生き生きと
功徳の喜びを語ろう!
仏法の哲理は
実証によって輝く!
崇峻天皇御書 P1174
『蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし』
◇希望の明日へ
信心しているからといって、何も起こらないとはかぎらない。しかし、何があろうとも、微動だにすることはない。妙法は「生死不二」「煩悩即菩提」の法である。御本仏の仰せ通りの信心の人には、いっさいが功徳となり、歓喜となる。時とともに、"万事これでよかった"という所願満足の軌道に入っていくのである。
☆「青年よ国士たれ」 国士訓 (『大白蓮華』1954年10月号巻頭言)
われらは、宗教の浅深・善悪・邪正をどこまでも研究する。文献により、あるいは実態の調査により、日一日も怠ることはない。いかなる宗教が正しく、いかなる宗教が邪であるか、また、いかなる宗教が最高であり、いかなる宗教が低級であるかを、哲学的に討究する。
諸君よ、目を世界に転じたまえ。世界の列強国も、弱小国も、共に平和を望みながら、絶えず戦争の脅威におびやかされているではないか。一転して目を国内に向けよ。政治の貧困・経済の不安定・自然力の脅威、この国に、いずこに安処なるところがあるであろうか。「国に華洛の土地なし」とは、この日本の国のことである。隣人を見よ!道行く人を見よ!貧乏と病気とに悩んでいるではないか。
「不幸」よ!汝はいずこより来たり、いずこへ去らんとするか。目をあげて見るに、いま、国を憂い、大衆を憂うる者はわが国に幾人ぞ。国に人なきか、はたまた、利己の人のみ充満せるか。これを憂うて、吾人は叫ばざるをえない、日蓮大聖人の大獅子吼を!
『我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず』(P232)
この大獅子吼は、われ三徳具備の仏として、日本民衆を苦悩の底より救いいださんとのご決意であられる。われらは、この大獅子吼の跡を紹継した良き大聖人の弟子なれば、また共に国士と任じて、現今の大苦悩に沈む民衆を救わなくてはならぬ。
青年よ一人立て!
二人は必ず立たん、
三人は また 続くであろう。
かくして、国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである。
青年は国の柱である。柱が腐っては国が保たない。諸君は重大な責任を感じなくてはならぬ。
青年は日本の眼目である。批判力猛しければなり。眼目破れてはいかにせん。国のゆくてを失うではないか。諸君は重大な使命を感じなくてはならぬ。
青年は日本の大船である。大船なればこそ、民衆は安心して青年をたよるのである。諸君らは重大な民衆の依頼を忘れてはならぬ。
諸君よ!