2016年6月25日土曜日

2016.06.25 わが友に贈る

信心とは自分への
限りなき挑戦だ。
向上への不屈の精神だ。
苦しい時こそ
一歩前へと踏み出せ!

土木殿御返事 P964
『今年日本国一同に飢渇の上佐渡の国には七月七日已下天より忽ちに石灰虫と申す虫と雨等にて一時に稲穀損し其の上疫病処処に遍満し方方死難脱れ難きか、事事紙上に尽し難く候』

☆四季の語らい
仏法は、人間の善性を開発し、人への思いやりと同苦の心を育む。この人間と人間を結ぶヒューマニズムの哲学が、広く人々の心に浸透していく時、友情の香しい花が咲く。

☆女性に贈ることば 六月二十五日
奥深い人生の山や谷に、汗を流して分け入っていかなければ、幸福のダイヤモンドは採掘できない。賑やかな街で遊び、楽をしているばかりでは、決して幸福のダイヤモンドを磨くこともできない。

☆今日のことば365 六月二十五日
君の 堅実にして
 誠実の人生の姿勢は
やがては
 すべての人々が
  心より頼り
   尊敬することを信ずる

☆随筆 永遠なれ創価の大城 第8回 誓い忘れじ壮年部
◇広宣流布の闘魂に燃えて前進! 王者の風格で「正義」と「真実」を語り抜け
御本仏・日蓮大聖人は佐渡流罪の大難の中で、『今に至るまで軍やむ事なし』(P502)と仰せられた。
この如説修行の闘魂を真っ直ぐに受け継ぎ、進んできたのが、牧口先生・戸田先生以来、我ら創価の壮年の誉れである。
いかなる事業も、闘魂なくして成し遂げることはできない。たとえ地味であっても、わが戦野に臨んで、崇高な使命を果たしゆく闘魂ほど、誇り高いものはあるまい。
我らの闘魂とは、広宣流布への闘魂だ。自身の人間革命と、苦悩の民衆救済への誓願だ。
末法万年にわたる未来のため、混乱極まる五濁悪世の真っ只中で、立正安国の大闘争に身を投じ、戦い切って一生を終える。これほど充実した、悔いなき英雄の人生は絶対にない。

◇五勇士が堂々と
わが盟友たる壮年部が今、各地で意気軒昂に、「ブロック五勇士」に取り組んでくれている。
あの地でも、この地でも、新たな「黄金柱」が堂々と立ち上がった。
聖教紙面に並んだ写真を拝見しては心が躍る。各地域の名前から、「あの時、駆けつけたな。懐かしい」「この地域も頑張っているな」などと、思いを馳せている。
本年、「五勇士」の拡大の火ぶたを切ってくれたのは、「鉄桶の団結」の大埼玉である。
埼玉ゆかりの作家・武者小路実篤翁は言った。「男子立ち上れば/何かする。/きつと何かする/しないではをさまらない/胸がすくまで、何かする/皆がよろこんでくれることを/何かする。」
健気な創価の家族が喜んでくれるならばと、いかなる労苦も厭わない。皆の胸がすくまで、激流が迸り、流れ続けるように、戦って戦って戦い抜くのだ。
だから強い。どんな権威にも、どんな邪知にも断じて負けないのだ。
壮年が決然と一人立つならば、どれほど大きな力が出るか。父が厳然としていれば、どれほど安心と喜びが広がるか。
一騎当千である。その「一人」を大切にする。粘り強く通い、信頼を育み、励まし続ける。熱い男の友情と連帯を、私は最大に讃えたい。
また、陰で懸命に祈り、応援してくださる婦人部の方々がいますと、常に妻から言われている。

◇武蔵の剣の極意
御聖訓には、『法華経の剣は信心のけな(勇)げなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼう(鉄棒)たるべし』(P1124)と記されている。
勇気ある信心を貫く丈夫は、「絶対勝利」の宝剣を持っているのだ。
今、八王子市の東京富士美術館では、"刀剣展"(「ザ・刀剣——千年の匠の技と美」)が行われている。
ここには、かの宮本武蔵が所持していたともいわれる刀「無銘 伝正宗」(名物武蔵正宗、刀剣博物館所蔵)が特別出品されている。
無双の剣豪・宮本武蔵は、晩年を九州・熊本の地で過ごし、独自の兵法観と思想を集大成した『五輪書』をまとめた。
そこに「生国播磨」——今の兵庫出身と記した彼は、生涯で六十数回にわたって勝負をして一度も負けなかったという(出生地には、美作〈現・岡山県内〉説もある)。
なぜ、強かったのか。
武蔵は自身の剣術について、「水を本として、心を水になすなり」と譬えた。水は形を自由に変える。この水の如く、自分を自在に変えることができたから強かったというのである。さらに実際の太刀の使い方や構えにも、固定的な型はないと述べている。
千差万別の相手に、自在に対処していくのだ。決して過去の成功にとらわれず、電光石火で対応を変化させる。これこそ武蔵の必勝の哲学だ。
『五輪書』は、「一人の敵に自由に勝つときは、世界の人にみな勝つところなり」と論じてもいる。
我らが真剣勝負の対話で、一人の心をつかむことは、万人の心をつかむことにも通じよう。
大聖人は、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書二五四ページ)と明言なされた。「断じて勝つ」との強き一念で御本尊に祈り、勇敢に一歩を踏み出せば、世雄たる仏の随縁真如の智は、いくらでも湧いてくるのだ。

◇「忍辱の鎧」で
神奈川出身の吉川英治氏の名作『宮本武蔵』は、奥深い"水の心"に触れた言葉で結ばれている。
「波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は躍る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを。」
世に、自らの我欲や保身のため要領よく泳ぐ小才子は多い。しかし、いかに雑音を浴びせられようと、「忍辱の鎧」を着して耐え抜き、無骨なまで、広布の誓願のために奮闘する。これが、まことの勇者の境涯だ。

◇我らは滝の如く
私も"水の心"を詩に詠んだことがある。

滝の如く 激しく
滝の如く 撓まず
滝の如く 恐れず
滝の如く 朗らかに
滝の如く 堂々と
男は
王者の風格を持て

四十五年前の六月、新緑まばゆい青森の奥入瀬渓流を訪れた折、清冽にほとばしる滝を見た感慨を詠ったものだ。
翌年、青森出身の芸術部の方が詩に曲をつけてくださった。
この「滝の詩」を、長年、地元・青森の同志が大切に歌い継いでくれていたのである。
その後、「滝の詩」の曲を収めたCDを、青森の壮年部有志が届けてくださった。とても良い歌だ——私は、直後の会合で、関西男声合唱団の皆さんに歌っていただいた。
「男は 王者の風格を持て」と呼びかける、その雄々しき歌声は、大きな感動を呼び、瞬く間に全壮年部の愛唱する歌となっていったのである。

我ら壮年部は、本年で結成五十周年を迎えた。
結成記念日の「三月五日」は、数字を反対に置くと「五月三日」となる。「創価学会の日」であり、「創価学会母の日」ではないか。
陰で、一切の土台となって学会を担い立つと、腹を決めた、我らの責任感の象徴ともいえる。
我らは厳として創価の王城を死守する。そして、太陽の婦人部や後継の青年部に、思う存分、活躍してもらうのだ。
創価学会には、壮年部の深き一念から、安心と信頼と感謝がみなぎる。異体同心となり、全軍に躍進の勢いが生まれる。
婦人部と青年部の輝く六十五周年。全学会員に完勝の宝冠を捧げる。それこそが齢五十の壮年部の重大な天命なのだ。

◇仏法は勝負なり
壮年部の勇戦の鑑ともいえる牧口常三郎先生が使われた御書には、『夫れ仏法と申すは勝負をさきとし』(P1165)の箇所に朱線が引かれていた。ページの余白には、「勝負」の二字も書き込まれている。
六十年前、私が関西の友と拝した御文がある。
『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず』(P1192)
門下の柱として必死に戦う壮年・四条金吾に送られた御指導である。
学会の勝負は、最後は壮年部が決するのだ。
堂々と正義と真実を語り抜き、学会の偉大さを満天下に示すのは、師弟の真髄を結果で体現する壮年部なのである。

◇「今ここ」で勝つ
わが壮年部の友は、打ち続く障魔の嵐の中、私と共に広布の道なき道を切り開いてきてくれた。
自らの試練も、宿命も、断固と勝ち越え、生き抜いてこられた百戦錬磨の同志だ。不思議にも、今この時に居合わせ、苦楽を分かち、勇猛精進する戦友だ。「宿縁深し」と思えてならない。
『今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』(P1451)——「今ここ」が勝負所であり、広布の決戦場であり、自身の宿命転換の正念場である。こう自ら決めて祈り、行動する時、勝利の突破口は豁然と開かれるのだ。
大聖人は厳命された。
『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ』(P1598)
さあ、壮年の出番だ。信頼する創価家族の父たちよ! いかなる強敵にも怯まぬ無敵のスクラムを組んで、師弟の大道を戦い進もう!
「王者の風格」を持って世界広布新時代の開拓へ、元初より誓い願った今生の勝ち戦に、いざ打って出ようではないか!

歴戦の
 正義の王者
  我なりと
 岩をも砕きて
  凱歌 勝ちとれ

——明日は「父の日」。ご一家そして地域社会の柱たる、大切な皆様方の健康長寿と絶対勝利を心から祈りつつ。

2016年6月24日金曜日

2016.06.24 わが友に贈る

誉れの愛知の友よ
立ち上がる時は今!
言論の大闘争で
新たな時代を開け!
勇敢に勝ち進め!

月水御書 P1202
『此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし』

☆四季の語らい
人生、いろんなことがある。苦境もある。行き詰まりもある。先が見えないこともある。だからこそ「祈り」を根本にすることだ。「祈り」は「希望」であり、「生命の夜明け」であり、「幸福の種を植える」ことである。「祈り」で未来に立ち向かっていく人−−その人は、必ず良い方向へ、良い方向へと変わっていく。

☆女性に贈ることば 六月二十四日
雨の日には雨を楽しみ、風の日には風の声に耳を傾ける。
困っている人を見たら、すぐに体が動いていく。
そうした人生の詩を生きるお母さんの姿は、言葉以上に豊かに子どもたちの心を育むに違いない。

☆今日のことば365 六月二十四日
自分は偉くないのだ、周囲の人が全部、自分以上の人材である、と心の底から言える人が偉いのである。人の偉さは、自分が偉いのだといっても、人々は認めてくれない。周囲の人が決めるものである。

☆新会員のための仏法入門 第27回 不惜身命 2016年6月4日
◇大聖人直結の信心で広布に生き抜こう!
『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』(P232)——日蓮大聖人は、流罪地・佐渡で著された「開目抄」において、不惜身命で広布に生き抜く覚悟を示されました。今回の「みんなで学ぶ教学」では、誉れの日蓮大聖人門下である私たち一人一人に脈打つ「不惜身命」の精神について学びます。

◇法華経での「菩薩の誓い」
「不惜身命」は、法華経勧持品第13において、菩薩たちが釈尊の滅後に、正法を求め、正法を弘めていくことを誓う言葉の中に出てきます。
「世尊よ、どうか心配なさらないでください。仏が入滅された後、私たちが必ずこの法華経を持ち、説いていきますから。(中略)私たちは勇敢に耐え忍び、身命を惜しまず、法華経を語り抜いてまいります」(法華経411ページ、趣旨)
勧持品では、続く「二十行の偈」で、菩薩たちが悪世において「三類の強敵」による迫害を乗り越え、法華経を流布していく決意を述べます。その中でも「是の経を説かんが為の故に 此の諸の難事を忍ばん 我は身命を愛せず 但無上道を惜しむのみ」(同420ページ)と誓っています。
また、私たちが朝晩の勤行で読誦している如来寿量品第16の自我偈では、釈尊は弟子に、信心の姿勢について「一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまざれば」(同490ページ)と示されています。
わが身を惜しまず、一生懸命に励んでいく。「不惜身命」は、仏道修行を実践していくうえでの峻厳な精神を述べた言葉にほかなりません。

◇「志ざし」が何より大切
日蓮大聖人は「佐渡御書」において、『魚は、命を惜しむため、すみかとしている池が浅いことを嘆いて、池の底に穴を掘って棲んでいる。しかし、餌にだまされて釣り針をのんでしまう。鳥は、すみかとしている木が低いことを恐れて、木の上の枝に棲んでいる。しかし、餌にだまされて網にかかってしまう』(P956、通解)と魚や鳥の習性を挙げられた上で、次のように仰せです。
『人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし』(同P)
「世間の浅き事」のために自分の身を滅ぼしてはならない。そうではなく、「大事の仏法」のために身命をささげてこそ、仏になることができる、と。
池田SGI会長は、「大事の仏法」に命をささげる実践について、『ただし仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり』(P1596)との御文を拝してこう述べています。
「末代の凡夫は、雪山童子のように身を投げることがなくとも、『志ざし』によって『不惜身命』の実践をするのと同じ功徳を得て仏に成ることができると、力強く御断言されているのです。『心こそ大切』です」「私たちにとって『不惜身命』とは、恐れなく南無妙法蓮華経を唱え抜くことであり、世界のため、未来のため、人々のために、懸命に信心の実証を示しきっていくことに尽きるのです」(『勝利の経典「御書」に学ぶ』1)
友の幸福を祈り、広布の活動に励んでいる創価学会員の日々の実践自体が「不惜身命」の振る舞いなのです。

◇生涯、随力弘通の実践を
日蓮大聖人は、『日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり』(P1558)と仰せのとおり、身命にも及ぶ大難にも屈することなく、妙法流布の尊い御生涯を貫かれました。
そして、門下に対しても『一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』(P970)と、悔いのない一生を貫くよう呼び掛けられています。
大聖人の御入滅後、五老僧が権力による迫害を恐れて退転する中、不二の弟子であった日興上人は、師である大聖人の仰せのままに、命を賭して弘教の推進、弟子の育成に全力を注がれました。
88歳で亡くなる1カ月前に、末代の弟子のために著された「日興遺誡置文」の中に次の一節があります。
『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』(P1618)
この御遺誡をそのまま受け継ぎ、日蓮大聖人直結の「不惜身命」の実践を重ねているゆえに、創価学会が仏意仏勅の教団であるといえるのです。

2016年6月23日木曜日

2016.06.23 わが友に贈る

広宣流布とは
仏と魔との戦いだ。
油断・過信を戒め
絶対無事故の前進を!
真剣な祈りから出発!

十字御書 P1492
『わざわいは口より出でて身をやぶるさいわいは心よりいでて我をかざる』

☆四季の語らい
真実の師弟の道を行く限り、どこの社会であろうと、いかなる課題があろうと、必ず勝利できる。必ず幸福になる。必ず発展する。必ず、広々と栄光への道が開ける。

☆女性に贈ることば 六月二十三日
子どもたちの成長は、大人たちの成長にかかっている。
ゆえに、教育とは、子どもたちのために何ができるかという、自らの生き方をかけた、大人たちの挑戦にほかならない。

☆今日のことば365 六月二十三日
人間の弱味は、往々にして、欠点を指摘してくれる人から、身を遠ざけようとするものである。だが、実際に、この欠点によって、わが身の蒙る----現実の結果は、それよりも何十倍も辛いものとなるのだ。そうした失敗をさせぬために教えてくれる友だちや、先輩の苦言は、どれほどありがたいか知れない。

☆新会員のための仏法入門 第26回 順縁・逆縁 2016年5月24日
◇私たちの対話は「仏の振る舞い」
仏法の人間主義の哲理や創価学会員が生き生きと実践する姿、また、見事な信仰の実証に共感する友もいれば、偏見や根拠のない風聞をもとに無理解を示す人も……。仏法の話をした際の友人の反応は十人十色です。今回の「みんなで学ぶ教学」のテーマは「順縁・逆縁」です。

◇仏性を触発する尊い実践
あらゆる人の生命に、もともと具わっている仏性(仏の性分)。しかし、ほとんどの場合、その生命は迷いの汚れに覆われてしまっています。
『仏種は縁に従って起る是の故に一乗を説くなるべし』(P1467)
「一乗を説く」すなわち、私たちが妙法を説くことによって、相手が自身の仏性を輝かせるようになるのであり、一人一人と仏縁を結んでいく私たちの実践は、衆生の仏性を触発する尊い実践にほかなりません。
友人に仏法の話をすることを「下種(仏種を下す)」と呼びますが、この時、相手が素直に聞き入れ、信じることを「順縁」といい、逆に正法の教えに反対し、非難・中傷してくることを「逆縁」といいます。
日蓮大聖人は『我が一門の者のためにしるす他人は信ぜざれば逆縁なるべし』(P222)と、大聖人門下となった者が順縁であるのに対し、信じようとしない人は逆縁であると述べられています。

◇正法に縁したことが因に
この仏法では「逆即是順(逆即ち是れ順なり)」と説きます。全ての衆生は仏性を具えているゆえに、たとえ正法を誹謗した人であったとしても、正法に縁したことが因となって、必ず成仏できるのです。
大聖人は、次のように仰せです。
『とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり、何にとしても仏の種は法華経より外になきなり』(P552)
「毒鼓」とは、毒薬が塗られた太鼓のことで、涅槃経には、その音を耳にした人は、たとえ聞くつもりがなくても、皆、死んでしまうと説かれています。
ここで"死ぬ"とは、「煩悩が死ぬ」ことを意味し、妙法に縁すれば、たとえ反発した者であっても、煩悩を滅して成仏に至ることを譬えています。
相手が好むと好まざるとにかかわらず、正法を耳にすればいつかは必ず信心に目覚め、成仏の境涯を得ることができる。ゆえに、大聖人は『人是を用ひず機に叶はずと云へども強いて法華経の五字の題名を聞かすべきなり、是ならでは仏になる道はなきが故なり』(同P)と、妙法蓮華経の五字を説き聞かせていく以外に「仏になる道」はないと断言されています。

◇「教主釈尊の御使なり」
『日本国は逆縁なり』(P336)
友人にこの仏法の素晴らしさを語っても、理解・共感を得られないどころか、かえって反発されることも少なくありません。しかし、人間関係の悪化を恐れる今の時代にあって、勇気を奮って、友のために対話する人ほど尊貴な人はいません。
法華経法師品第10には「能く竊かに一人の為にも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」(法華経357ページ)と説かれています。
仏法対話は、仏の使い(如来の使)として、仏の振る舞い(如来の事)を実践する尊い行為にほかなりません。
大聖人は、この法師品の一節を引かれた上で、こう仰せです。
『法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり』(P1121)
他にも『一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり』(P1448)、『法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し』(P856)等、随所で妙法弘通の実践に励む人をたたえられています。
この仏法は、万人が何ものにも揺るがぬ幸福境涯を開いていける方途を教えています。ゆえに一人一人に仏縁を結んでいく実践は、社会一般のいかなる善行よりも、人間として尊い実践にほかなりません。
勇気を奮い起こして、目の前の一人に、ほんの少しだけ仏法の話をしたとしても、それ自体が「仏の振る舞い」であり、無量無辺の功徳があります。
『力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』(P1361)
勇んで仏縁の拡大に取り組んでいく中に、自他共の幸福の実現があるのです。

2016年6月22日水曜日

2016.06.22 わが友に贈る

今日の前進が
明日の勝利を決する。
一日一日を大切に
わがベストを尽くせ!
悔いなき黄金の歴史を!

乙御前母御書 P1223
『道のとをきに心ざしのあらわるるにやかれは皆男子なり権化の人のしわざなり、今御身は女人なりごんじちはしりがたしいかなる宿善にてやをはすらん』

☆四季の語らい
「師匠」をもつ人は幸せである。師弟の道によってこそ、人間は「向上と成長の軌道」を進んでいける。「師匠」をもたない人は、基準がなく「無軌道」の人生となってしまう。

☆女性に贈ることば 六月二十二日
苦労のない人生はどこにもない。行動しなければ、いつまでたっても、幸福はやって来ない。現実は厳しいに決まっている。
ゆえに、その現実に翻弄されるのではなく、進んで現実に挑み、生命の鍛錬の場としていくのだ。

☆今日のことば365 六月二十二日
いかなる時代の推移、動乱にも、自己の信念を曲げず、一直線に貫き通す人は、まことに尊いといえよう。時代は流れる。人の心も動いていく。

☆華陽姉妹のための法華経入門 異体同心事 2016年6月11日
◇広布拡大の要諦は信心根本の団結に
今月は「異体同心事」を学びます。「異体同心」の団結こそが絶対勝利の要諦であることを心に刻み、仲良く励まし合いながら勇気の対話を広げていきましょう。(拝読範囲は本抄全編です。池田SGI会長による本抄の講義は、『希望の経典「御書」に学ぶ』第3巻〈聖教新聞社〉に収録されています)

◇本抄について
本抄は、御執筆の年月や、送られた人が不明です。本抄の前半に、駿河(静岡県中央部)の地の門下の様子が記されていることから、日蓮大聖人の仏法を弘通する中で、それに反発する勢力からの不穏な動きが出てきた文永年間の末から建治年間にかけてのころに、駿河の中心的門下に送られたのではないかと推察されます。
大聖人は本抄で「あつわらの者どもの御心ざし」と仰せです。弘教が進んでいた駿河の熱原地域では、後に大聖人門下への大弾圧が加えられます。本抄では、大聖人一門を迫害しようとする動きに対して、障魔を打ち破って広布を進めていく要諦として「異体同心」を教えられています。

◇大意
前半では、異体同心であれば万事を成し遂げることができ、反対に「同体異心」であれば、何事も成し遂げることはできないと教えられています。
そして、日蓮大聖人の一門は異体同心なので、人数は少なくても大事を成し遂げて必ず法華経は広まるとの確信を示されています。
後半では、日本国の人々は蒙古襲来を機に法華経誹謗の罪を悔い改めれば救われるのであると述べられています。

◇御文
『一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし、百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず、日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候』(P1463ページ4行目〜6行目)

◇通解
一人の心であっても二つの異なる心があれば、その心が食い違ってしまい、何事も成就しません。また、百人や千人であっても、心が一つであれば、必ず物事を成就することができます。日本国の人々は、多勢であっても「体同異心」なので、何事も成就することは難しいのです。日蓮の一門は「異体同心」なので、人数は少ないけれども大事を成し遂げて、必ず法華経は広まるだろうと思っています。

◇解説 皆が心を一つに励まし合って前進
異体同心の団結こそ、広宣流布を進める最大の力です。
「異体」とは、一人一人の個性や特質が、さまざまに異なっていることを指します。
一方、「同心」とは、同じ志や目的観を持ち、心を合わせることをいいます。これは突き詰めれば、広宣流布の師匠に心を合わせることともいえます。
つまり、「異体同心」とは、それぞれの個性や特質が尊重されると同時に、広宣流布という大目的に向かって皆が心を合わせて前進していくことです。
この反対が「体同異心」であり、これは表面的には同じ行動をしているように見えても、一人一人の心がバラバラの状態をいいます。
日蓮大聖人は、掲げた御文の前段で、周の武王率いる800の諸侯の軍が、70万騎の殷の紂王の軍勢を打ち破った古代中国の故事を挙げられ、勝負は人数の多少ではなく、戦う心が一致しているかどうかで決まることを示されています。
そして、掲げた御文で大聖人は、御自身の一門に迫害を加えてくる人々が多勢であっても、そうした人々は思惑も利害もバラバラの「体同異心」であるゆえに、何事も成し遂げることはできないと述べられています。
反対に、大聖人の一門は少人数ではあっても、「異体同心」の団結によって必ず大事を成し遂げ、広宣流布を進めることができると断言されています。
御文の冒頭で大聖人は「一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし」と仰せです。一人であっても、心に「二つの心」、例えば迷いや葛藤があれば、何事も成就することはできません。
自身の心の迷いや葛藤に打ち勝ち、「何があっても絶対に勝つ!」と一念を定めて「一人立つ」ことが異体同心の団結を築く要となります。
さらに一人一人が、団結と、そのための自身の人間革命を心掛けて、仲良く励まし合いながら前進する時、「百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず」と仰せの通り、勝利の道を開くことができるのです。
池田SGI会長は「戦いの中で、皆が心を合致させて祈り、大いに励まし合いながら、『異体同心の前進』を加速していくならば、どんな壁も破ることができる」と述べています。
師匠の大願に心を合わせた異体同心の華陽のスクラムで、「"師弟勝利の花"満開月間」を勢いよく前進していきましょう。

◇理解を深めよう 「一善にかつ事なし」
日蓮大聖人は本抄で、「悪は多けれども一善にかつ事なし」(御書1463ページ)と仰せです。「一善」とは、妙法の力を現して悪と戦い、前進する大聖人一門を指すと拝されます。
当時、大聖人門下が活発に弘教に励んでいた駿河の熱原地域では、大聖人一門に反発する勢力からの不穏な動きが出始めていました。
そして、弘安2年(1279年)、熱原の大聖人門下への弾圧の激しさは頂点に達します。具体的には、20人の農民信徒が不当逮捕され、法華経の信仰を捨てるように脅されました。しかし、命を奪われる者が出ても、誰一人、退転することはありませんでした。
権力をもってしても、広布を目指す民衆の信仰の絆を断ち切ることはできなかったのです。
異体同心の信心の団結によって、いかなる大難も乗り越えることができます。現代にあって、世界192カ国・地域に広がる創価家族の連帯は、そのことを雄弁に物語っています。
民衆の幸福の拡大を目指す創価学会は、どんな圧迫もはねのけながら、対話によって善のスクラムを広げ、大聖人の仰せ通りに世界広布を現実のものとし、人類に貢献する団体へと発展してきました。
池田SGI会長は、励ましの対話によって相手の心を開き、勇気と希望の光を送り、善なる人間と人間の連帯をつくりあげていくのが創価学会の運動であると語っています。勇んで仏縁を広げ、希望のスクラムを広げていきましょう。

◇SGI会長の講義から
「師弟不二」と「異体同心」は、本来、切り離せるものではなく、車の両輪の関係にあります。どこまでも師と心を合わせる「師弟不二」の精神がなければ、本当の「異体同心」の団結は実現できません。また、どこまでも和合僧を大切にして、「異体同心」を実現する努力がなければ、本当の不二の弟子であるとは言えない。(中略)
一切の勝利は、「異体同心」の組織を構築できるかどうかにある。

「心こそ大切」です。我が一念を定めることが、勝利への軌道を確立することになります。一切は、自分の一念の変革から始まります。
「異体同心」の団結を築くことも同じです。"自分は悪くない、他人が悪い"と言って、互いに責め合っていれば、永久に「異体異心」のままです。(中略)
だからこそ、自身の人間革命を根幹にしなければ、「異体同心」の絆を作ることは不可能です。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第3巻)

2016年6月21日火曜日

2016.06.21 わが友に贈る

共戦の絆も強き
大神奈川の同志よ!
正義の電源地から
立正安国の師子吼を!
民衆の凱歌高らかに!

