2012年4月20日金曜日

2012.04.20 わが友に贈る

聖教ありて広布あり。
尊き配達員の方々
通信員、新聞長はじめ
本紙を守り支える
皆様に福徳は燦然

祈祷抄 P1345
『あやしの畜生なんども恩をば報ずる事に候ぞかし、かりと申す鳥あり必ず母の死なんとする時孝をなす、狐は塚を跡にせず畜生猶此くの如し況や人類をや』

◇希望の明日へ
自分と比較して他人のほうが良く見える場合がある。しかし、外から見てうらやましく思うほど、実際が良いとはかぎらない。むしろ外見と反対の場合も多い。何より自分自身の人生である。他人と此べるよりも、自分が以前の自分より良くなったかどうか、それだけを比べていけばよいのである。焦る必要はない。卑屈になることもない。
平3・7・28

☆我らの勝利の大道No.71 勝利のリズムで前進
思えば、恩師が逝去された当時、学会は空中分解するとさえ言われていた。
その渦中、私は青年部の同志と強く語り合った。
「先生が残してくださった青年訓、国士訓の御遺言は厳然と存在している。特に学会の中でも異彩を放つ青年部として、我らは今後も堂々と進むべきである」
師匠は、すべてを授けてくださっているではないか。何も心配することはない。あとは弟子が、師の構想の実現のために、どう動くかで、決まるのだ。
「御義口伝」には「師子吼」の意義について、「師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(御書七四八ページ)と、明確に示されている。
私は常に恩師と心で対話しながら、師弟不二の祈りと率先垂範の行動で指揮を執った。一人、前を向き、学会を前進させてきた。
その思いに、二人、三人、百人と立ち上がり、やがて幾干、幾万の青年が続いてくれたのだ。
恩師の一周忌には、「大白蓮華」に「今日から、さらに激戦が始まったのだ」と寄稿した。
それは、私だけではなく、青年部の一致した決意となっていたのである。
「三・一六」「四・二」「五・三」というリズムを刻みながら、恩師の魂を継ぐ青年たちの力で、一つ一つの広宣流布の戦いも断固として勝利していった。
さらに、私の会長就任直前の昭和三十五年四月には百四十万世帯を達成した。そして、その二年後には、恩師が弟子に託された三百万世帯の拡大を、遂に勝ち飾ったのだ。