに挑戦するのですか?」と質問されて、(前大統領は)こう答えられた。
「私は、未来を展望し続けたいのです。私は『これで終わりだ。さて、書斎にこもって、自伝でも書こう』とは、言いたくありません。今日まで、信じてきた信念を掲げ、さらに戦い続けたいと思うのです」
そのような指導者が、世界に何人おられるか。

日本からも、このような指導者が出てもらいたい。民衆のために、私は憤激をもって、「信念の大指導者、出でよ」と叫びたい。そして、諸君が必ず、きょうのこの光景を思い浮かべながら、新しき時代の大指導者となることを信じたい。
仏法でも「現当二世」と説いている。現在から未来へ、きょうから明日へ——。
後ろを振り向かず、ただ前を見つめて進んでいく。
この爽快な青春の心で生きれば、太陽はいつもすがすがしく輝く。

◇平和の連帯を
最後に池田先生は、海外からの留学生の演技に心からの感謝の言葉を述べ、平和のスクラムを世界へと語った。

私どもは、あぶくのように儚い世間の栄華など、はるかに見おろしながら、崩れざる「平和のスクラム」を世界に広げていく。それは、政治や経済などよりも、もっと深く、もっと強く、もっと確かな「精神の連帯」なのである。

2019年7月14日日曜日

2019.07.14 わが友に贈る

広布と人生の逆転劇こそ
我ら壮年部の本領なり。
「主役は私!」と心を定め
強気の信心で挑戦だ。
感激のドラマを今から!

異体同心事 P1463
『異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なしと申す事は外典三千余巻に定りて候』

【通解】
異体同心であれば万事を成就し、同体異心であれば何事もかなうことはない。このことは外典三千余巻に定まっている。

〈寸鉄〉 2019年7月14日
腹を決めて勇ましく進め—恩師。栄光は一人立つ勇者から。敵をも味方に
大関西の友が一気に攻勢歴史的な闘争の凱歌を。「常勝の空」響かせ前進
偉大なる愛知が総力挙げ拡大。大金星つかみ取れ。大中部の新時代の開幕を
神奈川よ痛快に勝ち進めさあ混戦突破へ。勇気と正義の言論戦で圧倒せよ
情報漏洩の原因、2割がメールの誤送信。多忙な時ほど細心の注意怠らず

☆世界に魂を 心に翼を 第17回 「命どぅ宝」の響き(中)
◇沖縄から「人類史の転換」を
高さ9メートル、長さ100メートル。
巨大なコンクリートの壁に、六角形の穴が等間隔で並んでいる。
青いサンゴ礁に彩られた恩納村。海岸から1キロほど入った所に、創価学会の沖縄研修道場がある。
2004年12月4日、民音公演で来日していた中国・東方歌舞団の一行が、同地を訪れた。施設のあらましを聞き、団員は目を見張った。
六角形の穴は、かつて核ミサイル「メースB」の発射口だった。射程距離は2400キロ。ロシア東岸部から東南アジアまでを攻撃範囲とし、中国の全主要都市を標的に収めていた。北京には1時間半で着弾する。
メースB1発が広島型原爆の約70倍の威力。それが沖縄全体で32発、配備されていた。米ソの全面核戦争が危ぶまれたキューバ危機(1962年)では、メースBが発射寸前、すなわち"第3次世界大戦"の一歩手前だったことが後に判明している。当時の沖縄には、メースBを含め1000発以上の核兵器があった。
一昨年、恩納村の基地に所属していた元米兵が半世紀ぶりにこの地を訪れた。その変貌ぶりに驚きつつ、当時を回想している。「世界を破壊し尽くすだけの核兵器がありました。今は想像もできませんが、沖縄は、世界有数の核の集積地だったのです」(松岡哲平著『沖縄と核』新潮社)
研修道場の建設に際し、すでに廃墟と化していたミサイル発射台は撤去される予定だった。他の施設への転用も難しい。だが池田先生は、こう提案した。
「基地の跡は永遠に残そう。『人類は、かつて戦争という愚かなことをしたんだ』という、ひとつの証しとして。沖縄には、平和を考える原点の場所として、ひめゆりの塔もある。健児の塔もある。それとは別の意味で、日本はもちろん世界の平和を考える原点の場所としよう」
発射台の上に青年像が設置され、84年、ミサイル基地は「世界平和の碑」に生まれ変わった。
敷地内には、戦争体験者による「沖縄戦の絵」の展示も。自分の国に向けられていた核ミサイルの面影と戦争の悲惨さが重なったのか、見学していた若い団員が言葉を失う。年配の引率者が、歌舞団に受け継がれる平和の使命を訴えた。
東方歌舞団は、周恩来総理が命名し、発足当初から育てた中国随一の芸術団体である。海外歴訪の折、周総理は自ら団員を引率し、「外国に行ったら、異国の文化を学ぶとともに、その国の精神も学んでいくことだ」と、平和の魂を伝えてきた。
歌舞団団長の田軍利氏が決意をにじませる。「池田先生、周総理の恩義を忘れなければ、何があっても乗り越えていけます。両国に何が起きても乗り越えていけると信じます」
◇ ◆ ◇
なぜ発射台を残したのか——。
池田先生が、沖縄研修道場で中国メディアの取材に答えたことがある(99年2月19日)。
「逆風の中で、なぜ日中国交正常化を提言したのか?」
「舞台裏で、正常化のために奔走した思いは?」
中国国営中央テレビの記者が、矢継ぎ早に質問を重ねていく。
先生は、中国大陸に向けた砲口を百八十度変え、「平和の基地」へと転換した理由に言及。この月、発表したエッセーに、こう思いを寄せた。
「核も、戦争も、人の心から生まれた。ならば、まず人の一念の『発射の向き』を変えよ! その逆転の作業を! 『碑』は、その象徴である。人類史の悲劇が、この小さな島に集約された。ゆえに、人類史の転換を、この島から起こすのだ」
インタビューは中国で報道された後、沖縄のメディアでも放映されている。そこでは日中友好の端緒を知る識者のコメントと共に、両国の文化交流を最も進めてきた団体として民音の歴史が語られている。
沖縄テレビでは、99年から民音の特集番組を多数、制作してきた。当時、事業局長として企画に携わった大城光男氏。ひときわ思い出深いのは、2001年初頭に放映した「敦煌芸術劇院」の特集番組だという。同劇院の沖縄公演を前に、その意義を伝える内容だった。
取材で敦煌莫高窟を訪れた時のこと。正面の入り口に、敦煌文化の発展に貢献した人物として、民音創立者である池田先生の肖像が掲げられていた。敦煌研究院の樊錦詩院長が一行を出迎え、「先生との友誼は、永遠に忘れられません。先生への感謝を、いつも心に銘じています」。
莫高窟の保護と宣揚に尽力する同院の重要性を、先生は深く理解し、その意義を世界に発信してきた。"敦煌の守護神"と称される常書鴻氏(故人)と対談集を発刊し、日本各地での「中国敦煌展」にも力を尽くした。 常氏の妻である李承仙夫人は、開口一番、かつて夫妻で沖縄研修道場を訪問した思い出を述懐。この折、常氏は「この平和運動が本物であることを再認識した」と語っている。
"敦煌一つをとっても、ここまで中国との関係は深いのか"——感慨を深める取材陣。「行く先々で、中国の方が池田先生の話をされていました。どこへ行っても、です。驚きました」(大城氏)。"先生が創立された民音のためなら"と、中国側の誰もが協力を惜しまなかった。
◇ ◆ ◇
池田先生は折々に語っている。
"沖縄の人々には、人間としての強さがある。一人一人が平和の尊さを妥協なく叫び、その歌舞音曲には生命尊厳の響きが脈打つ"と。
沖縄芸能の夜明けを開いた「沖縄歌舞団」(1969年)、南の海の主役である沖縄を描いた「マリンロード音楽の旅」(84年)、新時代の沖縄を発信したミュージカル「大航海」(91年)など、民音の全国公演が催されるたび、池田先生は成功を願い、エールを送り続けてきた。
97年に結成された沖縄の舞踊集団「花やから」は、数ある民音のステージの中でも最多の公演数を誇る。華麗な琉球舞踊と天真爛漫な舞台が話題を呼び、これまで600回を超える公演を重ねてきた。普段は巡演できない町々の会場にも赴き、福祉施設などでの慰問公演も数多い。
「どの場所でも、市や町、村を挙げて応援してくださいました。特に印象深いのが奥尻島です」。そう振り返るのは、北海道で公演等の責任者を務めていた小松清史さん。北海道南西沖地震(93年)から10年がたった2003年8月、公益事業として「奥尻町民コンサート」が開かれた。
「どうせ堅苦しい踊りだろう」。そう高をくくっていた壮年が、開幕してすぐに涙をぬぐっていた。満場の大声援が飛び交い、公演翌日には感動冷めやらぬ島民が港に見送りに。島を離れる船に手を振り続けた。
道内44カ所で好評を博した「花やから」公演。再演を望む声も多い。「北の大地に沖縄の太陽を運んでくれました。何度も"生きる希望をもらった"と耳にしました。沖縄の方々から託されたメッセージも紹介され、まさに"平和大使"を派遣していただいた思いです」(小松さん)
◇ ◆ ◇
「花やから」の奥尻島公演は、沖縄テレビでも放映され、多くの反響が寄せられた。番組を手掛けた大城光男氏が、誇らしげに語った。
「沖縄の芸能を日本中、世界中に広げ、世界の音楽芸術を沖縄にもたらしてくれたのが民音です。そして民音公演に携わってきた世代が、今の沖縄芸能を支えています」
氏は、報道畑を皮切りに、一貫して制作現場を歩み、沖縄芸能を紹介する人気番組"郷土劇場"などを担当。同企画は、半世紀をへた今も後継番組が続く。「"芸能の灯は絶対に消さない"という決意でやってきました」と、思いを巡らせる。
事業局長として多くのイベントを催してきた。だからこそ一回一回の民音公演の重みが胸に迫るという。「ある来場者が、"鑑賞したいけど交通手段が……"と言う知人と、車で乗り合わせて公演を楽しんでいました。それを見て、日本人が忘れていた"原風景"に触れたような気がしました。私も友人に声を掛けて、一緒に公演へ足を運びました」
番組の編集作業中、池田先生と同じ空間にいるだけで、涙を流している人たちの存在に気付いた。
「なぜ、この人たちは泣いているんだ?」——話を聞く中で、「どこよりも戦争で苦しんだ沖縄こそ、どこよりも幸福になる権利がある」との先生の言葉を知り、納得がいった。
「先生にお会いしたことはありませんが、大変な思想家であることは分かります。偏見を持つ人もいますが、良いものは良いとしか言いようがない。"何がおかしいの?"って聞くと、誰も何も言えないですよ。私自身、民音に、そして先生という人間にほれ込んでしまいました」
池田先生は述べている。
「平和ほど、尊きものはありません。平和ほど、幸福なものはありません。『命どぅ宝』——この沖縄の心が地球を包み、世界中の母と子の笑顔が輝きわたる未来の光彩を、私はいつも思い描いています」
人々の平和への願いを乗せ、"沖縄の心"を伝えゆく民音の歩みに、深い共鳴が広がっている。

2019年7月13日土曜日

2019.07.13 わが友に贈る

開拓魂みなぎる
中国方面の同志よ!
限界の壁を打ち破る力は
不屈の祈りと行動だ!
大歓喜の歴史を共に!