南部六郎殿御書 P1374
『誹謗の者に親近すれば所修の善根悉く滅して倶に地獄に堕落せん』

☆四季の語らい
宗教の使命は、人間への奉仕である。宗教的権威のために、人間がひざまずかされるようであっては本末転倒といってよい。したがって、人権の擁護へ、宗教者は、殉教をも辞さず、立ち上がらなければならない。

☆女性に贈ることば 六月二十一日
人間関係には、その人の境涯が表れる。人間関係を広げることは、境涯を広げることに通じる。

☆今日のことば365 六月二十一日
人を身なりで判断しては決してならない。その人が、将来どうなるか、どんな使命を持った人か、身なりなんかで絶対に判断がつくはずがない。家や、身なりで人を判断することだけは、してはいけない。

☆御書と歩む 第19回 障魔を打ち破って進め
『生死をいで仏にならむとする時には・かならず影の身にそうがごとく・雨に雲のあるがごとく・三障四魔と申して七の大事出現す』(三沢抄、P1487)

◇通解
生死を出離して仏に成ろうとする時には、必ず影が身に添うように、雨の時に雲があるように三障四魔といって七つの大きな障魔が現れてくるのである。

◇同志への指針
広宣流布の前進とは、常に障魔との戦いの中にある。魔の本性を鋭く見破り、立ち上がるのが仏の智慧である。
ゆえに障魔を越えてこそ、広宣流布は拡大する。自身の人間革命もできる。正法を実践して競い起こる難は、全て一生成仏の推進力となる。
「なぜ自分が」などと嘆く必要はない。「今こそ宿命転換の好機なり」と、勇気ある信心で断固と打ち勝っていくのだ。

2016年6月20日月曜日

2016.06.20 わが友に贈る

◇今週のことば
青年の正義の声こそ
民衆を守る要塞なり。
鋭く信念の師子吼を!
友情のスクラム愉快に
青春の勝利劇を飾れ!
2016年06月20日

御義口伝巻上 P737
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり、傅大士の釈に云く「朝朝仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と云云』

☆四季の語らい
師と向かい合うのではなく、師と同じ方向を見ながら、師とともに生きることが、弟子としての哲学である。

☆女性に贈ることば 六月二十日
子どもが本当に悩んでいる時に、両親がちぐはぐきとを言っては、子どもが迷ってしまう。
夫婦の連携と心構えが大切です。子どもの話をよく問いてあげて、心から安心できるようにしてあげたいものです。

☆今日のことば365 六月二十日
大成は、小成の延長なり。小成の連続が、大成の一歩と自覚せねばならぬ。勝利は、現在の一歩一歩を、忍耐と建設によってのみ、達成できるものだ。

☆御書と歩む 第18回 妙法は絶対の幸福の軌道
『法性の空に自在にとびゆく車をこそ・大白牛車とは申すなれ、我より後に来り給はん人人は此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候、日蓮も同じ車に乗りて御迎いにまかり向ふべく候』(大白牛車御消息、P1584)

◇解説
法性の空へ自在に飛びゆく車を大白牛車とはいうのである。私(日蓮)より後に来る人々は、この車に乗られて霊山へおいでになるがよい。その時、日蓮も同じ車に乗ってお迎えに向かうであろう。

◇同志への指針
妙法を唱え、広布に走る生命には、三世永遠に壮大な幸福境涯が約束されている。金銀等の七宝で飾られ、六万余の仏菩薩と共に法性の空を駆け巡る荘厳なる大白牛車は、その象徴だ。
御本仏が、この大白牛車で迎えに来てくださるとまで仰せである。生々世々、無量の福徳に満ち、「生も歓喜、死も歓喜」の境地に包まれゆくことを大確信されたい。

2016年6月19日日曜日

2016.06.19 わが友に贈る

人に会おう!
友と語ろう!
大きく動けば
仏縁と境界が広がる。
さあ壁を破る挑戦を!

乙御前御消息 P1220
『法華経は女人の御ためには暗きにともしび海に船おそろしき所にはまほりとなるべきよしちかはせ給へり』

☆四季の語らい
心は揺れる。その自分の心を基準とし、「心を師」とするかぎり、いつまでも、迷いの人生を歩むことになる。揺るぎなき「心の師」を基準に生きれば、迷わない。そこに、信仰を根本とした「師弟の道」のありがたさがある。

☆女性に贈ることば 六月十九日
生きる歓びをもてる人は、幸福の女王である。
生きる歓びを見いだせる人は、魂の勝利者である。

☆今日のことば365 六月十九日
読書は、根気のいる労働です。一冊の本を、最初から、最後まで読みとおすことは、忍耐が必要です。しかし、人間にとって大事な、ものの考え方や、心の動きは、じっくり本を読むことによってこそ、学びとることができるのです。

☆新時代を創る 第17回 今再び常勝の民衆城を
「婦人部の日」の10日、恩師記念会館を訪れた。
戸田先生のもとから出発して65周年。不滅の原点を偲び、尊き婦人部の皆様をはじめ、全同志のご健康とご長寿、ご多幸を祈って、妻と勤行・唱題した。
会館には、大阪の戦いの際、恩師の誕生日に交わした和歌が掲げられていた。
私が常勝の民衆城を築く決意を託して、戸田先生にお贈りした和歌は——

関西に
 今築きゆく
  錦州城
 永遠に崩れぬ
  魔軍抑えて

先生が即座に認めてくださった返歌は——

我が弟子が
 折伏行で
  築きたる
 錦州城を
  仰ぐうれしさ

60年前、我らは師と共に戦い、師と共に勝った。
今、新時代の「まさかが実現」へ、広宣流布の金字塔を打ち立てようと、全国、全世界の友が前進している。いかなる試練もバネにして、勇んで祈り、走り、語り、自他共に幸福の太陽を昇らせゆく同志の奮闘を、恩師がどれほど喜ばれているか。
大聖人は仰せである。
『かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり』(P903)
御聖訓に寸分違わぬ仏道修行こそ、学会活動である。御本仏と一体不二の使命に生き抜く我らだ。この深き宿縁を自覚すれば、無限の勇気と力が湧いてくる。
◇ ◆ ◇
御本尊の向かって左側には「有供養者福過十号(供養する有らん者は福十号に過ぐ)」とお認めである。十種の尊称をもつ仏を供養するよりも功徳は大きい、と。
御本尊が一切をお見通しである。大闘争の中でこそ、無量無辺の大功徳を積める。宿命転換も早い。これが創価の勝ち戦のリズムだ。
仏法には、少しの無駄もない。一緒に動き、挑みゆく中で、新しい人材も育つ。
法のため、友のため、社会のために、思い切り行動し、一人一人が大果報を勝ち取りながら、広布の大願を成就していくのだ。
立正安国の対話を広げ、信頼と友情の花を咲かせつつ、皆で創価の万歳を!

2016.06.18 わが友に贈る

「確信ある声」
「真剣な言葉」が
相手の心を変える。
一度の出会いを大切に!
大生命力で絆を結べ!

御義口伝 P708
『経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す之を名けて経と為すと』

☆四季の語らい
人生には「師」が必要である。人間だけが「師」をもつことができる。師弟の道によってこそ、人間は人間としての最高の宝を学べるのである。

☆女性に贈ることば 六月十八日
「相対的幸福」とは、経済的な豊かさや社会的な地位など、自分の外の世界から得られる幸福である。それは、ひとたび環境や条件が変われば、いともたやすく崩れ去ってしまうものだ。
それに対して、「絶対的幸福」とは、いかなる困難や試練にも負けることなく、生きていること自体が楽しくて仕方ないという境涯の確立である。

☆今日のことば365 六月十八日
才能には限りがある。運、不運も重要な鍵になってくる。賢者必ずしも、成功者になれるとは限らぬ。愚かそうに見える人が、また思いもよらぬ大成をなすこともある。

☆随筆 永遠なれ創価の大城 第7回 創価の女性の六月
◇幸福常勝の太陽万歳!
◇希望と励ましの連帯は無敵なり
六月十日は、我ら創価家族の尊き母たちの大切な原点の日である。
結成六十五周年の「婦人部の日」を、皆で感謝を込めてお祝いしたい。
本当におめでとう!
いつもありがとう!
さらに、六月四日は、世界の華陽姉妹の記念日であり、広布の華・女子部の清らかな笑顔が一段と明るく咲き薫った。
日蓮大聖人の法門は「太陽の仏法」である。
『今法華経の時こそ女人成仏の時・悲母の成仏も顕われ』(P223)と仰せの如く、女性の生命が最高に輝き渡る法理である。今や妙法を唱える女性たちの活躍が、世界中で慈愛の陽光となって人びとの心を照らし、温める時代に入った。
先月、SGIの研修会に参加されたコートジボワールの友は、「太陽の仏法」が必ず世界を照らしゆくとの仏法西還の誓願が記された「諫暁八幡抄」を学び合った。
「ホッシャクケンポン(発迹顕本)支部」——誠に崇高な名前を冠した支部で婦人部長を務める友からの報告も伺った。
民族間の紛争や伝染病の蔓延など過酷な現実にも怯まず、題目の師子吼を響かせ、勢いよく対話に駆けておられる。
「私たちが『ソレイユ(太陽)』となって、アフリカの女性が輝く時代を必ず切り開きます!」
御本仏が願われていた一閻浮提の「女人成仏」、一切衆生の「発迹顕本」へ、希望の光彩はいやまして地球を包んでいる。

◇尊き慈悲の実践
「諫暁八幡抄」には、『一切衆生の同一苦は 悉く是日蓮一人の苦と申すべし』(P587)との大慈悲が示されている。
この御本仏の闘争に連なり、人びとの苦悩にどこまでも同苦し、「抜苦与楽」の慈悲の実践を現実社会の中で繰り広げているのが、創価の女性たちである。
自らも悩みや苦しみと戦うからこそ、同苦できる。一緒に題目を唱え、苦難に負けない「師子王の心」を取り出して、一歩一歩、幸の道を力強く進んできたのである。
先日も、埼玉の友の元気な近況を懐かしく聞いた。私が青年部の第一部隊長の頃、県内の各地を家庭訪問や座談会に動く中でお会いした女子部の方たちである。
「水の流れるような信心を!」と約束した通り、九十代、八十代となっても不退の心で、仲良き"華陽姉妹"は"多宝姉妹"として、各支部の最前線で、使命の対話を積み重ねておられる。
お世話になった座談会場のお嬢さんも、立派な埼玉婦人部のリーダーと光っている。
わが師・戸田城聖先生が「一人ももれなく幸福に!」と望まれた如く、それぞれに挑んだ学会活動の歴史は、全てが自他共の幸福勝利の足跡となっていくのだ。

◇タンポポの笑顔
現実の悩みは絶えない。言うに言えない辛労に涙する時もあろう。
だが、創立の父・牧口常三郎先生は、獄中から「心一つで地獄にも楽しみがあります」と家族に書き送られた。
先師が命を賭して教えてくださった精神の宝こそ、「一念三千」の法理である。一念の心の変革が、一切を変えていく。ゆえに、心を強く、また賢く育んだ人は幸福だ。
胸に蘇る一詩がある。
「踏まれても 踏まれても なお咲く タンポポの笑顔かな」——私が関西の友と、幾度も心に刻んできた詩である。
大地に深く根を張り、笑顔の花を咲かせる小さな太陽・タンポポの如く、妙法受持の女性たちは、いかなる宿命の嵐にも、凜然と顔を上げた。朗らかに「冬は必ず春となる」の勝利劇を、現実に示し切ってきたのである。

◇"白菊"薫る熊本
「おお 明るい母の声こそ勇気の響きなり
母を思えば乗り越えられぬ試練はない」
信濃町の創価世界女性会館にある「母」の歌の碑文に、私は綴り贈った。
思い返せば、"女性のための会館"の先駆けは、熊本の阿蘇にあった九州白菊講堂である。
阿蘇地方には、「孝女白菊」——西南戦争で行方知れずとなった父を探し、旅に出る乙女・白菊の物語が伝わる。四十年ほど前、熊本で若き女性のための法城を願う声が上がった折、こうした話が縁となり、"白菊講堂"の誕生に至ったのである。
一九八一年(昭和五十六年)師走、私が訪れたのも、この講堂であった。
今回の熊本地震では、本年二月に新築完成した阿蘇白菊会館が、被災者の一時避難所、救援活動の堅固な拠点となった。不眠不休の友の献身に、安堵の笑みが広がった。
なかんずく、母たちの励ましは、あまりにも温かく尊貴である。
大聖人は、女性の団結の大切さを『同心なれば』(P1324)、『常によりあひて』(P1114)と仰せになっている。
生々 世々、我らは異体を同心とし、苦楽を分かち、越すに越されぬ坂をも勝ち越えていくのだ。
この"希望と励ましの花綵"は、北は北海道・東北から南は九州・沖縄まで、日本列島の津々浦々に広がっている。
壮年部の"ブロック五勇士"また男女青年部の拡大の陰でも、どれほど婦人部が支えてくださっていることか。

◇"婦女一体"の絆
「孝女白菊」は明治の国文学者・落合直文により詩に詠まれた。恩師がお好きだった"大楠公"も、彼の名作の一つである。
"大楠公"といえば、阪神・淡路大震災から五年後(二〇〇〇年)に、楠木正成ゆかりの湊川に近い神戸の長田文化会館を訪問できたことが忘れられない。震災当時、避難所としてフル回転した会館である。この日、館内の一室で、朗々たる題目が響いていた。
婦人部の皆様方が神戸の復興を、全同志の幸福勝利を、厳然と祈ってくださっていたのである。
ああ、この尊き母たちの祈りが「常勝の太陽」を昇らせてきたのだ!
私は、広間のピアノで"大楠公"を奏でるとともに、地元の同志と追善の勤行を行い、語った。——人生は幸福になるための戦い。妙法を唱え、戦う人は、どんな苦難も乗り越える力と自分自身を築いていけるのです、と。
七年前(二〇〇九年)の六月四日、創価女子会館を妻と訪問した時も、私は"大楠公"を弾いて若き友に贈った。父子の詩の意義を込めて。
女子部の友は、「華陽の誓い」の歌を清々しく歌い上げてくれた。見守る婦人部の先輩たちも嬉しそうであった。
わが"婦女一体"の麗しい連帯がある限り、学会は永遠に未来の門を開いていける。私と妻の心も晴れやかであった。

大聖人は『母の御恩忘れがたし』(P1398)と言われた。尾張国(現在の愛知県)に住んでいたとされる女性門下へのお手紙の一節である。
大聖人は、法華経こそ最高の父母孝養の経であると示され、中部有縁の女性に『この法門を善知識(善友)に会って、何度も聞いていきなさい』(P1401、通解)と励まされている。
会って話を聞く。会って語り合う。励まし合って共に立つ。広宣流布も、ここから始まる。
今、その後継の女性たちが、喜び勇んで正義を語り抜き、"諸天舞え"との信力・行力で、前進してくれている。

◇生命世紀の走者
先日、アメリカのオバマ大統領が広島を訪れ、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花し、"核なき世界"へ決意を表明する演説を行った。
一九七五年(昭和五十年)、広島で開催した本部総会以来、私は、世界の指導者は原点の地・広島を訪問し、原爆の悲劇を直視すべきだと訴えてきた。核廃絶の未来へつながる一歩に感慨は深い。広島、長崎さらに沖縄をはじめ、平和への祈りと行動を貫いてきた母たちの思いもいかばかりか。
創価の平和運動の淵源は、恩師の原水爆禁止宣言である(一九五七年)。実はその二カ月後、神奈川で総会を行い、被爆体験や原爆問題の研究発表に取り組むなど、恩師の遺訓の継承に先駆したのは、わが女子部であった。
平和と生命尊厳の世紀の走者こそ女性たちだ。
「太陽の時代」を提唱した未来学者ヘンダーソン博士は、ご自身の母上に、こんな歌を贈られた。「本当の勇気とは、日々、人のために働くこと。本当の勇気とは、見返りも賞讃も求めずに、未来を信じ続けること」と。
母の翼の下で人は生まれ、育まれ、成長する。この母の恩には、どれほど感謝しても足りない。誠実と行動をもってしか応えることはできない。
この母の心に合掌し、庶民の幸福のため、社会の繁栄のために奮闘する正義の人材群を送り出していく。ここに「立正安国」の確かな勝利がある。
ゆえに我らは、創価の母である婦人部と共に、そして、従藍而青の女子部と共に、輝く生命の光を広げゆこう!
人類が待ち望む「人間世紀」の建設へ力走だ。今日も元気で!

太陽の
 母娘のスクラム
  にぎやかに
 声を光と
  希望 放ちて

2016年6月17日金曜日

2016.06.17 わが友に贈る

不屈の大埼玉よ!
師子王の心を燃やし
今こそ真実を叫び抜け!
険難を乗り越え
断じて栄光の頂へ!

兵衛志殿御書 P1095
『喩えば水すくなくなれば池さはがしく風ふけば大海しづかならず、代の末になり候へばかんばちえきれい大雨大風ふきかさなり候へば広き心もせばくなり道心ある人も邪見になるとこそ見へて候へ』

☆四季の語らい
どのような運動も、絶えず"何のため"との根本目的に立ち返ることがなければ、知らず知らずのうちに、手段や方法が独り歩きし、本来の目的から外れてしまうものだ。そうなれば、一時期は華々しい前進を遂げたように見えても、結局は空転し、最後は停滞する。

☆女性に贈ることば 六月十七日
正義の女性の雄弁に、かなうものはない。
真剣な女性の声に、勝るものはない。

☆今日のことば365 六月十七日
一見ムダと見えるものこそ、人間的な生き方を生みだしている要素であり、そうしたムダのなかにこそ、いわば、人間らしさがあり、その本然的姿勢のなかに、究極としての生命の尊厳を守るクッションがあるのではないかと思う。

☆6・7「高等部結成記念日」 52周年の大会にSGI会長がメッセージ 2016年6月7日
◇さあ挑戦を開始せよ 題目こそ勝利の源泉
日本の未来、そして、世界の未来を開きゆく、わが高等部の皆さん! 晴れやかな結成記念の大会、誠におめでとう!
高等部の結成記念日は、6月7日。
その前日の6月6日は、創価の父・牧口常三郎先生の生誕の日です。本年で145周年の佳節を迎えます。
牧口先生は、「学は光」、すなわち学ぶことは無知や憎悪や不幸の闇を打ち破る光であるとの確信に立って、生涯、学び抜かれた大教育者です。
この地球上の地理と人類の営みも、壮大なスケールで探究されました。
創価学会は、この牧口先生の向学の心を受け継ぐ「学ぶ会」なのです。
その誇り高き後継者の皆さんは、「学ばずは卑し」(学ばないということは卑しいことである)との気概で、勇んで勉学に挑んでいってください。
とともに、牧口先生は、正義のために、恐れなく戦い抜く勇者でした。
戦争中、軍部政府の弾圧にも屈せず、平和の信念を貫き通されました。
先生は「羊千匹よりも獅子一匹たれ」と叫ばれ、臆病な人が千人いるよりも、勇気ある人が一人いれば、大きな事を成し遂げることができると訴えられています。
「勇気」は、青春の魂です。「挑戦」は、青春の飛躍台です。
青春時代の"勇気の一歩""一つの挑戦"は、人生のいかなる時期よりも、千倍、万倍の力が発揮できる。その源泉こそ題目という師子吼です。
今、題目を唱えながら、勇気の挑戦を重ねる人が、未来に必ず勝利できるのです。
日蓮大聖人は、いかなる大難があろうとも、『いまだこりず候』(P1056)と仰せになられました。
何ものにも負けない不屈の負けじ魂が、学会精神です。
さあ、全世界の創価家族が皆さんの成長を祈り、心待ちにしています。
私と共に、よき同志と共に、今、ここから、負けじ魂を燃え上がらせて、勇気凜々と粘り強く前進していこう! 
強く賢く朗らかに、健康第一であれ!

2016年6月16日木曜日

2016.06.16 わが友に贈る

時は宝なり。
限りある時間を
最大に価値あるものに!
強気祈りを根本に
聡明な行動を!

薬王品得意抄 P1501
『法華経は闇夜の月のごとし法華経を信ずれども深く信ぜざる者は半月の闇夜を照すが如し深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し』

☆四季の語らい
師の偉大な「構想」も、弟子が「実現」していかなければ、すべては幻となってしまう。師の示した「原理」は「応用」「展開」されてこそ価値をもつ。

☆女性に贈ることば 六月十六日
自分自身の心の決意の仕方で、いかようにも、人生は勝利できる。幸福になれる。それは、歴史が証明している。

☆今日のことば365 六月十六日
人生において、友人ほど大切なものはなしい、また友情ほど美しいものはない。どういう友人を持っているかで、その人柄がわかるとも言われるほどだ。

☆四季の励まし 幸福博士の花の冠をあなたに 2016年6月5日
◇婦人部結成65周年を讃う
私ども夫婦の切なる願い。
それは、
"あまりにも健気な
創価の女性の皆様方の頭に、
いかなる宝冠の輝きも及ばぬ
「幸福博士の花の冠」を
被せて差し上げたい。
さらにまた、
「絶対勝利の花の冠」を、
「常楽我浄の花の冠」を
贈りたい"という一点である。

世界中から、
母たちを泣かせる悲惨をなくし、
母と子の笑顔光る
平和な社会を創る。
この限りなき挑戦が
「立正安国」である。
一番、苦労してきた母たちに、
一番、幸福になってもらうために、
私たちは断じて
妙法を弘めゆくのだ。

母の祈りには、限界がない。
行き詰まりもない。
臆病も弱々しい迷いもない。
ひたぶるな祈りの底には、
絶望やあきらめを追い払う
勇気が燃えている。
妙法の祈りは、
断じて勝つという誓願だ。
祈ったその時に、
すでに未来の勝利を
深く決するのである。

母は、一切を育む
創造と教育の大地である。
その大地が、ひとたび動けば、
すべては変わる。
母が家庭を変える。
母が地域を変える。
母が社会を変える。
母が時代を変える。
そして、母が
世界を平和へと変えていくのだ!

アネモネ、フリージア、アジサイ——。彩り豊かに、花々が咲いている。1993年(平成5年)3月、アメリカ・サンフランシスコで、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が撮影した1枚である。
雨にも、風にも負けず、それぞれが、自分でなければ咲かせることのできない花を、精いっぱい咲かせながら、百花繚乱の光を放つ。その姿は、健気で強い、創価の母たちのようだ。
6月10日は結成65周年の「婦人部の日」。婦人部の絶対勝利の祈り、青年や子らを育む慈愛、地域を変えゆく勇気と忍耐の行動で、今日の世界広布は開かれてきた。
その労苦に深い感謝をささげつつ、母の幸福の笑顔が花咲く時代を築いていこう。

2016.06.15 わが友に贈る

仕事で苦闘する友よ
断じて負けるな!
無限の希望と勇気
智慧の源泉が信心だ。
周囲も温かな激励を!

御義口伝巻下 P790
『一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり』

☆四季の語らい
「本物の道」が一つあれば、人生に迷うことはない。それが「師弟の道」である。師匠の道を歩み、師匠の道を広げながら、そこにさまざまな花を咲かせ、実を結ばせていく。それが弟子の道である。

☆女性に贈ることば 六月十五日
子どもの人格を尊重するとき、子どもは人間尊重を学ぶ。家庭にあって、小さなよき社会人として育つのである。

☆今日のことば365 六月十五日
人間というものは、勝手なもので、自分に都合の悪い時には、白を黒と平気で考える。殊に、弱い人間ほどそうだ。しかし、数字というものは、そうはいかない。マイナスなのをブラスであるとは、どうしても考えるわけにはいかない。歴然たる事実を正確に明かしているだけだ。それを率直に認めるには、やはり強い勇気がいるものだ。

☆勝利の人間学 第97回 華陽の青春を朗らかに!
◇一人も残らず幸福の勝利劇を
戸田先生は、女子部を励まされた。
『もったいなくも、御本仏と同じ生命を持っている自分自身に誇りをもちなさい。気高い心で、人生を勝ち抜くことです』と。
最極の生命哲学を学び、実践する青春が、どれほど尊貴であるか。ゆえに、他人の言動に振り回されて、自信をなくす必要などない。自分は自分らしく、妙法と共に、同志と共に、朗らかに広宣流布に走りゆくのだ。
正しき信仰によって福運をつけた女性には、誰も敵わない。今はたとえ大変な境遇にあっても、この信心に生きる乙女は、一人も残らず、幸福の勝利劇を飾りゆくのだ。

◇福智の光で周囲を照らせ
日蓮大聖人は、健気な信心を貫く女性に、『百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかるくなる』(P1403)と教えられた。
わが創価の乙女こそ、福智の太陽である。
いかに時代が暗くとも、聡明な女子部がいれば、希望の智慧で照らしていける。
殺伐とした社会でも、華陽姉妹のスクラムがあれば、慈愛の温もりを広げていけるのだ。
太陽は何があっても弛まない。いかなる闇にも怯まない。何ものにも光を惜しまない。
毎朝の勤行・唱題で、久遠元初の太陽をわが生命に赫々と昇らせて、家庭も、職場も、地域も、常寂光土へ輝かせていこう!

◇励ましの種を友の心へ!
一番苦しんできた人が、一番幸福になる。どんな宿命も、絶対に転換できる。そう言い切って、悩める友に手を差し伸べ、一緒に乗り越えてきた。これが永遠の学会精神である。
心田に植えられた『励ましの種』は、やがて芽を出し、大きく花開く時が必ず来る。御聖訓には、題目の力用について、『一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり』(P557)と仰せである。
一人また一人に題目を送りながら、仏性を呼び覚まし、蘇生のドラマを創りゆくのだ。
華陽の友よ、楽しく賑やかに生きよ!
女子部の青春勝利を、私は祈り待っている。

2016年6月14日火曜日

2016.06.14 わが友に贈る

地区部長・婦人部長の
尊き奮闘に最敬礼!
皆様の力走ありて
地域の発展は磐石なり。
わが使命を果たしゆけ!

