リーダーは
報告や相談に対して
電光石火の対応を!
迅速・誠実の行動で
広布は勢いを増す。
四条金吾殿御返事 P1193
『何となくとも殿の事は後生菩提疑なし、何事よりも文永八年の御勘気の時既に相模の国竜の口にて頚切られんとせし時にも殿は馬の口に付いて足歩赤足にて泣き悲み給いし事実にならば腹きらんとの気色なりしをばいつの世にか思い忘るべき』
◇希望の明日へ
夫を支えながら、子育てに励み、そして立派な成人としてわが子を社会へ送りだしてからが、女性にとっては人生の"セカンド・ステージ"であるといわれる。だが、大事なのは、つねに今を輝かせる生き方である。青年であれ、老年であれ、そのとき人は真に美しい。その積み重ねが、人を磨き、向上させ、決して衰えることなき輝きをつくりだしていくのである。人生の実像は今しかないことを銘記したい。
『主婦と生活』 平5・1月号
☆女性に贈ることば 五月二十八日
順調な時ばかりでは、本当の幸福を実感できるはずがない。
険しき山河がありても、すべてを悠々と乗り越え、深く人間の価値を知りながら進むことだ。
そこには喜びがある。そこには満足がある。そこには後悔がない。
☆今日のことば 五月二十八日
彼は 今日のために
未来を忘れている
僕は 未来のために
今日を修行するのだ
☆我らの勝利の大道No.104 前進の旗 勝利の舞
◇学会と共に生きよ
懐かしき
また思い出多き
文京の
法戦しのびて
相みる同志よ
私が担当で入った頃の文京支部は、五地区二十四班で約七百世帯−−。
草創の"タテ線"時代であり、同志の活動地域は、文京、豊島、板橋、目黒、品川、町田、八王子、神奈川の横浜、相模原など広範囲にわたっていた。
わが友は、それぞれの舞台で仏縁を広げ、北海道や群馬、長野、静岡など各地にも次々と組織が誕生した。妙法広布の火種は、全国規模に広がっていったのだ。
七年後、私が第三代会長に就任する頃には、七万世帯−−実に、当初の百倍の大陣列となり、文京、横須賀、新宿の三支部へと大発展したのである。
私がよく存じ上げている多宝会の友に、福島県浪江町の壮年がいる。誉れの文京支部員であり、男子部時代から、私と同じ心に立って、草創の福島広布の礎を築き上げてくれた。
私が部隊旗を手渡した歴戦の部隊長でもある。浜通りの同志が"一班十世帯"の拡大に挑んだ「一〇闘争」でも、青年部の先陣を切ってくれた。
その友が、一昨年の東日本大震災の原発事故の影響のため、いわき市での避難生活を余儀なくされた。
しかし言うに言われぬ苦労を抱えながらも、「どんな試練に遭おうと、師弟の誓いが崩れることはない」と、徹して友を励まし、支えておられる。
私は、文京支部で共に戦う縁の同志に語った。
「学会と共に歩み抜いて良かったという日が、必ず来ますよ」と。
今、東京・世田谷の地域で獣医をされている同志からも、「本当にその通りになりました」と近況を伝えていただいている。
仏意仏勅の学会と共に歩み抜いた人こそ、三世に崩れぬ幸福の土台を築き、必ずや「良かった」と言える最高の人生を飾ることができる。全国、そして世界に光る多宝の同志が、その何よりの証明者である。
大聖人は、池上兄弟と夫人たちの不屈の団結と勝利へ戦う姿を、『未来までの物語として、これ以上に素晴らしいものはない』(P1086、通解)とまで讃えてくださっている。
これは、そのまま我ら創価家族の絆であると、私は声を大にして宣言したい。
◇大胆に正義の心で
過日、文京の壮年の有志の方々が、私の青春時代の愛読書の一つだった、懐かしき『プルターク英雄伝』を届けてくださった。
その中に、勇気や熱誠という美徳を好んだアレキサンダー大王の率先行動が、こう記されていた。
「いかなる急場にもみずから艱難辛苦を引き受けて味方を励まし助けることを常としていた」−−我らが創価の師弟も、幾多の苦難の山々を、この勇気の共戦で勝ち越えてきたのだ。
私は心から願う。
愛する同志が、喜び勇んで広布に邁進することを!
私は懸命に祈る。
一人ももれなく、絶対の幸福の人生を悔いなく勝ち切ることを!
さあ、前進だ!
勇気凛々と、前進だ!
全同志が朗らかに、威風
堂々と、勝利の舞を!
大胆に
正義の心で
わが友よ
いざや前進
不二の道をば