佐渡御書 P957
『肉をほしがらざる時身を捨つ可きや紙なからん世には身の皮を紙とし筆なからん時は骨を筆とすべし』

【通解】
肉をほしがらない時に身を捨てるべきだろうか。紙のない時代には身の皮を紙とし、筆のない時には骨を筆とするべきである。

〈寸鉄〉 2019年7月13日
「但偏に国の為法の為人の為」御書。庶民が輝く社会へ。大理想を胸に前進
兵庫よ破竹の勢いで勝ち進め。民衆の底力示せ!栄光のゴールへ断固走破
魁光る四国の友が大奮戦執念の対話で攻め勝て!勇気の一押しを最後まで
信なき言論、煙の如し—戸田先生。我らの叫びが民衆の安穏を実現する力
日本、過去最大の人口減。益々、一人を大切に。誰も置き去りにしない未来を

☆心大歓喜 師弟共戦の三代城 2019年7月6日
今回の「心大歓喜——紙上講義で学ぼう」には、羽磨北海道教学部長が登場。「華果成就御書」の一節を拝し、「師弟共戦の三代城」の誇りに燃える北海道の同志の使命について、つづってもらいます。

◇御文
『日蓮が法華経を弘むる功徳は必ず道善房の身に帰すべしあらたうとたうと、よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず』(華果成就御書、900ページ7行目〜9行目)

◇通解
日蓮が法華経を弘める功徳は、必ず道善房の身にかえるであろう。まことに貴いことである。よい弟子をもつならば師弟は共に成仏し、悪い弟子を養うならば師弟は共に地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば、何事も成就することはできない。

◇池田先生の指針から
だれが、なんと言おうが、何があろうが、われは、断固として広宣流布をする! 断じて勝ってみせる!
これが、学会精神である。これが、世界の人々の憧れの故郷である、北海道を築いた"開拓魂"である。
この心ある限り、北海道は、いかなる吹雪も烈風も超えて、新世紀の希望の春が、厳然と始まるにちがいない。(「随筆 新・人間革命」〈世界の人々の故郷・北海道〉、『池田大作全集』第129巻所収)
◇ ◇ ◇
広布史に「札幌・夏の陣」と謳われる夏季闘争が繰り広げられたのは、昭和30年(1955年)の8月であった。
私が指揮する札幌班は、10日間で388世帯の弘教を成し遂げた。班としては、前人未到の「日本一」の拡大となった。
真剣だった。一分一秒が惜しかった。スクーターの後ろに乗っての移動中も、"札幌の同志に勝利を!"と題目を唱え続けた。
短期決戦は、一日たりとも空費できない。一日一日が珠玉の時間である。一日一日が渾身の勝負だ。その一日の勝利は、"朝の勝利"から始まる。
私は札幌の地で、同志と共に、毎朝、真剣に祈り、御書を拝しながら闘争をスタートした。(中略)
そして、札幌の大勝利はもちろん、北海道全体で、実に1400世帯もの弘教が実ったのである。
「師弟相違せばなに事も成べからず」(御書900ページ)——「師弟共戦」に勝るものはない。(「随筆 人間世紀の光」〈「師弟共戦」の8月(下)〉、『随筆 出発の光』所収)

北海道教学部長 羽磨徹
●報恩の誠を生涯貫き"世界一の理想郷"築く

私の胸奥から離れない、創価の師弟の場面があります。
「大作、頼む。私の故郷である北海道の友を、幸せにしてあげてくれ」
1954年(昭和29年)、故郷・厚田を池田先生と共に訪問した戸田先生が、その帰路、池田先生に託された言葉です。
崇高な師弟の劇から65星霜——。池田先生は51回にわたって来道し、「札幌・夏の陣」では大折伏戦の指揮を執り、「小樽問答」「夕張炭労事件」では言論闘争の先頭に立たれました。
弟子が勝利の姿をもって師匠に報恩の証しを示す——。今回学ぶ「華果成就御書」には、旧師・道善房に対する、日蓮大聖人の報恩感謝の御心情が拝されます。
道善房は、大聖人の折伏を受けながらも、念仏への執着を断ち切れないまま亡くなりました。それでも、大聖人が仏法を学び、正法を究めることができたのは、道善房のおかげであった——どこまでも師の恩を尊び、報いようとされる大聖人の御境涯が拝されます。
拝読範囲では、大聖人が正法を弘めゆく功徳は必ず道善房の身にかえると仰せです。また、よき弟子をもてば師弟が共に成仏し、一方で、弟子が邪法に迷うのであれば、結果として師弟共に地獄に堕ちてしまうと説かれています。弟子の信心と行動で、師弟の勝利が決まるとの峻厳な教えであると拝せます。
大聖人は、「日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」(御書989ページ)と、弟子たちに御自身と同じ実践を貫くべきことを教えられました。他にも、「日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(同903ページ)等、弟子たちに大聖人の御精神のままに妙法流布に生き抜くことを訴えられた御書は少なくありません。
広宣流布は世代から世代へと継承される永遠の闘争であり、その根幹こそ「師弟」にほかなりません。その意義に思いをはせる時、三代会長有縁の天地である北海道の誇りを深くします。
初代会長・牧口先生は、北海道尋常師範学校(現・北海道教育大学)で学び、同付属小学校の教壇に立たれました。厚田の地で育った戸田先生は、獄死した先師・牧口先生の正義を宣揚し、大折伏戦を起こされます。そして、池田先生は、北海道を舞台に広布の歴史を拓き、私たちに"弟子の道"を示してくださいました。小説『人間革命』第12巻「寂光」の章を書き上げられたのも札幌の地です。
北海道に生まれ育った私は、高校1年生の時にこの御文を暗唱して夏季講習会に参加しました。池田先生は、未来部の私たちに限りない慈愛を注いでくださり、"ここまで思ってくれるのか"と感動に包まれたことが忘れられません。
78年(同53年)6月、先生は16日間で道内を東西にわたって同志の激励に奔走し、延べ2万人の友と絆を結ばれました。当時大学生だった私も、別海で先生にお会いしました。
その2カ月後、北海道歌「ああ共戦の歌」を発表してくださいました。今から思えば「第1次宗門事件」の渦中であり、どれほどの思いで北海道に来てくださったのかと想像すると胸が熱くなります。
北海道の地に脈打つ、こうした師弟の精神を継承しようと、2009年(平成21年)頃から北海道の各地で、「大白蓮華」に連載中の先生の講義を学ぶ集いが開催されるように。本年で100回を超えた地域もあり、求道の息吹が広布拡大の原動力になって広がっていることを実感しています。
私も毎月、講義を担当。その前後には、同志一人一人と懇談の場を持つようにしています。腎臓がんを乗り越えた自身の体験などを通し、題目の確信と、師弟の道に徹し抜く大切さを訴えてきました。
これまで、がんと闘う190人以上と会う中で、病を機に御本尊への祈りの姿勢を一変させ、周囲も驚くほど力強く生き抜く何人もの姿を見てきました。そのたびに、生命の豊かさと、題目の功力を学ぶ思いです。
08年(同20年)、先生は北海道歌に新たに歌詞を加えてくださり、方面歌は「三代城の歌」に生まれ変わりました。歌詞の結びを、「師弟共戦の三代城」と加筆してくださっています。
「師弟共戦」を魂とする北海道は、昨年まで3年連続の世帯増を達成。「広宣流布は北海道から」「学会健児の手で、必ず世界一の理想郷に」との"永遠の指針"発表50周年の2023年へ、弟子の勝利を師匠にお届けしてまいります。

◎7/12付け関東版の誉れの陣列 我ら敢闘会に、桜花本部小金原西支部の皆さんが掲載されました。おめでとうございます(^^♪

2019年7月12日金曜日

2019.07.12 わが友に贈る

一番の労苦を担うのが
誉れの一番弟子だ!
さあ大関西の同志よ!
皆を あっと言わせる
常勝の底力を示そう!

報恩抄 P313
『正法を行ずるものを国主あだみ邪法を行ずる者のかたうどせば大梵天王帝釈日月四天等隣国の賢王の身に入りかわりて其の国をせむべしとみゆ』

【通解】
国主が正法を行ずるものに仇をなし、邪法を行ずるものの味方となって擁護するならば、大梵天王・帝釈天・日天・月天・四天等が、隣国の賢王の身に入りかわって、その謗法の国を攻めるであろうというのである。

〈寸鉄〉 2019年7月12日
一途に御本尊を信じ切れ—恩師。断じて祈り勝つ。信心の戦に不可能なし!
大中部が壁を破る総攻撃誓いの「この道」を直進!民衆勝利の旗を堅塁城に
大九州の友の団結を見よ先駆の大勇猛心こそ魂!激戦越えて歴史的凱旋を
沖縄が総立ち!我ら正義の連帯が平和の砦。わが拡大の新記録へ語り捲れ
上半期、企業の倒産が10年連続減。経済の安定へ、公明よ中小企業支援厚く

☆私がつくる平和の文化 第7回 対話でひらく
◇手記 米エマソン協会元会長 サーラ・ワイダー博士
「私がつくる平和の文化」第7回のテーマは「対話でひらく」。登場していただくのは、アメリカ・エマソン協会元会長で、コルゲート大学教授のサーラ・ワイダー博士です。互いの「違い」を尊重し、相手をより深く知る「対話」の重要性について、思いをつづってもらいました。(構成=内山忠昭、歌橋智也)

家庭や職場、地域の中で、「平和の文化」を築こうと献身される聖教新聞の読者の皆さま。私は、アメリカの地で同じ努力をする友人として、この文章をつづっています。
「対話こそ平和の王道」との信念で、60年にわたり、「平和の文化」建設のために世界を駆けてこられた池田SGI会長は、次のように語られました。
「対話は、単なる自己主張でも、説得でもない。対話は、相手の尊厳なる生命に敬意を表し、そして自らとは異なる個性から学びゆくことだ」と。
残念ながら私たちは、自分と"異なるもの""同質でないもの"に対して、触れずにおこうとしたり、排除しようとしたり、脅威として攻撃しようとしたりしがちです。
しかし、「対話」とは、"私たちは皆、違う"という現実に立ち、そこに無限の可能性と美しさを見いだそうとする積極的な営みです。

「対話」には、さまざまな形があります。私の好きな対話の一つは「自然との対話」。五感を研ぎ澄ませて、自然と語り合うのです。
風の音に耳を傾け、大気の香りを胸いっぱいに満たし、暑さや寒さを肌で感じ、大空を見上げ、思いがけない所でけなげに咲く野の花に目を留めるのです。
自然はどこにでもあり、いつでも、私たちを対話に誘ってくれます。地球の至る所で気候に異変が起きている今こそ、この自然からの対話の導きに応じるべきなのです。

対話には、何にもまして、人と人を深く結び付ける力があります。直接会って交わす対話はもちろん、文字によって対話することもできます。書かれた言葉は、時空を超えて人々に語り掛けてきます。
私たちはなぜ、"対話は平和をもたらす"と信じているのでしょうか。
それは、対話というものが、時間をかけて行うものだからです。そして、平和をつくるには時間をかける必要があることを、私たちは知っているからです。
対話は焦らず、ゆっくりと実を結ばせるものです。分かち合えることを信じながら、互いの話を聴き、自らを見つめるのです。
「違い」があるということは、自然なことです。そこから新たな可能性や成長がもたらされ、問題解決への創意工夫の幅が広がるのです。それは、いろいろな楽器と多様な奏者によって、美しいハーモニーが生まれるのと同じです。そして、「違い」があるからこそ、私たちは常に学び続けることができるのです。
しかし私たちは、時として「違い」にとらわれすぎてしまいます。そんな時は、一人一人が持つ人生の「物語」に耳を傾けてみてください。なぜなら、その人の「物語」を知ることによって、相手を深く理解し、共感できるようになるからです。
池田SGI会長も、いつもそのようにして語らいを始めておられるように、それこそが真の対話の出発点です。対話とは、どの瞬間においても相手の「物語」を聴こうと努めることから始まるのです。
「初めて学校に行った時、どんな気持ちだった?」「どうしてこの食べ物が好きになったの?」「友情の素晴らしさを感じたのはどんな時?」「最も苦しい時に希望の光となったものは?」などと質問してみてください。一つ一つの答えを通して、その人が生きてきた「物語」を知ることができるでしょう。
私たちは、皆、自分自身の「物語」を抱いて生きていますが、その物語には、他者との共通性があります。だから、対話を通して互いの「物語」を分かち合い、人間として理解し合うことで、日々の生活に影を落とす「拒絶されるという恐怖」から解放されるのです。
暴力が社会の奥深くにまで蔓延する今、私は「物語」を分かち合おうとする人々の、静かで力強く、たゆみない努力に心を寄せたい。こうした人たちが日々、「平和の文化」を築いているからです。

「平和の文化」の建設のために、今日、何をしましたか? これから何をしようとしていますか?
励ましを送り、受け取ること。広々とした心で、誰かと「思い」を分かち合うこと。
誰かが感じていること、思っていることに耳を傾けること。心を晴れやかにしてくれるものに触れて、伸び伸びと笑うこと。
窓の外を見て、家から出て道を歩き、鳥が舞い、花のつぼみがほころび、雲が形を変える不思議さを感じること。
人生を、より優しく、自由に、明るくしてくれる人やものに感謝すること。失われたものに、かけがえのなさを感じること——。
これら全てのことを通して、あなたは人との「つながり」を求め、そして「つながり」を感じているのです。
周囲からも、社会からも人間を孤立させようという力がかつてないほど強まっている時代にあって、それでもあなたは、全てのものが繋がり合っていることを信じ、感じてきたはずです。
エマソンは「つながりは、ある場所ある時にだけ存在するのではなくして、いたる所に、そしてつねに、存在するのである」(『エマソン選集』第3巻「生活について」小泉一郎訳、日本教文社)と述べています。
この「つながり」を私たちは「物語」を分かち合うことで実感するのです。どんな事にも「物語」はあるのです。
さあ、それぞれの「物語」を、大いに語り合いながら、「平和の文化」を築く、たゆみない挑戦を続けていこうではありませんか。