撰時抄 P273
『大海は広けれども死骸をとどめず大地は厚けれども不孝の者をば載せず、仏法には五逆をたすけ不孝をばすくう但し誹謗一闡提の者持戒にして第一なるをばゆるされず』

☆四季の語らい
ひとたび、わが胸に抱いた使命感を、最後の最後まで、赤々と燃やし続けていくのは大変なことである。そのためには、どうしたらいいのか? それには、志を同じくする人々と「団結」することである。

☆女性に贈ることば 六月十四日
華やかな境遇や格好に憧れたり、うらやんだり--浅はかな見栄に左右されることは、愚かである。愚かであることは、不幸である。
一歩、深く賢く、人問の生きざまを見抜くことだ。その人は哲学者である。ゆえに常に、幸福の命をもっている人だ。

☆今日のことば365 六月十四日
少年期の自我の目覚めは、ただ、それだけでは、ほかの人々と自分とを区別しよう、なんとなく、両親や、先生に、反抗してみたいという、感情的なものにすぎません。この目覚めた自我を、正しくリードし、自分の人生にひとつの方向性を与えていくのが、読書のもたらす、最大の効用であると、私は思います。

☆希望の虹 第27回 作家 井上靖さん
◇えんぴつを持つ勇気!
1本のえんぴつには、ふしぎな力があります。その力は、えんぴつを持つみなさんによって、いくらでも引き出すことができます。
それが「文を書く」という挑戦です。「作文」という冒険なのです。
もちろん、書くことは大変です。
私も毎日、文を書いてきました。それでも、スラスラとは書けないものです。書いては直し、また書いては直して、もとのものとは、まったくちがってしまうことだってあります。
だから、毎年の「きぼう作文コンクール」に応募してくれる少年少女部のみなさん一人一人に、私から賞をおくって、ほめてあげたい気持ちでいっぱいです。
私は若い時、人生の師匠である戸田城聖先生から、「書いて、書いて、書きまくれ!」とはげまされました。
私には、「正しい人生とは何か」「希望とは」「幸福とは」「生命とは」「平和をつくるには」など、戸田先生から教えていただいた真実を、書いて世界に伝える使命があります。
そして、民衆のため、社会のため、人類のために、みなさんのおじいさんやおばあさん、お父さんやお母さん方と行動してきた歴史を、未来に残す責任があります。
だから、私はこれからも、書き続けていきます。
この「書く」という戦いを、みなさんが受け継いでくれることが、私の何よりの喜びなのです。

私は、作家の方々からも多くのことを学びました。その1人に、井上靖さんがいます。みなさんのなかにも、ものがたり『しろばんば』や『あすなろ物語』などを読んだ人がいるでしょう。
井上さんは1907年、北海道に生まれました。お父さんの転勤が多かったこともあって、おさないころは静岡県の伊豆に住むおばあさんにあずけられ、愛情たっぷりに育てられました。夏はカエルの大合唱、秋は虫の声につつまれる自然豊かなところでした。
そのおばあさんが亡くなり、中学に入ると、今度は親せきの家にあずけられました。それでも井上少年は、さみしくありませんでした。仲の良い友だちがいたからです。その友だちが読書好きだったこともあり、詩や歌、俳句、小説に興味を持つようになりました。
自分でも詩を作り始めました。
やがて新聞記者となって活やくした後、作家として名作を次々に発表されたのです。

私が井上さんとお会いしたのは、1975年のことです。もう40年以上も前になります。3時間半、語り合っても話はつきず、続きは手紙をやりとりして、月刊誌にのせることになりました。井上さんは67歳、私は20歳年下でした。
連載が始まる直前、私は3度目の中国訪問をして、日中の教育交流を進めていました。井上さんも、長年、日中友好に力をつくしてこられた方です。
最初にいただいたお手紙では、ご自身が中国を訪問した時のことを振り返り、記されていました。
──揚子江(中国で1番長い川)の岸で、手を赤くして甕(入れ物)を洗っている女性たちを見た。私もまたそのようなところで、そのようにして私の文字を書きたいと、言われたのです。
自分が特別だから文を書くのではない。悠々たる水の流れとともに、一生けんめいに文を書いていきたい。永遠の時の流れにも失われることのない、人間の誇りをとどめたい──その井上さんの心が伝わってきました。
このころ、井上さんは、長編小説に取り組んでいました。「今のところは深い霧の中にいるような思いであります。書いてゆくうちに私なりのわかりかたおも方をしてくるかと思います」
井上さんのような大文豪でも、書く前は、悩むものなのです。ねばり強く書き進めるなかで、何を書けばよいか見えてくるのです。ししんし見えてくるのです。
手紙では、大切にしている指針も紹介してくださいました。それは、人や物を見る時は「自分の目で見ること」でした。思いこみや、人から聞いた話ではなく、自分の目で正しく見たものを信じることでした。
その通り、井上さんは、創価学会がうそばかりの悪口をいわれた時も、真実の姿を見つめ、いささかも変わることなく信頼してくださいました。偉大な人とは、友情を貫く人のことです。
春夏秋冬にわたる私たちの手紙のやりとりは、後に『四季の雁書』として本になりました。「雁書」とは「手紙」を意味します。
最近、井上さんのご長女が出された本の中でも、お父様と私の交流のことを記してくださっていて、なつかしく拝見しました。

井上さんは、子どもたちの詩を大切にされていました。
第2次世界大戦が終わってまもなく、井上さんは児童向け雑誌の編集にたずさわったことがあります。その時、2人の少女の詩を読んで、おどろきました。
文をたくさん書いてきた自分自身が、「何もかも初めからやり直さなければならない」と思うほど、心をゆさぶられたというのです。
"小学校時代は、みんな、大人の詩人もおよばないほどの、するどい感性をを持っている"──と。
「詩を一篇書けば、それはもう誰でも詩人」とも、井上さんは言われています。
私も戸田先生のもとで少年雑誌の編集をしましたので、井上さんの気持ちがよく分かります。
みなさんがのびのびと書いた文章が、どれほど光を放っているか。
そこにこそ、未来の夢がある。人類の希望がある。世界の平和があると、私は信じています。

井上さんが人生の総仕上げに書かれた、忘れ得ぬ詩があります。

樹木も、空も、雲も、風も、鳥も、
みな生きている。
静かに生きている。
陽の光りも、遠くの自動車の音も、
みな生きている。
生きている森羅万象(宇宙)の中、
書斎の一隅(片すみ)に坐って、
私も亦、生きている。

この宇宙のありとあらゆるものには「いのち」があります。
それを言葉にして書き残す時、その瞬間から、「いのち」は未来に向かって生き続けていくのです。
文を書くことで、自分の思いを形にできます。それは、永遠の宝物になります。その文を読んだ人にも、思いが伝わります。
お父さん、お母さんへの感謝を書けば、親孝行です。大事な友人のことを書けば、友情のドラマになります。本の感想を書けば、その本と一生の友だちです。
えんぴつを持つ勇気を出せば、文は書けます。思い切って書き始めれば、知恵が出てきます。あきらめずに書き続けていけば、みんな、「ペンの勇者」なのです。
今年の夏も、伝統の「きぼう作文コンクール」があります。多くの先輩たちが、このコンクールをきっかけに、文章の力をつけ、大きく成長してきました。みなさんにとっても、自分の可能性を広げるチャンスです。
さあ、大空を見上げ、自分自身の「いのち」をかがやかせながら、思いを言葉にしてみよう。
君にしか書けない文がある。あなたにしかつづれない詩がある。なぜなら、みなさんは「生まれながらの詩人」なのだから!

2016年6月13日月曜日

2016.06.13 わが友に贈る

新聞休刊日

法華初心成仏抄 P550
『よき師とよき檀那とよき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり』

☆四季の語らい
組織というと、何か自由を束縛する、邪魔なものと感じる人もいよう。しかし、「自由」といっても、自分がどう進めばいいのか、何の道もなければ、「無軌道」になってしまう。道がなかったら、どう行けばよいのかわからないし、迷走してしまう。組織があるからこそ、弱い自分を律してくれるし、励まし、支えてくれる。行くべき軌道を歩んでいける。

☆女性に贈ることば 六月十三日
子育てには忍耐が必要です。人を育てることは、本当に手のかかるものです。すぐに思い通りにいかなくて当たり前です。
子育て、人材育成に関しては、「労少なくして功多し」という
ことはあり得ません。

☆今日のことば365 六月十三日
今日の戦いの 結果はどうか
  ただ頑張った 私らしく
今日の戦いに 悔いはないか
  有るといえばある 無いといえばない
今日の戦いに 恥ずる所なきか
  めめしい戦いでは なかったはずだ

☆未来の翼 第27回 マレーシアの木陰
◇「思いやりの世界」を広げる人に!
◇人々のために 社会のために 自分を磨き鍛えよ

──それは、200年前のマレーシアの物語です。
ある少年が、毎日、お父さんに語学の勉強をさせられていました。
"もう勉強は嫌だ!"
遊び盛りの少年は、ついに我慢ができなくなってしまいます。
すると、なぜ学ぶことが大切なのか、お母さんが優しく語り掛けてくれました。
「もし、私たちがあなたにある程度の財産を残したとしても、あなたの運が悪ければ、それは一瞬のうちに目の前から消え失せてしまうでしょう。
立派な知識と学問は、そのようなものではありません。命があなたの体から離れて行く時に始めて、それは離れて行くのですよ」と。
これは、マレー文学の古典『アブドゥッラー物語』の名場面です。
この父母の励ましを胸に、アブドゥッラー少年は、勉強に勉強を重ね、やがて"言語の教師"として歴史に名を残していくのです。
私は、この逸話が好きです。
「学ぶ」ということが、どれほど、かけがえのない宝であるか。その宝をこそ、子どもに託したい親の愛情が、どれほど深いか。胸に迫ってくるからです。
そして私の敬愛するマレーシアの父母たちと後継の若人も、この物語の如く、親子一体の尊い勝利の劇を飾っているからです。
マレーシアは、教育に力を注ぎ、人材が満天の星空のように輝く国です。

日本と、ほぼ同じ面積の国土に、マレー系、中国系、インド系など、多様な民族が共存する天地が、マレーシアです。
国教はイスラム教ですが、信教の自由が尊重されており、仏教やヒンドゥー教の祝日もあります。多彩な文化が交わり、マリンロード(海の道)の"黄金の国"と謳われる海洋貿易の要地です。
首都のクアラルンプールには、伸びゆくマレーシアを象徴するように、大きなビルやタワーが並んでいます。21世紀が開幕した2001年には、「マレーシア総合文化センター」が誕生し、わがSGIの同志が、良き国民、良き市民として、生き生きと活躍しています。
今年の創立記念日を目指して、マレー半島南端の都市・ジョホールバルに、「SGI東南アジア研修センター」の建設も進んでいます。アジアの平和の連帯のため、そして、その未来を担う皆さんのため、着々と手を打ってきました。
これまで、私は、1988年と2000年の2度、この美しき国を訪問しました。街の歩道には木々が豊かに生い茂り、そこを歩けば濃い緑の香りに包まれます。
常夏の国・マレーシアの日差しは、とても強い。その中にあって、街路樹の"自然の日傘"で陰のできた緑道が、道行く人々を守り、安らぎを贈っています。
街では、さまざまな言語で書かれた看板が、次々と目に飛びこんできます。マレー語、中国語、英語──。人々の会話では、言語を自在に使い分け、仲良くコミュニケーションを図っているのです。
街のいたるところで「思いやりの心」を発見できる。そんな温かな社会がマレーシアにはあります。
創価大学が交流協定を結ぶ名門マラヤ大学も、「人類のために学ぶ」という理念を、誇りも高く掲げています。
医学校として創立された当初から、他の国々から移住した人々への医療を充実させるなど、「生命への奉仕」「民衆への奉仕」を果たしてこられました。
「自分のため」だけではなく、「人々のため」「社会のため」に、という学びの挑戦の中でこそ、本当の自分の底力が発揮されます。
「思いやりの心」と「学びの心」という二つの翼を、家族や友人を大切にしながら、学校へ、社会へ、そして世界へと広げていこうと努力できる人は、自分を無限に強く、高めていくことができる人です。

古来、マレーシアは、中国やインドを結び、大陸から太平洋の方向へと南下する民族移動の地でもありました。
1927年、この「文明の十字路」を旅した一人の詩人がいます。インドの詩聖・タゴールです。
マレーシアのマラッカ、クアラルンプール、ペナンなどの都市を訪れた彼は、自らが創立した「タゴール国際大学」の建学理念でる「全人教育」「世界市民の育成」について語り、賛同を集めて歩きました。彼は、遠く離れた異国の地で、祖国・インドの文明が、他の文化と共存している姿を、深く心に刻んでいったのです。
タゴールは、「平和というものをは、外からくるものではなく、内から出てくるものなのです」と叫びました。友情や思いやりといった「内なる精神」の力が、真の平和を築くと考えました。大学を創立したのも、どこまでも青年たちの人間性を高めるためなのです。
わが創価大学には、「タゴール広場」があります。キャンパスでは、マレーシアやインドをはじめ各国からの留学生が、多様性を認め合いながら、共生と友情の絆を育んでいます。若き世界市民が励まし合いながら、グローバル社会の未来を担う英知の指導者に成長しゆく様子を、タゴール像も、じっと見守ってくれています。
「思いやりの心」と「学びの心」があれば、どんな違いがあっても、人類は共感し合い、皆の幸福と世界の平和のために、前進していくことができるのです。

タゴールとほぼ同時代を生きた創価教育の父・牧口常三郎先生の生誕から、今月で145周年になります(6月6日)。
牧口先生は、正義と勇気の教育者でした。軍国主義に突き進む日本では、子どもたちは「お国のために戦場へ」と教えられました。
その中で、牧口先生は、教育の根本目的は「子どもたちの幸福」であると断言したのです。いかなる迫害をも恐れない、師子王の叫びです。
とともに牧口先生は、誰よりも子どもたちを思いやる方でした。
若き日、北海道での教員時代、あかぎれの子どもがいれば、教室でお湯を沸かして手を洗ってあげたり、雪道を登下校する児童の手を引いたり、背負ったりされたことも、感謝を込めて語り継がれてきました。
東京での校長時代は、弁当を持ってこられない子どものために、自身の給料から、豆もちや簡単な食事を用意されてもいたのです。
誰も置き去りにしない「思いやりの心」──それが、創価教育の原点であり、学会精神です。

2000年、国立プトラ大学での式典の折、驚き、胸を打たれたことがあります。
マレー語でスピーチされていたカマリア教育学部長が、その最後を、じつに美しい発音の日本語で結んでくださったのです。
「世界平和という池田先生の『生涯の夢』が達成されますように」
学部長は何度も、日本語を練習してくださっていたのです。
語学の力が、友情をいかに深めるものか、あらためて心にしみ入りました。
ともあれ、真の知性の人には「思いやりの心」があります。真の人格の輝きがあるのです。
「法華経」に説かれる知性の人間像に、「観世音菩薩」がいます。観世音とは、「世音」すなわち世の中の「音」「動き」を公正に「観ずる」菩薩とされています。
この菩薩は、多様な現実に応じ多様な姿を現して、人々を救っていきます。
それは、仏の姿や、梵天、帝釈という大指導者の姿をはじめ、さらに王、長者、大臣、在家の男女、子どもの男女の姿です。あらゆる職業、立場、階層にわたる、全部で33のさまざまな姿を現じて人々を救うと説かれます。
そして、この観世音菩薩の相手を思いやる「智慧」と「生命力」は、唱題によって、わき上がってくるのです。
「どうしたら、この友を励ませるだろう」「どうしたら、あの友が笑顔になるだろう」、さらに「どうしたら、こうした難題を打開できるだろう」──真剣に、祈り、悩み、学び、智慧をしぼって行動していく。そうすれば、真心は必ず通じます。道は開かれます。
本当に賢い人とは、思いやりと真心で友情を広げ、あらゆる創意工夫を重ねて世界を変えていく挑戦者なのです。

マレーシア創価幼稚園を初訪問した際(2000年)、園内に、マレーシア・シンガポール・香港・札幌の「創価幼稚園の木」と、「創価学園の木」を記念に植えました。棕櫚というヤシ科の木々は今、青い葉を茂らせ、未来に伸びゆく人材の象徴となっています。
私は、マレーシアの友に詠み贈りました。

青春の労苦は
ことごとく未来大成の養分だ
それなくしては大樹は育たない
労苦とは鍛えの異名
飛翔のための
  尊き"心の財"なのだ
ゆえに
勇んで労苦を引き受け
友と同苦し
民衆に 社会に
奉仕しゆく利他の人であれ

大いなる理想に向かい、"信心の根っこ"を深く、がっちりと伸ばした人は、将来、自身の勝利の枝葉を、堂々と社会に広げていくことができます。
『根ふかければ枝しげし』(P329)との御金言の通りです。
マレーシアの未来部のメンバーも、友を、家族を、世界の人類を大きく自在に守りゆく大樹へと育ってくれています。
強い日差しにも負けずに枝葉を伸ばし、人々に、憩いと安心の木陰をもたらしてくれる、マレーシアの街路樹のように──。
マレーシアの同志の社会貢献はめざましい。国家の独立記念の行事での見事な活躍とともに、水害の復興にも尽力されています。さらに「ラン・フォー・ピース(Run For Peace)」という、平和を願っての大行進も大きな反響を呼んでいます。

日蓮大聖人は、仰せになられています。『蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり』(P1173)と。
青春時代は、生涯の土台をつくるチャンスです。
「広宣流布」即「世界平和」という大目的に向かって、学びに学び、鍛えに鍛えた若き生命は、知性と人格という「心の財」を限りつなく積んでいくことができます。
皆さんが、この豊かな「心の財」を粘り強く積み重ねながら、お父さん、お母さんも、そして世界の同志も、皆が喜び、喝采してくれる勝利の物語を、百年先、二百年先の未来へ示してくれることが、私の希望です。

2016年6月12日日曜日

2016.06.12 わが友に贈る

広布のための労苦は
全てが黄金の福徳に。
「賢者はよろこび」と
快活に動き語ろう!
徹して強気で前へ前へ!

南条兵衛七郎殿御書 P1498
『自身もきられ打たれ結句にて候いし程に、いかが候いけんうちもらされていままでいきてはべり、いよいよ法華経こそ信心まさり候へ』

☆四季の語らい
人間とは、「人と人の間」と書く。孤独は、気ままなようで、わびしい。自分の人格も磨かれないし、可能性も開かれない。いかに豊かな人間関係を築くか−−よき人間関係こそ、人生を彩る財産であろう。

☆女性に贈ることば 六月十二日
正しき行動の人は、たとえ無認識な人から軽蔑され、非難されようとも、必ず、その偉大さが証明されるようになる。また、真剣な行動は、心ある人の共感の眼差しをひきつけずにはおかない。

☆今日のことば365 六月十二日
人を尊敬してゆかなくてはならない。尊敬する人は、人から尊敬される。ちょうど、鏡の前に立ったのと同じである。おこれば、おこる顔だし、笑えば笑った顔がうつる。自分の姿で、すべてが決まるのだ。

☆未来の翼 第26回 メキシコの空港
◇夢への飛翔は「今ここから!」
◇「努力する才能」に勝るものはなし。喜び勇んで挑戦を!

晴れわたる希望の5月です。
5月3日は、「創価学会の日」です。それは、1951年、わが師・戸田城聖先生が第2代会長になられた日です。さらに1960年のこの日に、私も恩師の心を継ぎ、第3代会長に就任しました。
そして5月5日は、わが未来部の皆さんに次代の全てを託す、「創価学会後継者の日」です。
未来部出身の先輩たちは、青春の誓いを胸に、世界中で、社会のために奮闘してくれています。
中米・メキシコの詩人レイエスは、「私の家は地球である」とうたいました。これから、ますます、地球全体が、皆さんの活躍の舞台です。192カ国・地域の創価の地球家族も、皆さんが世界市民と躍り出て、思う存分にに乱舞してくれる日を、待ち望んでいます。

皆さんの道を開く一心で、私は世界54カ国・地域を歴訪してきました。その中でも、特別な意味を持った国があります。
それは「メキシコ」です。戸田先生が夢に見て、「行ってみたい」と念願していた国だからです。
私は、飛行機の給油で立ち寄ったことも含めて5回、訪問し、尊き同志たちと忘れ得ぬ出会いを刻みました。
メキシコは、近代日本が初めて平等条約を締結した国です。ラテンアメリカで真っ先に日本人移住者を迎え入れてくれたのも、メキシコです。日本にとって、大恩ある国なのです。
戸田先生は、そのメキシコに、強い関心を持たれていました。
メキシコに関する本を読まれ、折に触れて、私にも語ってくださいました。また、幼少期をメキシコで過ごした関西の婦人に、現地の生活の様子などについて、よく尋ねられました。その方の話を、うなずきながら楽しそうに聞かれていた笑顔が、忘れられません。 そして1958年、亡くなる前月の3月、広布と人生の願業を成就された戸田先生は、ある朝、私を枕元に呼んで語られました。
「大作、メキシコへ行った夢を見たよ」「待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな」──その夢を携えて、私は不二の弟子として、世界を駆け巡ってきたのです。
今、メキシコ広布は、目を見張るほどの大発展を遂げています。私が第一歩を印した1965年以来、尊き同志たちは、「良き市民」「良き国民」として誠実に社会貢献の人生を歩んできました。広布50周年の佳節を迎えた昨年11月には、メキシコ市の中心に、念願の「メキシコ平和文化センター」が誕生しました。
恩師が満面の笑みで喜ばれる姿が、私の目に、ありありと浮かんできます。

20年前の1996年6月、私は、コスタリカから、メキシコのベラクルス国際空港に向かいました。アメリカへの経由地として、メキシコに立ち寄ることができたのです。その機中、私は一詩を詠みました。

おお!
偉大なるメキシコ
わが恩師が愛し憧れし 天地よ
「待っていた。
みんな待っていたよ」──
恩師が 夢見し
不思議なる縁の同志よ!……

空港のロビーに降り立つと、そこには、戸田先生の夢見た通りの世界が広がっていました。熱気に満ちた数百人の友。生き生きと輝く瞳。はじける信仰の大歓喜に、私の胸も揺さぶられました。
わずかな時間でしたが、勇み集った同志と共に永遠の時を刻む思いで、記念撮影も行いました。
「どうか、一人ももれなく、力強く生き抜いてほしい。幸せになっていただきたい」──私は、メキシコの全同志の人生勝利を祈りつつ、滑走路へ向かう飛行機の機窓から、空港ビルで手を振るメンバーにカメラを向けました。
機中で、私は即興の詩を詠み、再度、友に贈りました。

……ここにも 懐かしき
創価の友がいた
ここにも 使命に燃える
地涌の友がいた

あの日、ベラクルス国際空港で、青・黄・赤の旗を振って、真心の歓迎をしてくれた少年少女に、私は語り掛けました。
「皆さん、ありがとう! 皆さんのことは、忘れません。大きくなったら、日本にいらっしゃい!」
その中に、「ヨウコソ!」と日本語で花束を手渡してくれた、一人の少女がいました。私の呼び掛かけに、少女は、「いつか、必ず日本に行こう!」と固く決意したといいます。
メキシコから見て、日本は地球の反対側。飛行機でも丸1日を要します。お金の工面も大変です。それでも彼女は、夢を思い描き、心躍らせながら、「どうすれば、日本に行けるか」と具体的に祈り、一生懸命、勉強を重ねました。
その後、大学、大学院を経て、大手の石油会社に就職。社会で実証を示しながら、白蓮グループなど学会活動に元気に励みました。そして2011年のSGI研修会に、女子部のリーダーとして、念願の来日を果たしたのです。
私は妻と、その報を聞き、「本当に来てくれたんだね。うれしい!」と伝えました。彼女は、「創価の心を、メキシコ中に広げていきます!」と、今日もメキシコ広布に走り抜いています。
メキシコで最も著名なピアニストの一人、アレハンドロ・マトスさんとの出会いも忘れられません。1981年3月5日、メキシコ・ハリスコ州の芸術局長だったお父さまが、私たちをグアダラハラ市のご自宅に招いてくださったのです。
当時、16歳で、ピアニストを目指していたマトス青年は、瞳を輝かせて、ピアノ演奏を披露してくれました。その流麗な響きに、美しい心と大きな可能性を感じ、私は真剣にエールを送りました。「大音楽家になってください」「何があっても負けないで!」と。
以来、35年。「皆に勇気を送る音楽家に!」と志も高く、ピアノの練習に力を注ぎ、今や、マトスさんは、音楽の国オーストリアから国家勲章を受章するほどの世界的なピアニストとして輝き光っています。私たちとの心の交流も、深く続いています。
夢をかなえた人たちに共通していること──それは「根性」であ「努力」です。
「結局は『努力より才能』だ」という大人もいるかもしれない。しかし、私は断言します。
「『努力する才能』に勝るものはない」。それは、「誰にも等しくそなわっている」と。
努力を重ねても、思うようにいかないこともある。悔しい思いをし、失破に傷つくこともある。しかし、努力する中でこそ、人格は磨かれる。人間としての深みが増し、強く、優しくなれる。
45年前、私が、高校生の時から見守ってきた一人の青年が、メキシコへ雄飛しました。その時、私は、あえて厳しく言いました。
「外国に行くのだから、大変です。生やさしいものではありません。根性の人になりなさい。努力の人になりなさい。根無し草になってはいけない」と。
彼は、根性を発揮し、努力を重ねて、メキシコ初の日本人公認会計士となり、メキシコの同志に大いに尽くしてくれました。
300年前のメキシコで活躍した偉大な詩人ソル・フアナは、きっぱりと宣言しました。
「私は宝も財産も望まない。喜ばしいことは知性を豊かにすることである」
圧倒的な男性優位の時代に、学問の道を志した少女ソル・フアナは、本を友として、「読んでまたさらに読む」という努力を繰り返しました。
すると、彼女は一つのことに気づきました。
「ひとつの分野が他の分野の妨げにならないばかりか、たがいに補助しあって、催互の異同(違い)と隠れた関連によって光を当てあい、道を開きあうことになる」
そして、力をつけた若きソル・フアナは、どんな傲慢な学者らと討論しても、毅然と論破していったと伝えられます。
学べば学ぶほど、努力をすればするほど、学んだことや努力したことが互いに助け合って、「道」を開いてくれる。ここに気づけば、学ぶ努力ほど楽しいものはない。無駄な努力は一つもありません。
未来を担う皆さんには、伸び伸びと学んでいただきたい。得意なものは、もっと得意に。その努力は、苦手なものさえ得意なものに変えてくれます。得意なものが見つからなければ、いろいろ学んでみよう。自分らしい得意な道が、必ず見つかります。
皆さんは、若き朗らかな「努力博士」になってください。

メキシコは、日常の中に音楽とダンスがある、文化薫る国です。街中でも、家でも、陽気な音楽が響き、ダンスが始まります。
81年の訪問では、メキシコSGIの親善文化祭に出席しました(3月1日、メキシコ市で)。各地の伝統音楽に合わせ、色彩豊かな民族衣装をまとったメンバーが笑顔を輝かせて踊ってくれた姿が忘れられません。皆、仕事や勉強などで多忙な中、練習に挑戦してきたのです。未来部も、鼓笛隊をはじめとして大活躍でした。
私は、法華経に説かれる「地涌の菩薩」を見る思いがしました。
地涌の菩薩は、悩み苦しむ人々を救うため、大地から涌き出てきた、仏の直弟子たちです。その活躍の場は、末法の娑婆世界という人の心や思想が乱れた現実世界です。正しい教えを弘めるにも、困難や反発があります。
しかし、日蓮大聖人は、『(地涌の菩薩のリーダーである)上行菩薩が大地から出現された時は、踊り出てこられた』(P1300、趣意)と仰せです。地涌の菩薩は、苦難を前に「踊りながら」喜び勇んで出現したのです。
その「地涌」の力を最大限に引き出す源泉が、日々の勤行・唱題です。
題目を唱えると、不思議と心が躍ります。「歓喜の中の大歓喜」がこみ上げてきます。「僕には可能性がある!」「私は困難に負けない!」と、生命の奥底から決意できます。
ゆえに、題目を唱える人は、希望を創りゆく勇者なのです。
現代メキシコの詩人で作家のオクタビオ・パスは、作品の中で、希望の光を見失わせようとする「心の闇」に、こう言い放ちます。「時間の中では、一分一分が永遠の種子なのだ」「我々は時の子供、時こそは希望さ」と。
「いつか」ではない。「今」です。
今この時に題目を唱えて、踏み出す一歩が、永遠に輝きわたる希望の未来を開きます。
さあ、「全てが今ここから始まる!」と勇気の翼を広げて、私と一緒に、使命の大空へ、大きく高くフライトしよう!

2016.06.11 わが友に贈る

「なにの兵法よりも
法華経の兵法」だ。
徹して御書を拝し
いざ信心で奮い立て!
間断なき前進の日々を!

経王殿御返事 P1124
『いかなる処にて遊びたはふるともつつがあるべからず遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし』

☆四季の語らい
簡単にできたものは、簡単に崩れてしまう。だれも見ていなくても、地道に、水の流れるように、一歩一歩、苦労しながら、堅実に進んでいく。そこに揺るがぬ地盤が築かれていく。「着実」と「誠実」と「忍耐」−−ここに、人間の強さがあり、歴史があり、原動力がある。

☆女性に贈ることば 六月十一日
晩年の顔は、ごまかしがきかない。人生の年輪が刻まれ、隠しようがない。なかでも眼は、雄弁にその人を語る。

☆今日のことば365 六月十一日
目標を目指して前進する場合、最も大事なことは、団結であり、スクラムを組むことである。反対に最も恐れるべきことは、お互いが感情的になり、不仲になり、そして無責任になることだ。

☆未来の翼 第25回 グラスゴーの緑の広場
◇新しい出会いから弾む心で出発!
◇朗らかなあいさつで友情の金の道をひらいていこう

温かく陽光が降り注ぎます。
明るく桜花が咲き誇ります。
「春」は英語で「Spring(スプリング)」です。その通り、あらゆる生命が跳びはねるように躍動しています。
新入生の皆さん、心躍る入学、本当におめでとう! 進級した先輩たちも、新たな挑戦の開始だね。
誰しも、環境の変化を不安に思ったり、緊張したりするものです。
しかし、皆さんには、勇気を奮い起こす題目がある。
新出発を切る、わが未来部の皆さんに、英国スコットランドの国民詩人バーンズの詩を贈ります。
「財宝も、快楽も、
長く私どもを幸福にはせぬ。
心こそ常に人の幸不幸を
定むる機官だ」
幸福は、心から生まれます。
勝利は、心から花開きます。
未来は、心から創られます。
さあ朝の勤行・唱題から心に勇気の太陽を昇らせて、一日一日を勢いよくスタートしよう!

