さあ誓願の11月!
栄光燦たる
師弟の劇の幕開けだ。
燃え上がる情熱で
広布の大金字塔を築け!
生死一大事血脈抄 P1337
『然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』
◇希望の明日へ
どんな状況にあっても、希望を手放さない。その人こそ、真の強き人である。不幸そのもののように思える境遇の中からも、幸福を生み出していける人である。
平3・1・15
☆池田大作 名言100選 知識と知恵
どんなに高度な知識を持っても、
それを人間の幸福のために生かす知恵がなければ、
知識は役に立たないばかりか、むしろ危険でさえある。
☆平成24年11月号大白蓮華巻頭言「『蘭室の友』のスクラムを」
今日もまた
雄々しく生きなむ
朗らかに
人間帝王
三世を見つめて
「太陽の如く、わが心は揺るぎなし。ゆえに、我もまた常に光り輝く!」──千年の昔、シルクロードの大詩人バラサグンは叫んだ。
日蓮仏法は、太陽の大法である。
我らは、来る日来る朝、朗々たる題目の音声と共に、わが生命に元初の旭日を昇らせ、人生と社会を赫々と照らしていくのだ。
思えば、「竜の口の法難」の折には、鎌倉・松葉ヶ谷の草庵に、幕府の数百人の兵士たちが襲いかかった。
しかし、日蓮大聖人は微動だにされない。『あらをもしろや平左衛門尉が・ものにくるうを見よ』と大高声で呵責され、正義と真実を悠然と語っていかれた。時にどっと笑いが沸き起こるほどであった。
竜の口の刑場でも師子王の厳然たる大光を放たれた。さらに、相模の依智まで護送した兵士たちまで労われた。その御振る舞いを目の当たりに拝し、彼らは次々に念仏を捨て去る誓いを立てたのである。
かの「立正安国論」では、皆が嘆き悲しむ「天下の災」や「国中の難」にいかに立ち向かうか、主人と客の同苦の対話が重ねられている。
そこから変革への結合を生み出す光が、『蘭室の友』の交わりである。すなわち、香り高い蘭の花のある部屋に入ると、その人まで香しく感化される。それと同じように、よき友との交流によって、正しき哲学と貢献の行動に目覚めることができる。
闇夜を破る暁光の如く、「立正安国」の大理想へ『蘭室の友』のスクラムを、民衆が立ち上がり、民衆に広げてきたのが、創価学会である。
皆、同じ乱世を生きる仲間である。
心の垣根をつくらず、胸襟を開いて、気さくに対話をしていくことが、どれほど大切か。
どの人の生命にも、必ず仏性が内在している。その仏性に、妙法を唱える「地涌の菩薩」の勇気と誠実の声が響かないわけがない。
師・戸田城聖先生は言われた。
「誰もが悩み多き衆生ではないか。かりに反発しても、命の奥底では、仏法を求めている。話をした以上、妙法と永遠の縁を結んだのだから、相手は必ず変わっていくんだよ」
この確信の対話で、尊き多宝の友は広布の原野を開拓してきたのだ。
あの昭和三十一年五月、大阪支部が一万一千百十一世帯の折伏を成し遂げた時、その一人として入会した淀川の母がおられた。
地域の広宣流布を願い続けた。この母の心を受け継ぎ、娘さんも悪口にも怯まず、ぬかるみの路地裏を走って法を弘めてきた。
私は、娘さんに「蓮池や 泥より出でたる 功徳かな」と句を贈った。宿命を使命に変え、今も友の功徳の花を咲かせておられる。
錦宝会の年代になった娘さんは笑顔で語られる。「臆してしまえば、魔が喜ぶだけです。会う人ごとに心で題目を唱え、味方に変えてきました。信心の大歓喜を、皆にどんどん伝えたいのです」と。
『蘭室の友』の連帯を創り広げる「仏縁の拡大」は、自他共に永遠にわたる「幸福の拡大」であり、「心の財の拡大」なのである。
我らの「創立の父」牧口常三郎先生は、戦時中、法難の牢獄にあっても桜色に紅潮された若々しい顔で、堂々と平和の仏法を語り抜かれた。
勇気凛々と祈り戦う行動にこそ、創価の太陽は輝くことを忘れまい。
悠然と
広宣流布の
大道を
戦い勝ちゆく
無辺の劇かな