サーラ・ワイダー 米エマソン協会元会長。詩人。全米屈指の教養大学・コルゲート大学の教授として、女性学、英文学などの講座を担当。池田先生と対談集『母への讃歌』を発刊している。

◇池田先生の指針から
対話は、人間の最も優れた特性であり、それは人間性の発露である。語り合うことから、心の扉は開かれ、互いの理解が生まれ、友情のスクラムが広がる。

対話は——励ましの力となる。希望の光となる。勇気の泉となる。生命蘇生の新風となる。そして、人間の心と心に橋を架ける。
(小説『新・人間革命』第29巻「常楽」の章から)

世界の各地では、今なお熾烈な紛争が続き、憎悪と暴力の連鎖が続いております。だからこそ、私たちは「対話」を決して手放してはなりません。
断固たる「対話の選択」こそ、「平和の選択」となり、必ずや人類の「生への選択」に通じていくと、私は信じます。
(2013年9月、池田国際対話センター設立20周年記念セミナーへのメッセージから)

「知ること」が安心の第一歩
地域住民の融和は相手を知ることから。そんな思いで奮闘する団地の自治会長を取材しました。

「やっぱり話してみないと、人って分かり合えないものですね」。そう語るのは、東京・中野区内の都営住宅で自治会長を務める関根仁美さん。
700世帯以上が入居できる同団地で、2010年に自治会長に就任した。
その翌年のこと。東日本大震災による福島の原発事故の被災者などを、同団地で受け入れることになった。最大時には約120世帯が暮らしたという。
地域住民や町会等から物資が届き、支援の輪が広がる一方、福島からの移住者を排斥するような張り紙がされるなど、一部の団地住民とトラブルも起こった。
"このままではいけない"。団地住民に声を聞くと、「放射能汚染が心配」「話し声が大きい」など、不安や不満を抱いていることが分かった。
関根さんは、理解し合うことが必要と感じ、両者の親睦の集いを定期的に開催。被災者には「話せることからでいいから」と、震災体験を語ってもらった。
初めはお互いぎこちなさもあったが、団地住民が被災者の話に涙を流すなど、親身になって聴き入る姿が見られた。「家族を亡くした悲しみが胸に突き刺さった」「故郷を離れるのが、どんなにつらかったことか」「誤った情報をうのみにしていた」など、認識が改まっていった。
「『相手を知らないこと』が摩擦を生んでいました。互いに知り合うことで、誤解や偏見が解け、トラブルも収まっていきました」(関根さん)
また、被災者が孤独にならないよう、集会所に"サロン"を開設。被災者同士が知り合い、情報交換や悩みを分かち合う対話の場をつくった。「先の見えない不安の中、人と話すことで、少しでも希望を持ってほしかったのです」
関根さんが対話を大切にする背景には、ダウン症の次女・真衣さんとの歩みがある。誤解や偏見から心ない言葉を浴び、幾度も悔し涙を流してきた。
関根さんは、"身近で触れ合えば見方は変わるはず"と、真衣さんが5歳の時、地元で真衣さんの写真展を実施。さらに、障がい者向けの空手やエアロビクス教室を開き、健常者も招くなどして理解を広げてきた。そうした経験が、団地の融和に生かされた。
現在、団地内の被災地出身者は50世帯ほど。だがそんな区別もなくなるほど、ここでの暮らしは当たり前になった。「ここが第二の故郷です」——そう語ってくれた言葉が、関根さんにとって何よりの喜びだ。

2019年7月11日木曜日

2019.07.11 わが友に贈る

大関東よ創価の柱たれ!
"もう一歩"の勇気こそ
最後に勝つ鍵だ。
「今生人界の思出」を
共々に築きゆこう!

報恩抄 P293
『夫れ老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや』

【通解】
狐は老いても生まれた古塚を後にせず、毛宝に助けられた白亀も戦に敗れた毛宝を背に乗せて助け、その恩に報じた。畜生すらかくのごとくである。況や人間においてをやである。

〈寸鉄〉 2019年7月11日
男子部結成の日。真剣な一人に同志は続く。君よ広布の責任担う後継たれ
誉れの東京よ炎となり壁破れ!完勝こそ我らの使命。新時代の凱歌を再び
大阪が激戦突破へ猛攻。執念の師子吼で歴史を開け!大勝旗を常勝の空に
誓願の北陸の友が奮闘。今こそ爆発的な拡大を!勝利の暁鐘を打ち鳴らせ
高齢者入浴中の事故、8割超が熱中症と。高温、長時間の全身浴には要注意

☆新時代を築く 師の如く人間革命の真髄を 2019年7月5日
鹿児島、宮崎、熊本など九州各地の記録的な大雨による甚大な被害に、心からお見舞い申し上げます。
「転重軽受」にして「変毒為薬」の妙法です。
福岡はじめ九州各県へ勇んで足を運ばれた牧口先生のお心を偲びつつ、東京牧口記念会館でも、被災地の早期復旧とともに、愛する大九州の宝友を、諸天よ諸仏よ、護りに護れと、妻と強盛に祈念しました(3日)。
* * *
牧口記念会館には殉教の先師が拝し抜かれた御書が展示されている。広宣流布の闘士の殿堂の魂である。
先生の御書に線が引かれた法華経の一節がある。
「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」(御書1102ページ)
牧口先生は獄中の訊問でも、この経文を通して、日蓮大聖人の本義を訴え、その通りに実践する学会の正義を語り切られたのだ。
常々、先生は言われた。「大聖人の御意志をそのまま実行しようというのに、なんの障りがあろうか。仏法は観念の遊戯ではない。国を救い、人を救うものだ」
偉大なる師匠を仰ぐ我らは、何と誇り高いことか。
社会の中へ、民衆の中へ飛び込み、師の如く立正安国の対話を貫くことが、何よりの報恩と言ってよい。太陽の仏法で、苦悩の闇を照らし晴らしていくのだ。
* * *
7月は、幾重にも忘れ難い広布史を刻む月である。
牧口先生と戸田先生が、軍部政府の弾圧によって逮捕されたのは、7月6日であった(1943年)。
その14年後の7月3日、北海道から羽田空港を経由して大阪へ向かう私に、戸田先生は出来たばかりの小説『人間革命』をくださった。機中で読了した"あとがき"には「三類の強敵と闘い抜き、三障四魔を断破して、真の大利益・人間革命の真髄を把握されんことを希望する」と綴られていた。
この恩師の師子吼を、結成の月を邁進する頼もしき男女青年部に贈りたい。
* * *
今、忍辱の鎧を着て奮闘する友を、両先生も、どれほど讃えておられるか。
苦楽を分かつ関西の母たちから「阿修羅の如く戦うとは、どういうことですか」と聞かれたことがある。
私は笑顔で申し上げた。
——阿修羅といっても、静かに語るべき時もある。笑いながら、わかりやすく話すべき時もある。要は、どんなことがあっても、粘り強く勝ってみせるという一念である。全て勝って目的を達成する一念を、阿修羅の如く戦うというのだと。
大変であればあるほど、創価の同志の絆も固く、いよいよ強く仲良く朗らかに励まし合って進もう!

☆四季の励ま 挑み続ける人が「青年」 2019年7月7日
師弟の月・7月!
青年の月・7月!
それは、青年部が
"創価三代"の精神を継ぎ、
人類の宿命転換の戦いに
挑みゆく月である。
民衆の勝利の大旗を、
威風も堂々と
打ち立てゆく月なのだ。

歴史を創るのは人間だ。
その主役は君自身、あなた自身だ。
人を頼むな。
君が、あなたが、
痛快な創造のドラマを演ずるのだ。
猛然と立ち上がれ!
自身の殻を打ち破れ!
新しき時代は、
新しき挑戦によって開かれる。

「戦いを起こす」——
この一点に、
日蓮仏法の精髄が脈動している。
戦いがあるから、
人は自己の建設と、
境涯を開くことができる。
戦いがなければ、
よどんだ水が腐るように、
自分で自分の成長を止めてしまう。
ゆえに、どこまでも、月々日々、
汝自身の戦いを起こし続けよ!

はつらつと戦えば、
いつも若々しい。
生命が鍛えられ、強くなる。
そして、強い人は、
いっさいを善知識とし、
勝利と成長の糧にしていける。
わが人生を深く味わい、
感謝していける。

大いなる目標に向かう途上には、
必ず大いなる壁が立ちはだかる。
たとえ失敗したとしても、
嘆かず、恐れず、また挑めばよい。
昨日より今日、
今日から明日へと、
たゆみなく前へ前へ
朗らかに進み続ける——
その人こそが青年なのだ。

八王子市の東京牧口記念会館と、青々と茂る木々。今月3日、師弟の縁深き「7・3」に池田大作先生がカメラに収めた。
7月は「青年の月」である。第2代会長・戸田城聖先生のもと、1951年(昭和26年)7月11日に男子部、同月19日に女子部がそれぞれ結成された。池田先生を中心に青年部は、師弟共戦の誓いを燃やし、広布拡大の推進力となって恩師の願業だった75万世帯の弘教を達成した。
かつて池田先生はつづった。「創価学会は、永遠に『青年創価学会』である。青年の躍動する創造的生命それ自体が、『創価』の象徴なのだ」と。
さあ"青年の心"で、自身の広布史に燦然と輝く勝利の証しを打ち立てよう!

2019年7月10日水曜日

2019.07.10 わが友に贈る

信念の道歩む東北よ
さあ本領発揮の時だ!
破邪顕正の言論鋭く
みちのくの負けじ魂で
広布前進の総仕上げを!

三世諸仏総勘文教相廃立 P563
『此の八万法蔵を我が心中に孕み持ち懐き持ちたり我が身中の心を以て仏と法と浄土とを我が身より外に思い願い求むるを迷いとは云うなり』

【通解】
この八万法蔵を我が心のなかにはらみ、懐き持っているのである。それなのに我が身中の心で、仏と法と浄土とを我が身より外にあると思い、外に願い求めていくのを迷いというのである。

〈寸鉄〉 2019年7月10日
黄金柱・壮年部よ頑張れ。歴戦の丈夫が底力示せば壁が破れる。決定打頼む
大神奈川が怒濤の拡大。時代変える民衆の大行進勝利の扉を断じて開け!
福岡が疾風迅雷の進撃!火の国健児のスクラムで激戦制し断固勝ち上がれ
信越よ好機は今。勇敢な師子の声で正義を拡大!愛する天地に堂々勝鬨を
交通事故に注意。夕暮れ時に多発。車も自転車も早めの点灯を。油断なく

☆御書と歩む� 第77回 青春を悔いなく勝ちゆけ
『受けがたき人身をうけ値いがたき仏法にあひて争か虚くて候べきぞ、同じく信を取るならば又大小・権実のある中に諸仏出世の本意・衆生成仏の直道の一乗をこそ信ずべけれ』(持妙法華問答抄、464ページ)

◇通解
受けがたい人間としての身を受け、あいがたい仏法にあいながら、どうして一生をむなしく過ごしてよいものであろうか。同じく仏法を信じるならば、大乗・小乗、権教・実教とある中には、諸仏の出世の本意であり、衆生の成仏の直道である法華一乗をこそ信じるべきである。

◇同志への指針
人間として生まれ、真実の仏法に巡りあえた人生がどれほど偉大な福運か。その尊き一生を空しく過ごしてはならないと仰せである。
世界一の生命哲学を持ち、師弟の大誓願に生きゆく男女青年部の友は、最高の充実と栄光の青春を、断じて悔いなく勝ち抜いてもらいたい。
同世代に友情を結び広げながら、創価勝利の太陽を赫々と昇らせゆくのだ!