英国スコットランドは、私にとって忘れ得ぬ心の故郷です。
1994年の6月、私はスコットランド第一の都市グラスゴーを訪れ、民謡にも謡われるローモンド湖のほとりに到着しました。
民族楽器バグパイプの妙なる調べが、湖をわたる風に響いて、迎えてくれました。湖に映る広い空は、どこまでも青く輝いていました。歓迎くださった地元の皆さんも、「こんな空は見たことがない」と喜ばれるほどの晴天でした。
この地域は雨がよく降ります。そして、雨降りの日にも楽しみがあります。それは、雨上がりの美しい虹を見ること。日照時間のすくない故郷も、詩情豊かに「虹の国」と讃える人々は、人生を朗らに生きる賢者です。
スコットランドは、イングランド、ウェールズ、北アイルランドと共に、英国を構成する連合王国の一つです。6世紀に始まったグラスゴーの歴史は、石畳の路と歴史的な建造物に映し出されています。人類史の大転換となった18世紀の「産業革命」の電源地として、ロンドン、パリ、ベルリンに次ぐ人口を誇るヨーロッパ第4の都市として栄えました。
スコットランドの人々は、勤勉にして、誠実で忍耐強い。そして、「自由のある所、これ、わが故郷なり」という勇壮な心で、世界各地に雄飛して活躍してきました。
日本との関係も、とても深い。
江戸から明治へと時代が変わる時、日本は鎖国から開国へと舵を切りました。世界との�出あいの時�がやってきたのです。
西洋の進んだ技術に学ぶため、海外から専門家や技術者を招いて、急速に近代化を進めました。そのうち、実に半数に当たる約2,000人が英国出身で、大半はスコットランド人です。産業革命を支えた知識や経験を惜しみなく伝えてくれました。
今、私たちの生活を支える上下水道、鉄道、灯台、近代銀行制度などは、全て、海を越えて来てくれた、この先人たちに学んだ技術がもとになっています。地震学、言語学、考古学など学問でも、大きな影響を受けました。日本に近代化をもたらしたスコットランドは、まさに�大恩の国�なのです。

グラスゴーが産業革命の電源地となり得たのは、なぜか。学問の革命や技術の革命を担う逸材を陸続と育てたからです。その人材の揺籃として�教育の大城�と輝くのが、名門グラスゴー大学です。
このグラスゴー大学から、私は戸田城聖先生の弟子として、名誉博士号を拝受しました。
授与式が行われたのは、6月15日。石造りとモザイク模様が美しい学舎が迎えてくれました。街を見晴らす高台に立つキャンパスは、大学併設の美術館、博物館も有名です。
創立は1451年。日本が戦国時代に入ろうとする頃、この最高学府は誕生しました。
大学は、知と知、人間と人間の"出会いの場"です。私は、産業革命を開いた友情の逸話に思いをはせました。
──蒸気機関の発明で知られるスコットランド出身のジェームズ・ワットは、無名の器具造り職人でした。ロンドンで修行を積み、1年で技術を習い修めた後、グラスゴーで開業しようとしました。ところが、ギルド(同業者組合)から許可が出ません。正式なグラスゴー市民ではなかったことと、修業期間が短すぎるという理由からでした。
優れた才能をもちながら、"慣習"の壁にぶつかったワットは、途方に暮れます。そんな青年に手を差し伸べた人物がいました。当時、グラスゴー大学で教員を務め、後に「経済学の父」と呼ばれた、若き日のアダム・スミスです。
スミスの助力もあり、ワットは大学内に作業室を借り受け、仕事ができるようになりました。スミスは、ワットの作業室に足を運び、励ましの声を掛けたといいます。
多くの学者との交流等を通して科学技術の知識をさらに深めたワットは、後年、人類初の蒸気機関を誕生させます。「職人」と「学者」という立場の違いを超えた二人の出会いが、時を経て、人類の歴史を変える発明に結実したのです。

スコットランド出身の歴史家カーライルは、「人間が人間に与える力は無限である」と綴っています。全く、その通りです。人は、人と出会い、学び合い、励まし合う中でこそ、偉大になっていくのです。
出会いは、自身を成長させる、かけがえのない宝です。
出会いは、人生を彩る美しきドラマです。
出会いは、歴史を創るエネルギーの源泉なのです。
新学年になると、多くの新しい友達との出会いがあります。
よき友と誠実に語り合えば、今まで分からなかった自分の長所にも気づくでしょう。
「新しい友との出会い」は「新しい自分自身との出会い」のチャンスでもあります。
日蓮大聖人は、『この法門を語り、他の人と比較にならないほど、多くの人に会ってきた』(P1418、通解)と語られています。 生命の哲理を明かした仏法を、若くして探究し、実践する皆さんは、最も価値ある出会いを広げていける人です。
70億人という人類の中から、不思議にも、今ここに集い白った縁を大切にしながら、新たな友にも「はじめまして!」「よろしくね!」と朗らかに声を掛けてください。そして、伸び伸びと聡明に、友情の金の道を開いていっていだきたいのです。

グラスゴー大学での授与式は、まことに荘厳で、厳粛でした。
会場は、天井の高い壮麗なビュート・ホールです。パイプオルガンの重厚な調べが轟く中、銀の職杖を掲げた儀官を先頭に、入場が始まりました。
私は、他の9人の受章者の方と共に、中央の通路をゆっくりと進みました。ステンドグラスには、かの国民詩人バーンズをはじめ英国の誇る文化人の肖像が描かれ、見守っていました。
式典では、受章者が一人ずつ、「ブラック・ストーン・チェア」といわれる椅子に座り、それぞれの推挙者から紹介されます。
目と耳と口の三重苦を乗り越えて人類に貢献した女性ヘレン・ケラーさんも、かつて名誉博士号を贈られ、座った椅子です。
私の番が来ると、グラスゴー大学の評議会議長である、マンロー博士が、「推挙の辞」を読み上げてくださいました。
博士は、凜然としたよく通る声で、「池田氏の人生の方向を決定づけたのは、1947年、戸田域聖氏と出会い、氏の弟子になられたことであります」と語られました。
19歳で戸田先生に出会って以来、私は弟子として一筋に生き抜いてきました。
先生の事業を支えるため、夜学を断念せざるを得ませんでしたが、先生は、「私が責任をもって、君の個人教授をしていくよ」と、激務の合間を縫って、亡くなる直前まで個人授業をしてくださいました。
誉れの「戸田大学」です。
当時の日記には、「先生の悠然たる姿。あまりにも大きい境涯。未来、生涯、いかなる苦難が打ち続くとも、此の師に学んだ栄誉を、私は最高、最大の、幸福とする」と記しました。
私は、将来、必ずや恩師の偉大さを世界に宣揚して、恩返しを果たすのだと誓ったのです。
マンロー博士の「ジョウセイ・トダ」の声がホールに、何度も何度も響きました。今も耳から離れません。
マンロー博士自身も、師匠との出会いによって人生が決まりまた。学生時代、アフリカ研究を専攻していた教授と出会い、その大情熱いに触れ、実業界への進路を変更して、アフリカ経済史の研究に生涯を捧げようと誓ったのです。
「どんな世界でも、道を極めるには、師弟の関係を除いてはありえない」と博士は断言されました。
ありがたいことに、マンロー博士は、その後も、創価大学からの留学生たちを、それはそれは温かく迎え、慈父の如く励まし続けてくださっております。
グラスゴー大学に学んだ創価の友が、今、世界の各界で立派に活厳してくれていることも嬉しい限りです。
また22年前、共に栄誉を分かち合ったスコットランドの友人方が、さらに信頼のスクラムを広げながら、社会に貢献されていることが、このうえない喜びです。

私の最大の幸福は、戸田先生という師に出会えたことです。師のおかげで、真実の正しい人生の道を歩み通すことができました。
そして今、私には後継の全てをたく託す、未来部の皆さんがいる。これほど幸福なことはありません。
戸田先生は、「大作がいて、私は本当に幸せだ」とおっしゃってくださいました。
今、私は、恩師と全く同じ思いです。「未来部の皆さんがいて、私は本当に幸せだ」──と。
愛する皆さん、この1年間も、よろしく! 弾む心で、一緒に進もう!

2016年6月10日金曜日

2016.06.10 わが友に贈る

正義の闘魂光る
東海道の共戦の友よ!
仏法は勝負なり。
師弟誓願の天地に
新時代の金字塔を築け!

辧殿尼御前御書 P1224
『第六天の魔王十軍のいくさををこして法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土をとられじうばはんとあらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵ををこして二十余年』

☆四季の語らい
人間のため、社会のため、民衆のために、いったい、いかなる貢献をしたのか。観念ではなく、事実がどうかである。泥沼のような現実の真っただ中で、地道な奉仕の活動を貫き、足元から変えていける人、その人に、永遠の栄光が輝く。

☆女性に贈ることば 六月十日
わが家の平和といっても、苦労や悩みが何もない状態ではない。どんな嵐のような時であっても、家族のなかに太陽が輝いていればよいのです。その一家の太陽こそ、お母さんです。

☆今日のことば365 六月十日
時の推移は、極めて自然に流れるものだ。
それは河の水の流れに似ている。時に巌が水流に逆らうように、
流れをおしとどめ、飛沫をとびちらすが、水の流れはとどまらない。

☆特別寄稿 韓国の日刊紙 中央日報ハンギョレ新聞
◇持続可能な開発目標の達成へ
◇一人一人に具わる無限の可能性引き出し 地域社会から変革の波動起こせ

来る5月30日から6月1日まで、アジア初となる第66回「国連広報局/NGO年次会議」が韓国の慶州で開催されます。
そこでは、「世界市民教育——持続可能な開発目標(SDGs)を共に達成しよう」をテーマとし、国連で新たに採択された2030年に向けての「持続可能な開発目標」の推進などをめぐって、活発な議論が期待されています。
気候変動や環境保全、防災やエネルギーなど、「持続可能な開発目標」が対象とするテーマは多岐にわたりますが、その取り組みを軌道に乗せるためには、各国政府や国際機関に加え、NGOをはじめとする市民社会の行動の輪を広げていくことが欠かせません。
昨年9月、「持続可能な開発目標」の採択にあわせて、国連開発計画(UNDP)主催による注目すべきキャンペーンが行われました。地球上に生きる70億の人々に、「貧困の根絶」や「男女平等」など、17分野に及ぶ同目標のメッセージを届けようと、世界各地で計17本の旗を立てるものです。
このうち「飢餓ゼロ」の旗を、昨年4月の地震で大きな被害を受けたヒマラヤ山脈の村で掲げたのは、ネパール人の女性登山家ニムドマ・シェルパさんでした。彼女自身、子どものころ、飢えに苦しんだ経験があり、国連世界食糧計画(WFP)が提供する給食のある学校に通う中で、夢を抱くようになったといいます。
世界7大陸の最高峰の踏破という偉業もさることながら、私が深く心を打たれたのは、ネパールでの地震の際、彼女が登山技術を生かして高地にある被災地の緊急支援に携わり、飢餓の解消に貢献したことでした。かつて飢餓に苦しんだ女性が、教育で自身の可能性を開き、夢を果たすとともに、同じ苦しみに直面した人々のために行動する——こうした「教育のエンパワーメント」を通じて、一人一人に具わる無限の可能性を引き出しながら、地域や社会で変革の波動を起こす挑戦を積み重ねていく中でこそ、「持続可能な開発目標」を前進させる道が大きく開けてくるのではないでしょうか。
今回の会議では、「SDGsの第4の目標に根差し、幅広く市民社会から戦略・専門性・リソースを活用し、参加型で安全で公平な質の高い教育を確保し、万人に生涯学習の機会をもたらす」教育イニシアチブに関する討議が行われます。
中でも、「持続可能な開発目標」でも明記された「世界市民教育」は、これらの目標達成の基盤として不可欠なものだといえましょう。
国連の潘基文事務総長も2012年から、教育を国際社会の最優先課題にする「グローバル・エデュケーション・ファースト」のイニシアチブを立ち上げ、その柱の一つに21世紀の複雑な諸課題に取り組むことができる地球市民の育成を掲げています。
また、「世界市民教育」については、韓国政府が積極的な取り組みを進めてきたことは有名であり、その韓国で行われる年次会議で重要な成果が導かれることを、強く念願してやみません。
貧困に苦しむ人々の半減を達成した昨年までの「ミレニアム開発目標」の取り組みから、さらに踏み込む形で、「持続可能な開発目標」では、さまざまな地球的課題に取り組む上での前提として、「誰も置き去りにしない」との誓いが掲げられました。
「最大多数の最大幸福を追求する上で、多少の犠牲が生じるのはやむを得ない」といった考え方が、政治や経済など社会のさまざまな分野でみられ、近年、その風潮が強まってきていることが懸念されます。
しかし、気候変動の問題一つをとってみても明らかなように、今は自分に関係ないように思えても、長期的にみればリスクと無縁な場所など地球上のどこにもないはずです。
他の多くの人が直面する苦境を半ば看過するような考え方の行き着く先は、やがて人類の生存基盤をも突き崩しかねないことに、思いをはせる必要があるのではないでしょうか。
グローバル化が急激に進む世界で、さまざまな出来事が、分かちがたい"関係性の網"で結び付いており、そうした相互依存のつながりに対する認識を「世界市民教育」を通じて実感をもって深めていく。その中で、「自分だけの幸福もなく、他人だけの不幸もない」「他国の人々が悲惨に見舞われている中で、自国だけの平和や繁栄もない」との思いを、国境を超えて市民社会の間で分かち合う土壌が培われていくに違いありません。
迂遠のようであっても、その土壌を堅実に耕していく努力なくして、2030年に向けた国際社会の共通目標として掲げられた「誰も置き去りにしない」とのビジョンを、現実のものにすることはできないと、私は強く呼び掛けたいのです。
そして、その時代変革の主役を担う存在こそ、青年です。今こそ、あらゆる場所で、あらゆる機会を通じて「世界市民教育」の潮流を高めつつ、青年世代の連帯の裾野を広げながら、「持続可能な開発目標」の達成に向け、市民社会の側から突破口を開こうではありませんか。

2016年6月9日木曜日

2016.06.09 わが友に贈る

気候の変化に注意!
体調を崩さぬよう
健康管理を賢明に。
リズムある生活で
心身共に充実の毎日を!

報恩抄 P319
『何れの月何れの日何れの夜の何れの時に日出ずるという公家諸家叡山等の日記あるならばすこし信ずるへんもや』

☆四季の語らい
強く、恐れなく、真実を訴え切れば勝つ。黙っていては敗北である。正義の声は、悪を破る大砲である。

☆女性に贈ることば 六月九日
家柄でもない。
学歴でもない。
容姿でもない。
財産でもない。
社会的地位でもない。
幸福はあなた自身の心で決まる。

☆今日のことば365 六月九日
人の信頼を踏みにじって平然としている傾向がある。しかし、人間社会が存続するかぎり、信頼感が根幹となることは真理であり、信頼を踏みにじった人が、社会の除け者とされ、敗れていくことは目に見えている。今はいい気になって"無責任風"を謳歌しているようでも、最後は哀れという以外にない。

☆御書と歩む 第17回 一人と会い、一人を励ませ
『一日も我がかたとて心よせなる人人はいかでかをろかなるべき』(高橋入道殿御返事、P1460)

◇通解
たとえ一日であろうと、わが味方として心を寄せてくれる人々を、どうして粗略にできようか。

◇同志への指針
たとえ一日であっても、心を寄せてくれる人をおろそかにしない——これが御本仏の大きな大きな慈悲である。
広宣流布は、このお心を拝し、一人と会い、一人を励ます民衆運動である。縁する友人に、勇気と誠実と確信の対話を広げるのだ。
内外の友と楽しく、朗らかに仏縁を結びながら、わが地域に崩れざる信頼のスクラムを粘り強く築いていこう!

2016年6月8日水曜日

2016.06.08 わが友に贈る

「長の一念」が
組織の勢いを決める。
皆が心軽やかに
生き生きと進めるよう
名指揮を頼む!

清澄寺大衆中 P894
『大衆も日蓮を心へずにをもはれん人人は天にすてられたてまつらざるべしや、かう申せば愚癡の者は我をのろうと申すべし後生に無間地獄に堕ちんが不便なれば申すなり』

☆四季の語らい
「獅子の道」とは、正義に生き抜く、"師"と"弟子"の「師子の道」である。何ものをも恐れず、一人立つ「勇者の道」である。邪悪を打ち砕く、「勝利の道」である。また、どこまでも民衆を守り抜く「慈悲の道」である。

☆女性に贈ることば 六月八日
健康は勝ち取っていくものです。何を食べ、どんな生活を送るのか。決めるのは自分自身です。病気を治すことより、病気を防ぐことが第一の健康法なのです。

☆今日のことば365 六月八日
われわれの目的は何か
今日の目的は何かを 明確にすることだ
そこには無駄もなく
価値ある活動ができよう

☆勝利の人間学 第96回 華陽の青春を朗らかに!
◇一人も残らず幸福の勝利劇を
戸田先生は、女子部を励まされた。
「もったいなくも、御本仏と同じ生命を持っている自分自身に誇りをもちなさい。気高い心で、人生を勝ち抜くことです」と。
最極の生命哲学を学び、実践する青春が、どれほど尊貴であるか。ゆえに、他人の言動に振り回されて、自信をなくす必要などない。自分は自分らしく、妙法と共に、同志と共に、朗らかに広宣流布に走りゆくのだ。
正しき信仰によって福運をつけた女性には、誰も敵わない。今はたとえ大変な境遇にあっても、この信心に生きる乙女は、一人も残らず、幸福の勝利劇を飾りゆくのだ。

◇福智の光で周囲を照らせ
日蓮大聖人は、健気な信心を貫く女性に、『百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる』(P1403)と教えられた。
わが創価の乙女こそ、福智の太陽である。
いかに時代が暗くとも、聡明な女子部がいれば、希望の智慧で照らしていける。
殺伐とした社会でも、華陽姉妹のスクラムがあれば、慈愛の温もりを広げていけるのだ。
太陽は何があっても弛まない。いかなる闇にも怯まない。何ものにも光を惜しまない。
毎朝の勤行・唱題で、久遠元初の太陽をわが生命に赫々と昇らせて、家庭も、職場も、地域も、常寂光土へと輝かせていこ!

◇励ましの種を友の心へ!
一番苦しんできた人が、一番幸福になる。どんな宿命も、絶対に転換できる。そう言い切って、悩める友に手を差し伸べ、一緒に乗り越えてきた。これが永遠の学会精神である。
心田に植えられた「励ましの種」は、やがて芽を出し、大きく花開く時が必ず来る。御聖訓には、題目の力用について、『一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり』(P557)と仰せである。
一人また一人に題目を送りながら、仏性を呼び覚まし、蘇生のドラマを創りゆくのだ。
華陽の友よ、楽しく賑やかに生きよ!
女子部の青春勝利を、私は祈り待っている。

2016年6月7日火曜日

2016.06.07 わが友に贈る

不屈の魂が燃える
火の国・大九州の友よ!
先駆の誉れも高く
「いざ楽し」と
広布の山を登りゆけ!

日興遺誡置文 P1617
『一、五人の立義一一先師の御弘通に違する事』

☆四季の語らい
人間の頭脳は、よく使うためにある。いつでも、どのような所にあっても、炎のように生命を燃やし、失敗を恐れることなく、価値を、創造していくことが大切である。

☆女性に贈ることば 六月七日
頑張るお母さんを、子どもはじっと見ていて、心に刻んでいます。その母の苦労を忘れません。だから、道を外れることなく頑張る。この母子の絆をつくりあげることです。

☆今日のことば365 六月七日
人生の一寸先は闇といわれる。そこには、幾多の、生存の問題、生活の問題などが、更に蓄積されて待ちかまえている。大切なのは生命力である。

☆勝利の人間学 第96回 新たな金字塔を君たちが
◇みずみずしい学びの心で
新社会人の友が、生き生きと使命の場で活躍する姿は、まことに清々しい。
失敗することもあるだろう。だが、失敗から学ぶことは多い。若いのだから、臆さず怯まず、何があっても朗らかに学んでいくのだ。良き先輩から、どんどん吸収していくのだ。
戸田先生は、「自分の勤めに楽しみと研究を持ち、そして、自らの持ち場をがっちりと守れ」とよく語られていた。
みずみずしい学びの心と、不屈の挑戦の根性がある限り、決して行き詰まらない。知性の探求と行動があるか否かで、青年は決まる。
疲れをためず健康第一で! 健闘を祈る!

◇青春の勇戦を思い切り
御聖訓には、『師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり』(P1124)と説かれる。
いかなる試練も、この「師子奮迅のカ」で挑んでいくのが、創価の青年である。
60年前の「大阪の戦い」も、不可能を可能としゆく、私と不二の若人の勇戦であった。
大関西では、愛する男女青年部を先頭に、"今再び"の拡大に力走してくれている。
自身のため、社会のため、立正安国の闘争ほど、意義ある青春の晴れ舞台はない。思い切りぶつかった分、必ず勝利の劇は開かれる。

◇皆のためのリーダーたれ
「大阪の戦い」で、私が青年リーダーと確認し合った一点は、「一人一人のことを思い浮かべて真剣に祈ろう! それが"百人が一歩前進する"力となる」ということだ。
皆のために自分がいる!──そう決めて祈り、戦っていけば、自分の殻が破れる。
日蓮大聖人は、『異体同心なればかちぬ』(P1463)と仰せである。
大事な一人一人の個性や持てる力を尊重し、生かしていこう! そして、皆が輝き光る異体同心の団結で勝ち進んでいくのだ。
新たな60年を開く、広宣流布の不滅の金字塔を、君たちが打ち立ててくれ給え!

2016年6月6日月曜日

2016.06.06 わが友に贈る

◇今週のことば
わが地区・ブロックこそ
広宣勝利の電源地なり。
皆が正義の開拓者だ。
先師の如く勇敢に
いざ仏縁の拡大を!
2016年06月06日

食物三徳御書 P1598
『食には三の徳あり、一には命をつぎ二にはいろをまし三には力をそう、人に物をほどこせば我が身のたすけとなる』

☆四季の語らい
昨日の自分と比べて、今日の自分は進んだか。先月の自分と比べて、今月の自分は進んだか。去年の自分と比べて、今年の自分は進んだか。自分と他人とを比べるのではなく、自分の過去と現在と未来の前進を比べることである。ここに、自身の大前進がある。

☆女性に贈ることば 六月六日
初代会長の牧口常三郎先生は三つの目的について語っている。「千メートル競走のついでに百メートルの競走はできるが、百メートル競走のついでに千メートル競走はできない。大目的が確立してこそ、中日的、小目的が明確になり、その方法も生まれる」と。
人生というマラソンレースで勝利者になることが大切なのである。

☆今日のことば365 六月六日
困難というものは、自分がつくるものだ。それを乗り越えて行くのも、ほかならぬ自分だ。困難を避ける弱虫になにができる。

☆新時代を創る 第16回 我らの対話は希望の拡大
6月は、我らの創立の父・牧口常三郎先生の生誕の月〈1871年6月6日〉。今年で145周年となる。
きょう4日は、世界の華陽姉妹の記念日である。創価女子会館もオープンして10年の節を刻む。
また7日は、高等部の結成記念日。1964年(昭和39年)、私が第3代会長として、いち早く結成した。
そして10日には、尊き「婦人部の日」を迎える。
福智光る創価の女性たちのスクラムを、正義の走者たる新時代の人材の成長を、牧口先生がどれほどお喜びであられるか。
先生は叫ばれた。
「人を救い世を救うことを除いて宗教の社会的存立の意義があろうか」
民衆の幸福のため、社会の繁栄のため、行動する。これが真の信仰者だ。善を為すのに遠慮などいらない。
戦時下、特高警察が監視する座談会で、牧口先生は堂々と正義を語られた。私の妻も、幼き日、先生の手を引いて自宅に案内した。
先生は、一人のために遠く九州まで足を運ばれた。
心を変えるには、一対一で語ることだ。私も、大阪の戦いで、路地の裏まで分け入って、一人と会った。真心を尽くし、一人を励ました。これが、学会精神の真髄であるからだ。
『一は万が母』(P498)である。一人から一人へ、真実も語らなければ伝わらない。語り切った分、「希望の拡大」「仏縁の拡大」「功徳の拡大」となる。
◇ ◆ ◇
困難が人間を磨く。広布の労苦は、わが身を飾る。
御書には『猪の金山を摺り』(P916)とある。イノシシが金の山を妬んで体をこすりつけると、かえって金の山は輝きを増す。法華経の行者は、難に遭うほど輝くと教えている。
「思うようにいかない」「絶対に無理」——その時こそ信心を深めるチャンスだ。自分を悩ませる人や課題が、自分を鍛えてくれる。
戸田城聖先生は、大変であるほど悠然と語られた。
「行き詰まりを感じた時に、大信力、大行力を奮い起こして、断固と乗り越えていくことだ。これが、私たちの『発迹顕本』となる」
全てが仏になるための修行だ。皆で励まし合いながら、さあ師子王の心で、勇気の対話に打って出よう!

2016.06.05 わが友に贈る

「日蓮が一門は
師子の吼るなり」
勇気の言論に
勝る力はない。
大胆に打って出よ!

