幾多の英雄を生んだ
歴史の天地・大中部よ!
今こそ正義の大攻勢を!
わが堅塁の黄金城に
断じて大勝の旗を!
兄弟抄 P1088
『心の師とはなるとも心を師とせざれ』
☆四季の語らい
自分の中に、「仏」もあれば、「魔」もある。「強い心」と「弱い心」−−どちらに支配されていくか。「強い心」をもって、悪魔のささやきに勝てば、向上できるし、負ければ堕落である。勝てば、自身を幸福へ導くことができるし、負ければ不幸へと落ちていく。人生は、いってみれば、自分自身の心の闘争のドラマなのである。
☆女性に贈ることば 五月三十一日
日頃、子どもに語りかけるひと言を大切にしたい。日々、子どもたちと一緒に美しものを喜び、新しいものを見出していきたい。
心を育むものは、心である。
☆今日のことば365 五月三十一日
どんなささいなことであっても物事を軽視する態度は、敗北につながる。
安易な考え方に勝利はない----安直は建設の敵であるからだ。
☆全国総県長会議から 鷹尾熊本総県長
◇全同志の真心の励ましに感謝 "越せない坂はない!"と前進
一、このたびの熊本地震におきまして、学会本部から水、食料などの救援物資に加えて、全国の皆さまから、たくさんの励ましを頂戴しました。
同志の真心が、被災した私たちにとって、どれほど心強かったか、勇気となったか、計り知れません。
この場をお借りして、お礼を申し上げます。本当にありがとうございました!
◇目を疑う惨状
一、一連の地震が発生した4月14日の翌15日、私は震度7の激震地の益城町へ。
町が近づくにつれ、目を疑いました。波打つ道路、崩れ落ちた家々。信号も電柱も折れ曲がり、塀はことごとく倒れ、見るも無残な姿でした。
そして16日午前1時25分、最大震度7の本震。その後、立て続けに3度の震度6が襲い、16日の深夜には熊本平和会館に車が続々と押し寄せました。駐車場はあっという間に満車。避難者は1500人を超えました。この日から計9会館で、3374人が避難生活を送ることになったのです。
特に被害の大きかった益城町は、半数以上が全半壊しました。
ある地区部長夫妻の家は応急危険度判定で「危険」を示す赤色の紙が貼られました。しかし他に住む場所がないため、現在もその家で生活。別の地区部長は、自宅がつぶれ、今も庭にテントを張って生活しながら、地区内の同志の把握と励ましに奔走しています。一日4回、FMラジオから流れる生活情報を聞きながら、誰もが今日を生きるのに必死です。
阿蘇の西原村は約6割の家屋が全半壊し、同志の8割以上が今も避難生活をしています。
また、阿蘇大橋が崩落した地域にある南阿蘇支部立野地区。同志全員は無事でしたが、山ごと崩落して、地域全体をのみ込むという未曽有の事態になりました。先日、この地域の村民全員が村を離れることが決まりました。地元のリーダーは、悔しさに涙しながらも、"もう一度、皆で広布に立ち上がります"と誓っています。
◇必ず変毒為薬する
一、震災直後から絶望と忍耐の毎日のなかで頂いた、池田先生からのお見舞いの伝言や激励に、どれほど勇気と力を頂いたか、計り知れません。
伝言を一軒一軒、お伝えすると、被災された同志は涙を流し、「ありがとうございます」「『絶対に負けません』と先生にお伝えしてください」と、固い握手を返してくださいました。
何より4月20日付の聖教新聞の随筆で「不撓不屈の大九州たれ!」「わが熊本の同志よ!」「断じて、負けるな!」とつづってくださり、感動が熊本中を駆け巡りました。皆、この日の新聞を握りしめ、被災した同志のもとに走りました。
ある壮年が語ってくれました。
「大きな余震が続くなか、家の中を片付けては崩れ、片付けては崩れの繰り返し。避難生活を続けるなか、ボロボロになりながら闘っています。しかし、随筆に掲載していただいた『田原坂』の歌を、熊本で先生と一緒に歌ったことを思い起こし、涙の出る思いです。必ず変毒為薬します」
◇9会館で懸命な避難所運営
一、避難者を受け入れた9会館でも連日連夜、懸命な避難所運営が続きました。
特に、断水でトイレの水が無くなり、皆で毎日、井戸水を運びました。
宇土文化会館では、避難者の半分以上は地域の方でした。
1週間、2週間とたつにつれ、ガスや水道が復旧し、自宅に戻られる方が増えてきました。避難した会館を出られる地域の方々は"このご恩は忘れません!"と、口々に感謝を述べられました。
地域の友人から、次のような丁寧な手紙も頂戴しました。
「貴施設に避難させていただいた6日間を振り返りますと、私どもは学会員でないにもかかわらず、分け隔てなく避難させていただいたことに貴学会の人間愛を感じ、感謝の念でいっぱいです。
貴施設は耐震構造で、新しい畳が敷かれ、安心して気持ちよく、大きな揺れがあっても、ほとんど恐怖心なく、横になっていられました。
学会の方々は、ご自身の被災にもかかわらず、避難者に優しく、親切に気遣っていただき、ありがたいことでした」と。
5月4日には、最後の避難者が公的避難所へ移られました。
一、現在、被災された方の家々を片付ける「かたし隊」(学会の清掃ボランティア)が奮闘しています。
先日も、感謝の声が寄せられました。
この方は、途方に暮れていました。会館に相談すると、「かたし隊」が駆け付けて、手際よく片付けました。帰る際には飲み水まで置いていった。「学会の青年はすごい。学会は素晴らしい」と、心から感謝されていました。
◇田原坂の大合唱
一、5月1日、震災後初めて熊本総県の区・圏長と婦人部長が集まりました。一人も欠けずに集い合えたことがうれしくて、皆、肩を抱き合って泣きました。
思いがけなくも、池田先生より万感のメッセージを頂きました。
「この半月、本当によくぞ戦い抜いてくれた。よくぞ守り抜いてくれた。よくぞ励まし抜いてくれた。そして、よくぞ耐え抜いてくれました。ありがとう! 本当にありがとう!」
先生のあまりに深き心に皆、泣きました。
会合の最後には、1981年12月、熊本を訪問された先生と一緒に歌った「田原坂」の歌を、あの日を思い起こしながら先生への誓いを込めて、皆で大合唱しました。
?雨はふるふる 人馬はぬれる 越すにこされぬ 田原坂……
天下取るまで 大事な身体 蚤にくわせて なるものか
皆、涙を拭いながら、再びの前進を固く誓いました。
復興はこれからですが、"「越せない坂」は絶対にない!"との先生の指導を胸に、全力で戦ってまいります。