☆7月度座談会拝読御書 辨殿尼御前御書
◇不退転の心で誓願の人生を!
◇広宣流布の前進は仏と魔との連続闘争

◇拝読御文
『第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』御書全集 1224ページ3行目〜5行目

◇本抄について
本抄は、文永10年(1273年)9月、佐渡の一谷で認められ、弟子の辨殿(日昭)と、辨殿と関わりのある尼御前に与えられたお手紙です。
2年前の文永8年(1271年)9月の竜の口の法難、それに続く佐渡流罪を機に、大聖人門下にも所領没収や追放など、大弾圧が始まります。このため「1000人のうち999人まで退転した」(御書907ページ、趣意)と仰せのように、多くの門下が信仰を捨ててしまいました。その中にあって、尼御前は信心を貫いたのでした。
本抄ではまず、武将の名を挙げ、どんなに優れたとされていても、戦いの末に敗れた史実を述べられます。一方、「第六天の魔王」と「法華経の行者」の闘争の舞台は、現実の娑婆世界であり、大聖人は建長5年(1253年)の立宗から「二十余年」にわたって、熾烈な攻防戦を繰り広げてきたと仰せです。
その戦いにあって「日蓮一度もしりぞく心なし」と、自らの御覚悟を示されます。
さらに、臆病な門下の多くが迫害を受けて退転する中、信心を貫き通す尼御前の不退転の信心を「いままで・しりぞかせ給わぬ事申すばかりなし」と、最大にたたえられます。
最後に、尼御前が頼りとする使用人を、大聖人のために用意したことは、釈迦・多宝・十方の諸仏もご存じであられるに違いないと、心からの感謝で本文を結ばれています。

◇人生も仏法も勝負
私たちの目指す「立正安国」「広宣流布」は、やむことのない仏と魔との連続闘争です。
そのことを大聖人は、拝読御文の冒頭で「第六天の魔王は、十種の魔の軍勢を用いて戦を起こし」と喝破されています。
なぜ魔王の軍勢が襲い掛かってくるのでしょうか。
それは、私たちが日々の生活を営む現実世界が、「第六天の魔王」の支配する国土だからです。
「法華経の行者」が、仏国土の建設を始めると、第六天の魔王は自らの領土を奪われまいと、「十軍」を率いて襲い掛かるのです。
「第六天の魔王」は、「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(御書997ページ)と仰せの通り、最も本源的な魔の働きです。魔王が率いる「十軍」とは、煩悩を10種に分類したものです。つまり魔王や十軍とは、外にある敵ではなく、己心の魔の働きであり、自身の持つ弱さや迷いが表れたものなのです。
己心の魔の働きであるがゆえに、信心が強くなればなるほど、魔の働きも強くなっていきます。
また、広宣流布の戦いが進めば進むほど、それを阻もうと魔も強くなります。故に「とられじ・うばはん」と、し烈な戦いが繰り広げられるのです。
社会に生命尊厳の思想を打ち立てる立正安国の戦いは、人間生命に巣くう魔性との戦いです。
自らが己心の魔を打ち破り、さらに対話によって、一人、また一人と、相手の魔性をも打ち破って、自他共に仏の生命を開き現していく戦いなのです。
他の御書で「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」(同998ページ)と仰せの通り、広布も人生も勝負であり、断じて勝たなければならないのです。

◇障魔を打ち破れ
どうすれば、魔性との激戦に打ち勝って、自身の仏性を涌現させ、広布を前進させられるのでしょうか。
本抄で大聖人は、「一度もしりぞく心なし」と、不退転の決心を述べられています。不退の信心こそ、一切の障魔を打ち破っていく極意なのです。
大聖人は他の御書で、「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(御書1190ページ)と、常に信心を強くしていくよう教えられています。
"もうこれぐらいで大丈夫"といった隙に、魔は付け込んでくるからです。
私たちの日々にあっては、些細に思えることであっても、一つ一つに勝利していくことが、信心を強くしていくことにつながっていきます。
「進まざるは退転」です。もう一歩、もう一歩と、勝利へ向かって、1ミリでも前進していくことが大切です。
日々の唱題、一人の激励、一本の電話が、実は仏と魔との真剣勝負の舞台なのです。
大聖人御自身、立宗の時から20年以上にわたって、「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願じぬ」(御書200ページ)と、第六天の魔王との闘争を続けてこられました。
「此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり」(同ページ)と仰せの通り、竜の口の法難など、命にも及ぶ大難の連続でした。
大聖人は、本抄で自らの覚悟を示すことで、弟子たちに、同じ不退の心で戦い抜くことを教えられているのです。
広宣流布の大誓願こそ、日蓮仏法の魂です。いかなることがあろうとも、決して退くことなく、「広布の誓願」「師弟の誓い」に生き抜けば、障魔を打ち破って勝利していくことができるのです。

◇師弟の絆
鎌倉時代、民衆の多くは文字を読むことができませんでした。尼御前のことも本抄で「一文不通の小心」と記されていることから、読み書きができなかったと推察されます。
お手紙の最後に、「尼御前に申させ給へ」と、辨殿に内容を語り伝えるように仰せになっています。
どこまでも、門下のことを思う大聖人の真心があふれています。
当時、大聖人が自ら、不退の信心に励む姿を示しているにもかかわらず、「臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり」と、不甲斐ない弟子たちが、信仰を捨ててしまっていました。
社会が騒然とし、また門下への迫害の嵐が吹き荒れる中、心細いであろう女性の身でありながら、尼御前は大聖人と同じように不退の信心を貫きました。
そればかりか、自分が頼みとする使用人を佐渡に遣わすなど、大聖人に赤誠を尽くしたのです。
本抄で大聖人は、尼御前の健気な信心を、釈迦・多宝・十方の諸仏もご存じであろうと、最大にたたえられています。
流罪地の佐渡におられる大聖人と、鎌倉で迫害のただ中にいる尼御前。場所は遠く離れていても、師弟の魂の絆は、強く、固く結ばれているのです。
師弟は、距離や立場などによって決まるものではありません。
また、どんな障魔でも、師弟の絆を切り裂くことなどできません。
一番大変な時に、師匠を求め抜く心が、師弟不二となって、わが生命を最高に輝かせていくのです。

★池田先生の指針から/戦い抜く信心に幸福が
生死を超えて広布の誓願を貫く「不退乃心」ほど、強いものはありません。
大聖人は、健気な母の「不退乃心」を讃えられつつ、「日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224ページ)と断言されました。
大聖人から「世界広布」と「立正安国」を託された地涌の菩薩の我らです。命の限り、「生死不退乃心」を燃やして、一人一人が朗らかに「円熟之輝」を放ちながら、人類の幸福と平和へ人間革命の「不撓乃波」を、いよいよ万波と起こしていこうではありませんか!(本紙2018年9月2日付、本部幹部会へのメッセージ)
◇ ◆ ◇
人生も社会も、すべてが戦いである。
なかんずく、仏法は「広宣流布」が魂であり、善と悪の戦いである。仏と魔の闘争である。
魔軍との戦いに、一歩も退いてはならない。「戦いぬく信心」の境涯にこそ「幸福」はある。
広宣流布とは、この現実社会の真っただ中で、「善の地盤」をどれだけ築き上げるか、「正義の地盤」をどれだけ広げていくかという永遠の闘争である。負ければ、悪の勢力に地盤を奪われてしまう。(中略)
大聖人直結の学会は、「悪と徹底して戦う」人間の陣列である。「正義の中の正義」の団体である。庶民の「善の連合体」である。
いよいよ、完璧なる連戦連勝で、「創価の正義の大いなる地盤」を建設してまいりたい。(1999年2月、「東京婦人部前進会議」でのスピーチ、『池田大作全集』第90巻所収)
◇ ◆ ◇
仏法は勝負であり、人生も勝負です。
仏法は、仏と魔との戦いという生命の根本の闘争に万人が勝っていけるために説かれたと言っても過言ではない。
魔を打ち破って成仏を遂げるか、魔に負けて迷妄の人生を送るか。人生における仏法の意義は、究極するところ、この根本的な勝負に勝つことにあるのです。(『池田大作全集』第33巻「御書の世界」下)

参考文献
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻「辨殿尼御前御書」(聖教新聞社刊)
○…『御書と師弟』第2巻「不退転の信心」(同)

2019年7月9日火曜日

2019.07.09 わが友に贈る

師弟共戦の北海道から
新たな広布の潮流を!
"3倍努力"の闘魂で
喜び勇んで動き 語り
不滅の開拓史を綴ろう!

富木尼御前御返事 P975
『御信心月のまさるがごとくしをのみつがごとし、いかでか病も失せ寿ものびざるべきと強盛にをぼしめし身を持し心に物をなげかざれ』

【通解】
御信心は月が満ち、潮が満ちるように強盛だから、どうして病が癒えず、寿命も延びないことがあろうかと強く確信し、御身を大切にし、心の中で嘆いてはならない。

〈寸鉄〉 2019年7月9日
上へ上へと向上していく妙法—恩師。唱題は偉大な力。強盛に祈り進め!
愛知が大激戦。師子奮迅の闘争で勝ち抜け!堅塁の団結固く乱戦突破必ず
埼玉が限界突破の前進。大関東に栄光の旗翻せ!さあ自身の最高峰へ登攀
「法務省」を詐称する架空請求が多発。絶対に連絡せず周囲や警察等に相談
大学生の就職内定率85%で過去最高と。公明よ更なる若者支援に全力を。

☆ふるさとを照らす誉れの長者 勝利島部 2019年6月27日
池田先生は勝利島部への期待をつづった。「一国を支えるような大きな心をもって、自分が、この島の柱となり、眼目となり、大船となるのだとの決意に立つことが大切です」と(小説『新・人間革命』第28巻「勝利島」の章)。師の心を抱いて奮闘する、香川・小豆島と新潟・佐渡島の同志を紹介する。

香川・小豆島 黒田智賀子さん
●いつも笑顔であいさつを

香川・高松港から出港したフェリーには、観光客とおぼしき人々の姿が多く見える。目的地は、小豆島。土庄港まで約1時間の船旅である。
日本で初めての産業用オリーブ発祥の島であり、生産量は国内一。「醤の郷」と呼ばれる昔ながらの「木桶」を使った醤油蔵が立ち並ぶ地域もあり、香ばしい香りが食欲を誘う。景観の美しさから映画のロケ地としても有名だ。
近年は現代アート作品を展示する「瀬戸内国際芸術祭」が評判を呼び、外国人旅行者も増えている。
「素敵な島でしょう?」と、黒田智賀子さん(地区婦人部長)が満面の笑みで迎えてくれた。小豆島出身の夫・吉郎さん(志国長=ブロック長)と高松で結婚してしばらくした後、子どもたちと一緒に夫の実家へ移り住んだという。
「かれこれ25年前くらいかしら」と智賀子さんが言った瞬間、隣にいた吉郎さんが「いやいや、もっと前や。(年齢を)ごまかそうとしたやろ」と割って入った。「アッハッハ」と、智賀子さんは手をたたく。
この二人、とにかく明るい。やり取りは夫婦漫才のよう。だがその歩みは、決して順風満帆だったわけではない。建設業を営む吉郎さんは、仕事中の事故で片目を失明しかけた。腎臓結石も経験。49歳で、うつ病を患ったこともある。
智賀子さんも慣れない暮らしで気苦労は絶えなかったという。周囲から学会の悪口を言われることが当たり前の時代でもあった。
「忍辱の鎧を著て」(御書502ページ)との一節を地でいく歳月。「いつも笑顔で、自分からあいさつを」と心掛けた。
10年、20年、30年……。美容師として懸命に働く傍ら、地域活動にも奔走。婦人会の会長や地区長等を歴任した。吉郎さんも定年退職後、自治会の活動に一段と関わった。
見る人は見ている。「二人とも、よう頑張るねえ」「この辺りは、あんたたちがいてくれるから安心よ」との声が耳に届くように。聖教新聞の拡大も進み、集落の多くの世帯が一度は本紙を購読したことがあるという。
「一人を大切に。近隣を大切に——池田先生のご指導を実践してきただけです」と、智賀子さん。
1978年に池田先生が小豆島会館を初訪問した7月26日を目指し、きょうも朗らかに島を駆ける。

