2016年6月24日金曜日

2016.06.24 わが友に贈る

誉れの愛知の友よ
立ち上がる時は今!
言論の大闘争で
新たな時代を開け!
勇敢に勝ち進め!

月水御書 P1202
『此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし』

☆四季の語らい
人生、いろんなことがある。苦境もある。行き詰まりもある。先が見えないこともある。だからこそ「祈り」を根本にすることだ。「祈り」は「希望」であり、「生命の夜明け」であり、「幸福の種を植える」ことである。「祈り」で未来に立ち向かっていく人−−その人は、必ず良い方向へ、良い方向へと変わっていく。

☆女性に贈ることば 六月二十四日
雨の日には雨を楽しみ、風の日には風の声に耳を傾ける。
困っている人を見たら、すぐに体が動いていく。
そうした人生の詩を生きるお母さんの姿は、言葉以上に豊かに子どもたちの心を育むに違いない。

☆今日のことば365 六月二十四日
自分は偉くないのだ、周囲の人が全部、自分以上の人材である、と心の底から言える人が偉いのである。人の偉さは、自分が偉いのだといっても、人々は認めてくれない。周囲の人が決めるものである。

☆新会員のための仏法入門 第27回 不惜身命 2016年6月4日
◇大聖人直結の信心で広布に生き抜こう!
『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』(P232)——日蓮大聖人は、流罪地・佐渡で著された「開目抄」において、不惜身命で広布に生き抜く覚悟を示されました。今回の「みんなで学ぶ教学」では、誉れの日蓮大聖人門下である私たち一人一人に脈打つ「不惜身命」の精神について学びます。

◇法華経での「菩薩の誓い」
「不惜身命」は、法華経勧持品第13において、菩薩たちが釈尊の滅後に、正法を求め、正法を弘めていくことを誓う言葉の中に出てきます。
「世尊よ、どうか心配なさらないでください。仏が入滅された後、私たちが必ずこの法華経を持ち、説いていきますから。(中略)私たちは勇敢に耐え忍び、身命を惜しまず、法華経を語り抜いてまいります」(法華経411ページ、趣旨)
勧持品では、続く「二十行の偈」で、菩薩たちが悪世において「三類の強敵」による迫害を乗り越え、法華経を流布していく決意を述べます。その中でも「是の経を説かんが為の故に 此の諸の難事を忍ばん 我は身命を愛せず 但無上道を惜しむのみ」(同420ページ)と誓っています。
また、私たちが朝晩の勤行で読誦している如来寿量品第16の自我偈では、釈尊は弟子に、信心の姿勢について「一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまざれば」(同490ページ)と示されています。
わが身を惜しまず、一生懸命に励んでいく。「不惜身命」は、仏道修行を実践していくうえでの峻厳な精神を述べた言葉にほかなりません。

◇「志ざし」が何より大切
日蓮大聖人は「佐渡御書」において、『魚は、命を惜しむため、すみかとしている池が浅いことを嘆いて、池の底に穴を掘って棲んでいる。しかし、餌にだまされて釣り針をのんでしまう。鳥は、すみかとしている木が低いことを恐れて、木の上の枝に棲んでいる。しかし、餌にだまされて網にかかってしまう』(P956、通解)と魚や鳥の習性を挙げられた上で、次のように仰せです。
『人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし』(同P)
「世間の浅き事」のために自分の身を滅ぼしてはならない。そうではなく、「大事の仏法」のために身命をささげてこそ、仏になることができる、と。
池田SGI会長は、「大事の仏法」に命をささげる実践について、『ただし仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり』(P1596)との御文を拝してこう述べています。
「末代の凡夫は、雪山童子のように身を投げることがなくとも、『志ざし』によって『不惜身命』の実践をするのと同じ功徳を得て仏に成ることができると、力強く御断言されているのです。『心こそ大切』です」「私たちにとって『不惜身命』とは、恐れなく南無妙法蓮華経を唱え抜くことであり、世界のため、未来のため、人々のために、懸命に信心の実証を示しきっていくことに尽きるのです」(『勝利の経典「御書」に学ぶ』1)
友の幸福を祈り、広布の活動に励んでいる創価学会員の日々の実践自体が「不惜身命」の振る舞いなのです。

◇生涯、随力弘通の実践を
日蓮大聖人は、『日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり』(P1558)と仰せのとおり、身命にも及ぶ大難にも屈することなく、妙法流布の尊い御生涯を貫かれました。
そして、門下に対しても『一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』(P970)と、悔いのない一生を貫くよう呼び掛けられています。
大聖人の御入滅後、五老僧が権力による迫害を恐れて退転する中、不二の弟子であった日興上人は、師である大聖人の仰せのままに、命を賭して弘教の推進、弟子の育成に全力を注がれました。
88歳で亡くなる1カ月前に、末代の弟子のために著された「日興遺誡置文」の中に次の一節があります。
『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』(P1618)
この御遺誡をそのまま受け継ぎ、日蓮大聖人直結の「不惜身命」の実践を重ねているゆえに、創価学会が仏意仏勅の教団であるといえるのです。