2016年6月25日土曜日

2016.06.25 わが友に贈る

信心とは自分への
限りなき挑戦だ。
向上への不屈の精神だ。
苦しい時こそ
一歩前へと踏み出せ!

土木殿御返事 P964
『今年日本国一同に飢渇の上佐渡の国には七月七日已下天より忽ちに石灰虫と申す虫と雨等にて一時に稲穀損し其の上疫病処処に遍満し方方死難脱れ難きか、事事紙上に尽し難く候』

☆四季の語らい
仏法は、人間の善性を開発し、人への思いやりと同苦の心を育む。この人間と人間を結ぶヒューマニズムの哲学が、広く人々の心に浸透していく時、友情の香しい花が咲く。

☆女性に贈ることば 六月二十五日
奥深い人生の山や谷に、汗を流して分け入っていかなければ、幸福のダイヤモンドは採掘できない。賑やかな街で遊び、楽をしているばかりでは、決して幸福のダイヤモンドを磨くこともできない。

☆今日のことば365 六月二十五日
君の 堅実にして
 誠実の人生の姿勢は
やがては
 すべての人々が
  心より頼り
   尊敬することを信ずる

☆随筆 永遠なれ創価の大城 第8回 誓い忘れじ壮年部
◇広宣流布の闘魂に燃えて前進! 王者の風格で「正義」と「真実」を語り抜け
御本仏・日蓮大聖人は佐渡流罪の大難の中で、『今に至るまで軍やむ事なし』(P502)と仰せられた。
この如説修行の闘魂を真っ直ぐに受け継ぎ、進んできたのが、牧口先生・戸田先生以来、我ら創価の壮年の誉れである。
いかなる事業も、闘魂なくして成し遂げることはできない。たとえ地味であっても、わが戦野に臨んで、崇高な使命を果たしゆく闘魂ほど、誇り高いものはあるまい。
我らの闘魂とは、広宣流布への闘魂だ。自身の人間革命と、苦悩の民衆救済への誓願だ。
末法万年にわたる未来のため、混乱極まる五濁悪世の真っ只中で、立正安国の大闘争に身を投じ、戦い切って一生を終える。これほど充実した、悔いなき英雄の人生は絶対にない。

◇五勇士が堂々と
わが盟友たる壮年部が今、各地で意気軒昂に、「ブロック五勇士」に取り組んでくれている。
あの地でも、この地でも、新たな「黄金柱」が堂々と立ち上がった。
聖教紙面に並んだ写真を拝見しては心が躍る。各地域の名前から、「あの時、駆けつけたな。懐かしい」「この地域も頑張っているな」などと、思いを馳せている。
本年、「五勇士」の拡大の火ぶたを切ってくれたのは、「鉄桶の団結」の大埼玉である。
埼玉ゆかりの作家・武者小路実篤翁は言った。「男子立ち上れば/何かする。/きつと何かする/しないではをさまらない/胸がすくまで、何かする/皆がよろこんでくれることを/何かする。」
健気な創価の家族が喜んでくれるならばと、いかなる労苦も厭わない。皆の胸がすくまで、激流が迸り、流れ続けるように、戦って戦って戦い抜くのだ。
だから強い。どんな権威にも、どんな邪知にも断じて負けないのだ。
壮年が決然と一人立つならば、どれほど大きな力が出るか。父が厳然としていれば、どれほど安心と喜びが広がるか。
一騎当千である。その「一人」を大切にする。粘り強く通い、信頼を育み、励まし続ける。熱い男の友情と連帯を、私は最大に讃えたい。
また、陰で懸命に祈り、応援してくださる婦人部の方々がいますと、常に妻から言われている。

◇武蔵の剣の極意
御聖訓には、『法華経の剣は信心のけな(勇)げなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼう(鉄棒)たるべし』(P1124)と記されている。
勇気ある信心を貫く丈夫は、「絶対勝利」の宝剣を持っているのだ。
今、八王子市の東京富士美術館では、"刀剣展"(「ザ・刀剣——千年の匠の技と美」)が行われている。
ここには、かの宮本武蔵が所持していたともいわれる刀「無銘 伝正宗」(名物武蔵正宗、刀剣博物館所蔵)が特別出品されている。
無双の剣豪・宮本武蔵は、晩年を九州・熊本の地で過ごし、独自の兵法観と思想を集大成した『五輪書』をまとめた。
そこに「生国播磨」——今の兵庫出身と記した彼は、生涯で六十数回にわたって勝負をして一度も負けなかったという(出生地には、美作〈現・岡山県内〉説もある)。
なぜ、強かったのか。
武蔵は自身の剣術について、「水を本として、心を水になすなり」と譬えた。水は形を自由に変える。この水の如く、自分を自在に変えることができたから強かったというのである。さらに実際の太刀の使い方や構えにも、固定的な型はないと述べている。
千差万別の相手に、自在に対処していくのだ。決して過去の成功にとらわれず、電光石火で対応を変化させる。これこそ武蔵の必勝の哲学だ。
『五輪書』は、「一人の敵に自由に勝つときは、世界の人にみな勝つところなり」と論じてもいる。
我らが真剣勝負の対話で、一人の心をつかむことは、万人の心をつかむことにも通じよう。
大聖人は、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書二五四ページ)と明言なされた。「断じて勝つ」との強き一念で御本尊に祈り、勇敢に一歩を踏み出せば、世雄たる仏の随縁真如の智は、いくらでも湧いてくるのだ。

