2012年11月5日月曜日

2012.11.05 わが友に贈る

空気が乾燥する時期。
火災に厳重注意を!
可燃物を放置せず
火の元を点検せよ。
「前前の用心」で進め!

新池御書 P1443
『南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申して候へば天然と三十二相八十種好を備うるなり、如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり』

◇今週のことば
決めて、祈って、動く。
これが勝利のリズムだ。
今日も決意に燃えて
題目の師子吼を響かせ
断固と不屈の旗を振れ!
2012年11月05日

◇希望の明日へ
心の窓を大きく開いて、希望の青空を仰いで生きる人生は美しい。いわんや信心の世界においては、希望「大」なれば実践「大」となり、福徳もまた「大」となる。
平3・7・5

☆池田大作 名言100選 核兵器の廃絶へ
核兵器の存在を抑止のための"必要悪"
としてきた「国益」優先思考から、
核兵器使用をいかなる理由があろうとも認めない
"絶対悪"の立場、「人間益」
を優先させる思考への脱却を図らなければならない。

☆我らの勝利の大道No.087「地域広布の勇者」
◇離島部の宝の同志
十月七日は「離島部の日」であった。この日を記念して、過日の本部幹部会には、わが島、わが地域の発展に尽くす離島部の代表が意気高く集われた。
また今回は、ニュージーランド、ニューカレドニア、ミクロネシア、パラオ、フィジー、タヒチ、パプアニューギニアという南太平洋の島々からオセアニアの代表メンバーも、はるばる海を越えて来日。皆、「我らも離島部!」との気概で、喜び勇んでおられた。
今や、世界大のスケールとなった「離島部の日」の淵源は、昭和五十三年(一九七八年)の離島本部の総会にある。
この時、私は、約百二十の島の広布の開拓者たちとお会いした。北海道の礼文島や利尻島、東京の伊豆大島、八丈島、兵庫の家島、広島の因島、愛媛の伯方島、香川の小豆島や直島、長崎の壱岐・対馬、鹿児島の沖永良部島、沖縄の久米島や石垣島、営古島などで奮闘する宝の同志である。
島は一つの国のようなものだ。それぞれに風習や文化も違う。人知れぬ苦労も多い。どれほどの思いで戦ってこられたか──島々から届く勝利の朗報に接すると、私の心は高鳴る。合掌せずにはいられない。
東日本大震災で津波被害を受けた宮城県気仙沼市の大島でも、わが同志が懸命に復興に走り、広布の先駆を切っておられる。
結婚を機に大島に渡ったある婦人は、「島外」の人とされて、とけ込めなかった。しかし、屈しなかった。
「自らの姿で創価学会を知ってもらおう」と、近隣に進んで声を掛け、着実に信頼を結んでいかれた。婦人会やボランティアクラブ、行政委員、小学校での読み聞かせと、地域活動にも献身的に取り組まれた。
今回の震災でも、苦しみや悲しみの淵にある友に寄り添い、心の復興へ励ましの光を送り続けている。
そんな健気な母が、誇り高く語っておられた。
「自分が住んでいる地域で、長生きできてよかったと、みんなが言えるようになってほしい。それが、私が大島にできる恩返しですから」──。
母が輝けば、周囲の暗闇も明るくなる。笑顔の花が一輪また一輪と咲き薫る。広布の道を進む母の祈りと行動は、必ず地域再生の大きな力になっていくのだ。
アメリカの人権の母と讃えられるエレノア・ルーズペルトは明言している。
「恐れるよりは希望をもつ方が、やらないよりはやる方が、より賢明なことは明らかである。それに、『そんなことできるわけがない』という人間からは何一つ生まれたためしがないということも、動かすことのできない事実なのである」
崇高な使命に燃え、わが愛する島に幸福の理想郷を築きゆく大切な同志を、私は心を込めて讃えたい。

妙法の
 音律響かせ
  朗らかに
 宝の島に
  三世の歴史を

思えば、新潟の佐渡島を私が初訪問したのは、昭和三十三年(一九五八年)の七月であった。逝去された戸田先生のお写真を携えての旅であった。
佐渡は、大聖人が命を賭して、正義の師子吼を放ち続けられた天地だ。
恩師亡き学会に"空中分解"等と悪口が渦巻く中、佐渡は新たな前進への「広布大遠征の起点」なりとの確信が、私にはあった。
この折、蓮祖ゆかりの塚原や一谷を案内してくださったご夫婦のことが、今でも忘れられない。
帰京してすぐ、私は葉書を認めてお送りした。
「阿仏房夫婦の如く、又四条金吾夫妻の如く、人の模範になる信心たれ」と。
その期待に応えてくださるように、ご夫妻は佐渡広布に歩み抜かれた。
有名な「佐渡御書」には、『鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし』(P958)と仰せである。
この精神のままに、旧習の厚い壁に直面するたびに、一歩も退かず、島の安穏と発展を願って誠実に語り抜かれた。友に励ましを送る中で、自らの病苦や経済苦も克服し、地域から信頼され、慕われる模範のご夫妻となられたのである。
愛する離島部、さらに、誉れの農漁光部、地域部、団地部の皆様には、「阿仏房夫婦」「四条金吾夫妻」さながらの信心の王者が数多くおられる。
それは、私の最大の喜びであり、誇りである。