新潟・佐渡島 中川毅さん
●寄り添い続ける中でこそ

何か大変なことが起こっても、大きな声で笑い飛ばす楽観主義の人である。
「ただ深く考えていないだけですよ」と、新潟・佐渡島の中川毅さん(副本部長)は言う。77歳。これまでに集落の総代(区長)やJA羽茂の代表幹事などを歴任してきた。「順番が回ってきただけ」と本人は謙遜するが、周囲からは「地域のことを誰よりも真剣に考えてくれる人」「一緒にいると元気になる」等と、信頼は厚い。
一人の小さな声を聴く、人間主義の人でもある。
家族に精神障がい者がいる集落の人々の集い「南部みつわ会」の会長、さらに佐渡市全体の「佐渡地域精神障害者家族連合会」の副会長を、それぞれ20年近くにわたり務めてきた。
悩みや不安を抱える家族のもとへと足を運び、寄り添う時の毅さんは、全身を耳にする思いで話を聴く。「自分は、何も特別なことなんて言えないから」と。
こうした活動の背景に、自身の兄が心の病を患っていた経験がある。
毅さんは3人兄弟の末っ子。高校卒業後に就職で上京し、信心と巡り合う。もう佐渡に戻ることはないと思っていた。だが長兄が心臓病で急逝。次兄は統合失調症を患っていた。毅さんが実家を継ぐために帰郷したのは、26歳の時である。
心の病に対する理解が進んでいなかった時代。まして島では、うわさがすぐに広まってしまう。だが毅さんは「宿命」を「使命」と捉えた。「島のために自分にしかできないことがあるはずだ」と。
生来の楽観主義に、信心によって培われた意志の力が加わった時、「ありのままの自分たち家族を見てもらおう」と、自然に思うことができた。
自ら心を開けば、人も心を開いてくれる。同じような境遇にある住民から、相談を持ちかけられるようになった。互いの悩みを赤裸々に語り合う家族会や、心の病の基本的な知識の普及を目指す研修会の開催にも尽力した。
じっと話に耳を傾けることも、人間の可能性を信じ続けることも、人と人とをつなぐことも、「全て学会活動を通して得た力です」(毅さん)。
地域広布においても、新しい力、若い人材が育つ。来る7月20日は、池田先生の初来島(1958年)を記念する「佐渡の日」。毅さんは「自分の使命を果たす時は"今"」と、心に固く決めている。

2019年7月8日月曜日

2019.07.08 わが友に贈る

◇今週のことば
勝利を決するのは
不屈の折伏精神だ。
「いまだこりず候」
何があっても題目で
朗らかに攻めきろう!
2019年7月8日

秋元御書 P1071
『或は少し信ずる様なれども又悪縁に値うて信心うすくなり或は打ち捨て或は信ずる日はあれども捨つる月もあり是は水の漏が如し』

【通解】
妙法を信仰していても、悪い縁にあうと信心が弱くなったり、または信心を捨ててしまったり、あるいは一日信じて一ヶ月の間捨ててしまうというようでは、これは器から水が漏れるようなものです。

〈寸鉄〉 2019年7月8日
「言ごとに・せめかえす」御書。青年よ毅然と語り抜け!民衆の大城を守れ
兵庫よ戦いはここからだ不屈の関西魂で勝ち捲れ痛快なる逆転勝利の劇を
我々の運命はいま決定するのだ—詩人。大満足の人生を開く本因妙の前進
熱中症の発症は屋内が最多と。小まめな水分・塩分補給、冷房利用等で対策
世界の飢餓が8億人超。温暖化も大きな因。市民の声で国際社会を動かせ

☆勇気の旗高く 池田先生と岡山 2019年6月27日
◇限りなき前進の英雄たれ
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は岡山県を掲載する。

◇地区日本一の弘教
"まさかが実現"といわれた1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」。当時、大阪支部に所属していた岡山地区の同志の活躍は、目覚ましかった。池田先生は、共に広布の歴史を築いた岡山の友に深い信頼を寄せ、「熾烈な戦いが、本物の師子を育てる。広布の激戦のなかで、鍛えられ、磨かれ、強くなったのが、岡山の誇りである」と述べている。
99年の随筆の中では、当時の様子をつづった。

いかに迫害があろうが、批判されようが、現実に「折伏を行ずる人」が、最も尊い。「法を弘め抜いた歴史」が、永遠不滅の功徳となり、生命を輝かせていくからだ。
いうまでもなく、その黄金の金字塔が、一九五六年(昭和三十一年)の五月、わが大関西の大阪支部が打ち立てた「一カ月で一万一千百十一世帯」の折伏であった。
創価の同志はもとより、日本の仏教界を「あっ」と言わせたのであった。
この時、九百九十九世帯という「地区日本一」の弘教を達成したのが、大阪支部所属の岡山地区である。
当初、岡山の同志は、「あと一世帯で千世帯だったのに」と、皆が悔しがった。
しかし、支部総体として「一」が五つ並んだ、すばらしき結果を見つめながら、皆は、壮大なる歴史の光に、深き喜びを実感していった。

創価の岡山城は、あの"常勝関西"とともに、厳然と建設された。汗と涙と歓喜の、偉大な信仰の曲とともに、誕生したのである。
ゆえに岡山には、力強く厳粛にわき上がる、幾千幾万の強き祈りの血が流れている。邪悪を断じて許さない、との正義の雄叫びが轟いている。

◇どこまでも征く!
中国・関西・四国を結ぶ要衝の岡山。友は師に続き、"広布の激戦地"へ勇んで飛び込んでいった。先生は、長編詩「金波の海に『幸のかけ橋』」の中で、その求道の心燃える行動をたたえた。

私は 忘れない
あなたたちの尊き偉業を
あなたたちの求道の決意を
そしてまた 健気にして
美しき その心根を

また中国の
大飛躍をもたらし
我が誉れの
永遠の歴史となった
山口広布の開拓の指導——
忘れ得ぬあの指導の日々
私は
この維新回天の地に立って
疾風のごとく
電光のごとく
あの町 この町を
駆け巡った

その私のもとに
喜々として
馳せ参じてくれた
親愛なる 岡山の同志よ
身なり貧しくも
信仰という"心の錦"は
まばゆいほどに輝いていた

「広布のためなら
どこまでも征く!」
何ものも恐れず
一瀉千里に突き進む
草創の同志の
ひたむきな一念
燃えたぎる真剣な
「求道」の気概
それこそが
偉大なる岡山の
また偉大なる中国の
福光の法城を築きし
原動力となる

岡山は常に中国広布の
電源の地であった
今 時は移り
時代は変わろうとも
この魁としての
使命と責務は
いささかも
変わることはない
いな 決して
変わることが
あってはならない

「限りなき前進の岡山」とは、1985年5月に発表されたモットーである。93年11月29日、8年ぶりに岡山を訪れた先生は、このモットーの通り、広布拡大に挑み続ける同志の奮闘を心から称賛。同日に行われた中国・岡山の旭日最高会議では、ナポレオンの将軍学を通して、リーダーの在り方をスピーチした。

「私の力は私の栄光による。私の栄光は私の勝利による」
ナポレオンは、「勝利」を続けてこそ、「栄光」と「力」が続くことを確信していた。ゆえに、彼は"仕事"と"改革"へ、生涯、突進した。
「仏法は勝負」である。広宣流布は勝負である。ナポレオンも他の英雄も、最後は敗れた。しかし、広宣流布の戦だけは絶対に負けるわけにはいかない。何があっても、創価学会は負けてはならない。
断じて勝つ。その勝利のなかにしか「栄光」はない。広布の勝利にしか、人類の幸福はない。
自分にとって、一家にとって、支部にとって、県にとって今、「勝利」とは何なのか。到達すべき、その揺るぎなき一点に向かって、まっすぐに前進せねばならない。まっすぐに闘争せねばならない。勝負は、勝つか負けるかである。中間はない。ゆえに戦いにも中途半端はない。

「攻めよ」とナポレオンは言った。
「塹壕の中にとどまっているほうが負ける。これが兵法の定説だ。体験からいっても、理論からいっても、この点には異論がない」
どんな完璧な要塞にいても、「守り」になれば負ける。「攻め」に徹してこそ栄光はある。"この砦は大丈夫だろう"と指導者が油断する時、すでに敗北は始まっている。
「攻め」の前進を避けてはならない。逃げてはならない。敗北も勝利も、まずリーダーの一念のなかから生まれる。

「決して落胆したりしないこと。それが将軍としての第一の素質である」
何が起ころうと動じない。「もう、だめだ」などと思わない。必ず「勝利即栄光」への突破口を開く。それが指導者である。それが信仰者である。
「絶望するのは愚か者だけ」という。いわんや大聖人の仏法は煩悩即菩提である。障害即前進のチャンスなのである。

◇人間賛歌の大橋を
岡山—香川間の五つの島を六つの橋で結ぶ「瀬戸大橋」。全長約9・4キロ。道路・鉄道併用橋としては世界最大級を誇る。先生は長編詩の中で、この大橋に触れつつ、岡山の同志に呼び掛けた。

さあ 行こう!
瀬戸内の
新時代の幕は開いた
松青き島々
金波 銀波のさざめく海
船出の旭日は 今日も昇る
生命の世紀
天空遥かに 弧を描き
人間賛歌の平和の大橋を
我らが手で架けゆくのだ

橋とは「結合」の証であり
シンボルだ
仏法の眼を開けば
自己も 他人も
社会も 世界も
依正は不二にして
縁起という見えない橋で
久遠よりの宿縁の絆で
互いに結ばれている

その生命の
本来の金橋をもって
分断と断絶
不信と反目の渦巻く
濁世の海峡に
「信」の橋梁を
無限に広げゆくのだ
人間と人間
そして
心と心を結びゆくのだ

2019年7月7日日曜日

2019.07.07 わが友に贈る

「かしこへ・おしかけ・
ここへ・おしよせ」
時代を動かすのは
圧倒的な行動力だ!
果敢に打って出よう!

曾谷殿御返事 P1065
『白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、此の声をきかせ給う梵天帝釈日月四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきとつよづよとをぼしめすべし』

【通解】
白馬がいななくのは、我らが唱える南無妙法蓮華経の声である。この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天等が、どうして、色つやを増し、輝きを強くされないはずがあろうか。どうして我らを守護されないはずがあろうかと、強く強く思われるがよい。

〈寸鉄〉 2019年7月7日
御書「国家の安危は政道の直否に在り」。故に青年が監視せよ。正義を叫べ
埼玉よ一気に進撃を。鉄桶の団結の底力を見せつけよ。断固と押し勝て!
神奈川の正義の陣列が総立ち。さあ天の時。栄光のゴールへ総攻撃の烽火を
夏バテ防止はバランスの良い食事、賢き睡眠から。正しきリズムで体調管理
きょう七夕。我らの手で皆が輝く社会の建設を!短冊に夢託す子らのため

☆日蓮仏法の視座 勇気の信心で幸福境涯を築く 2019年6月22日
女子部教学部長 栗原幸子

◇臆病を打ち破る要諦は"師と共に!"との一念に
今月4日、池田先生・奥さまの創価女子会館初訪問と、「女子部 永遠の五指針」発表から、ともに10周年の佳節を刻みました。この日を淵源とする6・4「世界池田華陽会の日」から、7・19「女子部結成記念日」へ!——女子部は今、報恩の誓いを胸に、正義と友情の対話の花を大きく咲かせながら前進しています。
小説『新・人間革命』第26巻「奮迅」の章には、山本伸一会長が、会合に集った女子部の友に慈愛の励ましを送る場面が描かれています。
「強く生き抜いていくうえで必要なのは勇気です。人生のあらゆる局面を左右するのは、勇気があるかどうかであると言っても過言ではありません。その勇気の心を磨いていくのが、信仰なんです。学会活動なんです」
人生の幸不幸を決するのは、勇気である——池田先生は小説の中で、このことを幾重にも強調されています。
ここでは、幸福境涯を開くための勇気の大切さを考察しながら、「何があっても負けない青春」を歩み抜く誓いを確認していきます。

◇日蓮大聖人の精神闘争
私たちは御書を拝する時、そこに記された言々句々に、時に勇気づけられ、時に自らのかけがえのない使命の自覚を促されます。中でも私自身、深く心を打たれた御聖訓が、立宗を前にした日蓮大聖人御自身の、壮絶な精神闘争がつづられた「開目抄」の一節です。
大聖人は、こう仰せです。
「言わないでおけば、今世では何ごともなくても、来世には必ず無間地獄に堕ちてしまう。もし、言うなら、三障四魔が必ず競い起こってくる」(御書200ページ、通解)
もし迫害を恐れて真実を言わなければ、苦悩にあえぐ民衆を救うことはできず、無慈悲の謗りを免れません。しかし、真実を叫べば、経文に照らして命に及ぶ難が起きることは必定です。
大難を覚悟で「言う」か、戦いを避けて「言わない」か。——深い思索を重ねられた結果、大聖人は「二辺の中には・いうべし」(同ページ)と、「南無妙法蓮華経」の大法を弘める決意をされ、民衆救済の大闘争を開始されました。
事実、建長5年(1253年)4月28日に立宗宣言されて以降、大聖人には数々の命に及ぶ大難が競い起こりましたが、立宗の誓願を貫き、一切を勝ち越えていかれました。
大聖人は、御書の随所で「日蓮程の師子王」(同982ページ)等と、御自身を「師子王」になぞらえています。
民衆の幸福のため、あらゆる障魔を敢然と打ち破り、妙法流布に生き抜かれた大聖人は、まさに、不屈の勇気に貫かれた「師子王」です。その不惜身命の御生涯を思うほどに、私の胸にも、限りない勇気が込み上げてきます。

