2013年5月6日月曜日

2013.05.04 わが友に贈る

「友にあふて礼あれ」
誠実の振る舞いが
相手の心を動かす。
きょうも朗らかに
友情の拡大を!

上野殿御返事 P1566
『女子は門をひらく男子は家をつぐ日本国を知つても子なくは誰にかつがすべき、財を大千にみてても子なくば誰にかゆづるべき』

◇希望の明日へ
働くとは「はた楽」つまり「はた(そば)の人を楽にすること」だと、子どものころ聞いたことがある。周囲の人に、また広く社会に"楽"を与えていくのが働くことの本義だとしたのである。その他人のために関わる精神は、仏法で説く菩薩の生き方にも通じる。いかなる職業であれ、自分の立場を通して人々に喜ばれ、社会に役立っていこうという真心があってこそ、美しい。その誇りがなければ、どんな世間体のよい、立派そうな職業に就いても、その心根は貧しく、卑しい。また、その真心と誇りから生まれる熱心さこそ、重い仕事をも軽くし、楽しい心をもって働く力なのである。
『主婦の友』 昭63・1月号

☆女性に贈ることば 五月四日
笑顔は、幸福の結果というよりも、むしろ幸福の原因だともいえよう。

☆今日のことば 五月四日
よく読め よく書け
そして 雄弁たれ
それが 偉大なる発展への推進力だ

☆学園抄 創立者とともに 第2回 モットーの励まし
◇創価教育の原点
創立者と学園生か織りなす創価教育の歴史は、モットーの碑の前で始まった。
1968年(昭和43年)4月8日、男子校として出発した創価学園。入学式後、詰め襟の1期生がロータリーに並んだ。
「まもなく池田先生が来られます」
湧く歓声。続く緊張感。北海道・知床から沖縄まで、全国から集った12歳、15歳ほどの少年たち。学校の先生は厳しいけど、創立者はどんな方だろう……。
車が到着した。創立者が降りる。一人一人を見つめる顔は微笑んでいた。
「本当におめでとう。しっかり頑張りなさい」
「はい!」
凛々しい声が新校舎に響く。そして碑に掛けられた布が取り除かれた。
「英知 栄光 情熱」
強い筆致が、飛び出さんばかりに躍動している。
校歌斉唱、栄光橋の渡り初め、記念撮影、青年と鷲の像の除幕……。創立者はずっと、にこやかだ。
「みんな、かわいくて、仕方がないよ」
新入生の硬い表情が、ぱっと明るくなる。創立者は保護者とも記念撮影。
「大切な息子さんは、私が責任をもってお預かりします。決して心配することなく、わが子の成長を楽しみにしていてください」
創立者を中心に、生徒、教職員、保護者まで家族のような雰囲気に包まれる。
モットーの碑は"父子"の出会いの場となった。
いま、その碑の足元には「創価教育原点之地」のプレートが輝いている。

おや?
教員たちは驚いた。
73年(同48年)4月。1期生が入学した直後、大阪・交野市の創価女子学園(当時)。登校する生徒がモットーの碑に一礼して校舎へ向かう姿を目にしたのだ。
数日前の入学式。創立者は「本日を、モットーに定めた『良識』と『健康』と『希望』という、生涯にわたり輝ける生命の財宝を築く第一歩の門出としていってください」と祝福。新入生と碑を除幕した。
創立者の期待通りの"娘"になろう−−生徒は自発的だった。碑を磨く生徒、碑の前で"大楠公"を歌う生徒もいた。勉強も頑張った。創立者は学園を訪れると、モットーの碑へ向かう生徒をそっと見守った。気付いた生徒には笑顔で手を振った。時には自ら呼び掛け、一人一人を覚えるように名前や近況を尋ねた。
「何の本を読んでるの?」
「両親を大切に。毎日、体に気をつけて元気に登校しなさい」
「これから松下幸之助さんに会うんだよ」
「ここを蛍でいっぱいにしたいね!」
モットーの碑は"父娘"の語らいの場となった。
キャンパスで創立者が声を掛けるのは、悩みを抱えている生徒が多かった。家族の病気、経済苦、将来のこと……。感情を抑えきれない生徒もいる。
「泣いちやダメだよ。笑いなさい。笑いなさい。太陽の子、師子の子が泣いたら雨になっちゃう」
新入生には「今はじっと我慢するんだ。苦しいこと、辛いことがあっても、決して希望を捨てず、この厳しい冬を耐えるんだ。必ず春はやってくる」と。
創立者は教員に、学園生への真情を述べた。
「将来の大事な指導者となる生徒だ。また、私の子ども以上に大事な子どもである。私の子ども以上の、本当の子どもである」