「確信ある声」
「真剣な言葉」が
相手の心を変える。
一度の出会いを大切に!
大生命力で絆を結べ!
御義口伝 P708
『経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す之を名けて経と為すと』
☆四季の語らい
人生には「師」が必要である。人間だけが「師」をもつことができる。師弟の道によってこそ、人間は人間としての最高の宝を学べるのである。
☆女性に贈ることば 六月十八日
「相対的幸福」とは、経済的な豊かさや社会的な地位など、自分の外の世界から得られる幸福である。それは、ひとたび環境や条件が変われば、いともたやすく崩れ去ってしまうものだ。
それに対して、「絶対的幸福」とは、いかなる困難や試練にも負けることなく、生きていること自体が楽しくて仕方ないという境涯の確立である。
☆今日のことば365 六月十八日
才能には限りがある。運、不運も重要な鍵になってくる。賢者必ずしも、成功者になれるとは限らぬ。愚かそうに見える人が、また思いもよらぬ大成をなすこともある。
☆随筆 永遠なれ創価の大城 第7回 創価の女性の六月
◇幸福常勝の太陽万歳!
◇希望と励ましの連帯は無敵なり
六月十日は、我ら創価家族の尊き母たちの大切な原点の日である。
結成六十五周年の「婦人部の日」を、皆で感謝を込めてお祝いしたい。
本当におめでとう!
いつもありがとう!
さらに、六月四日は、世界の華陽姉妹の記念日であり、広布の華・女子部の清らかな笑顔が一段と明るく咲き薫った。
日蓮大聖人の法門は「太陽の仏法」である。
『今法華経の時こそ女人成仏の時・悲母の成仏も顕われ』(P223)と仰せの如く、女性の生命が最高に輝き渡る法理である。今や妙法を唱える女性たちの活躍が、世界中で慈愛の陽光となって人びとの心を照らし、温める時代に入った。
先月、SGIの研修会に参加されたコートジボワールの友は、「太陽の仏法」が必ず世界を照らしゆくとの仏法西還の誓願が記された「諫暁八幡抄」を学び合った。
「ホッシャクケンポン(発迹顕本)支部」——誠に崇高な名前を冠した支部で婦人部長を務める友からの報告も伺った。
民族間の紛争や伝染病の蔓延など過酷な現実にも怯まず、題目の師子吼を響かせ、勢いよく対話に駆けておられる。
「私たちが『ソレイユ(太陽)』となって、アフリカの女性が輝く時代を必ず切り開きます!」
御本仏が願われていた一閻浮提の「女人成仏」、一切衆生の「発迹顕本」へ、希望の光彩はいやまして地球を包んでいる。
◇尊き慈悲の実践
「諫暁八幡抄」には、『一切衆生の同一苦は 悉く是日蓮一人の苦と申すべし』(P587)との大慈悲が示されている。
この御本仏の闘争に連なり、人びとの苦悩にどこまでも同苦し、「抜苦与楽」の慈悲の実践を現実社会の中で繰り広げているのが、創価の女性たちである。
自らも悩みや苦しみと戦うからこそ、同苦できる。一緒に題目を唱え、苦難に負けない「師子王の心」を取り出して、一歩一歩、幸の道を力強く進んできたのである。
先日も、埼玉の友の元気な近況を懐かしく聞いた。私が青年部の第一部隊長の頃、県内の各地を家庭訪問や座談会に動く中でお会いした女子部の方たちである。
「水の流れるような信心を!」と約束した通り、九十代、八十代となっても不退の心で、仲良き"華陽姉妹"は"多宝姉妹"として、各支部の最前線で、使命の対話を積み重ねておられる。
お世話になった座談会場のお嬢さんも、立派な埼玉婦人部のリーダーと光っている。
わが師・戸田城聖先生が「一人ももれなく幸福に!」と望まれた如く、それぞれに挑んだ学会活動の歴史は、全てが自他共の幸福勝利の足跡となっていくのだ。
◇タンポポの笑顔
現実の悩みは絶えない。言うに言えない辛労に涙する時もあろう。
だが、創立の父・牧口常三郎先生は、獄中から「心一つで地獄にも楽しみがあります」と家族に書き送られた。
先師が命を賭して教えてくださった精神の宝こそ、「一念三千」の法理である。一念の心の変革が、一切を変えていく。ゆえに、心を強く、また賢く育んだ人は幸福だ。
胸に蘇る一詩がある。
「踏まれても 踏まれても なお咲く タンポポの笑顔かな」——私が関西の友と、幾度も心に刻んできた詩である。
大地に深く根を張り、笑顔の花を咲かせる小さな太陽・タンポポの如く、妙法受持の女性たちは、いかなる宿命の嵐にも、凜然と顔を上げた。朗らかに「冬は必ず春となる」の勝利劇を、現実に示し切ってきたのである。
◇"白菊"薫る熊本
「おお 明るい母の声こそ勇気の響きなり
母を思えば乗り越えられぬ試練はない」
信濃町の創価世界女性会館にある「母」の歌の碑文に、私は綴り贈った。