◇師子王の心を取り出す
大聖人は門下に対しても「師子王」の生き方を教えられています。
「熱原の法難」の渦中、激しい迫害に直面する弟子たちに宛てられた御手紙には、こうあります。
「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」(同1190ページ)
「師子王の心」とは、何ものをも恐れない「勇気」のことです。それを大聖人は「取り出して」と仰せになりました。なぜなら、「師子王の心」は本来、誰人の生命にも具わっているからです。
そして、「師子の子・又かくのごとし」との仰せは、「私と同じ心で戦えば、必ず一切を勝ち越えることができる」との、弟子たちへの渾身の励ましと拝せます。
すなわち大聖人は、大難を勝ち越えてきた御自身と同じように、強き勇気の信心で、恐れず苦難に立ち向かっていくことを教えられているのです。
弟子の実践の上から拝せば、"師と共に!""師の如く!"と一念を定める時、臆病の心を打ち破り、胸中に、無限の勇気を湧き出していくことができます。この「師弟不二の信心」こそ、あらゆる困難に打ち勝ち、一切の勝利を開きゆく勇気の源泉にほかならないのです。
さらに大聖人は、女性門下にも「師子王」との言葉を用いて、励ましを送られています。
佐渡の千日尼に宛ててつづられた御手紙には、「法華経は師子王の如し一切の獣の頂きとす、法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし」(同1316ページ)とあります。
ここで仰せの「法華経の師子王」とは、一切衆生を仏の境涯に導く妙法のことです。また、「地獄・餓鬼・畜生」とは、「十界論」でいえば「三悪道」の苦しみの境涯です。
人生にあっては、誰もがさまざまな悩みや困難に直面するものです。しかし、悩みがあることそれ自体が不幸なのではなく、むしろ、悩みに負けてしまう心の弱さこそが、不幸の原因なのではないでしょうか。
ゆえに、何があっても負けない強い心を築いていくところに、私たちの信仰の目的があります。
最極の妙法を持つ女性は「地獄・餓鬼・畜生等の百獣」の苦悩の生命を打破し、必ず「師子王」すなわち仏に等しい境涯を開いていける——勇気凜々と題目の師子吼を響かせて前進する中で、いかなる悩みも乗り越え、必ず幸福勝利の人生を歩んでいくことができるのです。

◇勇猛精進の挑戦を
私自身、女子部で学会活動に励む中で、勇気の大切さを幾度も実感してきました。
ある時、さまざまな悩みが重なり、日々、耐えることしかできない時期がありました。
"何もできていない"と、自分をふがいなく思いながら、必死に題目を唱える毎日。そんなある日、思いがけず、池田先生から真心の伝言を頂いたのです。
——先生は一人の女子部員のことを、ここまで信じ、見守ってくださるのか。
師の限りない慈愛を感じた瞬間、胸の奥から勇気が湧き上がり、"悩みながらでいい。ありのまま力を尽くそう!"と奮起。再び広布の最前線を心軽く走れるようになったのです。この時に学んだことは全て、自身の最高の宝となっています。
私たちが毎日の勤行で読誦している、法華経方便品第2の中に「勇猛精進」との一節があります。
これは、仏が最高の悟りの境涯を得るために、過去に仏道修行に励み、勇敢に努力精進してきたことを示しています。
先生は「勇猛精進」について、つづっておられます。
「目の前の瞬間瞬間を逃さず、全力を尽くす。題目を唱えて、懸命に戦い抜く——この精進行にこそ、仏法の『勇猛精進』、すなわち勇気の真髄がある」(『わが愛する青年に贈る』)
どんな時も、ありのままの自分で懸命に祈り、目の前の課題に勇敢に挑んでいく中で、崩れざる幸福の土台を築くことができるのだと確信します。

◇逆境を切り開く宝剣
先生はかつて、創価の女性に語られました。
「勇気は逆境を切り開く宝剣です。限界の壁を打ち砕く金剛の槌です。絶望の暗黒を照らす不滅の光です。私も妻も『勇気』の二字で、ありとあらゆる中傷・迫害と戦いました。そして『勇気』の二字で、あらゆる苦難に勝ちました。
私たち夫婦は、わが最愛の娘である皆さん方に、この『勇気の冠』を譲り託したいのです」(聖教新聞2008年2月22日付「創価女子短期大学 特別文化講座」)
私たちは今こそ、世界一の師匠から受け継ぐ「勇気の冠」を輝かせ、今いる場所で桜梅桃李の勝利劇をつづっていきたい。そして、あの友、この友へと心結ぶ対話を広げ、池田華陽会から「師弟勝利」の門を朗らかに開いていきましょう。

2019年7月6日土曜日

2019.07.06 わが友に贈る

御聖訓「言わずんば
ある可からず」
語らなければ
真実は伝わらない。
立正安国の大獅子吼を!

四条金吾釈迦仏供養事 P1147
『上にひきぬる経文に不知恩の者は横死有と見えぬ孝養の者は又横死有る可からず』

【通解】
先に引用した華厳経の中には「恩を知らない者は横死する」と説かれている。孝養の者はまた横死することはない。

〈寸鉄〉 2019年7月6日
牧口・戸田両先生の法難の日。不惜身命の大闘争ありて日蓮仏法は世界へ
愛知よ強気で攻め抜け。勢いで勝て!堅塁中部の地に歴史的金字塔を築け
福岡が勇戦。ここからが天王山だ!拡大の号砲を大九州から。勝利へ疾駆
粘り強さだけが目標達成への道なのだ—詩人。弛まぬ実践の人が栄冠掴む
交通事故に注意。多忙な時こそ心の隙なく。互いに声掛け断じて無事故で

☆7月度男子部 新池御書
◇執念の闘争で勝ち開け 「いよいよ」の決意で
7月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では「新池御書」を研さん。「いよいよ」の心で信心を貫き通すところに、幸福と勝利に至る大道があることを学ぶ。

◇御文
『始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき』(御書1440ページ)

◇通解
始めから終わりまで、いよいよ信心をすべきである。そうでなければ後悔するであろう。例えば、鎌倉から京都までは12日の道のりである。それを11日余り歩いて、あと1日となった時に歩くのをやめたのでは、どうして都の月を詠ずることができようか。

◇背景と大意
弘安3年(1280年)2月、日蓮大聖人が59歳の時、身延から新池左衛門尉に与えられたお手紙である。
本抄では冒頭、正法流布の時である末法に生まれ合わせたことを喜ぶとともに、法華不信の人々を嘆かれている。
たとえ法華経を受持しても、経の本意に背けば、悪道に堕ちると述べられ、謗法を犯すことを厳しく戒められた。
一方で、"法華経の行者を一度でも供養する功徳"は"釈尊を長期間、無量の宝をもって供養する功徳"より百千万億倍、優れており、悪道に堕ちることはないと断言され、惰性に流されず、"いよいよの心"で信心を貫いていくよう教えられている。
さらに、当時、在家よりも邪智の僧侶が仏の敵となっていることを示され、極楽寺良観らの悪侶を破折。
最後に、題目の功徳と、成仏の鍵が強盛な「信」にあることを明かされている。

◇解説
大聖人は本抄の冒頭、「うれしきかな末法流布に生れあへる我等」(御書1439ページ)と、末法に生まれ合わせた喜びの大きさを、つづられている。
しかし、そのような得がたい時に信心に巡り合えた人でも、やがて信心が薄れ、慢心にとらわれてしまう——そうした凡夫の臆病な心を指摘され、「これ恐るべし恐るべし」と強調された。
その後に続く今回の御文では、まず「始より終りまで弥信心をいたすべし」と仰せである。
すなわち、「いよいよ」「ますます」との決意で、"今から!""ここから!"と日々、信心の実践を貫くべきであると教えられているのである。
また、「さなくして後悔やあらんずらん」との一節には、"一人たりとも、後退させてなるものか"との、大聖人の大慈悲のお心が拝されよう。
その上で大聖人は、持続の信心の重要性を、鎌倉から京都までの道程に例えられた。
当時、鎌倉から京都までは、徒歩で12日間かかった。その道のりには、数々の難所があり、決して楽なものではなかった。
そのような道中を11日間、懸命に進んでも、最後の1日になって歩みを止めてしまえば、目的地の京都にたどり着くことはできない——と。
この例えのように、いくら仏道修行を重ねても途中で退転すれば一生成仏はかなわない。その原因こそ、大聖人が「恐るべし」と戒められた"慢心"である。
これまでの歩みに満足するのではなく、どこまでも信心を貫き通す中に、幸福と人生勝利の大道があるのだ。
男子部は今、師弟の月・7月へ、広布と人生の目標を掲げて力走している。
池田先生は、若き日の闘争を通して友に呼び掛けている。
「広布の歩みには、どれ一つとして楽な戦いなどなかった。いかに最悪な状況でも、最後の最後まで、闘魂を燃え上がらせ、大地に身をなげうつ思いで、粘りと執念で勝ち開いてきた必死の闘争であった。しかし、苦闘の果てには、燦然たる栄光が待っている」
ひとたび決めた目標は、何があっても諦めない。最後の最後まで挑戦し、断じて達成する。これが学会精神である。
さあ、「いよいよ」の決意に奮い立ち、使命の舞台で師弟栄光の証しを打ち立てよう。

2019年7月5日金曜日

2019.07.05 わが友に贈る

地涌の讃歌轟く
中国方面の友よ。
勇猛果敢に進もう!
平和と正義を広げる
模範の人材山脈たれ!

富木殿女房尼御前御書 P990
『むかしはことにわびしく候いし時よりやしなはれまいらせて候へばことにをんをもく(恩重く)をもいまいらせ候』

【通解】
昔、特に不自由であった時から御供養をお受けしてきたので、貴女の御恩をまことに重く思っています。

〈寸鉄〉 2019年7月5日
「いよいよ・はりあげてせむべし」御書。師子奮迅の闘争で壁を破る劇を!
大東京の「感激の同志」が奮戦。勝利が本陣の使命。猛然と拡大!勝ちまくれ
大阪の友よ総力の攻勢を最後は必ず勝つが関西魂常勝新時代の凱歌共々に
ああなりたいと思う方向へ進めるのが妙法—恩師唱題は無限の希望の源泉
公明は生活者目線の経済政策で大きく貢献—識者実績と未来の視点で輝け

☆テーマ:団結の意味 2019年6月29日
Q 性格が合わない人がいたら…
A 個性の「掛け算」が広布の力に
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。大学校生の藤河ニュー・リーダーは、会合でよく聞く"あのフレーズ"が不思議で、新井区男子部長に質問してみました。

【登場人物】
新井区男子部長 学会3世の38歳。後輩の育成に全力を注ぐ、信頼厚きリーダー。
藤河ニュー・リーダー 人見知りな性格を変えたいと男子部大学校に入校した、社会人2年目の20歳。

藤河ニュー・リーダー 会合でよく「団結しよう」って聞きますが、どういう意味ですか? 「仲良く」って意味なら、日頃、SNSで友達とつながることとかもそうですよね?

新井区男子部長 うーん。もちろん「仲良く」も大切だけど、それよりも深い関係とも言えるんじゃないかな。仕事でもスポーツでも、どんな組織にも必ず目指す目的や目標があるよね。それを達成するために、職場やチームで力を合わせるのが「団結」だと思うんだ。創価学会という仏意仏勅の組織は、「広宣流布」という大目的と、一人一人の「人間革命」という人生の目標のために、団結して、世界中に幸福の連帯を広げているんだよ。

藤河 "組織"って聞くと、何だか自分を犠牲にして"歯車"になるようなイメージです……。

新井 学会の団結は"個性の尊重"が前提なんだ。日蓮大聖人は「総じて日蓮の弟子檀那たちが、自分と他人、彼と此という分け隔ての心をもたず、水と魚のように親密な思いを抱き、異体同心で南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈というのである。しかも今、日蓮が弘通する所詮はこれである」(御書1337ページ、通解)と仰せだ。「一心同体」じゃなくて「異体同心」。つまり、「異体」としての個性を生かしながらも、同じ目的へ「同心」の団結で進んでいくんだよ。

藤河 異体だけど、同心で進んでいく……。なんだか難しそうですね。

新井 皆が皆、立場も性格も生活環境も違う。だけど、広宣流布の大目的に向かって心を合わせながら、それぞれの立場で信心に励み、幸福境涯を実現していく歩みそのものが、異体同心の深い団結の姿なんだよ。

藤河 でも、組織の中に性格が合わない人がいたら……。

新井 大事なのは、"合う、合わない"じゃなくて、自分と"異なる人"とも積極的に関わろうとする心だと思う。"好き嫌い"という一時的な感情に流されるのではなく、"広宣流布のために心を合わせていこう"と深く一念を定める時、相手の良さだって必ず見えてくるはずだよ。

藤河 皆と団結できること自体が、自身の成長の証しなんですね。

新井 その通り! 池田先生は、「団結の力は、たんなる『足し算』ではない。何倍何十倍にも威光勢力を増す『掛け算』なのである」と言われている。藤河君も、多彩な男子部の仲間たちと心一つに、さらなる成長を目指して切磋琢磨していこう!

