2012年11月16日金曜日

2012.11.16 わが友に贈る

「畏れ無きこと
師子王の如く」
仏法の魂は「勇気」!
さあ喜び勇んで
広宣流布の大理想へ!

四条金吾殿御消息 P1113
『難にあう所ごとに仏土なるべきか、娑婆世界の中には日本国・日本国の中には相模の国・相模の国の中には片瀬・片瀬の中には竜口に日蓮が命をとどめをく事は法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか』

◇希望の明日へ
異なる文化に育った青年たちが、闊達に交流しあい、友情を深め、人間としての絆を結びあっていく−−ここに、人類の明るい未来がある。新たな教育の役割がある。私が創価大学を創立した一つの目的でもあった。
平2・2・16

☆第7回池田思想国際シンポジウムのメッセージ「教育で創造性を開花」
◇先人の志を継ぎ青年の交流を
第三に、多元文化の融合によって、「永遠友好の金の橋」を継承していきたいということであります。
上海で人生の総仕上げをなされた文豪・魯迅先生が、前世紀の初頭、日本の仙台医学専門学校(現・東北大学医学部)に留学し、恩師・藤野先生と心温まる交流をされた歴史を、今この時に、改めて想起するのは、私一人ではないでしょう。
その同時代、魯迅先生も学んだ日本の弘文学院で教壇に立った創価教育の創始者・牧口常三郎先生と、貴国の留学生だちとの心通う交流も胸に迫ります。
当時、浙江省からの留学生が発刊していた月刊誌「浙江潮」には、2号続けて魯迅先生の小説・翻訳とともに、牧口先生の『人生地理学』の抄訳を掲載していたのであります。
誠に不思議な縁であります。
魯迅先生は、激動の時代、「子どもを救え」(竹内好訳『魯迅選集第1巻』)と叫ばれ、文学と教育に奔走し、大中国の精神革命に全身全霊を捧げられました。
牧口先生は、日本が軍国主義へと傾斜していく時代、"子どもを幸福にするための教育を"と訴えて、やがては軍部権力の弾圧によって獄死しました。
この偉大な先人たちの志を受け継ぐ思いで、私は、これまで日本と中国の青年の交流の道を開いてまいりました。

◇未来のために
今回のシンポジウムには、アメリカの友人たちも出席してくれております。
かつて、革命前夜の中国の各地で、200回を超える講演を行い、青年だちと創造的なコミュニケーションを重ねた、教育者のデューイ博士の言葉を、私は皆様方と深く共有したいのであります。
「私たちの責任は、受け継いだ遺産としての価値を守り、伝え、改善し、大きくすることである。そして、後に続く人たちが、私たちが受け継いだ時よりも、さらに確かなかたちで、その価値を受け継ぎ、さらに多くの人びとの間で、豊かに分かち合えるようにすることである」
「戦乱」と「分断」に苦しみ抜いた20世紀に生を受けた一人として、私は、21世紀を担う青年たちに、「平和」と「共生」の金の橋を断じて託していきたいと決意し、戦い続けてまいりました。

貴・上海師範大学の題字を認められた文豪・郭沫若先生は、日本で「青年は人類の文化を促す原動力である」(劉徳有著、村山孚訳『郭沫若・日本の旅』)と述べられました。
日本と中国、そして世界の青年たちが力を合わせて、新たな人類の平和の文化を創造しゆく未来のために、皆様方とご一緒に、命の限り、行動を貫いていくことをお誓いし、私のメッセージとさせていただきます。