曾谷殿御返事 P1056
『何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し』

☆四季の語らい
目先の小さなことのみを目指す人間は、それだけの人生で終わってしまう。「険しい山」に挑んでこそ、本物が鍛えられる。本当の力を発揮できる。達成した時の喜びも大きい。

☆女性に贈ることば 六月五日
心こそが大切である。
心の弱い人に、幸福はない。
心の汚れた人に、幸福はない。
心の強い人に、幸福は宿る。

☆今日のことば365 六月五日
人間というものは、だれしも、楽をしたい。怠けたいという気持ちがあります。その気持ちに負けて、しなければならないことを、やらなかったり、途中で投げ出してしまったら、まわりの人は、だれも相手にしてくれなくなります。みんなから信用されず、さびしい思いをするのは、自分なのです。

☆アメリカ創価大学第12回卒業式へのメッセージ
本年、アメリカ創価大学は、開学15周年という意義深き佳節を迎えることができました。
「第2の草創期」の誇り高き建設者たる12期生の皆さん、大学院の新教育プログラム第1期生の皆さん、見事な発展の歴史を築いてくれて、本当にありがとう! 卒業、おめでとう!
私は、一人一人と固い握手を交わし、肩を抱きかかえる思いで、これまでの努力と挑戦の日々を労い、讃えたいのであります。
ご一緒に苦労を分かち合いながら、きょうの晴れの日を勝ちとられた、ご家族・ご友人方にも、心からのお祝いを申し上げます。
また、アメリカ創価大学の前進を温かく見守り、支えてくださるご来賓の方々、いつもいつも、ありがとうございます。
そして、宝の英才たちを、全力で薫育してくださった教員の先生方、職員の方々に、創立者として最大に感謝申し上げます。
本日は、私たちが尊敬してやまない、オスカル・アリアス・サンチェス博士が、皆さんの祝福に駆け付けてくださいました。
世界の歴史に輝く偉大な平和の闘士を、"人類の平和"を建学の根本精神とする、わがアメリカ創価大学にお迎えできたことを、何よりもうれしく、また光栄に思っております。
誉れの12期生の新たな旅立ちにあたり、アリアス博士との忘れ得ぬ語らいを振り返りつつ、3点にわたり、はなむけの指針を贈りたい。
第1は、「不屈の楽観主義で、夢に向かって挑戦を!」ということです。
アリアス博士がコスタリカの大統領に就任されたのは、今から30年前の1986年——博士が45歳の時であります。
当時は東西冷戦に翻弄され、ニカラグアなど中米では泥沼の内戦が続いていました。アリアス大統領は、打ち続く紛争の終結のために、新たな和平構想を打ち出し、中米はもとより、欧米の各国とも、忍耐強く対話を重ねていかれました。
そして、立ちはだかる困難を一つ一つ毅然とはねのけ、誰もが不可能と諦めていた和平合意を、ついに勝ちとられたのであります。まさしく人類史を画する壮挙でありました。平和を願ってやまなかった各国の民衆の喝采に包まれながら、博士は語っておられます。
「本当に、夢を見続けてきたかいがありました。大多数の人々にとって、私の見てきた夢は実現不可能であり、ドン・キホーテ的ユートピア、幻想にすぎませんでした。しかし、人間は夢を一生懸命見続けていますと、それが実現する時がやって来るものです」(竹井博友著『平和をわが手に』)

◇試練の時こそ使命の炎を燃やし前へ
皆さんも、さまざまな難題が山積する現代社会にあって、いよいよ壮大な夢への挑戦の開始です。現実のあまりの壁の高さに、たじろぐことも、何度もあることでしょう。
しかし、その試練の時こそ、縁も深き学友と励まし合い、学究へ挑み続けた、アメリカ創価大学での宝の日々を思い出していただきたい。そして、わが胸中に灯した尊き使命の炎を、さらに烈々と燃えたぎらせながら、粘り強く前へ前へと進んでいってください。
人生の苛酷な試練を乗り越え、社会福祉事業家としても活躍した、あのヘレン・ケラーは、「楽観主義とは、ものごとを達成へと導く信念です。希望なくしては何事も成就することはできません」と語りました。
闇が深いほど夜明けは近い。困難の闇が深ければ深いほど、不屈の楽観主義という太陽を逞しく朗らかに、わが生命に昇らせて、希望の光を放ちゆく皆さんであっていただきたいのであります。
第2に申し上げたいのは、「民衆と連帯し、知恵の門を生き生きと開け!」ということです。
民衆の大地に依って立つ人は強い。民衆と共に、民衆の中で、民衆のために生きゆく人生には行き詰まりがありません。
アリアス博士が、平和を切に訴える一人の庶民の母の涙に奮起して、その期待に何としても応えようと、至難の和平交渉を貫き通されたことも、心に染み入るエピソードであります。
アリアス博士と共に私は、1996年、コスタリカのサンホセで、核兵器の廃絶を訴える"核の脅威展"の開幕式に参加しました。
会場と隣接の子ども博物館の間には、低い壁があるだけで、ほとんど吹き抜けのため、子どもたちの自由奔放な声が、そのまま聞こえてきました。
あいさつに立った私は、申し上げました。
「にぎやかな、活気に満ちた、この声こそ、姿こそ、『平和』そのものです。ここにこそ原爆を抑える力があります」と。
アリアス博士はじめ来賓の方々も、会心の笑顔でうなずいてくださいました。
世界のいずこであれ、母と子の明るい笑い声がさざめく、希望と安穏の時代を築いていきたい——この熱願こそ、私たちの平和闘争の大いなる源泉であります。
アメリカ創価大学には、平和を希求してやまない世界中の民衆からの真心あふれる期待とエールが寄せられております。皆さんは、この民衆との心のつながりを、何よりの誇りとし、張り合いとして、汲めども尽きぬ知恵の門を限りなく開いていっていただきたいのであります。

◇差異を乗り越える強き意志を持て
第3に、「世界に友情の対話を広げ、平和と幸福の価値創造を!」と訴えたい。
世界は今、「貧富の格差」の拡大や、異なる価値観や利害の衝突など、社会を引き裂く深刻な諸問題に直面しています。
この「分断」と「対立」を、いかに「調和」と「相互理解」の方向へ転じ、共生と人道の社会を築いていくか——その重要な鍵こそ、平和の共和国コスタリカの民衆が育んでこられた「対話の文化」であります。
博士は、「対話をする上で、一番大切なことは何でしょうか」との、日本の高校生の問いに、明快に答えられました。
「それは、差異を乗り越える意志です。暴力を使わないための方法を、何としても探し出す、強い意志が必要です」と。
皆さんは、「国外からの留学生の割合」が全米トップの「地球の縮図」たるキャンパスで、心開かれた「対話の文化」を体得してこられました。
これは、何よりの強みです。いずこにあっても、この対話の力を自在に発揮し、世界市民の友情を幾重にも広げてください。
近年、イギリスの研究機関が発表した「地球幸福度指数」(HPI)で、第1位に輝いた国はコスタリカでした。
人々が豊かな自然環境と調和を図りながら、最も満足度の高い人生を送っている国が、コスタリカであるというのであります。
2001年に開学したアメリカ創価大学は、21世紀の人類の幸福と平和のために価値創造しゆく大学であります。
卒業生の皆さん一人一人の勇気ある挑戦が、そのまま地球社会の「平和と幸福の指数」を高めゆく軌跡となっていくことを、私は確信してやみません。
東洋には「十年一剣を磨く」という箴言があります。まず10年を一つの目標として、一日一日を丁寧に生き切り、身近に信頼のネットワークを結びながら、じっくりと実力をつけ、人格を錬磨していってください。
さあ、いよいよ新たな出発の時です。
皆さんの使命の舞台は、地球社会へ、そして未来の彼方へ、大きく開かれています。空飛ぶ者の王・鷲の如く堂々と羽ばたき、地走る者の王・獅子の如く恐れなく、走り抜いていってください。
私は、皆さんが一人も残らず、健康で和楽で、悔いなき栄光と凱歌の人生を歩みゆかれんことを、毎日毎日、祈り、見守り続けていきます。
前進と不屈の12期生、万歳!
挑戦と勝利の12期生、万歳!
きょうは、本当におめでとう!

2016年6月4日土曜日

2016.06.04 わが友に贈る

会合に参加できない
メンバーを大切に!
全員が「使命の人」だ。
深き祈りを根本に
粘り強い励ましを!

妙密上人御消息 P1241
『法華経の第五の巻をもって日蓮が面を数箇度打ちたりしは日蓮は何とも思はずうれしくぞ侍りし、不軽品の如く身を責め勧持品の如く身に当つて貴し貴し』

☆四季の語らい
「精神の力」がどうであるか。そこに、すべてがかかっている。表面の動きや数字だけを見ていたのでは、絶対に、わからない。だれにも頼らない。何ものにも屈しない。わが道を行く。生きて生きて生き抜いていく。今の時代に必要なのは、「無限の精神の富」をもつ「新しい人間」である。人間の次元からの「変革」である。

☆女性に贈ることば 六月四日
職場に一人の聡明な女性がいれば、どれほどか爽やかな歓喜の波が広がっていくことだろう。

☆今日のことば365 六月四日
人間は、いつ、いかなる時も、常に人間らしくありたいものだ。あらゆる人が、絶えず人間らしく生きること----それが、すべての原点だ。

☆新時代を創る 第15回 立正安国へ不屈の前進を
日蓮大聖人は叫ばれた。
『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ』(P1190)と。
この通りに師子王の心で「立正安国」に戦い抜かれたのが、先師・牧口先生であり、恩師・戸田先生である。
牧口先生は昭和18年(1943年)の5月、神札問題について、中野警察署に約1週間、留置され、取り調べを受けた。しかし一歩も退かず、その翌月には、軍部政府に迎合する宗門を峻厳に呵責されている。そして7月に戸田先生と共に投獄され、翌年の秋、獄中で殉教なされたのである。
昭和20年(1945年)の7月3日、不二の弟子・戸田先生は、同じ中野区にあった豊多摩刑務所から出獄された。
両先生の「死身弘法」「不惜身命」の大精神を偲びつつ、幾重にも共戦の歴史を刻む中野の文化会館を、妻と車で視察し、同志に題目を送った(25日)。
◇ ◆ ◇
戸田先生の出獄の10日前、6月23日が「沖縄慰霊の日」である。あまりにも残酷な沖縄戦、そして広島、長崎への原爆投下——。
この地上から悲惨の二字をなくす先生の挑戦は、誰よりも苦しみ抜いた民衆と共にあった。その誓願を結実させるため、私は沖縄の天地で小説『人間革命』の執筆を開始したのだ。
沖縄から、全人類の宿命転換は始まる! 人間革命の勝利の太陽は昇る!
◇ ◆ ◇
かつて沖縄の同志と拝した御聖訓には仰せである。
『只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候』(P1242)
この御書には、二つの法華経の文が引かれている。一つは『魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る』(同P)、もう一つは『病即消滅して不老不死ならん』(同P)。これこそ「大阪の戦い」で、私と関西の同志が生命に刻みつけた金言でもある。
広宣流布へ祈り戦う中で仏の生命力が滾々と脈打ってくる。題目の師子吼で病魔も退散させ、「更賜寿命」の実証を示していくのだ。
最極の正義に徹する我らには、必ず諸天が味方する。全てを仏法を護る働きに転じていけるのだ。
試練の時こそ題目である。「信心で勝つ!」——そう思い定めれば、勇気がみなぎり、智慧が湧き、無敵の突破力がほとばしる。創価の師弟の誇りも高く、立正安国へ不屈の前進を!

2016年6月3日金曜日

2016.06.03 わが友に贈る

関八州を制する者は
天下を制す!
大関東の同志よ!
不撓不屈の敢闘精神で
広布の旗を打ち立てよ!

常楽我浄御書 P1301
『仏は一人なり外道は多勢なりしかども外道はありのごとし仏は竜のごとく師子王のごとくましませしかばこそせめかたせ給いぬ』

☆四季の語らい
人生は逆境との戦いである。川にたとえれば、急流をさかのぼるようなものである。ゆえに「戦い続ける」しかない。その「負けない」人生を、勝利の一生という。

☆女性に贈ることば 六月三日
逆境に負けない、真の強い自己を築くカギは、貴くこと、徹することです。

☆今日のことば365 六月三日
総じていえば学問も大事であるけれども、これだけは絶対だれにも負けないという特技をもつことが大事です。国語でも書道でも音楽でもよい。また親切ということでもよい。語学も極めて重要です。とにかく、他の人に負けないものを身につけなさい。

☆御書と歩む 第16回 信心の実践は全てが福運に
『たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金は・やけば真金となる』(兄弟抄、P1083)

◇通解
(難に遭う意味は)例えば、鉄を念入りに鍛え打てば、内部の疵が表面に現れてくるようなものである。石は焼けば灰となるが、金は焼けば真金となる。

◇同志への指針
妙法を信受する生命は「金」である。乗り越えられない難など絶対にない。
宿命転換の仏法である。障魔は、我らの信心を試しているのだ。
仏道修行は、金剛不壊の境涯を開く鍛錬である。ゆえに、全てが福運に変わる。
逆境と戦う友よ、勇敢に題目を響かせ、生命を「真金」と輝かせゆけ! 未来へ希望を贈る勝利劇を!

2016年6月2日木曜日

2016.06.02 わが友に贈る

偉大なる勝利は
団結から生まれる。
皆が伸び伸びと
力を発揮できるよう
リーダーは心を尽くせ!

忘持経事 P977
『国国皆飢饉し山野に盗賊充満し宿宿粮米乏少なり我身贏弱所従亡きが若く牛馬合期せず峨峨たる大山重重として漫漫たる大河多多なり』

☆四季の語らい
ひとことで言えば、「言いわけをしない」という真剣勝負の生き方が大切である。どんな立派な言いわけをしようとも、負けは負けである。ゆえに、何があろうとも、その場で、自分なりに、悔いなく、精いっぱい生きることだ。そして、自らのカで、自らの運命を切り開いていくことである。「自分のいる、その場で勝て。断じて勝て」−−これが仏法者の生き方といえる。

☆女性に贈ることば 六月二日
本を読む楽しさを知らないということは、人生の巨大な損失です。いっぱいの宝物に囲まれながら・その価値を知らないでいる人のようだ。
読書の喜びを知れば、人生の深さと大きさは、一変する。

☆今日のことば365 六月二日
青年期とは、将来の人間形成のため、悩みと戦っていく時代の異名である。

☆四季の励まし 団結! 大理想の旗のもとに 2016年5月29日
上も下もない。
同志は、みな平等である。
みな尊極の仏である。
みな偉大な闘士である。
「心こそ大切なれ」
——この心と心とを、
「広宣流布」という
大誓願に一致させた
「異体同心」の真髄の世界が、
創価学会である。

団結とは、
一人一人が、
自分が広宣流布の
いっさいの責任をとるのだと、
自覚することから始まる。
人を燃え上がらせるには、
自分自身が燃えることだ。
それでこそ、
炎と炎が合わさった、
無敵の団結の火の玉で
戦うことができる。

堅固な団結は、必ず
各人の「境涯の拡大」をともなう。
広宣流布の回転に心を合わせれば、
自分中心の小さなエゴの殻を
破っていけるからだ。
学会と共に!
同志と共に!
正義の師弟が共々に!
その心があればこそ、
偉大なる人間革命の山を
登ることができるのだ。

我らは
目的も使命も
三世にわたり共通の友!
この心底からの
決意と誓約は
誰人も壊すことはできない。
真実の人間の旗を
君も振れ!
正義と自由の
勇敢なる君も
旗を振れ!
新世紀の
人間主義の旗を
君も振れ!

真っ青な空の下、木々の緑に囲まれ、「三色旗」が翻る。世界広宣流布へ進みゆく我らの、大理想の旗である。2008年(平成20年)4月、八王子市の東京牧口記念会館で、池田SGI会長が撮った。赤は「勝利」、黄は「栄光」、青は「平和」を意味している。
旗は古来、戦陣において、心を一に戦う、団結の象徴であった。我らが目指すのは、民衆が安穏と幸福のうちに暮らす、平和の世界。誇り高き「創価」の旗のもと、スクラムを組んで前進を加速したい。一人の力は小さくとも、一人一人の勇気が合わされば、掛け算となり、力は何倍、何十倍にもなる。

2016年6月1日水曜日

2016.06.01 わが友に贈る

使命の舞台を駆ける
男子・女子部の部長よ!
今日も挑戦の一歩を!
君たちの成長こそ
未来を照らす光明だ。

蓮盛抄 P153
『仏は文字に依つて衆生を度し給うなり』

☆四季の語らい
幸福は「遠いところ」にはない。「今」「ここ」の、現実との戦いによって、勝ち取っていくものである。自分の地域も、「よきところ よきところ」とたたえ、感謝する心が、「自信」「勢い」をつくっていく。

☆女性に贈ることば 六月一日
若さに生き、若さを知り、若さを発揮した人は、人生の究極の道を、天使の如く誇り高く歩み、綴っていく至福の人だ。

☆今日のことば365 六月一日
土中に深く根を下ろした土台がなければ、天をも衝く大建設は完成しないように、絢爛豪華な大文化の花も咲かせることはできないのだ。政治や文化のすべての分野で繁栄し、数多くの人材を輩出していくためにも、いまこそ土壌に根を、より大きく、強く、伸ばし張り巡らせなければならない。

☆学会常住御本尊65周年記念の勤行会
「創価学会常住御本尊記念日」である19日、戸田第2代会長の発願から65周年の意義をとどめる勤行会が東京・信濃町の広宣流布大誓堂で行われた。
これには原田会長、長谷川理事長、各部の代表が出席し、広宣流布大誓堂に御安置の創価学会常住御本尊に、厳粛に勤行・唱題。世界広布のさらなる躍進を誓い合った。
池田SGI会長はメッセージを贈り、恩師の発願から65周年に当たり、全国・全世界の同志の尊い勇猛精進の大闘争の中で、意義深き日を迎えたことに心から感謝。
また、広宣流布大誓堂での誓願勤行会に日本中、世界中から勇み集う求道の友を、「当起遠迎、当如敬仏(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)」の心で送迎し、日々、無事故の運営に携わる役員の奮闘をたたえた。
さらに『よき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり』(P550)の御聖訓を拝読。打ち続く熊本地震の終息と一日も早い復旧を祈る真情を伝えた。
最後に、「師弟不二の誓願の題目という、この世で最も強く正しい、無敵の師子吼を勇気凜々と轟かせてまいりたい」と述べ、断固として「立正安国」の大願を成就していこう、と念願した。
勤行会の席上、原田会長は、戸田第2代会長が会長に就任した1951年(昭和26年)の5月、学会前進の「金剛不壊の大車軸」として「創価学会常住御本尊」を発願したことに言及。
この学会常住御本尊を中心に、創価の師弟は、紛然と競い起こる三障四魔を打ち破り、戸田会長の願業であった75万世帯の弘教を実現したと強調した。
さらに、後事の一切を受け継いだSGI会長の不惜身命の指揮のもと、地涌の陣列は、192カ国・地域にまで拡大したと力説。
今こそ「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の誓願のままに、異体同心の団結も固く、新たな広布拡大の金字塔を築きゆこうと呼び掛けた。

2016年5月31日火曜日

2016.05.31 わが友に贈る

幾多の英雄を生んだ
歴史の天地・大中部よ!
今こそ正義の大攻勢を!
わが堅塁の黄金城に
断じて大勝の旗を!

兄弟抄 P1088
『心の師とはなるとも心を師とせざれ』

☆四季の語らい
自分の中に、「仏」もあれば、「魔」もある。「強い心」と「弱い心」−−どちらに支配されていくか。「強い心」をもって、悪魔のささやきに勝てば、向上できるし、負ければ堕落である。勝てば、自身を幸福へ導くことができるし、負ければ不幸へと落ちていく。人生は、いってみれば、自分自身の心の闘争のドラマなのである。

☆女性に贈ることば 五月三十一日
日頃、子どもに語りかけるひと言を大切にしたい。日々、子どもたちと一緒に美しものを喜び、新しいものを見出していきたい。
心を育むものは、心である。

☆今日のことば365 五月三十一日
どんなささいなことであっても物事を軽視する態度は、敗北につながる。
安易な考え方に勝利はない----安直は建設の敵であるからだ。

☆全国総県長会議から 鷹尾熊本総県長
◇全同志の真心の励ましに感謝 "越せない坂はない!"と前進
一、このたびの熊本地震におきまして、学会本部から水、食料などの救援物資に加えて、全国の皆さまから、たくさんの励ましを頂戴しました。
同志の真心が、被災した私たちにとって、どれほど心強かったか、勇気となったか、計り知れません。
この場をお借りして、お礼を申し上げます。本当にありがとうございました!

◇目を疑う惨状
一、一連の地震が発生した4月14日の翌15日、私は震度7の激震地の益城町へ。
町が近づくにつれ、目を疑いました。波打つ道路、崩れ落ちた家々。信号も電柱も折れ曲がり、塀はことごとく倒れ、見るも無残な姿でした。
そして16日午前1時25分、最大震度7の本震。その後、立て続けに3度の震度6が襲い、16日の深夜には熊本平和会館に車が続々と押し寄せました。駐車場はあっという間に満車。避難者は1500人を超えました。この日から計9会館で、3374人が避難生活を送ることになったのです。
特に被害の大きかった益城町は、半数以上が全半壊しました。
ある地区部長夫妻の家は応急危険度判定で「危険」を示す赤色の紙が貼られました。しかし他に住む場所がないため、現在もその家で生活。別の地区部長は、自宅がつぶれ、今も庭にテントを張って生活しながら、地区内の同志の把握と励ましに奔走しています。一日4回、FMラジオから流れる生活情報を聞きながら、誰もが今日を生きるのに必死です。
阿蘇の西原村は約6割の家屋が全半壊し、同志の8割以上が今も避難生活をしています。
また、阿蘇大橋が崩落した地域にある南阿蘇支部立野地区。同志全員は無事でしたが、山ごと崩落して、地域全体をのみ込むという未曽有の事態になりました。先日、この地域の村民全員が村を離れることが決まりました。地元のリーダーは、悔しさに涙しながらも、"もう一度、皆で広布に立ち上がります"と誓っています。

◇必ず変毒為薬する
一、震災直後から絶望と忍耐の毎日のなかで頂いた、池田先生からのお見舞いの伝言や激励に、どれほど勇気と力を頂いたか、計り知れません。
伝言を一軒一軒、お伝えすると、被災された同志は涙を流し、「ありがとうございます」「『絶対に負けません』と先生にお伝えしてください」と、固い握手を返してくださいました。
何より4月20日付の聖教新聞の随筆で「不撓不屈の大九州たれ!」「わが熊本の同志よ!」「断じて、負けるな!」とつづってくださり、感動が熊本中を駆け巡りました。皆、この日の新聞を握りしめ、被災した同志のもとに走りました。
ある壮年が語ってくれました。
「大きな余震が続くなか、家の中を片付けては崩れ、片付けては崩れの繰り返し。避難生活を続けるなか、ボロボロになりながら闘っています。しかし、随筆に掲載していただいた『田原坂』の歌を、熊本で先生と一緒に歌ったことを思い起こし、涙の出る思いです。必ず変毒為薬します」

◇9会館で懸命な避難所運営
一、避難者を受け入れた9会館でも連日連夜、懸命な避難所運営が続きました。
特に、断水でトイレの水が無くなり、皆で毎日、井戸水を運びました。
宇土文化会館では、避難者の半分以上は地域の方でした。
1週間、2週間とたつにつれ、ガスや水道が復旧し、自宅に戻られる方が増えてきました。避難した会館を出られる地域の方々は"このご恩は忘れません!"と、口々に感謝を述べられました。
地域の友人から、次のような丁寧な手紙も頂戴しました。
「貴施設に避難させていただいた6日間を振り返りますと、私どもは学会員でないにもかかわらず、分け隔てなく避難させていただいたことに貴学会の人間愛を感じ、感謝の念でいっぱいです。
貴施設は耐震構造で、新しい畳が敷かれ、安心して気持ちよく、大きな揺れがあっても、ほとんど恐怖心なく、横になっていられました。
学会の方々は、ご自身の被災にもかかわらず、避難者に優しく、親切に気遣っていただき、ありがたいことでした」と。
5月4日には、最後の避難者が公的避難所へ移られました。
一、現在、被災された方の家々を片付ける「かたし隊」(学会の清掃ボランティア)が奮闘しています。
先日も、感謝の声が寄せられました。
この方は、途方に暮れていました。会館に相談すると、「かたし隊」が駆け付けて、手際よく片付けました。帰る際には飲み水まで置いていった。「学会の青年はすごい。学会は素晴らしい」と、心から感謝されていました。

◇田原坂の大合唱
一、5月1日、震災後初めて熊本総県の区・圏長と婦人部長が集まりました。一人も欠けずに集い合えたことがうれしくて、皆、肩を抱き合って泣きました。
思いがけなくも、池田先生より万感のメッセージを頂きました。
「この半月、本当によくぞ戦い抜いてくれた。よくぞ守り抜いてくれた。よくぞ励まし抜いてくれた。そして、よくぞ耐え抜いてくれました。ありがとう! 本当にありがとう!」
先生のあまりに深き心に皆、泣きました。
会合の最後には、1981年12月、熊本を訪問された先生と一緒に歌った「田原坂」の歌を、あの日を思い起こしながら先生への誓いを込めて、皆で大合唱しました。

?雨はふるふる 人馬はぬれる 越すにこされぬ 田原坂……
天下取るまで 大事な身体 蚤にくわせて なるものか

皆、涙を拭いながら、再びの前進を固く誓いました。
復興はこれからですが、"「越せない坂」は絶対にない!"との先生の指導を胸に、全力で戦ってまいります。

2016年5月30日月曜日

2016.05.30 わが友に贈る

◇今週のことば
行動こそ命の誇りなり。
広布のために動けば
ドラマが生まれる。
心の財が積まれる。
勇気凛々と打って出よ!
2016年05月30日

☆四季の語らい
どんなウソの宣伝でも、ただ黙って見ていれば、人々は、それが真実であると思い込んでしまう。戦わずしては正義も敗れる。時に沈黙は、屈服につながることを知らねばならない。

☆女性に贈ることば 五月三十日
花々も、毎日、成長している。あらゆる線の木々も、成長している。
人生もまた、成長である。一日また一日、希望と努力を重ねながら、最上の幸福の自身の運命を築くことだ。
決して性急な跳躍をする必要はない。

☆今日のことば365 五月三十日
自分のなすべきことに情熱を燃やそう。今やるべきことに全力を注げない人に、未来を語る資格はない。足元を着実に固めてこそ、次の大きな飛躍がある。

☆「大阪の戦い」60周年記念特集� 2016年5月21日
◇カンサイは我らの誇り! 世界で輝く関西魂
「大阪の戦い」から60周年を刻み、今や「カンサイ」は世界共通語となり、関西魂は、あの地この地で広宣流布の推進力となっている。
特集�では、海外で活躍する関西出身者による声と、"母国のカンサイ"との誇りで進む友の取り組みを紹介する。

◇スペイン ロシェ婦人部長 イトウ書記長 マツモト芸術部長
「負けたらあかん」の心意気で

ロシェ 私たち3人は、関西出身・関西育ちです。
イトウ 私は両親の仕事の関係で、2歳の時にバルセロナから大阪に移住しました。
信心の原点は、学生部時代に参加した関西文化祭(1990年10月)です。当日まで弘教拡大に走り抜き、池田先生をお迎えした感動が、19歳でスペインに渡ってから現在に至るまで、自身の前進の力になっています。
マツモト 私は20歳まで、関西戸田記念講堂(豊中市)近くの実家に住んでいました。大学卒業後、バレエ留学でベルギーへ。現地で折伏され、後にスペインで入会しました。
ロシェ 私の生まれ故郷は兵庫です。3歳まで神戸で過ごしました。師弟共戦の模範の天地で生を受けたことが、最高の誇りです!
マツモト 神戸といえば、95年1月に発生した阪神・淡路大震災が忘れられません。
前年末から一時帰国していた私は、実家のある地元組織で学会活動に励んでいました。発災後は同志と共に被災地に駆け付け、救援活動に全力をあげました。涙ながらに「絶対に負けへん!」と誓う兵庫の皆さんから、不可能を可能にする「関西魂」を教わった最初の体験です。
その後も帰国のたびに、地域の先輩方から関西の広布史を伺いました。
イトウ 関西とスペインに共通するのは「庶民的な温かさ」と「気さくで飾らない人柄」ではないでしょうか。
だからこそ、権威権力には厳しい。先生が正義の人権闘争を貫かれた「大阪事件」等の歴史も深く理解できる土壌があります。
ロシェ 91年、スペインでは宗門事件の嵐が吹き荒れました。組織は壊滅寸前に陥りましたが、約100人の同志が師と共に再建へ立ち上がりました。
以来、25星霜。「魂の独立」を果たしたスペインSGIは、当時の55倍以上となる大発展を遂げました!
その原動力の一つになったのは、会合や訪問激励の際、先生の著作などを通して、「大阪の戦い」を学び合ったことです。
マツモト 「大阪の戦い」に見る勝利の要諦——それは徹底した「個人指導」だと思います。
先生は、一軒また一軒、一人また一人と、自転車を乗りつぶして、最前線の同志を励まされました。この心を胸に、私たちリーダーは、師匠の名代として、メンバーのもとに足を運んでいます。
イトウ そして、もう一つは「断じて師匠に勝利を報告する」という「弟子の一念」に他なりません。
池田先生は立場や役職ではなく、戸田先生の弟子として、目の前の一人一人を大切にしながら、行く先々で歓喜の波動を起こしていかれました。その執念と気迫を受け継ぎ、スペイン広布の未来を開く決意です。
ロシェ 2007年11月、SGI研修会で来日し、大阪で開催された本部幹部会に出席しました。池田先生から直接、常勝の心を教えていただくことができました。
昨年6月にも、8年ぶりに関西へ。本部幹部会や交流交歓会などを通して、再び「負けたらあかん!」の息吹に触れ、勇気がみなぎりました。
イトウ これからも自身の生命の土台である「関西魂」を明々と燃やし、スペインから欧州、さらに世界へ、人間主義の大潮流を広げていきます!

