我らの目的は
恒久平和の建設だ。
その土台たる
一人一人の変革へ
足元から波動を!
異体同心事 P1463
『日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』
☆四季の語らい
何事も、戦う限りは負けてはならない。「仏法は勝負」であり、人生も「勝負」である。健康も勝負−−体内では白血球と病原菌が戦っている。草木が伸びるのも勝負−−戦い、勝ったから、青々と伸びられる。一切法が「勝負」である。勝てば幸福、負ければ不幸である。勝つための人生であり、勝つための信心なのである。
☆女性に贈ることば 五月二十九日
世界を支えているのは、一部の偉ぶった指導者などではない。目立たなくても、自らの使命に生き抜いている、お母さんたちです。
☆今日のことば365 五月二十九日
人々の批判をする前に
先ず自分をつくれ
自分を養え
☆「大阪の戦い」60周年記念特集� 2016年5月20日
◇次代へ語り継ぐ黄金史 永遠なれ! 君と我との絆よ
「師匠の恩は 山よりも高く 海よりも深し 同志の愛は 月光の如く 美しく消えず」。1956年(昭和31年)、池田SGI会長(当時、青年部の室長)は関西の同志に、この言葉を贈った。
同年の「大阪の戦い」に加わり、翌年の「大阪大会」に集った友への思いを「その同志が、いな、その同志のご一家が、永遠に福徳に包まれた勝利の人生であることを、今でも祈っている」と、つづっている。
君と我とは、久遠からの使命で結ばれた同志——あまりにも深き慈愛で、功労の友を見守り、励ましてきたSGI会長。その万感の期待に応え、常勝の伝統を築いた関西家族。特集�では、60年にわたる師弟の絆と、次代への継承の取り組みを紹介する。
◇落合関西青年部長
関西の草創の先輩方が、池田先生と共に築いた、1万1111世帯の弘教という「不滅の金字塔」。それは、いかなる障魔の嵐が吹き荒れようと、先生と"心のギア"を合わせ、勝ち越えることで打ち立てられました。
「師弟」に徹すれば乗り越えられない壁はない——「大阪の戦い」から60周年の今、この常勝の魂を実践の中で受け継ごうと、関西青年部は各地で、対話に奔走しています。
兵庫・姫路総県ヤング男子部は、関西をリードする拡大。大阪・浪速区の男子部は、3月からの2カ月間で「1万1111人」以上の対話を目指し、見事に達成しました。
関西女子部の合言葉は「御書根本の常勝」。教学の研さんに力を注ぎつつ、小説『人間革命』10巻を学んでいます。特に、6・4「世界池田華陽会の日」を目指し、友情の輪を大きく広げる兵庫女子部の活躍が光っています。
先生が「"まさか"が実現」と世間を驚嘆させた7月は、「青年の月」「関西の月」。池田門下の誇りで進む関西青年部が今こそ、新たな常勝の金字塔を打ち立ててまいります!
◇山本関西女性未来本部長
「大阪の戦い」から60周年の本年、池田先生が関西に刻んでくださった「常勝の精神」を次代へ伝えようと、関西各地で、未来部育成の取り組みを行っています。
大阪・堺総県東総区では、毎回の本部幹部会中継行事の折に開催する未来部の集いで、広布史を学び合い、そこに刻まれた学会精神を学んでいます。
京阪総県は、52年(昭和27年)8月14日、先生が関西を初訪問された「関西・師弟原点の日」の淵源を寝屋川の2分県で小冊子にまとめるなど、家族で研さんする取り組みを続けています。
先月、関西文化会館内でオープンした関西広布史記念展示「師弟常勝の魂」にも、家族と共に、たくさんの未来部員が訪れています。
「池田先生の関西に対する深い思いを知ることができました」「大阪大会での"最後は信心しきった者が必ず勝つ"との先生の叫びが心に残りました」との声が寄せられるなど、常勝の歴史と誓いを語り合う、貴重な機会となっています。
「常勝後継の宝」である未来部員を、各部一体で、全力で励ましてまいります。
◇新大阪総県 西光数子さん 「今日も元気で」を励みに
阪急の上新庄駅(大阪市東淀川区)から3分ほど歩くと、街の一角に5階建てのビルがある。西光数子さん(新大阪総県婦人部主事)が、夫の忠治さん(故人)と共に建てた信心の功徳の証しだ。
その5階に住む数子さんは91歳の今も、ビルの階段を上り下りして、元気に座談会等に出掛ける。
60年前の「大阪の戦い」に参加したのは、夫婦で入会した翌年。班長・班担当員を務め、当時、日本橋3丁目にあった自宅は、地区・班の広布の会場となった。
