2013年5月26日日曜日

2013.05.26 わが友に贈る

御聖訓「軍には
大将軍を魂とす」。
リーダーの率先垂範が
壁を破る力となる。
雄渾の名指揮を!

上野殿御返事 P1579
『千金の金をもてる者もうえてしぬ、一飯をつとにつつめる者にこれをとれり』

◇希望の明日へ
華やかな境遇や格好に憧れたり、うらやんだり−−そんな浅はかな女性であってはならない。表面のきらびやかさに動かされるのは、しっかりした自分がないからである。哲学がなく、信念がなく、生きるうえでの基準がない。結局、流され、漂っていく人生となってしまう。人生の目的は幸福である。幸福は自分自身が感じるものである。自分自身が築くものである。自分自身の中に躍動するものである。ゆえに自分の魂、生命がどうかが根本である。
平4・12・13

☆女性に贈ることば 五月二十六日
親は子どもにとって、最も身近な人生の先輩ともいえる。
平凡であってよい。地味であってよい。失敗があってもよい。
しかし、人間としてのたしかなる完成、また虚栄ではない、真実の栄光を見つめた自らの生き方の軌跡を、子どもに示せる存在でありたい。

☆今日のことば 五月二十六日
君が もっと明確に
 確信をもって物事をいえば
人々は惑わずに救われたのではないかと
 私は 忠告したいのだ

☆我らの勝利の大道No.104 前進の旗 勝利の舞
◇一日一日を断固と勝ち取れ

胸張りて
 今日も舞いゆけ
  菩薩行

今、日本全国、さらに、世界のいずこでも、地涌の青年たちが勇躍し、広宣流布に奔走してくれている。
日々、その尊き報告に接することほど、嬉しいことはない。
先日、海外の青年リーダーから頂いた手紙には、六十年前の私の「若き日の日記」の一節を書き留め、自らの決意と重ね合わせてくれていた。
それは、「私は、どこの支部も、どこの同志も、幸福であって貰いたいのだ。溌剌と、団結して、学会を、日本の、世界の、学会にすることを夢みているのだ」との一文である。
皆が幸福であれ! 全学会が勝利を!−−これが、戸田城聖先生のもとで戦う二十五歳の創価の若人の願望であり、誓願であった。
この心を、世界の青年部が脈々と受け継いでくれている。学会の未来は盤石なりと、頼もしい限りだ。

私が日記に、この真情を綴った昭和二十八年(一九五三年)−−。年頭には、男子部の第一部隊長の任を受けて青年拡大の火ぶたを切り、江戸川、江東、墨田、また埼玉などの若き盟友たちを糾合し奮闘した。さらに四月下旬からは、師の直々の命を受け、文京支部の支部長代理としても戦うことになったのである。

◇「文京」発の大攻勢
当時の文京は、全支部の中で低迷に苦しんでいた。皆、頑張っているのに、自信が持てず、肩身の狭い思いをして気の毒であった。
前年、蒲田支部が"二月闘争"で、まず突破口を開き、これに鶴見、足立、小岩、杉並、築地、向島、本郷、中野などの各支部が続いて、拡大の連鎖反応が起こっていった。
今度は、文京支部が壁を破れば、全東京そして首都圏が一体となっての勝利の回転が軌道に乗る。
そしてそれは、必ず全国への大きな波動となるに違いない。
一番苦労の多い地域や組織が、偉大なる可能性を開き、一番星と輝く栄光の歴史を築くための「立正安国の仏法」である。
ゆえに今、最も悪戦苦闘している文京支部で、その模範を示し、すべての同志のために、私は「勝利の門」を開く決心であった。
自分のいる場所で、まず一点突破だ。御書にも『竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るる』(P1046)と記されている。
私は、その後も、新たな戦野に飛び込み、札幌で、大阪で、山口で、荒川で、さらに葛飾で−−勝利また勝利の金字塔を打ち立て、恩師から相伝した「絶対勝利の信心」を、全学会に漲らせていったのだ。
新出発をして五ヵ月後の九月で文京支部の月間折伏は二倍強の二百世帯を超え、十二月には四倍強の四百二十一世帯という拡大を達成できた。皆が胸を張り、自信に満ちていった。
この見違えるように元気になった新生・文京支部の勢いに、戸田先生はユーモアを込めて、"強壮剤"でも飲ませたのかと呵々大笑された。

御聖訓には仰せである。
『師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり』(P1124)
大きい戦いといっても、実は日々の小事の積み重ねであり、目の前の課題への勇気の挑戦の繰り返しにほかならない。
ゆえに、一切の油断を排し、競い起こるあらゆる魔を打ち破って、一つ一つを真剣勝負で勝ち切っていくのだ。一日一日を断固と勝ち取っていくのだ。それが「師子奮迅の力」を出して戦うということだ。