藤河 はい! 頑張ります!

2019年7月4日木曜日

2019.07.04 わが友に贈る

広宣流布も人間革命も
全ては祈りから始まる。
「叶わざるなし」の
大確信で弾ける題目を!
信心の大生命力で前へ!

四条金吾殿御返事 P1182
『始中終すてずして大難をとをす人如来の使なり』

【通解】
最初から最後まで、生涯、妙法を捨てずに大難を受けても受持し通す人は如来の使である。

〈寸鉄〉 2019年7月4日
「いよいよ」「なをなを」が仏法の魂。さあ未来の為。大きく動き、正義を拡大
兵庫が渾身の猛追。異体同心の団結で進め。世間をあっと言わせる勝利へ
国は土ではなく人の心でできている—詩聖。地道な対話こそ立正安国の要
座り過ぎは心身の健康に影響と。合間に数分歩くだけでも効果。賢く工夫
参院選公示。日本の針路決める一票。安定か混乱か。皆が責任ある選択を

☆広布史アルバム 第4回 愛知
◇炎の一念で限界突破
「日本の、また世界の広宣流布といっても、詮ずるところは、この中部が画竜点睛となります」——「愛知の日」の淵源となった中部本部幹部大会(1967年7月10日)。「広布の堅塁・中部たれ」の指針が示された歴史的な集いである。
金山体育館(当時)に詰め掛けた1万人の友を前に、池田先生の指導は40分に及んだ。その一言一句に、"中部こそ広布を決する急所"との期待が凝縮していた。渾身の指導を終え、先生は扇を手に壇上へ。誓いの歌声が轟いた。
先生は愛知の同志に、一貫して一念の大切さを訴えてきた。「中部50年——大勝の源流」と題した随筆では、初めて愛知を訪れ、出席した名古屋市内での座談会(53年12月12日)の思い出を通し、"堅塁の魂"をとどめている。

やがて質問会となり、一人の青年が口を開いた。「ここは念仏が多くて、なかなか折伏が進まないのですが……」
その瞬間、私は、火を噴く大情熱で言った。「全国どこでも条件は同じです。やりやすいところなどありません。"名古屋だけ折伏はできない"と思っている、そのこと自体が、できない原因なのです!」
電撃に打たれたように、満座の空気が変わった。青年の目にも、同志の目にも、消えることなき光が走った。
条件がどうとか、環境がどうとか、情勢がどうとかではない。あれこれ論ずる前に、自分自身の一念がどうかである。本気で戦う炎が燃えているかどうかである。"行き詰まり"の元凶は、外ではない。自分の心の中にある。どうせできないと決め込むのは、自分の惰弱な心に負けている姿だ。その己心の「一凶」を断つことだ!

「日本の中部」は、「世界の中部」として、にぎやかに世界市民の集いゆく大舞台となった。ここ晴れ晴れとした我が中部は、誉れ高き広宣流布の英雄の天地となった。今日も、また明日も、この正義の英雄が生き生きと、強く正しく、そして明るく朗らかに乱舞しゆく、人間の理想郷としての我らの故郷なのだ。
日本中、いな世界中の友たちが、広宣流布の一番星たる"堅塁中部"の壮大な発展を見つめている。いな、偉大な勝利を心から待っている。

いよいよ"中部の月"7月。7・10「愛知の日」、そして7・27「中部の日」へ。師との不滅の誓いに立ち、広布の大堅塁城を築きゆく。

◇池田先生から贈られた和歌
2007年2月、池田先生は、愛知の全同志の奮闘を心からたたえ、「名古屋城 よりも偉大な 愛知城 広布と人材 輝きわたりて」「日本の 中心なるかな 中部山 厳と栄えむ 決意も光りて」とともに、下記の和歌を贈った。

おお愛知
 日本列島
  ど真ん中
 勇み立ちゆけ
   喜び勝ちゆけ

☆心大歓喜 広布の堅塁・中部たれ 2019年6月25日
今回の「心大歓喜——紙上講義で学ぼう」には、小林中部教学部長が登場。「四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)」の御文を拝し、「広布の堅塁・中部たれ」との指針を胸に、負けじ魂の信心で「ストロング・フォートレス(堅塁)」を築く、中部の誇りを、つづってもらいます。

◇御文
『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ』(四条金吾殿御返事、1143ページ5行目〜6行目)

◇通解
苦を苦と覚り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても、南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ自受法楽ではないか。ますます、強盛な信力を奮い起こしていきなさい。

◇池田先生の指針から
御本仏・日蓮大聖人は仰せになられました。「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(御書1448ページ)と。
いずこにもまして三類の強敵が襲いかかろうと、中部の誉れの父母たちは、この仰せのままに「強盛の信心」を貫き通してきました。
1953年(昭和28年)の12月——中部広布の一粒種である初代の地区部長が、私に毅然と語られた言葉が忘れられません。
それは、「何があっても、私たちは負けません。学会とともに、広宣流布のために戦います。どんなことがあっても、学会を守ります。学会を広げます」と。
この正義の堅塁魂を、今も脈々と、わが後継の青年部が受け継いでくれていることが、私の喜びであり、誇りなのであります。(2017年12月12日付本紙、本部幹部会・中部総会へのメッセージ)
◇ ◇ ◇
おお、偉大な中部よ!
幾つもの暗黒の嵐を乗り越え、勝ち越え、堂々たる勝利者の姿で、日本列島の中心にそびえる愉快な民衆城よ!
この強き強き堅塁は、いかなる苦難の烈風にも、悪辣な権力の迫害にも、断じて崩されないであろう。(中略)
いかなる権威よりも、地位や財宝よりも、最も尊いのは、非難中傷の飛礫を受けながら、あの町この町で、一人立つ賢者として、永遠不滅の妙法を広宣流布しゆく地涌の人間たちである。
その生命には、人間の王者の栄冠が光っている。(2003年10月6日付本紙、「随筆 新・人間革命」〈中部50年——大勝の源流〉)

◇中部教学部長 小林幸司
●「負けじ魂」の信心を胸に誓いの「この道」を歩もう
中部にとって、師弟不二の道を歩み抜く誓いを新たにする7・27「中部の日」を迎えます。
1978年(昭和53年)7月27日、第1次宗門事件の渦中、池田先生は愛知を訪問し、自ら作詞した中部歌「この道の歌」を発表してくださいました。
以来、中部の友は、楽しい時も、苦しい時も、「この道の歌」を口ずさみ、師弟勝利の大道を歩み抜いてきました。
中部歌発表の翌日、池田先生が、岐阜の東濃文化会館の勤行会で拝されたのが、今回学ぶ「四条金吾殿御返事」(別名「衆生所遊楽御書」)です。
本抄は、建治2年(1276年)6月、身延の地で著され、四条金吾に与えられました。迫害の連続で、最悪の状況にある金吾に、いかなる事態に直面しても題目を唱えゆく以外に遊楽はないと教えられました。
先生は勤行会で、「我々にとっての人生最極の『遊楽』とは、勇気ある信心、勇気ある題目の実践のなかにある」と語ってくださいました。
実は、東濃に向かう途中、先生は、中部歌の一節「諸天舞う」を「諸天舞え」と、推敲してくださっていたのです。それは、"主体性をもって、自らの祈りで、諸天を舞わせていくのだ"との思いからでした。
本抄で仰せの「自受法楽」の「法楽」とは、妙法を受持して得られる喜びです。主体性をもって広宣流布の大願に生き抜く中で、自分の生命の奥底から湧き出る歓喜にほかなりません。
苦しい時も、楽しい時も、「今が一番、力が出ている」「一番、悩みを乗り越えて成長している」と、感謝の題目を唱え、自ら戦いを起こせば、悪鬼・魔民をも諸天善神に変えていけます。あらゆる障魔を断固と打ち破り、自由自在に人生を謳歌する境涯を築けるのです。ここに信心の醍醐味があります。
先生は、「われわれは、ひとたび決めたこの道——すなわち『信心の道』『一生成仏の道』『広宣流布の道』『師弟の道』『同志の道』を、生涯、貫き通して、ともどもに勝利の人生を飾ってまいろうではありませんか!」(小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章)と呼び掛けてくださいました。
「我等の決めた道」「この道」を歩み抜く勇気ある信心にこそ、真実の幸福があることを教えてくださったのです。
また、妙法流布の大道に、あらゆる障魔が競い起こるのは必然です。それを強盛な信心で打ち破ってこそ、広布の堅塁は築かれていくのです。
1957年(昭和32年)2月、池田先生は戸田先生に一首をささげました。
「いざや起て/いざや築けと/金の城/中部の堅塁/丈夫勇みて」
戸田先生は、返歌を詠まれました。
「いざや征け/仏の軍は/恐れなく/中部の堅塁/立つは楽しき」
"中部が急所だ! 広宣流布の命運を決する最重要の決戦場"——これが師弟の一致した確信でした。「堅塁」は、師弟の誓いの結晶です。10年後の67年(同42年)7月、中部の永遠の指針「広布の堅塁・中部たれ」が発表されました。
これまでの100回を超える中部指導は、池田先生にとって、戸田先生との誓いを果たす戦いであり、中部の同志の心に、生命尊厳の「ストロング・フォートレス(堅塁)」を築く戦いでもあったのです。
82年(同57年)4月の第1回中部青年平和文化祭。男子部の組み体操で、5基の5段円塔に挑戦しましたが、中央の円塔が組み上がる直前に崩れてしまったのです。会場が一瞬静まりかえりました。しかし、次の瞬間、「もう一回だ!」「やるんだ!」と、再挑戦が始まり、見事に立ち上がったのです。
先生は後に、「この不屈の挑戦が中部魂だ!」とたたえ、「(中部に、難攻不落の堅塁を築き上げる)この師弟の念願が、見事に成就したのだ」と言ってくださいました。いよいよ私たちが、師弟の誓いを成就する時です。
「御本尊がある」「師匠がいる」からこそ、本抄で仰せの通り、一切を広宣流布の祈りに変え、地涌の底力である「負けじ魂」を湧き出すことができるのです。信心の戦いがあるからこそ、いかなる試練にも負けない仏界の生命を涌現させることができるのです。
さあ、一人一人が負けじ魂を発揮し、諸天を舞わせて、師弟勝利の堅塁城を築き上げましょう。

2019年7月3日水曜日

2019.07.03 わが友に贈る

「我は地涌の菩薩なり!」
そう決めた人は強い。
広布のため友のため
わが使命を果たすため
執念の一日一日を!

生死一大事血脈抄 P1338
『過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ。』

【通解】
あなた(最蓮房)は過去の宿縁に運ばれて、このたび、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦仏・多宝如来こそ、ご存じであると思われる。
 「いたるところの諸仏の国土に、常に師とともに生まれる」との経文は、決して嘘ではあるまい。

〈寸鉄〉 2019年7月3日
師弟勝利誓う「7・3」。青年よ誉れの先陣頼む!勇気の炎を全同志に点火
平和な社会を築く中に仏法の実践がある—恩師。立正安国の正道を大前進
岩手・青森・秋田の同志よ不屈の民衆パワーで進め東北新時代告げる勝鬨を
続く大雨。地盤の緩みに警戒。危険な箇所には近づくな。常に情報を確認
全国で夏の省エネキャンペーン。無駄削減へ点検。環境保全は足元から開始

☆広布史アルバム 第5回 福岡
◇先駆」とは「勇気」の異名
池田先生の雄渾の指揮に合わせ、九州の愛唱歌の大合唱が響く。1967年(昭和42年)7月9日、この九州本部幹部大会の席上、先生は"九州ここにありという、先駆の模範を"と力説。永遠の指針「常に先駆の九州たれ」を発表した。後に先生は、九州の誉れの使命について、随筆につづっている。

先駆の戦いには、必ず波が起こる。風も吹きつける。しかし、我らには、なんの恐れも、逡巡もない。波よ、来るなら来い! 風よ、吹くなら吹け! 前に進む喜び、前途を切り開く充実! それらの財宝はみな、雄々しき先駆者の人生を決めた我らのものだ! さあ、さらに決然と進め! 広布の新たな最高峰を登れ! 必ず勝者となれ!