大阪中を歩きに歩いて対話したこと。巻き起こった題目の渦。そして凜々しくも気迫に満ちた、若き池田室長の御書講義——「常勝の原点」の歴史に連なった歓喜は今も胸に。
子どもは男の子5人。全員が今、壮年部の第一線で活躍する。
だが、数子さんにはもう1人、男の子がいた。
池田室長の渾身の励ましを受けたのは58年(同33年)、その長男を9歳で、交通事故で亡くした時だった。関西本部(当時)を訪ねた夫婦に、室長は「明日からは毎日、"今日も元気で"と自分に言い聞かせて頑張るんだよ」と。
それから10年後の68年(同43年)、小説『人間革命』の第4巻が届いた。扉には、SGI会長の字でこう記されていた。
「元気かね。豊かな信心で いつも若々しく。子等が育ちゆけば 日本一の幸福者となるを 誇り高く自覚して・・・・・今日も元気でね」
5つの「・」は5人の子どもという意味です、と伝言があった。草創の苦労を分け合った友を、決して忘れない——震えるような感動とともに、この師の心を知ったのである。
三男の晴彦さんは、大学教授を務めながら現在、新大阪総県の総県長を。78年(同53年)、その晴彦さんが学究のため、カナダ留学に旅立つ前のこと。数子さんは、香峯子夫人に、一家のことを詳しく報告する機会があった。
後日、数子さんに大きな封筒が届く。
中に入った原稿用紙には「金の家 金の旅ゆけ 金の君」と、SGI会長の筆でつづられていた。
晴彦さんは言う。
「父の晩年まで、西光家では毎年、夏や年末に一族で集まり、先生と家族の歴史を確認し、決意を語る座談会を開いてきました。"西光家座談会"という横断幕も張って」
その中で、数子さんにとっては孫にあたる、晴彦さん・光枝さん夫妻の子——愛莉さん、希翔さん、恵未莉さんにも「師弟の心」が受け継がれている。
5人の子、13人の孫、3人のひ孫に囲まれた数子さん。いつも温かく励ましてくれるおばあちゃんの口癖を、孫たちが教えてくれた。
「負けたらあかんで!」
◇東大阪総県 村田只四さん 忘れ得ぬ"金字塔の瞬間"
「大阪の戦い」を、大阪支部幹事として戦った村田只四さん(東大阪常勝県主事)は、60年前、歴史的な瞬間に居合わせた。
56年(昭和31年)5月末、1カ月の折伏の報告がまとまる日に、村田さんは、関西本部の2階にあった統監部室に駆けこんだ。
「どうなりました?」。机に向かっていた統監部の責任者に聞く。責任者は感慨を抑えるように言った。
「1万1111世帯!」
関西に築かれた師弟の"金字塔"。報告を聞いて池田室長は言った。
「関西は、これから、何でも一番、一番、一番、一番、一番だ。その永遠の基本を今、つくったのです」
同年8月、村田さんの妻・喜美江さん(支部副婦人部長)は、池田室長から手紙を受け取った。躍進する学会への弾圧が強まり、只四さんは無実の選挙違反の疑いで勾留されていた。
「御主人お留守の由、誠にお淋しき事と存じ上げます」「如来の使の使命を果した主人を立派に迎へられますように、祈り居ります」
その激励を支えに、障魔を勝ち越えた夫妻。広布一筋のその姿を目にして、8人の子どもたちは育った。
「父が御書講義を担当した時のことを聞いたことがあります。池田先生に『どんな講義でも、私がそばにいると思ってやりなさい』と教えられたそうです。家にいる時も父は、唱題するか御書を読むかの、どちらかでした」(三女・後藤千恵子さん、地区婦人部長)
「母は芯の強い人。父は家でも外でも優しかった。そういう両親の普段の振る舞いを見て育ち、女子部・婦人部で活動するようになって、両親の生き方の根本に"師弟"があるのだと分かりました」(五女・中尾光代さん、支部婦人部長)
「普段は多くを語る父ではなかったけど、聞けば聞くほど、先生がどれだけ学会員を大事にしてくださっているのかを知りました」(三男・村田伸作さん、地区幹事)
「両親だけでなく、家族の私たちも、ことあるごとに先生から激励や伝言をいただいてきました。この先生の慈愛を語り継いでいかねば、と思います」(次女・長友眞理子さん、支部副婦人部長)
長友さんの長男・賢一さんは、方面男子部主任部長兼任の圏男子部長。「先生との歴史を継承することは、先生の生き方に連なること。祖父をはじめ草創の先輩の姿に、そう教えていただいています」
村田只四さんは今、96歳。御書の拝読をはじめ、聖教新聞などの熟読も欠かさない。
「先生と戦えたことが生涯最高の福運です!」。御書講義で鍛えた、生命力あふれる声は健在である。