◇インド ムンバイの友
11万1111人の拡大に先駆

昨年11月、11万1111人の地涌の連帯を構築し、世界広布をリードするインド創価学会(BSG)。その先頭を走るのが、同国第2の都市・ムンバイのメンバーである。
昨年3月、六つの総合本部からなるムンバイは同国屈指の拡大を成し遂げた。その報を聞いた池田SGI会長は"インドの関西のようだね"と伝言を贈った。
実は、以前からムンバイの友は、"インドのカンサイ"との自覚で活動に励んでいた。師の激励を受けたことで、「常勝」が合言葉となり、小説『人間革命』第10巻の研さんにも熱が入っていく。師が関西の同志に教えた、「強盛な祈り」「最高の行動」を実践し、8月にインド一の拡大を達成。インド10万のスクラム構築の原動力となった。
さらに、師が打ち立てた1万1111世帯になぞらえ、年末までに11万1111人の陣列を築くという新たな目標が打ち出される。その達成に向けても、ムンバイが拡大の範を示した。
本年1月、ムンバイの同志に、うれしいニュースが飛び込んできた。ムンバイの男子部担当者のゴーラブ・サブーさん、女子部担当者のアナミカ・グプタさんが、全国男子部長、全国女子部長に就任したのだ。
ムンバイは、人材育成でもインドをリードする。
壮年・婦人部は、青年が自主的に活動できるよう、常に心を砕いている。折伏や訪問激励に率先し、若人を鼓舞する伝統がある。
またムンバイでは、昨年来、多くの新会員が誕生。活動者が一対一の個人指導を心掛け、新会員が抱く疑問に明解に答えた。
地道な人材育成により、会合参加者の"水かさ"は増し、多くの青年リーダーが登用されるようになった。
そして本年初頭、BSGが新たに掲げた目標は、「10万人の青年部」の構築。その達成を目指し、ムンバイの友は、今再び対話に先駆する。
ムンバイを担当するビネイ・ジェイン副壮年部長は語る。
「ムンバイは、暴動やテロ、壊滅的な洪水被害等、多くの苦難を乗り越えてきました。宿命転換に燃えるメンバーたちは、関西魂に通じる『負けじ魂』を持ち合わせています。師弟不二の精神を一人一人に脈動させ、ムンバイに常勝の城を築く決意です!」

◇アメリカ ストラウス理事長
"故郷"兵庫で学んだ常勝の精神

率直、明るい、負けず嫌い、そして、温かい。関西の同志とアメリカのメンバーの共通点です。
振り返れば、私の入会動機は、関西の温もりに触れたことがきっかけでした。
日本語の習得を目指し、ニューヨークから神戸に移り住みましたが、異国の地で友人は少なく、休日は公園のベンチに座り、一人で勉強していました。
そんな私に声を掛けてくれたのが、地域の男子部の方でした。今思うと、見ず知らずの外国人に手を差し伸べるなんて、何と勇気のいることでしょうか。あらためて、関西人の度胸の大きさに驚かされます(笑い)。
以来、毎週、神戸市中央区の男子部の集いに出席するように。皆さんは、私を外国人扱いせず、時にはユーモアを交えながら、ざっくばらんに池田先生の偉大さ、「負けたらあかん!」との常勝の精神を教えてくださいました。
その献身の姿に心を打たれ、私は1984年10月に入会。関西は"第二の故郷"となりました。
今月、池田先生の指揮のもと、1万1111世帯の弘教を成し遂げ、「"まさか"が実現」と世間を驚かせた「大阪の戦い」から60周年を迎えました。
アメリカSGIでは今、フロリダ自然文化センターで研修会を開催し、小説『人間革命』第10巻などを教材に、「大阪の戦い」を多角的に研さん。アメリカの機関紙「ワールド・トリビューン」、教学誌「リビング・ブディズム」でも、「大阪の戦い」特別企画が掲載されました。
さらなるアメリカ広布の伸展のために「大阪の戦い」から学ぶべき点は、�師匠への求道心�「一人」を大切にする心�御書根本の姿勢�不可能を可能にする精神であると実感します。
現在は青年部を先頭に仏法対話を全土で展開。"関西出身"の私も、勇気凛々と師の心を伝えていきます。

2016年5月29日日曜日

2016.05.29 わが友に贈る

我らの目的は
恒久平和の建設だ。
その土台たる
一人一人の変革へ
足元から波動を!

異体同心事 P1463
『日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』

☆四季の語らい
何事も、戦う限りは負けてはならない。「仏法は勝負」であり、人生も「勝負」である。健康も勝負−−体内では白血球と病原菌が戦っている。草木が伸びるのも勝負−−戦い、勝ったから、青々と伸びられる。一切法が「勝負」である。勝てば幸福、負ければ不幸である。勝つための人生であり、勝つための信心なのである。

☆女性に贈ることば 五月二十九日
世界を支えているのは、一部の偉ぶった指導者などではない。目立たなくても、自らの使命に生き抜いている、お母さんたちです。

☆今日のことば365 五月二十九日
人々の批判をする前に
先ず自分をつくれ
自分を養え

☆「大阪の戦い」60周年記念特集� 2016年5月20日
◇次代へ語り継ぐ黄金史 永遠なれ! 君と我との絆よ
「師匠の恩は 山よりも高く 海よりも深し 同志の愛は 月光の如く 美しく消えず」。1956年(昭和31年)、池田SGI会長(当時、青年部の室長)は関西の同志に、この言葉を贈った。
同年の「大阪の戦い」に加わり、翌年の「大阪大会」に集った友への思いを「その同志が、いな、その同志のご一家が、永遠に福徳に包まれた勝利の人生であることを、今でも祈っている」と、つづっている。
君と我とは、久遠からの使命で結ばれた同志——あまりにも深き慈愛で、功労の友を見守り、励ましてきたSGI会長。その万感の期待に応え、常勝の伝統を築いた関西家族。特集�では、60年にわたる師弟の絆と、次代への継承の取り組みを紹介する。

◇落合関西青年部長
関西の草創の先輩方が、池田先生と共に築いた、1万1111世帯の弘教という「不滅の金字塔」。それは、いかなる障魔の嵐が吹き荒れようと、先生と"心のギア"を合わせ、勝ち越えることで打ち立てられました。
「師弟」に徹すれば乗り越えられない壁はない——「大阪の戦い」から60周年の今、この常勝の魂を実践の中で受け継ごうと、関西青年部は各地で、対話に奔走しています。
兵庫・姫路総県ヤング男子部は、関西をリードする拡大。大阪・浪速区の男子部は、3月からの2カ月間で「1万1111人」以上の対話を目指し、見事に達成しました。
関西女子部の合言葉は「御書根本の常勝」。教学の研さんに力を注ぎつつ、小説『人間革命』10巻を学んでいます。特に、6・4「世界池田華陽会の日」を目指し、友情の輪を大きく広げる兵庫女子部の活躍が光っています。
先生が「"まさか"が実現」と世間を驚嘆させた7月は、「青年の月」「関西の月」。池田門下の誇りで進む関西青年部が今こそ、新たな常勝の金字塔を打ち立ててまいります!

◇山本関西女性未来本部長
「大阪の戦い」から60周年の本年、池田先生が関西に刻んでくださった「常勝の精神」を次代へ伝えようと、関西各地で、未来部育成の取り組みを行っています。
大阪・堺総県東総区では、毎回の本部幹部会中継行事の折に開催する未来部の集いで、広布史を学び合い、そこに刻まれた学会精神を学んでいます。
京阪総県は、52年(昭和27年)8月14日、先生が関西を初訪問された「関西・師弟原点の日」の淵源を寝屋川の2分県で小冊子にまとめるなど、家族で研さんする取り組みを続けています。
先月、関西文化会館内でオープンした関西広布史記念展示「師弟常勝の魂」にも、家族と共に、たくさんの未来部員が訪れています。
「池田先生の関西に対する深い思いを知ることができました」「大阪大会での"最後は信心しきった者が必ず勝つ"との先生の叫びが心に残りました」との声が寄せられるなど、常勝の歴史と誓いを語り合う、貴重な機会となっています。
「常勝後継の宝」である未来部員を、各部一体で、全力で励ましてまいります。

◇新大阪総県 西光数子さん 「今日も元気で」を励みに
阪急の上新庄駅(大阪市東淀川区)から3分ほど歩くと、街の一角に5階建てのビルがある。西光数子さん(新大阪総県婦人部主事)が、夫の忠治さん(故人)と共に建てた信心の功徳の証しだ。
その5階に住む数子さんは91歳の今も、ビルの階段を上り下りして、元気に座談会等に出掛ける。
60年前の「大阪の戦い」に参加したのは、夫婦で入会した翌年。班長・班担当員を務め、当時、日本橋3丁目にあった自宅は、地区・班の広布の会場となった。
大阪中を歩きに歩いて対話したこと。巻き起こった題目の渦。そして凜々しくも気迫に満ちた、若き池田室長の御書講義——「常勝の原点」の歴史に連なった歓喜は今も胸に。
子どもは男の子5人。全員が今、壮年部の第一線で活躍する。
だが、数子さんにはもう1人、男の子がいた。
池田室長の渾身の励ましを受けたのは58年(同33年)、その長男を9歳で、交通事故で亡くした時だった。関西本部(当時)を訪ねた夫婦に、室長は「明日からは毎日、"今日も元気で"と自分に言い聞かせて頑張るんだよ」と。
それから10年後の68年(同43年)、小説『人間革命』の第4巻が届いた。扉には、SGI会長の字でこう記されていた。
「元気かね。豊かな信心で いつも若々しく。子等が育ちゆけば 日本一の幸福者となるを 誇り高く自覚して・・・・・今日も元気でね」
5つの「・」は5人の子どもという意味です、と伝言があった。草創の苦労を分け合った友を、決して忘れない——震えるような感動とともに、この師の心を知ったのである。
三男の晴彦さんは、大学教授を務めながら現在、新大阪総県の総県長を。78年(同53年)、その晴彦さんが学究のため、カナダ留学に旅立つ前のこと。数子さんは、香峯子夫人に、一家のことを詳しく報告する機会があった。
後日、数子さんに大きな封筒が届く。
中に入った原稿用紙には「金の家 金の旅ゆけ 金の君」と、SGI会長の筆でつづられていた。
晴彦さんは言う。
「父の晩年まで、西光家では毎年、夏や年末に一族で集まり、先生と家族の歴史を確認し、決意を語る座談会を開いてきました。"西光家座談会"という横断幕も張って」
その中で、数子さんにとっては孫にあたる、晴彦さん・光枝さん夫妻の子——愛莉さん、希翔さん、恵未莉さんにも「師弟の心」が受け継がれている。
5人の子、13人の孫、3人のひ孫に囲まれた数子さん。いつも温かく励ましてくれるおばあちゃんの口癖を、孫たちが教えてくれた。
「負けたらあかんで!」

◇東大阪総県 村田只四さん 忘れ得ぬ"金字塔の瞬間"
「大阪の戦い」を、大阪支部幹事として戦った村田只四さん(東大阪常勝県主事)は、60年前、歴史的な瞬間に居合わせた。
56年(昭和31年)5月末、1カ月の折伏の報告がまとまる日に、村田さんは、関西本部の2階にあった統監部室に駆けこんだ。
「どうなりました?」。机に向かっていた統監部の責任者に聞く。責任者は感慨を抑えるように言った。
「1万1111世帯!」
関西に築かれた師弟の"金字塔"。報告を聞いて池田室長は言った。
「関西は、これから、何でも一番、一番、一番、一番、一番だ。その永遠の基本を今、つくったのです」
同年8月、村田さんの妻・喜美江さん(支部副婦人部長)は、池田室長から手紙を受け取った。躍進する学会への弾圧が強まり、只四さんは無実の選挙違反の疑いで勾留されていた。
「御主人お留守の由、誠にお淋しき事と存じ上げます」「如来の使の使命を果した主人を立派に迎へられますように、祈り居ります」
その激励を支えに、障魔を勝ち越えた夫妻。広布一筋のその姿を目にして、8人の子どもたちは育った。
「父が御書講義を担当した時のことを聞いたことがあります。池田先生に『どんな講義でも、私がそばにいると思ってやりなさい』と教えられたそうです。家にいる時も父は、唱題するか御書を読むかの、どちらかでした」(三女・後藤千恵子さん、地区婦人部長)
「母は芯の強い人。父は家でも外でも優しかった。そういう両親の普段の振る舞いを見て育ち、女子部・婦人部で活動するようになって、両親の生き方の根本に"師弟"があるのだと分かりました」(五女・中尾光代さん、支部婦人部長)
「普段は多くを語る父ではなかったけど、聞けば聞くほど、先生がどれだけ学会員を大事にしてくださっているのかを知りました」(三男・村田伸作さん、地区幹事)
「両親だけでなく、家族の私たちも、ことあるごとに先生から激励や伝言をいただいてきました。この先生の慈愛を語り継いでいかねば、と思います」(次女・長友眞理子さん、支部副婦人部長)
長友さんの長男・賢一さんは、方面男子部主任部長兼任の圏男子部長。「先生との歴史を継承することは、先生の生き方に連なること。祖父をはじめ草創の先輩の姿に、そう教えていただいています」
村田只四さんは今、96歳。御書の拝読をはじめ、聖教新聞などの熟読も欠かさない。
「先生と戦えたことが生涯最高の福運です!」。御書講義で鍛えた、生命力あふれる声は健在である。

2016.05.28 わが友に贈る

広布のために
人と「会い」「語る」。
そこに人間革命への
直道がある。
わが心の壁を破れ!

上野尼御前御返事 P1580
『法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り口に唱ふれば其の口即仏なり』

☆四季の語らい
人間は、自らの一念が後退する時、立ちはだかる障害のみが大きく見えるものである。そして、それが動かざる"現実"であると思い込んでしまう。実は、そこにこそ、敗北はある。いわば、人生における勝敗の鍵は、己心に巣くう臆病との戦いにあるといってよい。

☆女性に贈ることば 五月二十八日
順調な時ばかりでは、本当の幸福を実感できるはずがない。
険しき山河がありても、すべてを悠々と乗り越え、深く人間の価値を知りながら進むことだ。
そこには喜びがある。そこには満足がある。そこには後悔がない。

☆今日のことば365 五月二十八日
彼は 今日のために
 未来を忘れている
僕は 未来のために
 今日を修行するのだ

☆「大阪の戦い」60周年記念特集� 2016年5月19日
◇師弟一体で築いた「常勝の原点」「拡大の要諦」を学ぶ
若き日の池田SGI会長が指揮を執り、広布拡大と民衆勝利の金字塔を打ち立てた1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」から本年で60周年。本紙では3回の特集を行い、常勝関西の原点である「大阪の戦い」の歴史を振り返るとともに、現代に受け継がれる常勝の精神、そして世界に広がる「カンサイ・スピリット(関西魂)」を紹介する。特集�では、若きSGI会長の行動から広布拡大の要諦を学ぶ。

◇一切の根本は祈り
「策ではない。生活、闘争、福運の源泉は全て題目だ」

1956年1月。青年部の室長だった池田SGI会長は、「大阪の戦い」のスタートに当たり、御書の次の一節を拝した。
「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(1132ページ)
そしてこう訴えた。
"御本尊に祈って願いが叶わないことは、絶対にありません。不可能を可能にするのが信心なのです"
策ではない。要領でもない。広宣流布の戦いである以上、一切の根本は祈りである。強盛な祈りから、全てを始めるのだ——これがSGI会長の最初の訴えだった。
誰よりSGI会長自身が、唱題に徹した。会合を終え、夜、関西本部(当時)に戻ってから一人で唱題。同志の車に乗り、各地を回っている時も小声で唱題した。
「池田先生は事故が心配で唱題してはる」と思ったメンバーが「事故は起こしませんから」と言うと、SGI会長は「大阪の大地に題目を染みこませているのです」。
"十界のあらゆる衆生が広布の味方になるように"——その一念で、時間を見つけては題目を唱え続けた。
また、ある同志に対しては次のように指導している。
「仏道修行で、一番やさしい修行は唱題であり、一番難しい修行も題目を唱えることです。一切の源泉、生活の源泉、闘争の源泉、福運の源泉は、全て題目です」
唱題で生命力をみなぎらせ、勇気と智慧を湧き出させていく。そして、拡大の対話に打って出る。自身の人間革命、生活革命に挑んでいく。
それが広布の根本であることを、一貫して訴えたのである。

◇弟子の団結で勝った
「法華経に勝る兵法なし」 戸田会長の教えを実践

この年(56年)の4月、SGI会長は「信心と団結でしか、勝てぬことを忘れるな」と日記に記している。
勝利の要諦は「信心の団結」「異体同心の団結」にある——これは年頭、最高幹部に対して戸田第2代会長が訴えたことであった。
広宣流布の師匠に心を合わせなければ、広宣流布はできない。
SGI会長は、まず自らが師と不二の心で立ち上がり、師弟の精神を根幹として"弟子の団結"を築いていった。それは、戸田会長のもとで学んできた「法華経の将軍学」を実践しゆく戦いであったといえる。
当時、関西の同志は人数も少なく、そのほとんどが入会間もないメンバーだった。
SGI会長は、大阪に滞在中は毎朝、関西本部で御書講義を行った。
御書の御文を縦横に拝しながら信心の偉大さを語り、妙法を持った一人一人の使命がどれほど尊いかを訴えていった。
拡大が進むにつれ、広布を阻む障魔も現れた。マスコミによる学会への中傷、同志の間の不和……SGI会長は、魔の蠢動を鋭く見破り、信心の利剣で打ち破っていった。
SGI会長は語っている。「いかなる戦いにせよ、信心根本です。法華経に勝る兵法なしです」
戦いが激しくなると、毎晩のように、東京の戸田会長に電話で状況を報告した。
正座して、受話器を握るSGI会長。あたかも戸田会長が眼前にいるかのようだった。
"尊敬する池田先生が、あのような厳粛な姿で仕えられる戸田会長は、どれほど偉大な師匠なのか"
関西の同志は、観念や理屈ではなく、SGI会長の振る舞いから「師弟」を学んでいったのである。

◇自らが最前線へ!
1日で20会場以上を訪問。個人指導に全力を挙げる

「指揮官が先頭に立つ。それが勝利の因です。『城の主剛ければ守る者も強し』(御書979ページ)なのです」
大阪の戦いで、SGI会長は常に自らが活動の最前線に立った。
個人指導に全力を傾け、約半年で8000人の友に会い、励ました。自転車3台を乗りつぶしたという。
当時、家が自転車販売店で、SGI会長が自転車を借りに来たという友は語っていた。
「先生は自転車で会場を回りに回られました。回り終わると、自転車でサーッとわが家に入ってこられました。そのすごい勢いに圧倒されました」
当時の心境を、SGI会長は後につづっている。「行く先々で『まだ、時間がある』『まだ、励ませる』と動くうち、日に二十五、六会場を回ったこともある。全身に汗は流れ、声は嗄れ、足は棒のようになった」と。
その個人指導の勢いは、"大阪の全会員と会われたのでは"と言われたほどであった。
激励を終えたSGI会長は、関西本部で深夜まで机に向かった。その日に励ました一人一人へ、はがきや手紙を送るためである。
ある友が受け取ったはがきには、「仏法は勝負である。最後迄進みゆく者が最後の勝利者である」と。
一度、出会った友のことは忘れない。その同志が仏法の功力を実感し、信心根本に立ち上がるまで、祈り、励ましを送り続けた。
また、各地の座談会で多くの新来者を自ら折伏。一つの会場で20人以上の新入会者が誕生したこともあった。怒濤の上げ潮の中、5月の折伏成果で、大阪支部は「1万1111世帯」の不滅の金字塔を打ち立てた。
そして、「まさかが実現」と語り継がれる、民衆勝利の歴史が築かれたのである。

2016年5月26日木曜日

2016.05.26 わが友に贈る

猛然と祈り動けば
全てが味方に変わる。
これが大仏法の原則だ。
善の連帯の拡大へ
勇猛精進の日々を!

乙御前御消息 P1219
『犬は師子をほうれば腸くさる修羅は日輪を射奉れば頭七分に破る』

☆四季の語らい
いわれなき非難などには、断じて屈しない。毅然と信念の歩みを貫く。とともに、民衆のため、青年のためには、わが身をなげうち、犠牲となって奉仕していく−−。この崇高な精神をもって挑戦を続けていく限り、時代の変転、障害があろうとも、行き詰まりはない。

☆女性に贈ることば 五月二十六日
親は子どもにとって、最も身近な人生の先輩ともいえる。
平凡であってよい。地味であってよい。失敗があってもよい。
しかし、人間としてのたしかなる完成、また虚栄ではない、真実の栄光を見つめた自らの生き方の軌跡を、子どもに示せる存在でありたい。

☆今日のことば365 五月二十六日
君が もっと明確に
 確信をもって物事をいえば
人々は惑わずに救われたのではないかと
 私は 忠告したいのだ

☆仏法の教え 師子吼 2016年5月17日
◇師弟直結の「師子王」の闘争を!
〈Q〉御書には「師子」「師子王」という言葉が多く出てきます。
〈A〉釈尊、大聖人が「師子王」であり、法華経の行者である私たちも「師子王」です。
『法華経の行者は日輪と師子との如し』(乙御前御消息、P1219)

『師子の声には一切の獣・声を失ふ』(P1393)
何ものも恐れずに堂々と振る舞う"百獣の王"ライオン。
日蓮大聖人は、御書の随所で「師子」「師子王」という言葉を使われています。
例えば、ただ一人で多数の外道を責め抜き、勝利した釈尊の姿について『仏(釈尊)は一人であり、外道は多勢であったけれども、外道は蟻のようなものであり、仏は竜のようで、また師子王のようであられたので、責め勝たれたのです』(P1301、通解)と述べられています。
また、『法華経は師子王のようなものであり、師子があらゆる獣の頂点に立つようなものです』(P1316、通解)等、万人成仏の法理を明かした法華経こそが"師子王の経典"であると表現された御書もあります。
さらに『日蓮程の師子王』(P982)等、大聖人御自身についても「師子王」になぞらえられています。
『法華経の行者は「太陽」や「師子」と同じなのです』(P1219、通解)
法華経に説かれるとおりに、日々、妙法弘通に励む私たち一人一人も「師子王」なのです。

〈Q〉「作師子吼」について教えてください。
〈A〉弟子が師匠の心のままに主体的に戦いを起こす大切さを示しています。
『師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり』(御義口伝、P748)

「作師子吼」という言葉は、法華経勧持品に出てきます。釈尊の前で、釈尊滅後の弘教を誓う菩薩たち。その模様について「便ち仏前に於いて、師子吼を作して、誓言を発さく……」(法華経417ページ)と説かれています。菩薩たちの真剣さや勢いを「作師子吼」と表現しているのです。
「御義口伝」には、「作師子吼」について「『師』とは師匠が授ける妙法、『子』とは弟子が受ける妙法であり、『吼』とは師弟が共に唱える音声をいう。『作』とは「おこす」と読む。末法で南無妙法蓮華経をおこすことをいうのです」(P748、通解)とあります。
「師子吼」とは仏の説法のことであり、さらにいえば南無妙法蓮華経です。そして、『作とはおこすと読むなり』——弟子が主体的に戦いを起こしてこそ「作師子吼」になります。
「『師弟不二』です。『おこす』とは能動です。受け身ではなく、積極的に立ち上がってこそ『おこす』ことになる。どこまでも弟子の自覚、決意の如何である、ということです」(『池田大作全集』第32巻、「御書の世界」)
師弟不二の要諦は、弟子が師匠の心のままに率先の行動を起こす中にあることを「作師子吼」の一節は教えています。

〈Q〉師子吼といっても、自分には縁遠いものに感じます。
〈A〉「師子王の子は師子王」との自覚に立てば、無限の勇気が湧き起こります!
『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』(聖人御難事、P1190)

日蓮大聖人が御自身を「師子王」に譬えられた御書を拝すると、大聖人は弟子に対しても「師子王」となって戦おうと呼び掛けられていることが分かります。
『師子王の子は師子王となる・いまだ人王・天王等とならず』(P1216)
『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ』(P1589)
一切衆生の救済を願って、いかなる障魔にも屈することなく妙法弘通に生き抜かれた大聖人の御生涯は、まさに"師子王の軌跡"です。真剣な唱題に励み、御本仏と同じ仏の生命を湧き上がらせ、大聖人に連なる"師子王の闘争"を開始する——。ここに師弟の宗教の真髄があります。
『あなたがた一人一人が師子王の心を取り出して、どのように人が脅そうとも、決して恐れてはなりません。師子王は百獣を恐れません。師子の子もまた同じです。彼ら(正法を誹謗する人々)は野干(よく吠える小型の獣)が吼えているのと同じです。日蓮の一門は師子が吼えているのです』(P1190、通解)
日蓮大聖人直結の弟子の自覚に立った時、無限の勇気が湧き起こり、見事な「師子吼」の戦いを起こすことができるのです。

◇智慧の扉 前三後一
『師子王は前三後一といって、蟻の子を取ろうとする時にも、また、猛々しいものを取ろうとする時も、全力で飛びかかることは、まったく同じなのです』(P1124、通解)
この仰せに出てくる「前三後一」とは、ライオンが敵に向かう時に、全力をためるために身構えた姿のことです。ライオンは、相手が蟻であっても猛獣であっても油断することなく常に全力を尽くして飛びかかります。
ライオンの姿勢と同じように、小さなことであっても一つ一つに真剣勝負で取り組み、勝利を積み重ねていく——これこそ、師子王の戦いといえるでしょう。

2016.05.25 わが友に贈る

二度と来ない今日
自身の課題は何か。
なすべき使命は何か。
朝の誓願の祈りから
日々新たな出発を!

富木尼御前御返事 P975
『設い業病なりとも法華経の御力たのもし、阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ陳臣は十五年の命をのべたり』

☆四季の語らい
仏典では「人のために灯をともしてあげれば、自分の前も明るくなる」と説いている。他者の生命を敬い、他者の個性を輝かせてゆくことが、自他ともに未来を光輝あらしめる王道であろう。

☆女性に贈ることば 五月二十五日
「もったいない」この日本の母の"知恵の代名詞"ともいうべき言葉が、環境問題を打開する道として、世界に希望を広げている。
どんなものも無駄にしないという慈しみの心ーこの「母の心」 が、命を尊ぶ心、他者を思いやる心を育むからだ。

☆今日のことば365 五月二十五日
純粋な愛情は美しい。しかし、愚かと、もろさも、そこには同居している。そのために、愛情をふみにじられて、不幸に泣く女性のいかに多いことか。あなたは、そうした不幸の人であってはならぬ。

☆御書と歩む 第15回 立正安国の声を広げよ
『法華経の法門を一文一句なりとも人に・かたらんは過去の宿縁ふかしとおぼしめすべし』(椎地四郎殿御書、P1448)

◇通解
法華経の法門を一文一句であっても、人に語るのは、過去世からの縁が深いと思うべきである。

◇同志への指針
昼夜を分かたず、法のため、友のため、社会のために、打って出る信念の対話は、全て宿縁ふかき地涌の菩薩の行動である。仏縁が広がらないわけがない。
苦悩に沈む友に寄り添い、励ましの声を掛ける。民衆の幸福の社会を築くために正義と真実の声を上げる——。
大聖人に直結する我らの希望と信頼のスクラムこそ、「立正安国」への直道なのだ。

2016年5月24日火曜日

2016.05.24 わが友に贈る

幸福島の建設へ走る
わが沖縄の友よ!
不屈の魂を燃やせ!
異体同心の団結で
共に歓喜の舞を!