大聖人は仰せである。「妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけ(魁)したり」(御書910ページ)
広宣流布の大誓願を起こして一人立たれた、蓮祖のこの戦いこそが、「先駆」の源流であった。日蓮仏法は、広宣流布の宗教であり、仏法である。御書は、単に自分の幸福のみを願うような利己的で、閉鎖的な教典では絶対にない。自行と化他にわたる峻厳なる行動を説き、自他共の幸福を、さらに社会と世界に、平和と繁栄を実現するための、生きた力強き人間主義、平和主義の大宗教なのである。
そして大聖人が志向され、命じられた広宣流布への実践のなかにのみ、自分自身の境涯革命ができ、人間革命ができるというのだ。すなわち、仏になることができると断言なされたのだ。

「先駆」とは「勇気」の異名である。それこそが、胸中の壁を破り、現実の壁を砕き、新鮮な限りなき希望の光で眩き天地を切り開く力であるからだ。私も、青年時代、すべてに先駆し、壁を破った。全軍を怒濤の勝利に導いた。

わが弟子ならば、断じて先駆せよ!
そして、断固として、この一生を勝ち抜くのだ!

◇池田先生から贈られた和歌
1992年(平成4年)4月、池田先生は友の躍進をたたえ、「五月三日を共に祝し 九州の友の栄光を祈りつつ」との言葉とともに、下記の和歌を贈った。

大九州
 仇を討ちゆけ
  三世まで
 勝利の証の
   この世の舞台で

2019年7月2日火曜日

2019.07.02 わが友に贈る

人材の花が咲き薫る
美しき信越よ!
縁する全ての友に
真心込めて語り抜こう。
さあ共戦の勝利旅を!

上野殿御返事 P1560
『仏になるみちこれにをとるべからず、いををの竜門をのぼり地下の者のでんじやうへまいるがごとし。身子と申せし人は仏にならむとて六十劫が間菩薩の行をみてしかども、こらへかねて二乗の道に入りにき』

【通解】
仏に成る道も、これらの事例に劣らないほどの難事であります。魚が竜門を上ったり、身分の低い者が殿上人となるようなものであります。
身子(舎利弗)という人は、仏に成ろうとして、六十劫という長い間、菩薩の修行をしてきましたけれども、耐えきれずに退転して、声聞・縁覚という二乗の道に入ってしまいました。

〈寸鉄〉 2019年7月2日
今まで生きて有りつるは此の事にあはん為—御書勇敢なる対話で未来開け
大埼玉が総立ちで猛攻!師子は走る。師子は強し。爆発的な拡大で競り勝て
北海道の友が果敢に前進開拓魂発揮し連戦連勝を栄光のVサインを頼む!
1年の折り返し。いよいよ戦いはここから。上半期の総仕上げへ更に加速
日中は「永遠の隣国」—両国首脳。草の根交流が確かなら「金の橋」は堅固

☆御書と歩む� 第76回 知性と報恩の人たれ
『仏法を学せん人・知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし』(開目抄、192ページ)

◇通解
仏法を修学する人は、知恩・報恩がなくてはならない。仏弟子は必ず四恩を知って知恩・報恩をするべきである。

◇同志への指針
知恩・報恩こそ人間の真髄の道である。その最極の生き方を会得できるのが、信心であり、学会活動なのだ。
何のために学ぶのか。磨き鍛えた知性を、父母のため、民衆のため、社会のために、思う存分、発揮するのだ。
智勇と福智の男女学生部の友よ、偉大な地涌の誇りに燃え、広布と青春を断固、勝ち開くのだ。普賢の光で、時代を、世界を照らしゆけ!

☆四季の励まし 団結こそ人間勝利の証し 2019年6月23日
◇兵庫は関西魂の電源地
団結の力は、
たんなる「足し算」ではない。
何倍何十倍にも威光勢力を増す
「掛け算」なのである。
和気あいあいとした団結の姿は、
それ自体、人間共和の縮図である。
この団結のなかにこそ、
「境涯革命」がある。
利己主義や自分本位の我見では、
皆と心を合わせることが
できないからだ。
ゆえに、団結できるということは、
自身のエゴに打ち勝った
人間勝利の証しなのである。

自分に光は当たらなくとも、
新しい青年たちを励まし、
黙々と皆のために
尽くす存在は貴重である。
組織が強くなり、
発展していくには、
リーダーのもとに、
そうした陰の力となる人が、
どれだけいるかが決め手となる。
広宣流布とは、
結局は連携プレーであり、
団結のいかんにかかっている。

異体同心の信心で、
皆が心を一つにして、
一緒になって祈っていくことだ。
皆で破邪顕正の勝利を祈ることが、
師子王の題目となる。
皆で祈れば、
広宣流布の歯車は、
勢いを増して回転していく。
祈りこそが
「最高の戦力」であり、
「無限の闘争の力」なのである。

勝利の方程式は、常に変わらない。
一人一人の
「勇気ある信心」で勝つ!
一日一日の
「誠実なる振る舞い」で勝つ!
そして、
「異体同心の団結」で勝つ!
我ら創価家族は、
不屈の負けじ魂で前進だ。

澄んだ青空に、赤い神戸ポートタワーが映える。阪神・淡路大震災から9カ月となる1995年(平成7年)10月、池田大作先生が撮った一葉である。
何本もの鋼管を組み合わせて築かれたタワーは、大震災でもびくともしなかった。それは、不撓不屈の前進を続ける兵庫の同志の雄姿と重なる。
インドの詩聖タゴールは言った。「人間は孤立すると、自己を見失う。すなわち人間は、広い人間関係のなかに、自らのより大きく、より真実な自己を見出すのである」(森本達雄訳『人間の宗教』第三文明社)
我らには、桜梅桃李の個性を生かす異体同心の団結がある。さあ共に、新たな常勝の金字塔を!

2019年7月1日月曜日

2019.07.01 わが友に贈る

◇今週のことば
断じて勝つとの一念が
壁を破る。
祈りを込めた声が
心を動かす。
青年の月を青年の命で!
2019年7月1日

三世諸仏総勘文教相廃立 P563
『華厳経に云く「心は工なる画師の種種の五陰を造るが如く一切世間の中に法として造らざること無し』

【通解】
華厳経には「優れた画家が種々の五陰を描きあらわすように、一切世間のなかでの法はすべて心が作り出したものである。

〈寸鉄〉 2019年7月1日
「名をば後代に留べし」御書。さあ師弟の月。皆の挑戦で不滅の栄光史共に
大神奈川の共戦の同志が激走。絶対勝利が正義の使命。自身の新記録刻め
静岡に漲る太陽の情熱。破邪顕正の言論で進め!民衆の力を天下に轟かせ
山梨の師子よ本領発揮の時は今だ!隆々たる人材山脈から必勝の上げ潮を
夏は空調や扇風機の火災多発。点検しっかり。異音・異臭あるなら使用中止

大白蓮華2019年7月号 日輪の如く 師子の如く
人の世のいかなる道にも修行がある。その修行に徹し、道を究めてきた人には、命の張りがあり、光がある。
日蓮大聖人は「法華経の修行の肝心」を明確に教えてくださった。不軽菩薩の如く「人を敬う」ことであり、賢き「人の振舞」を貫くことである(P1174)。
それは、その人の仏性を信じ、礼儀と誠意を尽くして会うことから始まる。その時は反発されても、こちらの礼拝の一念は、相手の奥底の仏性には必ず通じている。
とともに、庶民を傲慢に見下し、不幸に陥れる魔性の働きには、勇敢に聡明に忍耐強く立ち向かっていくのだ。
御書には、その手本が幾重にも示されている。
「日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見て候へ」(P1418)とも仰せである。
他者とは比較にならないほど人と会われ、語り抜かれた。その上で、「いとをしと申す人は千人に一人もありかたし」(同P)と率直に記されてもいる。御本仏の大慈大悲で包まれても"本当に立派な人"は少ないと言われるのだ。
いわんや凡夫の私たちが末法の衆生の只中で、どれほど苦心しているか、全て御照覧くださっているに違いない。
まさに「立正安国の対話」は、至難の修行なのである。
だからこそ、福徳もまた大きい。自らの境涯を開く人間革命とともに、一家眷属も、地域社会も大福運を積み、さらに国土世間の宿命まで転換していけるのだ。
「この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築いていくなかにこそ仏法の実践がある」とは、恩師の関西での宣言であった。
ともあれ我らの語らいは、皆が幸せになるための修行である。一歩また一歩が、仏になりゆく道なのである。
「法華経の行者は日輪と師子との如し」(P1219)
ゆえに、太陽の如く明るく大らかに、一人一人の心を照らし、仏縁を結び希望の連帯を広げゆこう! そして、師子の如く強く堂々と正義を叫び切って、「人の振舞」という人間主義の勝利の旗を掲げゆこうではないか!

太陽と
 師子のいのちの
  君なれば
 照らせ 吼えゆけ
  凱旋かざれや

☆7月の広布史
◎7・3「戸田先生出獄の日、池田先生入獄の日」
1945年(昭和20年)7月3日は、軍部政府の弾圧により不敬罪、治安維持法違反の罪に問われ、投獄されていた戸田城聖先生(当時・理事長)が出獄した日。戸田先生は、獄死した初代会長・牧口常三郎先生の遺志を継ぎ、学会の再建に立ち上がった。
57年(同32年)7月3日、大阪府警が、参議院大阪地方区の補欠選挙で支援の責任者であった池田大作先生(当時・青年部の室長)を、選挙違反の容疑で不当逮捕(大阪事件)。同月12日、蔵前の国技館(当時)で大阪事件に抗議する「東京大会」が行われた。池田先生は、17日に釈放され、同日、中之島の大阪市中央公会堂で「大阪大会」が開かれた。
62年(同37年)1月25日に無罪判決が出された。
※参考資料=小説『人間革命』第1巻「黎明」、第11巻「大阪」、『新・人間革命』第4巻「立正安国」、第5巻「獅子」、『池田大作全集』第22巻、『法華経の智慧』第6巻

◎7・11「男子部結成記念日」
1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部で、戸田先生のもと、百数十人が集い、男子部が結成された。75万世帯達成に向け、男子部は弘教に奮闘。その先頭に立ったのが、若き池田先生であり、蒲田、関西などで折伏・弘教の金字塔を打ち立てた。
※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

◎7・19「女子部結成記念日」
女子部の結成式は1951年(昭和26年)7月19日、旧学会本部で行われた。戸田先生は、集った74人のメンバーに、「女子部員は、一人残らず幸福に」と激励した。
※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

☆7月のオススメVOD
「行動こそ幸福の基盤」より
★池田先生のスピーチ
●「行動こそ幸福の基盤」「師弟の魂を受け継げ!」「青年よ 困難に挑みゆく人生を」

【池田先生のスピーチ】
�「行動こそ幸福の基盤」(写真上)は、1998年5月の本部幹部会を収録したもの。1930年、インド各地に広がった民衆運動「塩の行進」。この時、ガンジーは人間の中へ飛び込んだ。広布の戦いも、動いた分だけ幸福の地盤がつくられると指導。さらに「大阪の戦い」を述懐し、関西の同志と共に築いてきた常勝の歴史を青年が受け継いでほしいと期待を寄せる(番組コード=AB04、8分)。
�2001年11月の本部幹部会のスピーチ「師弟の魂を受け継げ!」では、明治維新への道を切り開いた吉田松陰と、松下村塾で育まれた弟子たちの姿を通し、師弟について指導。一人の本物の弟子がいれば、広宣流布は断じてできるとの根本の原理を示し、創価三代の「師弟の魂」を胸に、21世紀を勝ち抜いてもらいたいと呼び掛ける(AD02、8分)。
�「青年よ 困難に挑みゆく人生を」(同下)は2005年7月の本部幹部会でのスピーチ。ここでは戸田先生の青年への指針を紹介。「偉大な人生とは、広布に尽くすこと」「苦労の中でこそ本物は生まれる」「人間の偉さは地位や肩書ではなく、実力で決まる」等の言葉に触れつつ、あえて苦難の嵐の中に飛び込み、信心を貫く人生に、真の幸福境涯が開けていくと力説する(AG08、5分)。

★広布史
●信心しきった者が勝つ 常勝の原点 大阪大会

【広布史】1957年7月17日——。大阪・中之島の中央公会堂で池田先生の不当逮捕に抗議する「大阪大会」が行われた。"最後は信心しきった者が必ず勝つ!"——豪雨と雷鳴の中、集った2万人の同志に対して、池田先生は師子吼した。関西の常勝不敗の原点が刻まれた、不滅の一日に迫る(CA05、15分)。