◇「忍辱の鎧」で
神奈川出身の吉川英治氏の名作『宮本武蔵』は、奥深い"水の心"に触れた言葉で結ばれている。
「波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は躍る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを。」
世に、自らの我欲や保身のため要領よく泳ぐ小才子は多い。しかし、いかに雑音を浴びせられようと、「忍辱の鎧」を着して耐え抜き、無骨なまで、広布の誓願のために奮闘する。これが、まことの勇者の境涯だ。

◇我らは滝の如く
私も"水の心"を詩に詠んだことがある。

滝の如く 激しく
滝の如く 撓まず
滝の如く 恐れず
滝の如く 朗らかに
滝の如く 堂々と
男は
王者の風格を持て

四十五年前の六月、新緑まばゆい青森の奥入瀬渓流を訪れた折、清冽にほとばしる滝を見た感慨を詠ったものだ。
翌年、青森出身の芸術部の方が詩に曲をつけてくださった。
この「滝の詩」を、長年、地元・青森の同志が大切に歌い継いでくれていたのである。
その後、「滝の詩」の曲を収めたCDを、青森の壮年部有志が届けてくださった。とても良い歌だ——私は、直後の会合で、関西男声合唱団の皆さんに歌っていただいた。
「男は 王者の風格を持て」と呼びかける、その雄々しき歌声は、大きな感動を呼び、瞬く間に全壮年部の愛唱する歌となっていったのである。

我ら壮年部は、本年で結成五十周年を迎えた。
結成記念日の「三月五日」は、数字を反対に置くと「五月三日」となる。「創価学会の日」であり、「創価学会母の日」ではないか。
陰で、一切の土台となって学会を担い立つと、腹を決めた、我らの責任感の象徴ともいえる。
我らは厳として創価の王城を死守する。そして、太陽の婦人部や後継の青年部に、思う存分、活躍してもらうのだ。
創価学会には、壮年部の深き一念から、安心と信頼と感謝がみなぎる。異体同心となり、全軍に躍進の勢いが生まれる。
婦人部と青年部の輝く六十五周年。全学会員に完勝の宝冠を捧げる。それこそが齢五十の壮年部の重大な天命なのだ。

◇仏法は勝負なり
壮年部の勇戦の鑑ともいえる牧口常三郎先生が使われた御書には、『夫れ仏法と申すは勝負をさきとし』(P1165)の箇所に朱線が引かれていた。ページの余白には、「勝負」の二字も書き込まれている。
六十年前、私が関西の友と拝した御文がある。
『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず』(P1192)
門下の柱として必死に戦う壮年・四条金吾に送られた御指導である。
学会の勝負は、最後は壮年部が決するのだ。
堂々と正義と真実を語り抜き、学会の偉大さを満天下に示すのは、師弟の真髄を結果で体現する壮年部なのである。

◇「今ここ」で勝つ
わが壮年部の友は、打ち続く障魔の嵐の中、私と共に広布の道なき道を切り開いてきてくれた。
自らの試練も、宿命も、断固と勝ち越え、生き抜いてこられた百戦錬磨の同志だ。不思議にも、今この時に居合わせ、苦楽を分かち、勇猛精進する戦友だ。「宿縁深し」と思えてならない。
『今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』(P1451)——「今ここ」が勝負所であり、広布の決戦場であり、自身の宿命転換の正念場である。こう自ら決めて祈り、行動する時、勝利の突破口は豁然と開かれるのだ。
大聖人は厳命された。
『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ』(P1598)
さあ、壮年の出番だ。信頼する創価家族の父たちよ! いかなる強敵にも怯まぬ無敵のスクラムを組んで、師弟の大道を戦い進もう!
「王者の風格」を持って世界広布新時代の開拓へ、元初より誓い願った今生の勝ち戦に、いざ打って出ようではないか!

歴戦の
 正義の王者
  我なりと
 岩をも砕きて
  凱歌 勝ちとれ

——明日は「父の日」。ご一家そして地域社会の柱たる、大切な皆様方の健康長寿と絶対勝利を心から祈りつつ。