真実の中の真実なり。
御書を学べば学ぶほど
無限の勇気と希望が
胸中に湧き上がる!
一生成仏抄 P383
『都て一代八万の聖教三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとはゆめゆめ思ふべからず』
◇希望の明日へ
学会もつねに難の連続であった。しかし、その難と戦い、乗り越えてきたがゆえに、今日の大発展がある。"幸福の中の幸福"は戦う信心にある。いっさいが"人間革命"のチャンスである。そう決めれば、石ころが金に変わる。瓦が宝石に変わる。苦しみが全部、福運に変わる。
☆随筆 人間世紀の光 No.052「君よ 青春の無限の力を!」
「半年で倍増」という大結集を実現するために、私は、勝利から逆算して、周到に準備し、戦いを起こした。
何のために戦うのか、広宣流布の崇高な使命を訴え抜いた。そして全幹部が一丸となって、共戦の同志の拡大、折伏の拡大に全力を注いだ。
さらに真剣な個人指導、御書講義を通して、新たな人材を見つけ、人材を育て、人材を登用していった。
若き勢いは、早くも八月中に一万人結集の展望を開き、十月は破竹の驀進となった。
寝ても覚めても、思うことは、ただ「広宣流布」!
何をしていても、奥底の一念には、必ず一万人結集をやりきってみせるとの炎が、消えることなく燃えていた。
当時の仲間たちの思いも同じであった。青春を乱舞する充実と歓喜が光っていた。
「人間は溌剌たるものに好意をよせる。青年は青年によって、相互に人間形成を促す」
これは、大文豪ゲーテの意味深い名言である。
形式的に人数を集めるのではない。
偉大な師匠と共に戦う、若き弟子の陣列を、厳然と勢揃いさせてみせる!
まことの師弟の魂の結合があるならば、恐れるものは何もない。
この師弟不二の溶鉱炉から、必ずや、広宣流布という人類未到の勝利、勝利の山が完成されていくであろう。
なぜ、戸田先生は、あれほど青年に期待されたのか。
それは、戦時中の弾圧による学会壊滅の原因として、教学がなかったという一点とともに、もう一つ、重大な、戸田先生の痛恨の思いがあったのだ。
つまり、ご自身と同じ決心で牧口先生を護り、学会を護り抜く、真の青年がいなかったということである。
臆病な保身の幹部が何人退転しようが、なぜ歯を食いしばって、宗教革命の旗を掲げ抜く青年がいなかったのか!
♪捨つる命は 惜しまねど
旗持つ若人 何処にか……
「同志の歌」に歌われた如く、先生は、青年を待っておられた。生死を共にする不二の青年を待っておられた。
だからこそ、卑怯な性根の青年を見つけられると、烈火の如く叱られた。
「この嘘つきめ! お前は、いつからキツネになったのか!」
「臆病な青年など、戸田の弟子ではない!」
広宣流布は、三障四魔、三類の強敵との熾烈な戦いだ。そのためには地位も財産もいらぬ、命も惜しまぬ、そういう本物の革命児でなければ、広宣流布はできない。
戸田先生は、そのような本物の弟子を見つけ、育てていきたかったのだ。
多くの青年は深い自覚もなく、師の深き決意も知らなかった。
信仰という厳粛なる生死の問題も軽々しく考え、流行の新興の宗教の如き思いをもって集まってきた若者も多かったようだ。
彼らは、難とともに、風の如く、いっせいに消え去った。
しかし、私は、「たった一人になっても、断じて勝ってみせる!」と覚悟していた。
その激闘の渦中、「青年よ国士たれ」(国士訓)の指針をいただいたのだ。
「青年よ、一人立て!
二人は必ず立たん、
三人はまた続くであろう」
一万人結集は、まさに師が死力を尽くして叫んだ、広宣流布の基礎の原理の実践であった。
そして弟子たちが、その原理を実証してゆくべき、不二の儀式であったのだ。
秋晴れの十月三十一日——師・戸田先生のもとに大結集した、若き弟子の人数が発表された。
男子部、六千三百八人。
女子部、四千八十二人。
男女合計、一万三百九十人。そして、この大先輩の青年たちの推進の力が発火点となって拡大され、今や——
男子部、二百七十三万人。
女子部、百六十七万人。
男女合計、四百四十万人の若き陣列となった!