2013年5月19日日曜日

2013.05.19 わが友に贈る

さあ 語ろう!
「会う」ことが
自分を強くする。
生命力を漲らせ
正義の連帯を広げよ!

四条金吾殿御返事 P1192
『いよいよ強盛に大信力をいだし給へ、我が運命つきて諸天守護なしとうらむる事あるべからず』

◇希望の明日へ
女性の場合、決して、いわゆる青春時代のみが花なのではない。若い時代にどんなに華やかであっても、その幸福は浅いものだし、また一生続く保証もない。そして、長い目で見たときには、心にしっかりした"芯"をもっている人は、時とともに、輝いていく。これは何万、何十万という人の歩みを見てきた一つの結論である。甘やかされた、心の弱い人であっては自分も不幸であるし、家庭も暗く、不幸にしてしまう。何があっても、朗らかに、楽天的に生きていく−−「不屈の希望」とでもいうべき内面の強さと躍動である。ここに「幸福」 の実態もあろう。
『主婦の友』 平3・1月号

☆女性に贈ることば 五月十九日
他人の畑に気を取られていては、どこまでいっても満足は得
られない。
自分の畑を耕さないかぎり、人生の真の実りは満喫できない。

☆今日のことば 五月十九日
いつの世にも、なにより美しく、尊いものは、人の情愛である。
人間の真情は、ひとたび危急におちいったときにこそ、偽りのベールをはらって、本当の顔をあらわすものだ。

☆中国の著名な書画家・董寿平氏と会談 1989-09-11
画伯が2年前、贈ってくださったのは「松」の絵でした。この「松」は、私ども仏法者にとっても、ひときわ深い意義があります。仏法には「松は霜が降りて、他の木々が枯れたあとに『木の王者』として風格を現す」との言葉がある。
更に仏法に、「松は万年の長寿をたもつゆえに、枝を曲げられる。法華経の行者は久遠長寿の如来である。ゆえに、修行の枝を切られ、曲げられることは疑いない」ともあります。
偉大な生涯に様々な風雪、障害があるのは当然です。「松」はそうした幾多の試練にあっても、凛々しく我が王道を貫く「勝利王」「幸福王」「人間王」の象徴となっている。
ともあれ私は、画伯の絵から、私どもに対する絶大な未来への期待を感じてならなかった。

◇御書に出てくる「松」
『蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ』(P26)
『諸木は枯るると雖も松柏は萎まず衆草は散ると雖も鞠竹は変ぜず法華経も亦復是くの如し』』(P47)
『一心より松よ桜よと起るは切なり、是は心法に約する義なり』(P826)
『松栄れば柏悦ぶ芝かるれば蘭なく情無き草木すら友の喜び友の歎き一つなり』(P934頁)『松高ければ藤長く源深ければ流れ遠し』(P975)