如説修行抄 P505
『南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死に死るならば釈迦多宝十方の諸仏霊山会上にして御契約なれば須臾の程に飛び来りて手をとり肩に引懸けて霊山へはしり給はば二聖二天十羅刹女は受持の者を擁護し諸天善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ送り給うべきなり』

☆四季の語らい
人生は、毎日が新しい一日である。かけがえのない一日である。目標も挑戦もない、「やらされている」という心の人には、自分自身の本当の歴史は築けない。瑞々しい真剣勝負の日々に偉大な勝利は開かれる。

☆女性に贈ることば 五月二十四日
コンプレックスは、あなたが強く生きていく力となる。すべてのコンプレックスが、あなたの力となる。
コンプレックスに苦しまなかった人は、繊細な心のメロディーがわからない。
コンプレックスで悩んだ分だけ、いじめられた分だけ、心のひだは深くなる。心の響きも豊かになり、人の心がわかる人間になれる。

☆今日のことば365 五月二十四日
平凡なことであるが、およそ対話を抜きにして人間生活は考えられない。否、今日のような殺伐とした時代にあっては、対話こそが、人間の人間に対する不信感を、信頼感に一変させ、あらゆる隔絶を埋める、救いの手段といってよい。

☆創価大学通信教育部開設40周年 創立者が機関誌「学光」に特別寄稿
◇「信」を「通」い合わせ人間教育の大道を
人生の年輪を重ねると、一年ごとに、うれしい佳節を多くの友と分かち合える機会が増えます。
その中でも、わが創価大学通信教育部の開設40周年は、この上ない喜びであり、感無量の慶事であります。
創立以来の悲願であった通信教育部が、晴れの開学式を行ったのは、1976年(昭和51年)の5月16日。「重大な歴史の日」として、私の人生においても、黄金の輝きを放っております。
以来、創価の誇り高き向学の友たちは、日本全国、さらに世界各地で、年齢も、立場も、国籍も超えて、互いに励まし合い、学び続けてきました。
見事に卒業を果たした学友は、1万8000人に上ります(2016年3月現在)。教員採用試験の合格者は、15年連続で100人を超え、累計で3000人を突破し、教育界に希望と信頼を広げる連帯となりました。
私のもとへ、通教同窓生の皆さん方から、社会での尊き奮闘と勝利を伝える便りが届かない日はなく、創立者として、これほどありがたく、胸に迫ることはありません。
「学は光なり。無学は闇なり」——。創価教育の父、牧口常三郎先生のこの信念こそ、私が創大通教の機関誌を「学光」と命名した由来であります。
私たちの世代は、戦争のゆえ、最も学べる時に「学の光」を奪われました。
私も終戦の17歳の時から夜学に入り、その後も必死に働きながら学んだ一人です。
それは、常に時間の制約と、生身の体力の限界との闘争でした。あまりに体がつらくて、教科書を一ページすら読み進めることができない日もありました。それゆえに、言うに言われぬ皆さんのご苦労は、痛いほど分かっているつもりであります。
求道の心燃ゆる皆さん方は、それぞれに光を求めて、「学問探究の道」「価値創造の道」「人生勝利の道」を切り開くため、創価の人間主義の最高学府を選んでくださいました。その崇高な心に、私は胸奥より感謝します。
学べば「世界」は広がる。「学ぶ」こと自体が「喜び」であり「幸福」です。「学ぼうとする決意」は即「希望の光」であり、「学び抜こうとする執念」は即「勝利の光」であるとは言えないでしょうか。

◇いかに学ぶか
よき伝統には、よき原点があります。
110年ほど前、牧口常三郎先生が、働きながら学ぶ女性たちに対して「通信教育の勉強法」を語られた、貴重な講義録が残っています(『創価教育研究』第6号に収録)。
34歳の牧口先生は、自ら創立した「大日本高等女学会」で「外国の地理」を担当されていました。
新しい世界を学び始めた女性たちに、先生は——皆さんは、教室で直接、教師から授業を受けても理解しづらい学問を、自宅で自習しようというのですから、難しいことはもちろんです。教える側にとっても、すこぶる困難なことである——と寄り添っていかれます。そして、これまで幾多の若人を薫育されてきた経験を踏まえつつ、誠にこまやかなアドバイスを贈られるのです。
一、教科書を読む時は、とても一回の読み流しで覚えられるものではありませんから、少なくとも2、3回は繰り返して読むこと。
一、声に出すと記憶しやすいこと。
一、教科書を目で見ただけでは覚えられるものではない。丁寧でなくてよいから、自分で書いてみること。
一、ノートに書き込んだ大切な事柄は、順序よく並べ直して、繰り返して見ること。
一、優れた学生には、いろいろと工夫して自習ノートを作って学んだ人が多いこと。
一、用事の隙間、仕事の合間に、ちょっとずつ、二つ三つと、徐々に学ぶこと。
まさしく時を超えても通じる実践知です。

◇皆が光の宝友
牧口先生の目の前には、家庭で、職場で、さまざまな壁に直面しながら、夢や理想を胸に、孤独な勉学の闘いを開始した人たちがたくさんいました。
どうすれば彼女たちが、初めて接した学問の高き峰々を踏破できるか——教える側が振り絞る、この「知恵の奔流」こそ、創価教育の熱き源流であったと、私には思われてなりません。
牧口先生が通信教育にささげた情熱は、歴史に輝く教育改革の淵源の一つとなりました。それはまた、「生活の学問化」と「学問の生活化」の往復作業を土台として、考察を深めゆく「創価教育学」の核心ともなっています。
わが恩師・戸田城聖先生は戦後も、牧口先生の価値創造の大原則を受け継ぎ、中学生向けの数学や英語などの通信添削に取り組まれました。
牧口・戸田両先生も、私も、学びたくとも思うように学べない青春を過ごしました。だからこそ、けなげに学ぶ人々と力強く「信」を「通」い合わせて、「学は光」の大道を開きたいと願ってきたのです。
それは、人間生命の持つ尊厳性への「信」であります。自他共の無限の可能性への「信」であります。
さらに社会と世界を必ずよりよく変えていける人類の英知の力への「信」であります。
今、わが創大の通信教育部の皆さん方が、この誉れの系譜に真っすぐに連なってくださっています。
創大通教に学ばれる愛娘を、東日本大震災で亡くされた宮城県石巻市のお母さまが、その遺志を受け継がれて、通教に学ばれております。
東北の通教家族の慈母として皆を温かく励ましてくださっていることも、涙の出る思いで伺いました。
通教の皆さん方が、これから無数に続く学友たちとも、限りなく「信」を「通」い合わせてくれる未来を、私は思い描いております。今、厳しくも楽しき「自己との闘い」に粘り強く挑みながら学び、「心の財」を積まれている皆さんへ、そして将来の通教生たちに、私は、若き日から大切にしてきた法華経の一節を贈りたい。
「忍辱の大力 智慧の宝蔵あり」と。
私にとっては、創大通教で学ぶ皆さん全員が、かけがえのない光の宝友であり、最も期待してやまない英才です。共々に、栄光の開設50年を目指し、悔いなく朗らかに、新たな前進を開始していきましょう。
最後に、いつも尊き真心と情熱で、建設の労苦を共にしてくださっている教職員の先生方、また各地でお世話になっているすべての方々に心から深謝し、
創大通教同窓の友よ
皆、健康王であれ!
幸福長者であれ!
勝利博士であれ!
学光王者であれ!
と願い、私の寄稿とさせていただきます。

2016年5月23日月曜日

2016.05.23 わが友に贈る

◇今週のことば
広布は正義の言論戦!
ひるまぬ勇気だ。
心を揺さぶる確信だ。
声を惜しまず
朗らかに語り切れ!
2016年05月23日

崇峻天皇御書 P1173
『返す返す今に忘れぬ事は頚切れんとせし時殿はともして馬の口に付きてなきかなしみ給いしをばいかなる世にか忘れなん、設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし』

☆四季の語らい
「心こそ大切」である。状況がどうであれ、自分自身の胸中に「戦う心」が燃えているかどうかである。何があろうと「戦う心」を燃やし続けた、その姿が人間の「勝利」である。一時の勝敗という次元ではなく、「戦い続けた」事実によって、人間として、また信仰者として、永遠性の次元での勝者となる。その人の歴史は、必ず後世まで輝いていくに違いない。

☆女性に贈ることば 五月二十三日
笑顔はいわば、ふくよかに香る心の花である。

☆今日のことば365 五月二十三日
漠然とした一日一日を私は避ける
短いこの世にあって 怠惰を乗り越え
人々に感銘を与えながら
この新たなる人生を終わりたい

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 開目抄�
◇師弟不二の信心で真っすぐに成仏の道を
今月は、「開目抄」の後半を学びます。法華経の行者としての日蓮大聖人の大境涯を拝し、師弟不二の信心で前進していきましょう。(池田SGI会長による本抄の講義は、『開目抄講義』上下巻〈聖教新聞社〉に収録されています)

◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が佐渡に着いた直後から構想され、文永9年(1272年)2月に四条金吾を介して門下一同に与えられました。
題号の「開目」とは、文字通り「目を開く」ことであり、末法の一切衆生を救いゆく「大聖人に目を開け」との呼び掛けとも拝されます。本抄は、大聖人こそが末法の御本仏であることを明かされた「人本尊開顕の書」です。
当時、大聖人だけでなく、門下にも迫害が及び、弾圧を恐れた多くの門下が退転しました。
本抄では、当時、弟子たちが抱いていた"大聖人が法華経の行者であるならば、なぜ諸天の加護がないのか"等の疑問に対し、法華経を経文通りに実践すれば三類の強敵が競い起こることは必然であり、その通りの難に遭っている大聖人こそ真の法華経の行者であると示されています。

◇拝読範囲の大意
末法において妙法弘通を貫けば、三類の強敵が出来することは法華経に説かれる通りであり、その通りの難を受けている日蓮大聖人こそ真の法華経の行者であると示されています。
その上で、どのような難に遭おうと断固、末法広宣流布に進む覚悟を示され、自らの民衆救済の誓願を破ることはできないと述べられます。そして弟子たちに、諸難に遭っても疑う心なく信心を貫けば仏の境涯を開けることを教えられます。
最後に大聖人こそ、人々が尊敬すべき主師親の三徳を具えた末法の御本仏であることを示されています。

◇御文
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし』(P234ページ7行目〜9行目)

◇通解
私も、そして私の弟子も、いかなる難があっても疑う心がなければ、必ず仏界に至るのである。天の加護がないからと信仰を疑ってはならない。現世が安穏ではないからと嘆いてはならない。私の弟子に朝に夕に教えてきたけれども、疑いを起こして、皆、法華経を捨ててしまったようだ。弱い者の常として、約束したことを大事な時に忘れてしまうものである。

◇解説 「まことの時」に不退の心で広布へ
日蓮大聖人は本抄で、"大聖人が法華経の行者なのかどうか"という、門下や世間の人々の疑いを取り上げられ、難と戦う御自身の振る舞いが法華経の経文に一致することを確認されて、大聖人こそが法華経の行者であることを明らかにされています。
そして、難を乗り越えて末法広宣流布に進む法華経の行者として、大聖人は「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書232ページ)と、不惜身命で広布に生き抜く覚悟を示されます。
万人成仏を説く法華経の心のままに、妙法弘通の実践を貫くのが法華経の行者です。この仰せには、妙法弘通を貫く中で大聖人が開かれた、何ものにも微動だにしない境涯が示されています。大聖人は、御自身の崇高な境涯を示すことで、門下に妙法への信を貫くことを教えられていると拝することができます。
大聖人が、御自身の振る舞いを通して示されたように、難に直面しても妙法への信を貫き広布に生き抜く中に成仏はあります。このことを教えているのが、今回の御文です。ここでは"弟子たちよ"と一方的に呼び掛けるのではなく、「我並びに我が弟子」と、大聖人御自身と門下を並べられています。ここに師弟不二の精神が拝されます。
この御文には、"わが弟子たちよ、私と共に不退の信心を貫け!"との大聖人の魂の叫びが込められているのです。
そして大聖人は、難に遭っても信心を貫く時、「自然に仏界にいたる」と仰せです。大事なことは、「諸難ありとも疑う心なくば」と仰せのように、どんな苦難に直面しても、疑いや嘆きの心にとらわれることなく不退の信心を貫くことです。
これまで大聖人は門下に繰り返し、法華経の行者に難が起こることは必然であり、難が起きた時こそ信心根本に戦い抜くことを教えてこられました。しかし当時、現実には多くの門下が疑いを起こして退転したのです。「つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」との仰せには、こうした背景があります。
苦難にぶつかった時こそ境涯を開く「まことの時」です。その時に、真剣な祈りを根本に、師弟の誓いのまま広布に邁進する中で勝利の道が開かれるのです。
池田SGI会長は、今この時を「『世界広布新時代』という、千載一遇ともいうべき『まことの時』」と述べています。今こそ、「華陽の誓い」を果たす時。勇気の対話で師弟勝利の門を開いていきましょう。

◇理解を深めよう 三類の強敵
本抄では、日蓮大聖人が末法の法華経の行者であることを明らかにするために、法華経勧持品の「二十行の偈」が引用されています。ここには、末法に法華経を弘通する人に「三類の強敵」が現れることが述べられています。これは具体的には、俗衆増上慢、道門増上慢、僭聖増上慢です。
第1の俗衆増上慢は、仏法に無智な衆生のことであり、言葉や暴力による迫害を加えます。
第2の道門増上慢は、法華経の行者を迫害する僧を指します。邪智で心が曲がっているために、仏法を究めていないにもかかわらず、自身への執着から迫害を加えます。
第3の僭聖増上慢とは、人々から聖者のように仰がれている高僧を指します。世間から離れたところに住み、自身の利益のみを貪り、悪心を抱いて、法華経の行者を陥れようとします。言葉巧みに権力者を動かして、法華経の行者に弾圧を加えるように仕向けるのです。最も見破りにくいのが僭聖増上慢です。
悪世末法において広宣流布を進める法華経の行者に、この三類の強敵が必ず出現します。裏返せば、妙法弘通を貫いて三類の強敵を呼び起こす人こそ法華経の行者であるといえるのです。
法華経に説かれる通りに三類の強敵を呼び起こされたのが大聖人です。こうして大聖人は御自身の振る舞いを通して法華経が真実であることを証明され、そして妙法弘通を貫く中に成仏があることを示されました。偉大な妙法への確信を胸に、不退の心で進んでいきましょう。

◇SGI会長の講義から
苦難は、人間を強くします。
大難は、信心を鍛えます。
難に挑戦して信心を鍛え抜けば、我が己心に「仏界」を現していくことができる。
大難が襲ってきても「師子王の心」で戦い続ける人は、必ず「仏」になれる。
◇ ◆ ◇ 
「大聖人とともに」と、師と同じ決意で立ち上がり、広宣流布に邁進してこそ真の弟子です。誰人であろうと、大聖人と同じ心に立ち「日蓮が一門」(御書1360ページ)となった時、実は、すでに成仏への道は広々と開かれているのです。後は、その大道を歩み通せば、「自然に」成仏に至るのです。
◇ ◆ ◇ 
何があっても疑わない。何が起ころうとも嘆かない。その強靱な魂を持った人は、何も恐れるものはない。(中略)
「まことの時」に戦う信心にこそ「仏界」が輝くことを、断じて忘れてはならない。これが本抄の一つの結論であると拝することができます。(『開目抄講義』下巻)

2016年5月22日日曜日

2016.05.22 わが友に贈る

支部長・支部婦人部長の
尊き奮闘に感謝!
皆様は地域広布の支柱。
一人一人と絆を強め
共に躍進の歴史を!

撰時抄 P289
『現に勝れたるを勝れたりという事は慢ににて大功徳なりけるか』

☆四季の語らい
「信仰の道」「幸福の道」の勝者の要件とは、学歴でも、地位でも、肩書でもない。"純真""素直"に徹して、自ら、法のため、平和のため、人々の幸福のために働く、不惜身命の行動にこそあることを忘れてはならない。

☆女性に贈ることば 五月二十二日
自分の将来や人生について、両親や先輩と話し合うことは決して古いことではない。大切な示唆となることを忘れてはならない。いちばん賢明に自分を守る羅針盤になるのである。

☆今日のことば365 五月二十二日
人間というものは、自分のことに関しては、甘く、弱いものです。ふだん強そうなことをいっていても、いざ自分のこととなると、いっていることの半分も実行できない。またよいことは自分の手柄にし、悪いことは他人のせいにする醜い面も、だれもがもっています。その弱い自分、醜い自分に打ち勝つことこそ、最大の勇気だといえましょう。

☆勝利の人間学 第95回 成長と向上の青春たれ
◇試練の苦闘に栄光の未来が
熊本・大分の地震に際し、被災された方々にあらためてお見舞いを申し上げるとともに、支援に尽力してくれている九州をはじめ青年部の尊き献身に、心から感謝申し上げたい。
思えば、阪神・淡路大震災の折、青年部として奮闘してくれた同志が、その労苦の体験を力に転じ、21年を経た今、見事なる広布と社会の指導者群として大活躍している。
5年前の東日本大震災を乗り越えてきた東北の青年部・未来部のメンバーたちも、何と立派に成長してくれていることか。
愛する九州の若き地涌の友も、この試練を断じて変毒為薬(注:困難を善い方向に転換していくこと)しながら、必ずや栄光の未来を勝ち築いてくれることを、私は信じている。

◇『信』の一字で明日を開け!
御義口伝には、『一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり、此の信の字元品の無明を切る利剣なり』(P725)と仰せである。
正しき『信』こそ、仏道修行の根本である。
強き『信』こそ、一切の魔を破る力である。
大宇宙の究極の法則である妙法を信受し、広宣流布のため、立正安国のため、行動したことは、全部、自分の生命に返ってくる。
すべてが、仏になるための労苦なのだ。
御本尊を信じ、自分を信じ、未来を信じて、恐れなく勇敢に戦い、大きく境涯を開こう!

◇きょうも一歩前進の指揮を
『日に日に向上して、心に笑む可きのみ』と、戸田先生は、若き日の日記に記された。師と仰ぐ牧口先生にお会いした頃である。
『日々向上』が、創価の青年の特権だ。
その爽快なる推進力が信心である。きょうも勝つために、強盛な祈りから出発するのだ。
『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ』(P1143)との仰せの如く、題目を唱え抜いて前へ進むのだ。
一番大変な時に、一番偉大な歴史を創れる。
わが不二の愛弟子よ、師弟誓願の五月三日より、朗らかに一歩前進の指揮を頼む!

2016年5月21日土曜日

2016.05.21 わが友に贈る

「いつかやろう」との
弱き一念は後退の因。
「今」動いてこそ
発展の道は開かれる。
一日を悔いなく飾れ!

寺泊御書 P953
『日蓮此の経文に当れり汝等何ぞ此の経文に入らざる』

☆四季の語らい
人生そのものが、日々、「我が新記録」に挑みゆくオリンピックといえよう。まず、自分が強くなることだ。自分が強くならなければ、この乱世で勝つことはできない。人がどうであろうと、だれが何と言おうと、自分が力をつけ、力を発揮していくことである。また最高の強さを引き出すのが、正しい信仰の道である。

☆女性に贈ることば 五月二十一日
生まれてきたからには、幸福を勝ち取らねばならない。
断じて、不幸に負けてはならない。
若々しく希望の光に包まれた、貴女の闘争の力こそが、すべてを幸福に変えていくのだ。

☆今日のことば365 五月二十一日
決して自分だけで悩むな。よき友、よき先輩と何でも相談していくことだ。

☆四季の励まし 「開かれた心」で縁を絆に 2016年5月15日
広宣流布とは、
「友情の拡大」である。
「幸福の華の拡大」であり、
「正義の光の拡大」である。
それは、「人のつながり」で決まる。
「法」といっても、
目には見えない。
見えるのは、「人」である。
ゆえに、広布とは、
「善なる人の連帯」を、
どこまでも広げ、
強めていくことである。

動かなければ、何も生まれない。
語らなければ、何も始まらない。
仏とは戦い続ける命だ。
苦しみ悩む人間群の中に分け入り、
汗まみれ、泥まみれになって、
友のために尽くし抜く人こそ、
最も尊貴なのである。
その仏の陣列が、
わが広宣の同志である。

私どもの最上の武器は
「信心」である。
そのうえで、大切なことは、
「誠実」である。
仕事においても、
折伏、弘法においても、
外交においても、
「誠実」によってのみ、
深く人の心をつかむことができる。
これこそが
最終の真実の勝利のカギである。

ささやかな出会いであっても、
そこに縁を見出す。
それが仏法の眼である。
そして縁を強め、
より深き縁を結んでいく。
それが仏法の智慧である。
川の流れのように、
一人また一人と
心に染み入る対話を
続けていくのだ。
この対話の道が、
麗しき人間共和の大道へと
開かれゆくと信じて!

はためく創価の三色旗。緑の向こうに、朱色の屋根の沖縄池田平和会館が立っている。1999年(平成11年)2月、池田SGI会長が、恩納村の沖縄研修道場で撮った。
道場内にある、核ミサイルの発射台の跡地は、SGI会長の提案で「世界平和の碑」に変わった。ここから生命尊厳の哲学を発信し、最も戦火に苦しんだ沖縄を「平和の宝島」にと、励ましを送り続けてきた。
沖縄の「イチャリバチョーデー(出会えばみな兄弟)」という、開かれた世界市民の心。それは「仏法の精神と深く深く響き合っている」と、SGI会長はつづる。あらゆる「縁」を「絆」へと結ぶ友情の拡大へ、さあ、沖縄を先頭に、進みゆこう。

2016年5月20日金曜日

2016.05.20 わが友に贈る

順風におごらず
逆風にくじけず
持続の信心を貫け!
清流の如き実践の中に
崩れざる幸の花は咲く。

華果成就御書 P900
『常にかたりあわせて出離生死して同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ』

☆四季の語らい
リーダーは、まず自らが祈ることである。人を動かすのではない。自分自身がエンジンとなって、回転していくのである。そこに、すべての勝利の原動力がある。

☆女性に贈ることば 五月二十日
今の仕事に全力で当たれ!
今日の課題に懸命に挑め!
足下の己の使命に徹せよ!
そこに勝利がある。

☆今日のことば365 五月二十日
汝自身を知ることは、大変なことである
苦悩も 失敗も 自身を知らぬことから
出発するのかも知れぬ

☆新時代を創る 第14回 希望と勇気と確信の声を
熊本地震から、1カ月——。いまだ避難されている多くの方々のご健康、そして災害の終息、生活の復興を祈ってやみません。
熊本、大分はじめ愛する大九州の宝友が、『大悪をこれば大善きたる』(P1300)との御金言を抱き締めて、一刻も早く安穏な日々を取り戻され、自他共の幸福と凱歌の人生を飾られるよう、強盛に祈念し続けております。
大震災を乗り越えてきた兵庫と関西の同志、東北の同志、さらに全国・全世界の同志が、「負けんばい!」と踏ん張る不撓不屈の九州家族に届けと、題目を送っています。
◇ ◆ ◇
日本中で正義の対話を拡大されゆく皆さんの尊き奮闘を、御本仏・日蓮大聖人がいかばかり讃えておられることか。
あらゆる諸天善神が、はたまた十方三世の仏菩薩が、わが同志を厳然と守りに護ることは、絶対に間違いありません。
60年前の「大阪の戦い」で拝した御聖訓を、あらためて共々に胸に刻みたい。
『各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか』(同P)
いかなる試練にも、地涌の菩薩の大生命を燃え上がらせながら、立ち向かい、歓喜踊躍の勇気で、智慧で、忍耐で、勝利の舞を堂々と示し切っていく。これが学会精神です。
我らには、一切を変毒為薬の力に転じゆく「誓願の信心」があります。
『声仏事を為す』(P708)であるからこそ、希望の声、勇気の声、確信の声を、明るく力強く響かせて、励まし合っていきたい。
◇ ◆ ◇
我ら創価家族は、使命大なるがゆえに労多き人生を、誇りとし、名誉としながら、未来まで仰がれゆく、新たな広布拡大の金字塔を打ち立てるのだ。
苦楽を分かち、「異体同心の団結」の底力を、今こそ思う存分に示しゆこう!
どんな苦難にも負けない立正安国の社会を、共々に創り開こうではないか!

2016年5月19日木曜日

2016.05.19 わが友に贈る

「病によりて道心は
をこり候なり」
苦難の時こそ
宿命転換の好機だ。
断じて病魔に打ち勝て!

