猛然と祈り動けば
全てが味方に変わる。
これが大仏法の原則だ。
善の連帯の拡大へ
勇猛精進の日々を!
乙御前御消息 P1219
『犬は師子をほうれば腸くさる修羅は日輪を射奉れば頭七分に破る』
☆四季の語らい
いわれなき非難などには、断じて屈しない。毅然と信念の歩みを貫く。とともに、民衆のため、青年のためには、わが身をなげうち、犠牲となって奉仕していく−−。この崇高な精神をもって挑戦を続けていく限り、時代の変転、障害があろうとも、行き詰まりはない。
☆女性に贈ることば 五月二十六日
親は子どもにとって、最も身近な人生の先輩ともいえる。
平凡であってよい。地味であってよい。失敗があってもよい。
しかし、人間としてのたしかなる完成、また虚栄ではない、真実の栄光を見つめた自らの生き方の軌跡を、子どもに示せる存在でありたい。
☆今日のことば365 五月二十六日
君が もっと明確に
確信をもって物事をいえば
人々は惑わずに救われたのではないかと
私は 忠告したいのだ
☆仏法の教え 師子吼 2016年5月17日
◇師弟直結の「師子王」の闘争を!
〈Q〉御書には「師子」「師子王」という言葉が多く出てきます。
〈A〉釈尊、大聖人が「師子王」であり、法華経の行者である私たちも「師子王」です。
『法華経の行者は日輪と師子との如し』(乙御前御消息、P1219)
『師子の声には一切の獣・声を失ふ』(P1393)
何ものも恐れずに堂々と振る舞う"百獣の王"ライオン。
日蓮大聖人は、御書の随所で「師子」「師子王」という言葉を使われています。
例えば、ただ一人で多数の外道を責め抜き、勝利した釈尊の姿について『仏(釈尊)は一人であり、外道は多勢であったけれども、外道は蟻のようなものであり、仏は竜のようで、また師子王のようであられたので、責め勝たれたのです』(P1301、通解)と述べられています。
また、『法華経は師子王のようなものであり、師子があらゆる獣の頂点に立つようなものです』(P1316、通解)等、万人成仏の法理を明かした法華経こそが"師子王の経典"であると表現された御書もあります。
さらに『日蓮程の師子王』(P982)等、大聖人御自身についても「師子王」になぞらえられています。
『法華経の行者は「太陽」や「師子」と同じなのです』(P1219、通解)
法華経に説かれるとおりに、日々、妙法弘通に励む私たち一人一人も「師子王」なのです。
〈Q〉「作師子吼」について教えてください。
〈A〉弟子が師匠の心のままに主体的に戦いを起こす大切さを示しています。
『師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり』(御義口伝、P748)
「作師子吼」という言葉は、法華経勧持品に出てきます。釈尊の前で、釈尊滅後の弘教を誓う菩薩たち。その模様について「便ち仏前に於いて、師子吼を作して、誓言を発さく……」(法華経417ページ)と説かれています。菩薩たちの真剣さや勢いを「作師子吼」と表現しているのです。
「御義口伝」には、「作師子吼」について「『師』とは師匠が授ける妙法、『子』とは弟子が受ける妙法であり、『吼』とは師弟が共に唱える音声をいう。『作』とは「おこす」と読む。末法で南無妙法蓮華経をおこすことをいうのです」(P748、通解)とあります。
「師子吼」とは仏の説法のことであり、さらにいえば南無妙法蓮華経です。そして、『作とはおこすと読むなり』——弟子が主体的に戦いを起こしてこそ「作師子吼」になります。
「『師弟不二』です。『おこす』とは能動です。受け身ではなく、積極的に立ち上がってこそ『おこす』ことになる。どこまでも弟子の自覚、決意の如何である、ということです」(『池田大作全集』第32巻、「御書の世界」)
師弟不二の要諦は、弟子が師匠の心のままに率先の行動を起こす中にあることを「作師子吼」の一節は教えています。
〈Q〉師子吼といっても、自分には縁遠いものに感じます。
〈A〉「師子王の子は師子王」との自覚に立てば、無限の勇気が湧き起こります!
『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』(聖人御難事、P1190)
日蓮大聖人が御自身を「師子王」に譬えられた御書を拝すると、大聖人は弟子に対しても「師子王」となって戦おうと呼び掛けられていることが分かります。
『師子王の子は師子王となる・いまだ人王・天王等とならず』(P1216)
『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ』(P1589)
一切衆生の救済を願って、いかなる障魔にも屈することなく妙法弘通に生き抜かれた大聖人の御生涯は、まさに"師子王の軌跡"です。真剣な唱題に励み、御本仏と同じ仏の生命を湧き上がらせ、大聖人に連なる"師子王の闘争"を開始する——。ここに師弟の宗教の真髄があります。
『あなたがた一人一人が師子王の心を取り出して、どのように人が脅そうとも、決して恐れてはなりません。師子王は百獣を恐れません。師子の子もまた同じです。彼ら(正法を誹謗する人々)は野干(よく吠える小型の獣)が吼えているのと同じです。日蓮の一門は師子が吼えているのです』(P1190、通解)
日蓮大聖人直結の弟子の自覚に立った時、無限の勇気が湧き起こり、見事な「師子吼」の戦いを起こすことができるのです。
◇智慧の扉 前三後一
『師子王は前三後一といって、蟻の子を取ろうとする時にも、また、猛々しいものを取ろうとする時も、全力で飛びかかることは、まったく同じなのです』(P1124、通解)
この仰せに出てくる「前三後一」とは、ライオンが敵に向かう時に、全力をためるために身構えた姿のことです。ライオンは、相手が蟻であっても猛獣であっても油断することなく常に全力を尽くして飛びかかります。
ライオンの姿勢と同じように、小さなことであっても一つ一つに真剣勝負で取り組み、勝利を積み重ねていく——これこそ、師子王の戦いといえるでしょう。