約束は必ず守る。
時間に遅れない。
小事が大事だ。
信頼こそ宝!
人間外交で勝て!
西山殿御返事 P1474
『夫れ雪至つて白ければそむるにそめられず漆至つてくろければしろくなる事なし、此れよりうつりやすきは人の心なり、善悪にそめられ候、真言禅念仏宗等の邪悪の者にそめられぬれば必ず地獄にをつ、法華経にそめられ奉れば必ず仏になる』
◇希望の明日へ
仕事や研究や家事で忙しい人も多いかもしれない。しかし、大いなる目的へと進む学会員は、社会の現実から目をそらし、避けて生きていくような、卑怯な人生だけは、絶対に歩んではならない。
昭63・5・5
☆女性に贈ることば 五月五日
どんな子であれ、その人にしか見たせない使命がある。誰しも、何かの才能の芽をもっている。
その芽を伸ばすための最高の養分は、信じてあげることです。
人によって、早く芽吹く人もいれば、時間がたってから、急に伸びだす人もいる。
しかし、いつかは必ず才能の芽が伸びることを信じて、温かく見守り、根気強く励ましを重ねていくことです。
☆今日のことば 五月五日
希望に燃えて 怒濤に向かい
たとい貧しき 身なりとも
人が笑おが あざけよが
じっとこらえて 今に見ろ
まずは働け 若さの限り
なかには あなどる者もあろ
されどニッコリ 心は燃えて
強く正しく わが途進め
苦難の道を 悠々と
明るく微笑み 大空仰ぎゃ
見ゆる未来の 希望峰
僕は進むぞ また今日も
☆学園抄 創立者とともに 第2回 モットーの励まし
◇未来のために
「あっ! 池田先生!」
創立者の姿を見つけ、児童の顔がほころんだ。
小平市から国分寺市にまたがる東京創価小学校。創立者が校門をくぐったのは78年(同53年)7月4日。気温30度を超える真夏日だった。
緑に囲まれた白いエンゼル噴水で、児童とテープカット。きれいな軌跡を描いて水が噴き出す。
「すごーい!」
児童の目が輝く。
創立者は全校集会にも参加。ピアノ、オルガン、太鼓、笛、ハーモニカ、カスタネット……。楽しい合奏に拍手を送る。
"アイスクリーム会食"では児童の中へ。創立者が声を掛けるたび、陽気な笑い声が広がる。
下校時間。炎天下の中、創立者は立つたまま児童全員を見送った。
「さようなら。お父さん、お母さんによろしくね!」
大きな手で幼い手をやさしく包む。
「先生、また来てね!」
児童たちは、弾むような足取りで帰っていった。
静かになった校舎で、教職員と懇談が始まった。この時、教職員には一つの願いがあった。
4月の第1回入学式から3ヵ月が経つ。しかし、シンボルとなるはずのモットーの碑は、まだなかった。創価学会第三代会長辞任の前年であり、創立者は厳しい嵐の中にいた。"モットーを揮毫していただきたい"との教職員の要望にも、なかなか応じられない状況だった。
創価教育の魂は、永遠に創立者だ。未来に続く児童のため、もう一度お願いしよう−−教員が思いを込めて□を開いた。
「先生! モットーの碑のご揮毫をお願いいたします!」
一瞬の静寂。
「わかりました。皆さんが望むなら、書きましょう。筆と墨を持ってきてください」
一文字一文字、筆が躍る。静かに見つめる教職員の顔が上気していく。
「明るい子
思いやりのある子
ねばり強い子」
低学年のモットーである。高学年のモットーも、したためた。
「闊達
友情
根性」
夏休み明けの9月1日。日焼けして元気に戻ってきた児童を待っていたのは、創立者の筆を刻んだモットーの碑だった。
4年後、大阪・枚方市に開校した関西創価小学校でも、同じく二つのモットーの碑が児童を迎えている。
創立者は半世紀近くにわたり、スピーチやメッセージだけでなく、数々の指針を贈ってきた。
今の学園生はとくに、創立者が示した「五原則」「合言葉」を実践し、先輩と後輩の仲良き校風を築いている。
東京・創価高校でモットーの碑を磨く、栄光会の3年生が語っていた。
「50年先、100年先のために、創立者の指針をどう受け継いでいくかが、私たちにとって大事だと感じています。だから、いつも素直な気持ちで創立者の言葉を受け止め、行動するようにしています。そこで私たちが感じたことを後輩に伝えていきたいです」
きょうも、東西の創価小学校に下校時間かやってきた。大きめの制服に身を包み、長い袖からちょこんと手を出す1年生。新しい仲間と校舎から出てくる。
「明るい子! 思いやりのある子! ねばり強い子! きょうも一日がんばりました!……」
モットーの碑に向かって元気よくあいさつ。一日のできごとを話しながら、笑顔で帰っていった。
モットーに脈打つ創立者の思い。それは学園生一人一人の心に、深く刻まれている。