開目抄上 P191
『外典三千余巻の所詮に二つあり所謂孝と忠となり忠も又孝の家よりいでたり、孝と申すは高なり天高けれども孝よりも高からず又孝とは厚なり地あつけれども孝よりは厚からず』

☆四季の語らい
一人の発心は、一人にとどまらない。一波が十波、百波となって広がっていくように、そこに連なる幾多の人間へと波動していく。一人を大切にし、一人を育てるところに、民衆運動の永遠不変の方程式があるといえよう。

☆女性に贈ることば 五月十九日
他人の畑に気を取られていては、どこまでいっても満足は得
られない。
自分の畑を耕さないかぎり、人生の真の実りは満喫できない。

☆今日のことば365 五月十九日
いつの世にも、なにより美しく、尊いものは、人の情愛である。
人間の真情は、ひとたび危急におちいったときにこそ、偽りのベールをはらって、本当の顔をあらわすものだ。

☆仏法の教え 師恩に報いる 2016年5月10日
『父母・主君なれども師匠なる事はなし』(P1350)。
自他共の幸福を実現する法理である仏法を教えてくれるのは、師匠をおいてほかにない。偉大な師匠に巡り合えた喜びを深く実感するほど、挑戦への勇気が湧き上がってくる。師匠の大恩に応えようと心を定めて行動した時、"不可能のカベ"を破ることができる。このことを私は何度も体験してきた。ここでは、「報恩抄」を拝しつつ、真の報恩が誓いの信心を貫く中にあることを確認したい。

◇旧師逝去の報を受け認められた「報恩抄」
建治2年(1276年)7月、旧師・道善房の逝去の報を聞かれた日蓮大聖人は「報恩抄」を認められた。その冒頭に、多くの同志が心に刻む次の一節がある。
『夫れ老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや』(P293)
『仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや』(同P)
恩を知り、恩に報いることは、人間として自然な感情の発露である。ましてや仏法の実践者が師匠の大恩に報いていくべきことはいうまでもない。
「報恩抄」では続いて"釈尊が説いた一切経の中で、最高の真実を伝える経典は法華経である"ことを明かされ、これまで邪義を破折したために度重なる大難に遭われてきたことについて言及。御自身の闘争の目的について『ひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほうぜんがため』(P323)と述べられる。
そして法華経の肝心である南無妙法蓮華経こそ、一切衆生を救済する大法であることを宣言された上で、『此の功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべし』(P329)と、妙法弘通の功徳は、全て旧師である道善房の身に集まっていくとの仰せで結ばれている。

安房国(現在の千葉県南部)の清澄寺の僧である道善房は、大聖人の修学時代の師匠ではあったが、大聖人が立宗を宣言した際、念仏者である地頭・東条景信の迫害を恐れ、大聖人を守ることができなかった。
後に少し信心を起こしたこともあったようだが、念仏への執着を断ち切れずに一生を終えた。
そんな臆病な人物であったにもかかわらず、大聖人は、仏教を教えてくれた「師恩」を深く感じて"妙法を弘める功徳は全て道善房に集まる"とまで綴られたのだ。このお言葉に、師恩に報ずる姿勢が、いかにあるべきかを拝することができる。

◇北海天地で示された「弟子の道」の模範
北海道は「難攻不落の三代城」との永遠の指針を示していただいて今年で25周年の佳節を迎える。創価の三代会長が青春勝利の歴史を残してくださったことは、私たち北海道の同志の何よりの誇りである。
池田先生が北海道を初めて訪問されたのは、1954年(昭和29年)8月10日。恩師・戸田先生と共にであった。
小説『新・人間革命』第18巻「師恩」の章に当時の情景が綴られている。
「伸一を連れて厚田村に帰った戸田は、海を見ながら伸一に言った。
『ぼくは、日本の広宣流布の盤石な礎をつくる。君は、世界の広宣流布の道を開くんだ!(中略)』
その師の言葉は、強く弟子の胸を打った。
翌朝、伸一は、ただ一人、厚田の港に立った。
そして、戸田の言葉を何度も反復しながら、込み上げる無量の思いを世界に放つように、海に向かって叫んだ。
『先生! 東洋広布は伸一がいたします。世界広布の金の橋を、必ず架けます!』」
さらにこの時、池田先生は、戸田先生の崇高な生涯を綴った小説『人間革命』の執筆を心に誓われている。
今やSGIのネットワークは192カ国・地域にまで広がり、既に世界広布の盤石な基盤が整った。
この"仏教史に輝く壮挙"も、戸田先生の誓願を自らの使命と定められた池田先生の死身弘法の闘争によって結実したものであることはいうまでもない。
学会の正義を満天下に轟かせた小樽問答、日本一の結果を示した札幌の夏季折伏、権力の魔性を打ち破った夕張炭労事件と、その後も池田先生は、北海道を舞台に見事な広布の金字塔を次々と打ち立てられた。先生が、仏法に説かれる「弟子の道」の模範を北海天地を舞台に示してくださったことに、あらためて身の引き締まる思いである。

◇自分の成長を待ってくれている人がいる
池田先生は、"地球上から悲惨の二字をなくしたい"との恩師の思いを胸に、会員一人一人を励まし続けてこられた。私もまた、池田先生から大恩を受けた一人である。
少年部時代から、池田先生に何度もお会いし、温かな励ましをいただいてきたが、中でも自分の信心の原点としているのが、74年8月に創価大学で行われた中等部の全国未来会である。
当時、中学3年生だった私は、だらしない生活を送っており、成績も悪く、志望する高校への進学もおぼつかない状況だった。そんな自分を変えたいと真剣な唱題に挑戦して臨んだ会合で、先生は、"君たちを大人と思って話します"と語られ、頑健、冷静、バイタリティー、決断、責任の5項目にわたって未来の指導者としての要件を教えてくださった。
「自分の全てを信じて、成長を待ってくれている人がいる!」。この時の感動は言葉では言い表せない。「先生の弟子として、広布のお役に立てる人材に成長しよう」と決めて勉学に励み、翌年、志望校に合格。その後も、父の事業の倒産等、さまざまな苦難に見舞われたが、そのたびに、この日の池田先生の姿をまぶたに浮かべ、乗り越えてきた。
師弟の関係は、血縁関係や利害関係を超えて、はるかに尊いものである。常に励ましを送り続けてくださる師匠の存在がどれほどありがたいか。
『設ひ父母・子をうみて眼耳有りとも物を教ゆる師なくば畜生の眼耳にてこそあらましか』(P1248)
私たちが持つ妙法には、偉大な功力がある。それは大前提として、信心の姿勢、学会活動の大切さ、御書の拝し方をはじめ、現実社会においてこの仏法をいかに実践していくべきかを教えてくれる師匠の存在があって、初めて人生を勝利で荘厳することができる。
「師弟とは、究極の人間の絆である。魂と魂の真の触発であり、交流だ。なかんずく、広宣流布の誓願を分かち合い、どんな困難があろうとも戦い抜く師弟の絆ほど、尊く、強いものはないと、私は自負するのだ」(「随筆 民衆凱歌の大行進」〈桜花に誓う〉)
師匠から受けた大恩に、いかに報いるべきか。この答えは、師匠の一念に自身の一念を合致させて、広宣流布に生き抜く不退の実践の中にしかない。
具体的には、常に"師匠であれば、どのように振る舞われるか"を真剣に考えながら、目の前の同志を励まし、周囲の友に仏縁を広げていく地道な実践の積み重ねである。
私も、広布の活動に徹することで師恩に報いようと、壮年部員の方々の家に伺い、相手の悩みに徹して耳を傾け、「一緒にお題目を唱えて乗り越えましょう」等、相手の心に届くよう訴え掛けている。

『我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず』(P232)との誓願のままに正法弘通の生涯を貫かれた大聖人。「開目抄」のこの一節は、私が心に刻む御聖訓である。
青年部時代に広宣流布を誓い、生涯にわたる師弟共戦を決意した。いかに年を重ねようと、いな、年を重ねるごとに、青春の誓いを思い起こし、師匠の大恩に感謝し、いよいよの決意で広布に邁進していきたい。「難攻不落の三代城」である北海道から、新たな広布拡大の潮流を起こす決意である。

2016年5月18日水曜日

2016.05.17 わが友に贈る

さあ今日も朗らかに
勇んで人間の中へ!
地道な友好交流
暖かな訪問激励で
新しい絆を結べ!

単衣抄 P1514
『三十二より今年五十四に至るまで二十余年の間或は寺を追い出され或は処をおわれ或は親類を煩はされ或は夜打ちにあひ或は合戦にあひ或は悪口数をしらず或は打たれ或は手を負う或は弟子を殺され或は頚を切られんとし或は流罪両度に及べり、二十余年が間一時片時も心安き事なし』

☆四季の語らい
強い人ほど謙虚であり、確信の人ほど寛容なのです。

☆女性に贈ることば 五月十七日
家族のため、近隣のために、自分らしく、誠実に精一杯の努カをして生きてきた女性の一生は、平凡であっても、尊く美しい。

☆今日のことば365 五月十七日
会議は、議論のための議論であってはならない。本当に真剣であれば、おのずから知恵が湧いてくる。

☆5・5「創価学会後継者の日」40周年 首都圏で原田会長と共に記念大会
2030年へ、希望の前進! 「創価学会後継者の日」が5日、制定40周年を迎えた。池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は未来部の友にメッセージを贈り、「自分にしか歩めない使命と栄光の道を、堂々と力走していってください」と呼び掛けた(2面に掲載)。関西(4月29日)に続き、首都圏の記念大会が5日、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で開催され、原田会長が出席した。

「5月3日が学会の永遠の原点の日ならば、5月5日の『創価学会後継者の日』は永遠の希望の日です」(『未来対話』)
この"希望の日"が誕生したのは1976年5月5日。関西で開かれた未来部の会合の折、SGI会長によって、毎年5月5日を「創価学会後継者の日」とすることが発表された。
さらに席上、未来部が堅持する指針として、「健康でいこう」「本を読もう」「常識を忘れないでいこう」「決して焦らないでいこう」「友人をたくさんつくろう」「まず自らが福運をつけよう」の6項目が贈られた(2013年、七つ目として「親孝行しよう」がSGI会長によって加えられた)。
以来、師の真心を抱き締めて学びの青春時代を送り、使命の道を歩んできた鳳雛たち。未来部出身者は国内外の各分野のリーダーとして活躍している。
SGI会長が未来部に寄せる期待は一貫して変わらない。世界広布新時代を生きる未来部の友は、師の励ましに応えようと誓いも新たに前進している。
首都圏の記念大会では、石黒未来本部長のあいさつに続き、吉野桜香さん(小学6年)が、SGI会長の著作を合唱団や家で学ぶ中で勇気の心を湧かせ、人間関係に悩む友人に励ましを送ることができた様子を報告。また��優子さん(中学3年)は、学会家族の庭で自分らしく成長する誇りと、美術の授業で作った作品が区で評価された喜びを披歴した。村木香一君(高校2年)は、SGI会長が世界に開いた友情の道に続こうと語学に挑戦する決意を語った。
木�未来部長、山本女子未来部長は「今いる場所で努力を重ね、夢に向かって勇気の一歩を」と呼び掛けた。
原田会長は、一人も残らず師の心を受け継ぐ後継者として世界に羽ばたき、周囲の希望と輝く人材に大成長をと念願した。
最後に、参加者全員で未来部歌「正義の走者」を力強く歌った。

2016.05.18 わが友に贈る

人生は自身との戦いだ。
朗々たる題目で
「たゆむ心」を拝し
眼前の課題に
「つよる心」で挑み抜け!

新池御書 P1439
『かかる悪所にゆけば王位将軍も物ならず獄卒の呵責にあへる姿は猿をまはすに異ならず、此の時は争か名聞名利我慢偏執有るべきや』

☆四季の語らい
グチや怠惰は、老いを加速する。指導者が生き生きと進んでこそ、菅も元気になる。前進に勢いが生まれる。

☆女性に贈ることば 五月十八日
いちばん大切な生命を守り育みゆく、女性の智慧と慈悲の結集にこそ、人類史の転換は託されている。
偉大なる母性の力は、権力にも勝る。

☆今日のことば365 五月十八日
新緑ほど、生き生きとした生命の輝きと躍動を感じさせるものはない。
その緑一色も、よく見ると、実に多種多様な一本一本の草から成り立っている。それらは、多く雑草と呼ばれ、あまり名も知られていない。この雑草は、何の飾り気もなく、ありのままの姿で、精一杯生きようとしている。

☆5・3に寄せて 芸術部 女優 柴田理恵さん
◇人々に希望を送る太陽の存在に
栄光燦たる5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」、誠におめでとうございます。この記念すべき日を、お元気な池田先生、奥様と共に迎えることができ、これ以上の喜びはありません。
今日までの創価学会の歴史は、牧口先生、戸田先生、池田先生という三代の会長のもと、「宿命に負けるものか」「病魔に負けるものか」と、人間革命、境涯革命に励んできた、無数の庶民の人生の歩みそのものであると思います。一体、どれほどの人たちの勝利劇が、つづられてきたことでしょう。いつも、座談会や聖教新聞などを通してそのドラマを知り、深く感動しながら、信心を学ばせていただいています。
私自身、忘れもしない1992年(平成4年)の1月5日。杉並・中野合同総会で、池田先生に「希望の女優になりなさい」との大激励をいただきました。これが私の一番の原点です。
当時の私は仕事に恵まれず、正直、悩んでいました。しかし、先生の励ましで霧が晴れ、心に太陽が昇るような思いがしました。
そうだ、何があっても、私が太陽になればいいんだ。そうすれば、全ての闇は消える。太陽のような希望の女優になって、多くの方々に希望を与える存在になっていこう。これが私の使命なのだと、深く生命に刻むことができました。
その後、先生との原点を胸に挑戦を重ね、映画、舞台、テレビと使命のステージを広げることができました。
池田先生は、「信心とは無限の希望である」と教えてくださっています。「苦しくとも、断じて勝て、何かで勝て、最後には勝て」と弟子の勝利をひたすらに祈ってくださっています。
「5・3」は弟子が立ち上がる日です。誓願の祈りを根本に、これからも、師匠と共に、同志と共に、世界広宣流布にまい進していきます。

2016年5月16日月曜日

2016.05.16 わが友に贈る

◇今週のことば
徹して「一人を大切に」
ここに創価の人間学が。
不軽菩薩のごとく
勇敢に そして粘り強く
最前線で信念の対話を!
2016年05月16日

最蓮房御返事 P1343
『我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ』

☆四季の語らい
人生の戦いにあっては、「最後に必ず勝つ」とまず決めて、そこに向かって、強く、楽しく進んでいくことである。臆病ではいけない。楽観主義の強靭な精神力でいくべきである。

☆女性に贈ることば 五月十六日
憂鬱な人生よ、去れ!
悲惨な人生よ、去れ!
愚かな人生よ、去れ!
無駄な道を歩むな!
絶望の道を歩むな!
賢く生き抜いてこそ、青春だ。

☆今日のことば365 五月十六日
夢は どこまでも夢である
故に 私はながめるだけでなく
  厳しい批判のなかにあっても
   実践という悔いのない一点を持続する

☆5・3「創価学会の日」記念特集〈下〉 5月3日 アメリカ創価大学が開学15周年 2016年5月5日
◇教養大学全米トップ50に選出
◇1期生100人中12人が博士号を取得
「戦争の世紀」に終止符を打ち、「平和の世紀」「生命尊厳の世紀」を——アメリカ創価大学(SUA)オレンジ郡キャンパスが今月3日、開学から15周年の佳節を迎えた。創立者・池田SGI会長は、建学への思いをこう述べている。「全部、21世紀のためです。ここから、21世紀を創めるのです。ここから、21世紀を創るのです」と。特集�では、SUAの取り組みやハブキ学長の談話などを紹介する。

「貢献的人生を歩む地球市民の育成」を目指すSUA。カリフォルニア州・アリソビエホ市の丘に立つキャンパスは、まさに世界の縮図である。五大州から人種や宗教も異なる学生が集い合い、寮生活を通じて、多様性を尊ぶ人格を磨く。
リベラルアーツ・カレッジ(教養大学)であるSUAの授業は、全て少人数制。哲学や文学、数学、自然科学、社会学など万般の学問を学ぶ。徹底した議論を通して、本質を見抜く力や、多角的な考え方を養う。
留学も必修だ。日本語、中国語、スペイン語、フランス語から一つを選択し、その言語圏に渡る。
卒業生の進路は多岐に及ぶ。研究者や医師、弁護士、外交官、教員のほか、国際機関で難民支援や持続的な開発に従事する友も。
また毎年、多くのメンバーが大学院に進学。これまで、英国のオックスフォード、ケンブリッジ、米国のコロンビア、ハーバード、エール、スタンフォードなどの有名大学院にも進んでいる。昨年、卒業10周年を迎えた1期生は、全100人中43人が修士以上の課程を修了。うち12人が博士号を取得している。
こうした実績への評価は高まるばかりだ。
昨年、米メディア会社「USニューズ・アンド・ワールド・リポート」が発表した全米大学ランキングでは、約250校あるリベラルアーツ大学で、SUAは総合45位に。さらに、奨学金の充実度と教育水準の両方を審査する「ベスト・バリュー・スクールズ」部門では、創立100年を超す名門校が上位を占める中、堂々の4位に輝いた。
さらに開学以来、ノーベル賞受賞者や各界の識者が多数来学。人権闘争の母ローザ・パークス氏も生前、オレンジ郡キャンパスの誕生を待望していた。"世界の知性"から大きな期待が寄せられている。

2016年5月15日日曜日

2016.05.15 わが友に贈る

新しい発想
果敢な行動が
時代を変える力だ。
後継の青年部よ
その先頭に立て!

松野殿御返事 P1389
『命終りなば三日の内に水と成りて流れ塵と成りて地にまじはり煙と成りて天にのぼりあともみえずなるべき身を養はんとて多くの財をたくはふ、此のことはりは事ふり候ぬ但し当世の体こそ哀れに候へ』

☆四季の語らい
「庶民のリーダー」とは、平凡なようであって、実は一番強靭で、一番尊いリーダーなのである。

☆女性に贈ることば 五月十五日
自分自身をつくることです。自分のなかに、幸福の引力をもつことです。自分が幸福の太陽になって、一家も一族をも照らしていくのです。

☆今日のことば365 五月十五日
しかられて、一時は自信を失っても、そのなかから、次に湧き上がってくる自信が、真実の自信である。そこで崩れてしまうような自信は、本当の自身ではない。

☆5・3「創価学会の日」記念特集〈下〉 SUA開学15周年 ハブキ学長
◇多様性光る学舎から世界に貢献する逸材を
「5月3日の開学」。これは、SUAにとって最大の誇りです。
1998年ごろ、創立者に「このまま工事が順調にいけば、早ければ99年秋から授業を開始できるかもしれません」と報告したことがありました。しかし、それに対し創立者は、"慌てなくていいんだ。SUAの開学は、2001年の5月3日にしよう"と提案されたのです。
"21世紀最初の「5・3」に"——ここに、創立者の深いお心を感じてなりません。
先日、キャンパスでゴミを拾われているご夫婦がいました。真心からの感謝を伝えると、「私たちはこの大学が大好きで、毎日散歩に来ているの。学生も教職員も明るくあいさつしてくれて、とても気持ちがいいわ。だから、せめてものお礼として、最近は袋を持参してゴミを拾うようにしているのよ」と。
開学当初、思い描いたことがあります。それは——例えば、ケンブリッジに暮らす人々が「あのハーバード大学のある都市です」と言うように、「あのSUAがあるアリソビエホ出身です!」と、地域の方々が誇れるような大学にしたいということでした。まだまだこれからですが、皆さんに愛される大学へと少しずつ成長していることを、とてもうれしく思います。
昨年8月、卒業10周年を迎えた1期生たちがキャンパスに戻ってきてくれました。休暇を取ったり、費用を捻出したりと簡単ではなかったはずですが、100人のうち79人もの1期生が一堂に会しました。参加できなかった人からも多くの連絡があり、大学に関わってきた人間として、これほどの喜びはありません。
創立者は折々、"大学の価値は、卒業生がその後どのような人生を歩むかで決まる"と言われています。
SUAは、学者や経営者、教育者らを育てることだけでなく、各国から多様な学生が集い合い、自分の夢や使命を見いだしていくための大学です。
20年、30年先には、さまざまな分野でSUAの真価が発揮される時代が来ると確信しています。
開学前、創立者は一首の和歌を贈ってくださいました。「アメリカの わが創大は わが生命 秀才 逸材 無限に育てよ」と。
これからも、努力に努力を重ねる「秀才」を、より良い社会をリードする「逸材」を、陸続と輩出していきたいと決意しています。
支えてくださる全ての方々への感謝を胸に、21世紀、さらには、その先の未来にまで「希望の光」を送りゆく学舎になれるよう、理想の大学建設に努めてまいります。

2016年5月14日土曜日

2016.05.14 わが友に贈る

信心とは勇気だ。
弱い自分に打ち勝ち
今日も挑戦の一歩を!
その実践の積み重ねが
偉大な境涯を開く。

開目抄下 P231
『順次生に必ず地獄に堕つべき者は重罪を造るとも現罰なし一闡提人これなり』

☆四季の語らい
どうすれば、皆が一番安心し、皆が一番伸び伸びと、希望に燃え、喜びに燃えて前進できるか。その一点を常に祈り、考え、全力で行動していく。それが人間主義のリーダーである。また陰で支えてくださる人を大切にし、配慮できる、こまやかさ、温かさ、責任感が真の指導者の要件である。

☆女性に贈ることば 五月十四日
叱るといっても、親が理由も言わずに、怒りにまかせて叱ってばかりいると、子どもがおびえます。そして、とにかく「慈られないように」「叱られないように」と、一種のずるさを身につけてしまうこともある。
そんなことを繰り返しているうちに、大事な時にも親の言うことに耳を傾けなくなってしまう。

☆今日のことば365 五月十四日
若い時代に、天下を取ったら、老人の意見を大事にしなければならぬ。逆に、老人となって、天下を動かすときは、必ず若い人の意見を聞いてやらねばならぬ。

☆5・3「創価学会の日」記念特集〈中〉 「母」の歌 誕生から40周年 2016年5月4日
本年、池田SGI会長が作詞した「母」の歌の誕生から40周年の佳節を迎える。「『母』の詩にメロディーをつけて、わが母を、婦人部員を、そして、世界のすべての母たちを讃えたかった」——SGI会長の願いは国境を越え、「母」は、世界13言語で愛唱されている。特集�では、5月3日「創価学会母の日」を記念し、「母」にまつわるドラマを紹介する。


 作詞 山本伸一
 作曲 松原真美・松本真理子

一、母よ あなたは
  なんと不思議な 豊富な力を
  もっているのか
  もしも この世に
  あなたがいなければ
  還るべき大地を失い
  かれらは永遠に 放浪う

二、母よ わが母
  風雪に耐え 悲しみの合掌を
  繰り返した 母よ
  あなたの願いが翼となって
  天空に舞いくる日まで
  達者にと 祈る

三、母よ あなたの
  思想と聡明さで 春を願う
  地球の上に
  平安の楽符を 奏でてほしい
  その時 あなたは
  人間世紀の母として 生きる

"庶民の母"たちを讃えて
「母」の歌——。それは1976年(昭和51年)8月5日、東京での婦人部研修会の席上、池田SGI会長から発表された。
歌詞は、71年にSGI会長が詠んだ長編詩「母」が基になっている。
その詩は、「母たちが人間革命し、さらに聡明になり、この母性の美質を、思想化していくなかに、確かなる平和の大道が開かれる」との、SGI会長の信念の結晶だった。
5年後の76年7月18日、SGI会長は、音楽大学出身の2人の女子部員に「母」の曲作りを依頼した。
"青春の思い出を歌った「森ケ崎海岸」のような曲調に"——SGI会長の要望に応え、2人は約18日間で、流麗なメロディーを紡ぎ出した。
「母」の歌が完成したのは、SGI会長の母・一さんが逝去する1カ月前のことであった。
曲を収めたテープを何度も聴いた一さんは、ほほ笑みを浮かべ、うれしそうにうなずいていたという。
戦中・戦後の苦難を勝ち越えた母へ。広布のために献身する全世界の婦人部員へ。平和を守り、未来を育む庶民の母たちへ——。
歌詞にあふれる感謝と称賛の心は、美しい「平安の楽符」と共に、不滅の輝きを放ち続ける。

歌い継がれる慈愛の心
 素晴らしく
  妙音の歌
   奏でたる
   何と偉大な
    平和の母らよ

これは、SGI会長が、婦人部の「白ゆり合唱団」に贈った和歌である。
結成54周年となる同合唱団。彼女たちが最も大切に歌い続ける曲。それが「母」だ。

♪母よ わが母
 風雪に耐え……

2番に入ると、その歌声には、一段と心がこもる。
生命を慈しみ、育み、守り抜く「母」への感謝。「母」を悲しませない心の広がりが、世界の平和に通じていくとの信念。
歌詞にあふれるSGI会長の真心を、一人でも多くの人に届けたい。日本語だけでなく、各国の言語で、「母」を歌い継いできた。
東京・信濃町の創価世界女性会館には、「母」の歌碑が設置され、SGI会長夫妻の碑文が刻まれている。
「おお 明るい母の声こそ勇気の響きなり。
母を思えば乗り越えられぬ試練はない」
師と共に、広布の草創を開いた幾多の無名の母たちに続き、宿命転換の実証を示す。その闘争の中でこそ、生命を揺さぶる歌声を響かせることができる。これが、白ゆり合唱団の魂である。
団長の佐藤みどりさん(婦人部副本部長)も、「母」を歌いながら、幾多の苦難をはね返してきた。
1999年7月の本部幹部会。佐藤さんは初めて、合唱の指揮を執った。歌声を聴いたSGI会長は、「日本一の合唱団です!」と、喝采を送った。
翌年、佐藤さんを試練が襲う。夫の省吾さんがステージ4の直腸がんと宣告されたのだ。さらに、夫婦で営む建築会社の業績が悪化し、倒産の危機に陥った。
しかし、母は屈しなかった。「池田先生、必ず勝ちます!」——歌声に師弟勝利の誓いを込めた。地区婦人部長(当時)としても、拡大に走り続けた。
その結果、医師も驚くほどの回復で、省吾さんは、がんを克服する。以来、10年以上、支部長を務め、夫婦で広布に奮闘してきた。
度重なる経済苦も勝ち越え、地元・千葉県野田市の自宅を広布の会場として提供している。4人の子も学会の庭で成長し、一家和楽を築いた。
誕生から40年。「母」は、全国の婦人部の合唱団をはじめ、壮年・青年・未来部など、各部・各地で愛唱されてきた。母の幸福と平和を願うSGI会長の心は、感動の涙、共感の拍手と共に広がっている。
◇ ◆ ◇
東京と千葉をつなぐ東西線。門前仲町・木場・東陽町の3駅区間と並行する永代通りでは毎日、公共のスピーカーから、「母」が流れている。
その慈愛と希望のメロディーに、多くの人々が勇気づけられ、人生を勝ち開いてきた。宮崎県西都市に住む松坂律子さん(白ゆり長)も、その一人。
9年前、中学2年の長男・幸太朗さんが突然、右足の痛みを訴えた。診断は「デスモイド腫瘍」。大腿部はこぶのように腫れ、歩行に障害が生じた。
福岡の病院に通っていたものの、2年後、"足の切断を覚悟してほしい"と告げられる。
切断を免れるわずかな可能性を信じ、松坂さん親子は上京。江東区の病院で手術に臨むことになった。
入院の間、松坂さんは門前仲町の宿舎に泊まり、毎日、幸太朗さんを見舞う。
あまりにも重い病状。慣れない東京での暮らし。不安を抱え、うつむきがちに横断歩道を渡っていた時、聴き慣れたメロディーを耳にした。「母」の曲だった。
松坂さんは語る。
「その瞬間、故郷に帰ってきたような気持ちになり、ほっと安心しました。"池田先生が私たち親子を見守ってくださっているのだ"と感じたのです。心が前向きになり、息子と一緒に病気と闘う元気が出ました」
その後、幸太朗さんは4回の手術を勝ち越えた。現在は、薬剤師を目指し、熊本大学で学ぶ。これまで3人の友人に弘教。熊本総県の学生部副書記長として、使命の道を歩む。
松坂さんは今年で入会40周年。くしくも、「母」の歌の軌跡と一致する。
これからも、親子の勝利劇は続く。麗しい「母」の旋律と共に——。

世界に広がるメロディー
昨年11月。48カ国・地域の女子部・婦人部のリーダーらが出席し、東京で第2回「世界女性平和会議」が開催された。
その折、日本の芸術部の代表が独唱したのは、英語版の「母」。場内は、大きな感動に包まれた。
オーストリアの元文部次官で、声楽家のユッタ・ウンカルト=サイフェルト博士は、次のように語る。
「『母』は、今や私の『十八番』です。日本以外でもよく歌ってきました」「歌い終えると、常に会場は満場の喝采に包まれます」
SGI会長と9度、会見した博士。1991年8月には、札幌での本部幹部会に来賓として出席し、「母」の歌を、ドイツ語と日本語で歌い上げた。
博士は言う。"「母」は、人々の心を和ませる曲です。全ての人に共通する希望のメロディーです"
アメリカ・エマソン協会元会長のサーラ・ワイダー博士もまた、「母」の歌を愛する一人である。
博士は、創価世界女性会館を訪れた際、白ゆり合唱団が歌った「母」に、深い感銘を受けたという。
「彼女たちの力強い歌声は、より深い理解に包まれた世界を創ろうと、ともに奮闘する女性たちの強さを示すものでした」と。
そして、こうした合唱や演奏の場にこそ、「"音楽を通じて、人間の持つ可能性を呼び覚ますことができる"との池田会長の信念が、見事に息づいています」と評価する。
母こそ、万物の「心の故郷」であり、生命を慈しむ「平和の体現者」である。
SGI会長の心は、世界へ、未来へと、永遠に伝わっていく