広布のために
人と「会い」「語る」。
そこに人間革命への
直道がある。
わが心の壁を破れ!
上野尼御前御返事 P1580
『法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り口に唱ふれば其の口即仏なり』
☆四季の語らい
人間は、自らの一念が後退する時、立ちはだかる障害のみが大きく見えるものである。そして、それが動かざる"現実"であると思い込んでしまう。実は、そこにこそ、敗北はある。いわば、人生における勝敗の鍵は、己心に巣くう臆病との戦いにあるといってよい。
☆女性に贈ることば 五月二十八日
順調な時ばかりでは、本当の幸福を実感できるはずがない。
険しき山河がありても、すべてを悠々と乗り越え、深く人間の価値を知りながら進むことだ。
そこには喜びがある。そこには満足がある。そこには後悔がない。
☆今日のことば365 五月二十八日
彼は 今日のために
未来を忘れている
僕は 未来のために
今日を修行するのだ
☆「大阪の戦い」60周年記念特集� 2016年5月19日
◇師弟一体で築いた「常勝の原点」「拡大の要諦」を学ぶ
若き日の池田SGI会長が指揮を執り、広布拡大と民衆勝利の金字塔を打ち立てた1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」から本年で60周年。本紙では3回の特集を行い、常勝関西の原点である「大阪の戦い」の歴史を振り返るとともに、現代に受け継がれる常勝の精神、そして世界に広がる「カンサイ・スピリット(関西魂)」を紹介する。特集�では、若きSGI会長の行動から広布拡大の要諦を学ぶ。
◇一切の根本は祈り
「策ではない。生活、闘争、福運の源泉は全て題目だ」
1956年1月。青年部の室長だった池田SGI会長は、「大阪の戦い」のスタートに当たり、御書の次の一節を拝した。
「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(1132ページ)
そしてこう訴えた。
"御本尊に祈って願いが叶わないことは、絶対にありません。不可能を可能にするのが信心なのです"
策ではない。要領でもない。広宣流布の戦いである以上、一切の根本は祈りである。強盛な祈りから、全てを始めるのだ——これがSGI会長の最初の訴えだった。
誰よりSGI会長自身が、唱題に徹した。会合を終え、夜、関西本部(当時)に戻ってから一人で唱題。同志の車に乗り、各地を回っている時も小声で唱題した。
「池田先生は事故が心配で唱題してはる」と思ったメンバーが「事故は起こしませんから」と言うと、SGI会長は「大阪の大地に題目を染みこませているのです」。
"十界のあらゆる衆生が広布の味方になるように"——その一念で、時間を見つけては題目を唱え続けた。
また、ある同志に対しては次のように指導している。
「仏道修行で、一番やさしい修行は唱題であり、一番難しい修行も題目を唱えることです。一切の源泉、生活の源泉、闘争の源泉、福運の源泉は、全て題目です」
唱題で生命力をみなぎらせ、勇気と智慧を湧き出させていく。そして、拡大の対話に打って出る。自身の人間革命、生活革命に挑んでいく。
それが広布の根本であることを、一貫して訴えたのである。
◇弟子の団結で勝った
「法華経に勝る兵法なし」 戸田会長の教えを実践
この年(56年)の4月、SGI会長は「信心と団結でしか、勝てぬことを忘れるな」と日記に記している。
勝利の要諦は「信心の団結」「異体同心の団結」にある——これは年頭、最高幹部に対して戸田第2代会長が訴えたことであった。
広宣流布の師匠に心を合わせなければ、広宣流布はできない。
SGI会長は、まず自らが師と不二の心で立ち上がり、師弟の精神を根幹として"弟子の団結"を築いていった。それは、戸田会長のもとで学んできた「法華経の将軍学」を実践しゆく戦いであったといえる。
当時、関西の同志は人数も少なく、そのほとんどが入会間もないメンバーだった。
SGI会長は、大阪に滞在中は毎朝、関西本部で御書講義を行った。
御書の御文を縦横に拝しながら信心の偉大さを語り、妙法を持った一人一人の使命がどれほど尊いかを訴えていった。
拡大が進むにつれ、広布を阻む障魔も現れた。マスコミによる学会への中傷、同志の間の不和……SGI会長は、魔の蠢動を鋭く見破り、信心の利剣で打ち破っていった。
SGI会長は語っている。「いかなる戦いにせよ、信心根本です。法華経に勝る兵法なしです」
戦いが激しくなると、毎晩のように、東京の戸田会長に電話で状況を報告した。
正座して、受話器を握るSGI会長。あたかも戸田会長が眼前にいるかのようだった。
"尊敬する池田先生が、あのような厳粛な姿で仕えられる戸田会長は、どれほど偉大な師匠なのか"
関西の同志は、観念や理屈ではなく、SGI会長の振る舞いから「師弟」を学んでいったのである。
◇自らが最前線へ!
1日で20会場以上を訪問。個人指導に全力を挙げる
「指揮官が先頭に立つ。それが勝利の因です。『城の主剛ければ守る者も強し』(御書979ページ)なのです」
大阪の戦いで、SGI会長は常に自らが活動の最前線に立った。
個人指導に全力を傾け、約半年で8000人の友に会い、励ました。自転車3台を乗りつぶしたという。
当時、家が自転車販売店で、SGI会長が自転車を借りに来たという友は語っていた。
「先生は自転車で会場を回りに回られました。回り終わると、自転車でサーッとわが家に入ってこられました。そのすごい勢いに圧倒されました」
当時の心境を、SGI会長は後につづっている。「行く先々で『まだ、時間がある』『まだ、励ませる』と動くうち、日に二十五、六会場を回ったこともある。全身に汗は流れ、声は嗄れ、足は棒のようになった」と。
その個人指導の勢いは、"大阪の全会員と会われたのでは"と言われたほどであった。
激励を終えたSGI会長は、関西本部で深夜まで机に向かった。その日に励ました一人一人へ、はがきや手紙を送るためである。
ある友が受け取ったはがきには、「仏法は勝負である。最後迄進みゆく者が最後の勝利者である」と。
一度、出会った友のことは忘れない。その同志が仏法の功力を実感し、信心根本に立ち上がるまで、祈り、励ましを送り続けた。
また、各地の座談会で多くの新来者を自ら折伏。一つの会場で20人以上の新入会者が誕生したこともあった。怒濤の上げ潮の中、5月の折伏成果で、大阪支部は「1万1111世帯」の不滅の金字塔を打ち立てた。
そして、「まさかが実現」と語り継がれる、民衆勝利の歴史が築かれたのである。