勝利のドラマは
今 ここから始まる!
いよいよの心で
創価の新時代を開け!
日眼女造立釈迦仏供養事 P1187
『譬えば頭をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉ればゆるがぬ草木やあるべきさわがぬ水やあるべき』
◇希望の明日へ
学会は、これまで、どれほど嘲笑と迫害の嵐にあってきたことか。しかし、それらの烈風を前進への追い風として、今日の未曾有の発展を成し遂げてきた。この事実こそ、学会の信心、広布の実践が正しかったことの確かなる証左である。そして、われわれを軽蔑し、非難して、退転していった卑劣な輩は、仏法の厳しき因果を証明するごとく、あわれな人生の末路となっているのである。
☆随筆 人間世紀の光 No.052「君よ 青春の無限の力を!」
あの巨大な両国の国技館(後に日大講堂)で、記念の本部総会を大成功に終えると、すぐさま、待ちに待った青年部の体育大会であった。
広宣流布に飛翔していく生き生きとした青年たちの、初のこの体育大会には、当初、理事らの先輩幹部は、皆、反対であった。
信心と何の関係があるのかというのである。
その時に、戸田先生は、「大作と俺が考えている意義ある大会だ。一回、やらせてみたらどうか。後になって、非難するなら非難せよ」と厳然と言われ、許可してくださった。
そして青年の躍動を、心待ちに楽しみにしてくださったのである。
将来、敗北していく学会になるか、勝利を勝ち取り続けていく学会になるか。
それは、青年たちの自覚と成長しかない。
私は、戸田先生の心が太陽の如く輝いて見えた。
当時の先輩は、威張りくさって青年を見下し、戸田先生があまりにも青年を大事にするがゆえに嫉妬して、学会の将来を考える賢明さがなかったのだ。
初の私たちの「世紀の祭典」は、世田谷の日大グラウンドをお借りして開催した。
まさしく「新しき世紀」を創りゆく、青年の熱と力が沸騰していた。
戸田先生をはじめ、来賓として参加した方々も、心から拍手を送り、感嘆し、期待を寄せてくださった。
はつらつたる青年の闘志!
乙女たちの輝く清き瞳!
若人の生命が放射するまばゆい光こそ、見る人を刮目せしむる偉大な覚醒なのだ!偉大な折伏なのだ!
日々、新たな歴史を開く喜びに燃えた、あの五十年前の青春の勝利劇は、今や、世界中に広がる青年と青年、乙女と乙女の大連帯となった。
さあ青年よ、断じて勝て!
本門のわが弟子よ、広宣流布の偉大な門を開きゆけ!
ドイツの若き詩人ヘルダーリンは、その詩で、「わが青春の雲のなかからたくましく偉大な行為はほとばしる」と力強く詠い上げた。
あの誓い合った若き友を忘れるな!
我らの高貴な魂は、「無限の苦痛」を「無限の歓喜」に変えてゆく哲学を持っているからだ。
あの永遠なる厳粛な正義の道を歩め!
君のあの若々しき、創造の無限の力を!
強き生命力を!
正しき青春の法則を!
光り輝く躍動美の君の振る舞い! 確固たる信念に満ちた、英雄の奮闘よ!
断じて負けない。
たまには負けても、悠然と起き出して、また勝つために進む。
ともあれ、究極の人生の勝利と、最後の生命の栄光を誇り高く勝ち取るのは、晴れやかな心気高い我らなのだ。
あの野獣の群れのように振る舞う卑怯卑劣な奴らには、断じて屈するな! 断じて勝つのだ!
これが、真実の人間の王者なのだ。
庶民は、最高の宝だ。そこには、虚栄心など微塵もない。名誉など何も欲しない。ひたぶるに、一生を生き抜いていく。そして、自分に見合った満足を心から味わいながら、皆に希望を贈っていくのだ。
仏法には、何一つ、失われるものはない。すべての行動が、すべての誓いが、最後は幸福と勝利へと結実していくからだ。
君よ、動ずるな!
君よ、恐れるな!
そして、君よ、大胆不敵に人生を生き抜き給え!
それが、青年の若き英雄の実像であるからだ。
二〇〇四年十月十九日 学会本部・師弟会館にて