思い返せば、"女性のための会館"の先駆けは、熊本の阿蘇にあった九州白菊講堂である。
阿蘇地方には、「孝女白菊」——西南戦争で行方知れずとなった父を探し、旅に出る乙女・白菊の物語が伝わる。四十年ほど前、熊本で若き女性のための法城を願う声が上がった折、こうした話が縁となり、"白菊講堂"の誕生に至ったのである。
一九八一年(昭和五十六年)師走、私が訪れたのも、この講堂であった。
今回の熊本地震では、本年二月に新築完成した阿蘇白菊会館が、被災者の一時避難所、救援活動の堅固な拠点となった。不眠不休の友の献身に、安堵の笑みが広がった。
なかんずく、母たちの励ましは、あまりにも温かく尊貴である。
大聖人は、女性の団結の大切さを『同心なれば』(P1324)、『常によりあひて』(P1114)と仰せになっている。
生々 世々、我らは異体を同心とし、苦楽を分かち、越すに越されぬ坂をも勝ち越えていくのだ。
この"希望と励ましの花綵"は、北は北海道・東北から南は九州・沖縄まで、日本列島の津々浦々に広がっている。
壮年部の"ブロック五勇士"また男女青年部の拡大の陰でも、どれほど婦人部が支えてくださっていることか。
◇"婦女一体"の絆
「孝女白菊」は明治の国文学者・落合直文により詩に詠まれた。恩師がお好きだった"大楠公"も、彼の名作の一つである。
"大楠公"といえば、阪神・淡路大震災から五年後(二〇〇〇年)に、楠木正成ゆかりの湊川に近い神戸の長田文化会館を訪問できたことが忘れられない。震災当時、避難所としてフル回転した会館である。この日、館内の一室で、朗々たる題目が響いていた。
婦人部の皆様方が神戸の復興を、全同志の幸福勝利を、厳然と祈ってくださっていたのである。
ああ、この尊き母たちの祈りが「常勝の太陽」を昇らせてきたのだ!
私は、広間のピアノで"大楠公"を奏でるとともに、地元の同志と追善の勤行を行い、語った。——人生は幸福になるための戦い。妙法を唱え、戦う人は、どんな苦難も乗り越える力と自分自身を築いていけるのです、と。
七年前(二〇〇九年)の六月四日、創価女子会館を妻と訪問した時も、私は"大楠公"を弾いて若き友に贈った。父子の詩の意義を込めて。
女子部の友は、「華陽の誓い」の歌を清々しく歌い上げてくれた。見守る婦人部の先輩たちも嬉しそうであった。
わが"婦女一体"の麗しい連帯がある限り、学会は永遠に未来の門を開いていける。私と妻の心も晴れやかであった。
◇
大聖人は『母の御恩忘れがたし』(P1398)と言われた。尾張国(現在の愛知県)に住んでいたとされる女性門下へのお手紙の一節である。
大聖人は、法華経こそ最高の父母孝養の経であると示され、中部有縁の女性に『この法門を善知識(善友)に会って、何度も聞いていきなさい』(P1401、通解)と励まされている。
会って話を聞く。会って語り合う。励まし合って共に立つ。広宣流布も、ここから始まる。
今、その後継の女性たちが、喜び勇んで正義を語り抜き、"諸天舞え"との信力・行力で、前進してくれている。
◇生命世紀の走者
先日、アメリカのオバマ大統領が広島を訪れ、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花し、"核なき世界"へ決意を表明する演説を行った。
一九七五年(昭和五十年)、広島で開催した本部総会以来、私は、世界の指導者は原点の地・広島を訪問し、原爆の悲劇を直視すべきだと訴えてきた。核廃絶の未来へつながる一歩に感慨は深い。広島、長崎さらに沖縄をはじめ、平和への祈りと行動を貫いてきた母たちの思いもいかばかりか。
創価の平和運動の淵源は、恩師の原水爆禁止宣言である(一九五七年)。実はその二カ月後、神奈川で総会を行い、被爆体験や原爆問題の研究発表に取り組むなど、恩師の遺訓の継承に先駆したのは、わが女子部であった。
平和と生命尊厳の世紀の走者こそ女性たちだ。
「太陽の時代」を提唱した未来学者ヘンダーソン博士は、ご自身の母上に、こんな歌を贈られた。「本当の勇気とは、日々、人のために働くこと。本当の勇気とは、見返りも賞讃も求めずに、未来を信じ続けること」と。
母の翼の下で人は生まれ、育まれ、成長する。この母の恩には、どれほど感謝しても足りない。誠実と行動をもってしか応えることはできない。
この母の心に合掌し、庶民の幸福のため、社会の繁栄のために奮闘する正義の人材群を送り出していく。ここに「立正安国」の確かな勝利がある。
ゆえに我らは、創価の母である婦人部と共に、そして、従藍而青の女子部と共に、輝く生命の光を広げゆこう!
人類が待ち望む「人間世紀」の建設へ力走だ。今日も元気で!
太陽の
母娘のスクラム
にぎやかに
声を光と
希望 放ちて